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リンダ・リンダ
人生の中で忘れられない人がいるとすれば、彼はその中の一人だった。
彼が時々見せるどこか遠くを見詰める瞳に私は夢中になった。
彼に抱きしめられた時にほのかに香るコロンで私は満たされた。
私は彼のことを想うだけでよく泣いていた。
そんな気持ちになったのは初めてだった。
きっと私は恋をしていたのだと思う。
それ以外に私には答えが見つからない。

一週間雨が続いたその週の土曜、その手紙が投函された赤いポストは妙に残酷な色に映っていた。
いつの頃からだっただろうか、どんな手紙でもポストにあるだけで、私は瞬間的にひどく戸惑う。
予期せぬ出来事なだけにどう対処していいのか分からないのだ。
たとえそれが詰まらないダイレクトメールだとしても。

正直に言うと最初、私はその手紙を読むことに対して非常に躊躇していた筈だ。
その突然の手紙は私を驚かせ、そしてなによりも私を困惑させたが、それは決して封を開けられることもなく机の引き出しに放り込まれたままだった。

そして、数日が経った。

私は差出人に恋をしている、なによりもその手紙が開けられない最大の理由はそこにあった。
大学を卒業した後に、ただ落ち着けるというだけで通っていた喫茶店の同じ常連だった。
そうそうと誰もいないその店内で必ずと言っていいほど同じタイミングでお茶をしていたので、何度か目が合ううちに「よくお会いしますね」と話し掛けられたのが最初だった。
結局、私達がその喫茶店を待ち合わせ場所にするにはさほど時間を必要することもなかった。

当時、私は今までの恋愛にないくらいに夢中になっていた。
毎日が夢のような世界だった。
だが、その当の本人は私に事前の連絡もないまま置き去りに してある日突然と一人で勝手に外国に飛び出したのだ。
私がその事実を知ったのはかくもその家族からの電話からである。
私はしばらく受話器を握ったまま呆然としていた。
向こう側から彼の家族の声だけが響いている。
「・・・さん、もしもし?ねぇ、もしもし?」

そう、あの日以来、私は彼がいなくなった不在のある生活を冷静に受け止めようと、ただその為に努力してきた。私は損なわれた生活を埋める為にすべての時間を費やしてきたのだ。
だが結局のところ、たった一通の手紙によって再び私は動揺したのであった。

もしかしたら帰国の知らせかもしれない
私はさんざん迷った挙句、その手紙を読むことにした。

「いつだって女は都合が良い」
私は心の中でそっと呟き、煙草を消した。
そういえば私は彼が居なくなってから、また煙草を吸い始めている。



DEAR××

お元気ですか?
僕はいまネパールにいます。インドから延々と 北上してついにネパールのポカラに到着しました。 ヒマラヤの麓にあるペワ湖のレイクサイドに滞在してもう2ヶ月くらいかな。
あっという間。
ネパールまではインドのベナレスから深夜バスで陸路で国境のボーダーを越えて入国しました。国境の街に一泊したんだけど、そこはすごい不思議な場所だった。
なんて言うのかな?
その街の周辺はバスが8時間疾走してもジャングルだらけでなんにも無く、時々夜にもかかわらず鳥の声がグエグエ鳴り響く世界で、あるものといえばデコボコの舗装されていない1本の道だけなんだけど、突然とその最果ての地に国境超えの旅人だけで賑わっている街が出現するの。
すっげーびっくり。

満天の星の中にいつまでも市場やゲストハウスが続いていて、ところかしこにチャイ屋とかチベタンヌードルの屋台とかがひしめいているんだ。
裸電球の下で豆カレーのアルミ鍋がくつくつと音をたてて煮えていたりとか、ターバンを巻いたヨーロピアンがハシシを吹かしながらガタガタのテーブルで擦り切れたトランプを切ってたりとか、そんな感じさ。
もし、遠く空から眺めれば、夏の線香花火のように見えたのかもしれないね。
で、そこにいる旅人たちは南か北かに移動するだけだからお互いが旅人だという以外は何も分からないんだけど、その一夜限りの国境の街を謳歌していたよ。
そんな辺境の土地にもちろん 電気なんかあるわけなくてロウソクやランタンで灯りを補ってるんだ。
風が来ると景色全体が淡く揺れてすごい幻想的になってさ。そんな時だけみんなただじっと故郷を想うような眼で動きを止めるんだ。揺れるロウソクだけを眺めてね。

ちょうどそのスノウリ(国境の街の名前)のゲストハウスの屋上のカフェから写真を撮ったので、今度送るよ。ベロンベロンに酔ったドイツ人のバックパッカーと撮った写真もあるからそれも一緒に・・・。

*

今はポカラで毎日湖の周りとかをヒマラヤのふもとでポチポチと散歩しながら過ごしています。
レイクサイドから5分くらい奥に行った静かなゲストハウスのコテージの2階に住んでいるんだ。
ゲストハウスには一面に芝生の庭が広がっているから、太陽が照っているときは洗濯をしたり、みんなで昼間からビール飲みながら日焼けしたりしてるよ。
洗濯物の後ろにヒマラヤがそびえているの。
嘘みたいに平和。

きっとこんな感じの日溜りの中にさえいれば、もしかしたら世界はもっとよりよくすごせる場所なのかもしれない。
そんな具合に日々が過ぎています。
あとはゲストハウスによく果物とかヤクのヨーグルトなんかをネパリのおばちゃんたちが売りに来るからそれをみんなでつついたり、お腹がいっぱいになったら木陰でハンモックでお昼寝したりとか・・・・・。

そうそう、そういえば、こないだはフルムーンだったね。
フルムーンのときはみんなで屋上でヒマラヤを眺めてたんだよ。
満月の灯りでヒマラヤが銀色に光るんだ。すごくすごく高いところにそびえ立つヒマラヤが闇夜に光るんだ。
地上よりも 空の方が近いその頂上がね。
それをブランケットで暖を取りながらいつまでも息をひそめて眺めるの。
なぜだか分からないけどそこにいる全員が泣いていた。
僕も泣いた。
世界を巡っているヒッピーが訳もなくその巨大な山を見て泣いているんだ。

そう、僕らは誰とも何も語らずに山を見ていた。
ヒマラヤの前では非常に小さい、ただそれぞれの宇宙を抱える一個の人間で、きっとこれからも僕らはその宇宙を彷徨うだけの孤独な存在なのかもしれない。
けれど、その瞬間、あの銀色の嶺を見ていたその時間だけは、僕らはそこから抜け出しそこにいるみんなが同じ想いで包まれていた。
非常に正しくて非常に親密な想いに。
それがどんな想いなのかちょっと言葉で説明するのは難しい。
あるいはその瞬間を感じる為に僕らは互いに愛し合ったり 、喜び合ったり、時には悲しんだりするんだろう。

そうじゃなきゃ、こんなにも荘厳にそびえ立つ山の麓で流す涙の意味なんてないじゃないか。
僕はそんな風に信じている。

ネパリはヒマラヤのことをマチャプチャリと呼んで神々の住む山として奉っているけど、なんとなく分かる気がしたな。
それをスパイスの効いたチャイを飲みながら見ていると、どこからかともなく遠くから音楽が運ばれてきて、あたりがお香のほのかな香りに包まれて。
気がついたら、輪になって屋上でみんなで寝ていたり・・・・・。
社会復帰は程遠いのかなぁ。

追伸: 僕はこの手紙をレンタルサイクルに乗ってやってきた湖のダムサイド(ポカラにはダム側の街もある)の日本食レストランで書いている。

この店には完璧なカツ丼や最新号の週刊誌が普通にあったり( ここにいる連中は東京と変わらないくらい少年ジャンプの新連載の情報を知っている)、当たり前のように日本の歌謡曲が流れている郷愁力が満載の店だ。

さっき、ブルーハーツの「リンダ・リンダ」が流れていた。
懐かしい曲。中学生のときだけでも100回は聴いた筈だ。
歌詞カードなんかなくたってそらで歌える。

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ リンダ・リンダ


こんな歌だ。
僕はこの歌で多くの大事な事を学ぶことだろう。

そう、きっと、僕は君の事を悲しませ続けてるに違いない。
誰よりも身勝手な筈だ。僕の君に対する想いを伝えるのなんていまさら虫が良すぎるって君は言うだろう。
僕の気持ちは通じないのかもしれないし、もちろん分かって貰えないのかもしれない。
もしかしたら信じてもらえないのかもしれない。

だとしても君に伝えたいことがある。
僕は今すぐにでも君をこの手で抱きしめたい。
そう、愛じゃなくても、恋じゃなくても僕は君を離さない。
たとえどんなに遠くにいても僕は君を守り続けたい。
願いが叶うのであれば、君に逢いたい。

君に逢って話したい事がある。
                               with PsychedelicLove ××

絶対に泣くもんか
私は、手紙を読みながら、そう思っていたけど,読み終えたら 、もう我慢が出来なかった。
私は彼が大好きだ。
悔しいけど仕方ない。
私は涙を溜めて大声を出して泣いていた。

煙草なんて吸える気分じゃなかった。