ただこうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。
中島らも(作家 故人) 『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』
一人暮らしをするので引越し先を探していた時の話だ。
中央線沿線にある幾つかの不動産屋の扉を叩き、間取り図をかれこれ三百近く見た結果、事態は思うように進まないだろうという先行き不安な未来だけが明確に分かった。
安いけれど狭い、広いけれど高い、手ごろだけど遠い、近いけれど既に入居済み。とにかくそんな結末ばかりなのだ。
「やれやれ、これじゃあ、家を見つけられる前に老け込んじゃうかもしれないですね」
その当時放映していたコマーシャルを思い浮かべて、僕はやや自嘲的に笑った。
不動産屋は手馴れた様子で─きっとそういう路頭に迷うような客が毎年現れては消えるのだろう─「もちろん、全てのご希望通りにご提供できるとは限りませんが、物件との出会いというのは、人と人との出会いと同じように、何かの縁であったりタイミングであったりします。こういう言い方は比喩ではありますが」と実直に説明してくれた。
僕はたったいま急行列車が発車してしまったせいでホームに取り残されることになった乗客のような気持ちになり、ますます暗くなった。
「タイミングですか・・。簡単なようでなかなか難しいですよね」
不動産屋は感じの良い笑みを浮かべた。そういうのに慣れているのだ。
「たしかにおっしゃるとおりです。しかし、時にはタイミングも数字に置き換えるのでしたら比率がグッと向上することもあります。恣意的ではない経験則によってですね」
僕は不動産屋の次の言葉を待って訊ねてみた。
「どんなやり方なんですか」
「単純ですよ。中央線ではなく私鉄沿線にしたがって不動産を探すのです」
そういうわけで、僕はまた新たな不動産屋を探す旅に出た。
*
*
某私鉄とJRが乗り入れをしている駅のバスロータリーにマクドナルドがあり、その2階で大手の不動産屋が営業していた。
仲介料が家賃の2ヶ月程度分発生してしまうので、その手の不動産屋は意識的に避けていたのだけれども、この際背に腹は変えられない。
僕は派手な広告で数多の見取り図が張られている扉を開けた。
輝かしい不動産屋は、何もかもがシステマチックに効率よく運営されていて、極力無駄を省いて最短の方法で顧客に<恐らく望みに近いだろう不動産>を提示していていた。
検索を専門とする部署があり、内覧のみを受け持つ部署があり、そしてそれらを適切に指示し、我々と不動産の仲介をする窓口係の営業がいた。
希望の間取りはどれぐらいなのか、許容できる駅からの距離、家賃、角部屋、トイレ風呂別、ペットの有無など何項目にも渡りアンケートに答えると、窓口係の担当は迅速に検索部門に回した。
5分も経たないうちに分厚いファイルが僕の前に出された。
「ここにアンケートでお答えいただいた条件に合致する物件が140程度あります。どの物件も内覧が可能です。今日空いている物件ですので、明日には埋まっているということもありますが、全てが埋まることは決してございませんし、明日になりましたら、また新規物件も追加させていただきます。まずはゆっくりとご覧ください」
自信に満ちた頼もしい受け答えだった。
そして出された珈琲を啜りながら約1時間物件を確認し、週末に内覧の約束をした。
内覧の前日、僕は友人のAに電話をして、いよいよ一人暮らしをしようと思うんだと伝え、もし週末空いているようだったら内覧する物件を一緒に見てくれないか、と頼んだ。
彼女は小さい頃からの同級生で久しく会っていなかったけれど、ひょんなきっかけが理由で遊ぶようになった友人である。
彼女がかつて僕に一人暮らしに関して感情的に話したことがあったのだ。
普段はクールを装っている彼女なだけに、意外な側面を垣間見たような気がした。
「もし貴方が憶えていたら一人暮らしをする時の内覧に必ず私を誘ってね。きっと役に立てるわ。約束するわ。だからお願いだから物件を見るときに今私が言ったことを思い出してね」
思い出した僕は、携帯電話で彼女の番号を呼び出し、連絡を取ったのだ。
*
*
不動産屋のファイルにあったのは、某私鉄路線の物件だった。急行列車は止まらないけれど新宿まで10分程度だし、駅の周辺は十分に栄えている。
駅から徒歩で3分という近さも魅力的であった。
そして、そのアパートに到着すると、予想以上に新築物件だったのに驚いた。
角部屋で3Kで7万円。50平米もあるしこれは相当の掘り出し物だ。洋間の奥には6畳の和室がある。出窓が2つあり、気持ちよい太陽の光が惜しみなく注いでいる。
出窓から顔を出すと鮮烈な空気が僕の顔をくすぐった。
近所に商店街があるし買い物にも便利である。それでいてひっそりと閑静なアパートだ。築5年と家賃と間取り、どれをとっても申し分ない。僕を乗せた急行列車の車輪が気持ちよさそうに滑り始めた光景を想像した。
不動産屋が僕の心を汲み取ったように「正直、ここまでの物件となりますと、手頃というよりは、お買い得としか言いようがありません。たぶんすぐに埋まってしまうでしょう」と物件について付け加えた。
きっと、そうなのだろう、と思った。そして、僕がこの物件にしようと決めたときだった。
彼女が不動産屋にいきなり質問した。
「この部屋に住んでいた以前の住人は、もしかして髪の長い色白の細い女性ではありませんでしたか」
僕には質問の意図が分からなかったが、不動産屋はそうでもないようで突然酷く狼狽した。
「ど、どうして、それを・・・。」
何についてやり取りしているのか理解ができない。
少々訝しがって彼女に小声で尋ねた。
「なんなんだよ、いったい。髪の長い女だのって」
彼女は溜息をついて悲しそうに続けた。
「私、見えるのよ。そういうのって気にする人がいるからずっと黙っていたんだけれど。小さい頃から日常的にね。この部屋でその女の人亡くなっているわよ。ちょうどその畳のあたり。部屋の隅のところで仰向けになって死んだんだわ。真っ黒な髪の毛がほうきのように広がって目を見開いて天井を仰いでいる女の人がいまもそこに居るわよ」
彼女が指差した位置で腕組をしていた僕は思わず畳から足を離した。
「彼女、とても嫌な死に方をしているわよ。苦しめられてじわじわと朽ち果ててゆくような死に方よ。まだここで彷徨っているもの。全然成仏できていない。仰向けになって目だけがピクピク動いて誰かが来るのを待っているわ。私は部屋に入った瞬間に彼女と目が合ったから分かるのよ。何度も何度も私達のほうに目を向けて訴えているわ」
そして続けた。
「こんな能力だけれど、こういう機会に絶対に貴方の役に立てるのよ」
不動産屋は、すでにお札も貼ったしお払いもしたのでお伝えしませんでしたが、と説明したけれど、そんな説明はもはや僕の耳には入ってこなかった。
とりあえずこの部屋を借りることはないと思いますと伝え、改めてご連絡しますとだけ約束した。
その後に僕自身のアンケート用紙を破棄してもらえるよう担当に電話で伝えた。今回のことについて争いたくないし、僕のほうから何かを求めようとも思ってもいないけれど、僕の履歴についてだけは全部抹消するようにして欲しいと。電話に出た担当は新しい物件を進めることもなくあっさりと承諾した。
結局、僕は全然別の不動産屋が進めてくれた別の土地にある物件に住まいを決めた。もちろん彼女にも同行してもらってのことだ。
あのアパートは、いまどうなっているのだろう。
行ってみようとも思わないし、行ってみたいとも思わない。
でもたぶん僕が最初に感じたように家賃や間取りなど十分すぎる条件が揃っているから、借り手に困るようなことはないはずだ。お買い得と信じた誰かが借りたことは容易に想像できる。
幸か不幸か、僕には見えない何かが見える友人の特殊な力によって、僕はそのアパートを借りなかったに過ぎないのだ。
4年ほど海外に生活していた同級生が東京に拠点を戻したということだったので、せっかくだから海外の暮らしぶりについて伺ってみた。
オーストラリアでの生活が楽しかったらしく、月に一度は必ずホームパーティを自宅で開催していたようだ。誰彼全てがそのような生活なので、週末にはパーティのお誘いが絶えず舞い込んで来るらしい。
笑ってしまったのは、映画に出てくるワンシーンの通り、自宅にはこじんまりとしたプールが完備されていて、ハシャいで飛び込んでしまう奴が必ず現れ(ベタだなぁ)、庭ではバーベーキュー、自宅の1階ではDJセットがあり、踊るか吐くかして乱痴気が当たり前だとか。
「ヘーーイ、キャサリン、君のウインクで月が半分に欠けちゃって驚いたよ」などとジョークも飛ばしているのだろうか。
古典的ながらも楽しいにちがいない。
そして、それはチャポラにある鬱蒼とした─太陽が今世紀中には差し込まないだろう─ゲストハウスの一室に6人ほどのレイバーが集り、円になって座った瞬間にケ※ミ☆が登場して、否応なしに心が彷徨う宴よりはよほど健康的そうではある。
新宿駅から西武新宿線を各駅停車で15分程度、野方駅に到着する。その野方駅から徒歩2分、バスロータリー近くにあるのが「かわむら」だ。
北海道沼田産のそば粉8割つなぎ2割の蕎麦は連日賑わうほどの人気である。それもそのはずで、「かわむら」の店主は、「築地さらしな」のお弟子さんなどで構成されている「築地さらしなの里~里会」の若手ホープとして名を上げているのだ。
「築地さらしな」といえば、遡ること120年前、明治32年に麻布永坂更科(現・更科堀井)で15年間修行した初代が開業したお店で、いまも築地で店を構えている。
写真は、親子せいろ(1100円)。
店の入口に「新そば始めました」とある通り、登場した蕎麦は芳醇な蕎麦本来の馨りを放っている。
親子せいろは、鶏肉とトロトロに溶けた千住ねぎを焼き玉子で閉じ、鰹出汁のツユで戴く蕎麦のことである。鶏肉から滲み出る肉汁が鼻腔をくすぐり食欲をそそる。そして甘くとろけ出す千住ねぎとのハーモニー。濃厚なツユが蕎麦に絡み、焼き玉子が口の中で弾ける。
絶品である。季節に合わせた蕎麦が定評あり、寒い時期の牡蠣そばもかなりのものらしい。
手打ちそば「かわむら」
東京都中野区野方5-3野方WIZ2F
11:30~15:00/17:30~22:00(LO21:45)
水曜および第三火曜、定休
深川そば --\1300
親子せいろ --\1100
もりそば --\700
ざるそば --\800
田舎そば --\800
五種のきのこそば(冬季限定) --\1260
牡蠣そば(冬季限定) --\1390
季節の天もりそば・天かけそば
(岩手牡蠣・舞茸・エリンギ・しめじなどの天種とおそば) --\1600
その他、天種やつまみ、地酒や日本酒など多数。
朝夕にピンと張り詰めた清清しい空気が頻繁に漂うようになったなあ、なんてツラツラと思っていると、卓上の暦も残すところ僅か1枚になってしまった。
一の酉で訪れた花園神社は、長袖でも暑いくらいであったのに、二の酉の浅草は真冬の風景に様変わっていた。なにしろ立冬は過ぎているのだから。近所の八百屋さんには蜜柑が並び、夜の帳はいよいよ深く、そして濃厚になってゆく。
こんな季節だからこそ準備をしておきたい食べ物があって、満を持して、いよいよ重たい腰をあげた。糠漬けである。じつは以前に、冷蔵庫でつくるパックの糠床を購入して、何回か試しに漬けてみたことがあるのだ。漬け始めはなかなか調子が良くて、冷蔵庫で漬けるのも悪くないななんて思っていたら、胡瓜を5本ぐらい漬けると、糠が弛んでしまい、いい漬物が出来なくなってきた。
やがては熱意も薄れ、その糠も越冬できないままに捨ててしまった。それから失意の日々を噛み締めていたけれど、糠漬けに取り囲まれた食生活を30年間過ごしてきた男は諦め切れなくて、ついに決心したのである。
食後に日本茶を啜りつつ糠漬けを摘まずにして、一体何処の馬の骨が日本人といえようか。
思い立ったら吉日、せっかくなら琺瑯製品で漬けようということになり、ご存知、野田琺瑯の商品にある「糠漬け美人」が最有力候補に選ばれた。平たいタイプの琺瑯で、糠に溜まる水を汲み取る容器もついている。
名前の通りの商品であるから、ネットでの評判も上々のようである。
しかし、平たい容器が今後においても使いやすいのだろうかと考えると、少し不安にもなった。長い目で見据えると、オーソドックスな容器が一番に思えてきたのだ。
そこで、18センチのラウンドストッカーに決めた。丸い昔ながらの琺瑯容器。さっそく糠を溶いて捨て野菜で漬け始め、そして先の3連休最終日は実家のお呼ばれで、カレーやら煮込みうどんやらおでんで舌鼓をうち、帰りがけに糠も分けてもらった。これで一気に発酵が加速すると思うと落ち着いてはいられない。
野田琺瑯 ホワイト保存容器 ラウンドストッカー 18cm WRS-18 野田琺瑯(ホーム&キッチン) |
夕刻特有の、赤銅色に輝く空が島全体を包み始めると、黄昏の影を縫ってサーファー達はホンダのバイクにサーフボードを乗せてゲストハウスにいっせいに戻る。
きっと上空から眺めたら、海の馨りを身体全体に放つ彼らは母なる河に還ってきた鮭のように映るだろう。
我先に急がんとばかりに喧しくスロットを全開にし道をすり抜ける。ちょっとでも道が混雑すれば旅行者であろうとバリニーズであろうと、容赦なくクラクションを鳴らす。バリ島の交通渋滞は実にカオスだ。
一方通行が複雑に絡み、旅行者にはまずお手上げだ。それでいながら、歪んだ道路事情であるのになかなか均衡を保っている。
そんなやり取りを横目に、バリニーズがお祈りを捧げ、表通りに面したお店の入口にお香を添える。この島に不釣合いなクラブですら、入口では香が炊かれているので、彼らの信心にはほとほと頭が下がる思いである。
1999年12月、僕と友人Kはバリ島に滞在していた。
1999年のカウントダウンは、世界各国でパーティが開催され、バリ島でも大きなパーティがあると聞きつけたので島までやってきたのだ。
僕らの周りでは南アかゴアかパンガンという選択肢で行く先が異なったけれど、僕らは最終的にバリ島にした。
97年98年にゴアで一緒だったM君とスミニャックで合流し、12月30日には、JunとかHとかIもこっちに来るらしい。ベイホールで何度か見かけたカナダ人ともクタのクラブで再会した。
祭りの後にはレギャンというビーチ沿いのゲストハウスを引き払い、山あいに位置するウブドという村に宿を移動してチルするつもりだ。
*
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クタビーチに続く繁華街を歩いていると、ニューデリーほどではないにしろ物乞いやら売人やら物売りが耳元で囁いてくる。アジアならではの光景であり、鬱陶しくも心の中で「こうでなくちゃな」と呟く場面である。
彼らの何人かは巧みに日本語を操り、「両替ドウデスカ」とか「キノコ食ベタイデショ」など怪しい単語を並べて旅行者の足を止める。
もちろん無視を決め込むしかない。僕とKは物売りの勧誘を振り払ってベモと呼ばれる三輪タクシーに跨りタナロット岬に向かった。
噂が本当であれば、岬で今夜ケチャダンスが見られるはずなのである。
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今夜タナロット岬に行くよと、僕は隣のコテージに滞在しているオーストラリア人カップルに告げた。彼らも関心を示しているようで、岬で待ち合わせしようということになった。
大抵のオーストラリア人がそうであるように、彼らは日本人には好意的である。毎晩12時を過ぎると雄たけびを放って延々と交尾をし続けるカップルではあったけれど、それを除けば僕らに親切な二人だった。
ある晩、テラスにある籐椅子に座り蝋燭に灯りを燈して人気の居ないプールを眺めながらKが呟いた。
「ありゃセックスというよりはプロレスだよな」
僕は呑んでいたビンタンの瓶を転がしそうになり、ゲラゲラ笑った。
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複雑な裏道を曲がり抜けると、そこは岬だった。夕闇があたりを包み、昼の太陽の余熱がそこかしこで放射している。意外にも岬には幾人かの旅行者が既に到着していて、オーストラリア人カップルもその中に含まれていた。僕らは合流し見晴らしのよさそうな場所に腰をすえた。
いよいよ茶褐色のバリニーズが酩酊した様子顕れ始めた。
我々部外者を一瞥もせずに黙々と列を成してゆく。腰みの以外は身を纏っていない。
「チャッ、チャッ。ケチャケチャケチャケチャ・・・・」
蛙が憑依したかのような動作で身体を揺らす。
僕はあっという間に心を奪われ、半ば陶酔した様子でカメラを手にした。鳥肌が止まない。
フイルムを交換し、またシャッターを切りまくった。Kが掛け声に同調して足でリズムを刻み始めた。
ふと足元に視線を移すと、日本には棲息していない小豆の粒ほどの巨大な赤蟻が米粒を運んでいた。何処から運んでいるんだろう? あたりを見回しても米粒らしき食物を見つけられなかった。
蟻の一群は地面から流れ出す血液のように生々しく残酷に感じた。
「ケチャケチャケチャ・・・・」
トランスが果てしなく続く。
オーストラリア人カップルの女が、その蟻の流れに気つき、指で一匹摘んだ。蟻が抵抗して彼女の指を噛む。その一部始終を僕は眺めていた。
オーストラリア人の女は小さく「痛い」と呟き、完全に欲情した表情で蟻の首を千切って、薄笑いを浮かべた。他の蟻はそんな様子に気づくことなく、一心に米粒を運び続けていた。
カメラを持った僕の手は汗でべっとりと湿り、からからに渇いた喉の奥で唾液が音を鳴らした。
数年前、北九州で仕事をしていた頃、12月当初に2週間滞在だった予定が、急遽いつ戻れるのか白紙になったので、行動範囲を広げるために折りたたみ自転車をチャチャタウンという巨大な観覧車がある施設近くの雑貨屋で購入した。1万円程度である。
この自転車を活用したおかげで随分と小倉の街に詳しくなれた。
帰京要請の声がかからないプロジェクトは、いっそのことずーっと滞在でもいいんじゃないかと思ったけれど、新緑が街を彩る季節に落ち着き始め、荷物をまとめ自転車を宅配便で送り、僕自身も東京に戻った。
自転車はしばらく僕の部屋で折りたたんだまま放置されていた。そして実家を離れてからも、一緒に持ってきこそはしたが改めて乗ることはなかった。
今週末に3連休を控えている。年末までにはどうにか部屋を整理したいので、自転車で実家まで行ってみよう。小一時間の運転になるだろうと思われる。
自転車がテーマの音楽といって浮かんでくるのは、ユニコーンの「自転車泥棒」だ。
僕が高校一年の時の曲である。あれから幾つもの時間が音を立てずに流れた。初めて聴いた瞬間に懐かしく切なくなった歌は数多の曲を耳にしたけれど、この曲だけだ。
何時聞いてもなんとなく夏を思い出す歌なので気に入っている。
*
*
髪を切りすぎた君は僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしているよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の君は自転車泥棒 君は自転車泥棒
ユニコーン「自転車泥棒」
「恋わずらい以外にはなんでも効く」、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。草津温泉を訪れて、こんこんと沸き立つ湯畑をいつまでも眺めていると、そんな気持ちにもなる。
草津温泉街のヘソは湯畑だ。一円玉すらも10日あれば溶かすという泉質。
湯の花という沈殿成分は日本有数である。
その湯畑から徒歩5分。連日大賑わいであるのが、「大滝乃湯」だ。
硫黄の香りがうっすらと漂う温泉は白濁のお湯である。酸性硫黄泉だから、貴金属を装着して入浴するのは禁物だ。ピアスやブレスレット、指輪は全部外して浸からないと金属が変色して悲惨なことになる。
「大滝乃湯」の最大の特徴は、何といっても同時に複数の源泉が愉しめる点。湯船には「煮川」の源泉が、打たせ湯では「万代鉱」の源泉が、そして合わせ湯では「煮川」の源泉が流れている。
内湯に外の景色が一望できる大浴場を完備、露天に大小それぞれのお風呂。合わせ湯は5つの浴槽があり、温度が異なる。一番熱いところが45度で、1分間ごとに順番に浸かっていくのが基本だ。合わせ湯は一箇所だけで、混浴となっているが(現在は入れ替え制?)、女性専用の時間帯もあるので、安心だ。
泉質は酸性硫黄泉でPH2。
効能は、神経痛、関節痛、うちみ、やけど、慢性消化器痛、病後回復期、美肌、慢性婦人病など。
草津温泉 「大滝乃湯」
群馬県吾妻郡草津町大字草津596-13
09:00~21:00(受付20:00まで)
大人 --\800
小人 --\400
セット
(入場料、タオル、バスタオル、
湯上がり着、専用ロッカー込) --\1200
暦の関係でいつもより長い休暇(といっても、土日祝日5日を足して11日間)になる予定。
インドに呼ばれているような気がしてならない。
あ、でもパスポートの有効期限切れているんだった・・・。
11月の第3木曜日といえば、地球の自転の関係から赤道を中心として水星と土星が一直線に並び(俗に呼ばれるレッドライン オブ シンクロクロスってやつ)、どのような因果か以前解明されないまでも、金融市場が活性し、空売りをすれば必ず儲かるとマネーゲーム上では囁かれている有名な逸話である、というのは、まあ、真っ赤なウソなんだけれど、この日は、おフランス好きにはたまらないであろう、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日である。
呑み助は目尻を下げるお祭りだ。解禁日という規制が人々の欲望の琴線をくすぐる。11月の第3水曜日はNGだけれど、翌日の第3木曜日はOKだなんて。人間は対象物全てに価値を付与することができる不思議な生き物である。
このお祭り、元を辿ればフランスのど田舎の農家がささやかに収穫を祝っていたのが起源だという。それだけに世界中に伝播した勢いというのは計り知れない。
僕はもちろん前世がフランス人だったので今年も呑みますよ、というのも、これまた真っ赤なウソで、これまで呑んだことがない。これからも呑むのか怪しいものだ。機会があれば一口味わってみたいとはいえ、どこかに出向いてまで呑みたいと渇望をするほどではない。
ところで、広告を見ると、必ず日本が世界最速で解禁日を迎えるという触れ込みになっているけれど、日本がGMT+9でニュージーランドはGMT+12だから、グリニッジ標準時間を基点とするとニュージーランドが日本より3時間早く11月の第3木曜日を迎える。
たしかニュージーランドって世界で最も早く朝を迎える土地というのが売りだし。なので、第3木曜日の未明にニュージーランドでボジョレー・ヌーヴォーを呑むのが解禁日として最速じゃないのかなってwikipedia見たら同様のことが記事になっていた。ビンゴである。
しかし職業上といえども、パイロットじゃ有るまいし脳内にグリニッジ標準時間を基点とした世界時間情報がインプットされている男というのは、アジアの極東で第3木曜日の未明にボジョレー・ヌーヴォーの封を開けて喜んでいるOLと同じぐらい薄気味悪いものである。
昨日、友人と「毛糸でふんどしを編んでも、穿くときにチクチクしてたまんないよね」と<ふんどし会議>に花を咲かせていたら、懐かしいジュースのウイズユー・スイカソーダ味とともに、「そういえば小学生の頃、缶けりとかするときに、インディアンのふんどしって数えたなぁ」なんてのを思い出した。
「インディアンのふんどし インディアンのふんどし インディアンのふんどし・・・」と10回繰り返して百数えるのである。
それにしてもインディアンのふんどしって一体何なんだろう?
喜国雅彦の「傷だらけの天使たち」に登場する、昔のコマーシャルが気になって夜中に突然と目が覚める中年オヤジのように僕もまた悩むのか。
お酒を控えるようになってから気がついたことは、ここ数年のあいだ、いかにして自分のアフター6が密接にお酒と関わっていたのかということである。
平日であれば仕事を終えて誰かと待ち合わせをし、食事をしつつ一杯呑む。土日祝日であれば、やはり夕方ぐらいから待ち合わせをして、食事をしつつお酒を呑むか、宅呑みをする。どちらもアルコールの存在はとても大きい。二十代半ばまでは純粋に食事だけを愉しんでいたのに、そんな過去は遠い彼方。
お酒が潤滑油という昭和テイストたっぷりの生活サイクルにいつのまにか突入していたようだ。
それだけに、にわか仕込みの禁酒期間となると性質が悪い。つまりただ単純にお酒を控えれば済むのではなく、その期間は意識的に人間関係までを小奇麗に洗わなくてはならないからだ。
「禁酒期間だから、ちょっと・・。」とお誘いをお断るすること星の数ほど。友人がお酒を呑んでいる傍らで黙って烏龍茶を飲むほど人間が出来ていないので、早足で帰宅するようにしている。
でもよくよく考えてみると、こういうのって<モノは考えよう>で、自分がお酒を呑まずしてどれだけ酒席で辛抱できるのか閾値を見つけ出す、という方向から可能性を探ることだってできる。
乾杯の生ビールであっさり敗北するのか、黄金色に焼きあがった唐揚げが登場した時点で「済みません、ビール追加で・・」と負けるのか、「ま、ここはひとつさ、1杯ぐらいはありでしょ」と例の如く悪魔の囁きをかます皆さんの誘惑を断れずに負けるのか、それとも最後まで烏龍茶に代表されるソフトドリンクで目標を達成できるだろうか。
自分の人間性を試す<試用期間>と見据えるのだ。
なんか苦行が人生を彩る大事な項目だと信じているゲルマン民族のバックパッカーみたいな発想だけれど。
DJ用のヘッドホンは長らくお店に常設の audio-technica のモノをお借りしていたけれど、クリスマスやカウントダウンに向けてお店の雰囲気も良い方向になってきたので、いつまでもレンタルは憚られるだろうと、自前のヘッドホンを購入した。
廉価な部類で8千円ぐらいを目処に取捨選択して、最終的に audio-technica DJモニターヘッドホン ATH-PRO500 に決定した。値段としては狙っていた価格より千円近くを下回る価格帯で購入できたので、まずまずである。
僕はお店から給料を貰っているわけではないし、友人知人を誘ったからといってマージンが発生するということはないので、正直言うとお客さんが少なかろうが僕自身の生活に直撃しないから胸を痛めないんだけれど、親しい知人がお店を4月に立ち上げ、当初は順風満帆とはいえなくとも徐々に盛り上がってきて、最近だと土曜日のお客さんが入ったり、なかにはDJについて目を留めてくれるお客さんが出てきたので、嬉しくないわけはない。
仕事でもプライベートでも、大小なり自分の携わった企画が、まるで小さなつぼみから大きな花に育っていくかのように発展していくその歴史に参加できた、というのはありがたい。
DJモニターヘッドホン ATH-PRO500 BK オーディオテクニカ(エレクトロニクス) |
遠く離れている大家さんのご子息が、茨城県のとある土地を借りて週末に農作物を育てているらしい。
大家さんのもとに送られてきたのは、大きくて甘そうな紅あずまだった。たくさんあるので、どうぞと、我が家にもお裾分けしてくれた。恐縮するばかりである。もちろんありがたく頂戴した。
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さつま芋といえば、家の向かいにある八百屋さんは、冬になると焼き芋を販売して、もちろん八百屋さんの焼き芋なので、大きな焼き芋が100円だったりする。これがめっぽうに旨い。
どうしてか焼き芋に限ってはお洒落な容器に入っているよりは新聞紙で包んでいないと、しっくりとこないものだ。
熱々の焼き芋を片手でパカっと割ると、カステラのような甘い香りが立ち上がって、黄金色のお芋が現われる。そのまま齧ってもいいけれど、バターを落として食べると、一味違った格別の旨さになる。冬の訪れとともに、土曜日の朝食は焼き芋で済ます朝が続く。
灯油ストーブでミルクを温めてマグカップに注ぎ、、厚手の靴下を履いていそいそと目の前の八百屋で焼き芋を買う。部屋に戻り、デッキにCDを乗せて音楽を流す。慌しい平日と異なり、至福の時間である。
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戴いた紅あずまは、どうやって食べようか。大根の味噌汁とさつまいもご飯、秋鮭というメニューも悪くない。夢想が幾らでも尽きない。
先月の某休日、天気が良かったので昼間っから家の近所をあてもなくブラブラ歩いていたら、住宅街の中心地に居ることに気づいた。家からそれほど離れていないのに、これまでに通ったことがない脇道は新鮮に映り、良質の単館系映画を観たような小さな発見が嬉しく、喜びにすら感じた。上を見上げると空が突き抜けるような青さで、秋の到来を感じさせてくれたからだったかもしれない。
やがて前方から大きなヘッドフォンを装着し、ブツブツと独り言を呟いている中年男が歩いてきた。束の間の幸せは霧散し、背筋に緊張が走った。染色体が少し足りないかちょっと多いか、とにかくそんな風情である。いくら春と秋が季節的に似ているからって、こんなところで出てくることないだろうと憤りを覚えた。やっぱり都会って、危ない人が多いなぁと警戒しつつすれ違ったら、タレントの※☆△博士だった。散歩が趣味だと公言している彼だが、その姿は正直言うと異様で独特すぎた。あーゆーのがオーラってやつなのかもしれない。
一定の速度を保ちながら散歩するというには、効率的な有酸素運動になり脂肪燃焼が行われやすいらしい。俗に言うウォーキングである。
前述の博士は健康目的なのか趣味の延長なのか、どちらでもないのか両方なのかは残念なことに永遠の謎だけれど、けっこうなスピードで歩いていた。
ハードトレーニングは無酸素運動に陥り、燃焼率の低下を招くので、メタボリック対策には不向きとされている。一方、20分以上の運動で心拍数が一定に保たれる運動(120~140程度)を続けると、脂肪が燃え始め、運動の動力にと体脂肪をエネルギー源に代謝させようとするから、ダイエットにより効果的と一般的に評価されている。ところが、20分以上の運動は手ごろでありつつも、いざ試そうとすると、時間の確保が難しい。
そこで、住んでいる場所によって左右されるとはいえ手軽に歩けるのは、以前に流行した<一駅前で降りる>という運動だ。僕が使っている路線は一駅前の駅で急行待ちをするケースが多く、通過待ちするので、歩くのに都合が宜しい。
そして実を言うと、一つ前の駅にも我が町と同じぐらいの商店街があり、そこのお豆腐屋さんのがんもどきが結構イケるのだ。寄り道が目的になってしまい本末転倒にならないように身を引き締めつつ、今日もぶらり途中下車。
僕が毎週DJしている友人が経営しているお店は、平日週末にこだわることなく、きっと土地柄だろう、外国人のお客さんがわりと目立つ。5人ぐらいのグループで来客されることもあれば一人でカウンターで飲むお客さんもいらっしゃる。
なんとなく「もしかしたら今夜は外国人が多いかもしれないな」なんて思っていると、ビバリーヒルズ高校白書から飛び出したようなグループが実際にテーブルを取り囲んだりしているから不思議である。
週一のお手伝いでも、継続して現場を見渡していると、その仕事ならではの<勘>みたいなものが培われるらしい。
*
*
先週末。
その晩の一番最初に扉を開けたお客さんは外国人だった。大体が22時以降に外国人のお客さんが増える傾向にあるので、一組目が外国人というこのパターンは珍しい。しかも一人である。
アメリカ人のレナード君。横須賀の基地に2週間だけ滞在し、また本国に戻るというタイトなスケジュールながらも、きっちりと週末は表参道や六本木を攻めまくる青年だ。
一組目という余裕から、レナード君に普段はどんな音楽を好むのかとか訊ねてみた。
通常、DJするときは手持ちにない曲やジャンルをリクエストされても失望させてしまうことになるだろうから、できるだけリクエストは避けているのだけれど、まあいいかと思い、聞いてみたのだ。リクエスト云々以前の技術的な問題を山ほど抱えているというのに、安請け合いをしてしまう性分は直さなくてはいけないのかもしれない。
「HIPHOP・・・」
返ってきた答えは一番厳しく苦手なものだった。手持ちがまるでないのだ。最も縁遠いジャンルである。Kanye Westのアルバムをかろうじて一枚持っているだけで、あとはせいぜい何かのサントラに収録されているトラックがあるぐらいだ。ずばり「尺が足りねー」である(腕もねーでもある)。
かろうじておいてある棚のどこかに埋もれているエミネムを探すためには、バベルの塔の如く聳え立つベタ置きのCDタワーを崩さなくてはならないわけだから、気が遠くなる作業になるのは明らかである。
もちろん暗い店内の上にエミネムのアルバムがどんなジャケットだったかすらも憶えていない不甲斐ないDJが探索の旅に出られるわけがない。
エミネムは諦めようと肩を落とした瞬間、ちょっとしたことがよぎった。以前にHIPHOPを流さなくちゃいけない夜がもしかしたら訪れるかもしれないと危惧して、渋谷の宇田川交番裏手にある日本一下品そうなHIPHOPの店で買っておいた編集盤のアルバムをストックしていたのだ。
この2枚で何とか凌いだ。レナード君もそれなりにご機嫌である。
シアトルからやってきたと言うので、野球の話とスターバックスの話とニルヴァーナの話題で盛り上がり、<Smells Like Teen Spirit>のHigh/Lowを切って(店で使用している自前の機材にこの機能があるので、一度使ってみたかったのだ)、「Hello,hello,hello,how low?」のボーカル部分だけをHIPHOPに被せたら、手を叩いてゲラゲラ笑っていた。
そして30分も経つと、レナード君と入れ替わるように、僕の友達が遊びに来てくれた。
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さて、アメリカ人は諸外国の非英語圏の人と話すときは努めて分かり易く話そうとする傾向が見受けられる。それに比べて英国人は酷い。決して速度を変えることなく平然と話そうとする。もちろん個人差あってのエピソードだ。でも僕の粗末な経験に照らし合わせてみても、この類の話というのは、結構思いあたる。
この夜のレナード君もそうであった。日本人に聞き取りやすい速度とセンテンスで会話をするのだ。コミュニケーションをとりやすい。
英語学習においては、<習うより慣れろ>という言葉を頻繁に耳にする。語学は生活ツールであるというのが僕自身の思想なので、この信条は大いに頷ける。
学習したい言語と日々接するのが、学習への近道だ。
悲しくも、近頃、映画を鑑賞していてもスルーして見ていたはずの字幕で立ち止まってしまう場面が出てきた。
こういう時に活躍するのは速聴学習で、付録のCDをMp3ウォークマンにぶち込んで通勤中にリスニングすると効果が増大する。
英字新聞から拾い出した例文はいささか時代を感じざるを得ないけれど、言葉は不変である。
青い表紙のCore編は初級者にやや敷居が高い。やもすれば途中で投げ出しかねない。でもジっと堪えて目を見開き耳を開放すると、良質の英語学習が得られる。
最初は辛いが、初心者用の緑色の表紙よりもこちらから始めたほうがいい。
僕はひさびさに再開しようと考えている。
PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are
1.Kila&Oki - 僕らの子どもたちが笑っている (VIVO)
2.Special Others - Uncle John (VICTOR)
3.Corinne Bailey Rae - Like a Star #BALEARIC REWORK (STAR)
4.Shpongle - And the Day Turned To Night (TWISTED)
5.Rei Harakami - Again (SUBLIME)
暖冬のせいで長袖を腕まくりしないと暑くてしょうがないというのに、10月31日のハロウィンを過ぎた瞬間に、東京中のレストランや雑貨屋、洋服屋などの装飾がクリスマス一色になっているのにはさすがに目を見張るものがある。
キリスト教圏でもない極東の国が、世界一最速でイエスキリストの生誕を祝おうとしているのは、外国人の指摘を待つまでも無く奇妙でしかない。
何割強の日本人が<主の降誕>を祈るのだろうか。少なくとも街を鮮やかに彩るクリスマスツリーを見る限りは、イエスキリストというよりはサンタクロースに比重があるように思える。僕はそうである。
キリスト教系大学では日本で最も長い歴史をもつミッションスクールに在籍していたくせに、初期パンクの影響で<アンチクライスト>と称して中指立てたりしていたりと、学風にまったく馴染まない僕ですらクリスマスは大好きだ。
それは日本独特の外国文化迎合システムによって、それ本来の意味・意義が失われ、出来事という事実だけが受け入れられて定着しているからである。日本におけるクリスマスは、宗教的行事を中心に捉えないで単なるお祭りに昇華している。だからこそ納得ができる。
もし、日本におけるクリスマスが<主の降誕も込みでっせ>だったら、きっとアンチになっただろう。
外国のお祭りは挙げだしたら枚挙に暇がない。卵の殻にイラストを描くイースターや牛追い祭りやタイのソンクランだって、外国のお祭りである。
でも誰一人として銀座のど真ん中とかで「今日はソンクランだから水をぶっかけるのじゃー」とか言わない。
なぜだろう?
サンタクロース、クリスマスツリー、ホワイトクリスマス、クリスマスソング、ケーキなどなど。全部、ほかの祭りには準備できないお祭り騒ぎをするには申し分ない素材が12月24日25日に揃っているからだ。
外国文化のお祭りでブッチ切りで一位の箔がある。だからクリスマスは楽しい。キリスト教のイベントだから祝わないってのも頷けるけど、日本に到来した時点で、こりゃ単なる祭りだと思えば気が楽だ。
ただ、12月24日を祝日にしようとする動きには賛同できない。特定の宗教に著しく関係する記念日を祝日にすることは政教分離に反することだ。祝日の意味合いに気をつけなくてはならない。
それと、11月の初日から残り50日近くをクリスマスに身をささげるというのは、いささかスタミナがもたない。せめて10日前ぐらいからでいいんじゃないか?祭りっていうのはそういうもんである。
海外に輸出されていないローカルなテキーラや蛇を漬けたテキーラなど、トルティーヤを売っているボロボロの屋台ですらボトルを並べていたのには驚かされた。
さっぱりした飲み口のソルというビールにライムと塩を入れて飲みつつ身振り手振りでタコスを注文する。ソンブレロとよばれる幅広い帽子をかぶった屋台のおっちゃんが「テキーラもどうだ?」と目配せしつつそぞろと瓶をかざす。きっと全部試していたら今頃メキシコに沈没していただろうと思う。日本における日本酒と同じ扱いで、銘柄があり、テイストがあり、歴史があるのだろう。
その旅で唯一残念だったのは、帰りのロス発の飛行機が決まってしまっていたことだ。メキシコの国境からそれほど離れていないエリアまでしか足を伸ばすことができなかったのである。
少しでも南へと思い、できるだけ国境を離れる努力をした。
ティハナと呼ばれる国境の町からおんぼろの相乗りバスに揺られると、やがてロサリートというビーチに着く。幾つかホテルが並んでいるうち、一番ネーミングが気に入ったホテルに泊まった。Los Pelicanos、日本語でペリカンホテル。愛嬌のある名前が好印象だった。
ペリカンホテルは中級クラスのホテルで(専用のプライベートビーチがあって、プール並のスパがある)、値段はけっこう高かったが、オフシーズンだったので、インド仕込の交渉で大幅に値引きして拠点にした。メキシコは乾燥しているから海沿いでも湿ったりベトついたりしない。気温が35度に達しても朝晩は冷え込むのだ。
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朝目覚めると、屋上レストランではストーブの薪に火をくべて暖を取っていた。実際にそれぐらい寒い。ストーブの上には何年も使い込まれているといった様子の、煤けた薬缶に入った炭火焼珈琲が常に温めてあり、ピリ辛のナチョスと豆料理の朝食の後に飲む黒砂糖とシナモンが溶かしていある風味豊かな一杯は、格別だった。メキシコ人はみんなカフェ・デ・オージャと呼んでいた。大鍋で煮出すメキシコならではの珈琲らしい。
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プライベートビーチから少し離れた浜辺では、宿に泊まらないキャンパー達が焚き火をしながらテキーラを飲み、夜を明かしていた。あまりにもざっくばらんなスタイルでテントを張っているので、初老のキャンパーにふと尋ねてみた。
「こんなところでテントを張って夜を過ごしたら危険じゃないのかい」と。
彼はそんな心配なんてしたこともないという仕草で目を細めてしゃがれた声で答えた。
「危険かどうかって?ここには心配な出来事は何もないだろう。夜中に酔っ払った誰かが騒ぐことはあってもその程度じゃ。流木に火をくべてテキーラを飲み、朝を迎える。それだけじゃ。だってここはメキシコだからな」
彼はもう一度繰り返した。
「だってここはメキシコだからな」
日が暮れてペリカンホテルの屋上レストランでマリアッチの演奏を聴きながら眺めていると、まるでそれは遠い母国で見たかがり火のようで、何とも不思議な気分だった。
たぶんいまも現存しているだろう喫茶店で、英会話喫茶というのがある。渋谷や高田馬場や原宿で何度か見かけたことがある。それなりに繁盛しているようだ。
一見変哲のない喫茶店だけれど、自動ドアを開けるとそこは教室のような店内の様子で、外国人講師達が学校さながらに黒板に向かって教鞭をふるっているのである。ただし喫茶店なので授業を受けながらドリンクを注文できたりとちょっと他の喫茶店にないサービスが振舞われる。
英会話教室よりは値段が手ごろだし敷居も高くないということで学生を中心に人気を博している。というのは、まったくのウソで、要するに店員が外人というだけである。
日本語を理解できる出来ないに関わらず、あえて店員は日本語でコミュニケーションを図らない。日本語を解しないから、注文するときなんかは英語で話さなくてはならないのだ。注文時だけでなく適度に店員と会話が出来るので、英会話上達も期待できるし、なんだか外国みたいな雰囲気。
外国に留学しなくちゃいけないという同級生に真剣な顔して、留学前に英会話喫茶で緊張を解きたいから付き合ってよと頼まれたことがある。「コイツ、バカか?」って思ったけれど、奢りだったしちょっと覗いてみたかったので、渡りに船と思い、同席した。
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僕なんかは<アリババカフェ>と称してインド音楽が割れんばかりに垂れ流しされるインドスタイルの喫茶店を都内にオープンしたらそれなりに繁盛するんじゃないかなんて思うのだけれど、人それぞれ好みというものがあるようだ。
インドにはやたらと似たような店が何処にでもあって、<アリババカフェ>なんてのもその一例だ。
経営母体を辿ると同じだったということは絶対に有り得なく、要するにそこらへんのインド人が勝手にネーミングしているのだ。
たいていの<アリババカフェ>の店内にはボロ雑巾が朽ち果てたような生気のない野良犬が数匹居座っていて、30分に1回の割合で店に断りもなしに乞食がたかりにきて、カレーを頼んでも1時間ぐらい出てこなくて、コーラじゃなくてThumbsUp(インド独自のコーラ。激マズ。飲むとなぜか咳が止まらない。リムカっていうレモン味のジュースもある)がぬるいまんま置いてあり、インテリアの代わりに蝿が10匹ぐらい気ままに飛び交っている。運が悪いとチャイに睡眠薬を盛られてパスポートを盗まれる。夜は停電。昼はぼったくり。
まあ、つまりインドに一万軒ぐらいある喫茶店全般に共通しているクオリティなのだが、裏原宿あたりに開店したら最高だろうなって思う。3時間ぐらいで保健所がすっ飛んできて営業停止になること間違いなしである。
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こういう「○○カフェ」「○○喫茶」というのは、古くは「名曲喫茶」「ジャズ喫茶」や「ノーパン喫茶」があり、最近だと「メイドカフェ」がある。
「○○」の部分に、肥大化した趣味や嗜好を代表する文字を当てはめて、店内をその嗜好性を拡大した様相で彩れば成立する。「○○」が埋まっていく限り、人々が抱え持つ嗜好の数だけカフェが存在するのだ。
最近だとメイドだけじゃなくて「ぽっちゃりカフェ」だとか「メガネっ娘カフェ」と、かなり細かく分類されたカフェがあるようだ。
もっともっとこだわりぬいて、フィジカル面で欲望を満たせるのではなく、パーソナリティで成立するカフェなんか出てきたら面白い。
「しかられカフェ」とか「バブバブカフェ」など。
いうまでもなく叱られたい願望があって赤ちゃん言葉でカフェオレをくゆらせたい人が暖簾をくぐるのである。
人々の欲望と共にあらんことを。