2005年01月31日

西葛西のリトルインディア

今日の朝、出勤前にTVでチラッと見たけど、西葛西にはインド人が多くてリトルインディアともリトルデリーとも呼ばれているそうだ。

会社から近いので時々西葛西で食事をしたりするのだが、なるほどそう言われてみれば確かにサリーを来た人や褐色のいかにもインド人といった人が多い。他の駅に比べたらよく目立つ。I

T関係に従事しているインド人をきっかけに増えてきているらしく、ちょっとしたコミュニティになりつつあるとか。

個人的にはニューデリーのコンノートプレイス並みに牛がモウモウと歩いていて、リクシャが闊歩していて、怪しげなインド人が耳元で「チェンジマネー?」と囁くぐらい発展してくれたらなと思う。

それと期待したいのがインド人コミュニティが及ぼす影響で、周辺のカレー屋のレベルがアップすること。

「こんなカレー食えないナマステ」とかわめき散らすインド人を契機に西葛西のカレーレベルが飛躍的にアップ。街中がカレー色、つうかカレーくさい。すげぇ楽しそう。

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2005年01月30日

ユビキャスト

ユビキャストでテスト投稿。恵比寿ガーデンプレイス。

恵比寿ガーデンプレイス内にある高級ファミマ。そのまんまカタカナ。おいてあるアイテムは特に普通かな。
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ガーデンズ入り口のカフェ。アップルパイがサクサクで美味しい。 ブラックスミノフが置いてある。呑んじゃいないけど。
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そんなカフェの店内。
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無印良品のめがね

店舗限定で、MUJIがめがねの販売をスタートした。
昨日、よく寄っていく新宿のMUJIで、たまたま発見。

自分の好みのフレームと〝つる〟の部分を選べて、豊富なバリエーションの中から色、形、素材の組み合わせを楽しむことができる。

この組み合わせが実に豊富。とにかくたくさんの色、形、素材(プラスチック、モネル合金、ステンレス、チタン)。

街角にある低価格のめがねだと、どうしてもフレームが一式になっているので、なかなか自分の好みに合った形や色が見つからなくて、結局、自分のめがねを作るのを躊躇していたの人も、あれだけたくさんの選択肢があれば、きっと自分にピッタシの満足のいくめがねが作れるはず。

フレームと〝つる〟はそれぞれ別々に購入できるから後日改めて新しい〝つる〟を買って、フレームに合わせる、なんてことも可能。

まるで着せ替え気分でめがねが作れる。

もちろん商品のスタイルはいかにもMUJIらしさが出ている感じ。
飽きのこない、こよなく愛せるコンセプト。シンプル イズ ベスト。

・価格:フレーム、レンズ一式 ¥10,500 (本体価格 ¥10,000)
・所要時間:フレーム決定、視力測定後、60分程度でお渡し。

カラーレンズもある。


ちなみにめがねが販売されている店舗は以下のとおり。

■無印良品難波 
大阪府大阪市中央区難波千日前12-22 難波センタービルB1F めがね売
TEL:06-6648-6461 営業時間:10:00~23:00

■無印良品有楽町 
東京都千代田区丸の内 3-8-3 インフォス有楽町2F めがね売場
TEL:03-5208-8241 営業時間:10:00~21:00

■近鉄百貨店京都店(プラッツ) 
京都府京都市下京区烏丸通七条南 プラッツ2F めがね売場
TEL:075-353-7711 営業時間:10:00~20:00

■無印良品新宿 
東京都新宿区新宿3-17-1 いさみやビル3F めがね売場
TEL03-3350-8271 営業時間:月~土 11:00~21:00 日・祝 11:00~20:30

■丸井吉祥寺無印良品(2F) 
東京都武蔵野市吉祥寺南町1-9-2 丸井吉祥寺店無印良品2F めがね売場
TEL:0422-76-1150 営業時間:11:00~21:00

■キャナルシティ博多 
福岡県福岡市博多区住吉1-2-1 シアタービル3F めがね売場
TEL:092-282-2711 営業時間:10:00~21:00

■広島パルコ 
広島県広島市中区新天地2-1 広島パルコ新館7F めがね売場
TEL:082-546-2261 営業時間:10:00~20:30

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2005年01月29日

本や小説について

偏見があるかもしれないし、一般的な見解として危うい、
つまり個人的な意見ってものを述べようと思う。

本や小説について。

僕は本や小説が大好きだ。

活字を追うのが大好きで、活字依存症という中毒症があるとしたら間違いなく当てはまると思う。

でも本が好きっていうのは勇気がいるね。

だって、いまの時代、本が好きと公言するのは恥ずかしいような、どこか自分の内面をさらけだすような気持ちが先行するから。

もしかしたら自分が自意識過剰なのかなとも思うけど、僕が話す本好きは得てして「あんま、本のことってヒトと話したりしないんだよね~」と、口々に言うので、必ずしも個別性が高いわけじゃないと思う。

あるいは本好きという様々な趣向的スタイルにうちの一つの範疇では〝本のことを他人とはあまり話さない〟というのが類型なのだろうか。

もちろんどんな趣味であろうとも、他の趣味との間に高低があるわけがない。高尚な趣味なんていうのは実に俗人が考えついた発想だ。だから本が好きだから偉いとか賢いとか思わない。

本当にただ単に純粋培養として本が好きなだけだ。趣味の世界。

そして同じように本が好きな、小説好きな人間と会えるとそれだけで嬉しいのだ。

なぜかって?

これだけ多数の文化的要素が含まれたメディアがあると、
個人が選ぶ文化的メディアも枚挙にいとまがない。

かつての栄光を築いた活字媒体は足元がグラグラと揺れて、実際にも書店が潰れてしまったというのはそう少なくはない。

活字離れだ。

その分、本好きに会うというのは僕にとって広大な森のなかで出会ったかけがえのない旅人のようなものだ。

ちなみに誤解を避けるというか補足すると、書店が消え行く現象は所謂〝本離れ〟の傾向が強いだけではなく、顧客が本屋に行かなくては本が買えない、という時代ではなくなったからでもある。つまり顧客が本を入手するまでの流通経路の選択肢が増えたわけだ。

そして、僕はそんな森の中を彷徨う旅人たちの何人かと知り合うようになった。嗜好だって必ずしも合致するわけじゃないけど、気を許して読んだ小説や本について語り合えることは嬉しい。僕らは彼らと語り合えるのを楽しく思う。

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2005年01月27日

20021216小倉ライフ

スペースワールド駅を通過する時に決まって鳴り響く、宇宙船が到着したようなサイレン音を聞く度に少なくとも気持ちの良い朝であれば、私はその鹿児島本線の可愛らしい演出に好意的であり、ちょっとしたきっかけすら与えられすれば、この駅で降りてもいいかなとさえ思う。

冬のスペースワールド駅はどこかそのような魅力がある。

駅からそう遠く離れていないあの観覧車に乗れば私が住んでいる小倉の街も見渡せるだろう。

想像が私の脳を刺激し衝動が生まれる。
冬の澄んだ空を眺めながらの観覧はきっと爽快だ。
皿倉山を眺めるのも。

けど、もちろん私はそんなことはしない。
私が降りるべき駅はもうひとつ先にあるからだ。

八幡駅、北九州小倉から15分。なんてこと?、28歳の12月に私が九州にいるなんて!

そう思うと心臓が高鳴る。
でも同時に私は理由もなく不安を憶える。周りの色彩が狂い始める。

徐々に透明な水に沈みながら空気がどんどん薄くなり、真上の水面には太陽の光が淀みもなく揺れているイメージ。そんな気分だ。

目を閉じてじぃっと心を落ち着かせる。
東京からの急な移動でまだその土地に慣れていないだけ。
落ち着けば元に戻る。私はこぶしを少し力をこめて握りそっと車窓から見える冬の景色にもう一度目をやる。マフラーを大事そうに纏い足早に前乗りで歩く人が見える。彼らはどこに向かうのだろう?

昨日の晩、私は夜の22時に会社を出た。残業だ。
あたりは漆黒につつまれて何もない。
左手にはどこまでも果てしなく続く空き地がある。潜水艦の底のような場所。

砂漠の大地に聳え立つラスベガスみたいにゴージャスなスペースワールド。

きっと私はその景色を忘れない。
私が立つ場所から、眩しいくらい透明で、幻想的な観覧車がライトアップされている。

私はいくらだって見てもいい。眺めるほど胸がシンとする。
塵の重なり一つ聞こえずに、20分に1本走る鹿児島本線のゴトゴトという音だけが時々聞こえる。

12月の22時。5分も立っていれば寒くもなる。
でも私は見ていたい。
私は見ることを許される領域に一個の生物体として、いまこの瞬間、存在している。

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2005年01月26日

リンク追加とか

リンクカテゴリに皆さまのブログを追加。
MTって色々と整理整頓ができる(気がする)ので、せっかくだからアルファベット順に整列。

それとweather.comからお天気情報も。>39。多謝。

今日もなんだか忙しかった。ニュートラルな落ち着かない状態が続くのかね。

残業、おつかれさま。>deltazulu

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移行作業

これだけ色々な無料、有料のブログサービスが展開されていると、古いブログから新しいブログに移行するヒトも最近多く、複数のブログを運営する人や、新しい次のブログに移行する人も多いかと思う。

その場合、ゼロからスタートするには何ら問題も無いけれど、去年1年分まるまるのデータを移行したい、となるとちょっと煩わしいことともなるだろう。

最近では、そういう痒いところに手の届くツールもあって、特定のブログからの移行だったら、サーバ上にディレクトリを作成したあとに、ツールによって生成されたログをアップロードして再構築するだけで移行が済むツールもある。

log2mt

以下のブログからMTへ移行が可能。

はてなダイアリー、livedoor Blog、Seesaa BLOG、エキサイトブログ、 goo BLOG、JUGEM、楽天広場、さるさる日記、everydiary2、 MEMORIZE、enpitu、旧・大塚日記、CGIBOY(日記帳)、Alt-R


Deltazulu氏は一年分はこのツールで移行出来たが、あとは手作業だったそうだ。
すなわちコピペ。

僕の場合もそうで、我流のテーブルタグによるhtmlファイル形式の日記だったので、完全な手作業から移行した。便利なツールを作れればそんな悩みも解消されるけど、そんなスキルもないわけで。
なのでコピペの繰り返し。旧日記に照らし合わせて投稿日時を指定。再構築。コピペ。。

そんな作業を延々と続けていると脳かカラダがどうにかなるので、ここのところは「1日1ヶ月」の移行作業を目標とした。だって辛いんだもん。

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2005年01月24日

Are you blogger?

いままでhtmlファイルで追記していたDiaryをブログで公開。
Photologで利用しているMT(Movable Type)の本体をDLし、設置。

MT自体は導入後のデザイン変更や機能追加が実に豊富なブログサービスでもあり、(まぁ、それが売りでもあるし)、WWWの世界ではさまざまな姿のMTを見る機会があると思う。

さて僕の場合はというと、PSYBABA.NETのデザインといえば、もちろん
「PSBN DMG(PSYBABA.NET Design Manegement Group)」の長(おさ)であるありぱん氏のご好意から、そしてチンプンカンプンな、もろもろの記述の全面的支援は、「PSBN ISOT(PSYBABA.NET Institute of Technology )」の長(おさ)であるDeltazulu(旧姓:デボラ)氏のご好意から、MTのスタイルの変更を行う。
多謝。

それと、
・テンプレート提供元:RGM79GM


じゃぁ、なぜブログなのか。
もちろん、それには理由がある。理由がない目的など無いのだ。

エージェントスミスがマトリックス世界でネオに言ったようにね。

マトリックスの エージェントスミスは第一作でネオに倒された後、マトリックスを維持するプログラムから削除されかけるがアノマトリーとして復活する。

何故だかネオの一部のデータが上書きされて、マトリックスの支配下である、象徴としての耳に付けているプラグが外れた。

通常マトリックス上では不要なプログラムは削除されるか、根源(ソース)に戻るかで、スミスはネオを倒せなかった理由からその運命にあったわけだが、マトリックスからのそのコマンドを拒否し、エグザイル(放浪)としてさまよう。

やがてネオと再会したスミスは自分がそれでも自分が存在する理由をネオに話す。

「理由からは逃れられないし、目的も否定できない。目的が無ければ、我々は存在しないだろう」

そして彼は続ける。

「我々は君のおかげでここにいる、アンダーソン君。君が我々から奪おうとしたものを君から奪うために我々はここにいる」と。

いささかプログラムの発言にしては哲学的で、思惟に富んだ内容過ぎやしないかと思うけど、非の打ち所の無い仮想現実を構築するコンピューターが成り得る世界では何ら不思議も無い。

とにかく、エージェントスミスに理由があるように、この膨大なネット上の小さな小さな領域に属する僕のブログにも理由がある。

そう、目的がなければ存在しないんだよ、アンダーソン君。

第一に、いままでのhtmlファイルで更新していた日記はftpでアップロード/ダウンロードできる環境が求められた。ということは、つまり環境的条件がそれだけ制限された。

第二に、テーブルタグで記述していたので、一度エディターなりに書いたテクストをペーストした際に< br> で事細かに編集しなくてはいけなかった。

もちろんテーブルタグも追加していく、という手順の多い方法だ。
行間を< br> で変更し、F5で確認する作業は面倒と言えば面倒だ。

でもこの二つぐらいだったらブログを利用しなくても解決が図れる。

なんといっても導入のきっかけは、外部からの記事の投稿の利便性(インターネットが接続されていれば、場所を問わない。サーバーによってはモバイルからの投稿も可能。※Lolipopの場合は不可)。

それとカテゴライズの多様性と、記事単位のコメント形式、テンプレートのカスタマイズ性が、魅力であった。

ただし、トラックバック機能はデフォルトで付いていたものを外した。

ブログがメジャーになってから、このトラックバックはいままでのリンクを張るというルールなり概念を一歩前進させることになった画期的なシステムだろうし、実際にブログの特徴でもあることだろう。

僕の場合には、ただこのトラックバック機能にまだ馴染めないだけだ。
相互的事後了承タイプのリンクとでもいうのかな、まだその方法に自分が追いついていけてない。

というわけで、ブログだったらトラックバックをつけろという声が少ないとは言え、何処からかしらあるだろうし、その意味も理解している。

ただ、小さいながらも運営しているこのサイトにもスタイルがあることを知って欲しい。

とか言ってるけど、そのうちペロンとトラックバック付けていたりね。

何はともあれ、改めてこのブログが陽の目を見る事となった最大の厚恩を、
ありぱん、Deltazuluの両氏へ贈りたい。

2人なくしてこの公開は実現しなかったのだから。

Yeees, I'm blogger!

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2005年01月21日

フジさん

ゴアには奇人変人が雨後のタケノコのようにニョキニョキ居て、それこそ相手をしていると自分が奇人なのか、それとも相手が奇人なのか分からなくなるくらい突出した個性的キャラが多かった ─布だけを腰に巻いて裸足で昼の炎天下、どう考えても歩かないだろって道を、首から携帯アンプだけぶらさげて奇妙な歌をハミングする男をあなたは奇人ではないと言えるだろうか─ とあるイタリア人は「キミの肩には星がある。もちろん僕もだ。僕にはそれが特別に見えるんだ。よかったら僕の星を君に揚げよう」とぐいっと僕の肩を掴んで言ってきたし(もちろんだけれど最初から星なんてものは何処にも無い、あるわけないじゃないか)、オランダから来たという男は部屋に居るあいだ、壁掛け時計を穴が空くほど見ていると思ったら「ねぇ、もしかして時が止まってない?」と本気で相談してきた。

何事にも限度がある、というのがひとつの定説だったら、
ゴアで出遭った連中はまぎれもなくピカイチの限度オーバーな人々だった。

旅人たちはそんな彼らを楽園に現われた予想もしない不確定要素のように扱い、彼らに話し掛けられたり、彼らに話し掛けられてしまった人達を見ると少なからずとも複雑な顔をした。

それは、もしかした何かの拍子で、ちょっとした運命の匙加減であっちがわに行っちゃうんじゃないかという懸念、というか可能性もあるんだぞっていうことだろうか。

ある時ある晩、マル特クラスの担当が「やぁ、君、ずいぶんと派手になったじゃないか。今日から君もこの連中の仲間入りだよ、ハハハ」と言ってこないなんて保証は何一つないんだ。

だから特定の人達から見れば、彼らは物哀しくも恐ろしく映った。

日本人のフジさんもその中の一人で、僕が最初にゴアを訪れた時、すでに奇人変人組の仲間だった。

いや、もしかしたら幾分マトモなのかも知れないし、彼の性格的傾向がどのような状態なのかは誰にも分からないけれども、彼がその奇人シリーズに名を挙げるにはこれまでにない要素があった。

パスポートが無い、金がない、妻もない、家庭もない、日本ってなに?ということだ。

かつて吉幾三は「テレビもねぇ!ラジオもねぇ!クルマもそれほど走ってねぇ!」とたぐい希なるラップ調の演歌を歌ったけれど、フジさんはもっとなんもねぇ人だった。

11月~5月以外のシーズンオフの間、彼がどこで何をしているのか誰も知らない。一説に因れば、彼は6月から10月まではプリーにある日本人相手のゲストハウスで働いているって話だった。

けどこの説もどうなのだろうか。

6月以降に日本人がインドを訪れる機会なんてそうそうないし、いるとしても6月以降のツワモノ達は現金を落していくような輩じゃないからだ。

1ルピーよりも安く、それが旅人達の合い言葉だ。

そういうわけで、彼はシーズンオフの期間はプリーにあるゲストハウスで客寄せみたいな仕事をしながらどうにかして食いつないでいるのじゃないだろうか、というのが彼が話題に出た時の一通りの予想だった。

さて、ゴアの黄金的なシーズンが訪れると、彼は、くんくんと鼻を嗅ぎ、どこにでもいがちな旅人の如く振る舞い、そしてカモそうな日本人を見つけると蚊帳に忍び込むやぶ蚊のように近付き、あたりまえのように煙草や現金をたかった。

そのタカリ方はタカリ歴十数年といった具合で、筋金入りのタカリ具合だ。

つまり〝お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの〟という思考回路と行動表現で存分に発揮された。

フジさんといえどもその容貌は、日本人だから同胞の者がそのようにインド人と思わざるを得ない行動に出ることに旅人達が面を食らうのは確かだった。

「なぁ、金貸してくれ」
'94年の2月、サウスアンジュナの〝マンゴシェイド〟で爽やかな一日を予感し、バナナシェイクを飲んでいる時だった。

突然とオレンジとアスパラグリーンで彩られている我々が座っているテーブルに現われた白いルンギーを巻いた男はそう言った。
それが日本語であることと、そして日本人である僕らに向けられた言葉であるということを認識するまでにしばし時間が必要だった。

「は?」

僕はやっとそれが自分達に向けられているんだと気が付き、ストローから口を離し、彼に眼を向けた。

「金貸して欲しいんだよ」
男はもう一度そう言った。

それは、俺には金を借りる権利があるんだ。お前ら日本人からな。なぜなら俺らは助け合うべきなのさ。だから金を借りるのは当然なんだよ。
おいおい、なんで二度も同じことを言わせるんだい?と失笑と苛立たしさが混じっている口調だった。

旅の空の下、何やかやとカラーに富んだ連中に出くわしたが、さすがに金をタカられたことは皆無だった。だから少し呆気に取られた。

でも僕も馬鹿じゃない。二十歳の若造とはいえ、金をタカられて貸すほどの間抜けでも無い。

「誰だい?あんた。俺はあんたのこと知らないな。知らない奴には金は貸せないよ、悪いけど」

僕は幾分我慢して言葉を選んでそう告げた。彼はさも心外だと言う表情でブツブツと声にならない台詞を呟き、テーブルに背を向けた。

それは無心して断られることに慣れている者だけが見せる卑屈な態度であり、そしてまた、自分の思うがままになれない者の蔑んだ態度でもあった。

つまりお前らじゃ話にならんってわけだ。

その瞬間、はなはだ堪えきれず僕は続けた。

「なぁ、あんた、どういう事情か知らないけど、モノや金を借りる時っていうのは借り方ってのがあるだろう。とてもじゃないが、たとえ余分なお金を持ち合わせていても、あんたには貸さないぜ。知らない人間に借りなくちゃいけないって時は頭を下げて頼み事をするのが筋合いだよ」

でも、彼は呪詛を繰り返すだけで、僕らのほうを振り返りもせずに店の外を出ていった。

〝マンゴシェイド〟の先にあるのは〝ジャーマンベイカリー〟だ。

この時間だったら少なからずとも朝食を食べている連中がいることだろう。恐らくそこに向かうに違いない。

彼が去った後、心ない薄ら寒い感情がふと訪れた。彼が残した呪詛で埋まろうとしている空気が感じ取られた。彼の風情は、つまるところ僕らが金を貸さないことが悪いことだというオーラを醸し出していた。

僕らは残酷者のサイドに立たされていた。

たしかにすぐに思ったのが、彼にはどうしても借りなくちゃ行けない理由があるのだろうかということだった。

それでも、あれはいくらなんでも酷いじゃないか。どんな頼み事をする時だってルールがある。彼がしたことはルールの違反にもなってない。ルール以前の問題だ。自分は間違ってない。そう思うことでなんとか嫌なその寒々しさを払拭することができた。

それから後日、彼がフジさんと呼ばれるゴアでは幾分知られた人物であると知った。そして彼がとっくの昔にパスポートも売り飛ばして日本に帰国できず、タカりながら日々を過ごしていることも。

*

僕が最後にゴアに行ったミレニアムの年。
バンブーフォレストのパーティで彼の姿をチラリと見た。やはり彼はチャイママのゴザで寝そべっている日本人に尊大に話し掛け、そしてその話し掛けられた日本人は困惑しているようだった。

フジさんは僕が予想していた以上に老け込んでいた。そして数年前よりも遥かに老獪な図太さを身に纏っているようだった。

2005年の今年、スマトラ沖で大津波があったこの年もまた彼は健在だった。僕の友人夫婦がバガトールのビーチで彼を目撃したからだ。

まだ彼は生きている。

10年以上インドで生活するというのは僕には想像も出来ない。
現金もパスポートもない状態で。そこには想像を超えた何かがある。

絵空事じゃないライフスタイルを歩くフジさんでもゴアは楽園なのだろうか。

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2005年01月20日

Aphorism [A.ビアス]

Accident 【偶然】
┣永遠に変らざる自然法則の作用により生じた不可避の事件。

Impenitience 【悔い改めないこと】
┣時間的には、罪と罰の中間にある精神状態。

Omen 【前兆】
┣何も起こらないとすれば、何かが起こるだろうというしるし。

Plan 【計画する】
┣偶然の結果を達成するための最善の方法について心を悩ます。

Recollect 【回想する】
┣以前には気がつかなかったなにかあるものまでつけ加えて思い出す。


A.ビアス『悪魔の辞典』

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2005年01月17日

珈琲タイム

友人夫婦がゴアから無事に帰国。津波のことは全然知らなかったとのこと。

現地と現地以外との情報の格差が凄い。

実のところ、パーティーの〝あたり年〟じゃなかったみたい。
でも水曜日に催される海岸沿のフリマの買い物を楽しんだり、
ゴアに居ること自体がひとつのイベントになりうる土地だからね。

兎にも角にも無事な帰国でなにより。

*

ちゃぶ台でいじっていたパソコンも、先週の大掃除以降、
勉強机に移動したことで、椅子に座っていじるようになった。

机でパソコンができるに超したことが無いし、おかげさまで長時間のブラウジングに伴う足の痺れ(正座のときのアレね)も無いし、おぉ、こんな事なら最初から模様替えするんだったなぁと、思いかけていたその時、とんでもない出来事が勃発した。

なんと椅子に座ると、今度は足が冷えるのだ。なんだ寒さぐらいでと思うなかれ。

ありえない寒さが傲慢ふるっているのが我が部屋である。
シロヒゲゴマアザラシと仲の良いエスキモーだって舌を巻く恐ろしさ。

窓が閉まっているのなんてどこ吹く風。ドラクエで言うなれば「マヒャド」が唱えられたようである。

室内用の〝ぬくとい靴下〟を履いても足が寒さを通り越して痛い。

そこかしこに死の香りが漂っている。
うーん、これはマズイ。東京のど真ん中で自室にいるというのに凍死しちゃいそうだ。

仕方無しにノースフェイスのフリースを履いて靴下で防備して無印良品のサンダルを履く。

Tシャツ、トレーナーと着てまたフリース。

もちろんエアコンはちゃんと点けているんだよなxxx

なんとかこんな調子で持ちこたえるようになったけど、
本気で寒いぞっていう日には珈琲を対策として呑むようにしている。

湯気が立ち込める珈琲でブラウジングをすれば冷気も少しは和らぐ。

最近ハマっているのは、ヤマモトコーヒー店のジャーマンローストドリップパック(中挽き)だ。

ヤマモトコーヒー店は、新宿通りの大型電器店が並ぶ道から少し裏に回ったところにあって、丁度さくらやパソコン館の斜め前である。

珈琲専門店といってもそんなに敷居が高い感じもなく、誰でも立ち寄れる感じのきさくな店だ。

店内には所狭しと色々な産地の生豆からミルやサイフォンと商品が揃い、特にガラス細工のようにツヤツヤと磨かれたサイフォンは見ているだけで飽きない。通りには香ばしい挽きたての豆の香りが流れ、匂いに誘われて店に来る人も多いことだろう。

そのジャーマンローストはお店オリジナルの密閉袋に入った10回分の珈琲で、袋を開くとぷぅんと芳烈なフレーバーが織り出される逸品だ。

作り方も至って簡単で、珈琲カップにカチッと填めてお湯を注ぎ、じっくりと蒸らせば自宅にいながらもカフェ顔負けの珈琲が愉しめる。しっかりとローストされた漆黒の珈琲は程好い酸味と苦みが絡み、ブラックで呑むのが丁度いい。

自宅以外でも環境が許すのであればオフィスで呑むのもいいんじゃないかな。紙仕様だからスペースも取らないし。10袋で¥500程度というコストパフォーマンスも評価。

ヤマモトコーヒー店
新宿区新宿3-17-11
AM11:00~PM9:00

詳細

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2005年01月14日

蛇の湯温泉 たから荘

目まぐるしい変貌をとげる東京でも郊外にさえ行けば、それでも自然はたっぷりと残されていて、何も高速を飛ばして観光地に行かなくとも、実際にいまだ〝村〟と呼称のつく地域がある。

交通の便は、JR五日市線で武蔵五日市駅下車、そこからバスで約60分、車でも中央自動車道の上野原インターチェンジから約40分と、東京の最果てにも関わらず休日となれば知る人ぞ知る者が訪れる檜原村。

今日では見る機会も少なくなった茅葺き屋根が見れるのもこの村ならではである。

実はまだ訪れたことが無いので、写真やガイドを見たり読んだりしつつ、どんな処だろうかと、夜更けの夢想に戯れるにすぎない。

きっと、ひっそりとした佇まいと深い山々に囲まれた景色はネパールの山間部のような雰囲気を醸し出していることだろう。

いつか行ってみたい。緑いっぱいの夏の檜原村も素晴らしい気もするし、それはそれで一夏の想い出を築くには十分だろうけれど、ひっそりとした静けさを堪能するのであれば、これから迎える厳しい冬のとばりを目前とした秋の終わりかけや、2月あたりの北風が身に凍みる空の高い真冬日がいいような気がする。

村には唯一の旅館もあるし、全国でも有数の秘湯でもある。

採れた山菜や地酒を持ち寄り、旅館の炉端で地酒をちびりと飲み、外の暗闇を容赦なく揺らす北風に耳を傾ける姿を想像するだけで胸が躍るじゃないか。

地酒は「澤乃井」の〝辛口にごり酒〟がいいだろう。奥多摩にある蔵元の出すキレとコシがある地酒だ。一口呑むとピリッとしびれる辛口で、妥協のない味。

それでも、にごり酒特有の口当たりのよさがあるから、ついつい口がすすむ酒。乾き物のつまみで夜のとばりを。

蛇の湯温泉は18時までなら立ち寄りも可能で、単純硫化水素泉の豊富な湯量。冷え性、疲労回復、エトセトラに効果がある。

ゆったり浸かって、散歩や散策で自然の中を歩けば、都会の喧騒を忘れる。村の流れに身を任せよう。

蛇の湯温泉 たから荘
東京都西多摩郡檜原村2465番地
(JR五日市線武蔵五日市駅下車。 数馬行きバス、約60分。)
(中央自動車道・上野原I.Cから約27km、約40分。)
入浴¥1,000 宿泊¥11,000~

詳細

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2005年01月13日

Aphorism [梅棹忠夫]

ふつう、商品といえばやはり物質である。

物質ではないまでも、たとえば電力のように、物質に準じたとりあつかいのできる、いわゆる外延量をもったものである。

それは、つねに計量が可能であり、たしたりひいたりできるところのものである。ところが、新聞やラジオ、テレビの売るものは、そういうものとはまったくちがうのである。

新聞社の売るものはもとより新聞であるが、新聞とは、物質としての新聞紙ではない。新聞紙そのものは、まにあわせ的な悪質の包装材料であるにすぎないし、その売買は廃品回収業者の仕事である。

新聞社が売っているものは、新聞紙という物質的材料のうえに印刷されたニュースであり、あるいは、さまざまな伝達内容をもつところの、一般的に「情報」ということばで表現できる記号の系列なのである。

一定の紙面を情報でみたして、一定の時間内に提供すれば、その紙が「売れる」ということを発見したときに、情報産業の一種としての新聞業が成立したのであった。


梅棹忠夫『情報の文明学』

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2005年01月12日

ピーピー島

ピピ島(どちらかというとKoh PhiPhiなのでピーピー島だろう)に辿りついたのは00年2月だった。

バンコクで一足先に帰国した友人と別れ、
さてこれからどうしようかなと、あぐねていた。

何をしてもオッケーだった。だって予定なんてないから。

ベトナムに行って、青空の下で爽やかに揺れるアオザイを眺めるのも、アンコールワットで衝撃を味わうのも、プノンペンで映画「キリングフィールド」の世界を確かめるのも、すべて悪くないアイデアだった。

南国の果実が甘酸っぱい匂いを溢すうだるような時刻、トッケーが鳴き騒ぐ夜、いつまでもそんなことを考えていたら計画だけが先回りして、薄い糖衣のように自分自身を計画表がしたたかに包みこんだ。

危険な兆候だ。

このままカオサン通りのゲストハウスの穴蔵に篭ってしまいそうになった。
カオサンから出られない旅人はごまんと居る。

某月某日。

いつもとおなじような、よく晴れた昼下がり、素足にサンダルを引っ掛けながら木陰の屋台で汁ソバを啜っていると、ボサボサ頭のカナダ人が話し掛けてきた。

おおかたのカナダ人がそうであるように、彼も人の良さそうな、悪く言えば少し間が抜けてしそうな雰囲気を持ち合わせていて、アジア人にも聞き取りやすい英語を話した。

「座っていい?」
「ああ、いいよ」
「よかったら火貸してくれないかな」
「ごめん、煙草吸わないんだ」
「そう」 Excuse me May I~、彼は隣りのテーブルのカップルに火を借りた。

いきなりだった。「ねぇ、〝ビーチ〟って知ってる?」
彼は慣れた口調で、焼き飯とビールを頼むと僕に向かって言った。

最初、彼が何を訊いているのかよく理解できなかった。
ビーチ?海にある砂浜だろ、そりゃ。そんなの知ってるさ。

「ハハハ、そうじゃないんだよ。まあ、それも〝ビーチ〟だけどさ。レオナルドデカプリオの映画。見てないって?そうかもしれないな。公開したばかりだからな。バックパッカーの主人公が旅人たちの楽園の島を目指すっていう映画で、ここが舞台なんだよ(彼は手を広げてにこやかに笑顔を見せた)。ピーピー島っていう実在の島で撮影したんだ。」

残念ながら僕はその映画を知らなかった。悪いね、初耳だよ。
僕が日本に居た頃にはまだ上映されていなかったな。

「で、その島行ったのかい?」
僕が質問すると、彼は待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「あぁ、そりゃもう、ほんっとに最高の場所だったよ。何にもないっていう贅沢だな。いや、実際にはかけがえのないモノがあるわけだけど。文明的なモノは何にも無いのも同然だ。あたりは静かでココナッツがいっぱい。白い砂浜が続いてアクエリアスブルーの海があるんだ」

「へぇ、そりゃいいな」

「ああ、ぜひとも行くといいよ。桟橋から渡ると島の両端に幾つかバンガローがある。右手のほうがお勧めだ。目の前にビーチがあって、テラスのあるゲストハウス。そこでのんびりとハンモックに揺られてシンハを飲むのさ。風の音と波の音。ザッツオール。飽きたら海にドボン。遠浅だけれども、信じられないことに魚がたくさん寄ってくるんだ。まるで宝石をちりばめたみたいにね」

僕はそこまで聞いた時点で、よし行ってみようという気になった。
宝石をちりばめたような海を想像するのはとても愉快だった。

「そうそう」彼は思い出したように続けた。

「島のその桟橋のところに屋台が出ている。ツナのサンドウィッチの屋台が。パンを鉄板で焼いて、ツナも少し炒めてオニオンとトマトとグリーンレタスを挟んだサンドウィッチ。一度食べたらきっと病み付きになるから食べたほうがいいよ。椰子の木陰に座って食べるのがナンバワンだ」

翌日、僕はバックパックに荷物をまとめるとピーピー島に向かった。
カオサン通りのチープな旅行代理店で片道のチケットを手に入れて。
僕を島に導くきっかけになった名も知らない同じ旅の空にいるカナダ人に感謝を込めて。

バスはファランポン駅を深夜出発だった。急に島に行き出すという僕を心配して、ソイ・カウボーイの『NARCISSUS』で知り合った子が見送りに来てくれた。

「帰ってきたら連絡ちょうだいね」
「うん」

彼女は少し淋しそうだったけど軽く頬にキスしてくれた。そして僕は島に向かった。

*

昨日、僕は深夜のニュースを見ていた。
2005年1月11日。いや、12日になっていたかもしれない。

南の島を覆う津波の映像は胸を締め付けるのに十分だった。
ひとめ見てそれがどこなのか分かった。

ピーピー島だった。

僕が泊まっていたバンガローに向かう途中の土産物屋やオープンカフェが並ぶ島の通りの変わり果てた姿だった。

津波は、己をを抑え切れないように次々と、人や家を─その他全てを─飲み込んで行った。

それはまるで眠りを起こしてしまった機嫌の悪い大蛇にも見えた。

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2005年01月11日

HD増設作業

ついでながらにプチ部屋の模様替えを決行。

我が家にある元*****端末(恐ろしくて書けない; けどちゃんと了承得て戴いた)からHDを取り出し外付けに。

HDはさすがにヤバいとのことなので最初から抜かれてたから、
別途購入したシロモノ。もちろん自分の。

そして抜け殻となったモニタとデスクトップをこじか邸に運ぶ。
同期であった彼は2軒お隣りさんなので、こういう時、僅かな時間で往来ができる。

お手伝い(≒ほぼ全面バックアップ)してくれてるこじか君が「ねぇ、雑巾が必要だよ」と。見てみると大手町あたりで積もりそうな初雪なみにホコリが堆積している。

うげっ。死の灰みたいじゃん。

ちりとりと雑巾を駆使してお掃除。
くしゃみと鼻水が止まんない。コンタックよこしやがれ。
ついでにモニタとデスクトップも拭き拭き。

そうこうしていると手際よく外付けセットアップ完了。
よぉーっし、思いたったら吉日ということで、机に鎮座している初期iMACとノートPCの配置を変更。

机の上のプリンタとMac本体とHubとUSBHubをまるごと移動。

初期Macにわりと多いLANケーブルが抜き差し出来ない問題があるけど、まあ、いいや。

ふごーって根性入れて踏ん張ったらちゃんと抜けたよ。

っということで、元デスクトップがあった位置にiMACを。
さんざん迷った末、プリンタはテレビの上に。
で、ノートとそれに付随しているアレコレはぜんぶ机にまとめる。完了。

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2005年01月09日

ディエンナオ

ディエンナオ(電脳)街に行く。
予定では内蔵HDを外付けにしてみようかと。できるかな、俺。
ってか、外の風がすんごいんだよね。
ピューとかドフゥーとかで。

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2005年01月08日

Aphorism [椎名誠]

あちこちの国を旅をしていて共通することは、
多すぎると見えないという現象。

ネパールのシェルパ族は星に興味がない。
毎日、多くの星を見ているから。

モンゴルの遊牧民は花に興味がない。
草原は季節になると花だらけになるから。

イヌイットは氷に、南の島国の人はサンゴに興味がない。

日本は人が多すぎるので、人が見えない。
だから、電車内で化粧をする女性や弁当を食べる人がいる。


椎名誠『東京新聞平成17年1月1日 朝刊』(小説家)

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2005年01月06日

秩父へ

正月休みに秩父の山里まで温泉旅行に出掛けて、
しし鍋や鯉の刺身などに舌鼓を打っていた。

あたりはシンシンとして雪が積もり、16時にはもう風呂に入り、
遠くから聞こえる秩父鉄道の音に耳を傾け、じっくりと足を伸ばして開放的な気分になった。

夕方18時といえば、もう一日が終わったような、そんな世界だ。

旅館の上等そうな木材で覆われている長い廊下でも、灯油ストーブがいくつも焚かれ、それだけで外気の寒さや容赦のない北から吹く山おろしが想像できた。

まだ温泉のぬくもりが感じられる浴衣で用意された座敷に座るとメニューのひとつに「かりん酒」とあるのが目に入った。

花梨は秋に実る黄色い瓜型の果実で、咳止め効果があり、喉に良いことから蜂蜜漬けにしたり飴の原料になったりする中国原産のバラ科の果物だ。僕の田舎にも花梨の木があってその実からは甘いうっとりとした香りが漂わせていた。

たまたま目に入った「かりん酒」から久しく帰省していない田舎への郷愁心が呼び起こされ、思わず注文してみた。

さっそく運ばれてきたその果実酒は、大きめのクリスタルアイスが浮かんだ水割りで、年代モノのウィスキーのようなゆったりとした琥珀色の液体だった。
グラスをかざすと上から下へと螺旋の渦を巻いた模様が泳いでいった。

焼酎にしっかりと漬け込んでいるだけあって、香りも柑橘系ともアンズ種ともいえない花梨の甘い香り。
もしかしたらアマレットに似ているのかも、と一口飲んでみたらやっぱりボッチボールにそっくりの味だった。
スゥーッとした喉ごしのキリリと冷えた甘い果実酒は口当たりがよく、何杯でも飲めそうだ。馨しい花梨の香りが秋の山並みを思わせる。

後日、いつまでもこの秩父で飲んだ花梨酒が新鮮で心に留まったのでネットで調べてみたらこんなレシピが載っていた。

1.かりんをよく洗い自然乾燥させる。

2.輪切りにして瓶に入れ、お好みの量の氷砂糖を加える。

3.焼酎をドボドボ。

4.しっかりと封をして高温多湿の場所を避けて保存。

5.琥珀色になってきたら出来上がり。

来年の正月に向けて。是非。

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2005年01月05日

ミレニアム

突然だけど、2000年のミレニアム、僕はインドネシアのバリに居た。

1999年の12月30日にクタビーチの道路で友人と一緒に無免許運転していたバイクが道の真ん中で転倒して、その後部座席に乗っていた僕は10mほど吹き飛び、頭をぶつけた。

すぐに救急で病院に運ばれた。

腰から下が打撲傷と擦り傷で嘔吐を頻繁に繰り返していたから心配もあったけど、翌日はせっかくのカウントダウンパーティだったから、強力な鎮痛剤の処方をお願いして、なんとか自分の借りているロスメンに戻れるようにしてもらった。

「危険な薬だから量だけは間違えないように」

医者はたしかにそう言った。
僕はまだ頭がぼんやりしていたけれど「ええ」とか「はい」とか適当に頷いた。

帰りぎわ、薬局で一番キツい消毒剤を忘れずに購入することにした。

どうしてかというと、日本ではあまり心配することがないがアジアでは水道水自体に雑菌が入り混じっている環境であるから、シャワーとかでも菌に感染してしまい化膿したりするからだ。

何人ものの旅人がバイクで怪我をしたり、火傷をしたうえ水からの雑菌で傷が悪化し、ボロボロになってしまった姿をみた。

だから僕も身体を洗う時はことさら気を遣うよう心掛けた。

消毒剤は黄色い液体で蓋を空けるとクレゾール臭く、おまけに想像を絶する痛みを伴ったが、ボロボロになるのはゴメンだったから我慢して傷に塗った。

それから翌日、まさにミレニアムパーティという雰囲気の中、僕と友人は昼過ぎに会場に向かい金も払わず入場し(確かUS250ドルとかじゃなかったけ)、蒼い空が見渡せるメインフロアで寝転びながら、その一瞬一瞬を肌で刻みながら夜が更けるのを待った。

夜、クタビーチ全体をテクノミュージックが包み込む中、痛みに堪えられず医者から貰った鎮痛剤を腰バッグから取り出して、飲むついでにインドネシアのビンタンビールと地元の椰子酒であるアラックを呑んだ。

「これだったら痛くもならないし踊れるだろう」
そんな風に考えた。

考えた後は....、考えた後は、どうもそれからの記憶が全く欠落している。
何処で何をしていたのか4年経った今でも思い出す事が出来ない。

いまだから言える事だが、僕は医者から貰った鎮痛剤を3回分飲用していたのだ。もちろんわざと。
それだけ飲めば痛くなることはないだろうと踏んでいた。

その後、アルコールが回りどうやら急性健忘症になったらしい。

誰かと話をしてはいたのだけれど、それが現実なのか、それとも自分が創り出した夢物語なのか、まるで区別がつかないで今に至る。

おまけに傷口が腫れて、鎮痛剤なのに痛みなんて取れず膝から少し化膿していた。

明け方、会場の隅っこでひっくり返っている僕を友人が見つけ出すと、そのままボロ雑巾のような姿でなんとかタクシーに乗り込み、レギャンのロスメンに戻った。

宿に戻ると、今度は気温が30度前後もあるにも関わらず、真冬の街路樹に突っ立っているみたいに震えが止まらなかった。

自分の体温がどんどん下がっているのが分かった。意識が朦朧としてさすがにこりゃヤバいなみたいな状態に陥ったので、宿の親父に頼み医者を呼んでもらう事にした。

医者は10分もしないうちにすぐにやってきて、その間僕はあるだけの毛布を被りガタガタ震えていた。2000年1月1日 バリ 気温30度。

その医者が女医であったことは少々僕を驚かした。女性が社会に進出することに対して含んだ気持ちなど微塵も無いが、日本や欧米に比べて医者など特定の地位に就いている女性は圧倒的に少ないからだ。

医者は僕に「どんな薬を飲んだか」と聞いてきた。
僕はベッドの枕元にある処方箋を、しなしなと指差して「この薬を3回分まとめて飲んだ」と言った。

その女医は表情も崩さずに何の感情も示さずに、その鎮痛剤を見つめると僕に「もしかして酒を飲んだか?」と今度は厳しい目付きで聞いてきた。

酒だ、俺は酒について訊かれている。Did you drink alcohol last night?

「イエス」
僕はなんて答えるべきか迷ったけれど、嘘をついても善いことがなさそうなので正直に答えた。

「イエス、昨日の晩、ミレニアムパーティでビンタンビールとアラックをしこたま飲みました」

女医は慈悲深いマリア様みたいに、
─うん、彼女は本当に後光が射すマリア様のように見えたのだ─

「そう。この薬はお酒と一緒に飲むと非常に危険なのよ。それに...。
それに、あなたが飲んだ量は明らかに間違いよ。通常じゃ考えられない量を飲んでいるわ。量を間違えるとこの薬はとっても危険なの。分かる?」

彼女は溜息交じりにそう言った。

僕は両瞼を瞑り誰かに弁解するかのように「分かります。けどまさかこんな酷い目に合うとは思ってもいませんでした」と答えた。

先生、僕はいま何が起きているのかも分からないのですよ。

医者は持ったジェラルミンケースから注射器を取り出すと「今からこれをあなたの脊髄に打つから仰向けになりなさい」と言った。

彼女は僕の被っている毛布をはがして、シャツをめくった。

これは弛緩剤で催眠効果がある応急手当よ...。

そんなことを言ってはいたが、僕の耳には全く届かず、キンキンに尖った注射器は僕の心臓を極限まで高まらせるのに十分なオーラを持っていた。
これからどうなるんだろうかと不安になった。

「あなたはこの注射を打った後、10分もしないうちに眠るわ。それからあなたの御友達にミネラルウォーターをたくさん用意するように言ってね。たぶん3日間眠りっぱなしになるだろうけれども、その間水だけはちゃんと飲まないといけないから。」

僕は心配そうに見守ってくれている友人にその旨を伝えた。

悪いんだけど、前の雑貨屋で水をたくさん買ってきて欲しいんだ。
どうやらこれから俺は眠りつづけるらしい、と。

伝えきるのを見計らうと背中に熱い電流が走った。
医者が注射を打ったのだ。
自分でも背骨になんか流れているのが感じられた。

「じっとしてなさいね。寝れば治るわ」

それから僕はまどろみの中に溶け込んでいった。

5年前の昨日の出来事だ。

昏睡中僕は何かを口走ったみたいだけど、
自分がどんな事を喋ったのか何一つ覚えていない。

友人は後日「まるで夢遊病者みたいだったよ」とバツが悪そうに呟いた。

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Posted by ko : 22:23 | コメント (0)

2005年01月04日

ブックオフ

正月のあいだ、秩父に小旅行に出掛け、温泉も入り、厄除け大師で御守も授かり、雑煮も食べ、アレもしたしコレもしたしと満足感たっぷりで、散歩ついでにブックオフを覗いてみたら、文庫本が正月サービスだかなんかで3冊500円。

たとえ950円の文庫本(そうそうあるもんじゃないけど)を3冊購入しても500 円。
やるじゃん、ブックオフ。

以下の文庫を購入。

スティーヴン キング 「幸運の25セント硬貨」
都築 響一 「ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編」
馳 星周 「鎮魂歌(レクイエム)」

外は北風がピーヒュー吹いているわけで、そんな夜はミカンでも食べながらお茶をすすり、ゴロンと布団にくるまって読書でも。そうすると、とたんに眠くなってきて、夢の世界に誘われて。気が付いたら、テレビも電気も点いていて深夜であったり。それでまた腕を伸ばしてスイッチを消して、北風の音を聞きながら夢の中に・・・。

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Posted by ko : 22:28 | コメント (0)

2005年01月01日

親父の小言

一年の計に大聖寺暁仙和尚を抜粋。出典:「親父の小言」

火は粗末にするな
人には腹を立てるな
恩は遠くから返せ
人には馬鹿にされていろ
年忌法事は怠るな
家業には精を出せ
働いて儲けて使え
人には貸してやれ
女房は早くもて
ばくちは打つな
大めしは食うな
世話やきにこるな
火事は覚悟しておけ
戸締りに気をつけろ
拾は届け身につけるな
何事も身分相応にしろ
神仏はよく拝ませ
人の苦労は助けてやれ
大聖寺暁仙僧上為

朝はきげんよくしろ
風吹きに遠出するな
年寄りはいたわれ
子の云うことは八九きくな
初心忘れるなかれ
借りては使うな
不吉は言うべ可ら須
難渋な人にはほどこせ
義理は欠かすな
大酒は飲むな
判事はきつく断れ
貧乏は苦にするな
水は絶やさぬようにしろ
怪我と災は恥と思え
小商ものは値切るな
産前産後大切にしろ
病気は仰山にしろ
家内は笑うて封せ
一家繁栄胎之青嶺
さればとて墓に着物は着せられず

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