今月の「BE-PAL」の特集は「焚き火レストランへようこそ」だ。
僕は焚き火系の特集に弱い傾向があって、どんな雑誌でも焚き火の記事があるとついつい財布の紐が緩んでしまう。
野外パーティが絡むとはいえ、もう13年以上、4月~9月の時期はキャンプをする習慣になっている。
キャンプにおける焚き火という行為は、こだわればこだわるほど楽しくて、場合によってはキャンプそのものが輝くか萎むかを左右するイベントであるのは意外と知られていない。気持ちよく炎を焚いてそれを囲むというのは難しかったりするものだ。
僕が前々から欲しいのは小川キャンベルのストーブなんだけれども、まだこれを購入するまでには至っていない。もう少しさまざまな方面で安定をしてから、買おうと考えている。
さて、気持ちのいい焚き火っていうのは、どういう焚き火のことなんだろう?
僕が考える最良の焚き火というのは、火持ちする薪をくべて、山の静けさに耳を傾け(まあ、往々にして、電子音が響く山奥というシチュエーションが大半なんだけど)、コールマンの椅子に座り、温めた焼酎を呑んで、変幻する炎をじっと眺める。
炎の向こう側に座っている友人としばし無言の時間を分かち合い、愉しむ。
遥か昔の太古から伝承する自分のDNAがさざめく束の間。夕闇から漆黒の夜に移ろうとする時間に囲む焚き火は最高だ。
ところで、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」という短編小説には、焚き火が趣味という男の物語がある。真冬の海岸で焚き火をする男と、その男の背景に密かに魅了された若い女の物語。
流木が乾いた音を響かせて燃えている描写が冬そのものを表現していて、さすがである。
映画「スタンドバイミー」の焚き火シーンと匹敵するぐらい名場面だ。
580円の雑誌としては、お徳感がたっぷりあるTitleが写真特集を組んだ。
題して「新・写真道楽」
日本最高の“アマチュア写真家”という切り込み(なんて大胆なんだ)で植田正治の世界を載せ、沢渡朔×藤代冥砂が交互に「オンナの魅力の写し方」を実践するという企画があるなど、結構見応えがある。
雑誌を読み終わった後に、週末にでもひさしぶりに写真でも撮ってみるかと箪笥に仕舞われたカメラを出してみる、そんな気持ちになる一冊である。
─詳細─
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こちらはご存知アラーキーが去年の秋に出版した写真集「東京人生SINCE1962」
ページを綴るたびにどうしてか切なくなる写真集だ。彼はどんな気持ちでファインダーを覗いたのだろうか。写真に添えられたキャプションが胸に刺さる。
呼称が無数に及んでいるとは言え、つまるところ自宅で呑み明かすというのが、<宅呑み>であり<家飲み>であり<ホームパーティ>である。
<家飲み>と書くと、4畳半の畳の上というシチュエーション、そしてガラパン一丁で日本酒一升瓶といった「どくだみほうれん荘」的世界を思わず想像してしまい、かといえば<ホームパーティ>と書くと、鼻メガネをつけたデトロイトあたりの若者がチキンを貪りつつ、チアガールが庭にあるプールに飛び込む姿を眺めているという古典的光景が浮かんでしまう。
さて、個人的所感を述べると、最近ちょっとした<宅呑み>ブームであるような感がある。
平日の月~金はどこかしらの居酒屋orバーなんぞで呑み、週末は誰それの家で<宅呑み>みたいな。
意識的な行動パターンかどうか分からないけれど、平日/ウィークエンドの2つのレイヤーで、呑むスタイルを切り替える人が増えてきた、そんな傾向があるように感じる。
自宅に招待するのもお呼ばれされるのも両方とも、僕自身ご他聞にもれずに<宅呑み>が好きである。何人かでワイワイとDVDや好きな音楽を流しつつ歓談して美味しい料理を作り、お酒を呑む。気軽だし、これはこれでいろんな発見がある遊びだ。
イージネス&ハッピネス路線による週末的ライフスタイルだからこその醍醐味である。
でもさすがに「今日さ、いいワインが入ったからウチで呑もうよ」とかいうキザなセリフは、なかなか言えないよね。そんなセリフが言える大人に私もなりたひ・・・・、いや、まだなりたくないか。
大江健三郎の「日常生活の冒険」という小説には、退廃した若者が<宅呑み>を繰り返しているシーンが何箇所かある。これはこれで何十年前もの若者達の行動が描きだされていて、かつ新鮮な文章であるから、面白い。古本屋で探せば文庫本で100円程度で売っている。
札幌の伝説的な味噌ラーメンといえば、純連。「じゅんれん」と読んだり、「すみれ」と読む場合があるなど、系譜によって異なるらしい。高田馬場駅から徒歩5分早稲田通り沿いの位置に、この味噌ラーメンの店がある。
味噌ラーメン(800円)。
スープは濃い魚系とゲンコツ系が激しくブレンドされていて香ばしさを漂わせている。そして何といっても名物なのが、2センチぐらいの厚さでたっぷりと浮いているラード。
このラードがスープの熱を逃がさず、そしてコクを際立たせるのだが、とにかく熱い!濃い!コテコテ!と、男らしいラーメンである。
僕は白いご飯を頼まなかったけれど、どうして他の席のお客さんが頼んでいるのか、よく分かった気がする。スープだけでご飯軽く一杯はいけそうなのだ。
それほど、スープがこってりである。
人を一人ぐらい倒せそうな気分の時に食べるのがちょうど良いだろう。
そのスープを絡めるだけ絡める太い麺も名物。モチモチしていて食べ応えが十分だ。濃いラードで煌く麺は食欲をそそる。
ただ、札幌ラーメンに代表されるたっぷりの野菜がないのが少し残念。
純蓮
東京都新宿区高田馬場3-12-8
11:00~21:00
無休
味噌ラーメン --\800
正油ラーメン --\800
塩ラーメン --\800
チャーハン --\680
最近は大箱のイベントに行く回数が全盛期に比べてめっきり減ってきたとはいえ、まだまだ気分は現役である。
腹は出ても心は錦。きっとみんなも共感してくれるはずだ。
でも、どうだろう。何かに甘んじてナマクラになっちゃいないか。つまり、日常という名の惰性にかまけて、たるんでいるんじゃないか。
服装の乱れは心の乱れというのが世の定説だ。ということは、近年の自分はまるでなっちゃいないということになる。格好が全てじゃないけれど、昔の俺はとんがってた、そんな風に思いたい。
忠臣蔵に登場しそうなベルボトム、ブラックライトに照射されれば視力がガタ落ちしても不思議じゃないスペーストライブ、両腕にはビカビカに光る腕輪、サイケデリックな絞り染めの長袖、そしてA・ローズだって逃げ出しそうなピチピチのゴアパン。これが本来の戦闘服ってやつじゃないのか?
だとしたら、昨今の俺は渋谷にパジャマで現われる女子高生並みに恥ずかしい。会社で着ている洋服とおんなじ格好でパーティに来ちゃってるじゃないか。もっとかぶけ、前田慶次だったらビンタをかますところだ。
触るもの皆傷つけたい、いや躍らせたい。そんな気持ちを久しく忘れてた。
ゴアパン2号(暴走族の車に登場しそうなファイヤーパターン)は寝巻きになっている。
こんなんじゃいかんぞ。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。
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2月20日の平日の夜。
残業が終わりシケた顔して、家に帰宅すると、すぐさまタンスのこやしと化している戦闘服に着替えた。
時刻として20時過ぎ。別に今夜ベイホールでJorgが回すわけじゃない。だいたいベイホールなんて、もうトランスを流してないのだ。
だが、しかし…、そう、自分に鞭を打つ気分で着替えた。このままだと腑抜けになっちまってヨボヨボのじじいに成り果てるぞと言い聞かせた。
足元は悩んだ末に95年ごろにパーティで履いていたナイキの靴。とりあえず勢いよく飛び出し、駅前のコンビニに行く。
ふふふ、周囲の注目が熱い。背中が視線で火傷しちまいそうだ。
鋭い勘を巡らせれば、誰かが声を掛けてくるタイミングである。
「ねえ、ちょっと君、いいかな」
ほーら来たぞ、俺に踊らされたい奴が。
勢いよく振り向くとそこにはチャリンコに乗った交番のお巡り。
ガビンッ。
彼は続けた「いまからどこに向かうのかな?」
職質だった。30過ぎて職質だった。
なんにも悪いことしていないのに職質というのはいつもドキドキする。
そして、苦し紛れに口から出た台詞は「コンビニにスピリッツを立ち読みに行こうと思いまして・・・。」
しょっぱすぎる。ガチでしょっぱすぎて涙すら枯れそうだ。船木に頼んでマットに沈めてもらいたい気分だった。
余所行きの格好は週末だけにしよう、心の底から本気で誓った。
(実話)
先週は、知り合いの結婚式イベントが2度あった。
月曜日の祝日に新宿で、そして土曜日に銀座で催された。それぞれの席で新郎新婦の門出を祝い、美味しいお酒を呑み、旧知の人との再会が果たせた。
銀座の中華レストランで、僕としてはまだやる予定のないゴルフの話題が出たりすると、年齢に相応しい会話をちゃんとしているなぁなんて思ったりして、ついつい紹興酒が進んじゃったりした。「痛風にならない為に、カロリーを控えたほうがいいよ」と健康話に花が咲くのもご愛嬌である。
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結婚式の映画といえば、10年前ぐらいにヒュー・グラントが出演する「フォー・ウェディング」という映画を映画館で観たことがある。わりとハッピーエンドだったと憶えているけれど、正直なところ、仔細については思い出せない。
30歳過ぎたら、10年前と違った気持ちで鑑賞することができるかもしれないし、まさに年相応に楽しめるような気がしてきた。いつかの週末に観てみよう。
近い将来、そんなハッピー・エンディングな映画の話題を心ゆくまで語りたい、そんな風に思う。
インドネシアのバリ島山間部ウブドに一軒、サテーと呼ばれる、ピーナッツバターやらマサラを混ぜた味噌ダレを鶏肉に塗るバリ郷土料理の焼き鳥が炭火で食べられる店があった。
延々と続くライスフィールドを眺めつつ、沈む夕陽に心を奪われ、何処かで奏でられるガムランに耳を傾けビンタンビールで乾杯するという、究極のシチュエーションの店だ。
バリ島ではクタビーチでもスミニャックでもレギャンでもチャンディダサでも、とにかく至るところでサテーを食べてみたが、そのレストランが出すサテーは本物だった。
竹を割った皿に真っ赤な炭が炊かれて、串に刺さった焼き鳥がジジジッと脂を照からせ芳醇な食欲をそそる香りを醸す。
少し焦げたピーナッツバターがビールにピッタリで、ウブドに滞在している期間、何本平らげたか分からない。
それに引き換え、日本に(東京に)あるバリ料理の店は閉口するばかりで、食べれば食べるほど、バリ島への郷愁が強まってしまうシロモノである。
その代わり、日本には日本のサテー、つまり、焼き鳥がある。
焼き鳥やもつ焼きについては、昔から中央線沿いが旨いのが定説だけれど、案外、私鉄沿線にも美味しい店があることを最近知った。
某私鉄某駅徒歩1分の焼きとん屋の味噌ダレは、秘伝だと胸を張るのが頷けるぐらいに完璧で、酔うと分かっていてもホッピーがどんどん進む。たんしたという串はむっちりと歯ごたえがあって、ウブドで経験した驚嘆をそっくりそのまんま味わうことが出来るのである。
そして、1本100円なのに、丁寧に炭で焼きを回すご主人にはいつも感心だ。
さて、今日はまだまだ火曜日、3日も平日が残っているのに、こういう文章を書くと、なんだか寄り道して呑みたくなる。困ったもんである。
世の中に嫌気がさしたら
ヒースロー空港の到着ゲートへ
人は言う"現代は憎しみと欲だけ"と
そうだろうか?
ここには"愛"の光景がある
崇高な"愛"ではなくニュース性もない
父と子 母と子 夫と妻
恋人同士 懐かしい友人
9月11日の犠牲者があの時かけた電話も
憎しみや復讐ではなく"愛"のメッセージだった
見回すと実際のところ
この世には愛が満ちあふれている
love acutually is all around.
映画『ラブ・アクチュアリー』
ザイオン・ルーツ(ABYSSINIA INFINITE : RICE 2006)
エチオピア出身でNYに在住、そしてビルラズウェル(BILL LASWELL)の夫人GIGIがABYSSINIA INFINITE名義で発表した、甘くて切ない歌声でエチオピアの伝統音楽を奏でるアンビエントダブな一枚。
アコースティックサウンドに乗るGIGIの声は涙モノ。そして伝統音楽をエレクトニカに仕上げたビルも健在。
子供の頃に歌っていたエチオピアの教会音楽をイメージしたというのも頷ける神聖さである。
となりのトトロ【1988年 日本】
監督:
宮崎駿
音楽:
久石譲
キャスト:
サツキ --日高のり子
メイ --坂本千夏
とうさん --糸井重里
かあさん --島本須美
ばあちゃん --北林谷栄
カンタ --雨笠利幸
彼是15年以上も昔の話だ。
山手線の恵比寿駅徒歩5分の場所にある高級マンションが僕らの溜り場だった頃の物語。家賃が22万して玄関に身なりの整った眼光鋭いガードマンが監視している4DKの新築部屋は、援助交際がバレて親に殴られて、そのまんま飛び出したきり北海道には帰っていない眞理子が家主だった。
六本木でホステスをして稼いでいる眞理子は、店のナンバーワンというだけあり、月70万を稼ぐ21歳の色白の女の子で、ブラックライトで光る特殊な刺青をしている極度の中毒者だった。
家賃はパトロンである不動産屋を経営している中年男性が資金を出していると呟いていた。
けど、誰もその姿を見たことがなかった。
眞理子は、10ヶ月の間に2回リストカットして救急病院に運ばれた。僕や僕の周りの連中も同じぐらい退廃してどうしようもない連中だったけど、彼女は群を抜いて酷かった。
つまり、シラフと泥酔している場合の感情の差が激しくて、性的に開放的過ぎてそれでいて寂しがり屋で、激情する度合いの幅が全てにおいて他人を引き離していた。
どうしてこんな奴が客商売出来るのだろうかと疑問だったので、一度本人に訊ねてみたら、眞理子はくだらないこと聞かないでよという表情をして「これに決まっているじゃん」と鼻の下を擦る仕草をし、目くばせした。つまり仕事前に吸引してしのいでいたのである。そういうタイプの女だった。
退廃的な生活が当たり前のこの恵比寿のマンションに思想もなければ理想もなかったし、遊び方や金の遣い方がまるで異なるので、高校時代の友人達と疎遠になったが、それでも僕はここであるひとつの大切な事実を学んだような気がする。きっと眞理子に出会わなかったら決して悟ることがなかっただろう。
いかに人間というのは脆いか、僕は痛烈なまでにそれを考えさせられた。
自我が崩壊して、現実と幻覚の狭間で潰れそうになると、人は自分が死んでいないかどうかを確かめるために、己の肉体を傷つけると、最初に身をもって僕に教えたのは眞理子だった。僕らはその種類の行為の原因を自分のせいにするには世の中を知らなすぎて、他人のせいにするほどの厚顔さは身に着けていなかった。
強力な幻覚作用が僕らの存在を消そうとしていると勘ぐりが始まると、自傷行為をするしか方法がなかった。血を流すことによって自身の存在を再確認するのである。
人間というのは脆い、この時知った。
そして、部屋の片隅にある大きな観葉植物の陰で乳房を露にした格好で体育座りをし、どんな音も聴こえないのに耳を押さえる眞理子をなだめる行為が日常の延長になると、我々自身はますます行く末を失った。
*
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ある晩、由香という仲間内のホステスが提案した「この映画、誰も死なないから」という理由だけで僕らはビデオデッキに「となりのトトロ」を突っ込んで流した。意識が自己の内面に集中しすぎ、パラノイアに陥るのを何とか防ごうとしたのだ。
成り行きで流したはずの「となりのトトロ」の効果は絶大だった。
映画のおかげで僕らは分裂症に陥って洗面器で溺死するのを防ぎ、それから毎晩ビデオデッキで映画を再生した。
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サツキとメイが登場する、この昭和の平穏な田舎風景を映したアニメーションが、僕らを現実に引き止めていたんだと気づいたのは、もう何年も眞理子たちと遊ばなくなって久しく経った頃だった。
僕は27歳で何とか社会復帰して、普通の生活を営むよう努力していた。ある日、テレビ放映の「となりのトトロ」を観ていたら、記憶の奥底で閉ざされていた映像が突然と脳裏に浮かんだ。
月明かりが差し込む夏の晩、パジャマ姿でトトロと遊ぶ2人の向こう側に、ガタガタ震える眞理子が現われて、そしてほんの一瞬だけ、目に涙を浮かべた眞理子が微笑んで消えた。
僕はリモコンを握ったまましばらく動くことができなかった。
浮かんできた眞理子はあまりにも鮮明で、そして切なかったからである。
続いて、眞理子が「北海道にはね、アイヌに伝わるコロボックルという小人が住んでいて眞理子は小さい時に、本当にその小人に会ったことがあるんだよ」と話して微笑んでいたのを想い出した。
僕らはそんな眞理子の戯言を真剣に取り合わなかったけれど、彼女の屈託のない笑顔は、つかみようがない酷い不安に怯えた僕らを安心させることができた。
もしかしたら本当に眞理子はコロボックルに会ったことがあるのかもしれない、そんなこと思ったら次第に感傷的になった。
その夜、僕は最後まで映画を観なかった。その代わりに自分が分からなくなるほど酒を呑んで泥酔した。
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コロボックルには「竪穴に住む人」という意味があるという。
親御さんに引き取られるという結末で札幌に帰った眞理子がどうしているのか誰も知らない。
今日は特異日じゃないとはいえ、
まるでそうであるかのように、
春先取り!という風に暖かい。
気象上では大型の低気圧が発達した影響で、
気温が急上昇というのが理由らしい。
まあ、とにかく2月には相応しくない、
言うなれば、卒業式が過ぎ去った頃に近いような気がする。
具体的に書くと、バレンタインデイじゃなくてホワイトデイっぽいのだ。
春といえば別れと出会いの季節。
どちらがどうということじゃないけれど、
なんか一足先に、春の季節が醸し出す情報を
自分の身体のDNAが直感的に感知して、
それが嬉しいようなもったいないような、そんな感じ。
ROM:
インターネット上のコミュニティで閲覧のみの訪問者など(Read Only Member の略)。Read Only Memory(ROM)をもじった言葉。
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自分のブログのROMな皆様が果たしてどれぐらいいらっしゃるのだろうかと気にしたことがある。
僕のサイトを訪れる人は必ず挙手してくださいとか女子だったら合コンのセッティングしてくださいとドサクサにお願いしたいから・・・・が理由じゃなくて、delta君のはてなサイトなんてのを見ていると、「いままでROMでしたがカキコします」とかあって、なんだか凄いなぁなんて思うからである。
仮に、面識がある/ない で、他者との係わり合いの区別をするとしたら(もちろん、それが 良い/悪い の区別ではない。念のため)、面識がない方々から書き込みがいただけるというのは、それだけサイトが愛されている証拠だと思うので、とても感心する。
僕は<普段の知り合い=インターネットの知り合い>という生活を送っているので、ネット限定で知り合いが増えることがない。逆に普段の知り合いには「え?アメリカにEmail送るのって、値段とか大丈夫なの?」といまさらに心配する原始人が多いので、さらに<ネットの知り合い>が限定される。
ということは、数字上では、
ネットの知り合いの人数 < 普段の知り合いの人数となる。
こういうのはWEB2.0時代においては、遅れていてアナログなコミュニケーション手段なんだろう。2.0時代は、インターネットをコミュニケーションツールとして活用してガンガンに知り合いを増やさないとダメなのだ、きっと。
だから出会い系サイトを通じてほんとに出会った人たちから武勇伝を聞くと、とにかく「すげーー」としきりに驚いちゃうのである。
と、そんな事をボヤきつつ、自分は自分で見ず知らずの人が公開しているBlogの常連ROMなので、人のことをあれこれ言えない。
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気にしちゃうといえば、まったく別の話になっちゃうが、僕の友人のK君は、尋常じゃない自意識過剰で、居酒屋に入店すれば、お客さん・ウェイター・厨房の全ての人たちが自分のことを見ているんじゃないかと考えてしまう人で、もちろん本人はSMAPの一員だとかボンジョビのギタリストだとかそういうんじゃないんだけれど、どうしてか「もしここで焼きバナナとか頼んだら、注目浴びちゃうかな?」と心配が絶えない男である。
そんな自意識過剰の彼が、ある日、ステーキ屋で<当店売りのスペシャルパフェ>を頼んだそうだ。
<当店売りのスペシャルパフェ>を若い男が頼んだということが注目に繋がると考える彼だから、あたりをキョロキョロ窺いながら「まあ、たまにはパフェでもね」というオーラを放出しつつ他のテーブル客に向かって弁解していたらしい。
もちろん、周りの人々は、誰がパフェを頼もうがそんなことは気にしちゃいない。
でも彼にとっては「きっと見られてるだろうな」と悩みの種がニョキニョキと芽を出すのだ。やがて10分が経過した頃だろうか、ウェイトレスが<当店売りのスペシャルパフェ>を持ってきた。
なんとそのパフェの頂上では、小さいながらも勢い溢れた花火がパチンパチンと蛍光灯のネオンみたいに輝いていた。
つまりそこが<売り>なのである。
他人に無関心としきりに囁かれる大都会だって、さすがにみんな黙っちゃいない。
お、なんだか花火が噴いていて楽しいぞと、10幾つも埋まっているテーブルのお客さん全員が首を振り向かせてパフェを見つめていたそうである。
K君はその時、自分の妄想劇が現実とリンクしただけに本当に漏らしそうになったとか。
みんな俺のことを見ているよと、泣きそうになったそうだ。
こういうのは"気にしすぎ"なのかそれとも"気にしたほうがいいのか"、心の懐具合がまるで収まらないところが難しい。
ちなみにK君は、目覚まし時計が鳴る寸前の針と針が合わさった瞬間に聞こえるカチッという音だけで寝起き可能という、まるで臨戦態勢のゴルゴ13みたいに神経を研ぎ澄ましている男である。
こないだ久々に会ったら、32歳を過ぎてようやく電車の中で寝ることが出来たよと喜んでいた。
スキャナー・ダークリー【2006年 アメリカ】
監督:
リチャード・リンクレイター(Richard Linklater)
原作:
フィリップ・K・ディック(Philip K. Dick) 『暗闇のスキャナー』(東京創元社刊)
製作総指揮:
ジョージ・クルーニー(George Clooney)
スティーヴン・ソダーバーグ(Steven Soderbergh)
キャスト:
ボブ・アークター --キアヌ・リーヴス(Keanu Reeves)
ジム・バリス --ロバート・ダウニー・Jr(Robert Downey, Jr.)
アーニー・ラックマン --ウディ・ハレルソン(Woody Harrelson)
ドナ・ホーソーン --ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)
チャールズ・フレック --ロリー・コクレイン(Rory Cochrane)
冒頭に登場する、自分の身体からアリマキ(蟲)が沸いていると幻覚にやられっぱなしのヤク中の男。
シャワーを浴びても浴びてもどんどん蟲が湧く。
ダチに助けを求めて車に乗るが、後ろを走っているパトカーが妙に気になる。
「オ レ の こ と 尾 け て な い か」
そんな風に始まる映画。
過度摂取 囮捜査、そしてパラノイヤ。
原作者のP.K.ディックは本作品についてこのように語っている。
これは行いを
過度に罰せられた者たちの物語。
以下のものに愛を捧げる。
ゲイリーン(死亡)
レイ(死亡)
フランシー(精神病)
キャシー(脳障害)
ジム(死亡)
:
:
:
彼らは最高の仲間だった。
ただ遊び方を間違えたのだ。
次は別のやり方で遊び
……幸せになることを祈る。
─P.K.ディック
監督はリチャードリンクレイター。『ウェイキングライフ』で採用した<ロトショップ>を使って、実写をアニメーション化している。
キアヌリーブス主演。ヒロインはウィノ・ライダー。彼女の名付け親は、ティモシー・リアリー。そして彼の最後を看取った数少ない人たちの一人だ。
有名ハリウッド俳優をアニメーション化という手法の斬新さもさながら、中毒者どものイカれた会話と行動に注目して欲しい。
P.K ディックの「暗闇のスキャナー」の世界観を見事に映像化している。最高の映画だ。
僕は公開が始まった週の休日に時間を作って観に行った。でも、少なくともあと一度は観なくてはいけないと思った。
だって、別のやり方の遊びなんて誰が知っている? 僕の周りの数多くの人も実際に死んでしまった。
つまり、まあ、そういうことだ。
全てのどうしようもないジャンキーどもに。
http://wwws.warnerbros.co.jp/ascannerdarkly/
"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"
And whenever the answer has been "no" for too many days in a row, I know I need to change something.
もし今日が人生最後の日だとしたら、果たして今日やるつもりの予定というのは私は本当にやりたいことなのだろうか?
その問いに対して「いいや、そうじゃないんだ」と何日か答えが続くと、そうだな、そろそろ何かを変える必要があるんだなと悟るわけです。
スティーブ ジョブス(アップルCEO)『スタンフォード大学卒業生への祝辞』より
PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are
1.Abyssinia Infinite - Gela (NETWORK)
2.Abyssinia Infinite - Gole (NETWORK)
3.Gigi - Guramayle (PALM)
4.Bill Laswell - Shinning Stone Watu Jilang (META)
5.チューリップ - 青春の影2006 Anniversary Mix (VICTOR)
サルベーションアーミー(救世軍)、木賃宿、ゲストハウス、旅社、YMCA、アシュラム、お寺、教会などなど、ピンからキリまでさまざまな宿泊施設に泊まった僕が(だいたいが、超キリな部類の激安宿だが)、まだ泊まったことがない夢見る宿が一つだけある。
日本独特の宿泊施設<カプセルホテル>である。この施設は、その名の通り、SF映画に登場する冷凍冬眠装置のようなカプセルに入ってその晩を過ごす簡易宿泊所の呼称であり、カプセルの中は、手が伸ばせる位置にテレビとか照明とかが操作できるように配置されている。
無骨なスタイルという点と、東京23区内にも関わらず一泊が3000円程度の安さから、主に男性が主体で泊まる場所だ(最近は女性専用のカプセルホテルもあるらしい)。
また、サウナが併設されていたり大浴場があったりと各店舗によって売り出しのサービスの品を変え、顧客層の幅を広げる努力をしている。
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東京だと銀座・六本木を除く(←多分ね)大体の繁華街には、探せばどこかしらにカプセルホテルが1軒はあるものだ。満室と書かれた札を入り口で見たこともあるので、きっとそれなりに繁盛しているのだろう。
僕は地元が四谷なので、新宿・渋谷・六本木・広尾・麻布あたりで遊んでも気合で歩いて帰れてしまうから、なかなか泊まる機会に恵まれなかった。
上野であれば四谷から程遠いし、終電がなくなったら帰ることを諦めることができる上に、タクシーに乗るよりはカプセルホテルに泊まったほうが面白そうだ。そんなことを思い、上野のカプセルホテルでググったら、結構面白そうなホテルを発見。
サウナ&カプセルホテル「ダンディ」
名前が顎鬚を生やした筋肉質男色家のちょいワルおやじを想像させるので、思わずお尻をガードしたくなるのが否めない当店は、なんと露天風呂があるのである。
それで一泊4千円。
果たして4千円という金額は安いのか高いのかちょっと分からないところが妙にそそる。露天のほかにも大浴場やサウナが完備。お刺身やスパイスの効いた豪華なステーキだってあるから、たとえ腹ペコだって安心である(食う奴がいるのか?)。
エッチじゃないマッサージコーナーがあって、エッチな番組が見放題@カプセル内だいっと、とにかく至れり尽くせりだ。
そして一番の驚きは、この店のイメージキャラクターが(HPにはダンディ・イメージキャラクターと称されている)林家ペーだということ。
あらゆる点において、人の興味をかき立てるという大切なことをダンディは忘れちゃいないようだ。上野で飲んだら絶対に行ってやると固く決心。
でもビビリで一人じゃ行けない自分は、誰かを道連れにして行って、さながら修学旅行ノリでハメを外したい。またそれが<カプセルホテル>での正しい過ごし方であるような気さえもする。
先週の土曜、およそ13年来の付き合いが続いているアミーゴスと下北沢で新年会を催した。
大学時代、日がな工事現場で石綿を吸いまくった昔日を、仲良く揃って病院のベッドで語り合うのも間近になってきた我々は、炙りしめ鯖が有名だという「汁べゑ」で一次会を、唐揚げが80円という値段設定の怪しい居酒屋で二次会をして、結局23時過ぎまでグデングデンになるまで呑んでいた。
燃え盛る炙りしめ鯖。
そして、CUBEで友達のユニットが回すと聞いたので、横浜に住む知り合いにピックアップしてもらい、千鳥足のまんま朝まで踊った。
酷い宿酔いで目覚める爽やかな日曜日の午後に、「またやっちまったか」と失われた週末を哀れむのも慣れたもので、身体中に染みこんでいる煙草と汗の香りを熱いシャワーで流し、洗濯籠に洋服をぶち込んで、お茶を沸かすと、すでに時計の時刻は14時。
酒精が完全に抜け切っていないボケボケの頭で近所を散歩して、ふと目に付いたDocomoショップの扉を開けてみた。
*
*
さて、僕はというと、このBlogでも何度か書いたように、5世代前のケータイ(自分が最初に持った機種)の時点で、端末から"どんなメロディ"が流れるのかまるで知らない。
もちろん和音がどうしたとか、着メロがほにゃららとか、着うたがこうしたなど興味がない。というか、都会のど真ん中で今更そんな機能を使う奴がアホで、ケータイなんちゅうものはバイブにしとけ!というのが僕の信条である。
それよりもっとどうにかしたほうがいい機能がケータイにはあるだろう。有効画素数を1000万台のケタにするとか、そのあたりが。
<おサイフケータイ>なんつうものもどうかと思う。買い物なんちゅうものはニコニコ現金払いで十分だ。
みんなケータイで何でもかんでも済ませようとしすぎである。
そんなだからマイナーな機能が押しやられて消されちゃうんじゃないだろうか。
昨日、Docomoショップに並べてあったデモ端末を操作した際に手がブルブル震えたのは、決して昨晩呑みすぎたのが理由ではなかった。
なんと、いまのFOMAにはポケベル入力が出来ない機器が登場しているのである。
<ベル打ち>ができない機種はジャーマンドッグを置いていないドトールのようなもので、僕にとって存在価値がまるでない。基本中の基本な機能が失われていこうとしているのである。
これはいかんともしがたい事実だ。僕の周りの<かな打ち>信者は、僕が<ベル打ち>の素晴らしさを得々と伝えても「つーか、憶えるのがメンドくさくね?」と一蹴するけど、こんなに便利な機能は他にもないぞ。
慣れればブラインドタッチはお手のもの。「また今度遊ぼうね」と入力するのが22回で済んじゃうのだ。32回の<かな打ち>なんて足元にも及ばないのである。
せいぜい「肌がかさかさだから、またな!」と入力する時ぐらいだ、<かな打ち>が優位なのは。
店員さんに訊ねてみると、P--パナソニックとSH--シャープとN(だったけな)--ナショナルは<ポケベル入力>があるとのこと。SO--ソニーは搭載しなくなったらしい。ソニー信者な僕は涙を飲まずにいられないが、その時点で選択対象から除外である。
囲い込みができない段階でソニーの未来も危ういものである(きっとそんなコミュがあるだろうと思っていたら、mixiにやっぱりあった)。
さて、日本では何時の発売になるのか不明のiPhoneはどうなのだろう。他にも心配する要素がテンコ盛りだろうというツッコミを受けつつ、ちょっと心配になってきた。
知り合いのM君がインドネシアとバンコクのバイヤーを終えて帰国した、と連絡があった。
M君とは97年のゴアで会ってからの付き合いで、日本に帰ってきてからもいろんなパーティで一緒に踊った仲だ。当時のパーティ仲間がすっかりと隠居生活を営んで顔を見せなくなったのを考えると、10年経ってもいまだ現役の友人には、あらためて尊敬の念を抱く。
99年のカウントダウンの時は、バリ島のクタビーチでナシゴレン(焼き飯)を食べているときにばったり会ったと記憶している。普通なら外国の街で知り合いに会えば驚きの声のひとつも挙げるものだが、トランス好きの旅人の視点だと<誰かに会ったって不思議じゃない>という気持ちが先行するので、渋谷のレコード屋で遭遇したような気分で「あー、どもども。飯、一緒に食おうよ」と再会した。
いま現在、M君はバンコクにアパートを年契約で借りていて、日本とタイやバリを行き来して生活をしているらしい。パーティグッズをデザインしたりTシャツを作ったりしてお店を出しているのだ。
満員電車に乗るのも大変だけど、俺の仕事も大変なんだよねと、去年奥多摩のパーティでM君が呟いた言葉はしばし寸鉄人を刺した。そうか、それぞれがそれぞれなりに他人には分からない悩みや苦労を持っているんだなって思うと、不思議だけど急に乾杯したくなり、僕らは酒を飲んだ。
そういえば今夜はフルムーンである。そう、満月だ。あの夜もだったけか。
2月3月の満月の夜は、世界中の暖かいビーチで誰かがきっと踊っている。今夜も何処かのビーチで。
Happy Fullmoon、良い週末を。
最近、<ピラティス>という柔軟運動みたいなトレーニングを寝る前の15分間位に取り入れるようにしている。
もともとは負傷兵のリハビリに使われていたというエクササイズなので、運動不足と不摂生が祟って、むしろ<負傷兵以下>で衛生兵が匙を投げてしまいそうな僕にピッタリだと思って採用してみたのだ。
プログラムの内容は、ヨガの呼吸(深く息を吸って吐く)に緩やかな屈伸運動を組み合わせたもので、やってみると、なるほど、身体中の普段使っていない筋肉がビヨーーンと伸びているような気がしてけっこう気持ちいい。
僕は高校1年の時に過度の運動が原因で椎間板ヘルニアになってしまって、一時は椅子にも座れないこともあったんだけど、その頃に整形外科医から習った<ヘナチョコ向け腰のトレーニング>にピラティスはかなり近い運動だと知ったので、こりゃ、ラクチンである。
目指すはもちろん逆三角形な肉体だ。ただ、いきなり頂点を目指すのは便所サンダルでチョモランマを登るようなもので途中で凍死しかねないから、まず最初はピラティスという高尾山から練習するのが賢い大人ということになる。
まあ、きっと春頃にはベンチプレスを一晩に100回ほど繰り返してマチョリズムを突き進んでいることだろう。
あと、呑んでグデングデンに帰ってきた日は絶対にピラティスをしないということもしっかりと判明したので、ネオン街に寄り道してお酒をかっ食らうのはなるべく避けようと思う。
─ピラティスの詳細─