ちょっと昔に読んだ本に南極越冬隊の詳細な生活模様が描かれていて、超スーパーエリートが選びに選びに抜かれた越冬隊といえども、やっぱり彼らも人間なのだなぁと深く頷いたことがある。
南極という土地は、例え裸で練り歩こうと(歩けるとしての話)、南極の水で泳ごうと、心肺停止に陥っても風邪は引かないというトンデモナイ場所なのである。
何故かというと、その尋常ない離れた環境下では風邪の病原体が生き抜けないのだ。つまり極寒すぎて病原体さえもサバイブできない。
そんな土地にある基地で生活するわけだから、南極越冬隊は超スーパーエリートな自衛隊員で構成されていて、ちょっとしたミスが一大事になりかねないので、細心の注意を以って、何もかもが緻密に計算されてプロジェクトが組まれている。
越冬隊員達が映画「シャイニング」のおっさんみたいに気が触れちゃわないよう、エンターテイメント性にも長けていないといけないので、実際に基地にはバーがあったりして、心の風邪をこじらせないようにも設定されている。
食事方面もマンネリ化を防ぎ、出来る限りに材料を運んでいるそうだ。
それでもやはり閉ざされた世界、周りでウロチョロしているのは警戒心のないペンギン、あたり一面は銀世界と白痴すぎる風景なので、お役所仕事とはいえどもストレスだって生まれる。
越冬隊員の構成員が昨今まで男性のみだったのは、閉鎖的生活の危険を回避するためであったのかもしれない。隊員達のシモの面倒を見るために、越冬隊用のダッチワイフが開発、俗に言う南極1号のネタは都市伝説になりがちだが、そこには人間の尊厳性とは何か?と学ぶところは多いはずである。
さて、僕がこの書籍で一番感銘を受けたのは、越冬生活はシャバと完全に閉ざされた文化排他的な状況なだけでなく、コミュニティ構成員も限定されているので、数十日も過ぎると、エロ写真なんて素材もすっ飛ばして、シャンプーでイケるという逸話。
つまりシャンプーをひと嗅ぎするだけで、シャバの女子を総て脳内に想起できて、達成できるらしい。
まるでシンナーみたいである。
シャンプーがオカズになり得る環境っていうのは、どんだけ飢餓状態なんだろうか。ネットつなげるだけでおっぱいボヨヨンなんてのは、はっきり言って飽食である。
そしてオカズの素材もさながらに、目的のためには手段を厭わない男子の裾野の広さ。これもまた深い。
2年ぐらい前に小学校で上履きを盗んだ奴が逮捕された時、「コイツはとんでもない変態だな」とも思いつつも、彼にとっては上履きがご馳走だったわけだから、その時もまた、男子は本当に何でもオカズにできるんだなぁと、呆れたりした。
シャンプーに話を戻すと、香りがイメージを引き出す触媒になっているようだ。
シャンプーの先には総体的な女子が存在していて、単に妄想だけではなく、嗅覚でそこのステージにまで到達している。香りが快速切符みたいな役割を果たしている。
たしかに何かを嗅いでイメージが沸き立つというのはある。
僕の場合、春先や初夏の頃に嗅ぐ工事現場の鉄が焦げたような香り、あれはかなりヤバい。アレを嗅いでしまうとどうしてもガチムチな兄貴が忘れられなくて、、、という訳ではなく、どうしてかニューデリーのメインバザールの喧騒を強烈に思い出してしまうのだ。
安くて全然地球に優しくなさそうな重油の揮発した成分と鉄工が複雑に入り混じり、僕にまで届く。ふと、それを嗅いでしまうとインドに到達できるのだ。
自分の脳内がどうなったら工事現場とニューデリーとで結びつくのか解らない。
でもそれは確かに現象として起きていて僕自身を捉えている。ほんの一瞬だけだけれども、僕はメインバザールの喧騒の渦に立ったりしている。しばらく嗅いでいると動けなくなったりもする。よっこいしょと現実に戻らないといけないのに。
香りは記憶の触媒になる。そんな風に思う。何十年か先、自分の記憶の多くが失われ視力も乏しくなって、きたねぇジジイみたいに成り果てたって、忘れていた遠い昔の出来事や大切な誰かのことは、香りが記憶してくれているのだろう。そんな気がする。
先日、別フロアで勤務している社員が派遣社員の子を忘年会に誘っていた。
イベントらしいイベントの企画は、不特定多数が同時に情報を共有できる利便性の高いメールを通じて練られていくので、ちょっと珍しい光景だった。しかも、エレベーター脇だったので会話が筒抜けなのである。
聞いちゃ悪いなと思うにも、エレベーターが到着するまで聞こえてしまう始末だ。
社♂「それじゃさ、みんな遅いらしいから二人で始めちゃおっか」
派♀「え、二人だけですか。そうですね、忘年会しちゃいましょうか」
社員はセンター街で悪いことをしていそうな若者と同じ顔をしていた。
それは忘年会という名の・・・、と言い掛けたけれど、部下でも上司でも同僚でもないので、スカウターに反応しない戦闘力を消したサイヤ人よろしくやり過ごした。
*
*
今週の月曜、友人達と四谷の「こうや」で忘年会をし、旨すぎる台湾料理をガツガツ食べて、紹興酒をグビグビ飲み、特製ワンタンメンで締め、23時を過ぎたところでその夜が月曜であったことを激しく呪った。
酩酊している帰り道で、サイコロ先生のことを思い出した。
サイコロ先生は大学時代の知り合いで、さっきの社員のように女子を誘い込み、二人っきりで忘年会を開催する人だ。1週間に9回合コンを企画する人でもあった。
僕も何度かサイコロ先生が企画する、粒ぞろいの合コンに甘えさせてもらったりした。サイコロ先生のイベントには彼が練り上げたシナリオが用意してあって、その脚本どおりに進行するのが特徴である。
しかも女子のテンションや反応に応じて、メガホン片手に巧みに演出を加減する姿は<合コン会のクロサワ>と呼ばれてもおかしくなかった。
そのシナリオは、千パターンぐらいあるんじゃないかっていう充実っぷりだったけれど、どのシナリオにも中盤に必ずサイコロゲームが登場した。
「何が出るかな、何が出るかな、チャララチャラララチャララ♪」である。
それゆえに僕の中でサイコロ先生と命名されていた。
宴もたけなわ、先生が叫ぶ。サイコロゲームスタートー!
うひょー!と、僕らがアンパン吸いすぎちゃった工業高校の生徒みたいに雄たけびをあげる。
サイコロタイムがやってくると、先生はポケットからひとつのサイコロとボールペンを出して、テーブルに添えてあるティッシュに1から6までの数字を書き並べた。もちろん、数字の横にはこれから割り振られるお題目が書かれる予定だ。
しかし、そこは合コンの席である。怖かった話、略して<こわばなー>とかいう眠たいお題は皆無で、ほとんどがこんなのであった。
「やってしまった友達、略して<やりともー>」
サイコロ先生がそう言った後に必ず僕らが「いいともー」って合いの手をかますのが通常だった。
もちろん女子は凍てついた顔をしていた。僕らはサイコロをどんどん振った。
果たしてこのサイコロタイムがその晩の成り行きにどれだけ影響を及ぼしたのかは実際には怪しいところであった。とあるお題で女子が「わ、私、そんなの言えない!」とカムアウトを拒んで泣いてしまい、お開きになった記憶さえある。
でも、サイコロ先生は絶対にこのメニューだけは盛り込むし、ミスを許さない仕事人でもあった。そこには1週間に9回合コンした男だけが知る、ゆるぎない自信があったのだろう。
*
*
ある時の週末、サイコロ先生の真似をしてみようと、サイコロを用意して合コンに挑んだことがある。
前日に学校を休んで、原宿のキディランドにまでわざわざ足を運んで、サイコロを選んだのだ。
さらなる楽しい場面が待ち構えているかもしれないので、ぬかりないようブラックライトで光るサイコロを選択する俺は鋭いなぁなんて自分で自分を褒めた。
光るからなのか、サイコロのくせに800円ぐらいした。
そして土曜日、縦落ちが自慢のヴィンテージなジーンズをキメて合コンに参戦した僕は、いつも先生がする通りにサイコロゲームスタートー!と叫び、やはり友人達が、うひょー!と工業高校の生徒みたいに雄たけびをあげた。
そしてポケットに手を突っ込みサイコロを取り出そうとした瞬間、女子が凍てつく前に凍死しかけた。
縦落ちが自慢のヴィンテージなジーンズのポケットには穴が空いていたことを忘れていたのである。サイコロはどこにもなかった。
「や、やっぱし、王様ゲーム・・・」
とたんに、誰かの一周忌みたいな雰囲気に染まった。
そして改めて偉大なるサイコロ先生に敬意を払った夜であった。
一人暮らしをするので引越し先を探していた時の話だ。
中央線沿線にある幾つかの不動産屋の扉を叩き、間取り図をかれこれ三百近く見た結果、事態は思うように進まないだろうという先行き不安な未来だけが明確に分かった。
安いけれど狭い、広いけれど高い、手ごろだけど遠い、近いけれど既に入居済み。とにかくそんな結末ばかりなのだ。
「やれやれ、これじゃあ、家を見つけられる前に老け込んじゃうかもしれないですね」
その当時放映していたコマーシャルを思い浮かべて、僕はやや自嘲的に笑った。
不動産屋は手馴れた様子で─きっとそういう路頭に迷うような客が毎年現れては消えるのだろう─「もちろん、全てのご希望通りにご提供できるとは限りませんが、物件との出会いというのは、人と人との出会いと同じように、何かの縁であったりタイミングであったりします。こういう言い方は比喩ではありますが」と実直に説明してくれた。
僕はたったいま急行列車が発車してしまったせいでホームに取り残されることになった乗客のような気持ちになり、ますます暗くなった。
「タイミングですか・・。簡単なようでなかなか難しいですよね」
不動産屋は感じの良い笑みを浮かべた。そういうのに慣れているのだ。
「たしかにおっしゃるとおりです。しかし、時にはタイミングも数字に置き換えるのでしたら比率がグッと向上することもあります。恣意的ではない経験則によってですね」
僕は不動産屋の次の言葉を待って訊ねてみた。
「どんなやり方なんですか」
「単純ですよ。中央線ではなく私鉄沿線にしたがって不動産を探すのです」
そういうわけで、僕はまた新たな不動産屋を探す旅に出た。
*
*
某私鉄とJRが乗り入れをしている駅のバスロータリーにマクドナルドがあり、その2階で大手の不動産屋が営業していた。
仲介料が家賃の2ヶ月程度分発生してしまうので、その手の不動産屋は意識的に避けていたのだけれども、この際背に腹は変えられない。
僕は派手な広告で数多の見取り図が張られている扉を開けた。
輝かしい不動産屋は、何もかもがシステマチックに効率よく運営されていて、極力無駄を省いて最短の方法で顧客に<恐らく望みに近いだろう不動産>を提示していていた。
検索を専門とする部署があり、内覧のみを受け持つ部署があり、そしてそれらを適切に指示し、我々と不動産の仲介をする窓口係の営業がいた。
希望の間取りはどれぐらいなのか、許容できる駅からの距離、家賃、角部屋、トイレ風呂別、ペットの有無など何項目にも渡りアンケートに答えると、窓口係の担当は迅速に検索部門に回した。
5分も経たないうちに分厚いファイルが僕の前に出された。
「ここにアンケートでお答えいただいた条件に合致する物件が140程度あります。どの物件も内覧が可能です。今日空いている物件ですので、明日には埋まっているということもありますが、全てが埋まることは決してございませんし、明日になりましたら、また新規物件も追加させていただきます。まずはゆっくりとご覧ください」
自信に満ちた頼もしい受け答えだった。
そして出された珈琲を啜りながら約1時間物件を確認し、週末に内覧の約束をした。
内覧の前日、僕は友人のAに電話をして、いよいよ一人暮らしをしようと思うんだと伝え、もし週末空いているようだったら内覧する物件を一緒に見てくれないか、と頼んだ。
彼女は小さい頃からの同級生で久しく会っていなかったけれど、ひょんなきっかけが理由で遊ぶようになった友人である。
彼女がかつて僕に一人暮らしに関して感情的に話したことがあったのだ。
普段はクールを装っている彼女なだけに、意外な側面を垣間見たような気がした。
「もし貴方が憶えていたら一人暮らしをする時の内覧に必ず私を誘ってね。きっと役に立てるわ。約束するわ。だからお願いだから物件を見るときに今私が言ったことを思い出してね」
思い出した僕は、携帯電話で彼女の番号を呼び出し、連絡を取ったのだ。
*
*
不動産屋のファイルにあったのは、某私鉄路線の物件だった。急行列車は止まらないけれど新宿まで10分程度だし、駅の周辺は十分に栄えている。
駅から徒歩で3分という近さも魅力的であった。
そして、そのアパートに到着すると、予想以上に新築物件だったのに驚いた。
角部屋で3Kで7万円。50平米もあるしこれは相当の掘り出し物だ。洋間の奥には6畳の和室がある。出窓が2つあり、気持ちよい太陽の光が惜しみなく注いでいる。
出窓から顔を出すと鮮烈な空気が僕の顔をくすぐった。
近所に商店街があるし買い物にも便利である。それでいてひっそりと閑静なアパートだ。築5年と家賃と間取り、どれをとっても申し分ない。僕を乗せた急行列車の車輪が気持ちよさそうに滑り始めた光景を想像した。
不動産屋が僕の心を汲み取ったように「正直、ここまでの物件となりますと、手頃というよりは、お買い得としか言いようがありません。たぶんすぐに埋まってしまうでしょう」と物件について付け加えた。
きっと、そうなのだろう、と思った。そして、僕がこの物件にしようと決めたときだった。
彼女が不動産屋にいきなり質問した。
「この部屋に住んでいた以前の住人は、もしかして髪の長い色白の細い女性ではありませんでしたか」
僕には質問の意図が分からなかったが、不動産屋はそうでもないようで突然酷く狼狽した。
「ど、どうして、それを・・・。」
何についてやり取りしているのか理解ができない。
少々訝しがって彼女に小声で尋ねた。
「なんなんだよ、いったい。髪の長い女だのって」
彼女は溜息をついて悲しそうに続けた。
「私、見えるのよ。そういうのって気にする人がいるからずっと黙っていたんだけれど。小さい頃から日常的にね。この部屋でその女の人亡くなっているわよ。ちょうどその畳のあたり。部屋の隅のところで仰向けになって死んだんだわ。真っ黒な髪の毛がほうきのように広がって目を見開いて天井を仰いでいる女の人がいまもそこに居るわよ」
彼女が指差した位置で腕組をしていた僕は思わず畳から足を離した。
「彼女、とても嫌な死に方をしているわよ。苦しめられてじわじわと朽ち果ててゆくような死に方よ。まだここで彷徨っているもの。全然成仏できていない。仰向けになって目だけがピクピク動いて誰かが来るのを待っているわ。私は部屋に入った瞬間に彼女と目が合ったから分かるのよ。何度も何度も私達のほうに目を向けて訴えているわ」
そして続けた。
「こんな能力だけれど、こういう機会に絶対に貴方の役に立てるのよ」
不動産屋は、すでにお札も貼ったしお払いもしたのでお伝えしませんでしたが、と説明したけれど、そんな説明はもはや僕の耳には入ってこなかった。
とりあえずこの部屋を借りることはないと思いますと伝え、改めてご連絡しますとだけ約束した。
その後に僕自身のアンケート用紙を破棄してもらえるよう担当に電話で伝えた。今回のことについて争いたくないし、僕のほうから何かを求めようとも思ってもいないけれど、僕の履歴についてだけは全部抹消するようにして欲しいと。電話に出た担当は新しい物件を進めることもなくあっさりと承諾した。
結局、僕は全然別の不動産屋が進めてくれた別の土地にある物件に住まいを決めた。もちろん彼女にも同行してもらってのことだ。
あのアパートは、いまどうなっているのだろう。
行ってみようとも思わないし、行ってみたいとも思わない。
でもたぶん僕が最初に感じたように家賃や間取りなど十分すぎる条件が揃っているから、借り手に困るようなことはないはずだ。お買い得と信じた誰かが借りたことは容易に想像できる。
幸か不幸か、僕には見えない何かが見える友人の特殊な力によって、僕はそのアパートを借りなかったに過ぎないのだ。
去年に引き続いて5月2日~6日で新島のキャンプ場に行った。
大規模な地震の後、海岸沿いにあったキャンプ場は、島の東岸「羽伏浦海岸」のキャンプサイトに移った。ただし、ビーチ沿いだった旧キャンプ場に比べて、こちらのほうが森に囲まれているので、海風が当たりにくい利点がある。
シャワーや炊事場もきちんと完備している。空を見上げると緑の芝生の頭上に大きな山が見渡せて完璧な絶景。開放感が溢れる。
もちろん無料。
キャンプサイトの住人達はというと、サーファーにはじまり、ヒッピーやキャンパーが入り混じって、外国人が目立つ。
旅人もたくさん。南米系もいるので、そこらじゅうで「HOLA!」とか「コモエスタ!」などのポルトガル語系が飛び交う。
それぞれがサーフボードにワックスを塗ったり、ハンモックで寝転んだり、お香を焚いたり、笑ったりはしゃいだりしている。誰もが挨拶を交わして、ウェルカムなので、「本当に来てよかったなぁ」なんて思ったりする。チャポラあたりを歩いていたら、誰もが幸せそうに「ハロー」とハグしたり挨拶していたでしょ、あんな感じ。
そして雨でも降らない限り、夜になるとパーティになる。100%の確率で。
ある晩はトランスだったり、ある晩は焚き火を囲んでジャンベやディジだったり、ある晩はギターで大合唱だったり。とにかく自然発生的に夜は盛り上がる。
月夜の下で、その瞬間に新島に集まった連中が言葉や国籍やいろんな垣根を越えて、踊り、鳴らし、歌う。
気がつくと朝の5時だったりする。
買ってきた島焼酎やビールなんて、とっくに空っぽでも、そんなの気にしない。朝になって目が覚めれば、レンタサイクルに乗り、買に行けばいいのだから。そのついでに大海原が眺められる温泉にでも浸かれば、二日酔いなんてどこ吹く風。
いつのまにか体内に流れるのは島時間。海に沈む夕陽をみつめて、今夜もまた踊る。
新島はゴアなんだよ、きっと。
数年前に下北沢の古本屋で400円ぐらいで購入した「別冊宝島 1975年10月号」(敢えてその号のタイトルは伏せる)を改めてパラパラと捲っていたら、新刊書の案内というページがあったことに気がついた。
記事によると、当時の世の中はヒッピー文化の華盛りで、そんな時代を色濃く映し出したある一冊が話題を呼んだという。
わりとその手の文献には浅く広く手を出すタイプなのに、本書については知らなかったので「まだまだ俺はザルだなぁ」と深く反省した。
*
*
アリシア・ベイ=ローレルとラモン・センダーが書き、深町真理子が翻訳した「太陽とともに生きる」である。
同時期に発売された「地球の上に生きる」と共に当時のヒッピー達のバイブルだったらしい。
原始的な生活を送る上での手引書であり、コミューンで生活する為に必要な知恵が詰まった本だ。
「太陽とともに生きる」では、彼女はこう読者に伝えている。
週に一日、太陽の子として生きることで、文明というばか騒ぎにまきこまれることなく、地球の上に生きることができるでしょう。
近々この本を読んで自分をファックしようと思う。
最近は大箱のイベントに行く回数が全盛期に比べてめっきり減ってきたとはいえ、まだまだ気分は現役である。
腹は出ても心は錦。きっとみんなも共感してくれるはずだ。
でも、どうだろう。何かに甘んじてナマクラになっちゃいないか。つまり、日常という名の惰性にかまけて、たるんでいるんじゃないか。
服装の乱れは心の乱れというのが世の定説だ。ということは、近年の自分はまるでなっちゃいないということになる。格好が全てじゃないけれど、昔の俺はとんがってた、そんな風に思いたい。
忠臣蔵に登場しそうなベルボトム、ブラックライトに照射されれば視力がガタ落ちしても不思議じゃないスペーストライブ、両腕にはビカビカに光る腕輪、サイケデリックな絞り染めの長袖、そしてA・ローズだって逃げ出しそうなピチピチのゴアパン。これが本来の戦闘服ってやつじゃないのか?
だとしたら、昨今の俺は渋谷にパジャマで現われる女子高生並みに恥ずかしい。会社で着ている洋服とおんなじ格好でパーティに来ちゃってるじゃないか。もっとかぶけ、前田慶次だったらビンタをかますところだ。
触るもの皆傷つけたい、いや躍らせたい。そんな気持ちを久しく忘れてた。
ゴアパン2号(暴走族の車に登場しそうなファイヤーパターン)は寝巻きになっている。
こんなんじゃいかんぞ。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。
*
*
2月20日の平日の夜。
残業が終わりシケた顔して、家に帰宅すると、すぐさまタンスのこやしと化している戦闘服に着替えた。
時刻として20時過ぎ。別に今夜ベイホールでJorgが回すわけじゃない。だいたいベイホールなんて、もうトランスを流してないのだ。
だが、しかし…、そう、自分に鞭を打つ気分で着替えた。このままだと腑抜けになっちまってヨボヨボのじじいに成り果てるぞと言い聞かせた。
足元は悩んだ末に95年ごろにパーティで履いていたナイキの靴。とりあえず勢いよく飛び出し、駅前のコンビニに行く。
ふふふ、周囲の注目が熱い。背中が視線で火傷しちまいそうだ。
鋭い勘を巡らせれば、誰かが声を掛けてくるタイミングである。
「ねえ、ちょっと君、いいかな」
ほーら来たぞ、俺に踊らされたい奴が。
勢いよく振り向くとそこにはチャリンコに乗った交番のお巡り。
ガビンッ。
彼は続けた「いまからどこに向かうのかな?」
職質だった。30過ぎて職質だった。
なんにも悪いことしていないのに職質というのはいつもドキドキする。
そして、苦し紛れに口から出た台詞は「コンビニにスピリッツを立ち読みに行こうと思いまして・・・。」
しょっぱすぎる。ガチでしょっぱすぎて涙すら枯れそうだ。船木に頼んでマットに沈めてもらいたい気分だった。
余所行きの格好は週末だけにしよう、心の底から本気で誓った。
(実話)
最近、<ピラティス>という柔軟運動みたいなトレーニングを寝る前の15分間位に取り入れるようにしている。
もともとは負傷兵のリハビリに使われていたというエクササイズなので、運動不足と不摂生が祟って、むしろ<負傷兵以下>で衛生兵が匙を投げてしまいそうな僕にピッタリだと思って採用してみたのだ。
プログラムの内容は、ヨガの呼吸(深く息を吸って吐く)に緩やかな屈伸運動を組み合わせたもので、やってみると、なるほど、身体中の普段使っていない筋肉がビヨーーンと伸びているような気がしてけっこう気持ちいい。
僕は高校1年の時に過度の運動が原因で椎間板ヘルニアになってしまって、一時は椅子にも座れないこともあったんだけど、その頃に整形外科医から習った<ヘナチョコ向け腰のトレーニング>にピラティスはかなり近い運動だと知ったので、こりゃ、ラクチンである。
目指すはもちろん逆三角形な肉体だ。ただ、いきなり頂点を目指すのは便所サンダルでチョモランマを登るようなもので途中で凍死しかねないから、まず最初はピラティスという高尾山から練習するのが賢い大人ということになる。
まあ、きっと春頃にはベンチプレスを一晩に100回ほど繰り返してマチョリズムを突き進んでいることだろう。
あと、呑んでグデングデンに帰ってきた日は絶対にピラティスをしないということもしっかりと判明したので、ネオン街に寄り道してお酒をかっ食らうのはなるべく避けようと思う。
─ピラティスの詳細─
高校1年の冬休み、近所でチャリ通ができるという理由から新宿アルタ裏の三平ストアでバイトしていた。
三平ストアの1階は、今はゲーセンになっているけど、当時はそこのフロアは電気屋さんで、僕はウォークマンとステレオの売り場を任されていた。自前のCDやカセットテープを聞き流して適当に商品説明をするだけだったので、かなりラクチンな仕事だ。
おまけに在庫過多のヘッドフォンとかウォークマンを倉庫でもらえたので、サイドビジネスの裾野も広い職場であった。冬休みが終わると、学校帰りの放課後にアバウトに働いて、2年生に進級する春休みまで続けた。
*
*
朝から出勤する日は、13時以降に1時間昼休憩が貰えた。
三平ストア内の食堂(一般には公開されていない)は、スラム街の炊き出し場みたいに薄汚れていて、カルカッタの貧民窟のごときに貧乏臭かったので、青二才の自分は怖くなり、1度きり食べただけで行かなくなった。
目の前が桂花ラーメンだったから、ラーメンを啜るか、靖国通りまで行って牛丼をしばくかのどちらかで済ませた。
*
*
1991年3月26日、その日の僕の昼ごはんは、そぼろが詰まった手作りのお弁当だった。
近くを通った歌舞伎町のホステスが「バイク事故で亡くなった弟にそっくりだわ」と目を潤ませて僕にお弁当を作ってくれたというのはもちろんウソで、実際には地元の友達宅に泊まった際に「明日、アルバイトなの」と言ったらおばさんが用意してくれたのである。
申し訳ないので一応断ったが、自分の息子(要は僕の友達)も明日アルバイトでお弁当を作るから問題ないとのことだから、そのお言葉に甘えた。
そして、朝になってお弁当を手渡された時に、すっかり忘れていた事実を思い出した。
「あーっ、やべっ、今日、M.C.ハマーのコンサートじゃん」
僕は当時から自分のことを黒人の生まれ変わりだと信じて疑っていなかった純粋なニグロだったので、HipHopでは初の東京ドームコンサートに参戦しなかったら死んでも死に切れないというのもウソで、ただ単純に級友からコンサートチケットを貰ったので行ったのであった(そもそもハマーなんて「U Can't Touch This」の1曲しか知らない)。
級友のお父さんは、芸能ビジネスみたいのをしている怪しい人物で、アルフィーから年賀状が届いたり、駆け出しのアイドルに住まいを用意してあげて時折自分もそこで寝泊りをしている人だった。そのお父さんがアリーナ寄りのチケットをたくさん抱えているから、僕らにくれたのだ。
*
*
水道橋駅で降りた東京ドームの周りには独特のファッションの人たちが列を成していた。
ラッツ&スターみたいに日焼けしているお姉さんや、金のネックレスをしてダボダボの背広をキメているお兄さん。
一瞬、新手のダフ屋かと思ったけど、どうやらハマーを意識した上での格好らしい。
どう考えてもその場にいる客のうちで最年少に位置する僕らは面食らって、勝手にダボダボ背広兄さんと握手したりしてハシャいでしまった。東京ドームは熱気が渦巻いていた。
*
*
エントランスのお姉さんにチケットをもぎってもらい、イヤッホゥと声にならない声で叫んで<さあ、いよいよいざ出陣!>と中に進もうとすると、もう一度お姉さんに止められた。
「大きい鞄をお持ちの方は鞄を開けてもらえますか?」
有無を言わさない闘志の炎がお姉さんの瞳で静かに燃えていた。
<メンドくせーな、もう>という表情で級友がさっさと鞄を開けてクリアし、もう一人の友人もクリアし、僕の番になった。
僕の顔は曇っていた。中には食った後のそぼろ弁当箱がバンダナに包まれている。
見つかりませんようにとドキドキしながら僕は鞄を開けた。
ところが、さすがお姉さん。コンマ1秒でそれを見つけた。
まあ、ジャンプと弁当箱しか入っていないので見つけられないほうがどうかしているわけだけど。
お姉さんは試合前の猪木みたいな顔つきで<してやったり>とご満悦に僕を攻めた。
「このバンダナの中身は何かな?」
僕はあけるのを躊躇した。何度もいうが中に詰まっているのはソニー製のウォークマンでもなんでもなく、食った後のそぼろ弁当だ。
そぼろ弁当とHipHop。
普段なら決して交わることのない組み合わせだ。場違いにもほどがある。
弁当箱持って今日のコンサートに来たオーディエンスがいるのだろうか。多分、いないだろう。
「ハマーにあげようと思って」も通じない。だって三平で食っちゃったんだから。ギャグをすっ飛ばして切ない空気が流れてしまいそうだ。
でも、この状況で級友のお父さんの権力をちらつかせるのもマズイし、効き目もなさげだ。
僕はすごすごとバンダナの結び目をほどいて中身を見せた。
お姉さんは僕に問いただした。
「これ、カメラ?」
「いえ、これはカメラとかじゃなくて、弁当箱です」
お姉さんの闘志の炎はすっかり消化し、笑い茸を食べた人の目に変わっていた。
僕は、まだハマーのことを好きになれない。
コンビニエンスな恋が流行る世の中なのか、便利が一番という思想からモノの判別は「ウザイかウザくないか」だけで決定しちゃうスタンスか、最近だと男女がお付き合いするための鼻緒を結ぶのもほどくのも、全ての工程を電話とか面通しで行うのではなく、メールで済ましちゃうらしい。
ちょっと驚いたので、試しに知り合い3人に聞いてみると2人が「うん、そうだよ」と答えたので、やはり世の中の70%ほどの連中はメール派という計算になる。すごい時代だ。
考えてみると、僕自身も女子のハートをつかむために真剣にメールを送ったり、<センターに問い合わせ>したりして、届いたり届かなかったりする返信内容に一喜一憂するのだから、あながち使っていないとは言い切れない。だって、ラクだし。
ただ、いまさらな話を進めると、メールでの会話というのは字面だけどを追っかけるので、送った相手が思い込んでいる気持ちがそのまんま完パケで相手に届くとはかぎらないところに危険をはらんでいる。イージーなぶん、使いようによっちゃ誤爆しちゃうのである。
たとえば、
「西川口のキャバクラはいいよ」
というメールを送ったとすると、受け取った相手は、
「西川口のキャバクラは良いからお勧め」--Aタイプ
「西川口のキャバクラは良くないから拒否」 --Bタイプ
の2通りの解釈をすることになる。
恐ろしい話だ。夜の遊園地というのは男子のオアシスなんだから、ここは是が非とも真剣に考えなくちゃいけない場面だ。そういう時に紛らわしいメールは送っちゃイカンだろう。
ちなみにAタイプは「普段はあんまりキャバっていない人」でBタイプは「ピンク産業の最近の事情に明るい人」ということになる。どーでもいい話だが。
まあ、とにかく、メールの文章ってラクチンなようで、相手がちゃんと解釈しているかわかんないので意外と難しい。
ましてや、間違いようのない一言でも届かないことだってあるのだから。
僕の友人は「キャバ嬢にさー、いっつも『愛している』ってメール送ると『うん、ワタシも愛している』って返ってくるんだけど、全然会えなくて、たまに電話あるかと思えば『今日、同伴お願いしていい?』の一言だけなんだよねぇ」とボヤいていた。
それを聞いていた自分は顔で笑って心で泣いて、ふと思った。
もはやこの『愛している』には、何の効き目もないし、何も期待ができないんじゃないかと。
これは、もう、近所のオッサンオバサンと交わす「今日もよく晴れましたねぇ」とか「なんだかすっかり冬めいてきちゃって」という季節の会話みたいなもんである。
愛のバーゲンセール。会話のジャブ打ち。
ブラジャーのホックを外すのにあと3年掛かりそうな台詞である。
そして、こういう時のメールは、送るほうもラクチン気分で鯛を釣ろうとして、スイートを味わおうとしているから、結局、それ相応のぼた餅しか得られないという図式になる。ローリスク、ローリターンだ。
僕が友人にそう説明すると、眉間に皺を寄せて深い洞察を重ねたと思いきや、フル笑顔で「うん、わかった・・・ それじゃあ、俺、あの子にさっそく年賀状書いてみるよ!」と言ったので、とりあえず殴っといた。
今年もいよいよ残り僅かになったというと、歳末ならではの言葉で、折りしも我が家の向かい側にある団子屋さんが<正月用の切り餅あります>と看板を出したりすると、いよいよだなぁと肌で感じる次第である。
商店街のジングルは12月24日前ということもあり、クリスマス一色なのに、街全体の雰囲気は、大晦日と元旦がメインというのも愉快である。
ところで、「クリスマスの過ごし方」というアンケートでは、<家族といっしょに過ごす>というのが回答の圧倒的首位を独占(73.9%)で、自宅で聖なる夜を過ごすというのを、みんな望んでいると、先日ニュースになっていた。
この回答は、バブル時代の一瞬をかすったことがある僕ぐらいの世代では、ちょっとした事件&衝撃で、というのも、バブルが弾けたあとの不景気的のころ、バブルの余韻というよりはその亡霊を追っていた世の中ですら、クリスマスというのは<恋人と一緒に自宅以外で過ごすもの>で、どちらかというと「性なる夜」ぐらいハメ傾向の強い特定日だったからである。
相手がいない連中は、クリスマス前の数週間に合コンの予定をいれたりして、突貫工事のように即席で相手を見つける有様だった。
それほど、この日は逆に言えば<家以外で過ごす>日だったのだ。
コンチネンタルのホテルを予約して、摩天楼を眺めつつ、クリスマスを祝い、時計の針が24時をしめした宵の刻に、赤と緑のリボンでおっぱいを結んだ彼女が「プレゼントは、わ た し」と言ったとか言わなかったとかという詰まらないパーティジョークが流行った時代である。
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そんなふざけきった時代のふざけきったクリスマスイブ、先日既婚した友人と僕は12月24日の晩に、渋谷の宇田川交番の向かい側にある居酒屋で5on5の合コンを開催したことがある。
クリスマスに合コンをしませんかと誘って、そのお誘いに応じるくらいのキャパシティを持ち合わせた女子は、やはり<その場とそのタイミングに相応しい>女子が集まった。
ルパン三世の五右ェ門が所有する日本刀は雪を溶かす不思議な刀だったけれど、この日の女子達は「そんな格好してるけどカルフォルニア帰り?」と尋ねたくなるぐらいチラリズム全開で、僕らの寒いハートを溶かしてくれた。
もちろん終電で帰りますなんていう、たわけた発言もなく、西武池袋線の椎名町にある友人宅の2次会もへっちゃらな連中だった。
つまり、こんな薄っぺらい合コンが開かれるぐらい、クリスマスというイベントは、自宅で過ごさないことが様式美として一目をおかれ、最重視されていた。
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だから、たかだか10数年あまりで<家族といっしょに過ごす>という、世間のクリスマスへの嗜好が変化するのは単純に面白い。
ボトム階層では経済的に支出の幅が不景気と変わらないとか、こういう「自宅回帰」の話題が登場すると必ず小難しいエコノミーな発言が出てくるけれど、まあ、それは置いといて、感慨深い何かがあるじゃないか。
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といいつつ、そんなかくいう僕も、クリスマスイブは決まって実家近くのジャズバーで過ごすというのを5年ぐらい続けていたりするので、今年は24日が日曜日だけに、どうしたもんかなと思いあぐねているところだ。
いっそ、全裸姿で腰の部分にトナカイの頭をくっつけて、鼻に割り箸を差した状態でラフィンノーズの「聖者が街にやってくる」を爆音でかまし、サンタのコスプレパーティを自宅で開催するというのも、世の風潮に倣い<自宅回帰>を尊重しているし、好景気を予感するようで良いかもしれない。
人という生き物は賢いのか賢くないのかいざ知らず、とりあえず言葉を通じてコミュニケーションを図れることができる動物だ。たとえその言葉が場違いで見当違いだとしても。
言葉というのは無力だと某新聞の広告じゃないが、それはしょうがない。そんなシーンだってある。
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都立※☆◎高校。
僕が通っていた高校は、入学したての頃はみんなそこそこの頭脳だったのに、卒業する時はかなりの馬鹿に仕上がるという学歴社会にまるで同調していない高校だった。
過去を懐かしむとか、自分を特別視とか、決しておおげさな表現ではなくて、アメリカンミュージックの言葉を借りれば、求める求めないにかかわらず、セクース・ドラァーッゴ・ロケンロールのお得なセットがリアルにばっちり揃っている高校だった。校長は入学式の時に「我が校には進学を阻害する3つのBがある。バイク・バイト・バンドの3つです。みなさん気をつけてください」と言ったが、残念なことに我々が気をつけなくちゃいけないことは、ほかにもたくさんあった。
制服が無ければ校則も無い。それに加えて肝心な脳味噌が見当たらない最果ての楽園だった。
見知らぬおばさんのキャッシュカードを盗み使ってATMから現金を引き出したおかげで、学校に私服デカがやってきたり、校舎から離れている部室では独特の鉢植えがすくすくと育つかと思えば、ある朝学校を訪れると理科室の引き出し全部にウンコがつまっている怪奇現象が生じる。
23歳と年齢を偽って某ハコで回している1学年先輩がジャックするお昼の校内放送~ハウスバージョン~は毎日流れ、キャバクラバイトに明け暮れて教師より金回りが良い女子、パンツの販売に夢中なコギャル、熱心な保健体育の授業を勝手に開催してくれる22歳の保健室のお姉さん(のちにクビになる)、夜中にハメまくっていたカップルが次々と発見されたせいで10年近く修学旅行が再開のめどが立たずと、そんな感じだった。
当然、ノータリン高校に3年間通学したところで、裏金を用意しない限りは希望の大学には入学できないわけだから、進学を目指す者はみな玉砕して浪人生となり世に放たれた。
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高校卒業後の4月、僕らはみんな河合塾@千駄ヶ谷に通った。いまも昔も大して変わらないように、予備校といえば代ゼミと河合と駿台が三大予備校で、僕らの高校はなぜか河合塾に集中した。
しかし、3年間に蓄積された習性というのは恐ろしい。ここで心機一転し、襟を正して勉強に勤しむと思いきや、そんなことは微塵ほどで、僕らが懸命になった方面は主に現役女子高生との思い出作りだった。
日の出女子、渋谷女子、品川女子に実践、東洋英和エトセトラと、模試ではお寒い結果でもコッチ方面の偏差値は高いスコアをたたき出した。
その僕らの高校の同級生の一人に、鬼なのか馬鹿なのかコイツは?という N島君という男がいて、彼は本当は猿が洋服着ているだけなんじゃないかと心配する声があがったほどのチン オブ ヤリで、勉強しないくせに自習室の帝王だった。
彼が手をだした高校3年生の女子だけで1クラス編成できるわけなんだけれど、そのうちに<制服の丈はミリ単位で短くて、ガンダムに登場するドムみたいなルーズソックスを履いているマン オブ ヤリにみえて、本当はウブだった桐蔭女子のコ>がいた。
顔立ちはそんなにクッキリな部類じゃなく、どちらかというと化粧だけが派手なY子に<大人の世界>と<生命の神秘>をみっちり叩きこんでしまったN島君は、案の定、自習室に行けばY子がくっついてきて、中庭に行けばY子が先に待っているという予備校おしどり夫婦の道を一歩ずつ歩みそうな勢いだった。
もちろん、モンキーマジックなN島君はそのようなシチュエーションを小指の爪の垢ほど望んじゃいない、なにしろY子のクラスメイトが巨乳であるのを知った段階で、「いっただきまーす」と言いたくて目尻をさげる人物なのである。
2ヶ月ばかしこのような綱渡り的な予備校生活に異議申し立てを起こしたのはY子が先だった。
女子の勘は鋭いというか、これで気がつかなきゃ相当のマヌケだったか、とにかくY子はN島君は本当は私のことを好きじゃない、それどころか他にもオンナがいるし、事実、股が何本も掛けられている!と分かり始めた。
こういうときの女子というのは、白黒ハッキリつけることに関して言えば天下一で、秋空が冬に移ろいを変えようとしている某日の予備校の中庭で、夕方18時半から突然の公開式証人喚問がはじまった。
「最近、なんか冷たいじゃん。どうしたの。なんかあった?」と新妻風に問いただすY子がリードするにこやかムードで進んでいた尋問も、N島陣営の「いや、べつに日本史にしようか世界史にしようか迷って」とか「そんなんじゃないよ。最近勉強に身が入ってさ」と、あてずっぽう&いまさらな回答がオンパレードになるにつれて、だんだんと殺伐とした雰囲気になってきた。
こんな面白いイベントが、そんなに転がっているわけでもないので、僕らは彼らを刺激しないように50メートルぐらい離れたベンチに座って一挙一動を観察していた。
小さい声だと聞き取れないんだけれど、エスカレートし始めたY子の声は誰にでもヒアリングできた。
「じゃあ、なに?好きでもないのに私とやったわけ?私、あなたが初めてだったのよ!」とか「そうやって他の高校生も同じように喰ってたんだね。へー、それって遊ばれたっていうこと?」と予備校内の会話としては痛すぎる17歳女子の声が響き渡った。
N島君は完全にしな垂れているだけで何も言い返せなそうだった。
「私と別れるのね?遊びだったのか本気だったのかそれだけでも教えてよ」
罵詈雑言を浴びせきったあとに、ついにY子がパンドラの箱を開けた!
婚姻済みの男女だったら<離婚届け>登場というシーンである。
こういう場合、追い詰められた男というのは、なんて答えるのだろう。ソッチ方面では経験不足なだけに僕らまでもがドキドキした。
ところが、Y子の目が真っ赤に腫れているにも関わらず「うん。遊び」とN島君が答えた。
最強である。
間髪いれずに、昼ドラのごとくY子は持っているカップに入ったコーラをN島君の頭からぶっかけた。
僕らはさすがにのけぞり「うわ、ほんとうにジュースを掛けられるシーンを見たね」と一気に昂奮冷めやまぬ雰囲気になった。
N島君は日本シリーズに優勝した野球選手とそっくりな状態にすっかり変貌を遂げた。彼自慢のアニエスだかビームスだかの真っ白いボタンダウンのシャツが茶色く染まっている。
ブチ切れるのか?謝るのか?中庭で固唾をのんでいた聴衆が耳をかっぽじって傾け、動向を見守っていたら、N島君がしずくを前髪から振り払い、ついにその固く結ばれた口を開いた。
「おっ、おい、これ、コーラかよ!?」
N島君、もうちょっとほかに言うべきことがあるのでは・・・。
満場一致の緩い空気が一気に流れた。
N島君にとって、飲み物を頭から掛けられた行為が問題ではなかった。
頭からかぶっている液体の種類について異論を唱えたのである。
さすがというか、なんというか目のつけどころがシャープすぎて、こっちまでどうかしてしまいそうである。
「ヤリチン馬鹿!」
Y子はもう一度コーラを掛けた。
僕はあとにも先にもいろいろな人のさまざまなダークサイドの話を聞いたけれど、17歳たらずの小娘にヤリチンと蔑まされ飲み物を頭から浴びたという人物は彼しか知らない。
溜飲がさがったのか、気まずい空気に耐え切れなかったのか、Y子は泣きながら中庭からダッシュしてしまった。その日以降、Y子はもう河合塾には戻らなかった。
予備校卒業後の噂によるときちんとした家庭教師を雇って大学受験をしたらしい。
一方、N島君は「コーラってやっぱりベトベトするね」とまったく懲りる様子もなく、翌日以降も自習室の帝王を死守し、股をかけることに熱をいれてた。
白いYシャツはクリーニング屋に持っていったらどうにかなったという。
予備校卒業後、結局、彼はどこの大学にも受からず「南米が俺を呼んでいるかもしれない」と奇怪な言葉だけを残して行方をくらましてしまった。
そして、ファンタならセーフだったのか?それが僕がいまだに考える謎である。
SMAPの香取慎吾を契機に全国的に認知されたマヨラーは、いわゆるマヨネーズ好きが高じて何にでもマヨネーズを掛けて食べる人のことを指して、こんな食べ物にもマヨネーズをかけちゃうの?と不思議がられる位置で食生活を営んでいる。
たとえば香取慎吾は、小さい頃、お腹が空くと雑草にマヨネーズをかけて食べていたという。まさにマヨラーの鏡のような漢(ヲトコ)である。
さて、彼らみたいにマヨネーズ界の総合格闘技に君臨する者は別にして、一般ピープルが〝どこのラインまでならマヨネーズはOKか?〟という命題は、千差万別・十人十色で、オッパイはいいけれど、パンティーはダメよという、夜のお店の「ないようにみえるけど、じつはしっかりあるボーダーライン」に相通ずるといってもおかしくはない。
たとえば粉モノの食べ物ひとつあげても、関西風のお好み焼きにはマヨネーズをかけても、広島焼きにはかけたくない、もんじゃ焼きにいたっては、マヨネーズなんてかけたらブッ殺すというのが、僕の線引きだ。こういう線引きはいたるところに引かれていて、思い巡らしてみると面白い。
個人的に、この人ってマヨラーだなぁって思うラインは、〝白いご飯にマヨネーズ〟あたりが有資格者だと考えている。
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そのマヨラーについて、わりと深い部分まで洞察している山本隆という学者がいる。
「脳と味覚」という著書もあって、美味しいとなんで食べ過ぎちゃうの?という疑問を科学的に考察しているんだけれども、この人が掲げる説のひとつに、うまみ成分=快楽物質がある。
つまりは、舌を通過して美味しいと感じている味情報は、脳内のβーエンドルフィンを刺激する受容体に作用するので、依存症や嗜癖性を引き起こすという内容。
砂糖などの甘み、肉類などに含まれるイノシン酸、昆布とかのグルタミン酸などは依存性がある。
マヨネーズには大量の油が含まれていて、食べるとその油が脳内に味情報として届いてβーエンドルフィンの分泌量を増大するので、マヨラーを生み出すという論理だ。
ようするにマヨネーズ依存症である。
そう考えてみると、バリニーズなんてのは、あらゆる料理に味の素をぶち撒いて食べているので、あれも一種の依存症のたぐいだろう。クタビーチで食べるナシゴレンなんかは、ベロがびりびり痺れるぐらいだし。
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まあ、それはさておき、近い将来には、きっと、マヨネーズの使用量は厳しく制限されて、もちろん医師の指導や判断の下で正しく処方されないと罰せられるようになり、保険証の提示がない限りは入手することも事実上不可能。だから、北朝鮮製のまがいものマヨネーズやら地下組織が精製した非合法なマヨネーズが暗躍跋扈するようになる。
すぐに社会問題に発展し、『福岡県沖に北朝鮮製とみられる大量のマヨネーズか?』みたいなニュースが連日連夜、新聞やテレビで報道されて、そのうち政府が「マヨネーズの取り扱いに関する禁止法」を立案するだろう・・・と心配しまくることを杞憂(※)というので、マヨラーのみなさん、たぶん大丈夫です。
※杞憂
大昔の中国のどっかの人が、空が落っこちてこないかスゲー心配して寝れなかったりどうかしてしまったりしたという故事に由来。取り越し苦労の意味。
Webにもあるんだから、俺にも。
*
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<俺2.0>
・鏡で見たら、微妙に昨日よりイケてる気がする。
・歩いていても靴紐がほどける気配がない。
・普段は満員電車な通勤がすぐに座れた。
・でも、目の前に妊婦さんが立ったからすぐに譲る。
・所帯持ちも悪くないと思った。
・CISCOで買ってきたイスラエルのレーベルのCDが音飛びゼロ。
・「男はつらいよ」で号泣。
・少しだけ、ほんのチョッピリだけ、ウエスト回りが緩くなった。
・途中駅でお腹が痛くならない今朝。
・突然、三都主に好意的になった。
・糸を垂らしただけで釣れてしまうんじゃないかという入れ食いっぷり。
・ムロアジしか釣れないと思ったらサバが食いついた。
・今日にかぎって〝はぐれメタル〟が一向に逃げ出さない。
・数年ぶりの合コンだからといっても、衰えていないことを認識。
・押入れから出てきたTranswaveのアルバムに久しぶりに聞き惚れる。
・「私、あなたのピロートークでメロメロ」と、田中麗奈がしなだれる夢で目覚める。
・「スラムダンク」で号泣。
・父ちゃんの入れ歯が見っかった。
・さんざん失敗しているカメラの現像が成功。
・ふと、携帯を見ると、キャバ嬢からの着信メールが・・・。
・自動販売機の小銭投入口に投入したお金が返却口から出てこないで買えた。
・すばやさが〝3〟あがった。
・ブラックライトでビカビカ光るスペーストライブにやられない自分がいる。
・慈愛あまねきシヴァ神の御名において、あなたにも神のご加護がありますように。
ジョン:
「さて、アカプルコから持ってきたワインも空けてしまったし、『アー・ユー・ホット?』も観終わったので、そろそろ寝るとするかい、ハニー?」
ハンナ:
「そうね。私もランドリーに全部入れたから片づけが終わったわ。大丈夫よ。もう23時を回っちゃたのね。ウフッ、カボチャの馬車の魔法がとけちゃうわ。ダーリン、寝ましょ」
ジョン:
「よし、じゃあ、僕はテレビを消して我々の楽しいベッドに潜り込むとするよ。そうそう、ハニー、他でもない今宵のシンデレラな君へ特別に伝えよう、今夜の僕は急行列車さ」
ハンナ:
「あら、ジョン、なんだかそれは楽しそうな響きね。でも、どういうことかしら、私達、これから何処かに行く予定なんてあったの?それだったら私も一緒に貴方と急行列車に乗りたいわ」
ジョン:
「Oh,ハニー。それはカルフォルニアで一番美しい君だって叶わない夢なのさ。今宵は僕だけが急行列車さ」
ハンナ:
「不思議。どうしてかしら?」
ジョン:
「駅を飛ばすからだよ」
ハンナ:
「もうっ、ジョンったら」
─Fin.
じつは本当はとっくに死んでいたんじゃ・・・と疑問を禁じえない役者さんがいる。
とうの昔にくたばっているはずなのに、何かの匙加減で、威風堂々と生きているタイプ。
森繁久彌のような不老長寿タイプではなく、その人から漂う〝スメル オブ デス〟が只ならず、うっかりと嗅いでしまっただけで黄泉の国が見えかけてしまうような人が、そんな疑問を持たれてしまう。
バックショットに必ず霊界が映っていて、俗世間の泥みたいな煩悩に200マイルほど乖離している役者。
役者ではないがミスター・スピリチュアルこと江原にはそういったのは感じられない。密に霊界ワールドとコンタクトを取るわりには、彼のあらゆる仕草が強い現世の執着心というか煩悩というふうに脂汗ごとく滲み出ているのが惜しいところだ。
霊界よりも六本木に精通していそうな俗っぽさを持ち合わせている。
その点、丹波哲郎はまるで現世にこだわりがあるように見えなかった(少なくともブラウン管越しには)。
いつだって準備OKだよって感じだ。というか本当はもう死んでいるんじゃ・・・とまで疑いまで掛けられるのが役得というより、彼そのものだった。
こういう疑問は丹波哲郎だけにしか起き得なかった。
*
*
普通、霊界への直行便というのは人生において1回こっきりの搭乗で片道切符なのは、大統領だって首相だって、テロリストだって天*陛下だって変わらないのに、どうも丹波哲郎に限っては、この直行便に何度も搭乗できて、しかも往復チケットを大量に所有しているように思えなかったからだろうと察した。
霊界専用の搭乗ターミナルを所持してるような気配。
もちろん、これは丹波哲郎の映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」の影響が色濃いためである。
映画公開中、レンタルビデオで熱中に見た僕と幼馴染にとって、丹波哲郎は映画俳優というよりは霊界案内人だった。
つのだじろうのキャパを持ってすらこなせない。丹波哲郎彼一人が可能とするジャンルだった。
*
*
ところで、丹波哲郎は僕にとって霊界案内人であるが、同時に屈指の俳優だった。
大人になってから観た「砂の器」、「007は二度死ぬ」、「日本沈没」は懐かしさというよりは、昔の日本にこんな映画あったのかよ、超スゲー!という気持ちが先行した(007は海外だけどね)。
全てに丹波哲郎が絡んでいる映画だ。
セリフというよりも身体全体を行使して体現する演技は身震いする。
僕らの合コン言葉に、誰それがいる合コンは賑やかで華やかになるという、合コンが〝立つ〟キャラがいるが、丹波哲郎はまさに映画に登場すると作品が〝立つ〟役者だった。
本当に心から冥福をお祈りする。
各ニュースサイトやらスポーツ新聞の「丹波哲郎、大霊界に行く」という見出しのベタさにあまりにも呆れ果てて、いざなにを書いてみようかと思い、ここまで書いてみた。
*
*
さて話は変わるけど、僕は14年ほど前に信頼する友人とのひょんな会話で「そういえば、菅井きんが亡くなったね」といわれて、「あぁ、そうなんだ」といい、その後の何年間もずーっと信じてきていた。
で、5年ほど前のある日、ポポロン食いつつ、なにげなしにテレビを点けたら、生放送の番組が放映されていて、そのゲストの一人に菅井きんの姿があった。
もちろんその瞬間に無意味に食べていたポポロンが空中を舞い、心臓が止まりかけたのは言うまでもない。
まさに片道切符でうっかり搭乗するところだった。
手元にある長距離バスの往復チケットを使っての一人旅行。
それだけで自分がとってもワイルドな男(「出ていきなさいよ。この甲斐性なし!」といわれて何処にも行くところがなくて逃避しているザマ)になれた気がした。
あばよ、東京砂漠。
そんな別れを告げてバスに飛び乗る。荷物なんていらない。行き先なんてどこでもいい。それが一人旅。
八王子を抜けて中央道を突き進む長距離バス。渋滞の様子すらなく順調だ。 背中でどんどん小さくなってゆく摩天楼 オブ ビルジング。地方ナンバーがあふれるハイウェイ。旅心が私をくすぐる。
しかし、だんだんと農家やら山道が目立つようになるにつれ、都会から離れると、ワイルド気分の効きが薄れてきたのか、勢いよく飛び出した自分に不安を感じてきた。
いや、それ以上にバスの中ってやることがねぇーー。
つまり暇になった。
普段であれば気の利いた文庫本もザックに納まっているわけだが、あいにく今日は野趣に満ちた一人旅。
握り締めた現金だけが俺の持ち物。
ここはひとつ男らしく回想に耽って身をバスに任せてみることにする。
もしもこのバスが港から出発する船だったら?
なかなか楽しい回想だ。日夜行なわれるカジノゲームやビンゴ大会。
かけがいのない息子を自動車事故で失った大富豪との出会い。
デッキで太平洋を眺めている私に「ジョン。生きていたのかい。ジョン」と突然泣きすがる紳士。突然の声に驚く私。
「いや、取り乱してすみませんでした。てっきり死んでしまった息子が生きていたのかと思いまして。ジョンが生きているはずなんて・・・。私もどうにかしてました。それにしても死んだ息子にそっくりだ。お名前を・・・」
なんだか素敵な物語だ。私は大富豪の養子(ジョン2号)として迎え入れられ余生をエンジョイするだろう。
もしも山岡が・・・?はっ、私は何を回想しようとしているのだろうか。
頭の中に美味しんぼにでてくる山岡が突然と浮かんできた。
もしも山岡が豆腐じゃなく石鹸を食べたら?
回想というよりはもはや妄想が止まらない。
社主が開催した〝豆腐の食べ比べ〟試験でブクブクと泡を吹く山岡。
新聞社の威信をかけてグルメチームを作ろうという時に「おい、山岡!それ豆腐じゃなくて石鹸だぞ」と富井文化部副部長にしたためられる山岡。
そんな風にして第1回がスタートする美味しんぼ。
「山岡さん、まるで蟹みたいよ」栗田ゆう子がせせら笑う。
スチャラカ社員というよりはコミカル社員だ。
つかそんな奴がいるわけない。私は次の回想に移ることにした。
もしも・・・。
これこそ定番だろう。
もしも田中麗奈が私の嫁だったら?
なんて素敵な回想だ。
万分の一以下とも言えども可能性がないわけではないところがナイスだ。
「麗奈、芸能生活、疲れちゃった」と肩にしなだれてきたら!?
心臓発作を起こすだろう、きっと。
うん、念のためにバスを降りたら救心を買っておこう。マツキヨがあるといいが。
いや、それよりもすでに田中麗奈は私の近くにいるのかもしれない。
隣の席!!
私の隣の席には誰かが座っているじゃないか。
麗奈も一緒に一人旅。二人揃って二人旅!
私は目を開けて背筋を伸ばすフリをして隣の席に目を光らせてみた。
ガビンッ。
繁殖期のトドみたいな女子が震度3ぐらいの揺さぶりをかまして泣いていた。
田中麗奈の3人分ぐらいは目方がありそうだ。
what? 私は思わずシャウトした。
そして続けた。
「ど、ど、どうしたんですか?」
ワイルドな男はそんな女を本来ならシバキ倒すところだが、私はいたたまれなくてつい言ってしまった。
鼻水と涙がアゴの下で合流して第4級河川のごとく濁流していた。
「お腹空きすぎて、胃が痛いんです」
すきっ腹!
トドは腹ぺコで泣いていた。
そして足元にあるのは食べ終わったであろうチョコリングの空袋。
それ食ったんじゃ・・・?ワイルド男は疑問を持った。
でも突っ込めなかった。
「そ、そうなんですか。あいにく現金しかなくて」
私の精一杯のやさしさだった。
ノット飯島、バット長瀬。
*
*
愛は地球を救う。
24時間テレビ。そろそろそんな季節がやってきた。
この番組が放映される頃になると、ぼちぼち夏も終わりかなと思う。
黄色いTシャツとサライがどうのこうの。
みんなは今年もマラソンを観て、感涙するのだろうか。
僕自身はきっとしない。今風に言うと「っていうか、泣くのとか、マジ無理っ。超ありえなくね?」である。
僕はどうしてかこの番組が小さい頃から苦手だった。
怖いのだ。例の世界各地の荒んだ現状をありのままに放映するあたりが。
何処の国の映像だか分からないアフリカの飢餓の映像。
真っ黒でガリガリに痩せて、栄養失調でお腹が膨れた子供に大量の蝿がたかっている映像。
アルミの皿に乗っている、とうもろこしの粉を溶かしたような液状の不味そうな食事。
悲惨とか可哀想というのを超えて、とにかく印象は「超怖えーー」だった。
なんとかしなくちゃという気持ちにすら、なりようのない衝撃的な映像。
あんなの見て少年に慈愛が芽生えるとでも思ってるのだろうか。今でも不思議でたまらない。
僕の残っている記憶は「とにかくアフリカには行っちゃダメ」というまるで逆の思い出しかない。
そして、同い年くらいの子がビンに詰めた一円玉を武道館に持ってくる映像。
お小遣いの有り金を全て駄菓子とマンガに使い果たしている自分は、まさにダメダメちゃんじゃん!としか思えない感じだった。
僕にとって辛い24時間だ。
とにかく小さい頃からこの番組が苦手だった。
何も学びようがなかった。
あれだけ愛だの自然だの騒いだ翌日のギャップのある番組編成も怖かった。
え?昨日の高まった精神の行方は?
大人の恐ろしさを垣間見た。
世界中でその日に一番暇をしている連中が武道館に集まっているって評したのは、たしかリリー・フランキーだっけか。
*
*
それにしても愛で地球は救えるのだろうか?僕はそうは思えない。
愛は大事だ。
でも愛だけじゃ地球は救えない。
以前にトランスのパーティで、踊ってチベットだか地震のあった国だかを救おうってイベントがあった。
Save For ○○とかっての。
僕といつも一緒に踊っている1コ上の友人は大笑いした。
踊って救えるんじゃ世話ねえよ、と。
でもそれほどまんざらじゃない顔して、いかにも本日は救ってますみたいな連中が多いのがビックリした。
浅はかなノリ。
僕らが一番毛嫌いするパターンだった。
救うのだったら最初から踊らずに何か助けになることをすればいい。
エクスキューズを簡単に得ているその雰囲気が白々しかった。
祈れば地球がどうにかなる、こういうのもダメだ。
すべての共通項はおそらく〝平和〟なのだろうけど、平和というのは、もっと現実的にシビアな問題だ。
*
*
インドやアジアの旅している連中が、日本のサラリーマン社会とかと比較して、アジアで出会った現地の連中は真の豊かさを持っていて、お金じゃ得られない幸福を得ている。それにしても日本は何だろう?お金があっても幸福じゃないじゃないか、とステレオタイプに評する。
おいおい、ちょっと待てよ。本当にそうなのか?
君が見た連中は本当に豊かそうだったのか?
君が感じた印象は先進国からの見た視点じゃなかったのか?そんな風にいつも思う。
明日のパンも食べられなくて、親が誰だか分からずに雨風しのげる家もない状態で、祈れば地球は平和になりますね、それにしても貴方達は平和で豊かそうで羨ましいなと言われたら、僕はきっとそいつの顔めがけて拳を固くするだろう。
祈れば平和になるという考えにいたるまでには、充足しなくてはならない要素が確実に存在する。
衣食住も適度に保証されていて、それでいて適度に文化的な位置付けにあって、初めて祈りの大切さを感じることができる。
全てが適度に充足していれば祈りは必要ないという逆説的な意味じゃない。
祈りは疎かにできないものだ。
ただ祈りの意味合いを履き違えてはいけない。
祈ればいずれは平和になるという考えじゃダメだということだ。
祈りながら平和に近づくという過程が大事なのかもしれない。
そこの君、旅先で上目線で見ていないか?
そいつはけっこう格好悪いぜ。
*
*
平和の二重構造。
僕は初めてアジアに行った94年ごろから感じていた。
明らかに先進国と第三国では求めている平和の質が異なる。
簡単に説明すれば、内的豊かさを求める先進国と外的豊かさを求める第三国だ。
どちらが正しいとか間違っているとかじゃない。
僕の周りにいるスピリチュアル系のみなさんが祈りの大切さを説く理由もわかる。
外的充足が満ちている証拠だ。
しかし、先進国として内的豊かさを追求しようとすると、いずれ共産主義的な理想を求めがちになるという危険性も含まれている。
つまりは、自由、平等で戦争がなく、自然と共存するユートピアを求める。
でも残念なことに、そこには過程としての〝資本主義における市場経済〟が抜け落ちている。資本主義がマルクスの掲げた共産主義に移行するには成熟した資本主義を待たねばならない。
簡単に端折って説明すると、これが僕の先進国の平和構造に対する結論だ。
*
*
じゃあ、愛ってなんだ?
愛だけじゃ地球は救えないのかもしれない。
でも矛盾しているけど最後にモノを言うのは愛だ。
そう思う。
「All you need is love」とジョンは1967年に衛星中継で歌った。
たぶん、その愛は地球を巡ってそのあとに生まれた僕らの元にも届いている。
愛は巡る。
目に見えないけれども、たしかにそこにあるパワー。
*
*
何かの本で読んだが物理学上で測定でききれないベクトルのパワーがあるのだという。
愛をどんどん微分積分してゆくと、いずれ青空に近い淡いグラデェーションの波形になるんだとか。なんか素敵な話だ。
*
*
ちなみに愛については、飯島より長瀬に一票。
ホッテントットという言葉が耳から離れなくなって早くも1ヶ月が経とうとした。
30日間ずーっと頭の中でこだまし続けたというのにも関わらず、あっという間だったような気がした。
私は1ヶ月前の日曜日、雨が降っていたせいもあって、何処にも出掛けることなく本棚にある『コージ苑』に無意識に手を伸ばして読み耽った。
その中にホッテントットを題材にした4コマ漫画があったのである。
それからだ。
私の頭の中で何かがあるたびにホッテントットという言葉が鳴り響いたのは。
最初の頃、私はとてつもなく困惑した。
何しろそれまでにホッテントットに興味を持ったこともないし、そもそもアフリカにだって行った事がない。テレビで観るサンコンさんがアフリカ出身ぐらいだな程度しか馴染みが無いのだ。
しかもサンコンさんがホッテントットなのかどうかも知らない。
たぶん違うだろうし、ホッテントットだからといって、私とサンコンさんに縁があるわけでもない。ブラウン管越しに見かけるだけだ。
そんな私がいつまでも頭の中でホッテントット、ホッテントットと呟いている。
焦らないほうがおかしいだろう。
ものすごく悩んだ。
限られた友人に相談したし、病院に行くことだって考えた。
友人達はどうやら私の告白を〝あるあるネタ〟と勘違いして真剣にとりもってくれなかった。
「そうそう、そういうのあるよね。私なんかこないだずーっと〝せんだみつお〟って言葉が離れなかったの。」
ナハナハ。そうではない。
私は30日間ホッテントットに苦しめられているのだ。分かって欲しい、友人達よ。
病院、これはちょっと躊躇する。なんと言えばいいのだろうか。
「すみません、私、頭の中でずーっとホッテントットって言葉が繰り返されるんです。いや、アフリカに行きたいとかっていうんじゃないです。はい」
微妙だ。どんな治療が待っているのか想像すらも放棄したくなる。
10日も過ぎたこと、フロイトになぞらえて「もしかしたら私の潜在的欲求意識なのかもしれない」と踏んで、ためしにインターネットの夢判断とかでホッテントットを調べてみたが、私を納得させる情報は見当たらなかった。
ホッテントットにリズムが似ている『コットンサック』や『すっぴんごっこ』でも無理だった。
だいたい、なんだ。すっぴんごっこって。どんなプレイだというのだ。倦怠期のカップルじゃあるまいし。訳が分からない。
悔しいから〝ホ〟で始まる『布袋さん』で検索したら、<お正月に布袋さんの夢を見るといいことがあるでしょう>って結果が出たから少し落ち着いた。
でもよくよく考えたら私が悩んでいるのはホッテントットであって布袋さんじゃないし、いまは8月なんだからまるで関係がないって分かって、結局もとの木阿弥だった。
15日目、私の状況はいよいよ深刻だった。ホッテントットはどんどん一人歩きして、みんなが喋る言葉の後ろにホッテントットと付け足されて聴こえてきた。
「いらっしゃいませ、こんにちわーホッテントット」、電車に乗れば「次は~日本橋ー日本橋ーホッテントット」。
周りの人間が誰もクスクス笑わないから、私のみの現象と気づいた。
ここまでくると、あとはどれだけホッテントットを受け入れるかどうかだ。
そして、会社でも上司が「む。次の会議は何時だったけな、ホッテントット」と言ってきた。
私は念のために上司に「いま、ホッテントットとおっしゃられましたか?」と聞いてみた。
もう答えはお分かりだろう。
上司は「ホッテントット?、いやまさか、なんでそんなことを私が言うんだい。会議の話をしているではないか。ふざけすぎにもほどがありますよホッテントット」と言った。
ついに私はあきらめた。
ホッテントット、万歳。
しかし、私は会社で経理を任されている。結婚相手と呼べる彼氏もいない。
仕事に影響しないよう心から願った。生活しなくてはならないのだ。
だが現実と言うのは時に残酷である。
先ほど業務で使用しているExcelのフォームに数字を打った。
45621478と。先月の会社全体で掛かった経費の数字だ。
そして数字の末尾にホッテントットと入力された。
いったい、いつまでこんなことが続くのだろうか。
資料ひとつも作れなくなってしまった。
この文章だって恐らくそうだろう、もう私には分かっているのだ、この文章に何が付け足されるのかを・・ホッテントット、ホッテントット。
「ねえ、初恋の味ってどんな味?」と、ペン子は夕陽が沈む水平線を眺めて訊ねた。
隣には同じクラスのハン太が座っている。友達と旅行すると親に嘘ついて出掛けた一泊二日の伊豆の旅行。
とても遠くに来てしまった気がした。学校では知ることのないハン太の素顔がたくさん見れた。
ハン太は初恋ってなんだろう?と一瞬悩み、そして思った。
初恋の味はカルピスの味だよと。きっとそうなのだ。
「そうだなぁ、初恋の味はカルピスの味だよ」
ハン太はまっすぐにペン子の眼を見つめて答えた。うふふとペン子が笑い、ハン太の肩にもたれ掛けた。ゆったりとした恋人同士の時間が流れ、いい感じの雰囲気になった。
しばらくして、ハン太がわざとらしく大きな声を出して言った。
「あ、一番星だ!」
ペン子はドキッとした。一番星?私も見つけたいわ。
「何処に見えるの?」
ハン太は笑顔で答えた。
「空を見たってまだ見つからないさ。なぜなら君が僕にとっての一番星だ・か・ら・ね」
親指をグッと突き出す。
ペン子が頬を赤らめたのは決して夕陽のせいだけじゃなかった。
「もう、ハン太さんったら。いやん」
*
*
こんな爪の先にまで毛虫が這いずり回って痒くなるようなシチュエーションにも登場し、恋のおたすけアイテムで初恋フレーバーといえば、やはり誰がなんと言おうと、それは〝カルピス〟である。
とにかく初恋の味といえばカルピスの味だ。
初恋がどれくらい甘酸っぱいのか知らずに、キャベツ畑で赤ちゃんが生まれていると信じていた時代、すでにイコールで結ばれていた。
コマーシャルでもそう言ってたし。
そして同様に夏といえばカルピスでもある。
*
*
東海林さだおが多くのエッセイで書いているように、幼き頃、カルピスの希釈についてはさまざまな制限があった。
微妙な匙加減で1滴2滴を争い、決して濃いカルピスは飲めなかった。
原液に近いカルピスというのはコップ一杯に丸々注がれたヤクルトと並んで幻の飲み物だったのだ。
納屋にたくさん戴き物のカルピスの瓶があるというのに、〝薄め方〟に関してはスパルタン。
あるいは、あんまり濃い味で飲ませたらいけないという配慮もあったのかもしれない。
いずれにせよ、1人っ子じゃない僕は従姉妹や兄弟を合わせると9人いたので熾烈な争いがあった。
田んぼで遊んでいる瞬間に、従姉妹のお姉ちゃんに奪われたなけなしの一杯は痛恨の思い出である。
そして大人の階段を1段飛びで駆け上がって成長するにつれて、カルピスは遠のき、暫くの間、コーラやドクターペッパーやチェリオに浮気をした。
炭酸最強時代の到来だ。
カルピスはガキの飲むお子様ドリンクと考えて、ナイフみたいに尖がっては触るもの皆傷つけ、盗んだバイクで走り出した15の夜 オブ ガラスの十代。
*
*
ところがカルピス自身は黙っていなかった。
我々が浮気をして、ウツツを抜かしている間も、己を磨いては鍛錬していた。
昔別れた女子にたまたま再会したらバージョンアップして可愛くなっているように、「私、すぐにいただけちゃいますわ。ウフ」と、自らネグリジェを纏って缶に入って現われた。
えーっ、あの頃のペン子じゃない!ハン太だったらきっとそう言うだろう。
それが〝カルピスウォーター〟だ。
この登場は本当に衝撃的だったといまでも思う。
自分達がする筈の手間がカットされたのだ。
かき混ぜ済みの納豆が販売されたら、きっと同じくらいビビるだろう。
それぐらいの驚きがあった。
しかも天然水だかアルカリ水だかの、なんだか分かんないけど〝水道水じゃない水〟で薄めてあるし。
おかげさまで街中でも手軽にカルピスが味わえるようになった。
先日まで家の中でしか飲んでいなかったプライベート臭が漂うドリンクが公に現われた驚きもあった。
家じゃないのに、あのカルピスが・・・である。夏の夕暮れに戸外で飲むカルピスは格別だ。
*
*
ところで〝カルピスウォーター〟は発売されてから15年経つそうだ。
だとすると、今現在、盗んだバイクで走り出している若人は最初から缶に入っているカルピスを知っているということになる。
下手すれば薄めてないカルピスを知らない子もいるだろう。
そういう子を見かけたら瓶に入ったカルピスを見せて、<独自ルートで入手した工場でしか置いていない幻のカルピスの原液>ぐらいの嘘はついてみたい。
そして恐らくは、こういうのこそジェネレーションギャップというのだ。
心配する声が洩れていようが、今年も例年と変わりなく海へと出向いた僕と友人2人。
今年はせっかくだから毎年訪れている茅ヶ崎より先に行こうということになり、半島の手前ぐらいまで行って泳いできた。
いつもと変わらないゲーム(ひたすらワカメをぶつけ合うワカメゲーム)も、お決まりのジョーク(お菓子のコロンを太陽の熱で暖めたあとに、ユルユルになったゲル状のコロンの中身を寝ている奴に吹き付ける)も終了して、3時ぐらいには海を上がりご飯を食べようということになった。
土地勘がまるでない僕らは、友達のエスティマを行ったり来たりさせて、結局、なんだかちょっとはカレーが〝売り〟かも知れない風の店に入って、カレーを食べようとした。
カウンターとテーブルがある店で、時間帯も関係していたせいか、顔見知りの人がビールを飲んでいるだけで、お客さんは僕らだけだ。
旨いのここ?不安になりつつも僕らはテレビの横にあるテーブルに座り、今日の海の出来事や最近の話や昔話をとりとめなくも続けた。
しばらくして店員が(いかにもリゾートバイトをしています的な日焼けしているギャル)僕らのテーブルにお冷を持ってきた。
僕らは何ひとつ悩まずに全員一致で恐らくは〝売り〟であろう、自家製オリジナルチキンカレーを頼んだ。
「かしこまりましたぁ。チキン3つ~~」
店員が厨房にそう告げたあと、僕らはまたとりとめもない会話の続きを再開して楽しもうとした。
「つーかさ、マジでさ、もうアレは水着っちゅうか、法律を潜り抜けているエロだよね」
しかし、そこになにか違和感があった。
お冷が4つ?
僕らは3人で来ているのに、さすがにこれは可笑しい。
注文ひとつ取れない店なのかぁ?それとも、おいおい、巷に頻繁に聞く怪談話かっつうのとか言ってボヤきまじりにギャル店員に「1個多いんですけど」と伝えると、???みたいに首を傾げてその水を取り下げた。
はっ、あいつの態度はなに?
一瞬、そんなことが過ぎった。
しかし僕らは海に来たというエンジョイパワーが効をなして、ウカレ的要素のほうが強かった。
今日、海で見た水着は本当にすごかったのだ。エロカワイイじゃなくて、あれは〝エロい〟なのだ。まだまだ話し足りない。
水なんて何個でももってこい。カレーが来る束の間ですら、お冷1つがギャグに成り代わって会話のネタになっていた。
そして、いい感じのカレー・オブ・スメルが塵のように店の中を漂った。
僕らの期待感がより確信となって高まりつつあった。
ここ、けっこう旨いかも。
で、お腹がどんどん減って、まだかなぁと思っていたその数分後、入り口近くのピンク電話がリンリンと鳴った。
レジ近くに居た女主人が電話を取って何やらを話していた。
「はい、え、・・・ですか?ちょっとお待ちください」みたいな雰囲気で電話を置いていた。
ただ事じゃなさそうなオーラにウカレモードの僕らもちょっと注目した。
「オレオレ〝カレー〟詐欺だったりして」
「ギャハハッ」
しかし、電話を取った女主人が向かってきたのは、僕らのテーブルだった。
僕らはぎょっとした。
「すみません、お客様のなかに***さんっていらっしゃいますか?お電話なのですが」と突然訊ねてきた。
***さんっていうのはまさに僕の友人の名前である。
「え?俺ですけど・・・。」友人が驚きを隠せずにそう言ったあと、だらしなく笑っていた僕らは一気に身体を強張らせた。
え、なに?何が起きてるの?どうして俺らがここにいるのを誰かが知っているの?
全然、状況がつかめない。
3人揃ってしばらく見詰め合うと、意を決したように友人が電話を取りに近づいた。
*
*
これはその友人が僕らに電話の内容を教えてくれたものだ。
先に言うと友人は担がれることはあっても人を担ぐような真似をしないタイプだ。僕は、そう思う。
音が酷く荒れていて、どこか遠い場所からかけてきている様子だったそうだ。携帯の電波が1本ぐらいしか立ってないところから電話してきている感じと、友人は言った。
「も・・・もし・・もし。Aだけど・・・。俺さ・・・ちょっと・・行けないから・・・みんなで先に食べててよ・・・。ごめんな・・・。」
ツーツーツー。
そう言った後、電話が切れた。
「い、いまの電話さ、Aからの電話だった・・。」
顔面蒼白に泣きそうになった友人が残った僕らに言った。
「そんな馬鹿な!」
「聞き間違いだろ」
代わる代わるに僕らが批判した。
「いや・・・・。忘れるわけがねぇ。アイツの声だった」
水を飲もうとしている友人の手がカタカタ震えている。
Aという友人は、僕らが19歳の時、甲州街道沿いでバイクで事故り、還らぬ人となっている。
僕らは3人揃って葬式にも出た。
電話に出た友人はたしかにAと一番仲良かった。
心臓が高まって鳥肌がブワーと立った。
そしてすぐさま、さっきのギャル店員がお冷を4つ持ってきたのを思い出した。
席は僕のとなりだ。
僕らは全員ガタンッと勢いよく立ち上がり、その席を見た。
絶対に濡れていないはずの椅子が海水でびしょびしょに濡れていて、まるでさっきまで誰かが座っていたような様子だった。
カレーの匂いどころじゃない。全身がチキン肌だ。
で、店員がもう一度僕らのテーブルにお冷を持ってこようとした。
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Lesson1 google
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もう周知の事実になって久しいようで、「googleで検索する」という意味の〝google〟が英辞書に登録されている。
過去形は〝googled〟、進行形は〝googling〟だから、規則変化動詞と同じ変化をする。
Googleの検索結果みたいに、〝gooogled〟とか〝gooooogling〟と〝o〟が増えつづける不規則変化動詞だったら憶えるのが面倒だけれども、検索結果っぽいので面白かっただろうと思う。
たとえば、仮定法過去完了「もし(あの時)・・・・してたら、・・・・だったのに」を使うと、こんな風になるように。
<例文>If Nightking had gooooooglen "Tongari-kun",
He could got Milk-chan.「もし夜王が〝とんがりくん〟をググっていたら、ミルクちゃんとウハウハできただろうに。」
*Nightking=夜王
例文でも登場したように、〝ググる〟というのは、日本語の動詞にもなっている。こちらは三省堂「デイリー 新語辞典」に登録されている。
ググるという活用を見ると、日本語では、ラ行五段活用のようである。
つまりは、未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形と並べるとこんな風になる。
ググラない、ググリます、ググル、ググルとき、ググレば、ググレ
ラ行五段活用なので、文語では四段活用になるので、こうやって憶えよう。
ググラず、ググリたり、ググル、ググルとき、ググレども、ググレ
では、ここで問題。
〝あたかも〟と〝ググる〟を用いて適切な日本語の例文を作成しなさい。
××
「たしか、そのアルバムはググるとあたかも」
○○
「彼はあたかもググるかの如く、座っているキャバ嬢を激しくチェックした」
では、今週も元気よく、とんがりましょう!
恐らくは、女子の85%は知らないだろうけれど、男子のライフスタイルにおいて、どのくらい人生をスイートに過ごせるのか、それともスパイシーに溢れた苦難の道を歩むのかというのは、実は〝大事な瞬間にどれくらい収まりのいいチンポジでやり過ごせたか〟で決定される。
入学試験、会社の面接、一目ぼれした女子との初デート。
このように、人生には時として大事な場面が用意されており、男子ならずとも、その場面ごとに上手にクリアすることを求められていて、人もまたそのクリアを求める。
そして、そういった大事な瞬間に〝非常に収まりの悪いチンポジ〟だと、男子という種類の人間は、恐ろしいくらい実力を発揮できずに、モヤっとしたまま大した仕事もなしに、尻すぼみに終わってしまう哀しい種族なのである。
有史以来のほとんどの歴史は、男子のチンポジの後始末で戦争にもなったし、平和にもなったというのは決して過言ではない。
*
*
ところで、「チンポジってなあに?」とカマトトちゃんな女子に念のために説明すると、チンポジというのは、そのままずばり、チン○ポジションのこと。
猫が寝心地のいい住処を探すように、我々のロトの剣もツンパーの中で安息の地を求めて、いろいろとさ迷うのである。
さて、そのロトの剣、ひとたび、さ迷い間違えると、もう大変である。
仙豆を食べていない腹ペコの悟空だって、あれほど弱っていないだろうと思うぐらい、ピヨピヨでグロッキー。
何にも上手いことも言えず考えられずに、アタマの中はポジションのことだらけ。
どのタイミングでどうやって軌道修正しようか、それだけが脳裏をめぐる。
大事な場面でチン○のことに悩殺されている男子が、果たして試験に合格できるだろうか。
言わずもがなである。
それだけチンポジというのは、男子にとって最重要であり、物事が進む前に解決しておきたい問題である。
*
*
そんな話をとある女子に話したら、「私達だって、パイポジがあるわよ」と一刀両断された。
女子もパイのポジション加減で、生活レベルにおいてモヤっとしたり、バシっとしたりしているそうである。
そうだったのか。僕は知らなかった。
女子もポジション問題を抱えていたんだ。
ひとつ利口になった気がした。
1.なんかザリガニっぽい。
2.美味しくない。
3.見た目が蟲みたいでNG。
4.赤と白の配色とお腹の曲がり具合が、どう考えても芋虫。
4.食べると痒くなる。
アレルギー食物の中では意外と上位に食い込むのが、エビや蟹の甲殻類。
トロポミオシンという蛋白質の成分が原因。
甲殻類アレルギーは、これらの食物を食べてしまうと、身体中が痒くなり、唇が膨れあがって、呼吸困難になるという散々なもの。
酷い場合には、三途の河への片道切符がもれなく貰える。
エビとか触ると何故か指先が痒くなる人は、プチ甲殻類アレルギーなので注意。
僕は小さい頃からとにかくエビが大嫌いで、味も見た目もNGだった。
物心がついた時点で食べようとしなかったので、根っからのアンチ・エビ派だ。
やがて小学生になり、好き嫌いを克服する教育の一環で一度だけ食べたところ、身体中が痒くなって散々な目になった。
それから数年後、高校生のある日、当時付き合っていた彼女が「ウチに遊びにおいでよ」ということで、僕は遊びに行った。
ご飯を作ってくれたらしく、テーブルには何やら美味しそうな洋風の肉団子が湯気を立てて並んでいた。「へぇーすごいじゃん」とか言いながら一口食べてみると、何か幼き頃の悪夢が脳裏を霞んだ。
「アレ?なんだろ。この味。なんか変だぞ。なんだっけ」
僕がモグモグと食べている姿の一挙一動を彼女が懸命に見守るので、僕はすぐにピンときた。
ははぁ、これってほんとは海老団子なんだな。
僕はすぐさま聞いた。
「・・・ねえ、もしかして、これ、エビ?」
彼女は「全然違うよ、そんなの。アハハ」と純粋無垢な子犬だってかなわない笑顔で笑い飛ばした。
だから僕も─ったく、俺のバカバカと恥じんで─景気よく笑い飛ばした。
「アハハ。そうだよね」そんなこと、な・い・よ・ね。
でも実際には、これはエビじゃないかと疑い続けていた。
彼女と食事に行く時、僕が「エビが食べられない」というと、しょっちゅう眉間に皺を寄せていたからだ。
好き嫌いは諸悪の根源ともとれるぐらいの考えを持った人だった。
肉に見せかけてエビを混入するぐらいのことは朝飯前にするような人だった。
僕は不安になりつつも、結局、全部の肉団子を平らげた。
それから数十分後、僕の視界がどんどんと狭まってくる。
息苦しい。身体全体が痒いし、内臓の中で毛虫が運動会を始めたような痒みが駆け巡った。
「ねえ、怒らないから言って。さっきのエビでしょ?俺、エビ食べて痒くなったことがあるんだよね」
のたうち回っている僕を見て彼女がポロポロ涙を流しながらこう告白した。
「うん、好き嫌いを正そうと思って、エビたくさんいれたの。」
ごめんね、ごめんねと彼女がしゃくりをあげて泣いている。
やばい、エビで死ぬ。
えっ、もしかして〝エビ殺人事件〟?本気でそう思った瞬間だった。
みなさんもエビにはくれぐれも気をつけて。
2000年11月2日、アメリカのインターネット掲示板に、2036年からやってきたというタイムトラベラーが現れた。
ネット上は大騒ぎになり、たちまち疑問や質問が掲示板に殺到し、熱心な討論が始まった。
4ヵ月後に彼は「予定の任務を完了した」と言葉を残し、消息を絶った。
タイターが残した近未来予言の幾つかは実現している。
・イラクが核兵器を隠しているという理由で第2次湾岸戦争が起きる。
・アメリカ国内にも狂牛病が発生する。
・中国人が宇宙に進出する。
・新しいローマ法王が誕生する。
わりとこういうの大好き。
1981年の今日、ボブマーリーは故郷ジャマイカを離れたマイアミで亡くなった。
享年36歳。
R.I.P.Bob
きっと、僕らは今日一日、あなたのアルバムを流すでしょう。
たとえ、豚の屁を浴びたような朝が訪れようとも、忘れやしない。
心の底から愛している。
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had redemption songs
All I ever had redemption songs
These songs of freedom songs of freedom
Yeeeesss!!! この自由の詩をともに歌おう。