昨日、会社から帰り途中、近所の家で“送り火を”していた。
「ああ、そうか、東京は新盆かぁ」と、ちょっと立ち止まってその光景を見ていた。
都会の夕暮れ時に送り火をみるのは少し不思議な感じがする。
そういえば、とポケットから携帯を出すと僕はおばちゃんに電話をした。
おばちゃんといっても親戚ではない。
幼馴染みのお母さんで、小さい頃から親戚のように家族ぐるみで過ごしていた。
幼馴染みの友人とは3歳ころからずーっと遊んでいて小・中学校と毎日一緒に学校に通い、
学校帰りもまるで双子の兄弟のように遊ぶ仲だった。
高校は別々の高校に行くことになったれど、夏休みなんかになれば、
だいたい毎日がどちらかの家にお泊りをするぐらいで、しょっちゅう海に行って遊んだ。
友人はサーフィンをするから夏が楽しくてしょうがないらしく、暇さえあれば、
明日の波はこうだああだと熱心に教えてくれた。
僕は僕でサーフィンはしないけど、夏のビーチというものが三度の飯よりも好きな性格だ。
なので当然のごとく海に行った。
海に行かない日は神宮の屋外プールでビキニの女の子を眺めながら焼きそばとかを食べていた。
その友人は、20歳のある朝、目が覚める前に死んでいた。
突然の出来事だ。
死因はいまだに分からない。
前の晩も普通に家族と話していたし、付き合っていた彼女と夜の12時くらいまでは、
いつものように電話で話していたという。
それが朝になるとベッドから落ちて冷たくなって死んでいたのだ。
後述すれば死亡推定時間は朝の5時半くらい。
いったいその間に何が起きたのだろう。
彼はまるで電池が切れた何かの機械みたいに動かなくなってこの世を去った。
誰も何も分からない。
彼の死が世界に対して何かを伝えているとしたらそれはいったい何なのだ?
僕自身としてみれば、今を持ってその時の事や幼馴染のことに関して、
自分が何も言えない事に気が尽き、同時に自分自身に腹を立てることがある。
少なくとも僕は生きている。であれば彼に対して、
またその時の気持ちやその理不尽について何かを言うべきなのだ。
けど、僕はまだそれをすることができない。
そして昨日は新盆で送り火をする日。
おばちゃんが三度ベルが鳴った後、電話に出る。
僕は話を続ける。
今は2004年、夏。あれからもう9年経とうとしている。