寝ても覚めても手当たり次第に本を読み漁っている者を、洋の東西を問わずして本の虫「book worm」と呼んだりする。
本の虫になったきっかけは、人それぞれにそれぞれの理由があり、きっと何がしらの1冊がその道へと導いたのだろうと思うと、その人のそれはどんな1冊だったのかと想像するだけでも愉しい。
僕が本の虫となったのは、小学校3年生の夏休みで、実は僕は夏休み直前に交通事故で入院をして、丸々2ヶ月を病棟のベッドで過ごしたのだ。昭和50年代とはいえ、当時にもポータルTVはあって、叔父が所有していたので、持ってきてくれたが、そんなにテレビっ子ではなかったものだから観る回数は少なく、お見舞いで戴いた本を繰り返し繰り返し読んでいた。思えばそれが僕が歩んだ本の道への記念すべき第一歩だった。
そんな読書の歴史の中で、1冊を選ぶとしたらという質問は拷問に近いので、仮に質問を変えるとして、旅先に必ず持っていく本は?ということであれば、僕は開高健の「地球はグラスのふちを回る」を挙げる。昭和56年のエッセイだけれども、いま読んでも文章は色あせず瑞々しく、時間を忘れて没頭できる。
旅好き釣り好きなど多趣味で知られる開高健は、同時にグルメとしても有名であった。彼のグルメエッセイに「ラーメンワンタンシューマイヤーイ」というのがあって、美味しいシュウマイ屋を紹介したいけれど、それがなかなか難しいというのをこんな風に表現している。「・・・このような場所にそれを書くと、たちまち客が殺到してたちまち味が落ちてしまうにちがいないから、とくに割愛することにした。恋と同じだ。御自分で見つけて下さい。」と。実に上手い表現である。
いまからこの記事に載せる店もそんなお店のひとつだ。恋と同じである。
少なくとも土曜日は予約しないと席に着くことが出来ないこの店は、5年ほど前から月に一度の割合で通う都内某所にある店で、知り合いに紹介されたのが最初だった。
のちに旅チャンネル「全国居酒屋紀行」などの番組でも有名な太田和彦氏も大絶賛をしていたのを知って、太田氏の鋭い味覚と居酒屋への情熱にただただ深く頷くばかりであった。
こじんまりとした店内は10組も入れば満員御礼になって、お品書きにはメニューはあるけれど、そこに値段は書いていない。一見のお客さんだったらピリリと背筋が伸びる瞬間だろう。
暖簾をくぐると毎度「○○君(僕の名前)、いらっしゃい。よく来たね」と温かく迎えてくれる。心がほぐれる瞬間だ。
上質な炭火が入り口で炊かれて、そこで新鮮な魚を焼き上げる。店内にはレトロな歌謡曲。全ての料理が丁寧で、その味といったら頬っぺたが落ちるほどである。
ここではビールと片仮名にするより麦酒と表現したほうが合うのである。一杯目は麦酒、すっと瓶が出てくるので、渇いた喉を潤す。そして、まず註文するのは煮物と刺身である。

優しい味の煮物。

そして、中トロをどのタイミングで食べようかしらと悩ましい刺身。
優しい味付けの煮物を、とみさんが長箸で綺麗に盛る。そして、新鮮な刺身。そう、ここは何でも絶品なんだけれども、魚の旨さといったら、それはもう都内屈指なのである。

こちらはほっけ。焼き担当のYさんが註文が入り次第、炭火で焼く。その手つきは熟練工だけが持つ繊細で正確な、職人の技である。ほっけ若しくは銀鱈をまずは頼みたい。肉厚でジューシーで、何よりも新鮮で香ばしい。魚を焼くには、なんと言っても炭火が一番である。もうもうと上昇する煙を嗅ぐと、日本人に生まれてよかったなって、思う。

そして酒肴の品々。

最後はいつも丼で締める。
幾つかあるうちの、まぐろの漬け丼かいくら丼が、いつもの締めだ。プリプリのいくらが熱々の御飯にたっぷりと乗っていて、海苔が散らしてある。一口食べるたびに愛おしさがこみ上げてくるのである。そしてほうじ茶で一息つける。
どのお店でも撮れる場合には可能な限りに写真に収める僕でも、このお店の場合、つい忘れちゃうことが多い。酒に心地よく酔っているのもあるし、美味しくて気がついたら食べ終わってたなんてのも。
ここの定番でいったら、塩辛がそうだね。気がついたら食べ終わっている。日本酒の熱燗に合うのですよ、これがまた。
なので、ここには挙げていない、季節の名品なんかもある。秋のほんの僅かな期間にお品書きに登場する「揚げ銀杏」は、秀逸で日本酒にピッタリなのである。魚も秋の秋刀魚は、もう格別。ここの銀杏と秋刀魚に想いを馳せると、嗚呼、秋が待ち遠しい。
まだ行かれたことのない御友人の皆様、僕はいつでも皆様のオファーがあり次第、予約しますので、iPhoneまで連絡ください。日本酒やお湯割り、麦酒も呑みつつ、たらふくに食べて、一人3千円程度。いいのかな?なんて思っちゃう値段である。
そして会計時にとみさんが「○○君(僕の名前)、また来てね。いつもありがとね」と。
こちらこそ愉しい時間をいつもありがとう。
3月の日曜日に降る長雨に、そんなことを想いつつ。
■4月3日4日「春風」 at 代々木公園
桜の季節の風物詩といえば、春風。
初期の頃の音楽とは違うけれど、春は代々木に集まりたくなっちゃうのが、トーキョーテクノトライブってもの。音はまだ本家サイトには今日時点で掲載ないけれど、mixiのコミュによれば、朝崎郁恵やサヨコ meets YA MAN RIDDIMが出るというので、個人的に注目。「おぼくりええうみ」と「マライカ」で号泣ぽい。晴れるといいな。
http://www.balance-web.com/harukaze/
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■4月11日 渚音楽祭2010 at お台場コート
2年ぶりに東京に帰ってきた渚音楽祭。
毎度お馴染みのフジテレビ前からちょこっと移動しての開催で1日だけのスポット開催。<太陽 All Genre Stage>の気になるメンツは、ガチガチなジャーマンのThe Delta、オランダのキラ星Zen Mechanics、そしてQuintrixのKeiさん、日本のサイケユニットAstronかな。
今日のアップデート情報なので、まだまだ追加される予感。
デルタなんてのは、たぶん7年ぶりくらいのライブ体験。深夜サウンドなだけに、日中に聴く音がどんなか愉しみ。Zen Mechanicsは実は野外で聴くのが初めて。ディープな四つ打ちが気持ちよいのだ。これも期待大。
そして、トランスじゃないけど、<風 Jam/Rock Stage>もかなりの充実。
人力トランスの代表格のDachamboで思い切り盛り上がれるし、そしてハイスタの難波章浩が登場っ!ハイスタは池袋に事務所があるときに好きすぎてアポなしで訪問したこともあるんだけど、空中分解してから聴いてないし、ソロ活動もあまりインプットしてなかったので、この機会にぜひ楽しみたい。
他にも大物来るのかね。
http://www.nagisamusicfestival.jp/
* * *
■8月1日~15日 マフィア島 at タンザニア
そして脳が溶けそうなくらいヤバめなのがタンザニアのマフィア島(完全にWWF世界自然保護基金によって保護されている)で15日間ぶっ通しでやるパーティ。
その名も「Mafia Dance Festival」。
名前からすると物騒な気もしないわけでもないが、じつはまったくの正反対で、スワヒリ語で「癒しの島」を意味するのだ。
言葉にならないくらいの自然満載のステージでイベント。最高の夕陽。完璧なロケーション。もうそれだけでもそわそわしちゃうでしょ。
そして、世界中から3000人限定のイベント。出演者なんてのは、ハローページかっつうぐらいアーティストが並んでいる。
とりあえずコピペ。
なぜ、こんなに凄いかというと、サモスラキの連中が復活してオーガナイズしちゃったから。こりゃ、行ったら社会復帰できないな。うーん、行きたい。
http://www.mafiadancefestival.com/
LIVE ACTS:
ABSOLUM, 3D Vision Rec - FR
AJJA, Syncronize Records - CH
ANTIDOTE, Neurobiotic Rec - FR
BRAINCELL, Free Spirit Records/Phar Psyde Records - CH
BROKEN TOY, Alchemy Rec - SA
DEVIANT SPECIES, Ambivalent Records - UK
DIGITAL TALK, 3D Vision Rec/Yabai Records - FR
EAT STATIC, Mesmobeat/TIP/Twisted Rec - UK (Special 2 Hour Live! No Laptops!!)
ETNICA - PLEIADIANS, Etnicanet - IT (Special 2 Hour Live!)
FROZEN GHOST, Disasterpeace Records- SA
JOURNEY, Free Spirit Records - UK
KOXBOX, Twisted Records/Solstice Music - DK
LOGIC BOMB, Solstice Music - SWE
LIQUID SOUL, Iboga Records - CH
LOST & FOUND, 3D Vision Rec - SA (Special 2 Hour Live!)
MINDCORE, Yabai Records - FR
PHATMATIX, Yabai Records - FR
PHIBIAN, Trick Music - UK (Exclusive Live!)
PHYX, Timecode Rec - SA
PITCH HICKERS, Nexus Media - SA
PROMETHEUS, Twisted Records - UK
PROTOCULTURE, Nano Records - SA
RINKADINK, Alchemy Records - SA
RUBIX QUBE, MMD/Disasterpeace - SA
SCORB, Trick Music - UK
SHIFT, Nexus Media - SA
SLUG, Nexus Media - SA
SQUID INC, Ambivalent Records/Trick Music - UK
THE GRAIN SOCIETY, Ekholab Stud/Oktava Rec - GR (Exclusive Live!)
TOTAL ECLIPSE, Mandala Records - FR (Special 2 Hour Live!)
TRANSWAVE, 3D Vision Rec - FR
TRISTAN, Nano Records - UK (Special 3 Hour Live!)
XATRIK, Digital Psionics Rec - SA
DJs:
AJJA, Peak Records - CH
ALPHA, Interzone.pa - GER
CHRISTOF, 3D Vision Rec - FR
CONNECTO, Vortex - SA
DADO, IBZ Recordings - FR
DICK TREVOR, Nano Records - UK
DIMITRI, Neurobiotic Rec - UK
DINO PSARAS, Boa Group/Oktava Records - UK
DOC, Harmonia Records - GR
EARTHLING, Neuriobiotic/Spun Rec - SP
EDOARDO, Neurobiotic Records - IT
EMOK, Iboga Records - DK
E303, Antiworld Events/Sonesta Records - UK
FRANK E, Twisted Records/Solstice Music - DK
HEADROOM, Nano Records - SA
JAMES MONRO, 4Ddigitalaudio, Flying Rhino - UK
JAY OM, Free Spirit Records - UK
KRISTIAN, Transient Rec - UK
LIQUID ROSS, Liquid Rec - UK
LIQUID SOUL, Iboga Rec - CH
MARIOS, The Grain Society/Mafia Dance Festival - GR
MAURIZIO BEGOTTI, Etnicanet - IT
MAX LANFRANCONI, Etnicanet - IT
MONTAGU, Symphonix, Blue Tunes Rec - GER
RALPH, Rastaliens, Phar Psyde Records - CH
REGAN, Nano Records - SA
SENSIENT, Zenon Records - AUS
SERGE, Neurobiotic Rec - FR
SHANE GOBI, Alchemy Records - SA
SWARUP, Universo Parallelo Fest - BR
TEO, Discovaley Records - GR
TEO, Mafia Dance Festival/Oktava Rec - GR
TRANAN, Solstice Music - SWE
XP VOODOO, Spun Records - RUS
YOUNGER BROTHER, Twisted Records - UK
「アリス症候群」
寝ても覚めてもシンジタニムラとタカオホリウチのことで頭がいっぱいの現象・・・なわけがなくて、正式には「不思議の国のアリス症候群」というらしい。
中二病を患っているときに併発しそうな症状で、たとえば授業中になんだか解らないけれど突然と自分の右手が大きく感じるとか、逆に教室の大きさが変に小さく感じてしょうがない数分を総じて「不思議の国のアリス症候群」と言う。
皆さんはこういうのありませんでしたか?火曜日の6時間目とかにシーンとしている授業中に感じる変な違和感。
ウィキペディアによると、「典型的な症状は、眼に障害がなく外界が通常と同じように見えていると考えられるにもかかわらず、一方では主観的にそれらが通常よりも極めて小さな、または大きなものになったように感じられたり、ずっと遠く、あるいは近くにあるように感じられたりする。」とある。
詳細はウィキに譲るとして、この症候群の原因はナントカカントカというウイルスのせいで、日本ではこのウイルスに子供の頃にほとんど感染するから、ガキんちょの頃に時折起きる現象なのだとか。
不思議の国のアリス症候群
(ふしぎのくにのアリスしょうこうぐん、Alice in Wonderland syndrome, AIWS)
─リンク─
じつはおとといぐらいから風邪を引いているんだけど、小さいときに風邪を引くと必ず見る夢(完全にナイトメア)が、こんな感じだった。
全てが無音の世界でその無音の世界に地球ぐらいのツルツルした球体と同じ材質のスーパーボールみたいな小さな球体がある。ただそれが並んでいるだけ。でもその並んでいる光景と、その球体の大小の差がどういう理由なのか恐怖のバイアスを増幅させてとにかく恐ろしい。たいては汗びっしょりで目が覚める。
あんな夢見るのって自分だけだったのかな?と思い検索したら出てきたのが、このウィキペディアの頁で、風邪の時の事例もばっちり載ってた。なるほど、そういうことか。
ちなみに日によっておっぱいが大きく見えたり小さく見えたりするのはほとんどブラジャーのせいで、アリスとは無関係というのが某キャバ嬢のお言葉である。
あと、この症状の略語のAIWS、なんかフィンランドのメタルバンドあたりにありそうな名前だよね。

私用業務用でiphoneが2台、ドコモとソフトバンクの携帯がそれぞれ1台の合計4台の端末があり、しかもスマートフォンが2台も含まれていて、outlookのexchangeとさいすけでスケジュール管理している状態で、なおこの場に於いて紙にアウトプットする情報があるのかと自分でも不思議に思う。
というか、むしろ要らないだろうという気持ちのほうが先行する。きっかけは2ヶ月ほど前のTLで堀江さんが「手帳とかってもういらなくね?」的なツイートをしたのがトリガだった。僕もおおむね「手帳なんていらなくね」派だったし、事実、手書で書くより数倍の速さでタイピングが可能なので(iPhoneのフリック打ちも、もう慣れた)、手帳を持つ理由がないんだけど、どうしてか買った。
自分でも何で買ったのは説明するのは難しい。敢えて理由を挙げるとしたら、天邪鬼というのが答えだ。要らないじゃんって思う自分がいるからこそ、それに嫌疑をかけて真反対の行動を取る天邪鬼な性格。常にそんな部分で物事を試していたので、今回もそれに乗っかった。
第一、僕はそもそも何も書きもしないのに毎年6穴を交換している手帳を持っているのだ。
十数年前に僕の実家で居候していた旅仲間が餞別でくれたフィンランドの手帳。そう、あれは十数年前の2月のとある日のことである。
能天気な白痴的にご機嫌な朝、ミコが流すキラキラとしたモーニングトラックに身を任せてフルスマイルでディスコバリーで踊っていると、真っ黄色の手袋をしてグヨングヨンと踊り狂う日本人の女の子がいきなり僕を見てロックオンしてきた。
「鬼の子じゃぁ~!」と。
西瓜に話しかけたと思いきや、志村食いをして種を機関銃みたいにイスラエリに発射するパスポートのない残念な40代後半のオジさんとか、面妖極まりない妖怪組の生徒の行動にはすっかり慣れた自分だけれども、自分に向けられると流石にのけぞって、思わず口に含んだビスレリの水を吹いたのだ。
りらちゃん、それが彼女の名前である。
フランス人の彼氏と旅行しているりらちゃんは、前年のインドで僕を見かけたらしくて、当時の頬がこけて腰まで髪が長かった僕をずっと<鬼の子>と記憶していたらしい。まったく意味不明である。なので、ポニョの歌みたいに2回繰り返すだけで「名は体を表わす」状態のきらびやかな朝を迎えていたりらちゃんは1年ぶりに見かけた僕に思わず叫んだのだ。
その出会いをきっかけに、彼女とはその後も街のいたるところですれ違って、そのたびに「胃液を吐いて踊るとアガる」とか「ワカメには裏と表があるから気をつけたほうがいい」という数多くの有難い教えを説いてくれた。
それから半年後、旅ボケが収まらない僕のところに成田空港から彼女は電話を掛けてきた。インドを北上してネパールやタイを経由して日本にソロで戻ってきたらしい。
で、「居候させて」と。
僕も大学卒業してから「家にあまり居ないニート」みたいなデタラメな生活をしていたので、普通だったら断りそうなこの案件をアレコレ考えずに二つ返事で快諾した。
僕の家に居候したりらちゃんとの生活は毎日が漫画みたいで、そのエピソードだけで本が1冊書けそうなぐらいなんだけど、ここでは割愛するとして、居候してからしばらく経って、一度北海道の実家に戻るというりらちゃんが餞別でくれたのがフィンランドのシステム手帳なのだ。
だから、この手帳は旅仲間の置き土産として肌身離さず使う心掛けなんだけれど、まあ、ここは肉ばっかり食べているとたまには魚も食べたい精神に基づいて、<ほぼ日手帳>を。
それにしても、りらちゃん、どうしているのだろうか。ちゃんと生きているのを願うばかりである。
実家に居るときにはわりと食べていたのに、離れたとたんに何となく食べる機会を失するもののひとつに、わさび漬けがある。
スーパーとかに行くと、納豆コーナーから4品あたり遠のいたところで、手のひらサイズの長方形プラスチックに「天城育ち」なんてシールが貼ってあるあれだ。年末にふと無性に食べたくなったので、サンダルでスーパーに駆け込んで買ってきてしまった。
小皿に醤油を少し垂らしてわさび漬けをちょちょんとやる。
それを熱々のご飯に乗せて食べるのは格別である。こういう場合、やっぱり白米のほうがしっくりくるのだけれども、去年から玄米生活をしているので、玄米ご飯に乗せる。これもまた美味しいのだ。わさび漬けはご飯だけではなく、ぬか漬けや「地菜」と呼ばれる野沢菜漬けに添えて食べると、おかずいらずな感じである。
2000年代に入ってから101回目ぐらいの決心だろうか。
今日から時間のあるときには家の近所をジョギングともウォーキングともつかない運動をすることにした。
iPhoneの無料アプリに「RunKeeper free」というのがある。自分の走っているルートをGPSでgoogleMAPと同期して割り出してくれて、消費カロリーに平均速度、走行時間と走行距離を表示する。そしてさらにサーバにデータを送れば1ヶ月1週間のトータル数値を出してくれる。また、自分がどれだけ走ったのかをTwitterにポストしてくれる。
ものすごい優れものである。いや、ほんと、なんていう時代。こんなアプリが無料だなんて。iPhoneはマジですごいよ。携帯じゃないので。
早速これを使って近所を攻めてみた。僕が住んでいる私鉄沿線沿いは、JR線と比べると1駅の間隔が短いので、ちょっと走るには都合がいい。隣駅の商店街まで目指すなんていう目標を作って、GPSで自分の走っているのを追う。
いよいよハイテクがフィジカルな部分に融合してきて未来を感じる。
さて、今日は日曜だが明日以降の平日にどれだけ走れるか。まさにここが焦点である。時間的には20分ぐらいなので、何とかして、例え残業でも日課にしたい。
前大統領:
「まあひとまずは僅差だとはいえ、君の政党の勝利だ。今回は政権の座を譲ろうではないか。とりあえずは前政権としておめでとうと、一言私から直接言おう」
現大統領:
「いえいえ。政党が違えど、我が国を想う気持ちは同じ。やはり私は先人から学ぶことばかりです。ぜひ今後ともいろいろとご教授ください」
前大統領:
「その君の謙虚さがきっとこの時代にマッチングしたんだな。私は多少強引なやり方だったのかもしれん。ところで前政権として相談なのだが・・。」
現大統領:
「相談だなんて、めっそうもない。何でしょうか」
前大統領:
「いや、ほら、アレだ。例のヌーディストビーチ撤廃の件だが。あれは勇み足じゃないだろうかね」
現大統領:
「ああ、そのお話でしたか。参謀長官にも伝えましたが、あれはあくまでも民衆の声を私は政策として掲げただけですよ。民衆は求めてない。それだけです」
前大統領:
「いや、そうはいってもね、君。アレはあれでいいものだよ。私も寄宿校時代のヴァケーションで行ったものだ。民衆の声も大事だが、世の中にはガス抜きだって必要なのだよ。そう頑なにならなくてもいいじゃないか。」
現大統領:
「だから貴方には成し遂げた政策がないのですよ。戦争やって終わりじゃないですか。政治はそうじゃない。あんな海岸は明日にでも禁止するべきです。開放する理由なんてない」
前大統領:
「君も案外頑固者だな。君は本当のヌーディストビーチを知らないから、頭ごなしにそう言うのだ。こうやってだな、ズボンを脱いで私の自由の女神を太陽にさらしてだな」
現大統領:
「まったくこんなところで突然脱いで。そんなことが許されるとでも。親子2代続いた政治一家だとしたって、いまは私が大統領だ。そこまで食い下がらないなら、いっそのこと白黒つけようではないか」
前大統領:
「白黒? 白黒ならとっくに我々の肌の色でついているじゃないか。」
現大統領:
「・・・」
ゴォオーーン。
良いお年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
===
再会「旅の出来事」
たぶん奇跡ってこんなことを指すんだろうと思う。97年、僕はインドのゴアから北上してヴァラナシに滞在していた。ガンジスの名で日本では馴染み深いヒンズー教徒の聖地だ。ゴアから北上する多くの旅人がそうであるように、彼らは一様にヴァラナシで移動の足をピタリと止める。大抵がこの地で体調を崩すからだ。僕らも例外ではなく、1週間の予定が10日となり、2週間となりずるずると延泊していた。旅のスケジュールは白紙だから延泊することは大した問題じゃない。それより、このまま延泊したらそのうちサドゥーみたいに河原で物乞いをしなくちゃいけないんじゃないかって心配するぐらいだ。その滞在期間の幾日目に僕らはラビリンスのようなヴァラナシの路地裏で彼らにあった。ステファンとスザンナ。当時、トランスを好きで旅している輩は目配せしただけで打ち解けたりしたのだ。まるで何かいけないことを共有しているような一体感。僕らも例外なくウィンクした。で、それだけで十分だった。その日から僕がジジイになったって絶対忘れないだろう、刺激的な毎日が待っていたのだ。我々は陸路でネパールに入り、数ヶ月滞在して、またインドに戻り、そしてタイで再会し、パンガン島のフルムーンパーティでお別れした。それきりだった。あれから12年。もう一度我々は再会した。この日本で。幾つもの偶然を重ねて。それは本当に偶然の再会だった。だから、たぶん奇跡ってこんなことを指すんだ。神様がすこしだけやんちゃして僕らを楽しませたりしているのだ。
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10年「酒場」
僕が本当に心を許した仲間だけ連れて行くある酒場がある。飲み物はキャッシュオンで、何でも500円。カウンターだけの店で、真空管のアンプからジャズのレコードが流れる店。カウンターにあるおつまみは、どうぞご自由にという酒場だ。10年前に僕はその店の扉を勇気を絞って叩いた。何せ、酒場なんてせいぜい吉祥寺のいせやに行く程度の年頃だ。ジャズが流れる店だなんて縁もゆかりもない。でも不思議なもので、その店のマスターが醸し出す温かい雰囲気を、僕はすっかり気に入って、足掛け10年、この店に通った。夏の夜は、家でシャワーを浴びて太陽のにおいがする真新しいTシャツに袖を通して遅くまで、寒い夜はホットウイスキーで、暖を取った。一人で行かない晩は、気の許せる友達だけを連れてった。去年僕が表参道でDJしていたのも、じつはこの店のマスターの縁があったからなのである。そのお店は残念ながら今年の5月に二代目に譲られた。それと同時に僕の中でのこのお店の歴史の幕も閉じたのだ。僕はこのお店で過ごした思い出を手つかずのままに残したかっただけなのだ。二代目は二代目の思い出という器用な真似ができれば僕だって苦労はしないんだけどね。
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RICOH「GR DIGITALⅡ」
デジタルコンパクトカメラ、通称デジコンは汎用性があって、カメラの間口をグッと広げたと思うけれど、リコーのカメラだけは、人を選ぶ気がする。そんな気持ちになることがふとある。なんか特有の癖があるのだ。それに魅了された人は必ず言う「リコーでしょ」と。僕も同類だ。リコーの魅力にしっかりとハマった。たしかに扱いづらい。キャノンだったら楽だろうなぁって構図もある。でもこの徹底としたマニアっぷりがいいんだよなぁ。デジコンは買わないなんて宣言していたけど、これだけは別だった。そうそう、来年は銀塩がまた復活する兆しらしいね。
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海外「バリ島」
6年ぶりに海外に出た。門司港から韓国の釜山まで船旅して以来である。何度目かのバリ島。テロ以降に訪れるのは初めてだった。いつもクタに入り、ウブドに滞在し、またクタに戻る行程を、直接ウブドにインした。2週間滞在し、行きと帰りは台湾に一泊した。ウブドの滞在は本欄にある某酒場のマスターのお世話になったのだ。彼はバリ島で彼女とセカンドライフをしている。バイクを借りて、毎日駆け抜け、エステやマッサージを受けてたくさんリラックスが出来た。僕がかつて知っていたバリ島の面影は少なくて、すっかりリゾート地と変貌しても、やはりそのパワーは健在だったのだ。日本だと鬱陶しい雨も古い屋根が広がるウブドではとても心地よくて、22時になると、もう瞼が重たくなってずるずると寝てしまった。身体の緊張がほぐれている証拠だ。田園が見渡せる夜もやっている秘密のカフェでガムランの響きに包まれて、ビンタンビールを呑み、談笑して・・・。いつでもおいでと心強いお言葉を頂戴したので、また近いうちに行きたいものである。バリ島のセカンドライフも悪くない。そしてクタビーチ。そこはカオサン通りのごとく変貌を遂げていて、路地裏にまでびっしりと店が連なり、表通りは全部の店が入れ替わっていた。東京みたいである。ただ、スペーストライブの工場だけはいつもどおりだった。猫がいて商品がざっくばらんに置いてあって。2つほどだけ購入した。だって後は全部ギャルオみたいな洋服なんだもん。
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国内「沖縄」
海外が6年ぶりだとしたら、沖縄はなんと23年ぶりである。12月に訪れた沖縄は気温が25度で、夜になってようやく落ち着く程度。レンタカーもクーラだし、ホテルもクーラー。だってホテルのプールで泳げるくらいだから。キャンプコートニーという、特別開放された基地のクリスマスパーティを攻めて、夜は白百合の古酒(クースー)でしたたかに酔い、記憶をなくして、ホテルで先に寝た友人にボディアタックをして、ジャッキーステーキハウスで分厚いステーキやら市場近くで沖縄そばを食べて、琉球のTシャツを買い、22階の特別なスウィートも抑えてラモスを見かけたりした。混沌とした猥雑な熱帯の夜は本土とかけ離れていて、すっかり気に入った。それにしても12月で25度はとてつもないよね。
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開始「Twitter」
遅ればせながらもTwitterを今年から始めました。このサービスは何年ぶりかの昂奮で、思わず沢山の人に勧めている毎日である。我が社の社長も、つい先日やり始めて話題に・・・。まあ、それはいいか。チャットとSNSを足して因数分解したようなコミュニケーションツールは、140文字という限定された文字数でポストするにも関わらず、病み付きになる。自分の視座から見るタイムラインと呼ばれる多数のポスト。自分がフォローしている人の投稿が表示されるのだ。なんかサイバー空間に在る喫茶店で、いろんなグループがたむろしていて、その会話が文字化されているような感じ。そして、一番このサービスがしっくりくるのはiPhone使っているからである。豊富なクライアントツールがたくさんある。もちろん無料で使いやすい。最近こそモバツイという携帯向けサービスを提供したTwitterだけれど、自分のドコモ端末じゃ正直やる気がしない。iPhone、みんな使えばいいのに。特にTwitterする人は。そこの君、マイミクお願いしますとかメッセしている場合じゃないぞ。そんなこんなで、むしろ最近はiPhone使いでTwitterしてない人は何しているんだろう?と思うぐらい。当分はこのサービスに首ったけである。
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三好銀「いるのにいない日曜日」
このタイトルだけでピンと来た人は、相当の漫画マニアだろう。この作者生きているのかしら?と死亡説すら流れた三好銀が、91年~94年にスピリッツで掲載していた「三好さんとこの日曜日」の未収録作品の初単行本化である。およそこの先数十年経ったところで市場でお目にかかれるなんて思ってなかったので、感涙モノだ。買わないわけがない。というより、「漫画ばっかり読んでいるとそのうち漫画家になっちゃうわよ」と叱られつつも幼少から漫画を読み漁っている僕の中で、この作品は最高だ。一位二位を争う。中央線沿いらしき駅に住む、三好さん夫婦と飼い猫の物語。明日がたとえ月曜でも日曜日っていいよね。日常的な出来事を漫画にして、ほのぼのと、どこか哀愁漂う作品に仕上げている。「三好さんとこの日曜日」は残念ながら絶版だけれども、こちらは今年の12月25日に出たばかりなので、手に取りやすい。暖かい日曜日を想いつつ。
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Shpongle「Ineffable Mysteries From Shpongleland」
こちらも待望の1枚。シュポングルの4枚目のアルバムだ。トランス界の重鎮ラジャラムと、Hullusinogen名義で有名なサイモンのユニットが奏でる音楽は、トランスというジャンルを超えて幅広い層に支持されている。これまでの3枚がすべて名作であり、トランスという音楽業界の中でも極めて流行り廃りが激しいジャンルにも関わらず、これらのアルバムは僕個人はもとより多くのトランスファンにとっても殿堂入りの作品なのである。四つ打ちと呼ばれるキックが強くて145bpmあるような激しい曲でもないし、かといってゆるゆるのアンビエント、というわけでもない。踊ろうとおもえば踊れるし、チルしようと思えばチルできるのだ。まるで禅問答みたいだけれど、シュポングルの音楽ってどこかそういう趣きがあるんじゃないかしら。
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仕事「ユニオン」
業務歴は長いけれども社員歴は大卒並みなのに、どういう風の吹き回しか、数千人の代表メンバ二十数名の一人に選ばれて、毎週火曜日は19時から会議をしたりしております。これがなかなか刺激的で、たしかに本業じゃないので、本業が繁忙になると三途の河が見えかけたりしますが、やり応え十分あり。なにしろ背中に数千人の社員を背負っているので。その一環で名古屋に遠征したりもして社内の人的ネットワークも広がっております。本業で被らない人とは徹底的に被らないマンモス会社なので、こんな機会があると有難かったりする。なお、この仕事、俗に3年続けるらしいので、まあその覚悟で。3年後にはdelta君に持ちかけようじゃないか。
*
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映画「This is it」
ケーブルテレビに加入しているので、DVDと上映モノを併せると70本ぐらい新旧作を観ている中で栄えある第一位はこれである。なぜこれかというとそれは「This is it」が<今年の映画>だから。僕が言うまでもなく、世界一のポップスターが今年天に召された。僕は全然マイケルジャクソンなんて聴いてもないのに、あの日から流れるそのほとんどの曲を知っていた。だからこそ彼は最高のポップスターだったのだ。奇しくも同じ誕生日のマイケルの映画を上映最終日のレイトショーで観た。僕は後にも先にも会場が妙な熱気に包まれているレイトショーを観たことがない。それは本当に異様な光景だった。まるでライブ会場に足を運ぶかのような観客たち。映画のネタバレになってしまうが、この映画はマイケルのロンドン公演のリハーサルを映したもので、世界中から集まったガチなマイケル馬鹿ダンサーも映っている。彼らはマイケルと一緒に踊れるだけでションベン漏らすような大ファンなので、リハーサルといえども大拍手大喝采でマイケルを称える。1曲が終わるたびに拍手して口笛を鳴らすのだ。だから映画館にもその拍手が鳴り響いた。同時に僕は思った。最近のドルビーサウンドは半端ないなと。まるでその場に居るような臨場感なのである。でもおかしいな、こないだ観たターミネーター4でもこの臨場感はなかったぞ、と振り向いた瞬間。映画観ている人たちが泣いて拍手していた。ものすごい場所に来てしまったものである。さて、マイケルは本当に惜しいと思う。この映画を思い出すだけで少し涙が出てくる。たっぷりと愛の詰まった作品である。
===
そんなこんなで、来年も with L-O-V-E で。
Remember,Red. Hope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.I will be hoping that this letter finds you, and finds you well. Your friend, Andy.
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snapped by: DOCOMO SH903i iPhone3G&3GS
つげ義春の「おばけ煙突」という、おそらく貸本時代の作品の冒頭に「煙突掃除殺すにゃ刃物はいらぬ雨の十日もね降ればよい・・・」なんて科白があって、煙突掃除の主人公が今日も仕事に溢れて家で鬱屈し、しまいには煙突から落ちてしまう昭和のストレートすぎるじめっとした作品がいうように、最近じゃブロガー殺すにゃ・・なんて科白が巷じゃ噂されている。
もちろん、オカルト映画じゃあるまいし、FC2でブログを開設したら数日後に失踪とかではなくて、「ブロガー殺すにゃmixiはいらぬついっとの10も投げればよい・・」で、Twitterの勢いが増すばかりだ。
SNSのサービスの在り方は本質的に従来のWebサービスとおんなじで、ややクローズドのコミュニティがあるけれども、Twitterは、明らかにこれまでのWebサービスとは異なる。進化を遂げているのだ。
一度憶えてしまうと大半の生半可なブロガーはこちらに流れるだろう。
圧倒的なライブ感。RTと呼ばれる、引用に近い投稿とハッシュタグやフォローという考え方。件名レスな部分も捨てがたいし、140文字というマイクロの世界に限定させた斬新さ。
残念なことにこのサービスだけは外から眺めているだけじゃ100分の1も理解できない。何が面白いか分かんないし、という知人が多いのも事実だ。
まあ、やんなきゃ死んじゃうわけじゃないから好き好きだけど、たぶんやったほうがいい。だってやった人はみんな病み付きになるから。
それでたいていの面白いことがそうであるように、まずは始めるところが大事である。
先日、とある秋の休日に代々木公園にて開催された、東西から集まった異色のメンバー達が、まるで寄せ鍋のように持ち寄った食材やらお酒を囲むというピクニックにご招待いただいた。
ブルーシートやら茣蓙を敷いて日没までドンチャンと呑もうじゃないかという会である。
知り合いから知り合いへ輪を広げるようにホスト役が随所に仕掛けを施しているらしく、まずは席次に着くと、ハート型のシールを渡されて、そこに名前(HNも可)と何をしている人なのかを書くシステムになっていた。ふと周りを見渡すと、女優だとか銅版画家だとかカメラマンだとか、なにやら面白そうな人物がいっぱいいる。
そこで僕もせっかくだから会社員なんて書かずに、「○○の中の人」と○のところに社名をぶち込んでおいた。そんなこんなで初めてのBUMPをしたりして笑いつつ交流を深めていると、やっぱりホストした子の魅力だろうか、集まっている連中がとにかく幅広い。高橋名人の本を編集したりファミ通に連載を抱えている方、エロ声優している女子、料理研究家であり女優である子、インディーズ映画(だったけな)のプロモーターやら、そんな皆様と作ってきたきんぴらごぼうをムシャムシャ食べてたら、あっという間に夕方になった。
愉しいときは時間が経過するのもあっという間なのである。
そこで更にユニコーンのてっしーのプロデュースでデビューしたロック姉さんと立ち話をしていたら、なんとなしに自分もロスプリモスの仕事をしていたんだよという話になった。それで、その夜、世界一周をしたパーティ夫妻が日本に戻ってきて個展を開いたので顔を出し自宅に戻り、いつもどおりにTwitterしていると、思わずタイムラインのスクロールが止まってしまった。ロスプリモスのボーカルの森さんがご逝去されたというのである。つい数時間前に話していた話題のシンクロはいったいなんだったんだ?ロスプリの話なんて数年以上したことがないのに。暫く呆然として動けなかった。でもそれじゃ何も始まらない。気を取り直してすぐに久しぶりの番号に回した。
当時の仕事の先輩に。そして大学時代の仕事仲間に電話した。
告別式の当日、十数年ぶりに待ち合わせたみんなはそれぞれ一様に大人になっていて、時が経ったことを実感した。我々は当時、森さんのことを看板と呼んでいて、仕事上では看板は近寄りがたい存在だった。しっかりと手を合わせ、残されたメンバーの皆様にご挨拶もした。
そしてふと思った。そういえば、この仕事のつながりでいつだったか、背広を着たっけなと。そう、それは皮肉なことに僕がこの仕事で背広を着たのはこともあろうか、看板の結婚式の日だったのである。
僕は背広をいままでに一着しか購入したことがないので、十数年前のとある日、祝いの席でこの背広を着たのだ。白いワイシャツに白いネクタイで。そしてこうも思った。結婚式と葬式はそれが生と死の相反する出来事だとしても、我々は一方で白ネクタイを結び、人生の門出を祝い、一方で黒ネクタイを結び故人を偲ぶ。なんだかそれは僕らにとって非常に近しい出来事で、結局我々は彼らの(あるいは彼の、彼女の)旅立ちに立ち会ったに過ぎないのではないだろうか。
僕らは常におくりびとで、様式的に─ネクタイの色を変えるだけで─時に笑い、時には悲しむ。僕らは彼らの旅立ちを助けたり支えたりする存在なのだ。
いつだったかタイのホワヒンでタイの葬式に参列した。その亜熱帯の夜の葬式は日本のそれとはまるで違う、祭りのような場所であった。音楽が鳴り響き、椰子の木のしたでアイスやらが配られたりした。
まるで葬式そのものが祝杯的な装置かと見間違うほどに。在タイの友人に尋ねると、来世観があるタイでは、葬式はもう一つの人生の門出だそうだ。だから決して悲しいばかりではない。現世に残された人々はできるだけその旅立ちを祝うのだという。
そんな幻想的な儀式の夜、満天の星がこぼれそうな南国の浜辺で、幾千光年も離れたところから輝く星空を眺めながら、僕らは人は死んだら何処に行くのだろうと語り合ったりした。
30歳を過ぎたときから、さほど誰彼にも伝えるまででもないけれど、これまでの二十数年に培ってきた<考え方>や<物事の見方>を180度とまでではないにしろ、変えてきたものというのがある。
その一つが<時間>に関する考え方で、20代と30代の境目で時間進行を─そう、それは30代がシニカルに捉えているという意味で─別の視点で迎えるようにした。
なにせ、20代の10年後は30代であるけれども30代の10年後は40代である。惰性的な毎日を下ネタばかりで埋め尽くすわけにもいかないのだ。
僕が30歳のときに「これからはこういう風に考えよう」と思ったのは、20代までの<時間>というものに対する考え方、例えるならば、まるで積み木を積み重ねるように過ぎていく蓄積な集合体であるというもので、高い塔を築きあげていく作業のようであると考えていた。
しかし、30代以降は時間というものは無限的な膨張する存在ではなく、その実体はきわめて有限で、30歳から31歳になった時点で、それは積み木がひとつ積み重ねられたわけではなく、<自分の持ち分として残された時間の目盛りがひとつ減った>のだと考えるようにしている。
こういうのは人それぞれが持つ考え方なんだけれども、どうも性格的に少しでも楽でイージーな方向に行きたがる自分としては、これぐらい褌を引き締める考え方で丁度いい。
時間の持ち分は決まっているのだと。そうすると何が大事で何が大事ではないか、もっと言えば、どれが最優先事項なのか明確になる。
まるで中華蕎麦屋が初夏一番の太陽を見せたときに、そそくさと冷やし中華のメニューを出すようなこの題名、PSYBABA.NETも遅ればせながら写真共有コミュニティに参加。
そう、「Flickr はじめました」である。
じつはこれiphone専用で使っている。iPhoneのカメラは、1200×1600の192万画素。 メール添付して送付すると、600×800になる。それでも当モブログのサーバのシステムでは弾かれるのである。つまり、サイズが許容を超えている。
モブログはドコモの端末からアップロードしていて、352×288のCIFでやっている。となれば、あとはiPhoneの写真をリサイズする以外に方法はないのである。
※ちなみにMMSのメアドをiPhoneで運用できるように機能が搭載されてから、モブログへのアップロードは可能ではある。
iPhoneの写真のリサイズについては、「Resizer」というアプリがあったので落としてみた。これは、リサイズというよりは写真の切り取りをするものなので、どうしても写真の構図が狭くなって芳しくない。ためしにモブログにアップしてみたけど、やはりしっくりこないのだ。
いよいよもって諦めかけていたところ(異常なやりかたでiphoneからドコモに送信して、そこから挙げるというのがあるけど、少し痛い人である)、いっそのことフリッカーでも使ってしまえば良いじゃんと結論に達した。実は、iPhone専用のphotoshareという、ものすごく最強の写真系コミュニティがある。ただ、唯一の難点は、まだブログパーツが充実していないのだ。一応データを吐き出しているので、どうにかすればパーツになるらしい。でも探してみても見つからないのだ。そこで世界で圧倒的なシェアを占めているフリッカーにして、右カラムにフラッシュで生成されるブログパーツを作ってみた。コメントはあえて英語にしてある。そのうち気の利いたことでもキャプションにしてみたい。
そんなわけで、iPhoneで撮影した写真は、ちょろちょろとフリッカーにアップしているので、右カラムのところでもよかったら見てやってください。写真のフラッシュはランダムに生成されてますんで、撮った写真をまとめて閲覧するときは、飛び先サイトの「ko_flicker's photostream 」を押してやってくださいまし。
そうそう、ちなみにiPhoneからフリッカーへのアップは「Flickit」というフリーアプリを使っているよ。なかなか(というか、かなり)優れもの。
ついったーを始めて程なく1週間ばかりが経過する。
140文字の呟きをネットに放流するのは、最初いかがなものだろうかと思ったけれども、少なくとも所謂ションベンblogを閲覧するよりはずっと健康的で、生きた言葉を知ることが出来るし、また投げることが出来る。
日本で一番シェアを持つ某SNS(ところで某国営放送と書いても匿名性の<某>にはならないらしい。なぜなら1つしかないから)が持っていないスピード感というかドライブ感は一度始めると病み付きになって、とてもじゃないがそっちでの更新をする方向にならない。特にiPhoneのアプリのユーザビリティに差がありすぎるのが一因だったりもする。
さて、どこから情報を発信するのかを考えてみると、例えば自分のドメインサイトからの発信は表玄関のようにかしこまっているとすれば、某SNSはクローズドのコミュニティなだけに閲覧権限も限られているから、表玄関から一歩奥に進んだ宅の玄関のようで、さらについったーはパジャマで連絡をとるような、まるで自分の部屋で部屋着で人を招いているような様相すら漂う。それがまたいい感じで。
右カラムについったー置いたので、、もしよかったらフォロー宜しくお願いします。
さっそくtwにもポストしたように、スペシャ主催の野外で、fishmansのボーカルがUAに決まったみたい。
関係性からハナレグミかUAかなとは思っていたけど。UAか・・。声いいもんな。
UAがカバーする頼りない天使は秀逸だもんね。でもやっぱり佐藤君じゃないとなぁ。故人は偉大だ。
そういえば、フィッシュマンズが大学の先輩だってのを記憶を紐解き、思い出したのがこないだ。大学時代に7留だか8留している先輩がいて、たぶん、世代的に言ったら、佐藤君のちょっと下ぐらいか、フィッシュマンズを絶賛していた。
当時学校にゴアパン履いて四つ打ちをしながら通っていたので、ゴアトランス以外にまるで関心なかったわけだけど、いま改めると、当時聞いておけば、まだ亡くなる前の佐藤君ボーカルが見られたんだなぁと残念で仕方がない。
記事の性質が関東圏─しかもとりわけ都内近隣─に絞られているので、きっと首都圏でしか売られていないだろう雑誌に「散歩の達人」がある。
なかなか見応えのある、つまりは雑誌文化の縮小が騒がれる昨今に頑張っている一冊であって、立ち読みじゃ済まされない訴求力があるコンテンツが目白押しだ。その名の通り、ぶらりとあてもなく散歩をするのに寄ってみたいお店や路地が特集されている。
職人技がきらりと光る焼き鳥屋さん、ホッピーの旨いあの店、富士が一望できる銭湯など心が和む。
先月号になるので、新宿のジュンク堂に在庫があれば取り置きできろうだろうけれど、もう入手できなかったら申し訳ない。特集が「東京とっておき散歩地図」だった。東京の選りすぐりの十二の街が特集されていて、そのうちの一つがいま住む街だった。
記事にあるように昭和の風景がなお色濃く残る商店街は貴重で、どうしてもこれからのご時世として、時代に渦波に飲まれるだろう無形文化財に近い存在だ。
恐らくは十数年先には違う形でしか商店街は残っていないと、推察するのは僕に限らず容易い。それだからこそ、その憧憬の牧歌的な商店街に現在進行形で身を置くのは、世界遺産には程遠いほど、時間の経過と共に風化するという意味合いでは実に等しく、喜ばしいものである。
本当に自分が纏いたい洋服やらアイテムが年齢を重ねると共に等身大で解ってくると、購買欲自体は抑止傾向になってきて、年数回程度しか買わなくなってくる。そんな簡単なことに気がつくのに随分とかかった。
流行り廃りは追わないまでも欲しいものはあるので、まあ、まだ煩悩は持ち続けているにせよ、である。
古きよきバックパッカーな時代、まずは目指すのは東南アジアの歓楽地バンコクであったから、みんな足元はビーチサンダルではなく、機能的なアウトドアのサンダルを装備していた。Tevaというアメリカのブランドのサンダルは1万少しするので、少々値が張るが、パーティで朝の8時まで踊りくるってもビクともしない頑丈さと快適なフィット感を持ち備えている。パーティ歴で言えば、もうそろそろベテランの領域になり、十数年経過すれば、さすがに頑丈なサンダルも世代交代する。去年の伊豆の廃墟で開催されたパーティで、現役のTevaサンダルが弱ってきたから、そろそろ買い替え時かなと思い、4月以降にアウトドアショップに足を運んだ。
5年ぐらいで履き潰したシロモノだ。
ところが、これが一向に待てど暮らせど店頭に並ばない。ゴールデンウィークが近づいても音沙汰がないから、いよいよおかしいと思い、店員に訪ねてみたら、なんと輸入代理店のゴールドウィンがTevaの正規輸入を撤退したらしい。2009年度の新作はあるけれども並行輸入でしか手に入れられなくなった。
店員は「まあ、すぐに次の代理店が決まるんじゃないですかね」なんて気軽に言っていたけれど、そこは危ない橋は渡らない精神のもと、新島にキャンプインするのだから、さっさとアマゾンにアクセスして2008年verを買い抑えた。もしTeva好きで今後も履き続けたい人は楽天にはまだ少し残っているから買ったほうが無難かも。
サンダル以外で購入したものといえば、先週ぐらいにKavuのストラップバケットハットを購入した。ご存知、シアトルのアウトドアメーカーである。
長髪だった去年までは、ある意味寝癖なんてないし、1年中結わって生活していたから整髪剤とは無縁で、つまりは帽子とも縁がなかった。なにせ長髪に帽子というのは痛い。春先に登場したら、ちょっとヘンタイっぽい趣きすらある。
そんなわけでここ2年は会社に通勤するときは整髪剤で髪の毛をビシッと決めるのだけれども、週末もそんなことやっていると、やや面倒くさいのである。きっと根がズボラなんだろう。もっと簡単に散歩したいものだ。そんな時に重宝するのが帽子のたぐいで、幾つか揃えてみた結果、これぞしっくりってのがKavuのストラップバケットハットである。Kavu独特のラインが一際目だって、アウトドアだけに及ばず、ストリートでも被れるし、パーティでも被れる。顎紐がついているから吹っ飛ばされることもない
。これからの暑い季節にもってこいのアイテムだ。週末は寝癖ボサボサの頭に帽子を被って完了である。
ところで帽子って言葉、じつは業界でしょっちゅう使う言葉で、特に自分の役割がたくさんある立場に居ると「あえて○○の帽子を被った形で発言すると・・・」なんて、立場を切り替えて議論に加わることがある。ちょっとここでは書けない日本じゃ誰でも知っているだろう某諸氏と議論のテーブルにつくことがあるんだけれど、そんな時に「○○の帽子で説明させてください」みたいに会議に出たりする。
要するに今現在の発言している自分とは、別の立場から説明や議事させてくださいってやつだ。
何せ、そもそもの会議通知は別のロール(役割)というか違うミッションを背負ったプレイヤーとしてアサインされているので、そういった趣旨の切り替えが必要ということになる。一例で言えば、ボランタリな立場とプロフィットな立場という、逆の側面それぞれで伝えたい議案があったりするのである。
同じような言葉で「いまからこの場で発言するのは○○の看板しょって発言します」みたいな宣言も使ったりする。
こういうのって、1人が幾つも役割を帯びているこの業界だけなのかしら。
半径ワンクリックの某SNSの皆様がpostされているように、我々も今年は例年通りの予定で島を巡った。
しかも、猫の額のような9800円のテントで野郎二人が寝ているテント生活は、毎年ホモ疑惑が生じていたので今回はスノピのテントを引っさげた(※)。
もう誰にもホモだなんて言わせやしないぜ。快適さだって抜群である。
※本当の理由は、去年テントの中で酔っ払いすぎて焦げ付いたフライパンをじかに置いてしまい、赤ちゃんの頭ぐらいの穴を空けてしまったのが買い替えの理由。テントが焦げると極悪な化学工場みたいな匂いが漂い、軽めの浮遊感を味わうハメになることを身を持って確認。
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それでも今年の島巡りは急遽の中止を最後まで悩んでいた。
実はまだ心の整理ができていないんだけど、4月26日に叔母がガンで亡くなった。こうやってあらためて叔母と書くと、なんだか二親等とか三親等とか社会の授業みたいになっちまってイヤなもんで、実際は叔母とかそういう立ち位置的な関係性を意識したことがなく、純粋に家族そのものだった。
物心ついたときからそばにいるのだから、当然の気持ちだ。
葬式は4月30日に執り行われて、僕は5月1日のチケットを持っていた。
親戚が集まり、思い出話で笑い、そしてやっぱり涙がこぼれて泣いて、みんな目を真っ赤にした。
喪主の叔父が「いままで本当に一緒にいてくれてありがとう」と最後声を震わせて泣いた時、僕も親戚みんなも人目をはばからずに泣いた。
叔父が泣いたのを見たのははじめてだ。
そして26日から30日の間、皮肉なことに悲しみを紛らわせてくれたのは仕事の忙しさだった。だとしたら、その悲しみを全部埋めてしまおう、よし、145BPMで島を駆け巡ろうと思った。
とことん疾走してみよう。どこまでも突っ走ろうと。
きっと僕なりのやり方で追悼し、偲ぶことが大事なんだ。
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*
さて、今年の島は毎日30度を越える真夏日で快晴だった。
到着した途端に身体中の細胞がざわめく感覚。久しぶりだ。旅モードである。
お馴染みのキャンプ場にテントを張り、ハンモックをぶら下げて、珈琲を淹れる。
新しい出会いと懐かしい再会。
日本語だったり英語だったりポルトガル語だったり。国際色豊かな顔ぶれが勢ぞろい。
鳥のさえずりが目覚まし時計。夜は宝石を散りばめたみたいな満天の星空のしたで火を炊いて、酒を注ぎ、寝ころび笑い、語り合う。
ヨウちゃんのアンプからこんな唄が流れてきて、それがグッと来てナイスで、島に感謝して。
やっぱり最高の場所だよ、ここは。
「いかれたbaby」 byフィッシュマンズ
悲しい時に 浮かぶのは いつでも君の 顔だったよ
悲しい時に笑うのは いつでも君の ことだったよ
人はいつでも 見えない力が 必要だったり してるから
悲しい夜を 見かけたら 君のことを 思い出すのさ
窓の 外には 光る 星空
君は見えない魔法を投げた
僕の見えない所で投げた
そんな 気がしたよ
来年もまた会えるよね。
With Big Hug & Love.ko
電子メールがまだそれほど普及していない90年代の旅事情の難点といえば、旅先のアドレスブックをうっかり失くしてしまうと、何ヶ月も一緒に旅の空を過ごし、これ以上にない思い出を分かち合い、そして別れの日はとても切ないんだけど、きっとまた逢えるだろうと信じて、お互いそれぞれの国へ帰っていった親友ともう一度逢いたくても、奇跡が起こらない限りは、逢うことすらままならない点に尽きる。
僕は旅先でアドレスブックを失くしたというか、複雑な事情で燃やしてしまったというか(どうしてパイプじゃなくて紙で巻いたんだろう、俺)、とにかく数枚のバティックと一緒にそれは灰色の燃えカスになってしまった。
インターネットがこの現代に貢献した最大の功績は、人と人とを繋げるツールとしてこれまで以上に可能性を秘めていることにある。たとえば myspaceのアカウントを持っていれば、隣駅に住んでいるかと見間違うほど近況を知りえることができるし、skypeがあれば電話だって出来る。
でも残念ながらに僕らはそうじゃなかった。
もし、僕らが2008年にヴァラナシで初めて会っていたら、そんな失敗は起こさなかっただろう。きっと僕らは、それぞれ日本とヨーロッパに帰国しても、互いに連絡を取ることができたはずだ。そしてすぐにでも再会できただろう。
けれど僕らは1998年にインドで出会い、陸路でネパールへ向かい、また陸路でインドに戻り、一時的に別れ、タイで再会を果たし、パンガンで踊ったのが最後だったのだ。
僕らが起こした失敗といえば、それはもう、二人ともアドレスブックを似たような事情で失ったほかにはなかった。
*
*
あれから11年経ち、僕は、ややまともに社会生活を送ることができた。そしてしょっちゅう思ったものである、そう、「あの時の旅の仲間はどうしているのかな」と。
再会できる仲間とは再会できたし、いい関係にあるので、全てが過ぎ去ってしまったわけでもなかった。それでも真っ青な突き抜けるような空が広がって、心地よい風が吹き抜けたりして、それが旅の空にそっくりだったりすると、ふとした瞬間に考えたりもした。
僕の仲間はどうしているんだろう。元気にやっているのだろうか。もし、もう一度会えるとしたら、その時僕らはどんなことを思い、何を話すのだろうと。どんな11年を歩いてきたんだろうと。
僕らは奇跡を待つしかなかった。なにせ日本とヨーロッパは遠すぎる。11年、奇跡を待つにはやや長すぎる時間だ。でもやっぱりそれは起きた。
*
*
とても気持ちのよい土曜日、僕は代々木公園で開催しているアースデイに向かった。幾人かの友人と談笑し、近況を語った。いつもの代々木公園の風景だ。
芝生側とコンサート会場を結ぶ歩道橋で一人の外国人に会った。彼女はヒラと自分のことを指した。とても奇妙な話だ。彼女の本当の名前はヒラじゃないのだ。でも、まあいい。とにかく僕らは時々出会う知り合い同士がそうするように近況を話した。ねえ、最近どうしているのと。
そうこうしているうちに、ヒラがもう一人の友人を呼び、僕を紹介した。僕らは握手し、彼女も微笑んだ。彼女の名前はビリーで、僕の友人─そう、彼の名はステファンというのだ─の顔見知りだったのだ。
「え、貴方の名前はコウっていうの?」
彼女は驚きを隠せなかった。
「ステファンを知っているでしょ」
え?いまなんて言ったんだい。僕は自分の耳を疑った。彼女の声が大きくなる。
「ステファンよ。ステファン!あなた、もしかしてステファンのお友達でしょ」
Oh,gosh i...i know you,you are really his friend,huh?
僕が自分の電話番号をすぐに渡したのは言うまでもない。
10分後、公衆電話から電話が鳴った。
「いま、オシュマンズにいる。」
彼は昂奮していた。もちろん僕もだ。
僕は駆け足でオシュマンズに向かった。僕の鼓動は高まった。
そこに彼はいた。11年前と変わらない姿で。僕がダッシュで駆け寄り叫ぶ。
ステファン! 満面の笑みでステファンが同じくらいの声で返す。とても懐かしい声だ。僕は思わず泣きそうになる。コウ!!僕らは思い切りハグをした。
it's amazing! 本当に奇跡は起きたのだ。
3日間、彼が東京に滞在できる残りの時間だ。僕らにはいっぱい話すことがある。
*
*
日曜日も待ち合わせをし、アースデイに向かった。月曜日、僕は会社に行かなくてはならない。18時30分に仕事を終えて、新橋で待ち合わせをした。
サラリーマンの楽園を巡るのも一興だろう。
彼には生まれたばかりの子供がいた。iPhoneでmyspaceにアクセスしてみると、とっても可愛くて、目なんか彼にそっくりだ。
いまのお互いの仕事や暮らしぶり、これからの将来、たくさんのことを話すと、僕らにはいろんな可能性がまだまだたっぷりあることを感じられた。
*
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僕は、僕の周りで頑張っているみんなのような完全な旅人になることはできなかった。彼らは社会のシステムに依存せずに経済サイクルを築き上げサバイブしていた。彼らは旅を続け、そのなかで世界を構築していった。旅を続けていない仲間も、言ってみれば、一本独鈷で活躍している連中ばかりだ。
一方、僕は結局のところ、臆病者にすぎなかったのだ。彼らのような勇気を持てずに、社会のシステムに依存する構成員として歩む道を選んだ。そして、幾人の友人達のように旅先や、また旅から帰国して自らの命を絶つようなこともなかった。
それは本当にお前のやりたいことなのか。誰かが僕に言う。いや、そうじゃないんだ。ただ僕には勇気が足りないだけなんだ。
僕はどうしてか何かを裏切った気分になる。
彼と再会した時、僕が旅の世界にどっぷり浸かっていた時代の何かを思い出した。その何かを僕は数年掛けて磨り減らして、自ら意図的に離れていったのかもしれない。
そんなことを考えたのは久しぶりだった。そう、僕は、自らが知恵と勇気を絞って築きあげたシステムで働くことを選ばずに、誰かが作った既存のシステムに乗っかって生きる道を選んだのだ。
たしかに責任のある大きなプロジェクトを動かしたりもしている。数億円以上の金額が動いているのだから、大きいのは間違いない。世間性も高い。
でも、僕が乗っているその船は僕がゼロから作ったんじゃないんだ。最初からそこにあったんだよ。僕は単なる船員なんだ。
臆病者の僕は旅人にもなれず、かといって、社会システムに完全にも染まらず、宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎている。
先週の再会は、ターニングポイントだ。
運命は悪戯なんかじゃなくて、未来は同時に進行している。
何色にだって染めてもいい。
仕事の同僚には伝えて理解も戴けたので、一安心した。
来週から週一で学校に通うことに決定。
先月のエントリでも書いたように、去年の4月1日に、1年間はじっくりと仕事に専念して仕事を中心に生活をすることを心掛け、とにかく<慣れる>ことに没頭すると自分に誓った。結果的に幾つかのプロジェクトは成功を収め、非常に充実した。
そして仕事の流れは少しは見渡せるようになった。流れを掴むというのは大事なのだ。
そんな1年を過ごしたのだから、今年はまあ、自分に投資するのも悪くない。
何処まで自分のモノにできるのか、何処まで満足の行く在り方になれるのか。いずれにせよ、何事も機会を失ってはいけない。こんだけ成熟した社会だからこそね。自分を常に試してみようと思う。
大幅に仕事環境がガラリと変わってから、約1年が経過した。
1年間はじっくりと仕事に専念して仕事を中心に生活をすることを心掛け、とにかく<慣れる>ことに没頭した。業務時間後に帰宅しても、なかなか仕事のテンションが抜けられずに困ったぐらいだから、プライオリティの順位付けとしては、まあ成功したのだろう。
そんな1年を通した感想は、充実していたともいえるし、いささか味気ない─どちらかといえばバランス感覚が乏しいということか─と表現しても良いくらい、仕事人間だった。今年も相変わらず繁忙の予感だけはあるのだけれど、少し心情的に余裕が生まれたので、仕事以外にも手をつけていこうと思う。
なにせ1年間は手出ししていなかったのだから、こんなことをしたい!ってのだけは山のようにある。
それと最近は時間についてもよく考える。
僕には果たしてあとどれくらいの時間が残されているんだろうと。別に不治の病に罹ったとかではないし、ハットを被った子供姿の死神君が現れて、残りの寿命を告げたとか(解る人は解るよね。そう、えんどコイチの漫画です)ではないんだけれど、自分の時間なんて永遠だなんて考えてた若い10代20代と比較して、30代の今は自分の先を考えるようになった。
ある人はそういうのを人生設計というし、ある人はプランとも言う。呼び方に多少の差こそあれど、とにかく自分の残された時間ってどれくらいなのか、それを意識するようになった。そうすると、次第にやりたいことが間に合うのかななんても考えるようになる。まあ、1歩づつ1歩づつ、亀がゴールを目指すように。4月から会社が終わった後に週1で学校に通うかもしれない。
過日、某ファッションイベントで、ワールドプレビューし、世界を圧巻した「セカイカメラ」の熱気にようやく馴染んできたのでレビュー。
頓智・(とんちどっと)が開発したiPhoneのカメラを使った拡張現実だ。:
記事:
「世界をクリッカブルにするオープンプラットフォーム──「セカイカメラ」」
iPhoneのカメラは、その性質上、写真を撮影する機能が重視されていて、いわゆる<モニター>的な映像出力としての位置づけはそれほどではない。
「セカイカメラ」はエアタグと呼ばれる仮想世界における付箋のようなものを、現実世界の位置情報にマッチングさせて、iPhoneのカメラプレビューを通じて表示するというものだ。
仮想と現実が完全にクロスする。
つまりどういうことかというと、貴方が渋谷で誰かと待ち合わせをする、とする。渋谷のハチ公あたりでもいい。貴方はハチ公の位置情報にエアタグをくっつける。
「ここにいるよん」とかね。
そうすると待ち合わせの相手先がJR渋谷駅からひょいと降りて、ハチ公に向かい、iPhoneの「セカイカメラ」をかざせば、眼前のハチ公前の風景がカメラを通じてプレビューされると同時にエアタグをも映し出すというものだ。革命である。
ただ、そうすると世界はエアタグだらけで埋め尽くされていく。そこで頓智・(とんちどっと)は特定の条件にのみマッチングしたタグを表示するエアフィルタの実装も予定している。友達のエアタグ、ビジネス上のエアタグ、カフェ情報のエアタグ、昨日のエアタグなど時間軸をも条件に加えたフィルタリングを搭載である。
たとえば、こんなエアタグもできるかもしれない。
野外のパーティに行くと、タイムテーブルなんてのはどこにあるんだかよくわからないし、いろんな言い訳を隔てて、誰が回しているのかサッパリ意味不明なんてことがよくある。
そんなときに、「セカイカメラ」でブースをかざす。
オーガナイザによってブースにエアタグが附けられていれば、iPhoneのプレビューからブースの風景と共にタイムテーブルが表示されたりする。
また、こんなこともしょっちゅうあるんだけど、自分がテントをどこに建てたんだかサッパリわかりませんなんてのもある。そんなときに自分のテントの位置情報に自分の属性情報を含めたエアタグをくっつけておけば「セカイカメラ」でテントにたどり着けたりする。
人間自身が感知する視界以外にも情報が埋め込まれる。
世界は幾十にも階層化され深化していく。
そんな未来はすぐそこまでやってきている。
サーモス(THERMOS)といえば、魔法瓶で有名だったり引き出物でよく見かけるブランドで、燻製器とは程遠い。
そのサーモス(THERMOS)が簡単手間要らずの煙に困らない家庭用燻製器をリリースしているということで購入してみた。セラミックの鍋底にチップを敷いて、更に網をセットし、材料を並べて10分程度ガスコンロに掛けるだけ。そして10分経ったら、セラミックの鍋を保温器にセッティングして20分待つ。それで完了。なんだか料理というよりは実験に近いくらい手を掛けていないので、心配に駆り立てられつつも試してみた。

ガスコンロでソーセージを並べる。セラミックの鍋にはさくらのチップが5グラム。これを強火で炊いて煙が出てきたら10分弱火で燻す。燻した後は保温器で20分放置。

そしたらこんな艶々した燻製ウインナーの出来上がり。なんとも簡単。手軽に家庭で燻製を作るならイージースモーカーはうってつけ。香ばしい燻製独特の味わいが愉しめるのだ。
日曜の夜にこんな燻製をつまみながらビールを呑みつつ。
オバマ大統領の演説は、遠く海を隔てた日本の企業で受け入れられて、会社のスピーチなぞにも引用されるようになった。
演説力をもともと強烈に欲される国の代表であるので、つまりは「伝えたいことを伝えるべき内容で最も効果的に伝える」ことに長けているのは確かに学ぶ点が多い。なるほど、大統領の演説に集まったのは熱狂的なオバマファンの市民であったし、彼らは大統領の言葉に酔った。
しかし、そこには日本の経済の救いは見出せない。オバマ大統領はアメリカ経済を立ち直すことに全力を注ぐだろうけれど、日本の経済を救うのは海外の国の代表ではなくて、あくまでも日本人で日本の政治であるのだ。
まあ政治は実体経済からかけ離れているので訴求力があるとは思えないが、アメリカの大統領がどうにかしてくれるのはアメリカ経済のみというのは、悲観主義ではなく現実的である。
アメリカ大統領が日本経済そのものの立ち直りのトリガになるという主張は短絡的で、他力本願であるのは否めない。
ところでニューヨークの世評ではオバマフィーバーを牽制する意見が伸びてきている。これはオバマ政権自体を低評価するものではなく、過大評価を危惧しているものだ。要するにアメリカ経済が直面してる問題は未曾有であって、これこそがオバマ政権の大きな仕事になる。成果は未知数なのだけに、オバマフィーバは政権の本質的な実力を見過ごす懸念がある。
熱病の後の体力維持に気をつけないといけない。
先日、久しぶりに映画の試写会場に行った。
汐留のヤクルトホールで宮藤官九郎が監督した「少年メリケンサック」をやっていたのだ。友人より招待を戴いたので、甘えさせてもらった。
最近はこういうお呼ばれの恩恵を授かると、なんだか大人になったもんだなぁとしみじみ感じるのである。
この「少年メリケンサック」、宮崎あおいが主演を演じる以外の情報は何にも持ちえていなかったものだから、まさかパンクが主題だなんて知る由もなかった。田口トモロヲがボーカルを演じているのだ。
いまじゃ俳優業に板がついているけど、元「ばちかぶり」のボーカルである。それだけでも観る価値があるじゃないか。
ひょんなことから、中年のパンクバンドのマネージャをすることになった悲哀の女子、バンド連中の物語。
まだ上映が先なので、詳細は割愛するとして、なんと言ってもこの映画を観て欲しいのは、元パンクな連中だ。僕らはすっかりナマクラなナイフになっちゃったけれど、やっぱりパンクが大好きなのだ。マーチン履いて唾吐いて、すべての根源は初期衝動にある。
これぞパンク魂。
佐藤浩市演じる<高円寺のシドビシャス>は、全然落ち着いていない、どうしようもない糞なオヤジで、本当に最高だった。ヤキなんて回っちゃいない。
パンクって気持ちよくて最低で、そしてカッコいいな。
「なんでガキみたいな客に笑われるのに演奏しに行くんだよ。もういいじゃないか」と泣き言をいうバンドメンバーに「やりたいに決まっているからだろ。やらないと・・・やらないと俺ら駄目になっちゃうんだよ。やりてえんだよ」みたいな科白を叫ぶ佐藤浩市はクールそのもので、全体にコメディ感が漂う映画だけれど、このシーンで泣きそうになった。少なくとも学生時代にバンドをやっていれば心に迫る言葉だ。
初期衝動に忠実になれ。
5月19日の日本武道館3枚取れたぜ~。
横浜アリーナはつば被りシート狙っただけに、あっさりと敗退。武道館はビビって快適シートを予約したのが、勝因かね。
まさかの復活バンド、もう一度見られる事が奇跡的。
アルバム「ケダモノの嵐」に収録された夏の甘酸っぱい気持ちを歌い上げた名曲「自転車泥棒」は僕の1990年夏のアンセムで、当時はこれにとどまらず、どっぷりとユニコーンにはまってた。某大学の文化祭でユニコーンがライブをやるということで、友達と出向いたものである。まさか数年後にその大学に入学するとは思いも寄らなかった。それから1度だけ大きなライブを見たきりでユニコーンから遠ざかっていたけれど、いつだって僕のなかではペケペケが流れていて人生は上々で、やっぱりパパは金持ちで、僕らはsugarboyだし君達は天使なのだ。
髪を切りすぎた君は僕に八つ当たり
今は思い出の中でしかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた振りをして逃げた
とても暑すぎた夏の君は自転車泥棒
エビと阿部Bと民生をもう一度観れるだけで泣くな、きっと。
東京は武道館でやるみたいよ。まさか復活するとは・・。
最高のお年玉である。
こりゃ行くしかないでしょ。絶対に。
娘:
「い、いやっ。なんでこんなことするの?寄らないで。触られたくないっ」
越後屋:
「ぐへへ。まったくバカな娘だ。恨むんなら手前の親父を恨むんだな。絹屋の娘よ」
お代官様:
「まったくもってお前の下衆さには誰もかなわんな。越後屋、お主も悪よのお」
越後屋:
「いえいえ、お代官様ほどでは。どれどれ、こりゃ絹のように真っ白な肌じゃわい。娘よ、ちこう寄れ」
娘:
「いやーっ。おっ父っ~。助けてぇぇ」
越後屋:
「うーん、やっぱなんだか迫力に欠けるなぁ。せっかく時代劇コスプレということで衣擦れの音を再現しようとしたのに、なんかパッとしないんだよな」
お代官様:
「そうなんだよなぁ。ちこう寄れなんて科白は一番の萌え萌えなのに、なんだか白けるんだよね」
娘:
「あのさ、もしかしてなんだけど、このシナリオって言ってみたら勧善懲悪じゃん。善人がいるからこそ悪人も目立つみたいな。もしかして正義の味方が登場しないとスッキリしないんじゃない?」
越後屋:
「正義の味方ってものなぁ。誰か心当たりある?俺なんかこないだ幼馴染に、ちょっと時代劇のコスプレしないって言ってみたら絶縁しかけたぜ」
お代官様:
「たしかに。なぜか学園モノだったら保健室のシーンやりたいって言うくせに時代劇は誰も来ないんだよな。やれば面白いのに」
三人:
「う~ん・・・」
娘:
「じゃあさ、私の彼氏呼んでみる?こないだ家で練習したときに案外ノリノリだったし、すぐに呼べば来てくれるよ」
二人:
「マ、マジで。呼んでみてよ」
* * *
娘:
「い、いやっ。なんでこんなことするの?寄らないで。触られたくないっ」
越後屋:
「ぐへへ。まったくバカな娘だ。恨むんなら手前の親父を恨むんだな。絹屋の娘よ。お前はたった三両で売られちまったのさ」
お代官様:
「まったくもってお前の下衆さには誰もかなわんな。越後屋、お主も悪よのお」
越後屋:
「いえいえ、お代官様ほどでは。どれどれ、こりゃ絹のように真っ白な肌じゃわい。儂も十ほど若返っちまうわい。ほれほれ、娘よ、ちこう寄れ」
娘:
「いやーっ。おっ父っ~。助けてぇぇ」
将軍:
「待て待て待てぇい。貴様達の悪事も今宵限りだ。」
越後屋:
「むっ、何奴。何処から忍び込みやがった。怪しい奴め。天狗のお面なんぞ被りやがって」
お代官様:
「ここを誰の屋敷と心得ておる。天下の大将軍のお膝元と知っての狼藉か。者ども何をしておるっ。出合え出会え!」
将軍:
「娘よ。もう安心だ。おっ父も無事だ。」
娘:
「あ、貴方様は」
越後屋:
「お、お前はあの時の浪人!?」
将軍:
「そうだ覚えているか。汚い連中め。私が居る限り、この世に悪は栄えない。人呼んで暴れん坊将軍。今日もどこかで泣いている、イテっイテテ。ごめんちょっと待った。正座しすぎて足が痺れた。立てなくなっちたよ」
娘:
「もうっ。一番大事なクライマックスに・・。これからが盛り上がるのに。ほんとここぞという時に駄目なんだからぁ。なんで昼も夜も勃てないのよ」
ゴォオーーン。
良いお年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
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表参道「DJ稼業」
通しで1年、レギュラーでDJをした表参道のバー。4月から完全にダイニングバーとして営業をするということで、DJブースも撤退。それでも、かけがえのない経験を得た。音楽なんていうのは回すより回されるモノと捉えていたので(高校時代のしょっぱいアマチュアバンド時代を除いて)、知識も何もない僕にDJのチャンスを与えてくれた知人に感謝である。僕は彼らより一回り以上も年下の若造。色々と学ぶことが多い。また超本職DJのM君、今の会社で遡ること7年ほど前、なんにも分からなかった新人の僕にオブザーブをしてくれた最初の先輩である。これまた奇遇に隣の駅に住んでいらっしゃる。そのM君からDJ中にたくさんの事を学んだ。一緒にDJ稼業にお付き合いしていただきありがとう。これもまた縁を通じてのことである。
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身上変化「断髪式」
腰の位置まであった長髪をバッサリと切った。モブログにあるように今はせいぜい耳にかかるぐらいの髪型である。僕はおんなじ床屋しか行かないので、履歴を見てみたら7年ぶりだそうだ。予約も取らないまま平日の午前中にやってきた僕は、正直異様だった、1ヵ月半に1回のペースで訪れることとなった理容師さんは後に述懐していた。髪を切って何が楽かというと肩が凝らないね。それとシャンプーがすげー楽。ただ、寝癖がなぁ。結んでハイ完了ってわけにはいかないのが辛い。
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仕事「転職」
仕事内容はそのままで、もっとプロジェクトに関わる感じで転職。給与体系も年俸制。ナスは年2回。端的に言うと引き抜かれたのかな(で、いいのか?)最初のうちは戸惑ったけれど、社内社外の、「え、アノ有名人?」と一緒に仕事が出来たり、省庁の「うわ、こんなに偉い人?」と物事を進めたりするのは楽しい。自身のスキルにもなるしね。しかしまあ、俺がサラリーマンになるとは・・。いったい何処の誰が想像できたであろうか。ちなみにネクタイは初日しか着けていません。だってビジネスカジュアルでいいみたいだから。
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新島「キャンプイン」
もう毎年の恒例になっている新島のキャンプイン。5月1日~5日まで訪れて、平均睡眠時間は3時間。毎日が漫画みたいな世界である。船で一泊するんだけれど、去年島で出会ったJちゃんに会う。もう偶然というか縁というか。そんなんで初日からボトル数本空けて大宴会。Jちゃんなんて酔っ払って深夜の海に飛び込もうとするし、朝になったらみんなヘベレケだし、おまけに台風が直撃で荷物がどうにかなっちゃうし。それでもみんな大爆笑。島では毎年のお馴染みメンバーが大集合。焚き火をしてみんなでツマミを食べて踊って呑んで、フラフラになりながら浜辺までダッシュして、朝7時にたたき起こされて朝市に出かけて。夕方にはサンセットを眺めて、また夜に集まって。最終日、船上で僕の相棒はだんだん離れる島を見て泣いた。そして大きな声で「ありがとう~っ」と。僕にはその涙の意味がとっても分かる。島で出会ったみんなも分かるだろう。来年もまた訪れる予定だ。
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スノーピーク「アメニティドーム」
2005年ごろからコールマン一点張りのテントグッズムードから離れ、スノーピークに強く惹かれるようになってきた。日本のブランドだからこそ出来る匠の技。テントの中で苦にならない便利なアイデア。アメニティドームは、僅か9キロ程度で5人は収納が可能のテントである。機能的な前室はスペースを確実に確保でき、フライシート、ボトムの耐水圧はランドブリーズシリーズ同等の1,800mmである。パーティに持っていっても楽チンだし、設営にも時間が掛からない。2人で余裕で建てられる。スノーピークは決して値段を下げないし、それほど廉価で売っているところもない。職人気質のメーカーで、そんな企業の方向性も好きなのである。これから人生の間であと何回テントを買い換えるか買い足すのだろうか。スノーピークを選ぶだろう。来年の島には持ってきますよ。
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伊豆「ナチュラルスマイル」
去年に引き続き2回目のナチュラルスマイル。伊豆のスカイラインにある某廃墟で開催されたパーティである。このパーティ会場にゾッコンとなって今年も中秋の季節に踊り明かした。標高がかなり高く、パーティ会場からは熱海の夜景が一望できて、背中には大きく聳え立つ富士山。ゆるい野原のような芝生のパーティ会場で、満天の星空が包んでくれる。これ以上のロケーションは、10数年パーティに通っているけれど、東京近郊では皆無だと思う。やっぱりオールドトランサーとしては富士山への思い入れが強いので、霊峰を眺めながら踊る、あるいは霊峰をバックにして音と戯れるというのは極めて大事なことなのだ。そして夜景。絶景である。朝方に近所に住むG君カップルに出くわしたのは爆笑だったね。あんまり憶えていないみたいだけれど。
※この某廃墟は、NGOが管理していたんだけれど、来年から国が管理することなり、パーティ会場として使用することは事実上不可能になったらしい。また一つ伝説の会場になってしまう模様。
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北九州「秋出張」
9月の最終週に今年も北九州のセンタに出張。今回は同僚のdelta君も同行である。delta君は飛行機にめったに乗らないということで、搭乗中少し揺れるだけでおしっこをチビりそうになっていた。僕は彼の手をそっと握り、大丈夫だよ、ちゃんと着陸するからねと介添えしていたというのは嘘で、相変わらずガースカ寝ていた。
今回のセンタへの業務は決して明るくない話題もあったんだけれど、みんなが迎えてくれたので涙が出そうになった。黒崎で飲み明かし、2軒目には思い切り記憶を欠落させ、翌日には大海原が眺められる温泉へ。また来年も行く機会がある筈だから、また遊びましょう。
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ギア「iPhone」
日本でも遂に発売となったiPhoneを3台目の携帯として入手。私用ケータイに業務用ケータイに加えてiPhoneである。まるで一昔のテレクラ業者みたいな怪しさ。3ついるのかと訊かれても困るのだが、仕事柄必要なのである。さて、iPhoneはモバイルインターネット元年と謳われているだけあって、まさにネットのための端末である。フルブラウザなので、3Gで気の向くままにググれるし、何処に至ってネットし放題。SMSはチャット形式でまるで飽きない。グーグルマップが搭載されていてGPSがついているから、初めての街を歩くのにも地図が不要。電車の中でyoutubeが見れてipodが使える。まだ無料のアプリしかDLしていないが、こんなのがあって楽しいですよ。「産経新聞アプリ」、マスメディアで旋風を起こしたこのアプリは、なんと驚くなかれ、今日の新聞が丸まるスキャンされていて閲覧可能なのだ。「あなたのiPhoneに、新聞を 配達 します」という衝撃的なキャッチフレーズは伊達じゃない。僕は通勤中、iPhoneで新聞を読んでいる。まるでドラえもんの世界だ。ビジネスシーンで活躍するアプリもファイナンス系アプリあるし、まさに何でもござれである。音ネタで言うと、iPhone向けのDJアプリ「iPJ-Lite」が秀逸。タッチパネルを使ってターンテーブルやDJ用音楽再生機同様のDJプレイを実現するソフトウェアで、これも無料。TAPもできてCUEもあり、エフェクタもついている。iPhone2台とミキサーがあればDJできちゃうのだ。
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トラベル「箱根」
今年は2回ほど旅行した箱根。観光ばかりの箱根を避けて10年以上行っていなかったけれど、久々に訪れてみると、やはり温泉は抜群である。芦ノ湖近くの宿に泊まれば釣ったばかりのワカサギを目の前で天ぷらにしてくれて、露天風呂で日々の疲れをほぐす。美術館めぐりも愉しいし、湯めぐりもオツである。冬は冬らしく真っ白な雪に包まれて、それはそれで自然を堪能できるけれど、箱根はやはり秋がいい。すすきが黄金の大海原のごとく巡らされているのは必見だ。そのうち箱根に別荘を持ちたいんだけれど、どうにかならないかな。金でも貯めようかしら。
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マキシマムザホルモン「爪爪爪」
「爪爪爪」と「F」と「kill all the 394」の3曲入っているミニアルバム。3曲目は某SNSを歌い上げているアレである。たまたま観ていたスペースシャワーの特集がマキシマムザホルモンで、「爪爪爪」のPVだった。もうこれで一発でノックアウト。もうね、自分の音楽史で一番ロックだった時代、90年代前半のエッセンスがぎっしりなのだ。パンテラのごとくのデス声、初期NOFXのようなメロディとアンニュイじゃない時代のレッチリのフリーを髣髴させるベース、どれをとっても血が騒ぐ。実はsublimeのブラッドが死んだ年にロスに行って自分のロックを閉じたんだけれど、90年代初頭はスカンジナビア系(いまでいうスウェーデン音源)のミクスチャーとかメロコアをかなり収集していた時代なのだ。なので、ついついそんな頃を思ってしまう音であるだ。とにかくこの「爪爪爪」は最強である。嗚呼、ロックは久々に聴くといいな。
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そんなこんなで、来年もWalk this wayで。
男の友情は不思議なもので、年月を積み重ねれば重ねるほど、かえって照れくささが募ったりするものである。
言葉を交わさなくても、お互いがどれだけ相手のことを信頼し、また想っているかが解るから、ついつい口を閉じたままで盃を酌み交わし、別れ際にボソッと聞こえるんだか聞こえないんだか小さい声でお茶を濁したりする。ありがとう、ごめんね、そんな簡単な言葉こそ言えない。
指を折ってみると十数年ばかりの付き合いになる学生時代の親友も、そんな友情関係にある一人だ。
大切な旅の仲間である彼とは、初夏の季節になるとテントを担いで伊豆七島を巡る。釣りをして魚が釣れれば、文字通りそれを肴にして夜の帳を過ごすけれども、テクニックより運に任せている我々の釣果は、いつだって気まぐれである。
釣れない夜も枯れ木に灯りを灯してコッフルに島焼酎を手酌で注いで、これまでに訪れた国々の話をする。
そしてこういう夜は、不器用な男が作る簡単でラフな野外料理が旨いのである。バックパックには常時マヨネーズと携帯用のソルト&ペッパー、十徳ナイフとさばの缶詰が詰めてある。
これこそがテントの夜のつまみなのだ。さばの缶詰を切って水分を飛ばしてソルト&ペッパーをまぶし、マヨネーズを少々。
夜風に吹かれながら箸で突付く。そうやって夜が更けてゆく。
さて先日、その友人が実家から珍しく電話を架けてきた。一人暮らしをしてからだいぶ経つのだから何かがあったのだろう。
耳を澄まして彼の言葉を待つと「妹に子供が生まれたよ」と、なんだかしみじみした声で伝えてきた。おめでとう、と言いかけて言葉を飲んだ。なんかちゃんと面と向かって彼の肩を叩いて言ってやりたくなったのだ。すぐに電車を乗り継ぎ彼の自宅のチャイムを鳴らすと、親友が招いてくれた。僕の手には缶ビール。彼の手には何故かさばの缶詰。僕は思わず笑った。おめでとう、俺も嬉しいよ。がっしりと握手して気持ちを伝えると嬉しそうに彼が涙を拭った。「ありがとう。俺もおじさんになっちゃったよ」
そうだね、あれから幾分か我々も大人になったみたいだ。いつのまにか健康にだって気を使う。
AJINOMOTOピュアセレクト「サラリア」。コレステロールをさげるマヨネーズ。
来年の島のお供に。
もう何年もお世話になっている会社の先輩と、ある事情から私的な話題に及び、自分の誕生日を告げると「え、マジで?俺のお姉ちゃんと同じ日じゃん。俺が生まれてはじめて事故った日だよ」とのこと。驚いた。
*
*
九州の元仕事仲間が東京に遊びに来ていたので、同僚2人と僕とで新橋で出迎え小気味よく週初めから呑んだ暮れた。
ある事情から別の元同僚の私的な話題に及び、その同僚達の結婚話で盛り上がったので、勢いで写メールを彼にしてみると、見慣れない電話番号が画面に映る。
新職場で頑張っている元同僚からである。
東京の同僚たちは九州の元同僚と(ややこしいな)会話をするのは久しぶりなので、お祝いを告げ感極まり電話を切る。でも僕だけがなにやら違和感を憶え、その違和感は自宅に帰るまで払拭できない。
何か大事なものを見過ごしているんだけど、それが何なのか思い出せないのだ。落ち着いてもう一度携帯電話の着信履歴を眺めると、その何かはそこにあった。なんと九州から掛かってきた電話番号は、家族のそれと1番違い。そうかこれだったか。
こういう日は全ての存在を数字が凌駕する。
日帰り温泉といえば、東京都内だったら、もう数年前から深大寺の「ゆかりの湯」がダントツでブッチ切りの一位なんだけれども、どうも繁忙期が続くと「天然温泉むさし野湯らく」に足を運んだりする。JR吉祥寺駅三鷹駅、西武新宿線田無駅西武柳沢駅のそれぞれから送迎バスを出し、年中無休がモットーの日帰り温泉だ。運行時間こそばらけているけれど、会社帰りに立ち寄ってひとっ風呂浴びれたりするので嬉しい配慮で、あるいは日曜のちょっとした夕方の時間に、さてさて日帰り温泉などでもという時に便利なのである。施設は内風呂や露天風呂、そして別料金となる岩盤浴。地下1500メートルから引く温泉は東京独特の塩分の強い茶褐色のお湯で保温保湿効果が抜群。ph7.6の弱アルカリ性。適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、冷え性などなど。湯上りに確認すると、かなり肌がすべすべになっていて、これで明日の仕事も頑張れるなぁなんて気持ちに。ちょっと早めに上がって、バスが来るまでレストランでよく冷えた生ビールを呑むのがこれまた至福だったり。

「天然温泉むさし野湯らく」
武蔵野市八幡町1-6-10
年中無休(但し設備点検日は休み)
平日06:00~00:00(最終受付23:30)
土日06:00~01:00(最終受付00:30)
岩盤浴10:00~23:30(最終受付22:30)
大人 --\1560
小人 --\1050
朝風呂コース --\1050(06:00~08:00)
夜風呂コース --\1050(22:00~01:00)
岩盤浴 --\1050(60分)
─HP─
ブラジルへの移民100周年(だそうだ)を記念して、写真を機に両国の交流を深めようというこの企画。
森山大道がブラジルはサンパウロの姿を写し出し、ミゲル・リオ=ブランコが東京を写す。日常に潜むちょっとした暴力性が露呈する。森山大道の写真の圧倒さをまるで覆い被すかのようにミゲル・リオ=ブランコが東京をえぐり出す。早速週末に訪れてみたが、個人的にはミゲル・リオ=ブランコの写真がもっと見たかったぐらいである。そして写真展を出た時に思うのが、カメラは残酷だということ。弱者の視点から撮るとかそういう意味ではない。ファインダーから覗く絵に意味性を持ってはいけない。意味は嫌でもあとから追ってくる。絶対に。
■会期:2008年10月22日(水)~2009年1月12日(月・祝)
■休館日:月曜日(ただし、11月3日・24日、1月12日は開館、11月4日・25日、12月28日~1月1日は休館)
■開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
■場所:東京都現代美術館 企画展示室B2F
■観覧料:一般900円(720円)/ 学生700円(560円)/ 中高校・65歳以上600円(480円)
─詳細─
社会のシステムなんて糞食らえだ!と、四谷のシドビシャ夫はドブ板で小汚い野良犬のように野垂れ死ぬ運命を辿るはずだったのに、神様だか仏様だかジョニーロットン様だかの匙加減の手違いで、自分からスケープゴートする予定の社会システムにうっかりアサインしてしまい、往年振舞い続けていたのび太ライクな暇々生活の債務を清算すべく、毎日毎日を満員電車にゆらゆら揺られる人生を送っている。
会社は有り体に表現すれば戦場のような場所だけれど、ナレッジだのスキームだのタスクだの、果てはアクションプランなどという言葉を駆使して、パワポで資料を作成すれば幼稚園児にだって理解できちゃう上出来具合、プレゼンテーションをしようならばどんな難題だって有利に解決、発言をすればその会議に出席をしている誰よりも鋭く且つ理論的、湯水のように贅沢なまでに生み出されるアイデアはとことんオリジナルティ溢れる発想と、善良な読者の諸君ならきっと理解してくれると信じているが、はっきり言って自分の天才ぶりが恐ろしくなることもある。
同僚や後輩の熱い尊敬の眼差し、部長の安心しきった態度、派遣OL達の嬌声、どれもこれもがパーフェクトである。
しかし、そんな天才スーパーサラリーマンの私にも唯一のマイナススキルがあった。
本来ならそんなマイナス要素は伝えることすらもなく完全な姿をアピールするにとどまって幕を引くのがセオリーだが、ここはひとつ、あえて恥を忍んで私のマイナススキルを告白しようと思う。
私のマイナススキル、それは「カラオケ」である。
そう、どんな提案書だって30秒あれば作成しちゃう私なのに「カラオケ」が苦手なのだ。
いや、鬼門と言い表したって構わない。呑みの席だったら2次会だろうが3次会だろうが優しい私は地平線の果てまで付き合うのだけれど、「カラオケ行っちゃいますか?」という七三分けが酔いちくれモードで提案するアレが苦手なのだ。
千鳥足でカラオケ館に行き、曲をセットする。歌える歌は「サライ」ぐらいしかないので、毎度こんな歌を全力で熱唱してしまうと「金がねえのかな?」とか思われてしまう。
いや、だいたいカラオケで一人サライはいくらなんでも無しだろう。しかも全然締めの時間でもないし。
だから毎回、小気味よくタンバリンを振り続けるだけだ。最近はタンバリンを腰骨に当てつつ、腰をフリフリして叩くという技まで憶えてしまった。
まだまだ10代前半だったときには「飲みすぎたのは貴方の精子♪」と替え歌で「キャー、エッチィ」なんて、ションベン臭い声援を無償でいただけたが、30過ぎてそんな歌を歌った日には、たとえスーパーサラリーマンといえども、何処の僻地に飛ばされるか分かったもんではないものだし、かといってミスター・タンバリンの名称もさほど魅力がない。
歌う曲もこれから仕入れるので、修行の道である。
JunoReactorの「貴方は太陽~」というゴアトランス界のアンセムな「サムライ」があれば喜んで歌うつもりでいるパーティピープルの心掛けとは裏腹に、残念なことに大御所トランスの歌モノは今世紀中に配信される気配もなく、なにしろ今世紀は始まったばかり。そういうわけでいよいよもってカラオケソングなんてものを磨かざるをえない。
The ブルーハーツの歌には優しさが詰まっていると信じて疑わなかった10代(もちろん今も)、<青空>という歌の歌詞に涙しそうになったことがある。
「運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか行き先ならどこでもいい こんなはずじゃなかっただろ?歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で」という歌詞である。
人種問題に関する歌詞であることは言うまでもない。
先日、We can do!と声高々に叫んだ黒人は、アメリカ有史始まって以来の有色人種大統領となった。テレビで中継を見ていると、肌の色に関係なく支持をしていた有権者が喜びを顕わにしていたので、海の向こうの熱狂がダイレクトに伝わった。
黒人の有権者たちは感無量でかつ複雑な表情で、人種の壁を乗り越えた大統領を迎えた。47歳という若さも魅力の一つに違いない。
アメリカ近代史を学生時代に習ったことがあってもなくても、きっと名前なら耳にしたことがあるだろう人物にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいる。キング牧師だ。アメリカの人種差別の歴史では必ず登場し、いまの<法的に人種差別のないアメリカ>の基礎に貢献したといっても過言ではない。
アメリカは100年以上前に奴隷解放宣言をしてアメリカ合衆国としての奴隷制度は廃止されたが、実のところそれから100年余りは白人と有色人種は公共の場で明確に区別されて、プールに一緒に入るなんてのは皆無に等しかった。
バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティがタイムマシンにて過去に戻ったとき、黒人のウェイターが働いていて、白人の店主に笑い混じりでちゃかされているが、その当時ですら当たり前だったのだ。それほど黒人は抑圧されていた。1964年に公民権法が制定されるまでは。
黒人解放運動は、ほんのつい最近のアメリカの歴史である。
さて、今回に大統領選では、1944年前後に生まれた黒人有権者もいる。彼ら彼女たちは1964年に20歳という年齢であり、2008年では64歳である。団塊の世代だ。
アメリカのこういった人種の壁を巻き込んだ歴史をずっと見続けた連中である。彼らは、オバマ大統領の時代をどう感じているのだろうか。
あの頃からたった40年余りで歴史が変わったと考えるだろうか、それとも40年掛かってようやく・・と捉えているのだろうか。
いずれにせよ公民権法が制定されてから40年後の出来事である。
狂乱麗踊(きょーらんれいぶ)な連休といっても、騒ぎを起こしていたのはもっぱら肝臓方面で、ぶっ続けで酒を呑んでいた。
2日目の土着系ヒッピーが集ったお祭りは、まるで数年前までは当たり前だった3日間連続の<まつり>を期待させるような規模と、やっぱり独特のユルさが心地よくて、やはりこの日も呑み明かしていた。いくらなんでも3日目は肝臓を労わらないとくたばっちゃうような気がしたので、山梨のワイナリーが大集合!という触れ込みのイベントは涙ながらにキャンセルして、まったりと自宅で過ごした。
大掃除をし、肌寒くなってきたから絨毯を敷いて園芸の手入れをしたら、どっぷりと日が暮れてる。それじゃあ、まあと、朝の誓いを脳の奥底に押しやり、着の身着のままで近所の蕎麦屋の暖簾をくぐって、天ぷらと日本酒一合(ん?)とせいろをいただいた。モブログにある写真である。
今年の山梨のワイナリーの新酒は試せなかったからではないけれど、ゆっくり過ごしている夜にはアクション映画よりも単館上映しているような、小粒の珠玉というストーリーに身を任せたくなるので、書庫から「サイドウェイ」を取り出してデッキにセットした。
離婚から立ち直れない英語教師のマイルスは、小説家希望だけれども出版社は何処も連絡がなし。彼の学生時代からの親友ジャックは俳優業を営みつつ婚約者と来週には結婚するという順調な人生。
結婚を1週間後に控えたジャックと、ワインおたくのマイルスがカルフォルニアへ旅に出かける。そして二人はマヤとステファニーという女性と出会う。切なくユーモアで、でも温かくて忘れられない1週間。
「人生の寄り道」をしたくなる映画である。マイルスをポール・ジアマッティが演じている時点でおそらくは食指が動く特定の範囲に位置する観客がいると思う(僕もその一人だ)。
映画の要素のひとつとして、彼らキャラクターの対比が描かれている。マイルスは、その人物の背景どおり、マイナス思考な人物として描かれ、婚約者が居るのにナンパがしたくてしょうがないジャックは本能むき出しの楽天家という人物で描かれている。マイルスは自分以上にワインに詳しく鋭い舌を持つマヤに恋焦がれるが、失恋の痛手から立ち直っていないので、なかなか勇気が沸かない。
ある晩、ジャックがふさぎ込むマイルスに「Do not drink too much. Do you hear me? I don't want you passing out or going to the dark side. No going to the dark side!(飲み過ぎてダークサイドに行くなよ)」と釘をさすシーンがあったので、ちょっと新鮮だった。
ダークサイドといえばSWシリーズ以外は思いつかないので、こんな言い回しでも活用できるんだなぁと感心した。知り合いのイギリス人に尋ねてみると「物語の設定でジャックが映画俳優ということもあるけれど、いいんじゃないかな」とのことである。ふむふむ。「No going to the dark side!」、何かと使えそうな科白である。
how every time I open a bottle it's going to taste different than if I had opened it on any other day.今日開けたボトルの味は、今日だけの味で、他のどの日に開けた味とも違うでしょう。
というマヤの科白に酔って、さて、今宵も乾杯。
Mr. Brown/
Let me tell you what 'Like a Virgin' is about. It's all about a girl who digs a guy with a big dick. The entire song. It's a metaphor for big dicks.
Mr. Blonde/
No, no. It's about a girl who is very vulnerable. She's been fucked over a few times. Then she meets some guy who's really sensitive...
Mr. Brown/
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa... Time out Greenbay. Tell that fucking bullshit to the tourists.
Joe/
Toby... Who the fuck is Toby? Toby...
Mr. Brown/
'Like a Virgin' is not about this nice girl who meets a nice fella. That's what "True Blue" is about, now, granted, no argument about that.
Mr. Orange/
Which one is 'True Blue'?
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snapped by: DOCOMO SH903i
予備校時代からの友人で14年前に一緒にバンコクやホワヒンを旅したりしたFと久々に再会をした。
予備校を卒業してそれぞれが異なる大学に通っても、なぜだか友人関係が継続して今に至る、という仲間が多く、Fもそのうちの一人だ。
最近はお互いが仕事が忙しくなり、年に数度しか会えなくなったが、どちらともなく酒でも呑みたいななんて思うと誘ったり誘われたりしている。輸入の仕事に携わっているFは、以前から経済に明るいので、近頃の混沌とした経済事情について語り合いたいと思っていたのだ。
そこで実に1年ぶりに会う約束をした。
僕が馴染みにしているトンカツ屋で、ままかりの酢漬けと自家製ラッキョウを食べ、エビス瓶ビールで乾杯をしたと思いきや3本を明け、「いい牡蠣が入ったよ」と板長が教えてくれたので、牡蠣フライとメンチカツを揚げてもらって、新米のコシヒカリでガツガツ食べ豚汁を飲み、一人2500円。まあ、安いほうである。
経済についてはそれぞれの解釈があるので、意見は一致したり逸れたりしたが、共通の認識として出てきたのが、ドル安である。
そう、14年前、我々がバンコクを訪れた時、円が94円ぐらいになって、旅人たちは複雑な気持ちだったのだ。円に比べるとドルのほうがバーツに強いので、換金するにはドルでしてしまったほうが割がいいのである。そのドルが94円に急落したものだから、なぜか安宿に寝泊りする汚い旅人も為替市場に食いついていたのだ。
その後、周知の通り、日本にはいよいよもって大不況が寒波のごとく押し寄せ、我々が大学を卒業する頃には、就職難のいわゆる氷河期がやってきたのだ。僕はその頃ネパールだかインドだかで白昼夢みたいな生活をしていたから、バックレモード全開で食らっちゃいないけれど(その後、ツケを払うはめになったけどね)。
さて、僕はFほど経済に明るくないし、また興味もあんまりないので大きなことは言えないが、思うに、円高がどこまで進んでしまうのか、つまりはドル安がどれくらい進むかが、大きな軸となって経済の再構築が始まるんじゃないかなと。
まあ、根拠はゼロなので(あるっちゅえばあるけど、そこはなんつうかね)突っ込まれても困るけど。
で、Fとは結局最後は、あの晩のゴーゴーバーの踊り子はとてつもなくエロかったという、ある意味、実体経済らしい話題で幕を閉じたのであった。
なんだかんだ言っても、裾野が広くて敷居が低いイージー感のあるmixiは手頃なので、チラホラ日記やら雑記を更新するけれども、自分のドメイン側ではすっかり更新が滞っている。勤め先では毎日が漫画みたいな生活なのに、例のごとくNDAが思い切り緘口令宜しく敷かれているので1ミリも公に書けない。
まあ、多忙でも超暇でもこういうところで仕事にまつわる話題を書いたことが無いので、元ネタ探しとしては影響受けないから、やはり怠っているというのか。
さて、iPhoneが端末として加わったことで携帯を3台持ち歩くという、一昔前のテレクラ業者みたいな日々を過ごし始めて数ヶ月、なんとまあ、iPhoneが思い切りぶっ壊れた。いわゆる初期不良ってのである。
ちょっと挙動が怪しいなぁと思っていたら、ある日突然<アクティベーション>を求める画面と<緊急番号>だけしか掛けられない画面が登場。そう、ネットでも転がっている故障とおんなじでババを引いちゃったのである。
神サマ、ドウシテ良心ヲ絵二描イタヨウナ私ナノニ、ケータイ壊レルンデスカ?と、突然とインスタントな信者になってもケータイは直ってくれない。
嗚呼、めんどい。
SIMカードは別端末で認識するので、完璧に個体に原因があると判明。itunesで復元やら更新しても変化せず。いよいよコリャ駄目だとアップルストアに駆け込んだ。
ipodbarの予約やらという七面倒な手続きをしたのちに2回目の来訪でサポートを受けることに。故障の再現性というか、回復の余地ゼロとの判定で、新品のiPhoneが手元に届くことになる。
彼らには彼らのNDAがあるのか(アップルはこの故障現象をまだプレスしてないので)、原因については詳細をはぐらかしていたけれど、どうやらファーストロットだから発現する故障ではなく<ある一定の期間に出荷された端末の基盤が起因>で発現するという、一休さんのとんちライクな回答をしてきた。ということで、運が悪ければ、もう一度同じ個体をしょっ引くことになる。
ご利用は計画的に。
バックアップはこまめに。
同伴出勤はここぞという時の切り札に。
9月の後半だというのに、昼間は蝉が鳴きしぐれるという、まだ夏の面影すら残る某日、残業を終えて死んだ魚みたいな目をしつつ素っ裸でテレビ(ワンツッスリー)を観ていたら、矢追さんが「超ヤヴァイ宇宙人映像」をプレゼンテーションしていた。
思えば幼い頃から口裂け女やら狼男や地底人を半狂乱じみて妄信していた僕だけに、こりゃ見逃す手はないなと前のめりでテレビに齧りついた。
第三位から映し出され、十分すぎるほどに我々の心を鷲づかみした矢追さんが一位に持ってきた映像は、なんとブッシュ大統領の演説の真っ最中に紛れ込んでしまった宇宙人の姿であった。モノホンだとしたら、まさに全世界に衝撃が走る瞬間である。
引っ張るだけ引っ張り、もうはやく見せてよと若妻のようにおねだりする視聴者の目に飛び込んできたのは、相変わらずの好戦的な態度でブチまけているブッシュ大統領。
だが、それだけじゃない。な、なんと、ブッシュ大統領の後ろには、たしかに宇宙人が映って・・・いる。いや、ちょい待て、映っているのか、これ?
なんだか紙芝居の出来損ないのような白い宇宙人(グレイ型)がひょろひょろと映し出されている。どう好意的に見ても、こりゃなんかが窓に映っているだけじゃないかというシロモノなのだが、矢追さんは「この映像は宇宙人が常に地球を監視しているという警告なんですよ」とシャブ中みたいなことを本気汁だして説明していた。
矢追さんが宇宙人は居るというプレゼンテーションをしたのに、なぜか見終わった後は「あーあ、やっぱり宇宙人はいねーのか」と、全然プレゼンの影響を受けずしてションボリとケサラン・パサランやスカイフィッシュと縁のない日常生活へと舞い戻った。
さて、今日も残業を終えると山手線に乗って家路に向かった。
運悪くiPhoneの充電が切れてしまって音楽が聴けない。鞄に入っている村上春樹が訳したグレイス・ペイリーの「最後の瞬間のすごく大きな変化」は文章のリズムがスッと入ってこなくて頁が進まない。そんな悪条件が理由なのかどうしてか分からないが、ふと宇宙人のことがよぎって宇宙人について思い起こしてみた。
一般的な通説で、なんでアメリカだけと宇宙人が密約を結んでいると囁かれるのだろうと疑問に感じたのである。
宇宙人が地球にやって来ると仮説を立てると、宇宙人は二十億光年も離れた銀河の彼方からわざわざ訪れているということになる。二十億光年というのは光の速さで計算しても二十億年掛かるという意味で、もう話がでか過ぎて下手したらオッパイが縮んじゃいそうである。
そんな遠く離れたところからやってくる宇宙人は、超長生きか超科学力を持っているかのどちらかだ。いや、下手したら両方かもしれない。
だからインターネット程度の技術で騒いじゃっている地球というのは、はっきり言ってド田舎だろう。ハイテクのウォッシュレットだって、彼らから見てみれば肥溜めみたいなもんである。ボットン便所だ。宇宙人はもうDNAとか改造しまくりだから、お尻で笛が吹けたりしても不思議じゃない。たぶんウンコとかしないに違いない。
地球の生命体は、宇宙人視点では猫も杓子も人間も同じで、それぐらい地球レベルを超えた宇宙人がわざわざやってきて、どうしてアメリカだけと密約を結ぶのか、これが大きな疑問なのである。
ブッシュ大統領がぶらり途中下車して、日本の某県ほにゃらら郡うひょひょ村大字3の牧場にいる一匹の牛とだけ仲良くするか?ちょっと有り得ない気がする。どれこれも同じ牛で差異はない。
だから宇宙人だって、アメリカとだけ仲良くするなんて、アンバランスな密約はない筈だぜ矢追さん!って脳内でまとまったら2駅過ぎていた。
週末がやってくるたびにルーシーと一緒にダイアモンドを抱えて空を駆けるのに、何故か一方では健康には気をつけている連中が多いこの業界、最近はめっきり某県が鬼門らしいじゃないですか。
アンバランスだとか矛盾だとか糾弾されても肉を食べない、つまりはベジタリアンだと宣言するのは珍しくなくなってきたし、卵も受けつけないし蜂蜜もNGだというヴィーガンを目指すのも当たり前になってきた。僕自身も十数年前の4年間ほどは実践していたので、過度の肉摂取は身体的にそぐわないんではないかと、経験則として認識している。
*
*
まあ、僕自身のきっかけは、何処かで書いたように、15年前の初インドがそれだった。
初めて訪れる印度亜大陸にブルブルと武者震いした僕は、深夜のニューデリー空港から市街地のメインバザール(東西の旅人が滞在し交差するマーケットのある安宿街だ)のゲストハウスにその晩の寝床を決め、僅かに灯りを灯している屋台でハンバーガーに舌鼓をうった。飲み物はサムズアップというコーラのパチモン。
今思い起こせば、わざわざインドまで足を運んだのに毛唐を代表する食べ物に手を出したのが運の尽きだったんだろう。喧騒とヒンディ語にボッタクリとデタラメが渦を巻いて、地面を灼熱が照らしている朝に僕は早速と亜大陸の洗礼を受けることとなった。
昨夜の屋台があった場所には何をしているんだかさっぱり分からないインド人が数名たむろしていて、喧嘩なのか談笑なのか絶対に判別できない会話がいたるところで繰り広げられ、屋台の真向かいには肉屋があった。
牛は人間より偉いんだか尊いんだかという国なので、牛肉は軒先には並ばない代わりに、羊のでっかい頭がそこにぶら下がっていて、その横に─たぶん、そうだったんだろう。もはや思い出すこともできない─鶏が逆さになって吊らされていた。
まあ、それぐらいだったら耐えられる。でもそこで僕が見たものは明らかに異質のものだったのだ。
数千、いや数万匹はいるだろうか、みっしりと密集した蝿の大群。
その大群が肉の周りを値踏みするように飛び回っていたのだ。ある肉の塊は、肉ではなく黒い物体だった。自分の眼を疑ったのは言うまでも無い。でも何度見返してもそれは揺ぎ無い事実だった。
肉の全面を蝿が覆っているので真っ黒になっていたのだ。ブンブン。
僕はそれを見た途端に胃のあたりに鈍い衝撃を受け、摂氏40度はあるというのに、文字通り鳥肌を立てた。大好きな小説の一節にタンドリチキンを食べてこそインドだみたいなくだりがあったが、それを見て以来、旅の期間、僕が口にしたのはベジフライドライスかベジカレーだった。
そんな生活が続いたせいか、今度は日本に帰ると肉が食べられなくなった。
蝿を思い出すとか清潔面からではない。ちょっとでも食べると胸焼けがするのだ。身体がぐったりする感覚。
そこで僕は思った。
「肉って、ほんとは健康に良くないんじゃないか?」と。
そして4年ほど似非ベジタリアンをしていた。魚は食べるし、時々ラーメンも食べるし、牛乳も飲むので、<なんちゃって>スタイルだ。明らかに肉として眼に映る形態は避けていたという感じだ。
いまはベジタリアンという生活スタイルについて強迫観念はない。以前は心の何処かで肉食について追い立てていたというか、罰則規定を設けているかのように、自分と肉食の関係性に場合によってはストレスを感じていたけれど(要は肉食を絶とうと努力していたからだ。煙草を僕は吸わないが禁煙みたいなものか。禁肉だね)、いまはそうじゃない。食いたいときは食えばいいじゃんかとアバウトに構えている。で、案外アバウトに構えると肉なんてそんなに食べないものだったりもする。
*
*
さて、話がちょっと逸れたけれど、先日、こんなニュースがあったのだ。「菜食は肉食に比べて脳収縮を引き起こす可能性が高い」というニュース。あんまり野菜ばっかり食べていると脳収縮を引き起こすらしい。脳収縮ってなんだか分からないけど、パーチクリンってことなのだろうか。野菜を食べることで健康を手に入れようとしてパッパラパーにはなりたくないものだ。
じゃあ、インドのベジタリアンはパーチクリンなのかというと、そうではないので、果たしてこの記事の信頼性そのものは疑わしいとも言える。ただ、肉や魚をあんまり食べなかったりすると、ビタミンB12が欠乏しがちというのは科学的根拠があって、その欠乏は脳収縮を引き起こす一因になってしまうらしい。
ちなみに脳収縮を回避するには、魚を食べることのようだ。魚に含まれるオメガ3(n-3系)の脂肪酸が、脳のシナプス中の柔軟性を高めて記憶力と学習能力を高め、痴呆や他の精神障害のリスクを抑えるとか。
何事も過度の状態はアレルギ反応が出るのかもね。過度に肉を摂取することも健康を損なう原因になりうるし、過度の肉の非摂取も健康を損なう原因になりうる。
まあ、焼肉デートはムフフな予感というのは、渋谷の恋の物語では、今もこれからもガチなわけですが。
東京で呑み屋を<上手に>経営したいなら、野球の話と宗教の話と政治の話をしちゃいけないとはよく耳にするもので、夜が訪れるたびに一心不乱に酒場の扉を叩く身としては、酒精で滲んだ記憶をまさぐりつつ、なるほどと頷くばかりである。
東京は読売巨人軍の本拠地なので、やはり巨人ファンが何処の酒場にもいたりするわけだけれども、同時に熱心なアンチ巨人もいるものである。だからシェイカーを振るだけに留まらずに、うっかりと巨人軍に対しての見解を述べるものならば、あとは想像するのもウンザリする口喧嘩の応酬が待っているのだ。
宗教についても同様である。東京には戦後最大の某宗教の本拠地(っていうのだろうか)があるので、圧倒的に信者が多い。と同時に、そこにはアンチも必然的に存在するのである。だからツマミを差し出すだけに留まらず、つい宗教観について一言挟もうなら、それはもう、辟易とした食傷気味な夜がアングリと口をあけているのだ。
政治についてもこれまた然り。地盤的には自民党が強いとは言いがたい土地柄だけれども、それは上述の2つの命題と同じだ。ただ、修羅場が待つのみである。
そこで、もし、貴方が東京で一旗挙げようと堅く決意していたら、このルールを覚えておいて損はない。
少なくとも、大切なお客を3人減らすことは防げる。
東京で呑み屋を経営するなら、野球の話と宗教の話と政治の話をするなである。
さて、先日、サルが猿山から下りてきて、緊急会見で質問してきた記者に言い訳するように「あなたとは違う」と呟いた。だとしたら、彼はいったい誰とは同じなんだろう?それとも誰とも同じじゃないのか。
ふー、酒でも呑みに行ってくるか。

NYタイムズが「美しい役立たず」と絶賛(?)したとかっていうくらいだから、よほど安っぽいと思いきや、そのチープさが醸し出す切ないメロディがツボにはまったりもする。切ないアンビエントな、そう、その名の通り、仏陀の御心に到達できそうなメロディが延々と繰り返される。
とまあ、それだけのアイテムだ。
世の中、何が流行るかわかりませんね。内蔵スピーカーから末期の老人の小便のように垂れ流されるチロチロとしたサウンドは9つあって、外部ジャックに差し込めば出力することも可能。KORGのエフェクタに繋げると、案外使えそうな仕上がりになるから驚きである。
このチープループ「Buddha Machine」は単三電池で動く。だから野外フェスなんかに持っていって、寝袋のそばに置いておくと、きっと仲間たちから大絶賛というコブシのプレゼントを頂戴すること間違いなし(いや、笑いのわかる、もしくは音に理解のある仲間だったら、きっと握手のひとつでも差し伸べるに違いない)。
カラーは7色。3465円なり。
─HP─
ちょっとした経緯があって、iPhoneを所有することとなった。16Gの白で、まだ届いていないけれど、おそらくは今月中には手元にあるだろうと願っている。
3Gでインターネットに繋げるし、ituneも使えるので、電話機というよりは、インターネットギアという扱いで遊ぶ予定である。そんなわけだからもちろん現ドコモは解約することなしにこれからもお付き合いしていただき、新規で購入ということになる。
さて、iPhoneを購入した最大の理由は、これからどしどしリリースされるであろう、iアプリの数々である。音楽系ソフトが早速リリースされていて、財布の口は緩むばかりだが、今一番期待しているのは、とあるメーカーが作成しているらしい、タッチパネル方式のエフェクター。これを使って、ituneで流している曲をウネウネと動かすのだ。そんでもって、端子に繋げて外部に音を放出するのだ。
そんなことをしてキャンプを楽しめたらいいなと思い、今日もまた「お届けメール」を待つ日々。
旨いもの屋がネットで名が売れるとすっかり不味いもの屋に成り下がる可能性の昨今、やっぱりここは名前も場所も控えておこうと心に決める、ある店がある。
カウンター7席程度の鰻屋は、浜松まで最高の鰻を求めて行脚したけれど、結局はこの店しかないと評価するグルメな友人お墨付きの一店で、老夫婦が営む小さな店だ。
あれ、こんなところに鰻屋があったんだ?と、もしかしたら通りの人々は気づかないかもしれない。そんな小さな店なのである。
ひっそりと暖簾を下げている店には遠方から人々が胸を躍らせて訪れる。
鰻は注文を承ってから捌き、焼いて蒸し、蒸しては焼いてを繰り返す。もちろん炭火で。活きのいい鰻はスルリと主人の腕から零れて一枚板のカウンターで宴をするくらいである。
注文してから1時間ほどして出来上がるので、待っている間は、これまた秀逸で丁寧な小技がピリリと効いている刺身や、サザエの壷焼きなぞを冷酒で戴き、静かに待つ。
鰻の放つ香ばしい香りにグッと耐えて。
満を持して現れる鰻重は、何度も焼いたり蒸したりを繰り返しているだけあって、これでもかというくらいふっくらとしている。自家製のタレが光り輝く銀シャリにしみ込み、鰻にしみ込む。すっと箸をいれると何の抵抗もなくずずっと入っていき、そのまま熱々を口に運ぶ。
鰻がとろけて、思わず目がうっとりとなり、店主を見つめてしまう。ほんとうにこんなに美味しくていいんですかと。
職人気質の店主は、ただただ微笑するばかりである。
中鰻重1800円。
え?ともう一度確かめるけれど、漆の塗られた品書きにはそう書いてある。
いやはや、恐縮するばかりである。
もし、貴方が本当に美味しい、本物の鰻を食べたかったら。PSYBABA.NETまで。
先日高円寺近くに引越しをした友人宅でホームパーティをした。
誰でも来ればきっと盛り上がるさという、ホスト(家主)の気前のよさも手伝って、九州から仕事でやってきて3日も経過していない友人も招いてしまった。僕は3年物のとっておきのブランデー梅酒と自家製糠漬けをカバンに詰め、ベランダの紫蘇を摘み、行きがけに豆腐屋で豆腐を購入して出向いた。
もちろんホームパーティの定番であるDJセットも忘れなかった。なんてったって祭りである。祭りというのは賑やかなほうがいいのだ。
友人宅には早速東西南北から友人たちが集まり、最初の乾杯の段階で12人くらいいた。その後入れ替わり立ち替り人々が深夜だというのに訪れて、合計で26人ぐらい現れたんじゃないだろうか。こうなってくると名前すら覚えられないものである。
持ち込んだ機材を駆使してBack to Backをして、ロックからトランス、果てはヒップホップとつなぎたい放題繋いで、音を鳴らし、朝7時までグテングテンになるまで呑んだ。もしその家にリングがあったらプロレスの試合だって始まったかもしれない。
要するにそういう種類の夜だ。
酔っ払いすぎると写真を撮り忘れたり、記憶のあるうちに1枚しか撮らなかったりするのが僕の特徴なんだけれども、モブログに1枚しか載せてないところを見ると、相当呑んだのかなと思う。
この夜に集まった連中は、友人の人柄だろう、個性豊かな人たちばかりで、サブカル好きだったら誰でも
知っているだろう聖書的な雑誌の編集長やら「たけしの誰でもピカソ」に出演していた絵描きとかわさわさ集まった。
彼らに深く感銘を受けたのは(といっても、その場で感動したり深い顔して頷くとか気持ち悪い態度をとるわけじゃない)、たとえ自分の方向性が時として自身を取り巻く世界と馴染まないとしても、決してスタイルを変えずに自分を信じて進んでいくという点だ。
そして、それがオリジナリティと呼ばれるものなのだろう。
早起きは三文の徳なんて言葉があるように、朝っていうのは思いがけないサムシングがハップンしたりする。
僕は朝の5時に、路上にてノーブラ姿で鼻歌を歌う20代前半だろう可愛い女子を見たことがあるので、本当に昔の人は上手いことを言うんだなあと感心する。
さて、平日の仕事日においても、朝の時間は大変貴重で、僕にとってのそれは、今日の仕事における全般的運用やら、趣味の世界での求道的な探究心など、冴えた脳みそで考えることのできる重要な時間である。
会社の始まる時間は9時なのだけれども、最寄の駅に到着するのは大体8時15分~20分。混雑のラッシュを避ける為と、朝の時間を確保するためにこの時間の出勤となる。
実際のところラッシュは酷いので、理にかなったりだ。
仕事の始まる時間まで随分と時間があるのは、まっすぐ会社に向かわないので喫茶店に立ち寄っているからである。この時間こそが一日を決定してその週を捉えて、積み重なり、人生の指針となったりするのだ。
オフィスのビルの1階にサンマルクカフェがテナントで入っており、毎朝このカフェで「プレミアムアイスカフェラテM」を注文する。エクセシオールカフェも入っていて、何度かサンマルクと二者択一に頭を抱えたが、サンマルクが一歩リードである。
ゆったりとした独立型のソファと騒がしくないjazz音楽。そしてたっぷりとミルクが注がれたプレミアムアイスカフェラテ。ガラス越しに映る爽やかな朝の風景。
この環境こそが脳内のシナプスをグイグイと刺激してくれるのだ。残念だけれど他のカフェだと、なかなかこうはいかない。
特にソファは硬すぎず柔らかすぎず何とも心地よい按配で、物事を思考するのにこれ程向いているソファはないんじゃないかという設計である。
プレミアムアイスカフェラテは300円する。朝から300円を使うなんていい度胸である。
僕は根が貧乏性なので、朝から300円使うことを放蕩の極致と考えちゃって、ついつい「いいのだろうか、こんな贅沢をして・・・」と悩むのだけれども、仕事で抱えているプロジェクトの行く末に関するアイデアが浮かんだり、日々の暮らしにおけるナイス発想が生まれたり、週末の遊びのスケジュールが沸いたりするので、決して高くはない。
むしろ300円で貴重な発想が生まれるのだから、最近では安いとまで考えている。
浮かんできたイメージはそれぞれ自分の脳内のフォルダに<ToDo>と<TASK>、<TIPS>、<What should I do <How should I be>とざっくりと分けて、プライオリティの格付けをしていく。もちろん脳内の出来事なので、このあたりはきっちりと決められているわけではない。感覚的に処理するのだ。
主体的で柔軟な発想、つまり創造性のある思考が朝の数十分で作られる。
あとはその生まれたイメージを逃がさないよう、なぞらえて可視化し具現化していくだけである。
まさに早起きは三文の徳だ。
ひょんなことから使う予定のiPhone。あれこれ考えるとMNPするよりはインターネットモバイルギアとして使えばいいのかなと思うように。
電話機だと思うと、どうしても足りない部分があるよね。だったらiPodでもいいんじゃね?となるわけだけれど、無線ポイントを探すそれより<どこでもアクセス可能>なiPhoneに一歩リードがあるというか、なんていうか。アプリの期待感も大きいし。8Gと16Gだとどっちがいいかなぁ。そこがいまの最大の悩み。
あとは業務用ケータイ含めて常に3台ぐらい持ち歩いているのはどうなのかね。見た目感というか、ちょっとアホみたいな気がしないでもない。まあ、僕の会社には全キャリ持った上で(イーモバもw)iPhone買うってのもいるらしいから、いいのか。
最近、巷で話題を振りまいているのは林檎印のケータイだったりして、どうやら片手でアレコレできるとかできないとかって話になっている。
新しモノ好きなアンテナ3本立てているギアフリーク若者は、1500人集まり買い求めに並んだ。まるでドラクエである。
ところで、同じような片手アイテムでも、こちらは楽器好きな連中の間で沸いているアイテムである。
ここまで世の中進歩したんだと感心した。
ご存知の方もいるだろう。Tonium の PACEMAKER だ。スウェーデン生まれの、このギアは、片手でこなせるMIXツールなのである。
120GBのハードディスクが内蔵、音楽ファイルをクロスフェーダーでミックスできちゃう。しかもエフェクトがついていて、FILTER、ECHO、REVERB、ROLLを内蔵。EQはそれなりの3バンド。つまりこれでCDJに匹敵しちゃうのだ。
踊るトランスDJが現れる日も近いな。
そんな衝撃のギアの動画でも。
【Youtube】
さて、今年も雨が降ったあとに訪れてくるのは夏。
もくもくの入道雲と緑の中で鳴くせみ。プールではしゃぐ子供たち。真っ赤に染まる夕焼けで語らう青春。幾つになっても夏が来るたびにドキドキする。
そんな7月第一週の週末イベント第一弾!
代々木公園で開催のアースガーデンだ。オーガニックでフリーダムなお祭り。
バティック敷いてカチ割り氷でビール冷やして、まったりと愉しむの一興だよ。
世界の屋台メシが大集合するし、ツマミも充実!?
2008年7月5日(土),6日(日)
at:代々木公園イベント広場&ケヤキ並木
10:00 - 17:00
─詳細─
これは絶対に行かなくてはと、久々に奮い立った「井上雄彦 最後のマンガ展」を上野の森美術館に観にいった。
井上雄彦は、1億2000万部以上売り上げている「スラムダンク」という超お化けマンガの作者である。いまはモーニングに掲載している宮本武蔵の半生を描いた「バガボンド」で注目を浴びている。
さて、実際の展示会は、当日券は3秒で売り切れ。前売りを握り締めているというのに1時間の行列(しかも平日なのに)で、どれだけ人気があるのかとうかがい知る事ができる。
「たかだかマンガの展覧会なのに、こんなに並ぶんじゃねーよ」と理不尽なまでに毒づいたのだけれど、これが展覧会に入場すると瞬時に理解できた。
なんと「バガボンド」の最終的物語の展示なのである。
僕の記憶が確かであれば、まだ掲載中の漫画では物語は途中なので、「こりゃとんでもないモノを見てしまっているんだな」と身震いがした。
ペンではなく筆を用いて細かに描きこまれているコマは、もう漫画の範疇を超えている。それだけではなく、ひとコマを3メーター近くの和紙で描いたりして、目がくらむばかりなのである。
ネタ的にバラすのはマナー違反なので、急にここから先は抽象的に感想を述べると、とにもかくにも宮本武蔵(武蔵)の最後が・・・。息も飲み込むほどの躍動感で、映画のように描かれている。
最後は鳥肌だ。この作者しか表現できなかったであろう唯一無比の世界。自宅だったらたぶん泣いていた。
その涙は、悲しみとかではなく、尊ぶ存在に自分自身が出会えたという感動で。
たかが漫画というなかれ。一度訪れたほうがいい。
*
*
ところで、東京という土地は、家賃は高い、人々は他人に無関心、キャバクラはぼったくり、電車は地獄列車と悪い側面ばかりが目に付いたりするけれど、文化的な情報では他所を寄せつけないレベルで質と量共に揃っている。
たとえばナイトクラビング。どんなジャンルの箱であれ、トップレベルの箱が週末になれば用意されていて、遊泳する深海魚のようにクラビングできる。
たとえば映画。中東のマニアックな映画であろうと、絶対に東京で上映している。いや、東京で上映していない映画なんてないだろう。
そして美術展や写真展の数々。東京が拠点となり、巨大な供給場所となっている。
毎週そんなことばかりしているわけではないけれど、東京じゃないとできない何かってのは必ずある。
残念なことにネットワークのインフラが整備されても、なお解消されないフェイズはあるのだ。amazonや楽天の功績は大きいけれど、個人がネットワークに通じていない状態では自らの足を使って、楽しみを得るしかない。
東京生まれでヒップホップ育ちのわりには東京を毛嫌いする傾向が僕自身の中にあって、それはなかなか大きなシコリでもあって、週末のたびに中途半端に東京郊外でお茶を濁して自然と戯れたりしてた。
だけれど、視点を変えてみれば、東京に絶え間なく流動している情報の波に乗らない手はないんだ。
少なくとも東京で生活する限りは、この土地に赦されている文化的基盤に甘えさせてもらうのはいいかもしれない。どうせ東京に住むんだったら東京じゃないと出来ないことを享受する。
こういうのって生き方のひとつなんだろうね。
ロシアのお酒といえばウオッカ。
現地ではウォトカと発音するらしいというのは、どこかの漫画で仕込んだネタである。アルコールは90度近くあり、無味無臭。
これって何かに使えるんじゃないだろうかって思った。そう、果実酒である。ホワイトリカーの特徴にそっくりだ。
そうこうしていたら、今年も梅酒の時期がやってきた。
2年前のブランデー梅酒、去年の泡盛梅酒。どれも琥珀色の梅酒で、喉を鳴らす。
先々週、浜松で開催されたシークレットのゴアトランスパーティに、2年物のブランデー梅酒を持っていったら、音が鳴る前に瓶が空になってしまったくらいである。
今年は新たなテイストでラムかウオッカか悩んだ。ラムは、それ自体が主張していて、独立的に味を保っているので、梅と共存できないような気がしたのだ。リーダーが二人いて衝突する部署のようである。
その点、ウォッカは静かな力持ちという感じで梅を持ち上げ、それでいながら全体に貢献する、職人のような風情がある気がした。
今年はウオトカで梅を漬けてみよう。3年物のブランデー梅酒をグラスに注ぎつつ、梅雨の夜更けに。
いま思い返してみれば、劇場型犯罪の先駆けのともいえるだろうか。
宮崎勤への死刑が執行された。犯人逮捕から20年である。
オタクというのは、気持ち悪くてロリータで犯罪予備軍であるという、一方通行な社会的認識を作り出したのはおそらく彼の仕業だろう。彼以前では、オタクではなく、<マニア>と呼ばれていたはずだ。
オタクという言葉なサブカルチャー的な世界でのみ使われていて、少なくとも一般生活には登場してこなかった。
突出的な情熱のある趣味を抱えていた者は、みなマニアだったのだ。
切手マニア、鉄道マニアなどなど。今日ではすっかりと、
一般的な度合いを超えた趣味性を持つ人間に対する蔑称はオタクという言葉にすげかわっている。
さて、離れ部屋に6千本のビデオを所有していたとされる彼の行動は、いずれにおいても当時では常軌を逸していた。30代前後の世代だったら、耳にしたことがあるかもしれない。「ギニーピッグ」というレンタルかセルオンリーの映画を。
ストーリーがまったく存在しない、ただ淡々と人を殺める映画だ。僕は勇気がなくて観られなかったけれど、当時観たという友人は無軌道な青い10代だというのに、どんよりと曇った顔をしていた。聞けば、ただひたすら人をひっぱたいている映画なのだという。画面の片隅に1003回、1004回とひっぱたいた数だけが映し出され、(もちろん特撮だが)叩かれた人はどんどんと変形していくという映画。
観る奴も作った奴も頭がどうかしちゃっているとしか思えない作品である。僕はこの大筋を聞かされたとき、公園でスーパーカップを食っていたんだけれど、ゲンナリして、すっかり食欲が失せたものである。
M君はこのビデオを所有していたのだ。逮捕以来、彼の素性が公開されると、このビデオもご多分に漏れずに知れ渡れ、そして自主規制という枠でレンタルビデオ屋から姿を消した。
*
*
さて、僕の地元は旧フジテレビのすぐそばである。
当時、街には大きなレンタルビデオ屋が一軒あって(ツタヤが世の中に現れるのはまだ先である)、僕と友人は夏休みにたまたま映画を借りに来ていた。
プラトーンにしようかネバーエンディングストーリーにしようか迷っていたところに、あのフジテレビが取材にやってきていた。
目的は、ずばりスプラッタ映画である。なにせ、世間に衝撃をもたらしたM君が大量に所有していたのだから。
僕と僕の友人は、その取材班を見つけると、ヒソヒソと相談をし、「きっと僕らみたいな若者が熱心にホラー映画コーナーをうろついてたら取材されるだろう」という結論に達した。
中学生なんてきっかけさえあれば目立ちたいのである。そこに思想なんてものは作用しない。
そういうわけで、2人して借りる気も無いホラーコーナーで、わざとらしく「これがいいんじゃない?」なんて、むごたらしい映画を手にとって取材班を刺激する画を醸し出した。するとやはりというか、取材班のチーフみたいのが「もしよかったら取材させてくれないかな」と乗り出してきたのだ。
僕らは内心ウキウキしているにも関わらず、努めて冷静な、ちょっとまあ面倒くさいけどいいよね的な顔して承諾した。
撮影時間15分程度。こういう映画ってやっぱり借りたりするんですかという質問に、僕の友人は一度も借りたことないのに、「ええ、けっこう借ります。こういう残虐なのって一度観ると興奮してやめられないっすよ」とかなり適当に答えた。
そして数日後。僕らの映像は3時からのワイドショーで思い切り使われていた。
そして僕の友人が答えた適当なセリフが、<いまの時代を象徴する若者>として、残虐な映画を観る10代達、彼らを駆り立てるものは?なんて喧々諤々と物議をかもしていた。
コメンテーターと識者までもが、僕らの映像ひとつで時代を憂いたり、理解できない若者たちの嗜好に近づこうとけっこうな時間を割いていた。
世の中ってヤバくて脆くて怖いなって、14歳にして知った。暑い夏の盛りの思い出である。
あれから20年経とうとしている。
1年のうちに何回か妙に「マスターキートン」を貪り読みたくなることがある。
そわそわと落ち着かずに本棚に足を運ぶぐらいだから、その求心力は押して知るべしで、1巻の「水を飲ませてやれ。やつは・・・」なんてシーンに始まり、ノンストップで突っ走る。
まるで特攻野郎Aチームみたいである。
敬愛するユーリースコット教授に再会して、「Mr.キートン…立派になったな」と温かい言葉を掛けられる場面なんて、そりゃもう、号泣である。歴史に始まり、サバイバル技術に考古学、漫画とは思えない幅広い情報に頷くばかりで、全巻通じてハズレがない。珍しい漫画だ。
もちろんそれは多大な影響を与えるということにつながるので、僕は「ワインを慎め。それから・・・・・・ 新鮮なグレープフルーツジュースを飲むんだ!!」の言葉どおり、最近毎晩グレープフルーツを絞ってジュースにして寝るようにしている。きっと身体にいいに違いない。なにせ、マスターキートンに書いてあるんだから。
さて、ワインというかアルコールのほうは慎むというよりは、なんだか週末になると妙に疼いてきちゃって、なんだかもう・・。
先月、渋谷の「たばこと塩の博物館」でギャラリーを開催した叔父が、サイン入りの図録を送ってくれた。
総頁126あまりのそれには、決して日本ではお目にかかれないだろう、世界的にも稀有なビンテージのキリムが余すことなく掲載されている。叔父が云うには、彼らの生活に深く密着したキリムは、決してドルや円には変えられない、いわば彼ら自身を投影した貴重なものであり、つまりは他人にはやすやすと譲らないらしい。彼らが砂漠に建てるテントで何十日間も一緒に生活し、塩の入ったバター茶を飲み、水パイポを喫い、羊の肉を食べ、赦しを得て、ようやく手に入るのだ。いわば友情の証である。遊牧民が語り継いできた織物には砂漠の匂いが染み付いていてシルクロードの汗が染み渡っている。
毎年訪れている新島で、今年は初日に雨が降り、テントの中での生活を余儀なくされた。
狭いテントでも心は錦というか、しっかり酔っ払ってしまい、鉄鍋をひっくり返して、とうとう8年間使用し続けたテントにポッカリと穴を空けてしまう漫画みたいな出来事も起きた。
これからが野外の季節だというのに、この打撃は痛い。
そこで、来週の週末に攻める予定のイベントを機会に、給料少ないのに心機一転して、新しいテントを購入。スリム化を目指しているので、僅か3キロ程度のコールマンのファッドX3にしようと思ったんだけれど、ビクトリアの兄ちゃん曰く、通気性が悪く、日本の気候には不向きらしい。
しかも、2人以上では厳しいとか。ならば、ここはひとつ清水の舞台からダイビングする気分でスノーピークのテントをチョイス。
アメニティドーム3万4800円だ。重さは8.9Kg。大人2人子供3人のスペースだから、テントで子供連れたり、子供作れたりする広さである。そして日本が誇るアウトドアメーカー。痒いところに手が届くという感じで、いろいろと細かいアイデアが豊富。そんなわけで今年はコイツで野外を攻めますよ!
鮭が季節になると育った河に戻ってくるように、一年ほど一時的に実家に(出)戻っていた友人が東京にカムバックした。
かつての住まいは2つ隣の駅だったのが、今回は1つ隣の駅だ。まさにご近所さんである。東京生活が面白くなってきた。
その友人とはミレニアムのバリ島のパーティで偶然会ったのがきっかけだ。ウブドと呼ばれる田園の村で、ふらふらと夜気持ちよく散歩していたときに出会ったのだ。それから日本に帰っても縁が続いて、なんだかんだで8年も時が経過した。
もう友人はパーティ業界を引退したけれど、数年前にリリースされた某球家のコンピアルバムは、じつはその友人の貢献なしでは成立しなかったアルバムだったりする。ジャンルを飛び越えて、音楽の豊富な知識をもちえている貴重な仲間だ。多趣味であり、サブカルに異様に詳しい。
そして、いま、我々がハマっているのは酒場巡りである。それも大衆酒場。さあ、初夏の誘いに乗って、夜の市長を名乗りでようじゃないか。
神経が擽られるような、ざわつく写真を撮り続けて、我々を魅了してやまない森山大道の写真展が開催中。
レトロスペクティブと称されたイベントは、1965年~2005年の写真を惜しみなく公開だ。
眠れない夜を過ごしている不眠症の貴方、もっと眠れなくなる写真が此処にあります。
■会 期:2008年5月13日(火)→6月29日(日)
■休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■会 場:2・3階展示室
■料 金:一般 1,100(880)円/学生 900(720)円/中高生・65歳以上 700(560)円
※( )は20名以上の団体料金
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料
─詳細─
検索エンジンの世界で、Googleキラーが現れたと噂が流れ、一世を風靡したのは記憶にも新しい。その名もPowerset。
たしか2008年が正式なリリースだったんじゃなかったかなと思い出し、ググってみた(どこか矛盾している、この探し方)。
やっぱりそうで、ちらほらと低温火傷のようにくすぶり、うりゃっとIT世界を炙っている。
人工知能的な検索というのは衝撃的で、いよいよここまでやってきたのかとも思う。
昔ハマった漫画に「魔界都市ハンター」っていう、少年チャンピオンで掲載していたのがあって、その最初のほうに、人間が作った神というスーパーコンピューターが登場した。
シックスセンスな能力者である博士が、そのマシンを使って、神様の存在を見つけるってシーンがあった。コンピューターはたしか「神はどこにも存在しなくて、同時にどこにでも存在する」なんて答えを導き出し、火を吹いた(う、記憶があいまい)。
果たして人工知能は何をどう導き出すのだろうか。
虚無からではなく有理な情報から回答を導き出すので、彼らの回答は、いわゆるメタにメタなメタすぎる検索結果の集積だ。
でもね、きっとそうだろうけれど、もし、科学が進んで、よく言われるようにコンピューターが自我を持ち出したら、どうなるだろうか。マトリックスとかターミネーターの闘いは、ないだろう。
人間を不要とする彼らは、同時に自身の存在意義に懐疑的になり、自身の手で自らを消失させるのではないだろうか。
福利厚生を調べてみると、巨大な会社だけあって、やたらと充実していることが判明した。
全国どこでも映画が学生料金程度で観られたりすることを始めとして、居酒屋での割り引きチケットやら温泉宿の超格安プラン。どうしてなのか会社近くの本屋で10%オフだとか、なんだかわりと便利だ。
特に月に必ず1回は訪れる日帰り温泉が300円引きで毎回入れるのは素敵。小額とはいえ、こういうのを積もると後々大きくなる。
それ以外にもここでは書けないお得がたくさん。業務はてんてこまいで日々の闘いを要求されているのだけれども、徐々に慣れてきたら、思い切り使ってみたい。
残業が20時過ぎて、帰宅が21時近くになるだろうというところに、私用携帯電話宛に近所に住む友人から1通のメールが送られてきた。徒歩20秒の場所に住む友人が駅前の焼きとん屋に寄っているというのだ。
ご近所同士だからこそ気さくに待ち合わせできるというのが特権。水曜という、週の天王山にも関わらず、僕も2杯程度だけならと暖簾をくぐった。毎日、会議体だけでも3つ4つ割り当てられて、それでいて社長がアノ○さんなものだから、つまりまあ、呑んでなくちゃやってられないのだ。だって社長直々の指令が直接やってくるんだから・・・。まあ、その話はいいか。
パーティ仲間である友人は、7月くらいを目処に彼女と同棲生活を始めるらしい。それに伴い引越しを検討していて、他の土地に住むかもしれないとか。
普段はみっちりとツルむわけではないけれど、世知辛い都会生活、なんとなく友人がそばに住んでいるだけで安心していたものだ。それだけにちょっと寂しくもなったりした。もし許されるのであれば「私鉄沿線各駅停車コミューン計画」を密かに練っているので、これからもご贔屓願いたい。
そういえば、NYのソーホーも最初の一歩はそんなところから始まったのだ。
「何ができるか」「何をするべきか」「何をしたいか」、それらの線引きを明確に引くことによって、解決までの手順が浮き彫りになってくる。原理原則だからこそ疎かにできない部分である。
男のつまみというと、手っ取り早くて、安くて、適当でありながらも旨くて酒に合うっていうことになるだろうか。こだわりのレシピなんてものは存在しない、ざっけな食べ物で、極端な表現を借りてしまえば、最大限に手抜きした手料理だ。
独身生活のお供のつまみは、同時にアウトドアでも、およそ比類ないほど活躍を見せてくれる。そんな男同士だから許される、ガードの低いレシピを今日は紹介。
火力すら使わない。僕は先日キャンプインした新島で、初日に大雨にぶち当たり、わずかに足が伸ばせる程度のテントでランタンを灯しつつ、野郎2人で、こんな料理をを盃片手につまんでいた。
緊急避難的なおっさん料理だ。しかも酒用の。
それを野郎のレシピと名付ける以外にどう呼ぶのだろう。
▼材料
--さばの缶詰(水煮)
--塩コショウ
--マヨネーズ
▼レシピ
1.さばの水煮の封をあける
2.缶詰内の水を切れるだけ切る(切ったほうが絶対に旨い)
3.塩コショウをお好みでふりかけ、マヨネーズを適量入れる
4.箸でかき回す
たったこれだけ。
おそらくは3分くらいで料理が完成するだろう。
しかし、侮るなかれ。まるでさばの水煮が、コンビーフのように生まれ変わること間違いなし。
食べ物にイチャモンつけることに関してはミシェラン並みの男が言うのだから保証する。マヨネーズの酸味と塩コショウの味つけ、そこにたっぷりとしたさばが混ざり合わさる。
日本酒・焼酎・ビール、とにかく酒が進むのだ。ぜひ、一度。
仕事(毎日の労働)とはベクトルが違う方向で、なんだか自分のなかでアイデアが浮かんできた。仕事にできたら面白そうな内容だ。そういうアイデアを寝かせつつ、仕事とは別に進められたらいいなと思う。まずはホニャララから押さえてしまう。そっから先は5人ぐらいで始めたい。と、やけに抽象過ぎる文章だな。
仕方ない。自分でまとめられていないモノを誰かに伝えることなんてできないのだから。1人でするよりも5人でするほうが、話が早いって例もある。それは度胸とか勇気とかメンタルな面ではなく、実際的で物理的にだ。要するに<数で勝負>ってのだ。これからはマクロとミクロ、両極端で<数>が勝負になってくる、と思う。
親父どものワンダーランド、新橋で酒杯を酌み交わしてきた。
会社帰りにってやつだ。クソッタレなろくでもない仕事なんてのは、夕暮れまでのオママゴト。息がしたければ、漆黒の闇が街を包む前に飛び出さないと駄目だ。
島に同行した相棒から写真が焼きあがったって連絡あったので、花の金曜日に繁華街にダイブした。大露路で300円のツマミを食べて、ぼんそわで立ちんぼみたいに350円の白ワインを口にした。
相棒が持ってきた写真は最高だ。島の生活が最高だったから当然だろう。
例の、あの鳥肌がぶわっと一斉に上を向く感覚、根っこの部分から呼び起こされる感動、すべてがそこにあった。
僕には、どれも上手く言葉に出来ない。写真に収めるのも難しい。
つまり、いつまでも圧倒的に隔絶した何かがそこに横たわっているのだ。表現という手法を用いて、再現することが何時しか出来るのだろうか。本当に泣きそうな感動を得たときに、いつも思ってしまう。
要するに、何十年前かにブルース・リーが放った言葉そのものだ。
「Don't think!! Feel!(考えるな、感じるんだ)」。さて、その先には?
2000年に購入したテントが、今回の旅でついにボロっとなった。
モブログに何度か写真がちらりと映っているアレだ。もともとドンキで購入した4500円の、3人スペースを確保できるかどうかの超キリキリなテントだったので、数年前から撥水しなくなって、雨が浸透するようになってきたのだ。
シンプルな構造で軽量ではあったけれど、いよいよ買い替えの時期で、今回、酔っ払って熱い鉄なべをジュッとやってしまい穴を空け、確定的になった。
*
*
いまでこそ愛用しているテントも、10年前は、移動に関しては考慮外で、重さよりも広さを重視していた。
つまりは重くてもスペースによる快適さを選んでいたのだ。なんせこのテントだって、荷物置き場用で活用していた時期があったぐらいなのだから。で、寝食スペースとしての持ち運んでいたテントはコールマン製の6人タイプで10キロ程度あった。ずいぶんと体力があったものだ。
でも最近では、軽量化されたテントで小スペースが無難であると考えるようになり─運ぶのに便利であり、かつ設置しやすく撤退しやすい─、購入予定のテントも3キロ程度で収められるタイプを検討している。
コールマンのバックパッカー用テント、そう、ファッドX3がそれだ。
耐風性抜群の3ポール構造で、ヨーロッパ仕込みのコールマンバックパッカーテントという謳い文句。なかなかそそる。夏前にもう一本ぐらいはキャンプに行きたいので、買ってしまおうか。
ただいまの時間、このサイトの管理者はリセットをしに島を巡っています。
公開が許される限り、数日間は携帯からのモブログによるエントリとなりますので、島での生活を写真を添えて、ぽちぽちと更新していきます。
モブログサイトについては、右側にある画像をクリック若しくは下記リンクからジャンプしてください。
それでは、ごきげんよう。
今年の3月でとりあえずクローズした表参道(まあ、1年間回したわけだけど)から、1ヶ月経ち、静養という名のサラリーマン業も、そろそろ落ち着くかもしれないので、というよりは、金曜と土曜は余裕が出てきたので、そろそろ活動の再開を予定している。
土曜日は仕事は休みなので、週末は動けるのだ。
ここでも告知したように、今度は中央線沿線の某駅すぐそばにある立ち呑み屋で回す予定。曲目はオールジャンル。こないだみたいなアンビエントとチルアウトは、盛り込まない方向。
CDJは廉価で引き取るので─持ち主の友人はバリ島に1ヶ月旅行に出かけるので、6月に─、あとは微調整を残るあまり。表参道と違い、個人の経営する立ち飲みなので、資本が違うから、5月内に急変更もあるだろう。
そんな覚悟を持ちつつ、懲りずに企画しますので、宜しくです。
着々と準備が進んでいる。そう、一年間に溜まった都会の汚れた垢を落としに島へ向かう。
島の生活は、自然と共存なんて生ぬるいことはいえない世界で、言うなれば、わたくしといふ現象は自然といふ大仏様の掌の扁で小さく佇む一片の蟲のやうである。と、別に旧仮名にしなくてもいいのに、そういふ気分だ。嗚呼、また繰り返してしまつた。
雷鳴におののき、太陽に感謝する。職業的にITまみれになっている自分は、どこかでバランスを必要としているようで、心の平穏を保つようにネイチュアへと飛び込む。何もないけれど全てがあるという文化的享受の逆説的世界である島のキャンプは、精神をリセットするには相応しいのだ。
そういうことで今年も島を巡る。
自分の人生なんだから、無限に拡がる可能性に挑戦しないと駄目だろう。
偉そうなことを2年も3年も言っているわりには、結局親の用意した船に乗るのは間抜けってものである。親の脛を齧るのが間抜けなんじゃない。自分のポリシーがないくせに野望ばっかり撒き散らし、それでいて発言にも責任を持たずに、駄目だったからと泣きを見て親に頼るのが間抜けなのだ。
だったら最初からでかい風呂敷を広げないほうがいい。
ダサいな。全然パンクじゃないな。
何年も付き合いがないけれど、そんな話を聞いたら、やっぱり付き合いをやめといてよかった。野暮なもんだぜ。言い訳は聞き飽きた。昔はいいスピリッツ持っていたのに。ったく。
新橋らへんがランチの徒歩圏内なので、週に1度くらいは繰り出して食べに行ったりする。
それ以外は超高層ビル2X階の、とんでもなく壮大な景色に囲まれた会社専用食堂で食べている。北欧っぽいソファでゆったりと食べられて、なかなか至福なのだ(仕事中というのを除けば・・・)。
吉野家があったり、メニューも豊富で、学食程度の金額で食べられる。夜はなんと夜景を愉しみながらお酒も呑めるのだ。それもまた至福である(仕事中というのを除けば・・・)。
新橋のランチはけっこう有名どころを開拓した。
香姫のうどんに舌鼓を打ち、昭和テイスト満載の懐かしいナポリタン、そう、ポンヌフも攻めてみた。どうにもこうにもメタボリアンまっしぐらである。
そして、無名の居酒屋のランチ。夜はお酒を出している店のランチってのが旨いのだ。ボリュームたっぷりで廉価。先日食べたのは、「牛肉とピーマンの炒め物にイカフライがついて、納豆サービス、ご飯お替り自由、味噌汁飲み放題、コーヒーとオレンジジュース好きなだけ飲んでよし、サラダついて700円」というランチだ。これはさすがに驚いた。そして確実に残業20時でもお腹は空かない。
アースデイの行き帰りに、何人かの友人が「たばこと塩の博物館」を訪れてくれた。
嬉しい限りだ。
僕も先日は家族総出で叔父の講演とギャラリートークを聞いた。
普段から見慣れていたせいか、どうやらその貴重ぶりに鈍感だったようで、じつは日本はもとより、世界でも屈指のコレクションという事実に改めて驚いた。
150年前のキリムは失われた文化で、遊牧民達がかろうじて現代に受け継いだ遺産なのである。
講演会やらギャラリートークの動員数は館創設以来のレコードらしい。
日本には無い独創的でかつ創造力溢れるデザインは、足を運ぶ価値があるので、ぜひこの機会に観てほしい。Y本K斎さんも来ていた。ほんとうに見事である。
ピンホールカメラやテルミンや真空管アンプなど、あの頃の郷愁を呼び起こしてやまない、大きくなった男子に圧倒的人気を誇る「大人の科学」の気になる次回のアイテムは、なんと「8ミリ映写機」である。
嘘じゃない。マジだ。
7980円だけれど、今回もまた、<買い>じゃないだろうか。
僕は理科室でしか観たことがないけれど、40代より後半の諸氏は、きっと8ミリフィルムがどこかで眠っていることと思う。テルミンといい、男子な大人の心をくすぐるなぁ、毎回。
ところで、みんなは(といっても昭和49年前後に生まれた世代)小学生の頃のコマーシャルで、「まだかなまだかな~学研のおばちゃんまだかなぁ」というのを覚えているだろうか。
あの少年、僕の幼馴染なのだ。3歳くらいからの友人で、小中学校と一緒に通い、高校くらいまでツルんでいた。もう久しく会ってない。
多感期の頃は、学研の歌を歌うと恥ずかしがって激昂し、半キロくらい追いかけっこしたものである。
学研というキーワードで肩パンとか食らったり食らわせたりしていた。懐かしいものだ。
ここじゃ書けない、とある海外の某企業からのアクセスをみつけ、こっそりとデザインを変更。
またそのうちどうにかなるかも。
私信:
もしかしたら、今度は焼き鳥屋でDJするかもしれません。どんな曲まわせばいいのか・・。ど演歌かね。
中央線沿線になります。格安の立ち飲み屋なので、今度はもっとお気軽に。
プランニング固まる前にお店が転覆しないように祈ります。
自分の卒業した学校が次々と消えてゆく東京生まれテクノ育ちの僕は、もうそんなの慣れっこです。
でもこればっかりは驚いた。となりの小学校が、なんとつい最近、吉本興業の新社屋になったという。
四谷第五小学校だ。僕はとなりの小学校なので(さて、第四なのか第六なのか・・。まあ、いいか)、何度か、お隣さん突撃という名の訪問をしたことがある。
ゴールデン街近くの第五小学校は、昼間でも歌舞伎町が近くて、猥雑な雰囲気たっぷりだったから、小学生ながらにドキドキしたものだ。チャリンコで新宿通りをかっ飛ばし、背中に刺青の入った専門職の方々に威勢のいい声をかけられたっけ。
それにしても小学校が吉本だなんて。すんごい時代だなぁ。
4年目に突入したGWの島巡りは3年連続の新島に今年も決定である。
黎明期のアンジュナビーチのごとくにキャンプサイトにはバックパッカーやサーファーが集まり、焚き火をしながら踊り明かしたり、太鼓を叩いたりするのだ。
年に一度しか会えない─つまりは新島で再会するのだ─みんなも、きっと今年も訪れるのだろう。
さて、そろそろ準備を始めないと。
なんと、アノ伝説のユニットTRANSWAVEが復活を遂げたらしい。
日本でのプレイもする。クリストフという天才トランス職人が織り成す音は徹底的にゴアトランスで、深い精神世界へといざなう。10年以上前にTIMETRANCEが日本に招待したのが懐かしい。エイミーはどうしているんだろうね。
そして5月にはパラセンス。こちらもひさびさの来日。しかも日本では初という野外パーティである。今年は連れの友人も上がり調子だし、いっちょうパーティシーズンにするのもいいかも。
新橋族、果たしてそんなカテゴリがあるのやら。でも確かにあるような気もする。
テレビの街頭インタビューで登場するサラリーマン達。今年の巨人軍の行く末に苦言を申す赤ら顔のAさん、自民党の不甲斐なさに力がつい入ってしまうBさん。
どの顔も新橋だからこそっていう気負いがある気もしないでもない。自分の勤めている会社の催す呑みの席を新橋で飲むと、何ていう気持ちなのか、もしかしたら、これこそが属性意識なのかもしれない「自分が大人になったような、なってしまったような」気分になる。
よくよく考えれば、記念すべきサラリーマン飲み会を新橋でデビューするのは、野球をしている若者がいきなり大リーグのマウンドに降り立つようなものだ。
カジュアルにネクタイ外す格好なんかするんじゃなかった。もっとベタに、そう、頭に巻いて焼き鳥のお土産持つぐらいじゃなくちゃ。
春先に降る、ちょっと肌寒い小雨が好きだったりする。
土日に降られると、それなりにがっかりするのは、僕も同じで、平日に限っての話である。
物憂いな雰囲気の、せっかく薄着になったというのにタンスから厚手の長袖を引っ張り出す感覚。やれやれと思いつつも、古いアルバムをもう一度眺めるような期待感。ひっそりとした喫茶店で、うつらうつらと雨が降りそそぐ景色をボンヤリと眺めるのは格別である。
近くで猫がすやすやと気持ちよさそうに眠り込むのもよく分かるのだ。
それは季節がほんの少しだけ僕らに与えた、移ろいがもたらす静謐な気持ちなのだろう。
先週の日曜は残念なことに雨だった。せっかくの桜を愉しむことなく過ごした方も多いだろう。でも安心、天気予報によれば今週は晴れるようである。
先週の日曜に引き続いて今週末も代々木公園で春のゲリラ的に野外パーティが開催される。
昼過ぎからは噴水の右奥でサイケデリックトランスを、そして16時くらいからDEEPHOUSE系が。
16時の開催は新島で知り合った僕の友人がオーガナイズするので、もしよかったら散歩がてらにいかが?
何かのニュースで読んだ記憶によると、一昔前だったら、旧店舗から新店舗に変わるのは圧倒的にコンビニエンスストアが多かったようだ。
それが近頃だと、コンビにではなく美容室や理容室に移り変わっているらしい。全国的にもコンビニの数より美容室の数が多いという。店舗自体も借りやすい。
なるほど、自分の住む町に照らし合わせてみると、たしかに美容室の数は多い。意識していないから見過ごしがちだけれど、50メートルに一店舗はある。
美容関係の仕事に就く友人は「ちょっと5年前とは比べられないほど、競争が激しいよ」とボヤいていた。まさに同職同士の潰しあいに近いとか。
美容室あるいは理容室には数えるほどの店にしかお世話になっていないし、事実、片手くらいの店舗しか知らないので ─これからも冒険しなそうだ 地元の四ツ谷にある店に通い20年以上である─ いま住んでいる街の古めかしいお店が潰れて改装し、ちょっと覗いて「こりゃ喫茶店だな」なんて心うつろにウキウキしていたのちの<出来上がりが美容室>だった場合におけるガックシ感は、なかなかのものである。
そんなに美容室が多くなくても不便じゃないのにって思うのは、果たして僕だけなんだろうか。
親御さんと揉め事をしていた友人が最近になって和解をした。
友人の部屋に遊びに行ったら、それはもう軽めを超えた引きこもりみたいな部屋で(といっても、友人は外出ばかりしているけど)、目のあたりにした僕もさすがに居たたまれない気持ちになって、親御さんに「任せてくれ」と申し出たのだ。
桜が満開の公園で1時間ばかり話して、彼が本当に自分のしたことを申し訳ないと感じていて、機会さえあれば許しをえたいと心の底から願っているのを理解した。プライベートな領域に属する事柄なので、ここで書くことを控えるが、どう憂慮したって、100パーセントで彼が悪いことをしたのだ。
だからあとは誠意をみせて詫びるしかない。単純だけれどそれが実直な方法だ。
そんな内容を僕は伝えた。そしてあとは勇気だけだと彼に言い聞かせ、その夜に親父さんに詫びるよう勧めた。
結果は冒頭に書いたとおりである。
誠意を見せる。目には見えない<何か>ではあるけれど、それは存在する。そしてそういうのが物事の本質的な部分で大事だったりする。
制服なんてのは中学生の3年間しか着なかったので(高校は私服)、普段着慣れない背広なんてのをちょっとあつらえてしまうと、肩が異様に凝ったりするから大変である。
社会人として致し方ないとはいえ、今まで着ないでサバイブしてただけに、まあその辛さといったら・・。
こういうのはきっと新卒の22歳ぐらいで、徹夜とか朝の5時まで呑んでいるとか、そんな風なタフな時代に洗礼を受けるべきなんだな。
3月20日~5月6日にて展示をしています。
シルクロードの彼方、イラン.アフガニスタン.パキスタンにかけての西アジア西域に展開するバルーチ族やカシュガイ族、クルド族をはじめとした遊牧民が織り成すキリム、それらの、もはや現地でも入手不可能な百~数十年前のオールドアンティークの毛織物を集めた「丸山コレクション」を各部族ごとに百点余の作品を展示しています。
丸山イコール僕の叔父です。下記でやっています。
会場:
たばこと塩の博物館(渋谷or原宿or代々木公園近く)
開館時間:
10:00~18:00
休館日:
月曜日
料金:
大人100円
小中高生50円
その他イベント:
4月5日(土)
「各遊牧民の染織と紋様の特徴」
丸山繁(ギャラリーササーン代表)
4月20日(日)
「砂漠の旅.遊牧民とのふれあい」
丸山繁(ギャラリーササーン代表)
─詳細─
イランとかトルコとかのキリムとか好きな方とか興味がある方、お勧めですよ。身内びいきになっちゃうかもだけど、日本屈指のキリムあるんで。
代々木公園もすぐそばだし、もしお近くに寄った際には。どぞ。
The Suits Companyでこれまで頑なに着てこなかったシャツを調えたり、ABCマートでかろうじてギリギリなんじゃないかなというティンバーランドのシューズを購入したり、B5サイズのノートパソコンが格納できるカリマーの肩掛けバッグを取り急ぎ用意したりと、なんだかドレスコードって気を遣います。
来週からピアスも禁止だし(まあ、これは今まで装着していたのが不思議なのか)、Gパンなんて絶対にNGである。
ところでドレスコードってなんだろう。
女子だったらどのあたりまでがケバいのか、ケバくないのか。男子だったらどの境界線がラフになってしまうのか。
個人的には巨乳な女子はすべからくケバいというかエッチぽい気がするんだけれど、それは<巨乳がエロい>んじゃなくて<巨乳を見ている俺>がエロいんだろうね、きっと。
イソップ童話だかに「王様の耳はロバの耳」という物語がある。
ひょんなことから王様の耳がロバの耳だと知ってしまった下僕あるいは農民(あれ、床屋だっけ?)が、どうしてもその事実を言いたくて、でも言ってしまうと処刑されてしまうから我慢しているという出だしで始まる。
結局、その農民は穴だか井戸に向かって、「王様の耳はロバの耳」と叫んでスッキリした。めでたしめでたし、そんな話だ。
王様の耳がロバの耳だってことは、井戸を通じて民衆に知れ渡ってしまったんだけど、そのあと果たして王様が自身の地位を護ることができたのか、農民は公開処刑を喰らってしまったのか、それとも勇気ある若者として幸せに暮らしたのか、そのあたりをイマイチ覚えていない。
自分で抱えきれない事実を知ってしまった時、僕だったらどうするんだろうか。
ロバの耳ぐらいだったら耐えられそうだけれど、たとえば大統領が火星人だったら!? うーむ、井戸に向かって叫んでも誰も信じてもらえないかもしれない。
とある先日、都内某所の某通りで、たしかに僕はノーパンの女性をこの眼で確認したのだ。
でも不思議なことに、その場所に5人も友人がいたのに誰一人として見た者はいなかった。
「いや、いたんだって、マジで」
「またまたぁ、それってほんとは見たいって願望なんじゃないの」
虚しい会話が繰り返されるだけだった。
「春先のOLはノーパンツー」
井戸に向かって叫びたい気分だった。果たしてあの女子の身に一体全体どんなことが起きたのやら。
罰ゲーム?ドッキリ?
生活して三十数年、東京にはまだトワイライトゾーンがあるようです。
インドでは地理上の関係から東西南北のいずれの場所でも、チベタンに出会える。
ゴアにはチベタンレストランがあって、そこでチベット料理に舌鼓をうった。アンジュナビーチからカラングートに抜ける途中に、チベット人医師の診療所があって、そこでチベット医学による診療をうけた。
チベット人医師は慎み深い目で僕に「もし夢の中で辛いことがあったら、これを飲みなさい」と黒くて苦味のある丸薬をくれた。
僕はその頃、派手な遊びが影響して精神的に不安定であり、実際に<夢の中で辛いこと>があって、どうにかしたいと旅行中考え悩んでいたので、ただただチベット人医師の指摘に驚くばかりであった。
「どうしてそんなことが分かるんですか」と訊ねても、幾分か頷き、ニコニコとブッダのように微笑むだけであった。またゴアのフリーマーケットではチベット人から琥珀(アンバー)を譲り受けた。 (写真)
ただ、必ずしもすべてのチベタンが善良ということでもない。ネパールではチベタンに騙されたこともある。だから一概には言えない。
一方、必ずしもすべての中国人が悪鬼ということでもない。僕は何度か中国人に助けられている。サンフランシスコのチャイナタウンで、見ず知らずの僕に一宿一飯を提供してくれたチャンさんのことは一生忘れない。
たしかに中国思想というのはあるけれど(←どうしようもなくかなりの自己中心的な考え)、それを差し抜いても全員が全員悪いとは限らないのだ。むしろ、そのような全体的理論は危険だ。
でも、正しいこともあれば間違ったこともある。個人という枠組みを抜けて、国家的イデオロギーが及んだ中国に果たして正義が存在しているのか疑問である。
週末、僕はデモに参加する。旅先で出会ったチベタンのために。
─詳細─
明日は年休で休みだ。明後日が春分の日で祝日なので、連休となる。
山梨県南アルプス市に帰省して、祖母のお墓参りをする予定だ。おばあちゃんにちゃんとご報告しなくちゃいけないことがあるのだ。
僕はのび太もビックリするぐらいにおばあちゃん子で、小さい頃は、ずーっとおばあちゃんと一緒だった。亡くなる数年前は僕自身がパーティナッツになってしまって、田舎に遊びに行くこと自体がご無沙汰となってしまってた。亡くなる直前の半年前、5年ぶりぐらいに会った。おばあちゃんはとっても小さくなっていて、時の流れの恐ろしさを感じた。
だから僕はいま、ずっと孝行が出来なかったことを引きずっている。たぶん、これからもずっと引きずるだろう。僕に出来ることは、きちんとお墓参りをして、お墓の前でしっかりとおばあちゃんにご報告をすることである。本当なら、大学卒業した年の4月にご報告するわけだけど、僕はインドに滞在していて、それからもネパールにいったりバリ島で沈没したりして、結局、この年になってしまった。
明日、高速バスに乗りアルプスに向かう。
歌舞伎町のコマ劇場にあるボーリング場で、100円をジュークボックスに投入してレピッシュの「パヤパヤ」を流していたのが、もう20年以上も昔の中学生時代だなんて、にわかに信じられない事実だ。
ジャンピング ダンスダンスダンス♪というフレーズの部分で、ボーリングそっちのけに踊ってしまったものである。
日本における元祖スカパンク。そのボーカルの上田現が先日亡くなった。
「パヤパヤ」のPVは、当時としてはかなりイカれていて、中学生には十分な刺激と影響を与えてくれた。
ファンも参列が許された葬儀は、奇しくも信濃町の千日谷会堂で執り行われる。
実家から自転車ですぐだ。千日谷会堂から5分程度の絵画館には大きな池があって、まさに当時、ここで夜通し遊んだりしていたのである。
レピッシュか・・・。久しく聴いていなかったな。
90年代の中頃、渋谷のセンター街で、リーバイス646と呼ばれる時代錯誤なベルボトムを穿いてエンジニアブーツを決めこみ、日がな地べたに座りこんでいた十代の若者(アメリカだったらコジキ寸前)が闊歩した。
彼らのあいだで流行ったアイテムが幾つかあり、そのなかでも特殊だったのが香水だった。
そのファッションスタイルとはよほど程遠いだろう、シャネルのエゴイストが渋谷センター街の一世を風靡した。あるいは同じくシャネルのアンティウス。僅かな期間であったにせよ、この2つが渋谷を代表する香水だった。やがて半年ぐらい経つと、ギラロッシュのドラッカーが主流となり、ckとかが台頭した。
わけも分からずに香水をつけていたので、みんな5プッシュぐらいして、ぷんぷんな状態であった。僕もエゴイストとアンティウスが最初の香水で、ちょっと多めに7プッシュぐらいしていた。クラクラである。
そんな流行がキッカケとなり、一時は随分と香水を集めたものだ。
ネット未到来時代の日本未発売ものがウハーなご時勢に、知り合いがNYに行くとなれば、限定品を土産に頼み、タイを訪れるたびに新作を探した(そう、どういうわけか、タイは日本未発売の香水がゴロゴロしているのだ)。その収集癖の影響で、何年も経つのに、いまだ使いきれていない香水が押入れにゴロゴロしている。
ダビドフのクールウォーターは随分と長い間、愛用していた香水で、発売の年にバンコクで購入した。これは2本所有していて、なんだかんだで一昨年まで愛用していた。クールウォーターがなくなってからは、ちょっと整理整頓しようと、溜まりまくっている香水を使いはじめた。
最近になってようやく片がついてきたので、久しぶりに香水屋さんを訪れたら、まさに<ひとめぼれ>にピッタリな一品がでてきた。95年にサイアムスクエアでckのoneを嗅いだ以来の衝撃である。目がトロトロしてしまうユニな香り。収集癖が再発しそうな勢いだ。
毎週末レギュラーでDJをしているお店は、来週で1周年となる。
4月からは完全にダイニングバーとして運営することが決定事項となった。好きな音楽を好きな場所で好きな人たちに対して流すという願いは、傲慢すぎるとか、DJの何たるかを分かっていないとか指摘があるとしても、先週土曜に流したR30的音楽で、学生時代の友人Rが帰り際に「懐かしくて涙が出そうになったよ、ありがとう」と反応してくれた言葉が嬉しいし、Yちゃんが「このバージョンは誰が歌っているの?」と訊ねてくれるのが糧となる。
Rに関して言えば、彼が毎週クラブで暴れていた頃のトラックだもの。コンセプトはBack To 90'で、まさにそういう声を待っていたのよ。
こちらこそありがとう。いいケジメになったし、整理整頓ができてサッパリしたよ。
<2008.03.01 Back to 90' #Track>
01.Hey D.J.
02.Regulate
03.Boombastic
04.Boom Shack-A-Lak
05.Come Baby Come
06.Boom Shake The Room
07.Fight For Your Right
08.How Gee
09.Jump Around
10.Do you wanna Get Funcy
11.Got To Be Real #1
12.I'll do For you
13.Got To Be Real #2
14.GoodyGoody
15.Hiphop Hooray
16.Really Into You
17.I'll Be Around
18.No Woman No Cry
今日できることは今日のうちにやれって話は正しい。
そしてこれも正しい。明日でも間に合うことは明日のうちにやればいい、という言葉。
明日なき疾走。昇らない太陽と輝かない月。偶然と必然。堕落と再生。
嗚呼、自分を憐れんでいる暇もない。。。。
うーん、どうしよ。
このような属性分類が決して正しくないのは承知で書くと、ヒラリーさんは<女性代表>で、オバマ氏はポリティカルコレクト的に表現して<アフリカ系アメリカン代表>という属性になる。
では、<アフリカ系アメリカンでかつ女性>である有権者はどう動くのだろう。あるいは<女性かつアフリカ系アメリカン>は。
その属性を持ち合わせていない有権者がいるので、大多数という捉え方は控えるべきなのだが、属性選挙で当選が左右されるとしたら、どちらに勝利の女神が微笑むのか想像するのも愉しい。
つまるところ他所の国の政治話になるので、個人的には、2036年からやってきたと主張して忽然と消え去った時間旅行者ジョンタイターが予言する、「アメリカ初の女性大統領が誕生する」という内容が、果たしてウソかまことのどっちになるかと、気になっているぐらい。ちなみに僕は人生の何分の一かを過ごしているわりには、まだ選挙に・・・。
いっぱいいっぱいです。
じゃあ、上の文の「い」を「お」に変えて言ってみましょうか。
おっぱいおっぱいです、と答えたそこのアナタ。アナタもやっぱり、いっぱいいっぱいですよ。
だって答えは、「おっぱおおっぱおです」なので。
そんなこんなで、ちょっと更新が不定期に。よろしゅう。
今日は、というよりは、今年は「うるう年」なので、2月のカレンダーには1日多く日付が設定されている。
ご存知、2月29日である。4年に一度なので、オリンピックが開催される年でもある。
ついこないだまで正月だったのにねぇと世間で囁かれるのとしたら、わりとこの時期あたりで、僕もカレンダーを見ていてちょっと驚いた。
明日はもう3月だ。光陰矢のごとし、Time flies like an arrow.
ウカウカしていられないので、キューが溜まっている諸々の予定を消化しておかないと、次回振り返った時には、ついこないだまで8月だったのにねぇなんて言いかねない。
A君が事情によって今回は見送りになっちゃうのは残念で致し方ない新年会を、いよいよ満を持して3月1日に開く予定だ。
新年会よりも新春会のほうがしっくりと要を得ているかも。
大学生時代、一緒にアルバイトをした仲間やその家族、合計7人が集り、渋谷道玄坂にある和食系居酒屋にて。炙り〆鯖を食べて焼酎を片手に。
2軒目には表参道に向かい、DJする予定ですよん。
距離感を保って価格以外の面で差別化を図らなくてはDSL事業のように価格競争に巻き込まれると、無料通話について懸念をしていたキャリア2社(KDDI DOCOMO)も、ついに家族間無料通話サービスをスタートさせる。エンドユーザにとっては好材料になりえる新サービスは、キャリアにとっては長期スパンで捉えると減収幅が膨大になるので実質の利益率が下降する。これは投機筋には懸念材料になりがちだ。
そのせいもあってキャリア3社とも株価が下がっている。(って僕は株とかしていないんだけど。ニュースで見ている感じでは)
auが家族間無料通話をスタートした時点で、かなり食指が動かされて、とうとう「バイバイキン、ドコモ」って言いそうになったのは僕だけじゃないだろう。しかし、追随する形でドコモも始める。
まだしばらくはドコモでいいか・・、そんな風な気持ちになるのと同時に、2年縛りの罠にどこかで引っ掛かっていないだろうか確認もしなくてはならない。
ケータイのキャリア変更を検討するときは<月ごとの月額料金>の差額で選択するよりは、<2年間で発生するトータルの月額料金>が3社間でどれだけ差が開いているか、そのへんに焦点を定めたほうがいいかもしれない。
目先の1ヶ月でお得でも、恐らくは2年縛りの契約になるので、2年間で考えると損しているかもしれないのだ。
しかし、こうなると、いよいよ自宅にある固定電話の使い道がなくなってくる。僕自身、いま住んでいる自分ところの固定電話番号はソラで言えない。馴染みが無さ過ぎて憶えていないのである。
ロシアでも「オレオレ詐欺」が流行っているみたいだ。
ロシアというと、KGBとかスパイとか秘密警察のイメージを勝手に持っちゃっているので、「オレオレ詐欺」も凄みがあるんだろうなぁなんて、つい想像してしまう。
「俺だスキー、俺だスキー、ママン2万ルーブル用意シェターニャ」なんて電話口で言っているんだろうか。
産経新聞のニュースに拠れば、被害総額は4千万円を超えているっていうから甚大である。
ロシアといえば、キャビアが有名だ。世界三大珍味のひとつであるキャビアを、銀座にある某料亭で何度か食べたことがある。丁寧な料理が好評の店で、静かに心行くまで食材を堪能できるのが気に入り、3年ぐらい前にちょくちょく行っていたのだ。
2万5千円のコース料理の中盤で登場した。何かの料理に添えてあったか、お酒のちょっとした口直しだったか。どうにか思い出そうにも、記憶が定かではない。
濃淡な灰色をしたキャビアは<黒い宝石>と称されるだけに、目の前に出されたキャビアも輝きを放っていたのは鮮明なほど記憶に残っている。ただ如何せん、当時はそれほど東京に置いていなかった「マヤンの呟き」で酩酊したり、若気の至りもあって、普段呑まないブランデーなんぞも呑んだりと、デタラメぶりを発揮して、有り難味も分からずに平らげてしまった。銀座には久しく行っていない。店も結構変わったんだろうか。まあ、それよりもやっぱり新橋のほうが気楽で居心地が良かったりする。
そして一度でいいから街頭インタビューってのを受けてみたい。赤っ恥をお茶の間にお披露目するのだ。植木等の「ニッポン無責任時代」を継承する形で。
月曜の夜、つまりは昨日の夜に表参道でDJをした。
原宿駅から歩いていると、街は土曜の顔とは違う、なんだか「経済が動いているぞ」という活気に満ちていて、そこはかとなく期待が漂っていた。
バーテンのIさんと駄洒落を言いあって盛り上がり、コック長のAさんに美味しい料理を教えてもらい、店を切り盛りしているOさんと静かに談笑するという、いつもながらの夜を迎えた。
巨峰のお酒にヨーグルトテイストのリキュールを合わせて、ジンジャーエールで割ったオリジナルドリンクをグビグビと呑んで、「果たしてこのあと回せるのか」と一抹の不安が過ぎったあたりに、「もしかして昔パーティにいませんでした?」と声が届いた。
どうやらお客さんの一人がパーティピープルで、それこそ96年頃のレインボーでお店を出していたらしい。
昔撮ったパーティの写真に僕が写っているなんて、なんとも偶然な物語だ。スピークイージーやらイクイノやらisnt'itやら懐かしい話題がゴロゴロ出てきたのである。
同じ戦場に赴いて、同じタコツボで戦火を潜ったであろう戦友に再会したような気持ちになり、とたんに楽しくなった。カナダから帰って来たというAちゃんは表参道にある事務所で外国人向けのフリーペーパーを作っているとか。
週末とはまた異なる、素敵な夜に乾杯。今日も回しますよん。
土曜日はひさびさのベイホール。
ROVOが繰り広げる最強にウンニョリした音で宇宙に飛ばされて、REE.Kが紡ぐミニマルな音で昂揚して、Dachamboのライブで昇天。
なんていうか、ベイホールの階段登って左側にトイレがあって、入口はいると左右に弧の字型に廊下が広がっていて、ちょこっと登るとステージが見渡せるあの感じ、やっぱり気持ちいい。
ほんとにひさびさのベイだったので、震えて鳥肌立ったよ。
近所に住むG君カップルやパーティ仲間に会えて盛り上がった。気がついたら目を閉じてフラフラとダンス。これぞまさしくフラダンス。さて、おあとがよろしいようで・・
アレゲな曲をリストアップ。246沿いにあった初期Pylon的なノリで。いまさらにコレクトしたのでけっこうドタバタしましたが、次週のお店で。
01.Boombastic
02.Hey D.J.
03.Regulate
04.Boom Shack-A-Lak
05.Come Baby Come
06.Boom Shake The Room
07.Fight For Your Right
08.How Gee
09.Jump Around
10.Do you wanna Get Funcy
11.Got To Be Real #1
12.I'll do For you
13.Got To Be Real #2
14.GoodyGoody
15.Hiphop Hooray
16.Really Into You
17.I'll Be Around
18.No Woman No Cry
モブログに幾つかの写真をアップしている通り、先日、箱根を訪れた。
富士の帰りに箱根に立ち寄ることを除けば、箱根のみを目的とした旅は高校3年の遠足以来だ。ロマンスカーに乗り(50000形の素晴らしさと言ったら、嗚呼)、箱根湯本駅に僅か1時間半で到着した。
箱根登山鉄道は箱根湯本駅から出ているので、おそらくは十数年前にも当駅を利用したはずだけれど、どういうことか、まったく記憶がない。
駅前にして温泉宿が立ち並ぶ光景は新鮮で、旅情感を奮わせる。
全国的知名度にして小田急新宿駅から1時間半の利便性。久しく敬遠していた箱根はあらためて訪れると、やはり最高である。
そこで、一緒に遊んでいる地獄酒場巡りの猛者たちと、パーティじゃなくて旅をしたいと、前々から思っていたので、ざっくりとこんなプランを練ってみた。
4月ぐらいをめどに実現したいものだ。
大ジョッキの焼酎が300円という酒場を巡り、千円でベロベロに酩酊する、俗に言う<千べろ>をこなせるバックパッカーならではの旅である。
===
▼プラン名
出張 地獄酒場「天国に一番近い酒場」
▼催行者
ライター、絵描き、DJ の3名ほか
▼今回の地獄
「かっぱ天国」
▼地獄のありか
箱根湯本駅徒歩1分
▼日程
○月○日~○月○日の一泊二日
▼旅費
1万2千円
職業柄の特殊な事情があって、必ずしも毎日仕事をしているわけではない友人がいる。
1ヶ月まるまる日曜日というスケジュールもあれば、土日なしの怒涛の1ヶ月を過ごしたりしている。一見、優雅そうに映るその生活スタイルは、いざ自らの身に差し迫ってくると、けっこう堪えるらしく、自分自身の予定表に飲まれないよう、徹底的な自己管理が大事なんだとか。
それでもやはり、平日の連休は他には変えられない特典があるようで、たとえば、ちょっとしたお出かけをしても、何処に行くにも道は空いているし、旅館は平日料金で、土日に泊まるのより半額近く安い上にサービスも行き届いているという。なんとも羨ましい話である。
誰の人生にも悩みがあるように、彼もまた迷える子羊の一人として、家業を継ぐかどうか決めかねている時期があった。友人は幾度となく一人暮らしをして、新天地で仕事を始めては「自分の人生の資質はどうなっているのか」と、そんなことを考え、行動に移していた。
この「考え→行動」までの決断力が、じつに絶妙のタイミングと決断力で、僕は思わず賛辞を呈した。
僕は行動へ移すまでの時間を徹底的に費やすタイプで、考えられる可能性を全て洗い出すのだけれども、彼はとりあえず動くというところから始める向きがある。
どちらも一長一短ではあるのは否めないにせよ、行動に移すまで時間を費やしすぎるのは、時として煮詰まりすぎてしまい、行動そのものが実現しきらない場合もある。
落語か何かで、著名な棋士があまりにも次の一手を考えすぎて、とうとう脳内で相手に詰められてしまい、一手も出さずに「参りました」と、駒を並べただけの状態で降参してしまったなんて笑い話があるけれど、まさにその状態に陥ることも拭いきれない。
「いいと思ったらすぐに動いてみる」
彼は笑いながら簡単に教えてくれた。でも、簡単なことこそ達成するのが難しいというのも、また真理である。
一つ学んだようだ。
去年の何月だったか、お気に入りのホームセンターで、観葉植物のポトスを購入した。
けっこうな大きさのポトスで、1500円。これが最近どうしてか元気がない。
葉っぱがシナシナとへたれるのだ。まるで全速力をしきって力果てたマラソン選手のようである。
ネットで調べてみると、根腐れをするから冬には水やりを抑えたほうがいいとアドバイスしてある。ここのところ元気がないので、思い切り水を与えてた。うーむ、またやってしまったのか。
日陰でも育つけれど、ちょっとは太陽に充てたほうがいいらしい。ちょっと窓際においてみよう。
ポトスに限らず植物は気持ちいい。そのうちココナッツが生い茂る南国あたりで過ごしたいものだ。刺激が少なすぎてボケるのも早そうだけれども。
自然環境問題へ意識の高い方々が、日常生活において注意を向け、また問題として捉えている対象に割り箸がある。
森林伐採の象徴的な生産物として槍玉に挙げられる割り箸は、国内生産に限れば、実際には環境破壊に結びつかない生産工程で仕上げられている。木材加工品を作る過程で生じた木屑で割り箸が作られるので、割り箸のために直接的に森林が伐採されることはない。
一方、輸入品となると、主に中国で生産されるが、割り箸のために森林が乱伐されて、直接的影響が計り知れない。
事実、割り箸のために森林が失われているともされている。
エコロジーの観念といえども、定着していなければ、日常生活上で表面化するのは好ましくないと僕は考えているので、割り箸のトピックスが端々に登場するたびに森林伐採のテーマに発展すると、やるせない気分になったりする。エコロジーの観念そのものが昇華して、エチケットでもマナーでもない、日常そのものとして成立する日があって欲しいと願っている。
自前の箸を持ち歩く、いわゆる<マイ箸>は僕の周りに実践している人が多くて、友人達は鞄に携帯して、居酒屋なんかでも使用している。
僕はエコロジーの方向から持ち歩くのは、エゴっぽくて厭らしいって、抵抗感を露わにして、地球のためになんてのは口が裂けても言えないのだけれども、割り箸の輸入品については、てんこ盛りの漂白剤や防カビ剤がぶち込まれている実態を知ってからは、出来れば<マイ箸>を使いたいと思うようになった。
僕が怖いと思うのは、コレは絶対に日本のモノだろうっていう物品が、実は海外製品だったりするのが最近怖い。
納豆なんてのは、日本で作られていると思っているし、線香だってそうである。もっといえば、ご祝儀袋だって日本で作られていると信じているし、日本酒や味噌や醤油や鰹節も同じだ。
でも近頃はそうじゃない。
こりゃ日本モノだろうっていうものが、ごくごく普通に海外で生産され、輸入されている。これまでにないスタンダードが身近に迫っている。
チョコレートが貰えるんだぜ!と、北九州の繁華街にある「とんがりくん」というお触りパブに一直線で向かった友人がいた。
それは単なる<ご指名確保作戦>なのでは・・・とは、彼の燃える眼を見る限りは伝えられなかった。翌日、彼は戦利品のチョコレートを見せてくれた。ロッテだか森永だかの既製品のチョコレート。
幾ら使ったのか訊ねてみると、胸を張り「3万ちょいだよ」と答えた。きっと不況ってのは経済学者が決めた戯言なんだろう。そんな風に思った。
そういえば、その年の2月14日も銀白の雪景色だったけ。
僕が好きな写真家の渡辺克巳。すでに他界されてしまった<流しの写真屋>と呼ばれた人である。
新宿の路上に佇む、愛すべき猥雑な連中を記録し続けた。
混沌とした時代を収めた彼の写真に残る人々は、みなイイ顔をしている。カメラを向けられるというのがそれほどカジュアルじゃなく、ちょっとした<ハレ>な行動であった時代が、ほんの少し前にはあったのだ。
だから彼らは一様に、カメラを向けられた緊張感が漂っている。そしてユーモラスだ。
あらためて注目を浴びている渡辺克巳の写真展が下記にて開催。
▼
会期 2008年2月9日~4月20日(日)
休館日:月曜日(2月11日は開館)
開館時間:11時より19時まで(毎週水曜日は21時まで延長)
入館料:大人 1000円 学生(25歳以下) 800円
※会期中何度でも入場できるパスポート制チケット
─詳細─
予備校時代の友人K-B君は、外食する時に高頻度で焼肉を食べるというし、実際にK-B君と遊ぶ時には焼肉屋を訪れるケースが多く、また彼が連れて行ってくれる店は食通だけあって、安い上にめちゃくちゃ旨い。一人焼肉もへっちゃらという彼ならではの厳選チョイスで毎回驚かされる。
僕は外食をするときは、旨い肉より旨い魚を探求したい傾向が20歳過ぎた頃からあるので(というのも、数年間は肉を食さない生活をしていた)、魚系のお店に足を運ぶ率が高い。
それでも半年に一度ぐらいのルーティンで<お肉モード>となったりして、自ら焼肉屋に行く。
肉の焼き方については一人につき一家言ある上に、店にもこだわりがあるようで、最終的には鉄板で焼くのが柔らかくて一番旨いという説と、やっぱり炭火で脂を落とす焼き方が理にかなっているんだよという説が、いまもなお入り乱れていて、どちらも座を譲らない。
個人的には見た目のワイルドさと野性味に惹かれて、炭火焼が一歩リードしている。真っ赤に轟々と炎をちらす炭火は、原始的な愉しみがあっていい。日常的な行動である<食事>に現われた太古を彷彿させる祝祭的装置は痺れる。
焼肉なので肉をジュウジュウと焼くのがメインテーマは言わずもがな、意外とハマるのがニンニクのホイル焼きである。
たっぷりとした香り豊かな胡麻油に、剥いたばかりのニンニクが丸ごと。アルミ皿に乗ったそれを弱火でじわりじわり暖めるのである。
あらかじめ塩を混ぜてもいいし、ほっこり焼きあがったあとでもいい。粗塩があればそれに越したことはない。
胡麻油が沸騰したあたりの、焦げ目が黄金色についたニンニクの滋味溢れる香ばしさは、秋にたわわと実る銀杏に通ずるとでも言おうか、濃厚なからすみの味わいに匹敵するとでも言おうか。
よく冷えた麦酒を片手に。
今月のDJスケジュールはこちら。
土曜日のレジデントで回します。
気持ちの良い音楽とともに、今月もまた、皆さんにお会いできることを楽しみにしております^^
++ Monthly schedule(20080205 update) ++
-->02月02日(土曜) 22:00~
-->02月09日(土曜) 22:00~
-->02月16日(土曜) 22:00~
-->02月23日(土曜) 22:00~(?)
僕は日々の出来事や所感が綴られた、いわゆる<日記>は公開されるべきではないと考えているので、よほどの場合を除いて、当ブログではその手の出来事に触れることはない。
そういった点から考察すると、このブログは記録としてはまるで価値がないものである。いってみれば、過去のログを見て、自分が何をしていたか追跡することは不可能な日記ということだ。
その上、特定日を除いて土日祝日にアップされることは、めったにない。土日祝日は、なんだかんだであんまり自宅に居ない。それらの日は記事すらないのである。
モブログでは土日祝日の出来事を断的ながらに載せているが、酔っ払っていたり電池がなかったり、その他諸所の事情で見送られたりしているので、掲載は毎度のことではない。以上の理由から記事は月~金に限定して載せるよう、俺マイルールな運用を作った。とりあえず、デタラメ進行なブログでも約束事を設けなくてはと考えたのだ。
それでもたまには、こんな記事を書いてみるのも新鮮でいいかもしれない。
===
02月02日
11時に起床。
昨晩、学生時代の友人と吉祥寺で呑みすぎたのでアタマが痛い。外を見ると晴れ。
ベランダ園芸と部屋の観葉植物に水を与えて、明日の節分に向けて豆を調達。ほとんど寝巻きの姿で目の前の八百屋に。年齢の数だけ豆を食べる慣わしなので、一袋39円という怪しい豆の原産地を念入りにチェック。うしろから「豆?豆?豆撒くの?」と囁き声が聞こえてくる。おかしな変質者かと思い、振り向かずに無視していたら、まだ「豆?豆?豆撒くの?」と言っているので振り返ると、近所に住むパーティ仲間のG君。八百屋の向かいのコインランドリーで洗濯中らしい。
国産だと分かり、節分の豆、果物、野菜、牛乳を購入。G君と立ち話。今日、下北に前売りチケットを買いに行くとか。23日のベイホールだ。Dachambo、Mayuriと、かなりくすぐられるメンツ。それよりなによりベイホールってのがねぇ。聖地である聖地。無条件にアッパーになれる箱だ。800人限定だし、行くとしたら前売り買ってからじゃないと。どうすんの?って訊ねられたけれど、「ちょっとまだ悩むわ」と返す。Wちゃんが朝ごはん作っているからとG君が家に帰ったので、僕も自分とこに帰る。
*
*
今宵はDJを控えているから、ケーブルテレビの旅チャンネルを点けながら音ネタを整理する。
こんなの買ったけ?というCDが4枚出てきて驚く。ステレオでざっくり確認。3分の2使えたらいいほうだ。戴きものの珈琲を淹れて、チェックを続ける。
平行して、肉弟君に貰った宮部みゆきをちょっとだけ読む。会社近くのタイ料理屋で、先週の木曜日に肉弟君と舌鼓を打ったのだ。読まず嫌いがあるとしたら僕にとっては、この作者である。なぜかいまだに読んだことがない。けっこう面白い。収集癖が再発しそうである。本棚は買い足したというのに、満杯だから困るものだ。
*
*
CD聴いているところにパーティ仲間のT君からメール。夕方ぐらいに呑まない?ってお誘い。
快諾する。
駅裏の焼きとん屋が知る人ぞ知る都内の名店なので、16時から串をつつく。
「そういや昨日の晩、M子たちから電話があってさー」と話したら、T君のところにも掛かってきたらしい。
ったく、酔っ払いどもめが。夜中にCATVでトムクルーズの映画を観ていたら、ケータイが鳴り、国分寺においでよと誘われたけれど断ったのだ。
どうせ二日酔いで苦しんでいるだろうとM子に電話。「アタマ痛すぎてさー。死にそうよ」ゲラゲラ。愛すべきパーティ&呑み仲間とはこのことである。
近々開催予定のY公園パーティに行くから宜しくねと、電話を切る。2軒目の焼酎バーは大したことがなかった。珍しい焼酎もないし、席料とお通し取られて、2人で3杯呑んで2700円。どうりで空いていたわけだ。お通しはありだけど、席料500円ってのはちょっと。焼酎出すんだったら、カジュアルじゃないとね。このご時勢、厳しいんじゃないかな。
*
*
20時過ぎたので表参道に。コース料理を食べている若者カップルが幾つか。ご年配の方がいらっしゃらないので、JAZZではなくテクノ寄りの構成にする。
T君も来てくれたし、トランスを選曲。
カウンターにMさんがいたので、ご挨拶。六本木のバーでバーテンをしている女性だ。クリスマスパーティ以来の再会。相変わらずお元気そうである。六本木のお客さんもいまから来るらしい。軽く名刺交換。
ミニマムテクノからBPMを上げて、ハルシノ、インフェクテッド、アストラル、X-DREAMとこってりとした<演歌>な選曲。踊りそうになるT君。DJしていて一番嬉しい瞬間だ。K君&Iさん登場。k君にバトンタッチ。「ピカデリア」からきっちり繋げてくれる。うーむ、すごい。
終始トランス&テクノ一色だったので最高。来週はお休み予定のところ、どうやらK君がビデオ録画、Oさんの知り合いのIM君がデジタルで保存してくれるということなので、参戦決定。画面にひっつかなくても大丈夫な予感。来週もこってり回します。
あと、K君から衝撃的ニュース。イエローが閉店だとか。またひとつ老舗の箱が消えるのか。表参道のDJ終わったあとにイエローに行く計画があるので、実行しないと。オルメカのテキーラトニック3杯飲んで撃沈。外は随分と寒い。明日は雪が降るらしい。
餃子を食って死に掛けるというのは、鉛筆握ったら鼻血が止まらなくなったというぐらい銀河が離れている出来事だ。
チラっとテレビを観てみると「食中毒」と軒並み伝えているけれど、意識不明に陥るのは、もはや「食中毒」のレベルを超えている。
先日、新宿二丁目にある業務用スーパーに食材を買出しに行ったので、何か危険そうなブツを買っちゃわなかったかなと考えてしまった。輸入に依存している国の国民としては、その依存に相応しい方法でサバイブしないといけないんだろうね。
これからは食品関連にとどまらず、生活していく上で何が起きても不思議じゃないっていう感覚を自分自身に実装させないとダメだ。
そのうち金魚が喋って目玉焼きで電話が出来る日が訪れるかもしれない。
荒唐無稽だけれど、餃子で死に掛けるんだから可能性はゼロとは言い切れない。
でも、まあ、まさかね。
あえて現実社会と仮想社会を、アナログとデジタルに区別して進めると、アナログ店舗のマーケティングには非常に色濃く<商圏>というものが重要視されるんだと思うようになってきた。
<商圏>というのは、平たく言うと、ある店舗を出店するときに、その店舗を中心点とした影響のある地理的環境である。商圏の性格によって、料金・雰囲気・店員など同スペックで出店したとしても、高円寺だったらピンとくるのに、吉祥寺だったら何だか閑古鳥みたいな状況が発生する。
オーナーにしてみれば、まさに死活問題である。
商圏分析で最もポピュラーで王道なのが、通行量調査だそうだ。ときどきグッドでウイルなバイト先から派遣された若者が、パイプ椅子に座ってカウンターをカチャカチャ鳴らして計測しているアレである。彼らは、これから出店されるだろうお店が必要とする店舗手前の通行傾向や駅の流入を計測しているのである。
年齢別・性別・職種別と多岐に渡り分類されて通行量は割り出される。その通行量の何パーセントが見込客として取り込むことができるかがキーワードだったりする。また取り込むべき対策が明確になるので、方向性を見出しやすい。
こんなことは僕がどうこういうのではなく、マーケティング会社がすでに指摘しているのだが、競合店の存在や宣伝効果による顧客を加味するまでもなく、<商圏>における通行量を分析するとき、その母数(つまりは総数)が大きくなくては話しにならない。
店を出してから軌道修正するとかではなく、原理原則にまで立ち戻ると、そういうところをおろそかにしてはいけないんだと思う。
プレゼンをしているとしばし「そもそも論」が登場するように、そもそもそんなところにお店を出すんじゃなかったっていう店が潰れちゃったりする。
去年の夏ぐらいに、こんな場所でおむすび屋さんを!?という無謀な出店がR246沿いにあった。
おにぎりは150円。道路に面しているので、家賃は35万超え(推測)。おむすびを何個売らないと元が取れるのか計算するまでもなく、ふと気がつくと2ヶ月弱で撤退していた。
何というか、ここまで達するとバクチみたいな世界である。
長年パーティ業界の境界線で明日なき沈没を続けていると、さまざまな人間模様にめぐり合わせたりする。
現実社会と上手に向き合えない連中はそれぞれ苦労をしているようで、アンプの中に小人が住んでいると数年信じているパーティ仲間の一人は、社会復帰が計算不能なレベルで程遠い状態だ。彼の口癖は「そうそう、いま聞こえてくる音って全部が全部、小人のしわざだかんね。超ヤバイよ、小人」で、やはり一般人として生活するには足りない部分がまだありそうである。
もう一人のパーティ仲間は、森羅万象のコミュニケーションを<ギブ アンド テイク>に差し替える性格が仇となって、孤立無援になってしまった。この人はガム一枚煙草1本も義理に換算しちゃうので、周りの連中のほとんどは、この人主眼だと<義理がない>と見なされてしまうのである。
当然、こんなのはパラノイアの兆候そのものだから、蓋を開けてみれば、ダチ連中は義理堅いし、ダチだからこそ<ギブ アンド テイク>なんていうミミズのハナクソみたいな戯言から離れた場所に構築されるべき関係だが、残念なことに「テイクばっかりしてんなよ」と順番に糾弾しまくるので、とうとう新旧のダチからスポイルされてしまった。
僕自身、こういう手合いには寛容的な方だが、さすがに「もう勝手にしてくれ」と離れてしまった。<ギブ アンド テイク>発想にウンザリしたのである。
一度だけパーティでひさびさに会って「これ呑む?」なんて酒を差し出されたりこそしても、「そういやさー、あんとき呑んだっしょ」と、ギブ発想を全開でされても面倒で厄介だと踏み、丁重にお断り申した。君子危うきに近寄らずである。
最近は、どういう道徳教育を受けてきたのだろうか疑問に思っちゃうぐらい、当たり前のことを力説する人が増えてきた。自分に酔っ払っているのでクチから飛び出す講釈も長々しているわけだが、意外と中身はありきたりで、尺を縮めると「自然は大事にしないといけない」だとか「仕事と趣味はどちらも大事で、それぞれバランスよく」だとか「誰とでも話すことが大切」やら「日本の文化に誇りを持とう」みたいな、<何をいまさら>という内容でしかない。
幼少時代にそういったことを大人や学校や家庭でしっかりと学んで大人の仲間入りするのが一般的だとしたら、彼らは、記憶が欠落しちゃったのかしらんが、今頃になって目覚めちゃったのである。
当の本人は「いいこと言っているっしょ」とシナプス解放で気持ちよさそうだけれど、案外と周りは面倒な気持ちでいっぱいだ。日本でそれをやって許されるのは現時点では永ちゃんだけである。
夕方17時を過ぎたのに、いつのまにやら日が沈むのが遅くなってきたようである。
冬の夕暮れは空が透き通っていて、気持ちいい。夏の夕暮れとは別の趣きがあるので、しばし呆けていた。給湯室から外を眺めてみると、まだまだ空は青く、夕焼けがうっすらと広がっていた。
どんなに仕事がサクサク進んだといえども、帰宅は18時を超えるので、ちょっと新鮮に映った。東京は軒並み「この冬一番」の寒さを記録しているけれど、お天道様の世界では冬が去ろうとしているようだ。
さて、2月からDJをしているお店の方向性が変わり、DJタイムは22時~の予定となります。今週の予定は以下の通りで修正です。今週土曜日はちょっと急な事情があってお休みです。
遊びに来ていただけるご予定だったみなさん、申し訳ございません。
メールをお送りしましたとおり、明日22時からお店で回しています。もし、明日のご都合に差し支えないようでしたら回していますので遊びに来て下さいまし。
++ Monthly schedule(20080111 re:update) ++
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:
01月26日(土曜)---20:00~
↓
01月25日(金曜)---22:00~
山梨県甲府盆地のやや身延に近いエリアに足を運ぶと、桃園があり葡萄畑があり、東日本屈指の果樹県なのだなぁと改めて感心するのと同時に、ラーメン屋やスナックや中華料理屋、焼肉屋などお店の規模・形態にこだわりなく看板に「無尽 承ります」と書かれているのを見つけることとなる。
都心部の人には馴染みのないこの無尽というのは、ほうとうや馬刺しと同じ郷土料理の一種というのではなく、古くから存在している民間金融システムのことを指している。特定地域以外では見かけないけれども歴史を紐解くと、すでに鎌倉時代には成立していて、いまも沖縄と山梨に現存している。頼母子講(たのもしこう)と呼ばれたりする。
運用面の側面としては、金融商品を発行するのではなく、閉じられた会員による運用となるので、土着の結びつきが強い。
土地ごとに区切られている<組>、学校などの所属、職業の多岐にわたり個人もしくは法人単位で<無尽>に所属し(一人一無尽とは限らない)、定期的に一律の金品を無尽に払い込む。
無尽は払い込まれた金品の総額もしくは一定額を引き出し、特定期日を設けて、くじ引きや入札形式で当選者や落札者に与える(とあるけれど、ほとんどが順番形式になっていて談合的な要素がある)。あるいは実際に金品を無尽自体で運用し、生じた利息を無尽に所属している者に対して給付する。
また特定日の給付に限らず、相互扶助という様相もあり、所属者への無担保による融資なども行われる。
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隣接した都道府県であるのに、東京ではまったく知られていないシステムである。先日、僕自身、たまたま無尽にスポット参戦する機会をいただいたので、同席したけれども、かなり独特のコミュニティで、職業的ギルドとはまた違った、かなりディープな世界だった。
現在催されている無尽は、上述した特徴はなく、無尽の所属者同士で積立をして、その積立額を活用して宴会をしたりしているらしい。ただ入札やくじ引きの面影は残っていて、必ずビンゴとか催し物が盛り込まれるようである。
だから土地柄、山梨は宴会の機会が圧倒的に多い。どんな店でも「無尽 承ります」と明記しているのが頷ける。
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無尽は、情報交換や親交を深めるきっかけとなるのと同時に、徹底的に閉じられたコミュニティを形成することになるので、談合の可能性を秘めてしまったり既得権益を手放さない原因となる側面もあり、他者を排除する社会構成になりがちである。
また政治家は票数確保のために多数の無尽に所属することから、金権政治だと揶揄されることがある。
なお、会社組織で無尽業を行う場合には「無尽業法」で制定されている。実際には、この無尽講が発展して、相互銀行となり、普通銀行化して、第2地銀となった。
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経済的効用が期待できる一方、徹底的な縁故共同体の成り立ちを助長しすぎるきらいがあるけれども、東京では面影がなくなったこのシステムを、時代に迎合した「ネオ無尽」として蘇らせるアイデアは悪くない気がする。
気心の知れた仲間同士内の運用であれば、容易であるし、旅行や宴会やイベント企画と多面的に活用でき、無尽が何かの触媒になりえるだろう。
ところで、山梨在住の県民の多くは、某消費者金融のサービス「むじん君」を見たとき、「無尽君」を思い浮かべたのが多数であったとか。
第2地銀に限らず、消費者金融には無尽から発展したものもある。
ヤキが回ったわけじゃないよ。たまには四つ打ち以外をね。
お気に入りのJ-POPを。
* SoulJa「ここにいるよ feat.青山テルマ」
去年の秋頃発売された、PVがめちゃくちゃ泣ける切ないJ-POP。
うっかりMTVでPVを観た日にはちょっと泣いてしまった。
言葉に出来ない気持ちを綴っている。これはめちゃくちゃいいよ。
【Youtube】
で、ここで終わらないのが、お気に入りの所以。
青山テルマからSoulJaへのアンサーソングが明日(2008年1月23日)に発売である。
これがまたメロウで切ない。やべーな、買うな、これ。
* 青山テルマ「そばにいるね feat.SoulJa」
【Youtube】
センター試験の時期となった。
大学入試の全国試験である。この受験の季節になると、必ず思い出すことがある。センター試験ではなくて、「センター試験の前日の夜」のことを。
僕は一浪して大学に入学しているので、センター試験は現役時代・浪人時代と二度受験した。よく憶えているのは現役時代のセンター試験だ。つまり高校3年の受験である。たしかセンター試験の頃は3学期が始まっても学校には通わなくてもよくて、それぞれ受験を目指すものは塾に通ったり図書館に通い詰めたりして合格を祈願して猛勉強に努めた。
中学校のダチ2人と同じ高校に進学したので、それぞれ目指す学部こそ違えど、受験も3人で図書館に通ったり塾に通ったりした。いまじゃ到底考えられないぐらいにマジメに毎日を過ごした。もしかしたら人生に占める<マジメ>という総量をそこで使い切ってしまったのかもしれない。
でもいくらマジメといっても血気盛んな十代には、なかなか辛いもので、「アレもだめ」とか「コレもいかん」と制約を受けると我慢ができないことだってある。
センター試験の直前だというのに「これ以上勉強したら俺が壊れる」と突然と同級生が言い放ち、二の句も継げないうちにもう一人が「俺もダメだ。我慢できない」と吐露した。
彼らが我慢できないというのは異性に関する問題で、運悪く、彼らは夏休み直後に彼女と別れたばかりだった。このままセンター試験を受けたってベストな結果が残せないから今夜中にスッキリしたほうがいいに決まっている、というのである。
センター試験の直前日に性的にスッキリした受験生が合格できるなんて思えないし、一体この人たちは試験中に何を考えているんだろうと疑問が沸いたうえに、彼らほど僕はスッキリしなくても差し支えがなかったわけだが、2人揃って「俺達は言ってみれば同じ船に乗った仲間でありライバルだ。陸に辿り着くときも一緒であれば沈むときも一緒ではなくてはならない」と僕を非難した。
なので仕方なしに21時ごろ、チャリを飛ばして3人揃って歌舞伎町にまで向かった。もしかして何かあったら困るので、一応僕もお金を持っていった。さくら通りの角にチャリを止めて、まるで模試を解くかのように鋭い視線をピンキーな看板に巡らせる友人を見て、改めて彼らは本気なんだと思った。
風林会館近くのピンサロがどうやら値段といい女子の揃いっぷりといい、手ごろだと分かったらしく、いよいよ店の前で相談会をした。
戦闘機に乗り込むパイロットのように決意した友人と、待機する僕とで別れた。
やっぱし僕としては明日に試験を控えているし、そもそもエロい気分じゃないので、この「歌舞伎町すっきりツアー」に賛同しがたいので、店の近くのロッテリアで待機したのである。
まあ、コンディションは悪くないし、これで友人の気分がよくなって勢いづいてセンター試験に挑めればそれに越したことはない。ロッテリアのフライドポテトを食べつつだらしなく待っていたら友人が帰って来た。
ガッツポーズのひとつでもするかと思いきや、随分と曇り顔だ。途端に嫌な予感がした。
開口一番「ボラれたよ」と言い、肩を落とした。やっぱり、である。
聞けば、表の写真に載っているピチピチの女子は一人も現われず、中年のおばさんが現われて、自分の右手を取ったかと思えば、胸を無理やり揉ませて「ハイ一万円」と告げたそうだ。きっと僕だったらトラウマになるだろう。しかも胸を見るとなると、追加で1万円。完全にぼったくりだし、おばさんのおっぱいを楽しむ年頃でもない。友人は泣く泣く1万を払い脱出したらしい。
「やっぱし行かなくて良かったー」と安心するも束の間、もう一人が帰ってこないじゃないか。「やべー、ヤクザにやられちゃったのかな」なんて二人で心配していたら、やはり同じようにうな垂れて帰って来た。だが、まんざらでもなさそうだ。もしかしてこっちはぼったくりじゃなかったか?
どんな結果だったのかドキドキしながら反応を待ってみると、一言、「せっかくだからさらに1万払って片チチ見てきたよ」と殊勲に答えた。
コイツとこれからも友達として付き合っていっていいのだろうか。本気で悩んだ。
そしてその年、僕らはセンター試験で玉砕した。
そんなわけで、この季節になるといつも思い出す。歌舞伎町の夜を。あの<歌舞伎町では片チチ見ただけで2万円>という若い夜を。
自分の右脳と左脳どちらがどう機能しているのか、そんなことを時々考える。だいたいが寝る前だとかお風呂に入っている時だとか電車が空いているときなんかに。結局どっちだどうなのかと分からないままに、また別のことに思い連ねてしまうので、単なる暇つぶしなんだろうと思う。
バーで一人で過ごす時、ケータイを弄くるのは味気ないし、そもそも弄くる理由もない。でもなんとなく手持ち無沙汰だ。煙草なんて吸えりゃいいけれど、僕は愛煙家じゃないのでことさら困り果ててしまう。
そんな夜に、こんなパズルがあったらグラス片手にゆったりと時間を過ごせていいなって思う。対象年齢6歳以上で右脳が鍛えられるという触れ込み。木製のパズルだからバーカウンターにもしっくりする。シンプルだけれど奥深い。こういう一人で遊べるゲームは案外カウンターで重宝するものである。
お酒を絶ったと大々的に宣言をしたというのに、さすが、持つべきものは友人である。そんなのは聞き間違えだったと言わんばかりに「いまから呑もうよ」とか「これからディファ攻めようよ」と全員が異口同音に悪魔の囁きをしてくれた。
あやうくこちらも舌の根も乾かぬうちにうっかりと「よっしゃ。朝までいっちゃいますか」なんて応じてしまいそうになった。昨年末、健康診断を迎えるにあたり、いい数字が取れるよう、一夜漬け方式を採用して一ヶ月を健康体で過ごしてみたのである。
志半ばで、何度か家から徒歩2分の激うま焼きとん屋で酩酊したのも事実だし、あやうくアンダーワールドのイベントでドーピングしそうになったのも本当だけれども、イチローの出塁率ほどは健闘したので、自分にしてはよくやったと手放しで褒めてあげたい。
誰かと遊んでしまえばすぐに暖簾をくぐり呑んでしまうので、まるで隠匿者のように人目を避けて生活していた。健康体になるためには人間関係までもを変化させざるを得ない。この事実を目の当たりにした時はたしかに驚いた。ライフスタイルがいつのまにやら変わっていたのである。
なにせ、ほんのちょっと前まではお酒を呑まないで遊んでいたんだよね。いまと変わらずに盛り上がっていたし。その頃僕は一体何を呑んでいたんだろう?
さて肝心の健康診断の結果は、GOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)が昨年の35から18に下がった。10~40というのが基準値なので、なかなか好成績である。判定はA判定。
身体って、つくづく正直だ。
早いものであっという間に今年で一周年を迎える表参道のお店。ショットバーとしてスタートしたのちは、夏ごろからフードも充実してきた。
お酒だけではなく、料理も音楽も楽しめる隠れ家的ダイニングバーだ。
知り合いがお店のオーナーという縁で、まったくの初心者だというのに週末に回すのをお誘いしていただき、身に余る光栄である。遊びに来てくれたみんなに感謝。誰かが来てくれるだけでテンションあがります。これからもよろしく。
そして、当ブログをお読みいただいている方で、もしご興味がありましたら、ぜひこの機会にお気軽にいらっしゃってください。大歓迎です。面識ないし、気が引ける・・・なんて人はこっそりと遊びにきちゃってください。お酒でも食事でもどちらでもカジュアルにお過ごしいただけます。
あと、基本的に土曜日はお店で回していますが、夕方ぐらいから串をつついていたりと酔っ払って登場する場合もなきにしもあらずなので─店に居た記憶がまるでないなんて週末もあったり─お越しの際には下記連絡先宛てにお知らせいただけましたら幸いです(そのときはちゃんとシラフで登場します)。もしくは「よし、ここはひとつ突然行って驚かしてみよう」なんていうゲリラ的ご来店も大歓迎です。
それではお店で皆様にお会いできるのを楽しみに、週末の土曜日を気持ちよく過ごしていただける心地よい音楽をご用意してお待ちいたしております。
++ Monthly schedule(20080111update) ++
01月05日(土曜)---Off(Bar's fixed holiday)
01月12日(土曜)---20:00~
01月19日(土曜)---Off(?18日金曜にもしかしたら回すかも?)
01月26日(土曜)---20:00~

今月、およそ1年ぶりに山梨に帰省する。
僕は生まれも育ちも東京で、夏休みや冬休みに預けられていただけだから、山梨といっても実際には<帰省>という定義に当てはまらないのに、物心ついた時点から自分の皮膚感覚として山梨は「帰る場所」と捉えている。
慣れ親しんだ風景の中に身を置くだけで心が安らぐのだ。
甲府駅からさらに内陸部に位置するので、交通の便が芳しくないという理由から今回も高速バスで向かう予定だ。
2日間の滞在。往復で4400円は、まあ悪くはない。
日頃から高速バスの旅というのは最も一人旅に向いている移動手段ではないだろうかと僕は思っていて、電車のそれに比べると格段と自分の世界と旅情に浸れる向きがある。ウォークマンと、文庫本もしくは雑誌。
少ないけれどたったこれだけのアイテムがあるだけでグッと旅が親密になる。バスの停留場近くにドトールかスターバックスがあれば乗りがけにテイクアウトするのも一興だ。窓側席が確保できれば申し分ない。
一般車両と比べて車高が高いので、普段見慣れているはずの景色でも、何だか特別に映るのが醍醐味である。車窓を流れる景色を愉しみつつ目的地に進み、高速道路に入るころにはうつらうつらと居眠りをしてしまう。
今月の帰省については、タイトな滞在期間もさながら、親戚関係の行事に参加をするので、日中はプライベートな時間がなかなか取れそうにない。
ただ、近所の酒造がオリジナルのワインを醸成して販売しているので、ボトルを何本か購入する時間だけは確保したい。これが結構旨いのである。
ヤリチン。
しばし耳にするけれど、なんて節操のない言葉なのだろう。
一男一女でシーソーゲームをしている市場に現われるトリックスター。股のあいだに暴れん坊将軍を携えている男の称号。ハメたもん勝ちの思想。
異性にはとんでもなく疎まれたり蔑まされたりするのに、不思議と同性からは絶対的な賞賛を浴び、羨ましがられる。
それがヤリチンというもの。
僕の知り合いの何人かは、ヤリチン傾向があって、それぞれ素性も年齢も異なるのだけれど、観察してみると彼ら特有の美学があるのだと最近気がついた。
それは「たとえ負けると分かっている試合でも<とりあえず>挑んでみる」精神だ。
ぜってー無理でしょっていう逸材に対してガチで勝負しようとする心意気。
彼らは逃さない。たとえその勝負に未曾有のリスクが潜んでいようとも決して臆さず果敢に挑むのだ。
そして、その勝負には途中敗退はありえない。勇者である彼らは「揉むところまではいけたのに」みたいな気弱な発言を絶対にしない。
インドのローカルな雑貨屋で売っているお菓子が、糖尿病になるぐらい甘いか、食った瞬間ゲロしそうにマズイかの二種類の味しか存在しないのとおんなじで、彼らの試合も結果として、まったく相手にされなかったか、きちんとハメたかの二つしかない。
オールオアナッシングである。
ヤリチン思想には難を示す僕だけれども、彼らの勝負に対するスピリッツはいつも感服する。
男として生まれたからには、どうせ負けるなら僅差で涙を飲むのではなく109対0で「悔しいです」と男泣きするという信条。
そういった面では非常に憧れる。
*
*
でもこれは同じ土俵での試合が基本だからこそ頷ける武士道であって、違う土俵となるとそうはいかない。まったく別モノのジャンルだというのに戦わなくてはいけない場合。
茶道部の生徒がなぜか甲子園を目指し、そして敗退してしまった時に同じ気持ちでいられるであろうか。いられるわけがない。
昨日まで茶こしを手にしていたのになぜかグローブである。負けるはずだ。涙も枯れるだろう。
でも時として人にはそんな試合に挑戦しなくてはいけないこともある。
たとえ土俵が違うんだと分かっていても。絶対に勝てないって最初から知っていたとしても。
そしてそんな名勝負だからこそ発せられた敗者の言葉というのがある。人生勝ち負けだとしたら、こんなセリフを吐いて負けていきたい。
*
*
映画の都ハリウッド。
古今東西、銀幕で華やかにデビューすることを夢見て男子はお尻で笛が吹けるように、女子はおっぱいで拍手が出来るように努力をしなくてはいけない街。
そのハリウッドでトップを走り続ける男優ラッセル・ク☆ウは、ハリウッドのヤリチンとして名高い。名声ここにありきという振る舞いらしい。
共演した女優を片っぱしからベッドインするヤリチンぶりだ。
比較すること自体はばかられるのだけれどハリウッド俳優の彼もまた、上述したヤリチン特有の気質をふんだんに持ち合わせた人物で、つまりは、ぜってー無理でしょっていう逸材に対してガチで勝負しようとする。
でもそこはハリウッド。市井の人には醸し出せないワンランク以上もハイクラスな名試合を残している。
*
*
カムアウトするしないの以前に、公然の秘密という名のもとに3億人ぐらいがすでに知っていたジョディ・フォ☆ターのレズビアンネタというのがある。噂とか都市伝説とかいうレベルをすっ飛ばして、みんなが知っている暗黙の了解ってやつだ。ハリウッド界隈では、ひよっこエキストラでもご存知な周知の事実である。
こんな非の打ちどころのない鉄のカーテン状態であるオアシスを目指し、共演女優を喰うことで名高いラッセル・ク☆ウは、ヤリチン界のトップセールスマンとして、その事実を知っている上で無茶を承知にジョディにアタックし、そして散った。
讃嘆を捧げられるとすれば、彼のような挑戦者に対して捧げられるのだろう。
しかしただ負けたばかりでは、生き馬の目を抜く銀幕世界ではサバイブしていけない。
俺はスポっとハメるのが商売なんだぜと言ったか、スポットライトを浴びるのが商売なんだぜと言ったかどうかは定かでないにしろ、股間にはさわれなかったとしても沽券にはかかわるのだ。
だから彼は果敢にも試合に挑んだ者として、ある言葉を後日友人に残した。
「彼女はプレイするリーグが違う」
トップ オブ ヤリチンだからこそ放てるこの負けセリフ。109対0で負けるよりも重みのある言葉。悔しさなんてどこ吹く風。
行ったこともないハリウッドがグッと近づいた気がした。
僕も何かに負けたとき「プレイするリーグが違った」と言葉を残して退場したい。
「おじいちゃん、おじいちゃん、あけましておめでとう。はやくお年玉ちょうだい」
「おやおや、あけま・・。バ、バカモノ。何を言っているのじゃ。まだ12月だから明けてなんかおらんじゃないか。これから大晦日を迎えるのじゃ。お年玉はまだお預けじゃよ、孫よ」
「えー、いいじゃん。もう、おじいちゃんのケチ!」
「おじいちゃんのケツ?おじいちゃんはお尻なんぞ出しておらんぞ」
「ちがうよ。おじいちゃん・・。そうそう、ねえ、おじいちゃん、教えて欲しいんだけど、なんで大晦日になると除夜の鐘を叩くの?」
「むふふ。なんでもおじいちゃんに聞いてごらん。おじいちゃんは物知りなのじゃよ。除夜の鐘かい。ありゃ、百八つあるという人間の煩悩を解くためにお寺で叩かれるのじゃよ」
「わぁっ、おじいちゃんすごーい。ほんとなんでも知っているんだね。おじいちゃん煩悩ってなに?お茶とか乗せるやつのことなの?」
「孫よ、そりゃ煩悩ではなくてお盆じゃよ。ちなみに漫才ブームに一世風靡したのといえばザ・ぼんちじゃよ。おさむちゃんで~すと舞台で言っただけで客席がドッと沸いてじゃな、そりゃもうあの時ばかりはこのワシも・・・。ゴホン、ぼ、煩悩じゃったな。つまりじゃな、人間が持つ欲望や苦悩は百八つあってじゃな、そういった欲を解き放ってくれる有り難い鐘なのじゃ。鐘が一つ突かれるごとに人々は仏様に近づけるのだよ。みんなで集まって感謝をして祝うのじゃ」
「そっかー。とっても偉いんだね、除夜の鐘って。だから隣の家のお姉ちゃんとこは、毎年31日に男の人がやってきて百八回アンアンッて大きな声で喜んでいるんだね」
ゴォーーン。
それでは良い年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
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新島「キャンプイン」
毎年GWに訪れている新島のキャンプ場は、知る人ぞ知る90年代初頭のゴアのような雰囲気。夜な夜なパーティをして盛り上がり、焚き火をして太鼓を叩き、ハンモックでうたた寝をする。朝日が昇れば自転車をこいで丘の上に眺めに行って、日が沈めばサンセットを堪能する。露天風呂と魚と旅人やサーファー。最高のバイブレーションがある。今年もいい仲間に出会えた。みんな全国各地に散らばっているけど、来年もまた会えるよね。
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神奈川某所「シークレットビーチ」
毎年訪れる神奈川某所のシークレットビーチは今年も健在。魚の大群と心行くまで戯れることが出来るポイントはまさに秘境。近くに温泉もあるし、人ごみを避けて泳げるし、申し分ない。帰りがけに食べる刺身の旨さといったら天国である。磯がプールみたいになっているから流される心配もゼロ。
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伊豆「廃墟パーティ」
伊豆のスカイラインにある某廃墟で開催されたパーティ。標高はかなり高く、外から眺めると満月の下でデコレーションが要塞のように光を放っていて、たどり着いたときは鳥肌が立った。目がチクチクするほどの眩しい芝生がフロア。空を見上げると、月が踊っている僕らを照らし、廃墟の塔から眺める太平洋と朝日で涙が出そうになる。<何がパーティに必要なのか>が明確に理解できたターニングポイントなイベントでもあった。ほんっと、ひっさびさに最高のパーティだった。
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北九州「サマー出張」
7月と9月の2回にわたり、新規プロジェクト立ち上げとして北九州を単身で訪れる。宿泊地は黒崎駅近く。7月の出張は連日の宴会。酔っ払いすぎて記憶という記憶がない。9月は2週間ばかりの滞在だったので、離島の民宿に泊まったり、皿倉山を探検したり、仕事もこなして遊びもこなせた。もちろんご他聞に洩れず連日の宴会。時間を割いて遊んでくれたみんなありがとね。すげー楽しかった。九州にぞっこんです。
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一ノ蔵「すず音」
瓶内二次発酵をさせた微炭酸が斬新な、シャンパンのような純米酒。今年一番のお気に入りアルコール。キリリと冷やして呑むスタイルがベスト。シュワシュワと炭酸が口当たり良すぎる日本酒だ。涼しげな香りもグー。日本酒が苦手な人すら、すず音の爽やかなテイストは虜にするだろう。非常にデリケートなお酒なだけに、置いているところもレアで1杯700円~900円するけれど、見つけたらぜひ呑んで欲しい。
*
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幕張メッセ「アンダーワールド」
今年のデカ箱イベントといえば、これ。Underworld,The Orbなど90年代を代表する UKテクノの大御所が日本に来るといえば黙っていられない。96年(97年だったけ?)のRainbow2000で初めて見たUnderworldが最高だったけれど、あれは野外だから、今回は箱で体験。ど演歌「Born Slippy」が流れた瞬間、昇天。ご存知、映画「トレインスポッティング」の名曲。90年代の焦燥がそこにある。泣けるよね。
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国分寺「トランスバー」
今年の1月2月ごろに頻繁に通っていた国分寺にあるDJバー。土曜はトランスで盛り上がっている。多摩地区のヒッピー達は独特のオーラを醸し出しているので、踊っていて飽きない。転がるように近くの白木屋になだれ込んで吐いたり記憶を飛ばしたりしていたっけ。DJ始めてからめっきり行く機会が少なくなったのが残念。
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映画「戦場のメリークリスマス」
1983年に公開された映画である。加入したCATVで放映していたので久々に観た。何年ぶりだろう?監督は大島渚。題名からして年末に公開されたのかと思いきや、意外にも初公開は初夏の5月だったらしい。ビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイが出演者として名を連ね、流れていた音楽「戦メリ」は後世に継がれていく映画音楽としてはあまりにも有名。昔はそれほど自分に響いてこなかったラストシーンは、改めてみると身震いするほど感動した。いや、感動というよりは自分の芯ごとグワンと持ってかれた感じ。たけし演じるハラ軍曹の清清しくも切ない笑顔に涙した。
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菜園生活「ベランダ園芸部」
日当たり良好な家という理由で、去年バジルと紫蘇を育てたベランダ園芸は、今年はバジルと紫蘇と唐辛子をベランダで育て、屋上でラディッシュと胡瓜とトマトを育てた。夏の間はずっとムシャムシャ食べていた。近い将来、田舎での生活を考えているので、いい足がかり。来年も育てますよ。
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カメラ「smena8」
トイカメラの宝庫といえばロシア。LOMOはトイカメを代表するブランドであり、いまも独特のチープな感覚が世界中の愛好者を虜にしている。LC-Aも有名だけれど、smena8のソリッドな映り込みがかなり好きだ。ブラックタイプのデットストックが1万円近くで放出されていたので確保した。冬休みに一気に写真を撮りたいな。
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そんなこんなで、来年もフロンティア精神で。
先日、それこそ10年来で原宿の裏通りを歩いてみた。
神宮前の方面に抜ける裏道は、僕の記憶では─詰まらないといったら語弊があるので、あえて特徴がないと表現すると─原宿の表通りとはおよそ隔たりの在る閑静な住宅街だったと憶えている。
それが先日散策してみたら、次々とこじんまりしたショップが増えているのである。さすがに驚いた。
街自身が増殖するという現象は大小のスパンで目撃される現象であるが、まさか自分が目撃者になろうとは思わなかった。
竹やぶに囲まれた雰囲気のあるお好み焼き屋や、ツリーハウスのカフェ、そしてLotusをイメージしたオリジナルジュエリーの店など、ちょっと歩いただけで貴重な発見があった。
くだんのジュエリーショップは店名を失念したのが残念だ。60年代ヒッピーの生き残りのようなおじさんが構えている店であったので、かなりそそられる。
住宅と住宅の僅かな隙間に存在する板張りのカフェなんてのは、街が増殖する過程とともに増えて欲しいものである。
師走が近づくと、日々の生活をひたすら忘却し続ける自分のような人間でも、とたんに一年を振り返ったりしてしまうから薄気味悪い。菩提樹の下で涅槃の境地に達したゴーダマ・シッダルタのごときである。
しまいには思い出さなくてもいい記憶までうっかり掘り当ててしまい、盗んだバイクで走り出すセンチメンタルジャーニーをしでかしそうになる。
7月から8月に暦が変わるのと、12月から1月に変わるのは、同じ暦が変わるのでも明らかに後者のほうがダイナミズムだ。
来年のことをいうと鬼が笑うから今年一年について総括すると、フィジカル面では体力が落ちた。
「ルールは破ってもマナーは守る」をモットーに掲げてイベントに繰り出し、「健全な肉体には不健全な遊び心が宿る」を宣誓し続けて、いままで遊んできたのだから、そいつはいかん。早急にサンタさんに鉄アレイをお願いしないといけない。
夢についてはどうだろう?
明確な夢があり漠然とした夢があり、夢にもさまざまがあるけれど、夢というのを「知的行動を規範とした、抽象化している希望を具現するための到達地点」と勝手にデッチ上げると、要するに夢というのは「叶えたいと願う目標」のことである。
さて、一年を振り返って夢は叶えられたか。
前述したように、夢にはさまざまな夢がある。でも共通しているのは一つで、シビアと捉えられたらそれまでだけど、食べ物に賞味期限があるように、夢にも期限がある。
僕はそんな風に薄々思っている。キモいポジティブシンキングみたいだから、こんなこと書くのは柄でもないのを承知で書くと、「夢は達成するのに相応しい時期があるので、その時期を過ぎないように頑張るのが望ましい」のである。うーん、キモいなぁ。EDになりそうだ。
何はともあれ、もし自分の中で夢の賞味期限を偽装してラベルを貼りかえたりしていたら、ウッカリそれを食べて腹を壊さないように心がけたい。
年内中に1レシピでもかまわないので、カクテルレシピを習得しようと思っている。シェイカーを振るカクテルから覚えようと思う。
自分がお客さんとしてカウンターに座ったとき、レストランバーのDJブースでシェイクしたカクテルが現われたら楽しいだろうなって感じたのがきっかけだ。
友人達が時折お店に遊びに来てくれるので、彼らに振舞いたいという理由も大きい。習得したら、来てくださるお客様に応じてカクテルを出してみたい。
先週末にそんな話をマスターとオーナーに話したらokしてくれたので、さっそく、今週末に練習である。
当面は自分でシェイクして自分で飲んで確かめるパターンになるだろうけれど、またとない習得の機会は縁だと思っているので頑張っていこう。楽しみだ。
インドのバジ屋で、バジの代わりに酒が売られたら、きっとこういうお店なんだろうなっていう、ひどくて最低な雰囲気(褒め言葉)の酒場がある。
震度3で倒壊しそうな非日本的な様相、居座っている客もすべて規格外なお店だ。我々の間では最終酒場と命名されていて、まさその名に相応しく「どこにも行くとこねー」っていう夜にピッタリなのである。
大ジョッキになみなみと注いである焼酎割りは、1杯300円という格安さ。二日経っていないというのに、呑んでいるさなかから頭痛がしてくる凶悪っぷり。
先日も最終酒場で、とりとめもない会話をして、だらしなくヘラヘラ笑っていたら、いつになく「金曜出発夢のバンコックツアー」計画がでてきた。
4日間のタイトなスケジュールでタイを訪れる夢物語だ。もちろん観光なんてしない。ワットポーなんつうのは5千回くらい観ているし、チャオプラヤ川の屋形船なんて1万回ぐらい経験している猛者どもなので、中心はクラブ巡りと屋台と酒になる。
日程は、金曜日と月曜日に年休をブチ込めば、4日間確保できる。金曜発のバンコク行き格安チケットは34000円~があるので、これを使うのだ。でもイキナリ金曜日に遊びに出かけて6万円とか持ち出すのは、人それぞれ事情があるから難しいので、出所金は積立貯金をする。
例えば、毎月3回にパーティにでも行けば、じつは、一晩でこんくらいのお金はかかっている。
チケット---5千円ぐらい
お酒---4千円ぐらい
交通費---2千円ぐらい
マツモトキヨシ的アイテム---プライスレス
箱で1万ぐらい使っちゃうので、これが野外パーティとなれば、ご飯を作ったりやら温泉入ったりやら高速乗ったりやらで、倍以上を使う。
そのお金をグっと堪えて、3回のところを1回に抑える努力をするのだ。高円寺やら阿佐ヶ谷で記憶が消し飛ぶぐらい痛飲する週末を、4回のところを3回に抑えたりするのだ。そうすると毎月、積立貯金ができるようになる。
あるいは僕の友人は1日に煙草を2箱吸うという。1箱300円なので、月計算すると、毎月18000円は煙草代として消えている。それを1箱にすれば<300円 ×30日 = 9千円>の積立が可能だ。
とまあ、ヤニ代300円レベルとまで窃窮しなくとも、1日250円(ドトールでカフェラテMを飲む程度。ちなみにカフェラテMは260円)を積み立てられるように頑張れば<250円 ×30日 = 7千5百円>が得られる。
半年で4万5千円だ。
金曜日に成田へ向かい、ドンムアン空港までひとっ飛び。手っ取り早い拠点ということで、カオサンを目指す。長旅じゃないので、水シャワーは辛い。
80B(320円)のドミとは縁を切りたいのだ。中級でホットシャワーが出るゲストハウスに泊まる。
昼間から酒を呑み、夜は世界遺産への登録は永遠に不可能なパッポンに繰り出す。
夜通し踊り狂い、朝になったら、そこらへんのトゥクトゥクを捕まえてカオサンへ戻り、セブン前の早朝限定屋台で朝粥をすする。シャワーを浴びて、タイマッサージで疲れをほぐす。
悪くはない遊び方だ。さあ、250円握り締めて貯金をしようではないか。
勤めている会社が所属している健康組合で運営している健康診断を受診した。
会議での外出を別にして、職業柄、夕方18時までは幽閉されている身としては、14時のお散歩は格別だった。会社から遠い病院は面倒くさいので、隣駅の病院で診察を受けて3,4年になる。
大抵の健康診断と同様に、まずは検尿だ。
検尿というのは、どうしてか後ろめたい気持ちになる。自分の情熱をそげ落とされるような気持ちだ。天狗になっている新入社員に困っている上司は、その部下に1週間ほど検尿するように命じるといいかもしれない。翌週には人間そのものが落ち着いて丸くなっていると思う。
検尿は小さな紙コップにめがけて用を足すわけだけれど、ふと思ったのが、女子はどうしているんだろうかという疑問。
男子はご存知のように、発射口における身体の構造が鉄砲のようであるので、紙コップを目指しやすい。
一方、女子は身体の構造が異なるわけだから、難しいじゃないだろうか。詳細は闇の中というほどの大袈裟ではないにしろ、誰にも聞いたことないので、もし自分が女子だったら、検尿を迎えるにあたって練習が必要かもしれないなぁなんて考えていたら、「紙コップの50のところまで入れてくださいね」って言われていたのに70という数字が見えて慌てた。