先週の土曜、およそ13年来の付き合いが続いているアミーゴスと下北沢で新年会を催した。
大学時代、日がな工事現場で石綿を吸いまくった昔日を、仲良く揃って病院のベッドで語り合うのも間近になってきた我々は、炙りしめ鯖が有名だという「汁べゑ」で一次会を、唐揚げが80円という値段設定の怪しい居酒屋で二次会をして、結局23時過ぎまでグデングデンになるまで呑んでいた。
燃え盛る炙りしめ鯖。
そして、CUBEで友達のユニットが回すと聞いたので、横浜に住む知り合いにピックアップしてもらい、千鳥足のまんま朝まで踊った。
酷い宿酔いで目覚める爽やかな日曜日の午後に、「またやっちまったか」と失われた週末を哀れむのも慣れたもので、身体中に染みこんでいる煙草と汗の香りを熱いシャワーで流し、洗濯籠に洋服をぶち込んで、お茶を沸かすと、すでに時計の時刻は14時。
酒精が完全に抜け切っていないボケボケの頭で近所を散歩して、ふと目に付いたDocomoショップの扉を開けてみた。
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さて、僕はというと、このBlogでも何度か書いたように、5世代前のケータイ(自分が最初に持った機種)の時点で、端末から"どんなメロディ"が流れるのかまるで知らない。
もちろん和音がどうしたとか、着メロがほにゃららとか、着うたがこうしたなど興味がない。というか、都会のど真ん中で今更そんな機能を使う奴がアホで、ケータイなんちゅうものはバイブにしとけ!というのが僕の信条である。
それよりもっとどうにかしたほうがいい機能がケータイにはあるだろう。有効画素数を1000万台のケタにするとか、そのあたりが。
<おサイフケータイ>なんつうものもどうかと思う。買い物なんちゅうものはニコニコ現金払いで十分だ。
みんなケータイで何でもかんでも済ませようとしすぎである。
そんなだからマイナーな機能が押しやられて消されちゃうんじゃないだろうか。
昨日、Docomoショップに並べてあったデモ端末を操作した際に手がブルブル震えたのは、決して昨晩呑みすぎたのが理由ではなかった。
なんと、いまのFOMAにはポケベル入力が出来ない機器が登場しているのである。
<ベル打ち>ができない機種はジャーマンドッグを置いていないドトールのようなもので、僕にとって存在価値がまるでない。基本中の基本な機能が失われていこうとしているのである。
これはいかんともしがたい事実だ。僕の周りの<かな打ち>信者は、僕が<ベル打ち>の素晴らしさを得々と伝えても「つーか、憶えるのがメンドくさくね?」と一蹴するけど、こんなに便利な機能は他にもないぞ。
慣れればブラインドタッチはお手のもの。「また今度遊ぼうね」と入力するのが22回で済んじゃうのだ。32回の<かな打ち>なんて足元にも及ばないのである。
せいぜい「肌がかさかさだから、またな!」と入力する時ぐらいだ、<かな打ち>が優位なのは。
店員さんに訊ねてみると、P--パナソニックとSH--シャープとN(だったけな)--ナショナルは<ポケベル入力>があるとのこと。SO--ソニーは搭載しなくなったらしい。ソニー信者な僕は涙を飲まずにいられないが、その時点で選択対象から除外である。
囲い込みができない段階でソニーの未来も危ういものである(きっとそんなコミュがあるだろうと思っていたら、mixiにやっぱりあった)。
さて、日本では何時の発売になるのか不明のiPhoneはどうなのだろう。他にも心配する要素がテンコ盛りだろうというツッコミを受けつつ、ちょっと心配になってきた。