2006年03月31日

中野「菜華」

JR中野駅近くの〝中野ふれあいロード〟は所謂ラーメン激戦区で、店長が拉致られてしまった青葉を筆頭に有名店が凌ぎを削って切磋琢磨してるストリートだ。

その中にある「菜華」は、いまでこそポピュラーな無化調ラーメンに10年前からこだわり続け、厳選した素材を生かしたスープが人気のラーメン屋だ。

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写真は醤油ラーメン(600円)。

海の香りがいっぱいの魚系と豚骨系のダブルスープ。油膜の浮いた醤油ダレのスープである。

濃い茶色なので味も濃いのかなと不安に思ったのは無用だった。

ほんのりと甘いスープに、野菜が溶け込んでいて、うまくマッチングしている。
消えがちな魚系もしっかりと生かされている。

スープが自慢、というだけはあると思う。

このスープが縮れの強いモチモチとした麺と相性が抜群。

黒豚を使用したチャーシューは箸を軽く入れただけでズズズッと崩れる柔らかさ。

オーソドックスな醤油で煮しめた黒豚から肉汁がこぼれてスープと一体となる。

食欲が湧いて当然だ。

近くにある青葉は、やたらと混雑しているけど、並ばないで納得のいくラーメンが食べたい人なら、この「菜華」はなかなかのお奨め。

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菜華
中野区中野5-55-3
11:30~23:30
無休

支那そば --\600
醤油ラーメン --\600
塩ラーメン --\650
つけめん --\650

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2006年03月30日

王子「みのめんた」

午後はまるまる思いっきり紅白歌合戦的ネーミングのこのラーメン屋は、JR王子駅のすぐ裏手30秒ほどの位置にある。

某大物司会者とはまるで関係なく、麺が多いことから付いた「味の麺多」が本当の名前(漢字)らしい。

近くに覇者のように君臨する大勝軒があるというのに、つけ麺の店として結構賑わっていると評判。

そのギャグのような店名で期待も薄いかと思いきや、これが味は本格的で、平打ち中太の自家製麺を使い、なかなかの本格派。

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写真はつけ麺1.5倍(680円)。

鶏と野菜のパンチの効いた濃いスープに、玉葱、青葱がバランスよく散らしてあって、挽肉のそぼろがスープに混ざっている。

味の染みた焼き豚とメンマと海苔が浮かぶ。中太のモッチリとした麺がこのスープに小気味よく絡むのがなかなかである。

普通盛りでも1.5倍でも同値段で、1.5倍は結構な量があるんだけど、スープのしっかりとした味と自家製麺の歯ごたえが一気に加速して、結局、ペロリと食べられてしまう。

ちなみに券売機があって、先に支払いが終わるので、会計の時に「ファイナルアンサー?」とは決して聞かれない。ちょっと残念な話である。

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みのめんた
東京都北区王子1-2-2
11:30~24:00
(土・日・祝:~22:00)
無休

つけ麺 --\680
ごまだれつけ麺 --\680
夜だけつけ麺 --\900

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2006年03月29日

深大寺「ゆかりの湯」

都心から僅か数十分の東京・三鷹の自然が豊かに残る深大寺の「城山亭」敷地内に、99年5月、温泉が沸いた。

深大寺「ゆかりの湯」の源泉である。

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昨今の日帰り温泉ブームのきっかけを築いたといっても過言じゃないだろう、深大寺の緑に溶け込んだ落ち着きのある温泉が好評で、一気に注目を浴び、そして、いまでも訪れる人が途絶えることがない。

檜であしらわれた内風呂からは露天が一望できて、昼間は贅沢なほどに日光が射す。

キラキラと輝く水面と昇る湯気を眺めていると、ついウトウトしてしまいそうなぐらいだ。

露天風呂はいろいろと楽しめて、滝の見える滝見風呂、五右衛門風呂、洞窟風呂、六角形の木に囲まれたハーブが香るハーブ風呂と多数ある。

長湯が出来るようにお風呂の中の石の配置とかいろいろと考慮されているのが嬉しい。

背面には三鷹の自然がみえるのでボーっとするのも悪くない。

泉質はナトリウム-塩化物温泉(等張性・弱アルカリ性温泉)で、効能は以下のとおり。

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、
慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、
やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病。

黒に近い茶色の塩分を含んだ温泉が独特で、保温効果が抜群だとか。

「ゆかりの湯」施設内の長い廊下に併設して並んでいる庭には、白石が敷き詰められていて、お団子やおつまみ、生ビール、ソフトクリームを売っている。庭には足湯もあるので、さながら温泉の観光地のようだ。

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都内でちょっと疲れを感じた時にぜひ。

深大寺「ゆかりの湯」
調布市元町深大寺2-12-2
10:00~22:00
第一水曜 定休

1日券
(時間無制限 バスタオル タオル 館内着 無料)
大人 --\1,650
小人 --\1,000

カラスの行水券
(60分制限 バスタオル タオル 無料)
大人 --\1,000
小人 --\500

※京王線調布駅北口(30分間隔)、およびJR線武蔵境駅南口(1時間間隔)より「無料シャトル送迎バス」を毎日運行中。

HP

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2006年03月28日

現役続くハリソン・フォード

新宿厚生年金ホールで上映するハリソン・フォード主演「ファイヤーウォール」の試写会に招待されたので、先週のとある過日、観にいった。

この記事がアップされる日(つまり今日)は、まだこの映画は上映してまもないことだから、一応、内容についてはあまり触れないでおこうと思う。

一言の感想の述べると、「ファイヤーウォール」は、高度の技術を持ったセキュリティシステムが悪の手に・・・(ごにょごにょ)・・・・それをハリソンが・・・(ごにょごにょ)・・・・という映画だが、題名とは裏腹にものすごい肉弾戦が繰り広げられる映画だった。

サイバー系のノリを期待していただけに、そういった意味では意表を突かれた。

つまりは、高度セキュリティといいつつも、実際は、アナログ的な、あるいはヒューマンロイド的な部分でシステム自体のバランスや保守が成り立っているから、逆にいえば、そこさえ崩せばセキュリティそのものも崩れる、そんなことを伝えようとしている映画なのかもしれない。

まあ、あまりこの映画について考察していないし、娯楽映画なので大した事が言えないわけだけど。

この映画では、冷徹なキラー役をポール・ベタニーが準主役を演じている。
ジェニファー・コネリーの夫だ。トム・ハンクスの「ダヴィンチ・コード」にも出演する。

イギリス人らしい気難しい顔と、気品のある雰囲気を醸し出すこの役者、イギリス英語特有のアクセントが実にクール。ポール・ベタニー目当てで「ファイヤーウォール」を観ると楽しいだろう。

さて、これで今日の記事を終わらせるのも何だか味気ないので、いままでに観た映画にまつわる話でもしてお茶を濁したい。

せっかくだからハリソン・フォードの話でも・・・と思ったら一つだけこんな話を思い出した。

以前、サンフランシスコを長らく旅行していた頃、市内のダウンタウンにある決して安全とは言えない程度の安宿に何日か宿泊していた。

70年代のヒッピーがいまだに顕在していそうなヘイト・アシュベリーに近いその宿には、みんなでテレビが観られる大きなホールがあって、金の無い旅人や仕事をしている滞在者は、チリビーンズやブリトーニを齧って60セントのコーラを飲んで過ごしたりしていた。

僕と友達もそのうちの一人で、メキシコ人が出す屋台で、タコスやトリッパという臓物の塩焼きを買っては、夜は何処を歩くこともなくその安宿の居間のようなホールでテレビを観て過ごした(その10日ほど前にゲイしかいないクラブで黒人に羽交い絞めにされそうになったのも実は出かけなかった大きな理由だ。それは本当に危機一髪(not一発)で泣きそうになった)。

で、その時放映していたのが、SW(スターウォーズ)シリーズだった。

リマスター版がリリースされたこともあり、何日間か、SWシリーズが集中的に放映されていた。

僕らや宿に滞在している連中は、適当にチップスやぺプシやチリやベイクドポテトやチョコレイトケーキを誰彼なく寄り持って、夜21時になると適当にホールに集まって空いているところに座った。

不思議なことにそれまで自分がアメリカにいるんだと強く意識したことがなかったのに、小汚い安宿でハリソンフォード演じるハン・ソロとルーク・スカイウォーカーが帝国軍に立ち向かう姿をブラウン管越しに観ていたら「ああ、そうか、俺はいまアメリカにいるんだ」と感じるようになった。

恐らくはその場にいるほとんどの者が既にSWを観ていることだろう、でもまるでみんな初めてその映画を観るかのように、大盛り上がりしていた。

僕らこそがジェダイの戦士であるかのように。

ルークがやられるごとに「ガッディム」と大きな声で悔しがったり、「He can fly!!(アイツ、飛んじまったよ)」と叫ぶさまざまな国の連中の姿を見るほうが楽しかった。

Dear,ジェダイ。

May The Force Be With you.
「フォースと共にあらんことを」.

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2006年03月27日

新日本三大夜景

新日本三大夜景というのがあって(旧三大夜景といえば、「札幌」「神戸」「長崎」)、それは、この3つの場所がそうらしい。

・フルーツ公園(山梨県山梨市)
・若草山(奈良県奈良市
・皿倉山(福岡県北九州市)

このうちフルーツ公園と皿倉山は何度か行った。

皿倉山は北九州地方が一望できる622mの山で、山頂まではケーブルカーとリフトで登る事ができて、キャンプ場もあり、夜景はやはり見応えがある。スペースワールドという遊園地の観覧車が夜になるとライトアップされるわけだが、それを眺めるのはディズニーランドの景色なんて比じゃない。

フルーツ公園は山梨にある。山梨の勝沼地方は葡萄が採れることからワインの産地として有名で、東京から1時間弱でいける穴場のスポットだ。

近くに星空が天井で甲府盆地が眺められる温泉もあって、富士山が真正面。

盆地の夜景は日本三大夜景に相応しい。

その素晴らしさは闇に散らしたダイアモンドみたいだ、ほんとに。温泉の景色で感動して鳥肌が立ったのは初めてである。

夜景の感動は写真にも文章にも残せない。見ている瞬間ですらちょっとでも目を離すと夜景は遠ざかってしまう。それでも僕らは何とか自分が夜景を見て感動したその想いを残そうとして、誰かに伝えようとする。それが夜景の魅力であるように思う。

ところで、勝沼ワイン、山の自然、富士山、温泉、甲府盆地の夜景と満天の星空、東京から1時間弱という資質が豊富な勝沼エリア。

少々、この土地の奥深さに憑りつかれてしまったようだ。本気で移住も考えたい。

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2006年03月24日

Aphorism [開高健]

明日、世界が滅びるとしても 
今日、あなたはリンゴの木を植える。


開高健(小説家 故人)

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2006年03月23日

中野「博多餃子房 長浜食堂」

JR中野駅から徒歩10分のところにある「長浜食堂」。

正統的な長浜ラーメンが食べられると評判の店である。

あまたある博多ラーメンのうち、長浜ラーメンは、いわずとしれた福岡県の長浜という土地が発祥のラーメンのことをいう。

長いこと長浜地方でしか食べられてこなかったラーメンとその食べ方、と表現を変えてもいいかもしれない。

内的に栄えた独自のラーメン文化。

では、長浜ラーメンとはなにか。

長浜ラーメンとは、というより、長浜ラーメンと博多ラーメンの違いは、誰かが明文化したわけではないし、食の世界に、そのような境界線を設けるのは正直つまらなくウンチクの温床となって、ついつい眉間に皺が寄るわけだが、そういった“違い”というのはあるようでないようで、やっぱりある。

つまりそれは、次の3点を結果的に満たしているのが長浜ラーメンなのではないだろうか。

1)
味の調整を自分でする。辛し高菜、紅しょうが、白胡麻とトッピングが自由自在。

2)
麺自体が特殊な味というかクセがあって、加水率の低い独特のコシがあり、あくまでも固め。固ければ固いほどよい。スープは薄めの味なのだが、まろやかに豚骨。

3)
替え玉を愉しむ。その際には〝固め〟か〝バリ固(ばりかた)〟か〝ハリガネ〟で注文。替え玉のためにテーブルには味を足すスープが置いてある。
※ハリガネ→さっと湯通ししただけの麺

僕の見た限りの長浜ラーメンというのは必ずといっていいほど、この3つを兼ね備えている。

食べ方的にはこういうことになる、ラーメンを頼む→ラーメン登場→テーブルの上にあるトッピングをお好みで入れる→1麺めを食す→替え玉をあくまでも固めで注文→スープを足す→ご機嫌♪

逆を言えばこの3つのうち1つでも外れていたら残念ながらそれは長浜ラーメンではないのだ。

そんな長浜ラーメンが─悲しいことに、その土地で食べるより美味しいことはないというのが法則ではあるけれど─東京でも食べることができるのが、この「長浜食堂」だ。

カウンター6席、テーブル20席の広い店には食堂という名前とは裏腹にジャズが流れている。

呑んで食べて最後にラーメンを食べる店に倣い、〝砂肝の香り煮〟とか〝青菜の炒め〟とか小料理のメニューが多く、たいていのお客さんが、小皿を頼んで呑んでいる。

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こちらは博多焼餃子(409円)

モチモチとした皮の餃子。鉄鍋風ではある。ビールを頼むとしたら、これも・・・という趣きが漂う。

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こってり長浜とんこつラーメン(619円)。

クセのある麺に絶妙に絡むスープは、白い薄豚骨で、3日間掛けて豚を頭から尾まで煮込むという。においがきつくならないように丁寧にあくぬきをしたというだけあって、豚骨臭は少なく、レンゲを沈めるごとにクセになるスープはさすが。

替え玉用のラーメンだれ(テーブルに置いてある)を1杯目から投入するツワモノも。テーブルにある辛し高菜を入れたり紅生姜を落として自分の味を楽しもう。

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博多餃子房 長浜食堂
中野区新井1丁目2-10
11:30~15:00 17:00~翌2:00
無休

こってり長浜とんこつラーメン --\619
博多焼餃子 --\409
青菜の炒め --\409
石焼あんかけチャーハン --\619
替え玉 --\100

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2006年03月22日

黒崎「いづみ」

「並んで食べるんやったら他の店に行くけんね」とか「こんなん並びきらんわ、ほかいこ」と、やたらと混雑した店は敬遠する気風が漂う北九州の土壌で、この店だけは1時間待っても食べたいと北九州っ子が─歯を食いしばってやや視線を泳がせつつなのかは分からないが─吐露するのが、鹿児島本線の黒崎駅から徒歩5分の繁華街に位置する餃子の「いづみ」。

常に賑わうこの店では、餃子の皮の焼ける馨しい香りをよそにじっと耐えている先客がカウンターの周りを囲んでいる。
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そう、「いづみ」の餃子は並んでもいいからとにかく食べたいのだ。

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さて、こちらは、餃子と双璧をなすといっても過言ではない漬物(300円)。

ぬかがしっかりと効いている漬物は、この店の名物。

一口では表現が出来ない漬物の旨みが色とりどりの野菜に刻みこまれている。

餃子屋が出すような漬物には感じられない。

なんと言うか、もっと小料理屋とかが出してもいいんじゃないかというレベル。決して手を抜いていないのが素晴らしい。しかも、サッパリとしているので、いくらでも食べられちゃう。

餃子が焼ける前にビールと一緒に頼むという人が多い。持ち帰りもできるし、実際に持ち帰りを希望するお客が多い。それぐらいの漬物なのだ。

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使い込んだ鉄鍋でジュウジュウと香ばしく焼かれる餃子(450円)。

思わず待ちきれなくて、お腹が鳴ってしまいそうになる。生地はお客が来てからのばすという(カウンターでは専門で生地をのばす担当がいた)。パリっとした軽い食感がする皮の虜になることだろう。

肉汁たっぷりの具材は厳選した素材を使っているというだけある。

「いづみ」に限らず北九州地方の餃子屋にはラー油と酢が置いていなく、そのかわりに〝餃子のたれ〟なるものがテーブルに設置されているのだ。

そしてこれがまた、鉄鍋餃子にメチャクチャ相性がいいのである。

どれだけ食べても胃がもたれる気配がない一口サイズの餃子。肉汁がしたたり、湯気があふれる。

そして、熱い鉄鍋からぐいっと皮を剥がして、プルプルと音を立てるジューシーな餃子を頬張る。

もう箸は次の餃子に伸びている。

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こちらはやきめし(530円)。

チャーハンと呼ばずに〝やきめし〟と呼ぶ。

ざっくりと平皿に乗ったやきめしを締めに頼む人が目立つ。

オーソドックスな中華と和風の中間の味。

餃子とやきめし。一見、個性的な味同士だからぶつかると思いきや、これがなかなか良いコンビなのだ。胡椒をまぶして一気に食べよう。

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いづみ
北九州市八幡西区黒崎3-5-10
16:00~23:00
第1・3・5月曜、日曜、定休

焼き餃子 --\450
水餃子 --\480
漬物 --\300
やきめし --\530
おでん --\120~

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2006年03月20日

小倉「東龍軒」

小倉の旦過市場の目の前にあるのがこの「東龍軒」。本店は小倉北区日明にある。魚町にあるのは旦過店。鹿児島本線小倉駅から徒歩5分。

ラーメン専門店と謳うだけあって、臭みのないあっさりめの白豚骨スープを堪能できる。それでいてまろやかでコクがあるという・・・。

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写真はラーメン(450円)。

九州ラーメンらしいストレートの自家製中細麺がマッチング。

注文の際に必ず「ニンニクはどうされますか?」と訊ねられる。

ニンニクを入れると入れないで味が変わるからだ。

ニンニクを投入したほうがスープにエッジが出来て、味を際立てるという者もあれば、スープ本来の味を愉しむには、ニンニクは入れないほうがいいという者もいる。

これは好みの問題だ。

僕自身は「東龍軒」のスープにはニンニクが似合うと思う。

ニンニクを入れて食べる「東龍軒」のラーメンは他ではちょっと味わえない、そんな気がするからだ。

一気に飲み干したってかまわない豚骨スープ。

朝の4時まで営業しているので、小倉界隈で呑んで遊んだ帰りにフラっと立ち寄れる。ちなみに九州で「ラーメン」というのはあくまでも「豚骨ラーメン」のことを指すので注意(って言っても何を注意するんだか)。

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テーブルの上には辛し高菜がサービスで置いてある。ただしこれはかなりの辛さ。別オーダーでおにぎりを頼んだ時に食べるとか、スープに辛味を足したい時に食べるほうが無難。

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東龍軒 旦過店
北九州市小倉北区魚町3-2-13
11:00~翌4:00 
火曜定休
ラーメン --\450
餃子 --\250

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映画覚書

このブログでも幾度となく取り上げている「暗闇のスキャナー」(邦題)のオフィシャルサイトがついに公開。

「ウェイキングライフ」のリチャード・リンクレイターが監督。「マトリックス」のキアヌ・リーブスが主演。

実写した映像をアニメ化する独特の手法はお手のもの。

トレイラーを観ただけで心臓が高鳴る。

7月7日、全米で公開。

嗚呼、日本公開が待ち遠しい。

オフィシャルサイト

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2006年03月17日

釜山への船路

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2003年の2月に、山口県の下関からフェリーで韓国の釜山(プサン)まで渡った。

西日本の、とりわけ北九州地方一帯からの海外へのアクセスとしては、非常に馴染み深いこのルートも東日本出身の自分にとっては新鮮そのもので、沖縄から船で台湾に行くのと同じくらい、かつてから夢見た旅のルートだった。

仕事の関係で北九州地方に長らく滞在していたので、仕事を除けば、その滞在自体が旅のようなものだったわけだけれども、鹿児島本線で数十分で到着できる下関から韓国に行くことを達成するというのは魅力的すぎるプランだったのだ。

船は毎日出港しているし、19時に下関を出発する関釜フェリーだったら翌朝の8時過ぎには釜山に到着する。

船の中には大浴場も設備としてある。

往路で9,000円、復路で8,100円。合計金額17,100円。

こういうのをロマンと呼ばずして何をロマンとするのだろう?

フェリー乗り場は下関駅から徒歩5分程度のところにある。

煌びやかとまでは言い難いけれども、さすがに外国と結ばれている船着場だ。

収容力もそれなりで、バングラディッシュのダッカにある一番の高級ホテルぐらいの赴きと威厳を持って聳え立ってる。その日は平日にも関わらずフェリーを待つ人はたくさんいたので驚いた。大量の荷物を背負っている韓国人のお婆ちゃんや中年のおばさんがほとんどで、そこらじゅうからキムチの匂いが溢れていて、もうすでに韓国のような雰囲気である。

船は品川から伊豆七島にむけて乗る東海汽船とほとんど変わりがない。

前述したように、この船には大浴場がある。どうもこれは日本と韓国の血塗られた渋い歴史を垢といっしょに流してしまおうという政府側の魂胆をフェリー会社が受諾したことに始まるらしい。

というのは冗談だけれども、とにかく日韓両方の旅人が巨大なフェリーでお湯に浸かってのんびりできるうれしいサービスだ。

隣の国の見かけは殆ど同じ種族なのに、入浴という習慣をひとつとっても似ているところもあればまるで似ていないところもあるのが面白い。

まあ、もっとも、僕が韓国に行った日は時化の強い日だったようで、波乗りをしているかのようにお湯がザッパンザッパンと揺さぶっていたので、のんびりするどころじゃなかったわけだが。

ついでながら船の施設について触れると、船の中には食堂やカラオケ施設もある。

食堂のメニューは日本食と韓国食の両方があって、カツ丼定食1,000円とかキムチチゲ定食900円とかである。

最後の晩餐的な日本食を堪能するのもいいだろうし、早速韓国料理に舌鼓を打つのも良いってわけだ。味はそれなり。この食事が食べたいためにわざわざフェリーで韓国までに行くんですよっていう人はたぶん10億人に1人もいないだろうが、無かったら不便極まりない、そんな食堂だ。

そうこうしているうちに船はゆっくりと韓国に向けて出発する。

周りでは無料サービスのお湯を使って韓国の激辛ラーメン〝辛ラーメン〟を食べている連中もいる。鼾を掻いているのもいれば、カードゲームで賭博をしているのもいる。

とにかく船は無事に出航する。

さて、突然だけれども、皆さんは<船酔い>たるものを経験したことはあるだろうか。

僕は何度か船旅を少ないながらもしたことがあるんだけれども、船酔いだけはどんだけ体調が悪くても患うことはなかったし、ましてや、この俺が船酔いなんてするわけないじゃないかぐらいまでタカをくくってきていた。僕を船旅に向ける何事にも変えがたい原動力だったし、案ずることはないという旅の開放感にも繋がっていた。

それがなによりも船旅における絶対的神話だったのだ。

釜山へフェリーで行く前までは。

船酔いというのは無間地獄のスパイラルだ。

決して逃げることはできない。

一度三半規管が狂ったら降りるまで狂ったままだ。

頭がグルグルして、もはや吐くものが無いとしても許されない。僕自身は元々の体質なのかお酒を飲みすぎて気持ち悪くなっても吐けないので、ただひたすら苦しみを味わうだけだった。

トンカツをたらふく食べた後に、マーガリン一箱とオリーブオイル一瓶をミキサーに掛けて攪拌したリッターのジュースを一気して、富士急ハイランドでジェットコースターを梯子したあとに、ボディブローを食らい、鼻から豆乳を吸い込むような気分を想像してほしい。

しかも船の中はキムチくさい。

ニンニクと唐辛子を混ぜ合わせた香りが次から次へと鼻を通じて自分の中で充満していく。

もし俺が差別主義者だったらいまごろ心もとない台詞でコイツらを罵倒しているだろうなと思うほどに。

幸か不幸か僕は差別主義者ではなく、寧ろその対極にありたいと日々願う人間だったので、呪詛をぶちまけることはなかったが、そのかわりに朝の8時までのたうちまわる事になった。

船酔いの洗礼はあまりにも容赦の無い施しだったのだ。

さて、朝の8時。

釜山に着いた僕は魚介類の屋台が豊富なチャガルチ市場の近くにある安宿に飛び込んだ。

道一杯に茣蓙を引いた韓国人がその日獲れた魚を並べて売っていたり、市場の中には食堂とかもある。見ごたえのある活気がいい市場の端にある安宿だ。

しかし、この日の僕はどうやら船酔いだけではなく熱もあるようだった。

船の中で湯冷めして完全に体調を崩したらしい。

レセプションだけが英語が通じるのが救いで(韓国語はアニョハセヨぐらいしか分からない)、しかもオンドルという韓国の伝統的な床暖房がある宿だったので、フラフラな姿で荷物を紐解いて、宿の従業員に体温計を借りて倒れた。

熱は39度あった。辺りでは賑やかにハングル語で何かを言っている。市場の喧騒がここまで伝わってくる。

「・・・・ハセヨ?」

部屋でひっくり返っている僕を見て、従業員が心配して訊ねてくるけれども、僕には彼のハングル語が分からない。

レセプション以外は英語が通じないのだ。

記憶が朦朧としている。でもたしか宿の目の前は薬局だったはずだ。

何とかそこで解熱剤を手に入れなければならない。
食事もとらなくてはならない。

キムチの匂いはもうたくさんだ。

でもその前に僕の身体は睡眠を求めている。
僕にはそれがはっきりと感じられる。

優しい従業員にもお礼をいわなくちゃいけない。
「体温計、ありがとう。ちょっと熱があるみたいだけれど、寝れば大丈夫だよ」と。

身体がいうことをきかなくて動けない。

突然、人気の無い公園で猫が一匹だけ毛繕いしている映像が頭の中を流れた。

意識が混濁している。

猫はニャァニャアと鳴いていて、なぜか僕はその猫に怯えている。

口をあけた猫の顔が笑っているように見えるのだ。

そして毛繕いを繰り返すごとに猫がどんどんと小さくなっていく。

キムチの匂いはもうたくさんだ。

「ありがとう」

もう一度猫が「ニャー」と鳴いて映像が途切れた。

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虚構新聞

▼患者体内にiPod置き忘れ 滋賀・びわこ医大病院

とか

▼「生類憐みの令、検討に値するね」 首相、部会に検討を指示

とか

▼エッフェル塔の尖塔、白昼堂々盗まれる フランス

とか

そんなニュースが満載。


言葉は無力なのか?

そんなことはない。

笑わすことぐらいなら、できる。

虚構新聞

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2006年03月16日

サダルストリートの夜

サダルストリートは、20年以上前は〝地獄に一番近いストリート〟と呼ばれていたらしい。

インドのカルカッタにある路地だ。

20年前ぐらいだと、道ばたのいたるところに乞食と野たれ死んだ乞食が溢れていて、うっかり足を踏んでしまい「oh!sorry」と謝ったら、その男はとっくに死んでいたと、まるで冗談のような本当の話が毎日起きていたと当時を知る旅人は言う。

道ばたで死ぬ人間もいれば生まれる人間もいて、オギャーと、たらいの中で生まれたかと思えば、その1メートル先で野良牛がボタボタと糞をしている。

そしてこの一帯は安宿が集中していたので、パスポートを売り飛ばした旅人も同じく道ばたで倒れていた・・・、とまあ、とにかくすさまじい状況だったと古いアルバムを眺めるように懐かしむ諸先輩方もいらっしゃる。

しかし、今日のサダルストリートは、そんな様相はまるで感じられず、何年か前に政府が打ち出した浄化政策の効果で実に小奇麗に落ち着いている。

噂によると乞食と野良牛をまとめてデカン高原に放り出してきたと囁かれているぐらいだから、その徹底ぶりな浄化政策にはうなだれるばかりだ。

牛もほとんど見かけないし、サダルストリートに限っては乞食の数がそれほど多くない。

それでも突然の雨に降られるだけで、ダムが決壊したかのように膝ぐらいまで水に浸かってしまう街の光景は相変わらずだし、夜になると、このあたりをねぐらにするインド人の麻薬常習者や詐欺師がぞろぞろと道に現れてくる奇々怪々な油断のならない街角は、サダルストリートらしい雰囲気だ。

さて、パラゴンホテルという安宿の斜め前には、一杯が1Rs(約3円)のチャイ屋が店を構えていた。

何が欲しい?そう言わんばかりに首を斜めに上げて合図するインド人にヒンディ語で「エク チャイ(チャイを1杯)」と告げる。

素焼きの手のひらに乗るほどの大きさのカップに注がれるチャイは、舌にザラッと何かがこびりついてドキリとさせられるけれども、シナモンやカルダモンの湯気がたつ安息の効果を与えてくれる一杯だ。

飲み終わった素焼きのカップは回収されることもなく、そのまま地面に投げつけて捨てる。

そうすればやがては地球にリサイクルされるのだ。

インド人もヒッピーもバックパッカーも分け隔てなく地面に座ってこのチャイを飲んで時間をうっちゃっていた。

ブリキで出来た灯油ランプの乏しい灯りだけが頼りなので、灯りの周りにコソコソと集まる彼らの後ろ姿は蛾のように刹那的な寂しさだ。

お腹が空いたら近所の安食堂に潜り込むか、そうでなければ屋台で食事を済ませるのが大半で、どうしてかカルカッタに限ってはチョウメンと呼ばれるチベット風焼きソバのレベルが高いようで、他の主要都市では味わえない貴重なものだった。

日本人にとって故郷の懐かしい香りがする10Rs(30円)の焼きソバはバナナの葉のお皿になっていて持ち帰りもできる。

体重が減ってすっかり痩せ細った僕らは、不吉な咳をコホコホとしながら殆ど手掴みに近いような状態でこれを食べたものだった。

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2006年03月15日

Googleの発見した10の事実

"最高" に甘んじないというGoogleの理念。

自分たちにできることが何か、それをもっとうまくやるにはどうすればいいかを知っているGoogle。

一番であることは終点ではなく、出発点に過ぎないというGoogle。


1. ユーザーに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる。
2. 1つのことを極めて本当にうまくやるのが一番。
3. 遅いより速い方がいい。
4. ウェブでも民主主義は機能する。
5. 情報を探したくなるのは机に座っているときだけではない。
6. 悪事を働かなくても金儲けはできる。
7. 世の中の情報量は絶えず増え続けている。
8. 情報のニーズはすべての国境を越える。
9. スーツがなくても真剣に仕事はできる。
10. すばらしい、では足りない。


「Googleの発見した10の事実」より抜粋。

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2006年03月14日

24時間≦31日≦12ヶ月

僕のブログでは、どうしてか記事毎に2つのカテゴリにエントリされている。1つは〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟というカテゴリで、2つめのカテゴリは、それぞれの記事内容によって可変している。

あるいは〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟だけというのもある。

つまり、Aという記事が生成されると必ず〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟というカテゴリが含まれている。

このように1つの記事に対して、カテゴリを2つ用意したきっかけがイマイチ記憶が定かではないけれど、ま、べつにいっかと適当に2つに分けて、まるで砂浜に落ちた椰子の木を集める島民のようにぽちぽちと記事を書いてはエントリしていってた。

そういったことで、この〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟のエントリ数は、本日現在500を超えている数になっている。

さて、どうして突然こんな話題になったのかというと、実は先日、とある知り合い(僕のサイトを頻繁に見ていただいている方)から〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟のカテゴリを開こうとするとパソコンが固まると指摘されたことに始まる。

deltazulu氏ならともかく、クリックしただけでパソコンが固まったり次から次へとウィンドウが開いてしまう罠を仕掛ける器量や度胸(そしてなによりも習慣)は僕は持ち合わせていないから、この人はいったい何を言っているんだろう?といささか面食らったわけだが、よくよく考えたらその人の言わんとすることにも合点がいった。

〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟のカテゴリは、旧HPの日記を引き継ぐ形で、公開したブログのカテゴリが丸々収まっているわけだから、つまりそのカテゴリを開くと全記事を表示しようとするのだ。

僕もいまさらながらに試してみたけれど、これがまた気の弱いパソコンなら確実にフリーズするな、というレベルだった。

かの知人のブラウザは恐らくそういった経緯で“固まって”しまったのだろう。

なんて人騒がせなカテゴリだ。

完全に管理者の僕の責任である。

でもどうしてこんなの作ったのか本当に記憶が無い。先のことも考えずに置いてしまったとしか言いようが無い。

問題は、年月を追うごとにこの〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟というカテゴリの記事量は肥大していくわけだから、ますますブラクラの性質を帯びたリンク先に仕上がることが確実、という点である。

さすがにこれではまずいと感じて、対策を講じることにした。

で、この対策方法なのだけれども、これはもう単純に2つのカテゴリを中止して、1記事に1カテゴリとする原始的な方法以外はない。

ところが、どうやら自動で変換できるモノではなく、1個1個の記事毎にマンパワーでカテゴリ変更をしないといけないようだ。

無人工場でレストランの食事が作られるこのオートマチックなご時勢に、である。

自業自得とはいえ、辛い。きっと2万年ぐらいかかる作業じゃないんだろうか。先が思いやられるというか面倒というか・・・。

とりあえずは本日分のエントリから変更することに。〝24時間≦31日≦12ヶ月 〟については日々の雑記を格納するカテゴリとして残存。

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2006年03月13日

Aphorism [ショーシャンクの空に]

希望は良いものだ。

たぶん最高に良いものだ。

良いものは決してなくならない。


映画『ショーシャンクの空に』

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2006年03月10日

Ancient Herbs & Mordern Medicines : March 2006

PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are

1.Cosmo - Parvati Noise (NOISE POISON)
2.Saafi Brothers -Occidental Sadhu(NOVA TEKK)
3.Chari Chari - Aurora(TOYS FACTORY)
4.Sigur Ros - Vidrar Vel Til Loftarasa (MCA)
5.Sergio Mendes - Mas Que Nada featuring The Black Eyed Peas (VICTOR)

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2006年03月09日

アゲイティス・ビリュン

アゲイティス・ビリュン(シガー・ロス : Avex 2001)

夜の21時から翌日の昼過ぎまで踊り狂い、ふと、何気なしにあたりを見渡した時に感じるパラノイア。

世界が全て繋がっているようで同時に分裂しているような、景色に刻み込まれた森羅万象の情報が剥き出しに見える瞬間。

触れただけで声が出てしまうくらいに怯える針葉樹の影。

枝が風に揺れてカサカサと音を立てると世界が一斉に微笑している気がする。

そして、時計を見ると12時12分12秒。

どれだけ目を凝らしても秒針は進みもしないし遅れもしない。

もしかしたら僕自身がもう既に止まっているのかもしれない。

シガー・ロス(Sigur Ros)のアルバムは全てこうだ。

彼らが荒涼とした心の闇を揺さぶる音を奏でるのは、何もメンバー全員がアイスランド出身だからではない。

弾けることを望んでいるかの緊張感。

彼らは鬱の塊を吐き出すようにそれを増殖させることができる。まるで抑えていたトラウマが何かの加減で氷解したように。

彼ら以外にこんなことができるのはレディオ・ヘッドぐらいなものだ。でもそれは実に妙を得ている。

なぜならシガー・ロスは、レディオ・ヘッドの来日公演のときに前座を務め、一気に日本国内で注目を浴びたのだから。

ヴァイオリンの弓で奏でられる憂鬱な気だるいギター・サウンド。寂寥感がいやおうなしに漂う。憂鬱な冷たさから想起される神秘的な音色。稀有なバンドである。

1曲目からシガー・ロス以外には紡ぎだすことが決して出来ないであろうアイロニーな壮美的音楽が流れるので、そっと耳を傾けて目を閉じたい。

彼らのPVも必見。このアルバムの7曲目に収録されている「vidrar vel til loftarasa」のPVはキスをして愛し合う少年同士の物語。透明な雰囲気で幻想的。ひとつの短編映画みたいだ。


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2006年03月08日

新宿「大陸」

歌舞伎町の玄関口にある大陸は、創業50年の老舗の餃子屋さん。

店名から伺えるように、中国の大陸料理を正統的に仕上げた料理で、歌舞伎町で大陸仕込みの中華を食べるならここで・・・、という人も多い。

にんにくを使用しない餃子は、サッパリとしていて幾らでも食べられる美味しさだ。

本場からやってきた大陸料理の品々。

月曜日は餃子が半額と言う嬉しいサービスもある。

20060308a
写真は白菜のクリーム煮。

濃厚なクリームと中華の不思議な出会い。
あつあつの甘い白菜にクリームがしっかりと沁みこんでいる。少し酢と醤油を垂らして。

20060308b
こちらは中国風腸詰め。

肉のたっぷりと詰まった中国風の腸詰めは辛めの味噌と胡瓜を添えて葱を散らして食べる。鼻腔をくすぐる香辛料が食欲をそそる。中華風サラミといったところだろうか。

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春巻。

カラッと揚がった黄金色の春巻から覗くのは湯気たっぷりの具材。筍系など詰まった春巻は、ぜひ、芥子醤油で。

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水餃子。

小ぶりの餃子でニンニクを使っていない。その影響もあってか、素材の味がよく分かる味だ。肉汁たっぷりの具が現れる。モチモチとした皮の食感を。

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20060308f
杏仁豆腐(上)と胡麻モチ団子(下)。

コクのある杏仁豆腐は香りが芳醇な濃厚テイスト。アツアツの胡麻モチ団子が別腹で入る美味しさ。

20060308g

大陸
東京都新宿区歌舞伎町1-6-3 石橋ビル4F
月~木16:00~23:00(L.O.22:30)
金・土16:00~23:30(L.O.23:00)
日・祝16:00~23:00(L.O.22:30)

焼餃子 --\480
水餃子 --\480
小籠包 --\630
焼売 --\400
バンバンジー --\850
中国風腸詰め --\700
春雨炒め --\650
ニンニク茎炒め --\800
杏仁豆腐 --390
麻球(胡麻モチ団子) --600

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2006年03月07日

変態野郎

変態の小太り役を演じさせたら右に出る者がいない、と評判のフィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー賞を受賞。

フィリップ・シーモア・ホフマンは、「マグノリア」で悶々とするデブを演じたのが個人的には非常に印象的で、僕にとって、いつまでも記憶に残るタイプの役者である(といっても、「マグノリア」は大好きな映画なので、どのキャラクターも好きなわけだが)。

そのあとに僕が彼をスクリーンで見つけたのは、エドワード・ノートン主演でスパイク・リーが監督をした「25時」だった。

ノートンを目当てで映画館に足を運んだのだけれど、やはり彼は小太りの悶々とするデブを見事に体現していたし、静かなキャラなのだけど目が離せない、そんなプチ変態を演じていた。

「プライベート・ライアン」に出ていたバリー・ペッパーが、女の子のケツばっかりを追いかける役柄で登場していたのも笑った。

今回アカデミー賞を受賞した「カポーティ」は、トルーマン・カポーティの人生を描いた物語だ。「ティファニーで朝食を」で有名なカポーティだが、残念ながら読んだことがないので、作家のバックグラウンドが分からない。

複雑な人物だったということだから、きっとフィリップ・シーモア・ホフマンが演じるにはピッタリなのではないか。

こういう役者はこれからも目が離せない。

変態といえば、渋谷のシネマライズで「変態村」という映画が上映される。

といっても乱痴気騒ぎを起こすエロくてドタバタとした痛快エロエロ映画ではなく、シリアスにホラーな〝血〟と〝歪んだ愛〟が描かれた映画らしい。

題名だけで観てしまいそうな、そんな映画でもある。

でもさ、誰かに「ねえ、あのさ、最近どんな映画みた?」って聞かれて「うーーん、変態村」って答えるにはちょっと気が引けるよね。「え?変態村って・・・」と。

ちなみに渋谷のシネマライズでは06年3月18日からカート・コバーンに捧ぐ映画「ラストデイズ」がいよいよ公開。

どんな内容で描かれていようとこれは観なくては。

観たら文句を言うだろうし、しかも季節的にもカート・コバーンが死んだ時期に近づくので、きっとやるせないだろうけれど。

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2006年03月06日

俺マイ週末かわら版

◆金曜日

精密検査の結果を教えてもらいに一度病院に伺い、また会社に戻り残業をする。

精密検査の結果は投薬の必要はなしとのこと。とりあえずの安心を手に入れる。年に一度の検査が必須となってしまった。

19時近くの就業を終えて、広島風お好み焼き屋に向かい、1時間並び、食す。

とにかく有名な店なのだ。

ねぎ焼きと広島菜をつまみに、ソバと餅の入ったお好み焼き。イカ天が香ばしい。

ジュージュー焼ける銀色の鉄板の彼方先で野球のテレビ中継をやっている。

WBCの日本戦。

イチローが塁に出て、次のバッターが本塁打を放った。嬌声が店内をこだました。

出口のガタピシと音を立てる扉の外は寒気が吹き荒れているのに、野球の放映があるだけで、少し早めの夏を味わったような気になる。

テレビ中継の野球放送は夏の季語なのかもしれない。

満腹な後、本日が最終日というエクアドルの映画「タブロイド」を鑑賞しに六本木ヒルズに。

22時からの上映。

遅めの時間なのにチラホラと座席は埋まりつつある。

この時間帯の「ナルニア王国」の観客は、いかにも六本木で夜通しで遊んでまっせという雰囲気に満ち溢れているのに比べ、「タブロイド」の観客は幾分しんみりとしている。

もしかしたらこれから観ようとする映画の内容のせいだろうか。

必ずしも楽しい夢を与える映画ではないからだ。

「タブロイド」はエクアドルで連続に発生している猟奇事件(少年少女を次々と誘拐し、レイプしたのちに殺害する)の犯人を追うテレビコメンターが‘ある’中継がきっかけで事件の真相に近づく映画だ。

鬱屈としたやるせない映画なので、観客もおのずと神妙としているのかもしれない。

観終わったあとの感想は良くも悪くも南米らしい映画だということ。

大学で第二外国語でスペイン語を取ったのだが、その時に先生が「南米の映画はハリウッド映画に比べて必ずしもハッピーエンドで終わるとは限らない」と話していた。

ハッピーエンドではない映画も、そこそこの集客力があって、またそういう映画に、南米では観る者が惹かれるようだ。

「タブロイド」もアン・ハッピーエンドの類型的映画だった。

DVDで手元に置きたくなるほどの情熱は感じられなかったが、一度は観ても良いかもしれない。そういう種類の映画だった。

鑑賞後、バベルの塔のようなヒルズを背中にして、まだ遊びたい気持ちを抑えて駅へと向かう。

===

◆土曜日

ひさびさの友人と渋谷で偶然にバッタリと会う。

新しいアルバムはないかなと新譜コーナーを物色していたら、なんと5年以上ぶりぐらいでhiromiちゃんがいるではないか。

身長が170センチ以上あって、パーティでガシガシと踊り明かす子。

ギリシャ人の彼氏と海外を回っているというのは噂で聞いていたけれど、日本のどこかで逢うことは無かった。明日はもうバンコクに発つらしい。

またどこかで会えたらいいね。カバンに入っていたホルガで一枚撮らせてもらう。

昂奮覚め止まぬままに渋谷に来ると必ず立ち寄るカフェに。

落ち着いた雰囲気の決してコギャルやギャル男が居ないカフェ。

チャイを飲んで、まったりムード。もう一枚写真を撮る。

黒崎にあったという「唐そば」は、まあまあだった。薄めのとんこつ。先代の味は美味しかったと聞くだけに残念。九州系とんこつは、もっと濃くても良い。

===

◆日曜日

昨晩キャバクラで、記憶と合わせて財布から5万飛んだと嘆く友人と温泉に。

深大寺ゆかりの湯。

日本庭園に梅が咲き、足湯の温泉から湯気が出ている。

ドテラを羽織い、みたらし団子を食べてボーっとする。この上ない至福。

どうやらここが東京であることを忘れてしまったようだ。

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2006年03月03日

放射する怠惰と国会議員

2006年2月に国会で民主党から提出された元ライブドア社長が送信したとするメールを巡る幾つかの問題について後味の悪い、砂の混じったお茶を飲まされたような気分になったのでちょっと考えてみた。

さて、そもそも国会議員がメールについて詳しくなくてはいけないのか?といったら、まったくそんなことはなく、ただ、知らないよりは知ってるほうがイイに決まっているだけで、国会議員はメール一つも分からないと騒ぐのは本質を逃すような気がする。じゃあ、それが電子メールじゃなくて宇宙法則の量子力学と物流の関係性だったら知らないことは追求されなくなるのか?ということになってしまう。

その延長線上にある回答は、国会議員というのは万物の知識を司る泉のような人間じゃないと務まらないというやや行き詰まった結論にならざるを得ない。

今回の一連で、意外とネット上では、〝国会議員はメールひとつも分かってない〟という意見に集中する記事や電子メールへの知識の欠乏を指摘するだけの記事が多くて驚いた。もちろん知らずにして国会という公の舞台に、乏しい内容の紙切れを持ち出したのは、責めるに値する行為ではあるが、議題中に現れた材料が問題ではなく、押し寄せるだろう反論に対する準備がなかったことが問題であり、そういったことが今回の事件の稚拙性を浮き彫りにしているのではないだろうか。

だってもし僕が反対派だったら、『オイ、君、それはニセモノじゃないか』と指摘するだろうに違いない。絶対に指摘する。仮に電子メールの仕組みについて知らなくともその贋造性を証明する為に、ありとあらゆる資料を揃えるだろう。それが反対派であり責務だ。

永田議員は『だってホンモノですから』しか答弁できなかった。

その正当性を主張できる材料を持っていなかった。

恐らく彼には国会で提出するまでに少なくとも自分の持つ資料に嫌疑を向けるチャンスはあった筈だ。

しかし彼はそのチャンスを手にしなかった。僕が言う後味の悪さというのは有権者の代表である永田議員の詰めの甘さから起因しているようだ。

国会中継に映し出されるホンモノ宣言をしている永田議員はまるで学級会で吊るし上げにされている小学生みたく、無様で滑稽で、やはり遅鈍に見えた。

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2006年03月02日

キャスト・アウェイ

キャスト・アウェイ【2000年 アメリカ】

監督:
ロバート・ゼメキス(Robert Zemeckis)

キャスト:
チャック --トム・ハンクス(Tom Hanks)
ケリー --ヘレン・ハント(Helen Hunt)
スタン --ニック・サーシー(Nick Searcy)

例えば、何か僕達の想像を超えた思いがけもしないアクシデントで自分の行方が分からなくなってしまうとする。いつもと同じ朝の平和な一日に勃発する不協和的な事件。それは突然の事故かもしれないし、たんなる記憶喪失で我を失うことなのかもしれない。

でもとにかく僕の行方は突然と分からなくなるのだ。

僕は玄関を開けて「それじゃ行ってくるからね」と言い、「何時に帰ってくるの?」と僕は訊ねられる。

「そうだなあ。いつもとおんなじくらいだよ」とやはり僕はいつもと同じように答えて扉を閉める。

トム・ハンクスの「キャスト・アウェイ」は、普段と変わらない日常が一変し、運命に翻弄されることとなるエリートサラリーマンの物語だ。

主人公のチャックは1分1秒を刻々と争う世界的運送メーカーFedexの仕事熱心な社員。

「時間を無駄にすることは罪なことである」という彼の人生を形成する理念に主人公は没頭し、荷物を効率的に1秒の無駄もなく届けることに情熱を燃やす。ある晩、何の疑問もなく甘い日々をすごしていた愛する彼女にいつものように別れを告げ、貨物便の飛行機に同乗するのだが、その便は途中で遭難し、トム・ハンクス演じるチャックはただ一人の生存者として無人島に漂着する。

時間に追われることのない孤独な無人島に放り出されたチャックが、島を脱出するのに必要とする歳月は4年間だった。

彼はそれだけの時間を孤独に過ごし、耐え、ついにカムバックする。

しかし、かつての恋人ケリーはチャックがもう死んだと思い、他の男性を愛し結婚をしていた・・・。

別れの予感すらなかった幸せの絶頂期だった恋人との突然の惜別。

この映画の醍醐味は、主人公チャックが無人島に流されて、彼の中で現実的な時間が喪失している状況にも関わらずなんとか脱出し、彼女にもう一度会いに行くところにある。

他の人生を歩むことを決心してしまった彼女をチャックは知らない。

恋人に再会できると信じて4年間の孤島生活に耐えたチャックは、もう一度ケリーに会うべきだったのか?

もう死んでしまったと信じるしかなかった彼との、あるはずのない、起きてはいけない再会。

それはあまりにも切ないシーンだ。

すでに新しい家族と過ごすケリーの自宅前に駐車した車の中で、束の間に抱き合う2人に運命の不可思議と非情を感じる。

不条理度★★★★★

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2006年03月01日

俺マイメモ

アメリカの「ミステリーゾーン」でも放映された、1961年にフランスで製作の短編映画「ふくろうの河」オリジナル版DVDが3000本限定で発売決定。

監督はロベール・アンリコ。ちなみに原作は「悪魔の辞典」のA・ビアス。

これだけの情報でゾクゾクします。

もうすでに受付終了しているところもあるので購入予定をお考えの方はご注意を。

アマゾンならまだ予約可能。発売日は2006年4月28日。

Amazon

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