2009年08月02日

ノーマンズ・ランド

ノーマンズ・ランド【2002年 フランス/イタリア/ベルギー/イギリス/スロヴェニア】

監督:
ダニス・タノヴィッチ(Danis Tanovic)

キャスト:
チキ --ブランコ・ジュリッチ(Branko Djuric)
ニノ --レネ・ビトラヤツ(Rene Bitorajac)
ツェラ --フイリプ・ショヴァゴヴイツチ(Filip Sovagovic)
ソフト大佐 --サイモン・キャロウ(Simon Callow)
マルシャン軍曹 --ジョルジュ・シアティディス(Georges Siatidis)


2002年のゴールデングローブ賞、アカデミー賞の外国語映画賞をダブル受賞したボスニア戦争をシニカルな視点で描いた戦争映画。ボスニア側とセルビア側が均衡する中間地点のノーマンズランドと呼ばれる塹壕。そこに取り残されたボスニア兵士のチキは、セルビア側から斥候を命じられた新米のセルビア兵士ニノとばったりと出くわす。一触即発の状態のところに死んだと思っていたチキの友人ツェラがなんと息を吹き返すではないか。

しかしニノは立ち上がるんじゃないとツェラを制する。ツェラが倒れてる背中にはニノと斥候に同行した老兵士が仕掛けた地雷が仕掛けてあったのだ。

チキは老兵士を撃って殺してしまった。彼らの行く末は?国連軍は彼らの仲裁に割って入れるのか。

じつにヨーロッパ映画らしい、シニカルなジョークに満ちた映画である。戦争映画というものの「プラトーン」のような戦闘シーンは少なく、キャラクターの科白回しが中心のコメディに近い映画だ。それでもたっぷりの皮肉を感じざるを得ないのは、そのテーマの重さにあるのだろう。紛争に介入できない国連軍のジレンマ。同国同士の民族なのに殺しあう彼らは、こういった表現は不適切だろうが、ある意味で滑稽なのだ。国連軍が醸し出す大人の事情とマスコミの嗅覚、その狭間に立たされる現場の人間。必見である。

※DVDは絶版。2009年08月現在、数年前に比べて市場に中古が出始めたので買いやすいかも。

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2007年02月15日

となりのトトロ

となりのトトロ【1988年 日本】

監督:
宮崎駿

音楽:
久石譲

キャスト:
サツキ --日高のり子
メイ --坂本千夏
とうさん --糸井重里
かあさん --島本須美
ばあちゃん --北林谷栄
カンタ --雨笠利幸

彼是15年以上も昔の話だ。

山手線の恵比寿駅徒歩5分の場所にある高級マンションが僕らの溜り場だった頃の物語。家賃が22万して玄関に身なりの整った眼光鋭いガードマンが監視している4DKの新築部屋は、援助交際がバレて親に殴られて、そのまんま飛び出したきり北海道には帰っていない眞理子が家主だった。

六本木でホステスをして稼いでいる眞理子は、店のナンバーワンというだけあり、月70万を稼ぐ21歳の色白の女の子で、ブラックライトで光る特殊な刺青をしている極度の中毒者だった。

家賃はパトロンである不動産屋を経営している中年男性が資金を出していると呟いていた。

けど、誰もその姿を見たことがなかった。

眞理子は、10ヶ月の間に2回リストカットして救急病院に運ばれた。僕や僕の周りの連中も同じぐらい退廃してどうしようもない連中だったけど、彼女は群を抜いて酷かった。

つまり、シラフと泥酔している場合の感情の差が激しくて、性的に開放的過ぎてそれでいて寂しがり屋で、激情する度合いの幅が全てにおいて他人を引き離していた。

どうしてこんな奴が客商売出来るのだろうかと疑問だったので、一度本人に訊ねてみたら、眞理子はくだらないこと聞かないでよという表情をして「これに決まっているじゃん」と鼻の下を擦る仕草をし、目くばせした。つまり仕事前に吸引してしのいでいたのである。そういうタイプの女だった。

退廃的な生活が当たり前のこの恵比寿のマンションに思想もなければ理想もなかったし、遊び方や金の遣い方がまるで異なるので、高校時代の友人達と疎遠になったが、それでも僕はここであるひとつの大切な事実を学んだような気がする。きっと眞理子に出会わなかったら決して悟ることがなかっただろう。

いかに人間というのは脆いか、僕は痛烈なまでにそれを考えさせられた。

自我が崩壊して、現実と幻覚の狭間で潰れそうになると、人は自分が死んでいないかどうかを確かめるために、己の肉体を傷つけると、最初に身をもって僕に教えたのは眞理子だった。僕らはその種類の行為の原因を自分のせいにするには世の中を知らなすぎて、他人のせいにするほどの厚顔さは身に着けていなかった。

強力な幻覚作用が僕らの存在を消そうとしていると勘ぐりが始まると、自傷行為をするしか方法がなかった。血を流すことによって自身の存在を再確認するのである。

人間というのは脆い、この時知った。

そして、部屋の片隅にある大きな観葉植物の陰で乳房を露にした格好で体育座りをし、どんな音も聴こえないのに耳を押さえる眞理子をなだめる行為が日常の延長になると、我々自身はますます行く末を失った。

*
*

ある晩、由香という仲間内のホステスが提案した「この映画、誰も死なないから」という理由だけで僕らはビデオデッキに「となりのトトロ」を突っ込んで流した。意識が自己の内面に集中しすぎ、パラノイアに陥るのを何とか防ごうとしたのだ。

成り行きで流したはずの「となりのトトロ」の効果は絶大だった。

映画のおかげで僕らは分裂症に陥って洗面器で溺死するのを防ぎ、それから毎晩ビデオデッキで映画を再生した。

*
*

サツキとメイが登場する、この昭和の平穏な田舎風景を映したアニメーションが、僕らを現実に引き止めていたんだと気づいたのは、もう何年も眞理子たちと遊ばなくなって久しく経った頃だった。

僕は27歳で何とか社会復帰して、普通の生活を営むよう努力していた。ある日、テレビ放映の「となりのトトロ」を観ていたら、記憶の奥底で閉ざされていた映像が突然と脳裏に浮かんだ。

月明かりが差し込む夏の晩、パジャマ姿でトトロと遊ぶ2人の向こう側に、ガタガタ震える眞理子が現われて、そしてほんの一瞬だけ、目に涙を浮かべた眞理子が微笑んで消えた。

僕はリモコンを握ったまましばらく動くことができなかった。

浮かんできた眞理子はあまりにも鮮明で、そして切なかったからである。

続いて、眞理子が「北海道にはね、アイヌに伝わるコロボックルという小人が住んでいて眞理子は小さい時に、本当にその小人に会ったことがあるんだよ」と話して微笑んでいたのを想い出した。

僕らはそんな眞理子の戯言を真剣に取り合わなかったけれど、彼女の屈託のない笑顔は、つかみようがない酷い不安に怯えた僕らを安心させることができた。

もしかしたら本当に眞理子はコロボックルに会ったことがあるのかもしれない、そんなこと思ったら次第に感傷的になった。

その夜、僕は最後まで映画を観なかった。その代わりに自分が分からなくなるほど酒を呑んで泥酔した。

*
*

コロボックルには「竪穴に住む人」という意味があるという。
親御さんに引き取られるという結末で札幌に帰った眞理子がどうしているのか誰も知らない。

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2007年02月09日

スキャナー・ダークリー

スキャナー・ダークリー【2006年 アメリカ】

監督:
リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)

原作:
フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick) 『暗闇のスキャナー』(東京創元社刊)

製作総指揮:
ジョージ・クルーニー(George Clooney)
スティーヴン・ソダーバーグ(Steven Soderbergh)

キャスト:
ボブ・アークター --キアヌ・リーヴス(Keanu Reeves)
ジム・バリス --ロバート・ダウニー・Jr(Robert Downey, Jr.)
アーニー・ラックマン --ウディ・ハレルソン(Woody Harrelson)
ドナ・ホーソーン --ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)
チャールズ・フレック --ロリー・コクレイン(Rory Cochrane)


冒頭に登場する、自分の身体からアリマキ(蟲)が沸いていると幻覚にやられっぱなしのヤク中の男。

シャワーを浴びても浴びてもどんどん蟲が湧く。

ダチに助けを求めて車に乗るが、後ろを走っているパトカーが妙に気になる。

「オ レ の こ と 尾 け て な い か」

そんな風に始まる映画。

過度摂取 囮捜査、そしてパラノイヤ。

原作者のP.K.ディックは本作品についてこのように語っている。

これは行いを
過度に罰せられた者たちの物語。
以下のものに愛を捧げる。

ゲイリーン(死亡)
レイ(死亡)
フランシー(精神病)
キャシー(脳障害)
ジム(死亡)


彼らは最高の仲間だった。
ただ遊び方を間違えたのだ。
次は別のやり方で遊び
……幸せになることを祈る。

─P.K.ディック

監督はリチャードリンクレイター。『ウェイキングライフ』で採用した<ロトショップ>を使って、実写をアニメーション化している。

キアヌリーブス主演。ヒロインはウィノ・ライダー。彼女の名付け親は、ティモシー・リアリー。そして彼の最後を看取った数少ない人たちの一人だ。

有名ハリウッド俳優をアニメーション化という手法の斬新さもさながら、中毒者どものイカれた会話と行動に注目して欲しい。

P.K ディックの「暗闇のスキャナー」の世界観を見事に映像化している。最高の映画だ。

僕は公開が始まった週の休日に時間を作って観に行った。でも、少なくともあと一度は観なくてはいけないと思った。

だって、別のやり方の遊びなんて誰が知っている? 僕の周りの数多くの人も実際に死んでしまった。

つまり、まあ、そういうことだ。

全てのどうしようもないジャンキーどもに。
http://wwws.warnerbros.co.jp/ascannerdarkly/

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2006年08月23日

Last Hippie Standing

Last Hippie Standing【2004年 アメリカ】

インタビュー:
ゴア・ギル
スワミ・ウィリアム
クレオ・オザール

半世紀以上もの間、世界を放浪するヒッピーや旅人を魅了しつづけたゴアのカルチャーを特集したDVDがこの「Last Hippie Standing」。70年代の貴重な映像や、地元民のコメント、ゴアに在住しているヒッピーやトランスのDJ達のインタビューなど見ごたえがたっぷりある。

色あせたカラーフィルムのヒッピー達の映像。男だろうと女だろうと海辺で裸同然で生活している若者。今では見る事のない貴重な光景だ。

ゴアは法律で規制が掛けられたように現在は裸で生活ができない。

これは70年代~のカウンターカルチャーの影響で、ゴアを旅している若者達のほとんどが裸同然でビーチで生活していたからだ。

社会問題的に懸念されて、ゴア州の法律で禁止されるようになった。

僕が訪れた90年代初期でもやはり禁止されていた。アンジュナやカラングートのビーチではトップレスは見かけたけれど、オールヌードというのはさすがに見当たらなかった。

ただし、実はアランボールと呼ばれるエリアではまだ昔ながらの風景が残っていて、そこでは何人もののヒッピー達が世俗を離れて裸で生活している。僕も若かったせいか、アンジュナを離れてアランボールで生活した時期もあった。

さて、そんな聖地ゴアは、イビザ島と同じようなトランスパーティが盛んな場所として知っている人も多いことだろうと思う。もちろん本DVDにはパーティの映像もある。ミレニアムの活気だったカウントダウン、ヘベレケになっているイスラエリの女の子とか。

ちなみにゴアのパーティは70年代当時からジャムバンドの野外パーティが繰り広げられていて、それが大きく成長したのだ。旅人達が持っていたDATテープの交換をきっかけに大々的なテクノ(ゴアトランス)のメッカになった。

そのゴアトランスを黎明期から知るDJゴアギルのインタビューもあるので、ゴアに興味がある人なら見ておいて損はない。

そして、70年代のフリーマーケット。曲がりに曲がったサイケデリックな雰囲気たっぷりだ。お腹が膨れた妊婦さんですら素っ裸でビーチで生活しているのが、さすが70年代である。

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2006年07月24日

ガタカ

ガタカ【1997年 アメリカ】

監督:
アンドリュー・ニコル(Andrew Niccol)

音楽:
マイケル・ナイマン(Michael Nyman)

キャスト:
ヴィンセント --イーサン・ホーク(Ethan Hawke)
アイリーン --ユマ・サーマン(Uma Thurman)
ジェローム --ジュード・ロウ(Jude Law)


現在からさほど遠くないだろう近未来。

人類は出生の段階で、優れたDNAであるのか、そうでないのか差別されている。遺伝子的劣勢を持った者は生まれた時点で〝不適合者〟とされ、大した仕事に就けずに、トレイ掃除などをして一生を終える。

兄という立場にありながら〝不適合者〟に生まれ、遺伝子操作で生まれた〝適合者〟の弟に全ての能力で追い越されるヴィンセント。

宇宙飛行士に憧れるも、心臓疾患で寿命30年と決められた人生。

そのヴィンセントの前に最高の遺伝子を持ち合わせつつも、運命には恵まれなかった〝適合者〟のジェロームが登場し、ヴィンセントと契約を結び協力することによって、ヴィンセントは〝適合者〟に成りすますことができる。そして、優れた遺伝子を持つ者しか勤務が許されないガタカに潜入するが・・・。

*
*

イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウと、豪華な俳優陣が登場するSFヒューマンドラマ。

イーサン&ユマは、この作品がきっかけで結婚する(04年に離婚)。

また、当時はまだ無名だったジュード・ロウが、ハリウッドで一気に注目を浴びるきっかけになった作品としても有名。

SF映画というよりはヒューマンドラマに近い「ガタカ」は、派手なアクションやCGがあるわけではなく(むしろ皆無)、淡々と物語が進む静かな作品だ。

この映画を鑑賞した人の多くが恐らくは「美しい」と評価するように、静謐な雰囲気を兼ね備えた映画である。

不適合者として生まれつつも、決して諦めないヴィンセントのひたむきさと熱意と情熱。それはあまりにも巨大な壁に立ち向かう非力な動物のようであり、時には悲しい。

適合者ではあるが、宇宙飛行士にはなれないアイリーンを演じるユマ・サーマンが、まるでアンドロイドのような完璧な姿で登場し、ヴィンセントが何者なのか戸惑いつつも、彼に惹かれていく様子が描かれる。このあたりのラブストーリーも決して陳腐じゃないので必見。

また、最高の遺伝子を持ち合わせながらも不遇な運命を送る孤高の天才を演じるジュード・ロウの演技が素晴らしい。映画「A.I」でもそうだけど、ジュード・ロウは〝どこか人間離れした〟体温が低そうな役柄を演じるのに長けている。

〝不適合者〟であるヴィンセントを侮蔑せずに、むしろ彼の夢を託すように協力し合い、友情さえ芽生えているあたりが泣き所。

単なる努力すれば報われるというテーマではなく、何事も諦めてはいけないと、決して汗臭くなく爽やかに観客に伝えようとしている。

ラストの検査官が登場するあたりは名場面。彼が登場することで厚みが帯びる。

そして最後のジュード・ロウの演技は、きっと静かな感動を呼び起こすであろう。

スタイリッシュにテーマが深く、幾度となく鑑賞しても新しい発見がある映画だ。

SFヒューマン度★★★★★

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2006年07月18日

マルコヴィッチの穴

マルコヴィッチの穴【1999年 アメリカ】

監督:
スパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)

脚本:
チャーリー・カウフマン(Charlie Kaufman)

キャスト:
クレイグ --ジョン・キューザック(John Cusack)
ロッティ --キャメロン・ディアス(Cameron Diaz)
マキシン --キャサリン・キーナー(Catherine Keener)
レスター博士 --オーソン・ビーン(Orson Bean)
ジョン・マルコヴィッチ --ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)

カメオ出演:
ショーン・ペーン(SeanPenn)
ブラッド・ピット(Brad Pitt)
ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)

人形遣いのクレイグは、腕は確かなのだが、お客の心を掴めない劇ばかりを上演して、不遇な日々を過ごしている。そんなこんなで、妻のロッティの困惑もあり、就職活動を始める。

そこで彼は、手先が細やかな人を募集しているというファイル整理係の求人を発見し、7階と8階の間にある、7と1/2階の奇妙なフロアで仕事を始める。

そして、妻がいながらも同じフロアの別会社に勤めるマキシンに次第に心を奪われるクレイグ。

そんなある日、1枚のファイルを落としたクレイグは書庫を移動させる。
そこにはなぜか木製の扉があった。木製の古めかしい謎の扉。

恐る恐るその扉の向こうにある穴に進むと、なんとそれは俳優ジョン・マルコヴィッチに繋がっている穴だった。マルコヴィッチの中に侵入できる穴なのだ。

15分間だけマルコヴィッチになれるその穴を早速と商売にしてしまうクレイグとマキシン。やがてその穴がマルコヴィッチ本人に見つかり、マルコヴィッチ自身に繋がっている穴に本人が入ることに・・・。

*
*

ビースティ・ボーイズの“サボタージュ”のミュージック・クリップを手がけ、MTVやCMの映像業界で常に話題を振りまいていた スパイク・ジョーンズ初監督作品。

まるでカフカの「変身」のごときの世界。ある朝、蟲になっているわけじゃない。ある穴を通じると15分間だけジョン・マルコヴィッチになっているのだ。

まず最初に思ったのは「よくこんな話を思いついて、そして映画にしたな」という点。

中途半端に科学を振りかざしたり、コンピューターやハイテクを映画に散りばめると、現実との齟齬が起きて、「あそこのシーンは矛盾している」とか「科学的見地からしておかしい」と、多くのSF映画は非難を浴びるわけだけれども、この「マルコヴィッチの穴」は、そんな非難なんかを受け付けない強力な圧倒感を持っている。

どれだけ科学が発展しようとも、この映画の世界観に近づくことはきっとないはず。

なぜならオフィス街にあるビルのフロアの壁についている穴が、俳優の脳みそに繋がっていてる「マルコヴィッチの穴」は絶対に〝超ありえねぇー〟映画だから。

ギャグ映画で終わると思いきや、人間臭くエゴイスト丸出しの人形遣いクレイグが絡むことで、ブラックなドロドロした映画に仕立て上げられているのが秀逸。

終わりまで目を離すことができない展開。

そして、クレイグの妻ロッティ演じるキャメロン・ディアスは、不細工すぎて本人かどうかなかなか気が付かないぐらいの演技を披露。男から見てダメで洗脳されやすいナチュラル厄介女っぷりだ。

でもやっぱり、最もウケるのはジョン・マルコヴィッチのハリウッド仲間役として出演しているチャーリー・シーンの場面と、マルコヴィッチ自身がマルコヴィッチの穴に入った場面だ。

チャーリーは中盤とラストに出演しているのだが、そのラストの滑稽な姿は見もの。

よくぞこの映画の出演を引き受けたなという体当たりのギャグぶり。

それは、まあ、ジョン・マルコヴィッチ自身にも言えるのだけれども。

マルコヴィッチ度★★★★★

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2006年05月26日

ふくろうの河

ふくろうの河【1961年 フランス】

監督:
ロベール・アンリコ(Robert Enrico)

原作:
アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce)

キャスト:
農場主 --ロジェ・ジャッケ(Roger Jacquet)

南北戦争のさなか、軍列車を妨害したとして、アラバマの農場主が桟橋で絞首刑に遭う。穏やかな日光が濯がれるある昼下がり、桟橋に吊り下げられた縄ひもで、ついに彼の処刑が始まる。

足元には河が流れ、河の周りには長身銃を持った兵士が取り囲む。絶体絶命のなかで、彼は絞首刑に遭うものの、難なく生き長らえる。次々と襲う兵士の手を逃れ妻に会いに行った瞬間、彼が見たものは・・・。


原作がA・ビアスという時点でピンと来た人はさすが。
「悪魔の辞典」の著者であり、芥川龍之介の作品に多大な影響を与えたアメリカの作家だ。

「悪魔の辞典」が最も有名だけれども、実は怪奇小説を数多く手がけていて、「ビアス短篇集」として岩波文庫から発売されているほどだ。

この短篇集に収録されている「アウル・クリーク鉄橋での出来事」の映画化がこの「ふくろうの河」。

モノクロームで統一された映像は不気味なぐらいに落ち着いていて、その中に狂気が含まれている。

ロベール・アンリコの映像は、とにかく緊張感が漂う。

映画のようであり、同時に映画の物語そのものから乖離している作品。

このアラバマの農場主と同じ体験は無理だ。

それでも観る者はA・ビアスが表現しようとした〝生と死のはざまの非情〟に、きっと『嗚呼・・・』と呟くに違いない。

ある意味、現実的な映画で恐ろしくなる。

映画を観た直後に恐怖を感じるのではなく、何かのふとした瞬間に、農場主が体験した〝死の恐怖〟が浮上してきて、僕を襲う。そんな後味を持ち合わせた映画を、この作品以外に僕はまだ知らない。

恐怖後味度★★★★★

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2006年05月24日

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜【1985年 日本】

監督:
杉井ギサブロー

原作:
宮澤賢治

原案:
ますむらひろし

音楽:
細野晴臣

キャスト:
ジョバンニ --田中真弓
カムパネルラ --坂本千夏

星祭りの夜の出来事、ジョバンニは病気の母親の為に牛乳をとりに行くために、町はずれを歩いていた。するといつの間にか、天気輪の丘へ来ていて、目の前には巨大な機関車が停車している。ジョバンニが汽車に乗り込むと、星の野原へと走り出した。汽車にはジョバンニの友人、カムパネルラも乗っていた。


映像化が困難とさえ囁かれた宮沢賢治の不朽の名作「銀河鉄道の夜」をアニメーション化した大傑作。

監督は「タッチ」や「日本昔話」で有名な杉井ギサブロー。
原案は漫画家のますむらひろしが手がけている。

登場人物がほぼ全員、擬人化した〝猫〟で登場しているのが大きな特徴だ。

ますむらひろしは、サウンドトラックの解説で、宮沢作品を描こうとして、人間の姿で描いたけれど、宮沢作品の登場人物として思うように描けなかったので、猫で登場させたと述べている。

僕個人としては、この作風に実に大賛成。

後々に宮沢賢治氏の実弟氏から少し物言いがあるなど話題もあったとはいえ、「銀河鉄道の夜」という非常に幻想的である意味現実離れした作品を映像化するにはこの方法は相応しいと思う。

物語の台詞は原作に非常に忠実で、何処でもない不思議に満ちた幻想的な世界が続く。

細野晴臣のサウンドも見事にマッチングしていて、テクノ調の曲が映像と競うように主張している。

時にはメロディアスに、時にはアンビエントに、まるで物語のように進むサウンドトラックだ。


「僕はもうあのさそりのように、みんなのほんとうのさいわいのためなら、僕の体なんか百ぺん焼いてもかまわない」

物語の終盤、ジョバンニはこの台詞を呟く。

僕は酷く喧騒に疲れて静けさに包まれたいような時、この映画を観ることにしている。

厳粛度★★★★★

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2006年03月02日

キャスト・アウェイ

キャスト・アウェイ【2000年 アメリカ】

監督:
ロバート・ゼメキス(Robert Zemeckis)

キャスト:
チャック --トム・ハンクス(Tom Hanks)
ケリー --ヘレン・ハント(Helen Hunt)
スタン --ニック・サーシー(Nick Searcy)

例えば、何か僕達の想像を超えた思いがけもしないアクシデントで自分の行方が分からなくなってしまうとする。いつもと同じ朝の平和な一日に勃発する不協和的な事件。それは突然の事故かもしれないし、たんなる記憶喪失で我を失うことなのかもしれない。

でもとにかく僕の行方は突然と分からなくなるのだ。

僕は玄関を開けて「それじゃ行ってくるからね」と言い、「何時に帰ってくるの?」と僕は訊ねられる。

「そうだなあ。いつもとおんなじくらいだよ」とやはり僕はいつもと同じように答えて扉を閉める。

トム・ハンクスの「キャスト・アウェイ」は、普段と変わらない日常が一変し、運命に翻弄されることとなるエリートサラリーマンの物語だ。

主人公のチャックは1分1秒を刻々と争う世界的運送メーカーFedexの仕事熱心な社員。

「時間を無駄にすることは罪なことである」という彼の人生を形成する理念に主人公は没頭し、荷物を効率的に1秒の無駄もなく届けることに情熱を燃やす。ある晩、何の疑問もなく甘い日々をすごしていた愛する彼女にいつものように別れを告げ、貨物便の飛行機に同乗するのだが、その便は途中で遭難し、トム・ハンクス演じるチャックはただ一人の生存者として無人島に漂着する。

時間に追われることのない孤独な無人島に放り出されたチャックが、島を脱出するのに必要とする歳月は4年間だった。

彼はそれだけの時間を孤独に過ごし、耐え、ついにカムバックする。

しかし、かつての恋人ケリーはチャックがもう死んだと思い、他の男性を愛し結婚をしていた・・・。

別れの予感すらなかった幸せの絶頂期だった恋人との突然の惜別。

この映画の醍醐味は、主人公チャックが無人島に流されて、彼の中で現実的な時間が喪失している状況にも関わらずなんとか脱出し、彼女にもう一度会いに行くところにある。

他の人生を歩むことを決心してしまった彼女をチャックは知らない。

恋人に再会できると信じて4年間の孤島生活に耐えたチャックは、もう一度ケリーに会うべきだったのか?

もう死んでしまったと信じるしかなかった彼との、あるはずのない、起きてはいけない再会。

それはあまりにも切ないシーンだ。

すでに新しい家族と過ごすケリーの自宅前に駐車した車の中で、束の間に抱き合う2人に運命の不可思議と非情を感じる。

不条理度★★★★★

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2006年02月23日

クラッシュ

クラッシュ【2004年 アメリカ】

監督:
ポール・ハギス(Paul Haggis)

キャスト:
ジーン --サンドラ・ブロック(Sandra Bullock)
グラハム --ドン・チードル(Don Cheadle)
ライアン巡査 --マット・ディロン(Matt Dillon)
リック --ブレンダン・フレイザー(Brendan Fraser)
キャメロン --テレンス・ハワード(Terrence Howard)
リア --ジェニファー・エスポジート(Jennifer Esposito)
フラナガン --ウィリアム・フィクトナー(William Fichtner)
アンソニー --クリス・“ルダクリス”・ブリッジス(Chris 'Ludacris' Bridges)
クリスティン --タンディ・ニュートン(Thandie Newton)
ハンセン巡査 --ライアン・フィリップ(Ryan Phillippe)
ピーター --ラレンズ・テイト(Larenz Tate)
カレン --ノーナ・ゲイ(Nona Gaye)
ダニエル --マイケル・ペーニャ(Michael Pena)
シャニクア --ロレッタ・ディヴァイン(Loretta Devine)
ファハド --ショーン・トーブ(Shaun Toub)
グラハムの母 --ビヴァリー・トッド(Beverly Todd)
ディクソン警部補 --キース・デヴィッド(Keith David)
ドリ --バハー・スーメク(Bahar Soomekh)
フレッド --トニー・ダンザ(Tony Danza)

 「ミリオンダラー・ベイビー」のポール・ハギスが贈る群像劇。人の心と心がぶつかることのないロスを舞台に、ある晩に起きた一件の衝突事故をキッカケに次々と運命を狂わされていく人々。

この映画の鑑賞後、何の脈略もなしに僕の身の回りに起こったある出来事を思い出した。

こんな話だ。

僕が16歳の時に、中学高校と一緒に進級した友人の父親が亡くなった。悪性の胃がんが原因で、入院してから僅か数ヶ月の出来事だった。僕らは入院したんだよねというあたりまでは知っていたけれど、まさか癌だったとは聞いていなかった。つまり、まだ高校一年生だったその友人にも父親が癌であること、その命が残り少ないということは最後まで伏せられていた。

クラスはもとより、学年中でお騒がせな目の外せない愉快な彼の家族に起きた悲劇だった。

そして、彼の父親が亡くなったその晩に友人から一本の電話が掛かってきた。

「なぁ、俺のお父さん、死んじゃった」

僕と彼を含め、だいたい5人6人で毎日ツルんで遊んでいたので、僕らは非常に仲が良かったわけだけれど、なんとなくこういった電話を受けるのは僕じゃないとおぼろげながらに感じていた。

僕と彼とはバカ騒ぎをして日々を過ごす仲間だったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。そこにはシリアスな感情が存在しなかった。

突然の電話と、普段の彼には程遠い重たい声に、僕は驚いてなんと言っていいか分からなかった。

彼は続けた。「とりあえずさ、明日学校は休むから言っておいてくれないかな」

「分かったよ。俺がちゃんと言っておくから。それは大丈夫だよ」

居間で電話を取ったからだろうか、家族に聞こえているんじゃないかと、僕は恥ずかしくとも情けない気持ちになり、他人行儀なことを口にした。

僕の家では大きな音でバラエティ番組が流れていてみんながそれを見て笑っていた。

「そっか、ありがとう。なんか迷惑掛けてごめんな」

彼は僕に申し訳無さそうにそう言った。いつもの彼らしくないしおれた声に僕も泣きそうになった。

「それよりさ、ほら、何て言っていいのか・・・」
僕はその言葉を続けられない。なあ、俺らがいるじゃないか、その一言が言えなかった。

僕は彼に何かしらの言葉を向けるべきだったのだ。

彼が涙を堪えて、僕に電話をしてきたその理由を僕は察することはできた。

学校を休むという連絡だけで彼は僕に電話を掛けてきたんじゃない。

彼は何かを求めていたのだ。普段共に生活している友人からの温かい言葉を。

でも、僕はその時の彼に対して、伝えたかった気持ちの何十分の一にも満たない拙い言葉しか掛けることができなかった。

僕は自分が悔しかった。

そして後ろにいる家族を妙に意識しながら電話を切り、一人で部屋に戻って深い悲しみに覆われた。

*
*

15年以上経った今でも時々僕は、僕の古い友人が電話を掛けてきたあの晩のもどかしい気持ちに戻ることがある。

やはり僕は受話器を握っていて自分の伝えたい気持ちのほんの僅かな部分しか伝えられていない。

そして僕は受話器を切る。ガチャン。

僕はまだ受話器を握っている。そんな空虚な気持ちになったとき、僕は愛しい人とただじっと抱き合うようにしている。

映画「クラッシュ」にも、さまざまなもどかしい気持ちを抱えた人物達が登場した。傷つけないように努力し、でも傷つけあわずにはいられない主人公達。彼らには、救いがある場合もあるし、赦しはあるけれど救いがない場合もある。

ただ、彼らは一様に哀しみ、誰かを求め、愉び、そして泣いていた。

伝えたい気持ちを誰かに伝える。L.Aで起きたたった一つの衝突事故が引き起こした物語。あなたは誰に一番近いだろう。

群像劇★★★★★

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2006年02月14日

Ray

Ray【2004年 アメリカ】

監督:
テイラー・ハックフォード(Taylor Hackford)

キャスト:
レイ・チャールズ --ジェイミー・フォックス(Jamie Foxx)
デラ・ビー・ロビンソン --ケリー・ワシントン(Kerry Washington)
マージー・ヘンドリックス --レジーナ・キング(Regina King)
ジェフ・ブラウン --クリフトン・パウエル(Clifton Powell)
ジョー・アダムス --ハリー・レニックス(Harry Lennix)
ジェリー・ウェクスラー --リチャード・シフ(Richard Schiff)
メアリー・アン・フィッシャー --アーンジャニュー・エリス(Aunjanue Ellis)
アレサ・ロビンソン --シャロン・ウォーレン(Sharon Warren)
アーメット・アーティガン --カーティス・アームストロング(Curtis Armstrong)

盲目の天才、ソウルの神様であるレイ・チャールズの半生を描いた映画。主人公を演じたジェイミー・フォックスは、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞している。

6歳で緑内障で失明したレイは、母親アレサの愛を受けつつ、厳しく育てられ、ピアノを学び、その肉体的ハンディキャップを払拭するように独自の音楽を築きあげていった。シアトルで頭角を表わしはじめ、注目を浴びるようになったレイはデラ・ビーと結婚するが、同時に弟を幼い頃に失ったトラウマと戦うように麻薬に溺れ、複数の愛人を持つようになる・・・。

「Georgia On My Mind(わが愛しのジョージア)」がジョージア州の州歌に選ばれるほど伝説の偉人も、良くも悪くも非常に泥臭い人間であったというのが伺える作品。

驚いたのは、更生施設に入院していた経歴や、愛人との密月の話、デラ・ビーを悲しませたといった物語を映画に盛り込む内容として生前レイ・チャールズが認めていたという点。

輝かしい功績だけを辿らずに、レイのそういった闇の部分まで掘り下げたことによって、観衆は一人の人間の半生として親しみながら観ることになるだろう。

映画に収録されたようなステレオタイプの彼の栄光までの道のりを味わうのではなく、彼の紡ぎだす音楽とは別の物語が彼の人生にきちんとあったんだ、と知る為にこの映画は描かれたような気がする。

体を揺さぶるように歌いだすレイの姿をジェイミー・フォックスが完璧にまで模倣していたのが話題を呼んだ。

黒人霊歌をルーツとして新しい音楽を世に出したミュージシャン、レイレッツ(レイとヤルぜ)という刺激的でファンキーな女性コーラスとの数々の楽曲、つまるところ彼は盲目の天才だったのだ。

でもやっぱり麻薬はイカンね。

自叙伝度★★★★★

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2005年12月27日

デス・トゥ・スムーチー

デス・トゥ・スムーチー【2002年 アメリカ】

監督:
ダニー・デヴィート(Danny DeVito)

キャスト:
レインボー・ランドルフ --ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)
スムーチー --エドワード・ノートン(Edward Norton)
ノラ --キャサリン・キーナー(Catherine Keener)


高視聴率の子供番組に出演しているミスター・レインボーは、その画面上に映るファンタジー像とは裏腹に、自分の子供を出演させたい親から賄賂を受け取る裏の顔も持っていた。

ついに司法の手が伸び、そのおとり捜査にひっかかり、スキャンダルにさらされたランドルフは、番組を降板させられてしまう。

そのミスター・レインボーの代役に起用されたのがまったく無名のスムーチー。

心の底から世界を良くしようと考えるスムーチーは瞬く間に子供達の人気者に。
そんな彼を羨むランドルフは、とうとうスムーチーを暗殺しようと決心した。。。


さて、この映画の主人公スムーチー役のエドワード・ノートンの演技を観ていると、どうしてか、いつも晩年のルイ・アームストロング─サッチモ─を思う。

不思議なことなんだけれども、彼の演技から想起されるイメージと言うのは、いつも(少なくとも僕にとって)サッチモなのだ。

一方は主役キラーとも呼ばれる演技派俳優、一方はジャズ創生期を語る上で、決して外すことの出来ないジャズトランペットの名手。

この2人の間柄に別に共通の何かがあるわけでもないし、ノートンがサッチモの曲が流れる映画に出ていたというのも、乏しいながら僕の映画の記憶の導電からも思い当たらない。

それでもどうしてか、彼の演技を観ているとバックから、あの甘くて切ない「What A Wonderful World」が切々と流れるのだ。

嗚呼、素晴らしき世界。

それは、僕が初めて観たノートンの演技─そして事実上ノックアウトされた─「真実の行方」(96年)に感じた出来事だ。

ノートンが出演しなかったら、残念ながらヒットはしなかったであろうこの映画で、彼は主役のリチャード・ギアをまさに喰ってしまう演技で衝撃的に銀幕を飾った。

この作品以降も、「アメリカン・ヒストリーX」(98年)、「ファイトクラブ」(99年)、「25時」(02年)と、常に観客を魅了した。

まるでサッチモが人々をトランペットの音色で魅了したように。
甘くて切ない歌声のように。

もしかしたら、彼らが僕に与えてくれるのは、空から舞い降りる雪の結晶のような、魔法のようなものなのかもしれない。

そんなことを、日本未公開の「デス・トゥ・スムーチー」(02年)を観て思った。

彼は、二重人格者やドラッグの売人や、穢れを知らない純粋無垢なエンターティナーを演じる時も、たとえその姿が自分の実際とかけ離れていようが、常に人々を惹きつけ、今後も魅了しつづけるのだろう。

これからも出演作を追っていきたい。

同じく演技派でありながら、コメディ路線色が強いロビン・ウィリアムスが穢れ役を演じているのも見所だ。

コメディサスペンス度★★★★★

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2005年12月12日

ウォー・ゲーム

ウォー・ゲーム【1983年 アメリカ】

監督:
ジョン・バダム(John Badham)

キャスト:
ディヴィット --マシュー・ブロデリック(Matthew Broderick)
ジェニファー --アリー・シーディ(Ally Sheedy)
フォルケン --ジョン・ウッド(John Wood)
マキットリック --ダブニー・コールマン(Dabney Coleman)


元祖ハッキング&コンピュータークライシスの映画といえば、なんと言ってもこの「ウォー・ゲーム」。

この作品以外は考えられないぐらい、80年代の冷戦を代表するSF近未来大作。

シアトルに住む18歳のコンピューター少年ディヴィットが新しいパソコン欲しさにコンピューター会社に不正アクセスして侵入しようと試みたところ、アメリカ国防庁の最高軍事機密レベルにある端末に偶然アクセスしてしまう。

「世界全面核戦争」と称されるシュミレーションゲームを軽い気持ちでログインするディビットだが、なんとそれは実際に現実世界に直結した、ゲームではない世界を核の恐怖に落とし込む操作だった。。。

83年公開ということあって、派手なCGもなくユルい雰囲気と、ほんのり残っている70年代の風潮がなんともいえない味を醸し出している。

音響カプラーでネットに繋げる姿は今となってはある意味新鮮だし、外部メディアも〝大きい海苔〟みたいなフロッピー。国防庁のセキュリティ室はマジックミラーだけ!!

そしてこの時代のアメリカの仮想敵国といえば、いまやその影を追うのすら難しい旧ソ連。

秘密主義的なその国家背景は、当時の多くのスパイ小説や映画の題材となった。

この「ウォー・ゲーム」の仮想敵国も、もちろん旧ソ連。時代が変われば映画も変わるってやつだ。

公開当初は、マシュー・ブロデリックの甘いマスクが演じるコンピューター少年がなかなか好評だったとか。

なにせこの頃の端末といったら、今のパソコンの普及とは桁違いにマニアックな(こういう言い方をしても恐らく語弊がないだろう。当時、個人でパソコンを所有してネットに繋げている者は少し変わっていた)商品だったし、実にオタクなアイテムだったのだ。

その商品を高校生ながらに巧みに扱い、しかもバックドアから侵入を試みる。この配役設定は多くの潜在的コンピューター若者を虜にしたらしい。

物語中盤、軟禁されていたディヴィットが抜け出し、途中の電話ボックスからコインを使わずに裏技(受話器を外した電話機に空き缶のプルタブをくっつけ電波に同調する方法)で、ジェニファーに掛ける姿は今でも実に新鮮だ。

このシーンには個人的な思い入れがあって、小学生の自分は、映画を観に終わって、この映画をそのまま鵜呑みにして、近所の電話ボックスから同じことをしようとして大目玉をくらったことがある。

コンピューター社会を杞憂する映画としては時代的に〝早すぎた〟感があるのだろうか。端末任せの管理システムが問題を起こすという映画ならではの出来事に現実がようやく追いついてきたようだ。「ウォー・ゲーム」みたいな事件てフツーにありそうだもんね。だからこそ、20年以上経っても色褪せない飽きさせない映画だし、そういった古臭さを抜きにしたって21世紀に楽しめるエンターテイメントなのだろう。

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2005年11月28日

ビフォア・サンセット

ビフォア・サンセット【2004年 アメリカ】

監督:
リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)

キャスト:
ジェシー --イーサン・ホーク(Ethan Hawke)
セリーヌ --ジュリー・デルピー(Julie Delpy)


あれから9年・・・、「ビフォア・サンライズ」で恋をしたあの2人を、リンクレイター監督が描く上質なラブロマンス。

主演は同じくイーサン・ホークとジュリー・デルピー。

あの偶然にも出会った日から9年、ジェシーは再びウィーンを訪れた。一人の作家として。

セリーヌと過ごしたあの夜のことを想いを込めて綴ったのだ。

書店のメディア向けのサイン会で、「この小説に描かれているフランス女性は実在するのですか?」という問いかけに「ここはフランスだから〝イエス〟ということにしておきましょう」と答えるジェシー。

その瞬間、視界に入ったのはセリーヌだった。

あの別れの日に「半年後に再会しよう」と約束をして会えなかったセリーヌとまた再会する。

空港までの短い時間を、9年間の空白を埋めるように話し合う2人。

そして何故、あの約束で会えなかったのかも。しかし、ジェシーの出発は夕刻。

9年間を埋めるには、僅か85分間ではあまりにも短かすぎる。

時が経っただけに、恋愛をするのにも、情熱だけではなく駆け引きをするジェシーとセリーヌ。でも本当は好きなのに好きだといえない。9年の月日が流れて、何が変わって、何が変わらなかったのか。

2人の会話が時間すら忘れさせる作品。

リンクレイターらしい印象的なラスト。貴方ならどう想像する?

Baby,you're gonna miss the plane.

愛しさ度★★★★★

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2005年11月25日

ビフォア・サンライズ

ビフォア・サンライズ【1995年 アメリカ】

監督:
リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)

キャスト:
ジェシー --イーサン・ホーク(Ethan Hawke)
セリーヌ --ジュリー・デルピー(Julie Delpy)


第45回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品、若手一押し監督のリチャード・リンクレイターが作るラブロマンス。

ヨーロッパを旅行中のジェシーは、明日の朝9時の便でアメリカに帰る予定。
列車の中で言い争いをするドイツ人の熟年夫婦を避けて、席を移動するフランスに帰る途中のセリーヌ。

偶然に向かい側に座ったこの2人は目が合い、なんとなく会話を始める。

旅行者同士の互いの話をするうちに、まるで旧知の仲のように意気投合する2人は列車の中で離れ離れになるのは惜しいと感じ、ジェシーは思い切って、セリーヌともっと話したいと告白する。

彼の提案で、明日の朝までウィーンの街を歩くことにする。。。

会話中心の映画で、これは本当に台本があるの?と思うぐらい自然なドキドキする言葉が続く。

本当に出会ったばかりの ─でも、まだお互いに惹かれているんだけれど付き合うまでに到ってない─ デートのようだ。

ウィーンの街並みを歩くシーンが多く、時折、非常に良いアクセントで名脇役達が登場する。

占い師、街外れの詩人・・・。彼らの登場で、より一層2人が引き立てられる。

出会い始めた男女だけにキャストを絞ったリンクレイターはさすが。

ジェシーが明日の便で帰国するのが分かっていて、しかも出会ってすぐなのに徐々に彼に惹かれるセリーヌの姿と、セリーヌにまさに一目ぼれしてまるで初デートをする少年のようなジェシー(イーサン・ホークは、実にこういう演技が上手い)を見ていると、まるで本当に自分が恋をしたかのように思ってしまう。

ウィーンにあるレコード屋の狭い視聴室で、視聴しつつ、お互いをものすごく意識してチラッと何回も見てしまうあたりが最高。

恋人達の予感。

でもなんといっても、この映画の切なさは、偶然に出会った男女が明日の朝までの限られた時間までしか居られないというところにあるのだろう。その出会いが決して勢いだけではなく、何かしらの運命的な出会いの始まりであり、でも明日までと知っている。そんな刹那的な恋だ。

そして、物語は、9年後の「ビフォア・サンセット」に続く。

ちなみにこの映画、同監督の「ウェイキングライフ」のとあるシーンと見事にパラレル的にリンクしている。
もし「ビフォア・サンライズ」と「ビフォア・サンセット」の両作品が好きな方は同じくリンクレイター監督が手がけたこちらも観るべし。

イーサンホークとジュリー・デルピーが、まるで「ビフォア・サンライズ」後のような会話と設定で出演している。

ドキドキ度★★★★★

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2005年11月16日

ALWAYS三丁目の夕日

ALWAYS三丁目の夕日【2005年 日本】

監督:
山崎貴

原作:
西岸良平

キャスト:
茶川竜之介 --吉岡秀隆
古川淳之介 --須賀健太
石崎ヒロミ --小雪
鈴木則文 --堤真一
鈴木トモエ --薬師丸ひろ子
鈴木一平 --小清水一揮
星野六子 --堀北真希


「ビッグコミックオリジナル」で今も連載を続けている、昭和49年に始まった西岸良平のベストセラー漫画「三丁目の夕日」の映画版「ALWAYS 三丁目の夕日」。

やさしいタッチで昭和30年代の頃を描いた同作品は、熱狂的なファンが多く、恐らくはその殆どが『この原作を映画に描ききれるわけがないじゃないか』と毒づき、逆にいえばそれほど西岸氏に敬意を払ったわけだけれど、ある意味、映像化がもっとも困難であると言わしめたこの作品を、「ジュブナイル」「リターナー」でVFX(Visual Effects、視覚効果)という言葉を日本でメジャーにした山崎貴が監督を担当し、見事に成功させた。

昭和33年。

高度経済成長期を迎えようとする熱気を孕んだ東京では、建設中の東京タワーが着々とその高さを天に向けて伸ばしていた。そのタワーがよく臨める東京の下町で繰り広げられる個性豊かな住民の生活。

口が悪いけれど、ほんとは優しい鈴木オートの主人とその家族の元にやってきたのは東北から集団就職で上京してきた六子。

六子が家族に加わったことでさらに元気で予断のないドタバタほのぼのした毎日を送る鈴木家。

その鈴木オートの向かいがわに住むのが通称〝文学〟の茶川竜之介。毎月凝りもせずに文学賞に作品を送るもの、ことごとく落選する失望の毎日。竜之介は駄菓子屋を営んでいる。

その駄菓子屋に身寄りのない少年の淳之介がやってきて・・・。

昭和30年代というと、西暦で換算すると1955~65年である。

映画「スタンド・バイ・ミー」や「アメリカングラフィティ」などベトナム戦争前の古き良きアメリカンフィフティーズ、シックスティーズの時代だ。

アメリカのハリウッドにも同じような懐古主義的な題材の映画があるのが興味深い。

多くのアメリカ人がベトナム戦争で傷つき失望したという側面を考えると、そのバック トゥ フィフティーズ、シックスティーズにも頷ける部分があるけれど、終戦時代の世に蔓延する失望感、そしてその後の大変貌に比べるとアメリカのそれは生半可にしかすぎない、というのが僕の考えだ。

日本の50年代60年代に共通するメッセージは、未来に向けての大きな希望だ。アメリカのそれは古き良き時代にしか過ぎない。

こういった断定は危険だけれど、未来に向けての希望を抱いた米国民はキング牧師の台頭によって勇気を持った黒人達だけではないだろうか。いずれにせよ、同時代的な考察からでは、日米では、そのポテンシャルが異なる気がする。

さて、その当時を描いた「ALWAYS三丁目の夕日」、日本では、東京タワーが建設中で経済成長を夢見て庶民が懸命に頑張っている。街角では人が溢れ、隣近所と時には喧嘩して時には協力して過ごす日々。

CGとは思えないほどリアルな臨場感のある昭和30年代の光景がスクリーンに映し出されて、そのあまりにも忠実な再現シーンだけで涙を流したという観客が居るのも頷ける。本当に当時の街並みの光景なのだ。

淳之介と竜之介が徐々に本当の親子のように仲良くなっていく姿に涙が出るし、六子を迎える鈴木オートの家族の思いやりに感動する。後半部分は出演者のそれぞれの惜別シーンや感情の昂ぶりがスクリーンから伝わって、ひたすら泣き通しだ。ただの懐かしさで済む映画ではないのは確かである。

きっと我々は、その当時に当たり前に手に入れられたものを、今、手に入れる為には、途方もない労力や、それなりの代価・代償を払わなくてはならないのだろう。

どこの街角でも転がっていた人情にそして懐の深さのような器量、街が一体となる包容力を見つけるのには困難な時代であるようだ。

あるいは当時は誰もが望んでも手に入らなかったモノが今では少しの努力さえすればたやすく入手できるのかもしれない。

それはソフトな面である〝目に見えないなにか〟であるし、〝目に見えるなにか〟であるハードな面だ。

もちろんこの話の結びにはどちらが正しくてどちらが正しくないという二極論的な結末を迎えることはない。

そういったステレオタイプの結論に深みがないし、危険すら付き纏おう。

この映画の根底に流れる一連のテーマを、恐らくは観客の多くが羨ましく感じたという点が重要だし、そしてそれは薄々は気がついているのだけれども(でも決して口には出来ない)もう本当に何処に行けども見つからないという寂寥感を掴むことが重要なのだ。

それでもこの作品を観終えた後は何故かしら温かい気持ちになる。映画を観終えた後、映画館から外に出た灯り溢れる21世紀の都会の風景が酷く残酷に映った。

「となりのトトロ」のように普遍的な作品として昇華している。DVD化された暁には高頻度で観賞することとなるだろう。

感動度★★★★★

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2005年10月11日

ロスト・チルドレン

ロスト・チルドレン【1996年 フランス】

監督:
ジャン=ピエール・ジュネ(Jean-Pierre Jeunet)
マルク・キャロ(Marc Caro)

音楽:
アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti)

撮影:
ダリウス・コンジ(Darius Khondji)

キャスト:
ワン --ロン・パールマン(Ron Perlman)
ミエット --ジュディット・ヴィッテ(Judith Vittet)
クローン/潜水夫 --ドミニク・ピノン(Dominique Pinon)
クランク --ダニエル・エミルフォルク(Daniel Emilfork)
ミス・ビスムス --ミレイユ・モス(Mireille Mosse)
蚤調教師マルチェロ --ジャン・クロード・ドレフュス(Jean-Claude Dreyfus)
リーヌ(シャム双生児) --オディール・マレ(Odile Mallet)
ゼット(シャム双生児)--ジュヌヴィエーヴ・ブリュネ(Genevieve Brunet)


果たして、21世紀の渦中、コンセントに機器を指しこむだけでインターネットが接続できるこの時代に、どれだけ見世物小屋たるものが浸透しているのか、あるいは、記憶にあるのか、いささかの不安があるけれど、「ロスト・チルドレン」は奇しくも見世物小屋的な要素がたっぷりと含まれた、まるで公園で置いてけぼりを喰らった子供が脳みその奥底で描くような映画だ。

夢を見ることができないために急速に老けてゆくクランク、ドミニク・ピノンの演じる病的に薄気味悪い眠り病に冒された6人のクローン人間、小人のミス・ビスムス、不吉なおかっぱ頭の中年シャム双生児たちに、手回しオルゴールを使って賢い蚤で殺人を担うマルチェロ、そしてロン・パールマンが演じる巨人症気味な怪力男と対照的な美しさを持つミエット役のジュディット・ヴィッテ。

監督は、「デリカデッセン」「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロ。音楽は「ツイン・ピークス/ローラ・パーマ-最期の7日間」「ザ・ビーチ」「マルホランド・ドライブ」などを手がけているアンジェロ・バダラメンティ、撮影は「セブン」のダリウス・コンジと、よくぞこれだけの逸材が集結したと唸らざるを得ないほどの豪華な顔ぶれ。

物語はジュネの得意な世界観であるSF的寓話からはじまる。

全体的にセピア色というかAGFAで撮影した昔見た夢のような映像で、鉄工場に古びた港、石畳の裏路地と石造りの民家の灯り、路地の川と階段のある迷宮な街、それが絵本のような御伽噺的に展開する。

サーカスで雇われている鎖をちぎるのが自慢の怪力男ワンはある日、謎の連中に弟のダンレーをさらわれてしまう。なぜか最近、街では子供の誘拐が多い。焦燥するワンはある日、シャム双生児の中年姉妹がボスである孤児の窃盗団に遭遇する。そこで出会ったミエットから彼の弟が一つ目族にさらわれたと知る。。。

御伽噺的な寓話を描く映画監督に例えばティム・バートンが挙げられて、ティムがハッピーなブラックユーモアに満ちた〝裏ディズニーランド〟とも見られる、言わば愉快な寓話で観客の心を捉えているとしたら、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロは、蓋をしたはずの見世物小屋が扉を開けてしまったような悪意のない悪夢を延々と観客にみせることに長けている。

too muchになってしまった午前3時の終わらないレイブ会場から届く曲がっているトランス音楽の光景、といえば分かる人には分かるかもしれない。

蚤の調教師マルチェロが奏でる狂ったオルゴールのようなサイケデリックなサウンドが、ギリギリの線上にある。落ち着かないそわそわとした気分になるオルゴールと阿片中毒者のようなマルチェロが回す木箱が「ロストチルドレン」の御伽噺的世界と見事に調和している。


フリークス的御伽噺度★★★★★

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2005年09月07日

アニマトリックス

アニマトリックス【2003年 アメリカ】

1 ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス(Final Flight of the Osiris)
監督:
アンディー・ジョーンズ(Andy Jones)

2 セカンド・ルネッサンス パート1(The Second Renaissance Part1)
監督:
前田真宏

3 セカンド・ルネッサンス パート2(The Second Renaissance Part2)
監督:
前田真宏

4 キッズ・ストーリー(Kid's Story)
監督:
前田真宏

5 プログラム(Program)
監督:
川尻善昭

6 ワールド・レコード(World Record)
監督:
川尻善昭

7 ビヨンド(Beyond)
監督:
森本晃司

8 ディテクティブ・ストーリー(A Detective Story)
監督:
前田真宏

9 マトリキュレーテッド(Matriculated)
監督:
ピーター・チョン(Peter Chung)

その後の映画に多大な影響を与えたワイヤーアクションが画期的な「マトリックス三部作」の短編オムニバスアニメ。

少年兵キッドの物語も描かれて、何故彼がマトリック(仮想現実)の世界から現実まで戻ることができたのかよく分かる。

本編マトリックスに完全にリンクして語られているから、まだ観てない方は是非こちらを楽しんでから本編を観るのがお奨め。

どの時代の救世主の物語かわからないけれど、やはりまだ〝人間vs機械〟の時代であることは間違いない一話目。

バーチャル世界で訓練を続ける勇者達。しかしそこで起きた事件は…。

何よりもこのアニマトリックスで注目すべきはこの一話目の「ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス」である。

ゴアトランス好きにはもうたまらない作品で、しかも95年頃の黎明期から踊っている連中には、正直、涙モノの作品なのだ。

なんつったってイギリス発のトランスユニットJuno Reactorのトラックが使われているのである。

マトリックス本編でもJuno ReactorはDon Davisと組んで音楽を手がけているけれども、もともとはサイケデリックトランスで有名。衝撃的なアルバムを何作もリリースしている。

そのなかでも、あの「Conga Fury」が…。そうなんだよ、あの「Conga Fury」が流れているんだぜ。「Conga Fury」がエピソード中に流れているんだよ。

ゴアでもパンガンでもイクイノでも何度となく踊ったよね。エキゾチックに情熱的に朝も夜も関係なく力尽きるまで。

リアリティバイツ度★★★★★

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2005年09月01日

ゼイリブ

ゼイリブ【1989年 アメリカ】

監督:
ジョン・カーペンター(John Carpenter)

キャスト:
ネイダ --ロディ・パイパー(Roddy Piper)
フランク --キース・デヴィッド(Keith David)


映画史上、主人公が10分間乱闘シーンを続けてしかもバックドロップをする映画はこの映画以外には、絶対ない。そのうえ主人公ネイダ役のロディ・パイパーは〝本当に〟元プロレスラーなのだ。

それだけでもこの映画を観る価値が(たぶん)ある。

B級映画としてよく知られるこの映画の監督は、ジョン・カーペンター。

「ハロウィン」、「光る眼」など、映画世界でも端っこのほうを漂っている何とも言い難い怪しい作品をリリースしてカルトファンを抱えている一人だ(もちろん誉め言葉。アンアンなどで絶対紹介されない映画を作る素晴らしい監督。もちろんこれも誉め言葉)。

主人公のネイダは、いわゆる低所得者。肉体労働の仕事を求めある街にやってくる。

幾つかの現場で断られて意気消沈しているところ、なんとかこぎつけたのは日払いの工事現場。

そこで知り合ったフランクの紹介で、救世軍(?)が援助しているような無料の食事が食べられるバラック区域で住居を構える。周りは総てインテリジェンスとか資産とかと5万光年くらい離れている下層階級の人たち。

このあたりの設定から「ゼイリブ」という映画全体に蔓延している鬱蒼とした寒々しい都会の寂しさにも似た焦燥感が漂ってくる。

ある日、フランクは自分が住むバラック区域に並んだ場所に、教会があることに気付く。

どうもその教会がおかしい。こっそりと覗くと中にあるのは大量のサングラス。なんと、そのサングラスは特殊なサングラスで掛けると、地球に潜伏している宇宙人を識別できるというシロモノだったのだ…。

サングラスを掛けると宇宙人が識別できてしまうという何ともシュールな発想(しかもそのサングラスが実にチープさを醸し出している)もカーペンターらしい。

サングラスから映し出される白黒の世界は〝広告はすべてマヤカシだ〟みたいな感じで、車の広告をサングラス越しに眺めると【BUY】と書いてあったりする。宇宙人が我々を騙しているのだ、的な世界。

地球人が全員、下層階級に統一されているのに対し、文化人やセレブや高所得者は地球人のフリをした宇宙人という設定も主人公の環境との対比もあり、分かりやすく、いい効果がある。

しかしなんといってもこの映画の一番のメインは、なんの躊躇もなしに宇宙人(サングラスを掛けているネイダ以外には地球人にしか見えない)を殺戮してパトカーに追われるシーンと、そのあとそのサングラスを掛ける掛けないでフランクと殴りあう10分間の乱闘シーンだ。

「サングラス掛けろ」「嫌だ」薄汚い裏路地でポコポコ殴りあう主人公達。

きっと誰もが「こんなに長い乱闘シーン要らないだろ」と呟くにちがいない。

でも忘れちゃいけない、それがジョン・カーペンターの映画なのだ。だって監督自身がこの映画の音楽さえも手がけているんだぜ。

ナンセンス度★★★★★

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2005年08月31日

天国の口、終りの楽園

天国の口、終りの楽園【2001年 メキシコ】

監督:
アルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuaron)

キャスト:
フリオ --ガエル・ガルシア・ベルナル(Gael Garcia Bernal)
テノッチ --ディエゴ・ルナ(Diego Luna)
ルイサ--マリベル・ヴェルドゥ(Maribel Verdu)


高校生のフリオとテノッチはエッチなことで頭がいっぱいの世界中のどこにでもいる高校生。

ガールフレンドと性を貪り、悪い友達をこっそりと煙草を吸ったりする毎日。

お互いのガールフレンドが旅行に行ってしまった彼らが次に目をつけたのは結婚式で出会ったルイサ。

ルイサを誘う口実として、2人はでっち上げた幻のビーチ「天国の口」に行こうと誘う。

そして3人は出かけることになるが、やがてルイサはそれぞれの高校生と関係を持つようになり…。

本作品は、最後のシーン、親友だったフリオとテノッチが夏の出来事とともにお互い疎遠になり、ばったりとカフェで会うその偶然のシーンまでの長い長い伏線なのだ。

あの年頃の若者だけが持つ、感性と感冒性の熱のように過ぎ去った友人との出来事を回想するために描かれていると僕は思う。

友情、裏切り、再会。がむしゃらでナイーブな世代。

そのために監督はルイサさえも失わなくてはならなく、過激な性描写を画面に映し出さなくてはならなかった。

R指定もさながらそのポルノチックなシーンに批判が多い。

でもね、高校生だもの、エネルギッシュでいいじゃないかと僕は思う。

「スタンドバイミー」でキングは〝あの頃のような友達にそれから会えなかった〟と夏を回想しているけれど、「スタンドバイミー」が〝最初からノスタルジック〟に包まれるのと異なり、「天国の~」は、冒頭からロードムービー色が強く、そして最後の手前までロードムービーとして仕上げている。

しかし、観客の視点を高校生の夏の腕白さかりなエロティシズムと放埓な振る舞いに絞りつつ、土壇場で一気に切ない気持ちにさせ、物語を昇華させているあたりがこの映画の見所であり、批判もさながら魅了のある映画として人気が集中しているゆえんであり、監督の凄いところなのだ。

そういった意味でこの映画に流れる総てのシーンが、カフェの再会のために必要な素材となりうる。


ガエル・ガルシア・ベルナルはいわずとしれたメキシコを代表する若手俳優の一人。

1978年生まれの甘いはにかむ笑顔の俳優は、いたる作品で引っ張りだこだ。

チェ・ゲバラの半生を描いた「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2003年)でゲバラ役を、「dot the i」(2003)でサスペンス物に、「バッド・エデュケーション」(2004年)でスリリングなゲイ役をこなしている。

監督のアルフォンソ・キュアロンは「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」(2004)を手がけている。


ノスタルジック度★★★★★

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2005年08月24日

ウェイキングライフ

ウェイキングライフ【2001年 アメリカ】

監督:
リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)
音楽:
トスカ・タンゴ・オーケストラ(Tosca Tango Orchestra)

キャスト:
主人公 --ワイリー・ウィギンズ(Wiley Wiggins)
ベッドの男 --イーサン・ホーク(Ethan Hawke)
ベッドの女 --ジュリー・デルピー(Julie Delpy)


2001年のサンダンス映画祭に出品後、注目を浴びた新感覚アニメ映画。

全編を通じてホンモノの映像をデジタルペインティングを施して、トリップ感覚を誘うサイケデリックムービー。

しかもそのペインティングを複数のクリエーター達が手がけているので、タッチが場面によって変化するので観る者を不思議な世界に誘う。

監督はリチャード・リンクレイター。

「恋人までの距離(ディスタンス)」(←!名作!→)、そしてその続編「ビフォア・サンセット」を手がけた1961年生まれの若き監督(あ、あと「スクール・オブ・ロック」とかも)。

「ウェイキングライフ」には「恋人までの距離(ディスタンス)」「ビフォア・サンセット」のイーサン・ホークとジュリー・デルピーが、〝あるシーン〟で出演している。ファンならぜひ観たいシーンである。

夢なのか現実なのか死後の世界なのか?

果たしてよく分からない世界に迷ってしまった主人公。

駅の電話から掛けて向かう筈だったのに、何かがおかしい。

夢から覚めても夢の世界がまだ続いているような奇妙な感覚。ある朝目覚めると、自分の傍に見知らぬ人が立っていて、なにか哲学めいた話をする。

道往く人たちが自分になにか存在意義に訴えるようなことを次々へと話し掛けてくる…。

輪廻転生を語られ、フィリップ・K・ディックが体験したという奇妙なシンクロ体験を語られ、愛とは何かと語られる。次から次へとそんな話ばかりだ。

夢の中に迷い込んだかもしれない疑いのある場合の対処法と見分け方を教えてくる男。夢の中だったら「電気のスイッチを消しても電気は消えない」と言う。そこで主人公が試しに電気のスイッチを消してみると…。

もしかしたら映画として位置付けると判断に困るかもしれない。なぜなら間違いなく「ウェイキングライフ」は体験する作品だからだ。

・・って、そんな説明はボーンシット。糞でも喰らえ、だ。観てないやつは観ろ。
寝てるやつは目を覚ませ。
Don't wanna miss a waking life...or not?

起きろ!度★★★★★

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2005年08月23日

デリカテッセン

デリカテッセン【1991年 フランス】

監督:
ジャン=ピエール・ジュネ(Jean-Pierre Jeunet)
マルク・キャロ(Marc Caro)

キャスト:
ルイソン --ドミニク・ピノン(Dominique Pinon)
ジュリー --マリー・ロール・ドゥニャ(Marie Laure Dougnac)
主人 --ジャン・クロード・ドレフュス(Jean Claude Dreyfus)
マドモアゼル・プリュス --カリン・ヴィアール(Karin Viard)
Mr. タピオカ --ティッキー・オルガド(Ticky Holgado)
配達員 --チック・オルテガ(Chick Ortega)

「ロストチルドレン」「アメリ」の監督、ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロのデビュー作。

フランスのこの鬼才が手がけるこの映画は全編を通じて、まるで古い夢を見ているような、懐かしい御伽噺の世界に迷い込んだような、温かい独特のイメージばかり。

写真で言うなればアグファで撮影したロモのネガみたいだ。

ジュネの創作した不思議な不思議な〝映画だけに存在する〟世界に引きずり込まれることだろう。

現実とはかけ離れた場所に構築される世界。

そこは地底人が地上の人間を殺すと囁かれる近未来。

人々は「終末新聞」の情報で生活している。

その「終末新聞」の求人欄募集をみたルイソンは精肉屋の仕事を見つける。核戦争から15年経ったというのに、精肉店兼アパート「デリカテッセン」では食肉が絶えることはない。

なんと、恐ろしい方法で食肉を入手したいたのだ…。

アパートで主人とマドモアゼル・プリュスが交わる中、ベッドの軋む音がアパート内の住民に拡大して、住民のする作業(ペンキ塗り、毛糸を紡ぐ仕事、缶に穴をあける内職、布団たたき、バイオリン引き)と同調して画面がコロコロと変わるシーンは圧巻だ。

決してハリウッド映画にはないであろう笑いの感覚とフランス映画ならではの〝間〟に包まれる。

自然物(実在の山や川や空)の背景が一切現れないので、誰かの夢を覗いているような既視感に観る者は陥ることになる。

すべてが空想の出来事なんじゃないかと。

「ロストチルドレン」で開花するが、圧倒的な独特の世界を築き上げるのが非常に上手な監督である。

アンハッピーな題材(人間が食料にされる)でもあるのにグロくないそのユーモア感覚に、郷愁を覚えるほどのイメージで「ファンタジー」に仕立てた監督に脱帽する。

もともとはCF業界で活躍していたというのも頷ける。

最後の狂騒劇は目が離せない。ぜひ。


既視感迷い込み度★★★★★

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2005年08月12日

死霊のはらわた

死霊のはらわた【1983年 アメリカ】

監督:
サム・ライミ(Sam Raimi)

キャスト:
アッシュ --ブルース・キャンベル(Bruce Campbell)

「スパイダーマン」で大ヒットを飾った監督の衝撃的なデビュー作。ホラー映画(むしろスプラッタ映画か)を一躍メジャーにした金字塔的作品。

公開当初に映画館で観た子供達のブッチ切りのトラウマ映画。

サム・ライミはこの作品からすでにその手腕と頭角を表わし、資金が無くともアイデアと映画に対する眼がありさえすれば、まっとう作品が作れることをメディアに示した。

そして、既存のホラー映画を打ち破って、人々の恐怖心を煽る映画を作り上げた。

脚本自体は凡庸でツッコミどころは満載ではあるが、ホラー(スプラッタ)の肝心の決め手は、どれだけ鳥肌を立たせるか、どれだけ眠れない夜を観客に送らせることができるか、総てがこの点に集約される。

その視点からいけば、おそらくこの作品は〝鳥肌立たせちゃったよアカデミー賞〟を受賞するに違いない。

主人公のアッシュは友人達と休暇を兼ねて森の奥底の別荘に向かう。

そこにあったのは〝死者の本〟と死者を復活させる邪悪な声が封じ込まれたテープレコーダー。再生ボタンを押すと流れてくる不気味な言葉「…カンダ・・・アマントス・・・カンダ・・・」。

落ち着かない雰囲気になるアッシュ達ではあるが、気にもとめなく休暇を楽しむ。しかしすでに蘇った死霊はアッシュの妹に憑依していた・・・。

アッシュ達が訪れる貸別荘自体が鬱蒼とした〝いかにもいわくありがちな〟雰囲気で、ベタな設定だし、なんで死霊がテープレコーダーに封じ込まれているのか不明(ピッコロ大魔王みたいだ・・。)で、真剣に脚本を追求するとキリがない。

でもね、死霊が憑依したあとの惨劇は、もう必須。目が離せません。

記念すべきトラウマ第一号は、リンダとシェリルが和気あいあいとトランプの札当てゲームに興じているシーン。

夏休みの別荘でトランプをして過ごすのは万国共通。

ところがどっこい、こちとらホラー映画。

大貧民をやって就寝するほど都合良くはない。

なんと、シェリルが次々と見えることの無いトランプの札を当ててゆく。緊張高まるカメラワーク。恐怖の始まり。

そして突然「ゴギャウォーン!」という怪音とともに白目になるシェリル。

この時点で3回はチビれることでしょう。涙がでそうになります。怖すぎて。それからというものトランプそのものがトラウマの対象に。

それと「死霊のはらわた」で必ず語らなくてはいけないのが、地下室。

憑依されたメンバーをどんどんと地下室に閉じ込めるアッシュ。もちろんアンデッドな彼らが飛び出してこないように鉄の鎖で地下室の扉をガッチリとガード。ところが、所詮、鎖で巻いているだけなのか、地下室からガチャリガチャリとゾンビ(友人達)がこじ開けようとして、灰色くなりかけた腐敗している手で、床の入り口から覗いている。

悶えます。もう地下室になんか足を伸ばすことはできません。

小学3年か5年の頃に観たけれど、この映画のせいで、数十年近く脳ミソの具合が・・・。

コーエン兄弟のジョエル・コーエンが編集に携わっているのも有名。


トラウマ貢献度★★★★★

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2005年08月05日

ザ・ビーチ

ザ・ビーチ【1999年 アメリカ】

監督:
ダニー・ボイル(Danny Boyle)
原作:
アレックス・ガーランド(Alex Garland)

キャスト:
リチャード --レオナルド・ディカプリオ(Leonardo DiCaprio)
ダフィ --ロバート・カーライル(Robert Carlyle)
フランソワーズ --ヴィルジニー・ルドワイヤン(Virginie Ledoyen)
エティエンヌ --ギョーム・カネ(Guillaume Canet)
サル --ティルダ・スウィントン(Tilda Swinton)

「トレインスポッティング」で一気に知名度を上げたダニー・ボイルがアレックス・ガーランドの同名の小説を映画化。

アジアを旅するバックパッカー達は、こんな噂を耳にした。タイの何処かの秘島で選りすぐりのバックパッカー達が楽園のような生活をしていると。

それはやがて都市伝説に近い幻の島のような存在になる。

リチャードは初めて訪れたバンコックのカオサンロードの安宿で、酷く泥酔している隣の部屋の男が叫んでいるのを突然と耳にする、「ファッキン、ビッチ」。

次の朝、リチャードが朝食から戻ると、一枚の地図が扉に挟んであった。楽園までの地図。隣の男は、死んでいる。

そうか、「ビッチ」ではなく「ファッキン ビーチ」…。

いったい何が起きたのだろう、キケンな香りが漂う。でも、実際の旅の生活はどうだ?トレッキング、安宿旅行、川くだり、どれもこれも冒険からは程遠い、誰もがもうすでに開拓した道じゃないか。もっと刺激を求めて・・。なら行ってみよう。そうして同じく宿に泊まっていたフランス人カップルとともに幻の島へと向かう。

そしてそこに見た世界は本当に楽園だったのだが…。


原作が飛びぬけていると往々にして非難を浴びやすい映画というのがある。

ましてやその映画の主人公がハリウッド俳優が演じたらもう格好の餌食だ。

この映画がそう。この映画の批評をするのは簡単だけれど、20代のうちに〝かけがえの無い旅の日々〟をして、いまは現実社会で生活している人の心の琴線に触れた映画は他には僕は知らない。

そういった意味でこの映画は元旅人達のノスタルジックな感傷に浸ることのできる存在なのだ。

カオサンのD&Dホテルがちらりと見えているだけでグっとくるし、リチャードとフランソワーズが島のビーチに野宿しながら焚き火を焚いて満天の星を眺めるシーンもそうだし、秘島に到着した晩の、たくさんの旅人達が焚き火を囲みながら歓迎の気球を空高く舞い上げるシーンもそうだ。

もし貴方がふとした瞬間にアジアの空を想い出したり、胸が切なくなる時間があるようだったら、この映画を観るといい。きっとこの映画は貴方のその何かの部分を癒してくれる。そういう映画である。

特別バージョンのもう一つのラストシーンも非常に良い。旅の本質を捉えている。本ラストもね。社会復帰して、その現実の象徴であるような電子メール(まさにビーチにはないものだ)に届いた一通の添付ファイル。過ぎ去った日々の一枚。胸にくるよね。

アレックス・ガーランドの原作も秀逸だ。映画では描ききられていないダフィとリチャードの狂った会話や、ライス・ランも詳しく描かれている。

サル役のティルダ・スウィントンは「コンスタンティン」の天使ガブリエル役。飄々とした演技が特徴。

バックパッカー胸キュン度★★★★★

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2005年08月04日

ディナーラッシュ

ディナーラッシュ【2001年 米】

監督:
ボブ・ジラルディ(Bob Giraldi)

キャスト:
ウード --エドアルド・バレリーニ(Edoardo Ballerini)
ダンカン --カーク・アセヴェド(Kirk Acevedo)
ルイス --ダニー・アイエロ(Danny Aiello)
フィッツジェラルド --マーク・マーゴリス(Mark Margolis)
ニコーレ --ヴィヴィアン・ウー(Vivian Wu)
マルティ --サマー・フェニックス(Summer Phoenix)
ショーン --ジェイミー・ハリス(Jamie Harris)

隠れた名作と呼ばれる映画がある。興行的にもパッとしなかったし、特に話題ものぼらなかったんだけど、映画好きなら目を通しているような、DVDで何度観ても面白いようなそんな作品。

商業的じゃないから、つまりマスメディア寄りじゃないので所謂〝単館系〟で片付けられちゃうが、そうじゃない映画もある。

それがこの「ディナーラッシュ」。

N.Yのマンハッタンはトライベッカにある実在のレストラン ─またこのレストランの人気ぶりが凄くて何ヶ月も予約待ちの状態なのだ─ を舞台にして繰り広げられる人間ドラマ。

イタリアンレストラン『ジジーノ』の物語である。

このレストランのオーナー、ルイスを演じているのが「ゴッドファーザー」などで有名なダニー・アイエロ。

ルイスは長年の知友であるエンリコを新鋭イタリアンギャングに殺される。
新鋭のギャングは利益の為なら何をしても構わないと考える輩だ。

それに逆らったエンリコが矛先となってしまった。

そして彼らが次に狙っているのがルイスのレストラン『ジジーノ』。

もうひとつ彼らが足がかりにしようとしているのが、副シェフのダンカンのギャンブル狂いだ。

ダンカンは闇ギャンブルがなかなかやめられなく、しかも運が悪いことに負け続けている、胴元は彼らギャングである。

でもルイスはダンカンの腕を見込んでいるのでクビにはできない。

ルイスの亡き妻のイタリアンに近い料理を出すダンカンは『ジジーノ』に欠かせない存在なのだ。

一方、ルイスの実の息子のウードは早く本オーナになりたくてもどかしい毎日を過ごしている。このレストランが人気が出たのはウードの創作イタリアンが辛口の料理評論家に気に入られたからなのだ。

そしてある晩がやってきた…。

『ジジーノ』の様子を見にきたギャング2人組。何故か予約が取れた古参の刑事とその妻の熟年夫婦。厄介な絵画オーナーを称するフィッツジェラルド。完全にツキから突き放されたダンカン。ウードを慕う辛口料理評論家の来客。

突然の停電。

そして最後の結末は…?。

「yes,shef!」 「no,shef!」 「I don’t know,shef」

ちなみにマルティ役のサマー・フェニックスはリバー・フェニックスの実の妹で、ショーンはリチャード・ハリスの実の息子である。そういうキャスティングも見所だ。あとダンカン役のカーク・アセヴェドは「バンド・オブ・ブラザーズ」のジョー・トイ役を演じている。

お洒落度★★★★★

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2005年08月03日

エレファント

エレファント【2003年 米】

監督:
ガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)

キャスト:
ジョン --ジョン・ロビンソン(John Robinson)
イーライ --イライアス・マッコネル(Elias McConnell)

マット・ディロン主演、あのウィリアム・バロウズも特別出演している「ドラッグストア・カウボーイ」を送り出したガス・ヴァン・サントが、アメリカのコロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフに、その日の一日を捉えた映画。

同事件の映画といえばドキュメンタリー映画の「ボーリング・フォー・コロンバイン」が有名だけれど、マイケル・ムーアがアメリカの銃社会に対して正面から疑問を投げかけて、観る者に訴えかけているとしたら、ガス・ヴァン・サントはアメリカがいま抱えている底知れぬ強大な恐怖や、人々が潜在的に抱えている暴力性の不条理をこの事件を通じて伝えようとしているのではないだろうか。

いつもとかわらない、どこにでもある毎日と同じ一日であったはずのコロンバイン高校。

犯人の少年2人を含めて何人かの生徒達をカメラワークで追いながら、同じ時間のシーンを、違う生徒の視点よりそれぞれ映画の中に執拗に散らばめることで、その日の学校で何が起きたのか観客自身も知ることとなり、いつのまにかその生徒と同じ視点で学校に存在している気がする。

この映画に、何故この事件が起きたのかというメッセージは無い。

でもどんな日に起きたのかは僕らは知ることができる。それは本当に〝普通の一日〟に起きたのだ。我々が朝起きて、朝食を食べて、学校か会社に向かう一日と同じように。

僕らはこの事件の〝結末〟を既に知っている。

彼らが狂気の果てにどんな行動に出るのか、学校で何が起きるのか、そして、その悲劇的なラストがどのように迎えられるのか、避けられない未来を待っている自分に気付かされる。

やはり傍観者なのか。

それだけに生徒たちの姿が余計に辛い。

ポートレイトを撮り続ける写真部のイーライの廊下を歩くシーンに、ガス・ヴァン・サントらしさが滲み出ていると思う。

ゆっくりとしたカメラワークと音が練られるようにシュワシュワと耳に届くような届かないような場面。

全体的に色の少ない映画のなかで、、ジョンの透き通るような金髪とそして彼の着ている黄色のTシャツが、この物語の冷たさと救いが求められない苛立ちを表現しているのではないだろうか。

切ない度★★★★★

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2005年08月02日

スモーク

スモーク【1995年 米】

監督:
ウェイン・ワン(Wayne Wang)
脚本:
ポール・オースター(Paul Auster)
原作:
ポール・オースター(Paul Auster)

キャスト:
オーギー・レン --ハーヴェイ・カイテル(Harvey Keitel)
ポール・ベンジャミン --ウィリアム・ハート(William Hurt)
ラシード --ハロルド・ペリノー・ジュニア(Harold Perrineau Jr.)
サイラス・コール --フォレスト・ウィッテカー(Forest Whitaker)

ポール・オースターの短編物語(どちらかといったらショート・ショートに近いかね)である「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を映画にしたのがこの「スモーク」。

ブルックリンにある煙草屋のたわいもない毎日の物語を、煙草屋の主人オーギー、妻の事故がキッカケでスランプになった作家ポール、ひょんなことからポールの家に居候してオーギーの店でアルバイトを始めることとなる黒人少年ラシードがそれぞれ物語を展開していく物語。

オーギーは毎日の趣味として煙草屋の前の道を〝決まった時間〟、〝決まった構図〟で写真を撮ることとを趣味としている。

その写真の中に常連であるポールは亡き妻の姿を見つけた…。ポールとオーギーはそれから単なる常連ともいいがたい関係となっていく。

一方、ポールのところで居候していたラシードが突如行方不明になる。2人が探して見つけ出したラシードの新たなアルバイト先は今にも潰れそうな車の修理工場だった。なぜラシードはここで働こうとしたのだろうか。

いろんな物語が詰まっているけれど、息苦しくないし、むしろ季節の変わり目の切ない気持ちになるような珠玉の物語ばかり。

オーギーの煙草屋は雑誌とちょっとした雑貨とスナックと煙草を売るだけの店だけど、いろんな人が集まってそこで会話をしながらテレビを見ながら楽しんでいる。アメリカの抱える問題っていろいろあるだろうし、それは手ごわい、なかなか片付かない側面がある、それでもブルックリンの街角にある人情味溢れるオーギーの店を見ると、やっぱりいいなって思うってしまう。

ハーヴェイ・カイテルの煙草をくゆらせる姿は実に美味しそうだ。煙草を吸えないのが非常に残念なシーンである。思わず吸ってみようかしらって思うぐらいだもの。

喫煙者の皆さんでしたらすかさず手元にあるパッケージに手が伸びちゃうのじゃないかしら。

そして最後のシーンである主題の「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」をオーギーがポールに話すシーンはほんっとクールだ。是非観てほしい。そしてそのクリスマスの夜のオーギーの回想シーンもジーンとくる。

「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」は柴田元幸訳が有名で、この作品は村上春樹訳でも読むことができる。文春新書から出ている「翻訳夜話」で、2人がそれぞれ翻訳して載せているので、原文にご興味がある人は是非。

P・オースターの翻訳者としての柴田元幸の訳はやっぱり秋の初めに羽織る着心地のよいネルシャツのようにしっくりと合う。村上春樹訳もまんざらでもない。もっとも本人が「翻訳夜話」で告白しているように映画「スモーク」を観た後に翻訳しているだけにハーヴェイ・カイテルの姿がどうしてもオーギーに被ってしまう。それはそれで僕は良いと思うけど。

ちなみに「スモーク2」とされる「ブルー・イン・ザ・フェイス」は個人的に超駄作なのでお勧めはしない。

情緒溢れる度★★★★★

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2005年07月27日

マルホランド・ドライブ

マルホランド・ドライブ【2001年 米】

監督:
デヴィッド・リンチ(David Lynch)

キャスト:
ベティ・エルムス/ダイアン・セルウィン --ナオミ・ワッツ(Naomi Watts)
リタ/カミーラ・ローズ --ローラ・エレナ・ハリング(Laura Elena Harring)
ココ --アン・ミラー(Ann Miller)
アダム・ケシャー --ジャスティン・セロー(Justin Theroux)
ジョー --マーク・ペレグリノ(Mark Pellegrino)
ジョー --ジャスティン・セロー(Justin Theroux)
マクナイト刑事 --ロバート・フォスター(Robert Foster)
カウボーイ --レイパエッテ・モンゴメリー(Laypayette Montgomery)

「ツイン・ピークス」で世界中の視聴率を奪い、「ストレイト・ストーリー」で感動を奪った男が次に奪ったのは・・・、何なんだろう?

のっけから破綻したコメントしてしまおう。またしてもリンチにやられた。

リンチの白昼夢に付き合うとロクな目に合わないぜ。そう言ってしまいたい。

なんだってこの映画観てみろよ。レズの女にカウボーイ、殺人依頼と自分の見た悪夢を話す男。

幾つも張られた伏線。ダイアンがベティでベティがダイアンで、ココがお母さん?

どうかしないほうが不思議だ。

冒頭のタップダンスを繰り返すモーションの遅い醜悪で滑稽な50年代風の映像からしてイカれている。この映画作った奴は危ないぜ。そう思うのが当たり前のシーンだ。

L.Aじゃ何処にでもありそうな架空のファミレス「ウインキーズ」のシーンは、観る度に喉の渇きを覚える。気が触れそうなくらい特徴のないファミレスで自分の見た夢を話す男。

その映像自体が誰かの夢なんじゃないだろうかと猜疑心すら抱く映像だ。

この映画で、誰が何処で「This is the girl」と言うのか追跡して欲しい。
きっと追跡行為自体が作用を及ぼすだろうけど。やってのけてくれ。

とにかくリンチは中毒になる。病みつきだ。もう観るのは止そうと思っても、結局マルホランドからは逃れられない。いや俺こそが「ウインキーズ」で立っているのかもしれない。

で、誰の夢だったんだ?この映画。

病みつき度★★★★★

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2005年06月18日

ヒットラー

ヒットラー【2002年 米】

監督:
クリスチャン・デュゲイ(Christian Duguay)

キャスト:
ヒットラー --ロバート・カーライル(Robert Carlyle)

「トレインスポッティング」「ビーチ」でその際立つ個性とキレた演技が好評のロバートカーライル主演のTVM。

ヒットラーが20世紀最大の犯罪者と呼ばれるにいたった狂気の道のりをドラマ化。

TVMとはいえ、映画に遜色ないキャスティングで、2003年には、エミー賞美術監督賞と音響編集賞の2部門を受賞している。

DVDは2部構成となっている。1部は「我が闘争」、第2部は「独裁者の台頭」。

1889年オーストリアの片田舎で生まれ、芸術家を目指した筈のヒットラーの苦悩と挫折、そしてユダヤ人への憎悪を前半で描いて、徐々に独裁性を帯びた人物になってゆく。若いながら親族を汚く罵る場面から、その片鱗がうかがえる。

ロバートカーライルがヒットラーのヒステリックで神経質な性格をじつに上手に再現している。特に大演説で自分に陶酔してナチスの優越性、ユダヤへの民族的蔑視をぶちまける姿は見応えがある。そして、突撃隊の台頭、首相になり言論の抑圧を行い、独裁国家への歩みを。姪に偏執的な愛を注いだ狂人ぶりもきちんと描かれている。

後半は第二次世界大戦のシーンがあまりなく、ヒットラー自身の最後の自殺も描かれていないのがちょっと残念。

〝特別な時代は特別な方法を要求する〟というのは、かの「我が闘争」の名セリフ。映画でも叫ばれたこの言葉、果たして、特別な方法を求めたのは誰なのか?


目が離せない度★★★★★

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2005年06月04日

エターナルサンシャイン

エターナルサンシャイン【2004年 米】

監督:
ミシェル・ゴンドリー(Michel Gondry)

脚本:
チャーリー・カウフマン(Charlie Kaufman)

キャスト:
ジョエル --ジム・キャリー(Jim Carrey)
クレメンタイン --ケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)
パトリック --イライジャ・ウッド(Elijah Wood)
Dr.ハワード --トム・ウィルキンソン(Tom Wilkinson)
メアリー --キルステン・ダンスト(Kirsten Dunst)
スタン --マーク・ラファロ(Mark Ruffalo)

「マルコヴィッチの穴」、「ヒューマンネイチャー」、「アダプテーション」のチャーリー・カウフマンとミシェル・ゴンドリーのタッグに、「トゥルーマンズショー」のジム・キャリー、「タイタニック」のケイト・ウィンスレット、「ロードオブザリング」のイライジャ・ウッドなどの豪華キャストを配役した切ないラブロマンス。

監督がチャーリー・カウフマンとくれば、言わずと知れた〝脳〟がらみの物語で、記憶だの意識だのが題材として選ばれるのは予測がつくことだと思う。

終わりが訪れてしまった恋人達の切ないロマンス。

脳の中の記憶を消すことができることから、人々は特定の記憶を消したりするのが自在である。

ある日、ジョエルは一通の手紙を貰う。

「クレメンタインの希望によりあなたの記憶を消しました」

恋人から突然と記憶を消されたことからショックを受けるジョエル。

彼女とはたしかに喧嘩も絶えなかったけれど、大事な恋人だった。出遭った頃や、楽しい思い出が次々と浮かんでくる。立ち直れないジョエルは自分も彼女の記憶を消すことを決心する。

記憶を消したジョエルはある朝、突然目覚める。もう彼女のことは覚えてない。
もちろんクレメンタインも彼のことを覚えてない。もう赤の他人だ。

それでも彼らが向かった先は・・・・。

相当切ない物語。記憶の消そうとするジョエルが脳の中で再現するクレメンタインの思い出シーンが在るが、これはもう涙もの。

喧嘩をしてもお互いを憎しみあっても、記憶を消してお互いの歴史から消滅させたとしても、やっぱり惹かれあう。そんな恋人達のストーリー。

チャーリー・カウフマンがラブロマンスを作ると、こうなるんだ、って感じでもある。SFチックな脳内物語の展開。でもそれがたんなるサイバーパンクに終わらず、きちんとラブロマンスまでに昇華して、辛い思い出ばかりじゃないし楽しい思い出ばかりでもない、でもやっぱりその人と恋をする人達を忠実に表現している。

途中のシーンで歌われる童謡(これがまた・・)を聴くと、もう涙がじわり。


「時をかける少女」のラストシーンとか「ウィングマン」の最終シーンとか(ってやたらと限定されている方向だけど)が好きな人はきっと気に入ると思う。

ところで、ジム・キャリーはシリアスな役柄が非常に合う。「マスク」とかのどぎつい役も当たりどころだけど、こういったラブロマンスも上手い。

ケイト・ウィンスレットもちょっとパンキッシュで刺激的な女のコを演じている。また「ロード~」で一世を風靡したイライジャ・ウッドの意外な役どころの起用もナイス。

特に彼の登場シーンがキイポイント的要素を兼ね備えているので、この監督に脱帽する。

マジで切ない度★★★★★

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2005年03月22日

レクイエム・フォー・ドリーム

Requiem for a Dream【2000年 米】

監督:
ダーレン・アロノフスキー(Darren Aronofsky)

キャスト:
サラ --エレン・バースティン(Ellen Burstyn)
ハリー --ジャレッド・レト(Jared Leto)
マリオン --ジェニファー・コネリー(Jennifer Connell)
タイロン --マーロン・ウェイアンズ(Marlon Wayans)
タピー --クリストファー・マクドナルド(Christopher McDonald)

「π(パイ)」で衝撃的なデビューを飾った監督の2作目。前作と同様にサイコ的な要素たっぷりの映画。アメリカ映画には珍しい〝何処にも救いのない物語〟で、映画終了後には、誰しもが行き場の無い焦燥感で詰まる筈。

テレビ中毒のサラは旦那にも先立たれ、唯一の一人息子であるハリーも家を出てしまったので、家族の世話をするという主婦の生きがいも無い毎日をただ淡々と過ごす。

ある日、いつものようにテレビを観ていると、番組の司会者からテレビ出演の知らせが。
それを機に、出演へ向けてお気に入りの赤いドレスを着られるようにダイエットに励むサラ。10日間で痩せるというプログラムに全く効果を感じない彼女が手を出したのは医者が処方するというダイエット薬という名のドラッグ。しかし彼女はドラッグだと気がつくこともなく、この薬を飲みつづけ、テレビ出演の知らせを待つのであった。

ドラッグが彼女の求める幸せな人生の歯車を狂わしていき、行き着く先にあるものは、まさに救いのない奈落の底。

*

サラの息子ハリーとその友人タイロンはコンビで窃盗やちょっとした犯罪をして、その日暮らしをしている若者。大金を掴みたい為に彼らが選んだ道は、ドラッグを水増しして売買するという方法。だが、そのドラッグ自体に最初から手を出している彼らはどんどんと中毒になり、ハリーの彼女であるマリオンもついに。

男連中がどんどんとドラッグに嵌まり、幻覚が見えてしまうシーンも怖いけれど、女の子が中毒となり、やがて売春の手を出すシーンはもう言葉にならない。マリオン役のジェニファーコネリーがこれまた清楚な顔立ちの俳優で、とてもドラッグに染まりそうにないギャップもまた見所。最後、あまりにも過激すぎる方法と結末でドラッグを手に入れようとするが、それは観てのお楽しみ。

そしてサラが最後に電車に乗るシーンがある、とっても酷いシーン。現実と幻覚の区別も出来なくなった普通の主婦の筈であったサラの変わり果てた姿は鳥肌が立つ。

*

ドラッグに蝕まれて人生を踏み外し、どんどん落ちていく有り様を綴った映画は数多いだろうけれど、大抵の映画には必ず〝救済〟が描かれている。しかし、この「Requiem for a Dream」だけは1ミリも救いが見当たらない。あの「ドラッグ・ストア・カウボーイ」にすら、最後には救済が準備されていたというのに。

ドラッグによって、自らを滅ぼし、精神を崩壊させていく平凡な人々の姿を鬼才ダーレン・アロノフスキー監督が最も効果的な映像で観客を魅了する。蝕まれていく未来、夢を追っていたはずなのに気がつくと、何も手にしていない、むしろ失ったモノのほうが多い自分。

全編に流れる〝Summer overture〟(Client Mansell:featuring Kronos Quartet)は GMS 〝Juice (Live Mix)〟のオリジナルトラック。出だしからメロディアスで哀愁漂うこの曲がより一層に、本編を重厚な仕上がりにしている。この映画を見終わった後に〝Juice (Live Mix)〟を聴くと、絶対にこれまでと違う印象を持つだろうから、 GMS が好きな方は必ず観たほうがいい。


救いの無さ度 ★★★★★

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2005年02月07日

ギャラクシークエスト

ギャラクシークエスト【2000年 米】

監督:
ディーン・パリソット(Dean Parisot)

キャスト:
タガート艦長 --ティム・アレン(Tim Allen)
ドクター・ラザラス --アラン・リックマン(Alan Rickman)
チェン --トニー・シャルーブ(Tony Shalhoub)
ガイ・フリーグマン --サム・ロックウェル(Sam Rockwell)
マディソン中尉 --シガーニー・ウィーヴァー(Sigourney Weaver)

2000年ヒューゴー賞受賞。

20年前に打ち切りになったテレビ名作番組「ギャラクシー・クエスト」の出演者の過去の栄光は遠のき、今は大型スーパーの開店の営業や、いまだ熱狂的なファンが集まる会場で書き散らすサインが唯一の仕事&収入。

そんなファンの集いに突然と現われた〝自称:ネビラ星に住むザービアン星人〟に宇宙を助けて欲しいと懇願される。彼らは宇宙の彼方で、「ギャラクシー・クエスト」を本物のドキュメント番組として彼ら出演者を宇宙のヒーローと信じていたのだ。。。

テレビで放映するSFなんてほんとは宇宙船だってニセモノだし、宇宙人なんている筈がないんだよと分かりきっているのに実際にはリアルなSFワールドに巻き込まれていく「ギャラクシー・クエスト」の出演俳優達が最高。

今となっては俳優の端くれみたいな営業回りしか仕事がないし、唯一の収入源であるファンの集いに来る連中はマニアックすぎる人たち。第○○話のあのシーンがどうの、、とか、そんなんばっか。

そんな抜けられない現実に突如現われたザービアン星人をキッカケに物語が加速していく。

パロディである設定をさらにパロディにして、最終的にはそれがリアルなSFであると仕上げるあたりが凄い。最初から大爆笑できて、なおかつ笑いだけじゃなく勇気も泣きもある。

「エイリアン」に出演していたシガニー・ウィーバーのギャップも見所。

見たほうがいいって度 ★★★★★

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