順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
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仕事「異動」
年末恒例のこの「俺マイTop10」に仕事ネタがついぞ定番になるだなんて全くヤキが回ったなぁ(やれやれ)と、諸行無常の響きと光陰矢のごとしを足して2で割る師走に、えっと書き出そう。まずは8月の異動のこと。現企業で歯車のように働くきっかけになった仕事とは離れ ─信じられないかもしれないけれど異動通達は3分で選択の余地なんてなかった─ より企画を深く掘り、より折衝をする仕事に就いた。飛ばされた理由は「人と人を纏めるのが上手くて、わりと度胸があるから」とのこと。何処かで聞かされたような評価を猛暑の真っ盛りに齧り、某省庁に行ったりの仕事でもあるので、背広なんてのも買いつつ。営業じゃないけれども全国飛びまわれるのは旅人魂を持つ者として嬉しかったり。三ヶ月で京都に2回、名古屋1回、大阪1回、四国1回、広島1回と行って参りました。殆どが日帰りでも異動に不満はないですよ。とまあ、残業の毎日です。
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Apple「iPad」
きっと背景をご存じない方からしてみたら奇妙に映るんだろう、iPhoneが2台あり携帯が1台あるというのは。それだけではなく、ついにiPadまで持つことに。たしかにこりゃ便利で、特にこちとら新幹線で東西を駆け巡る身分。資料を見ることも出来るし、SNSもできるし、メールも書けるので、あればあったで便利な代物。そして、cueplayDJという、Appでは高価なほうの1300円もするDJアプリがインストールできたのが楽しい。iPhoneでも使えないこともないが、画面の大きさを勘案すると、こっちがリードしているのだ。Wi-Fi環境がないとモニタができないのは致命的とはいえ、これで即効のDJはできるし、今年はクリスマスのCDをこれで作ったりしたのだ。役得ですよ、役得。
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仕事「ユニオン」
業務歴は長いけれども社員歴は大卒並みなのに、どういう風の吹き回しか、数千人の代表メンバ二十数名の一人に選ばれて、毎週火曜日は19時から会議をしたりしております・・・というのが去年の書き出しで、今年もこちらに携わっております。書記局長という肩書きが僕で、ちょっとコンサルの資格を取るので毎週火曜と木曜は夜に学校へ通っているので、しばらく会議はお休みしているつつも、今年は会議外の交渉事も覗かせてもらったり愉しくて、やはり数千人の代表というのは使命感もあり充実しております。なによりも仲間と先輩と後輩に恵まれているので、いつも勉強になる。労組の中央執行を非専業でやったことがある人は解ると思う、この辛いけれども愉しいという相反する気持ちが。
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日本三景「松島厳島天の橋立」
日本三景といえば、これです。なんと3週連続で制覇しちゃいました。件のユニオンで行ったというミラクル。松島で牡蠣を食べて、厳島でやっぱり牡蠣を食べて、天の橋立で浅利を食べてという貝尽くし。松島は満月だったので、夜のナイトクルージングが幻想的すぎて夢のような世界だったし、厳島は高校の修学旅行以来なのにすっかり忘れていることばかりで、まるで初めての場所のように訪れたし(修学旅行のときの船の記憶がまるでなし)、天の橋立はその遠くっぷりにドラクエのような浪漫を感じたし、何よりも三景を制覇した達成感たるや、ネパールでトレッキングして山頂に到着したときと同等の鳥肌だね。
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ライブ「ヤング@ハート」
同名の映画をご存知の方も多いだろう。世界一いかしたロックンロール・コーラス隊が日本にやってきた。アメリカのマサチューセッツ州ノーサンプトンから来日した平均年齢80歳のおじいちゃんとおばあちゃんの(彼らはまた戻ってくるとライブ中に宣言したけれど)、おそらくは最後になるかもしれない、最初で最後の来日公演の最終日が渋谷の文化村オーチャードホールで2010年03月27日にあった。彼らが歌い上げるのはパンクの王道やらハードロックの王道ばかり。ソニックユースやニルヴァーナをありったけの愛を込めて謳いあげるんだ。そしてマイケルの歌も。それがどうして感動するのかだってかい?少なくともその答えは、この映画に詰まっている。ぜひ観て欲しい。
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Party「シークレットパーティ」
敢えて名前は伏せよう。300人限定のシークレットパーティが今年の8月に秩父の某所で行われた。標高数百メートルの山の頂上で、そこには何百年の歴史を持つ神社があり、キャンプ場もあるという最高のロケーション。そこで今回のパーティは行われた。年に一度ぐらいはパーティに行く心構えで毎日を過ごしているので、今回も言ってみたらご褒美的に参加なのだ。夜中のグルグルとした漆黒の時間がだんだんと青のグラデーションとなり、朝が明けてくる。近くで踊っているパーティピープルの顔も見えてきて、フルスマイルのアイコンタクトで世界が一日の扉を叩く。この瞬間が大好きだ。神様が僕らにちょっとだけ赦しの時間を与えてくれたような、そんな慈悲すらも感じるこの瞬間。ほんの一瞬だけだけども、たぶん老いぼれても決して忘れることがないだろう、そんなひと時。僕がこれからも踊るのは、この瞬間を享受するからなのだ。
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沼袋「たつや」
5年ほど前から秋元屋に足繁に通っていたけれど、最近はメディアに取り上げられる機会が増えてきて、また店も拡張して、呑んでいてもソワソワするので自ずと足が遠のいた。そんな中、秋元屋の焼き台で頑張っていた一人、たっつんが店を出したので、最近はそっちにばっかり行っている。店の名前はそのまんま「たつや」。何と言うか初期の秋元の雰囲気─そう、まだ便所が和式でバイトもいなくて親父さんだけが焼き台してた頃─にそっくりなのである。ここで呑むホッピーが美味い。しかもこんな風に呑むと格別だったりするのである。まずはたっつんの店から徒歩一分の銭湯に行く。一の湯だ。一杯飲る前にひとっ風呂浴びるのがいいのである。ここは井戸から汲み上げたお湯なので軟水で肌がすべすべになり、保湿効果もあったりする。そして、何と男湯には小さいながら露天風呂もあるのだ。しかもサウナまで。銭湯なのにである。銭湯でさっぱりとしてポカポカに温まったところで、たつやの暖簾をくぐる。そんな東京ライフ。秋元から継承されている味噌焼きもしっかりと美味くて酔いちくれる毎日なのである。
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近所「古着屋」
近所に古着屋ができた。よく聞く話である。ここに書くまでもない。おしまい。
ってわけにはいかないので、古着屋。この店は僕の今住んでいるサブカルよりももっとミクロなレイヤで繰り広げられているスポット的な文化圏に構えていて、主流駅の古着屋よりも格安で掘り出し物が出てくる。ハリランのTシャツが500円とかCHUMSの長袖が500円とかライトニングボルトの半そでダウンが1000円とか。そういえばBEAMSの限定バッグも300円だったけ。あ、夏にはGramicciのチェック柄の短パンが500円でヘビロテだったけと、魅惑的なブランドの品々が宝の地図に配置された宝石のように。とにかく他で買うのが馬鹿らしくなるぐらい。おっと、今日もSugarcaneのネルシャツを500円で見つけたぞ。どうするか。。
書籍「プロ論」
B-ing編集部から出版されているビジネス書である。3作目まであるのかな。パート1では、安西水丸、石橋貴明、井筒和幸、糸井重里、村剛、邱永漢、清宮克幸、小谷真生子、齋藤孝、櫻井よしこなど各業界のさまざまな50人の人たちが今に至るまでに、どうやって壁を乗り越えたのか、何をチャレンジしたのかと語っている。毎年訪れている新島で毎年会う波乗りの1人がこの本をテントに置いていたので、僕は何気なくハンモックに寝そべり、淹れた珈琲を飲みつつ読んでいた。朝の7時まで焚き火で騒いでいた相棒はグースカ鼾をかいているので、本を読んだのだ。真っ青な空と海、どこかで弾かれるギターの音色とお香が漂い、ハンモックでゆーらゆら。新島という場所がそうさせたのか、それともこの本の放つ言霊がそうさせたのか。普段はビジネス書なんて読まない僕の乾いた脳に(下手したら一生涯でこれが初めてじゃないのかな)、まるで岩肌に染み込んでいく清水のごとく、文章がインプットされていった。結局上手くいったらそんなこと言ってるんでしょという声に耳を傾けるより、どうやったら危機を回避してチャンスを彼らは摑んだのか、そんな文脈を読む本である。なかなか良いよ。
映画「アバター」
例年に劣らず何本も新作映画を観た。どれもこれも良作で甲乙つけがたい。その中でどれか一本という苦渋の選択を迫られたら、これである。説明不要の3D映画。内容をここで書くのは野暮だ。僕はこの映画を3回観た。3Dを字幕と吹き替えで観て、それでは飽き足らずにiMAXで観た。だから何故3回も観たのかをここで記したい。アバターは観賞する映画ではない、体験する映画だ。これは僕の単なる予感だけれども、映画はこれからは鑑賞タイプと体験タイプに区別されていくだろうと思う。どちらが優れているとかではなくて、同時並列的に存在していくだろう。それは映画の物語の中身によって適正化されていくだけである。「アバター」は僕らが一番最初に知った体験タイプの映画なのだと思う。だからこそ、3回観たのだ。これは観たというよりは3回アトラクションに乗ったという表現が近い。「アバター」を通じて僕は惑星パンドラに降り立ったし、空を飛んだ。自分の経験かのような既視感を抱えて。この映画は映画史上に残る転換点なんだろうと思う。
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そんなこんなで、来年も stay happy で。
一応、部長同行なので、ほとんど付着物みたいな存在。それでもヘマをしたら報復人事でも喰らってしまうので、熱い広島の夜はシンデレラタイムで幕を引いて、原爆ドームぐらいで観光を抑えた。
高校の修学旅行先はたしか広島で、原爆ドームを見学したけれども、将来の夢は「シドビシャス」って書くような、当時、興味の大半を占めていたのは、焼き焦げた少女であったり溶けた老人のなんとかであったりと、どちらかといえば猟奇的なグロテスクなブツを拝みたい気持ちで一杯だったのに対して、さすが30代、血中の演歌濃度もいい感じに高まってきたのか、あるいはヤキが回ったのか、ずいぶんと感傷的に涙もろくなり、平和なんてものを考えるようになった。
広島市内を蟻の巣のように巡っている路面電車に乗り、原爆ドーム前に向かう。
30代の曇りすぎた目に映る原爆ドームは、当時とはまるで異なった。
正直言うと、路面電車で150円払うときから泣きそうになっていた。
鶴の折り紙なんて、折り方を知らないので、心の中で折ったつもりになって、黙祷をした。
涙がぽろぽろと零れた。
およそ半世紀ほど前にここで日本人が20万人亡くなったのだ。
罪もない、当たり前の生活をしていた庶民が。胸が締めつけられた。
安直な感傷には唾を吐く人間でありたいとずっと考えていたし、これからもそうありたいと思っているので、インスタントに泣きたくないんだけれど、我々の先輩達は犠牲になったのだ。
そんなことを考えれば考えるほど、涙が出た。
そして、ちくしょーって思った。たぶんアメリカ人だろう、団体の白人連中がワッハッハとか、うかれて写真を撮っているのを見ると、拳が固くなった。
なんかこう、もう少し詫びるような気持ちで見れないものか。
って、奴らはどちらかというと原爆ドームを「勝利の象徴」として見ているのかもしれないな、なんてことも考えた。
中国人は必ず箸で蝿を掴んで、黒人は全員ブレイクダンスができて、アメリカ人は360日ぐらいジョークを言い合っているというのが僕の偏見なので、アメリカ人の思考については色眼鏡で見る癖がある。
でもね、たしかに日本は原爆落とされて先の大戦で敗北をしたし、歴史は勝利者の目でしか語られないとしても、我々は唯一の被爆国として世界に発信し続ければならない。
原爆落とすのはやり過ぎじゃないか?土下座してくれとは言わんけど「アレは人としてやりすぎました」ぐらいの謝罪は求めたい。
つか、オバマは平和記念公園でひれ伏して謝ってもいいと思う。
そんな悔しい気持ちと20万人を一瞬で抹消した歴史的事実を憂いていたら、もっと涙が出てきた。
本当に。
悪い奴らじゃないのも承知だけれども、少なくともアメリカ人がのうのうと広島うろついているのは悔しい。
ER緊急救命室で切羽詰ったジョン・カーターが醸し出すようなシリアスな顔ぐらいは持ち合わせるべきである。
TLに流しつつも140文字では書き足りなくて、思わず深夜にエディタを立ち上げたので、このまま綴ることにする。
果たして真実の行方はどこにあるのか、眉に唾を塗ること請け合いな経済的観測を、小学生の頃に通ってた学習教室の教師に教わった。それは、いわゆる激辛ブームが訪れると、日本ではなぜか景気は拡大されて需要が伸び市場が活性化するのだけれども、一方で甘いもの(いまで言うスイーツってのね)が流行ると、景気が後退して、不況が長い影を落とし、巣ごもりの傾向になるという説だ。
30年の人生の中でそれなりにバブルも幼いながらも見てきたし、景気低迷や底打ち、そして回復傾向と、世相をオンパレードで眺めてきた立場で言うと、当てはまるような側面もあるし、的が外れていると思える節もある。
事実、バブル全盛期の当時にはティラミスブームの真っ只中であった。いまじゃ到底信じられないけれど、自動販売機にティラミス缶ジュースが売っていたのだ(言うまでもないけれど激甘&激マズ)。
さて、最近はラー油が流行していたりするので、上記理論の視点から見ると「おや、もしや景気は回復していくのかい?」なんて思いがちだけれど、実際に売れているラー油は<辛そうで辛くない少し辛いラー油>なので、文字を置換すると<回復しそうで回復しないちょっと回復する経済>ということになる。嗚呼、ギロッポンでチャンオネとペリドンするのは遠い幻なのか。
今宵もまた巣ごもりな晩酌で。
僕のおじいちゃんはお医者さん。
大学病院の研究室で見つけた<腐らないミイラの親指>が自慢だった。
お正月になるとお年玉をくれた後、こっそり僕にだけそのミイラを見せてくれた。
おじいちゃんは長い廊下の渡った先にある書斎の扉を開くと、明治時代に作られたという箪笥の奥底から桐の道具箱を引っ張り、幾重にも和紙に巻かれた小さな木箱を取り出して、いつも決まったセリフを僕に言った。
「この中にはおじいちゃんが大学の病院で見つけた秘密のミイラの親指があるんじゃよ」と。
僕の身長より高い本棚に埋め尽くされた難しそうな書籍の数々が僕を圧倒して緊張感を高めた。おじいちゃんはお正月以外に書斎に連れて行ってくれたことがなかったのだ。
「ミイラの親指は腐らないんじゃ」
「ほんと?おじいちゃん」
僕の瞳はとたんにキラキラ輝きだす。おじいちゃんはいつもそのあとを続けた。
「そのかわり、これは絶対に見るだけじゃよ」
木箱の表面には巻物にありそうな漢字が並んでいて、箱を開けると少し黄色くなった綿が詰まっていた。
おじいちゃんは綿を丁寧に取り除くと、もう一度僕に確かめさせた。
──見るだけじゃよ。
「うん。分かった!」僕は鼻水をテカテカさせて懸命に頷く。
木箱の中には、ミイラの親指が血色豊かに一本だけ入っていた。まるで生きているみたいだ。
木箱が古めかしいだけに余計に新鮮そのものという雰囲気が漂っていた。不思議だった。
「おじいちゃん、すごーい」
僕はどうなっているのだろうか知りたい衝動に駆られ毎度同じように訊ねた。
「これ、触ってもいい?」
おじいちゃんは白衣を着たときのおっかない顔をして小さい声で囁いた。
「これは触ってはいかん。おじいちゃんも触っちゃ駄目なのじゃよ。触ると祟りがおきて、ミイラになっちまうのじゃ。」
「ミイラになっちゃうの?」僕は毎回チビりそうになった。
そうしておじいちゃんはまた丁寧に木箱に綿を詰めてミイラの箱を箪笥に戻した。
おじいちゃんの袖を引っ張って廊下を一緒に歩いた。
「ミイラのことは秘密じゃ。誰にも言っちゃいかんぞ」
「うん、おじいちゃん、分かった」
僕は頷いた。
僕が中学校に進学するまでの小学校6年間、毎年お正月になるとこんなイベントがおじいちゃんと僕との間でこっそりと開催されていた。
祟りが怖いのでもちろん友達にも従姉妹達にもこの事は話したことがなかった。
中学生になってからも凄く見たかったけど、おじいちゃんの瞳は「もうミイラは見てはいかん」と物語っているようで、お願いすることはできなかった。
そんな風に時が過ぎて、僕も大学に進み、大学一年生になった冬、おじいちゃんは90歳の大往生で亡くなった。
大好きだったおじいちゃんだったので、ワンワンと周りをはばからずに泣いた。お通夜も終わり、少し落ち着いた時に僕はふと思った。ミイラはどうなったんだろうと?
もう何年も思い出さなかったのに、おじいちゃんが亡くなった夜、なぜか忽然と思い出した。
そして次の瞬間、こう思った。
「僕とおじいちゃんの秘密は守らないと」
長い廊下の先にある書斎は十年ぶりに入ったというのに当時と変わらない様子だった。その代わり僕も身長が伸びたので、桐の箪笥の一番棚に手が伸びるようになった。
ミイラの箱は全く変わった様子もなく、和紙に包まれた状態で道具箱の奥に眠っていた。
箱を取り出し、少し観察してみた。
<御木乃伊所蔵乃箱>と書いてある。古めかしい物だけが放つ独特の匂いが箱から発せられている。ドキドキしながら恐る恐る箱を開けた。やはり当時と同じように黄色い綿が詰まっていた。
緊張のあまり綿を摘む手が震える。念のためキョロキョロとあたりを確かめる。誰も居ない。ぎっしり詰まった綿をついに取り出して勇気を振り絞り、覗いてみた。
大学生になっても小さい頃の祟りが怖いのである。
だがしかし、薄目をだんだん開けて目にしたものは、なんと空っぽの木箱だった。ミイラの親指はどこにもなくなってしまった。
「ミ、ミイラが消えた!」
僕にとってはとんでもない一大事で事件だった。黙っとくべきか伝えるべきか。親族に知らせたら誰も知らないことだから、一族中大騒ぎになることは避けられない。
「やばい、どうしよう」
僕は焦って、見つかるはずもない小さな木箱をもう一度確かめた。そうするとさっきは見落としていたある事実に気がついた。
木箱の底には小さな穴が開いていた。
なんだろ?この穴・・。
僕は不思議に思った。よく分からなかったので、裏返しにしてみたけど、特に変わった様子もない。
でも何かしら不自然だった。ふと何気なく、その小さな穴に親指を入れてみた。スポっという音と同時に親指が綺麗に納まった木箱は、まさに小さい頃見たミイラの箱そのものだった。
「おじいちゃん・・・」
とたんにたくさん思い出が溢れ出して、僕は書斎で一人笑いながらまた泣いた。
戦後のちょっとした物語。
HPサービスを始めたきっかけといえば、元々はISPのサポートセンターで働いていたときに、社内資料やマニュアルが充実していないが余りに、自分達でサバイブして検証やサイト作成せざるをえなかったのが、いま思えば大きなきっかけだった。
下手の横好きでもいいし、蓼食う虫も好き好きでもいいし、イヤよイヤよも好きのうちのどれでもいいんだが、やっているうちにドメインなんてのも取得してしまった。なにせ大衆酒場に行くようなコストで管理できるからだ。
サイト構築への情熱は翳りが見えてきたせいか、気がついたらリンクで導線を作成していたテキストコンテンツが、リンク先サービスの廃止によって消滅してしまった。
まあ、覆水盆に還らずってやつである。へこんでも仕方ないので、ぼちぼちとMTに時間を見て移管作業でもしてみようかと思う。
<かんずり>という言葉、なかなか聞きなれない言葉である。漢字で書くと寒造里で、収穫された唐辛子を塩漬けにして、雪がしんしんと降り積もる真冬に意図的に雪の中に数日の間さらして、唐辛子の持つアクや辛味を抜いて角を取り、麹、みかんの皮、ごま、青さ、麻の実、けしの実、柚子などと漬け込んで熟成させた雪国の調味料である。ぬれ七味というのは本当に濡れているという訳ではなく、その醪と混ざった唐辛子の様相を表現したのであろう。
さて、この「かんずり ぬれ七味」のうち、何年も熟成させたそれは格別で、もちろん相当の時間と手間を掛けて完成しているのだから、他の熟成物がそうであるようにこれもまた貴重な一品になる。3年熟成させたその味は、辛味噌や辣油のような直球の辛さではなく、まるでカーブを描くようにまろやかで味わい深く、辛さの中に漬け込んだ風味が同時に折り重なって複雑な旨味を醸し出しているのだ。
これを炊きたてで熱々のご飯に乗っけて頬張ってごらん。「かんずり ぬれ七味」だけでも十分にいけるし、納豆に混ぜて乗せても格別だ。口中にパッと辛さが広がり、おかずいらずである。ぜひ食べていただきたい。
もちろんご飯だけにはとどまらず、鍋や冷奴へいれちゃってもいい。柚子胡椒とは異なる旨味だ。雪国の生活の知恵が凝縮された一品である。
引っ越して以来5年ほどもっぱら近所にある焼きとんの名店、秋元屋に足しげに通っていたのだけれど、最近はメディアに取り上げられる機会が増えてきて、また店も拡張して、呑んでいてもソワソワするので自ずと足が遠のいた。そんな中、秋元屋の焼き台で頑張っていた一人、たっつんが店を出したので、最近はそっちにばっかり行っている。店の名前はそのまんま「たつや」。何と言うか初期の秋元の雰囲気─そう、まだ便所が和式でバイトもいなくて親父さんだけが焼き台してた頃─にそっくりなのである。
ここで呑むホッピーが美味い。しかもこんな風に呑むと格別だったりするのである。
まずはたっつんの店から徒歩一分の銭湯に行く。一の湯だ。一杯飲る前にひとっ風呂浴びるのがいいのである。ここは井戸から汲み上げたお湯なので軟水で肌がすべすべになり、保湿効果もあったりする。そして、何と男湯には小さいながら露天風呂もあるのだ。しかもサウナまで。銭湯なのにである。銭湯でさっぱりとしてポカポカに温まったところで、たつやの暖簾をくぐる。
親密な夕刻の酒場の空気。馴染みの常連に挨拶して、焼き台のたっつんに黒ホッピーを頼む。キンミヤという焼酎がたっぷりそそがれたジョッキにホッピーをとくとくと。透明なジョッキが琥珀色に染まる。そしてグビっと呑む。美味いんだなぁ、これが。
喉が潤ったら焼き台のたっつんに串を三本ほど頼む。たんのみそ焼きにレバたれに、塩ではらみ。炭火で焼かれた串は100円ほど。
さっと呑んで千鳥足で家路に。風呂上りの夜風が心地よい。さてもう一軒行くか行かまいか。
そう、今週も1週間がんばったんだぜ。
イギリスのマンチェスターで結成され、イアンカーティスの自殺によって4年の幕を閉じた伝説のバンド「ジョイ・ディヴィジョン」、その彼のたった23年の衝撃的な波乱の生涯を描いた「コントロール」。まだジャパニメーションという言葉が浸透していない80年代後半に世界デビューした鬼才・大友克洋のアニメーション「AKIRA」。ジェヴェッタ・スティールの甘い歌声が鳴り響く映画といえば、「バグダッド・カフェ」。そう、モーテルで起こる些細な出来事の積み重ねが珠玉の作品だ。
どれもこれも譲れないし、ある晩突然と鑑賞したくなる映画であることは間違いない。
そんな作品の数々が、なんと最高品質の音楽ライヴ用の音響セッティングをフルに使い、ボリュームも限界まで上げ大音響の中で鑑賞できる映画フェスがあるという。その名も「爆音映画祭」。ほとんど音楽パーティのような有様だ。
今回は第三回で、吉祥寺バウスシアターで2010年5月28日~6月12日の期間で開催である。
http://www.bakuon-bb.net/2010/index.php
チケットは当日1300円で、お得な3500円の3回券もある。魅惑なプログラムばかりなので、映画上映日には整理券の配布がある。上述の3作品は、ほんの一部だ。これが詳細。
働いてみる身としてはタイトな時間割だけれど、何度観ても飽き足らない作品が並んでいるから、どうにかして足伸ばしちゃおうかしら。大音量の映画館というのは、想像がたやすそうでありつつも、どんなことが起こるのやら未知数だ。こういう独自の色を出す映画企画っていいね。
個人的には、わりと話題を振りまいている「サイタマノラッパー」は押さえたいところ。
先週末の土曜日は地球温暖化が遠のいているような寒い日々が続く4月とは違い、初夏を思わせるような晴天で、それは何となく季節がようやく移ろいだと風が教えてくれた一日でもあって、つまるところ、「嗚呼、あれから一年が経ったのか」と認識した日でもあった。
昨年のこの日はお見舞いをしていて、僕はきちんと思い出話に(そう、今思い起こせば、それは最後であったわけだけれども)花を咲かせていたのだ。
この日、何度か訪ねた道のりと同じように渋谷からバスに乗って、世田谷の某バス停で降り、墓前へと向かった。
深々と頭を下げて、お線香に火を灯した。そこで自分のどんな状況を報告したのか、不思議と思い出せない。何となしに「こっちはこっちで元気にやってるよ」とそんな事を懐かしむように話しかけた気がする。そして、また来るよと。
夕暮れには新宿ピカデリーで「第9地区」という南アフリカのSF映画を鑑賞した。
若干30歳の無名監督ニール・ブロムカンプが手がけた本作は、出演者も全員が無名。主人公のシャールト・コプリーに至っては、監督の友人だけど主人公役がいないから抜擢されたというくらい。
映画はネタバレになるので、触りだけ書くとすると、ヨハネスブルグの上空に突如現れた宇宙船。そこに詰められていたのは、なんと難民の宇宙人だった・・・。
そこはかとなく漂うB級センス。従来のSF映画に登場する宇宙人とは異なる人類のお荷物な宇宙人。難民キャンプへと直行する宇宙人。
南アフリカといえばアパルトヘイトなわけだけれど、その黒歴史をあえて踏襲した苦いユーモアのセンスに脱帽した。それを人間でもないエイリアン(異星人)に当て込む脚本はこれまで誰が思いついただろう。
他にもアフリカでは有名な国際詐欺のネタがこっそりと使われていたりして、なかなか社会的なネタを投入している侮れない作品だ。少々スプラッタな画面もあるけれど、見ごたえがあるので観て欲しい。
この作品とはまた別に、「月に囚われた男」というイギリスのSF映画が恵比寿ガーデンプレイスで上映している。この映画館は佳作を流すので有名なだけに期待が高まる。
イギリスのSFという触れ込みだけでとりあえず観てみたいのは僕だけだろうか。
行く人いないかな。
代々木公園のご機嫌な日曜日の芝生的な飲み会や、知人邸のドラム缶BBQで何度かお会いしている銅版画家の美沙が─そういえばiPhoneで初Bumpしたのも彼女だった─「二日酔い展」を開催するということで、PSYBABA.NETでも告知を。
なかなか楽しそうな予感がするので、ぜひぜひ。
「二日酔い展」
期日:4/6(火)〜4/18(日)
場所:経堂 さばの湯
(やたらと知合いが増えるお湯カフェ)
http://sabanoyu.oyucafe.net/
世田谷区経堂2-6-6 plumbox V 1階
経堂駅北口ロータリー左手前のドトールを左にづづいと進み、サンクスを過ぎて一本目の道路を右手に。10mほど進めば、ソコ!二日酔いのイラストの展示(コピー?)に加え、二日酔いポストカード、シール、すごろくなんかを発売予定(コタツですごろく対戦できます)。また来て頂いた方全員、二日酔い占いも引けます(二日酔いの本プレゼントあり)
また期間中、酒にまつわるイベントが沢山!
4/11(日)
経堂ビアガーデン&アイリッシュミュージックライブ
時間:19時開演、20時スタート
料金:チャージ1000円+キャッシュオン
あのアイリッシュバンドO'jizoを聴きながらビールを飲みましょう!4/18(日)
本格落語 経堂落語「雑把亭」
春風亭吉好/笑福亭羽光/古今亭今輔
時間:19時開演(18時開場)
木戸銭:2000円
全て酒にまつわる話が聞けます。本格落語を聴きながらお酒を飲みましょう!どちらのイベントも、終了後、ゆるい親睦会飲み会です。ご自由にゆるりと飲めますので、そちらからでも是非!
どちらも予約は
sabanoyu@gmail.com まで
最近ひょんなことから東京にやってきた西日本各地の方々とお話する機会に恵まれた。彼らは旅行者であったり、一度は地方に戻るものの再上京したり、あるいは仕事の関係で定住したりと取り巻く事情は様々で、東京との係わり合いにも個々に濃淡があり、いずれにせよ地方からやってきた、それも西日本からの上京というのが唯一の共通点である。
そんな彼らが口を揃えて東京に対して評価するのが、「東京にあるエンターテイメントの質と量は圧倒的である」というのである。
それもやってるのは全部が東京限定のものばかりというのだ。
要するに映画一つでも、なんだかんだで東京でしかやっていない作品だし、美術館の企画や展覧会でも東京でしか開催しない。写真展も然り。そしてミュージカルなども。
僕は隙さえあれば東京脱出を願っているので、しかもアマゾンとインターネットがあればどうにかなるんじゃない?という浅はかな考えの持ち主なので、そんなに東京って違うのか・・、と少々驚いてしまった。
鼻につくような言い方をしてしまうと、東京に生まれ育つと、なかなかそういう差異に気がつけないのである。アンテナに鈍感になってしまうのだ。
彼ら曰く、アマゾンとインターネットだけでは、いまの段階では悲しいことにカルチャーの補完作業は、地方に限ると足りないようである。なるほど、言われてみると北九州に住んでいた頃は確かに映画館には数えるほどしか行かなかったかもしれない。
まあ、東京限定の公演というのは、いささか誇張が過ぎるかもしれないかれど、必ずしも間違ってはいないようで、作品公開までの地方との時差もあるだろうし、まずは東京からという営利上の問題も含まれているのだろうと思う。
そして残念ながら、このような状況は東京を離れて初めて知ったりするのだ。
そう思うと、東京という土地が持つ特典性というのは、エンターテイメントの機会が圧倒的に他に比べて多いということになる。
六本木でクラブ(お姉ちゃんがお酒作ってくれるところじゃないよ。踊るところ)の梯子はやってなんぼだけど、じつはレアだったりするのである。
だから、ナイトクラビングまでを含め、あるいはジャズの流れるバーなんかも指折りに数えて、24時間でエンターテイメントが溢れているのであれば、その利点をエンジョイしない手はないというものである。
多分、情報過多には鈍痛状態なんだけれど、まだしばらくは東京に(もしくは日本に)いる予定なので、少しエンタテイメントに触れる機会をこれまで以上に増やしてみようと思う。もっと映画観たり美術館巡ったり。
だってそれこそが東京ライフなのだから。
世界一いかしたロックンロール・コーラス隊、ほんとにそう思う。
アメリカのマサチューセッツ州ノーサンプトンから来日した平均年齢80歳のおじいちゃんとおばあちゃんの(彼らはまた戻ってくるとライブ中に宣言したけれど)、おそらくは最後になるかもしれない、最初で最後の来日公演の最終日が渋谷の文化村オーチャードホールで2010年03月27日にあったので、行ってきた。
もしかしたらみんなはドキュメンタリー映画「ヤング@ハート」で知っているのだろうか。僕の周りの映画好きが「おい、これだけは絶対に観ておけ」と絶賛する映画作品に必ず入っている一作である。
そして僕もこの作品を一押しする。
だってこの映画には掛け値なしの愛が詰まっているから。歌は元気にしてくれる。
もし誤解を招くようだとしたら、断っておくべきだろう。この映画─あるいはこのライブ─は、決して寂しい老人たちを慰労するような老人ホームやデイケアの要素は見当たらない。彼らは実にプロ意識で音楽をこなしているし、そして若者になんて負けないぞみたいな世代構造も見当たらない。
純粋に一緒に音楽を楽しもうぜという想いがそこにある。それは本当にピュアで、人々を惹きつける。年齢が年齢だけにライブの最中に何人かは実際に先にあっちに逝っちゃっているけれど、「仲間が亡くなった時こそ歌う事が大事だ」と彼らは言う。そして歌い上げるのはパンクの王道やらハードロックの王道ばかり。
おいおい、80歳のおじいちゃんおばあちゃんがだぜ。
この日は最後の公演日ということもあって、オーチャードホールは満員御礼。まずは最初にイントロのビデオが流れ、総勢25人のおじいちゃんおばあちゃんのコーラス隊が颯爽と登場。そしてストーンズの「You can't always get what you want」をおばあちゃんが一人ソロで歌い上げる。
オーチャードホールの演出でステージの両端に日本語歌詞が同時に流れる。僕らはありったけの拍手と喝采で迎える。口笛を鳴らす。これが僕らのホスピタリティだ。
続いて2曲目にニルヴァーナ。天国のカートコバーンも驚いているだろうね。90年代キッズじゃなくて戦前のキッズが歌っているから。
そして指揮者のボブ・シルマンがステージ下に登場。彼の選曲がヤング@ハートを際立てているのだ。歌詞を見ると、なるほどこの曲を選んだ理由が分かるなってのはたくさんある。コーラス隊はステップを踏んでダンスをすることもあれば、しっとりと歌い上げたりもする。気持ちがいい。
僕はたぶん4曲目あたりからは泣いていた。ソニックユースで泣くだなんて、ね。
後半、観客が総立ちしたのは、ボブ・シルマンが「次はキングオブポップ」とMCで言ってからだ。黒人の背の高いおじいちゃんが「I want you back」を歌い、僕らはもう総立ち状態。手を叩き一緒に踊った。
そして続いて「Man in the mirror」だ。鳥肌。
「If you wanna make the world a better place(もし世界をよりよくしたいと思うなら) take a look at yourself and then make the change(自分自身を見つめていこう。変わるのは自分からだ)」とおじいちゃんが歌う。MJの映画「This is it」とダブって涙が止まらなかった。嗚呼、こうやって文章に書いて思い出すだけでまた涙が出てくる。
さらに日本だけのボーナストラックも。日本語の歌だ。
「上を向いて歩こう」はベタなので、どことなく予想が立っていたけど、続いておばあちゃんがマイクスタンドに立ち「どーぶーねーずみ みたいにー」と歌うじゃないか。
もう観客全員が一緒に熱唱である。アメリカのおばあちゃんと「リンダリンダー」だってさ。信じられない。そして、「雨上がりの夜空に」。僕の周りのお客さんもみんな世代を超えて泣いている。ボブ・シルマンは「次ん時は全部日本語の曲だな」とMCで言って、みんなが大爆笑した。
アンコールはEAllen toussaintの「Yes we can can」とBob dylanの「Forever young」。拍手が止まない。会場で拍手がこだましていた。
僕ら数千の観客は決して同情だとかそういう気持ちで泣いてはいない。老人ホームを慰労するような気持ちでライブに参加していない。いや、むしろ、それはロックバンドを観るのと同じ気持ちで観ている。だけれど、泣くのだ。なんでアメリカ人のおばあちゃんが歌う「雨上がりの夜空に」で僕たちは泣いているんだ?これが感動なのかもしれない。
どうして80歳の老人が歌うソニックユースに胸を打たれているんだ?
ぜひ映画を観て欲しい。
ヤング@ハート 2010.03.27 @Orchard Hall,Shibuya Bunkamura
01.Intro Video
02.You can't always get what you want /The rolling stones
03.Come as you are /Nirvana
04.schizopherenia /Sonic youth
05.Dancin in the dark /Bruce springsteen
06.White rabbit /Jefferson Airplane
07.Somebody to love /Jefferson Airplane
08.Purple Haze /Jimi hendrix
09.Martha /Tom waits
10.Heaven /Talking heads
11.Road2nowhere /Talking heads
(休憩)
12.Film:Stayin'alive music video
13.She'w not there /The zombies
14.Please send me someone to love /Percy Mayfield
15 Baby please don't go /James brown
16.Dissapear /Brave combo
17.Cure for pain /Morphine
18.Waiting room /Fugazi
19.I wanna be sedated /The ramones
20 I want you back-Man in the mirror /Jackson5,MJ
21.Changes /Phil ochs
22.I'm so tired /The beatles
24.上を向いて歩こう /坂本九
25.リンダリンダ /ザ ブルーハーツ
26.雨上がりの夜空に /忌野清志郎
27.Walk on the wild side /Lou reed
(アンコール)
EN1 Yes we can can /Allen toussaint
EN2 Forever young /Bob dylan
寝ても覚めても手当たり次第に本を読み漁っている者を、洋の東西を問わずして本の虫「book worm」と呼んだりする。
本の虫になったきっかけは、人それぞれにそれぞれの理由があり、きっと何がしらの1冊がその道へと導いたのだろうと思うと、その人のそれはどんな1冊だったのかと想像するだけでも愉しい。
僕が本の虫となったのは、小学校3年生の夏休みで、実は僕は夏休み直前に交通事故で入院をして、丸々2ヶ月を病棟のベッドで過ごしたのだ。昭和50年代とはいえ、当時にもポータルTVはあって、叔父が所有していたので、持ってきてくれたが、そんなにテレビっ子ではなかったものだから観る回数は少なく、お見舞いで戴いた本を繰り返し繰り返し読んでいた。思えばそれが僕が歩んだ本の道への記念すべき第一歩だった。
そんな読書の歴史の中で、1冊を選ぶとしたらという質問は拷問に近いので、仮に質問を変えるとして、旅先に必ず持っていく本は?ということであれば、僕は開高健の「地球はグラスのふちを回る」を挙げる。昭和56年のエッセイだけれども、いま読んでも文章は色あせず瑞々しく、時間を忘れて没頭できる。
旅好き釣り好きなど多趣味で知られる開高健は、同時にグルメとしても有名であった。彼のグルメエッセイに「ラーメンワンタンシューマイヤーイ」というのがあって、美味しいシュウマイ屋を紹介したいけれど、それがなかなか難しいというのをこんな風に表現している。「・・・このような場所にそれを書くと、たちまち客が殺到してたちまち味が落ちてしまうにちがいないから、とくに割愛することにした。恋と同じだ。御自分で見つけて下さい。」と。実に上手い表現である。
いまからこの記事に載せる店もそんなお店のひとつだ。恋と同じである。
少なくとも土曜日は予約しないと席に着くことが出来ないこの店は、5年ほど前から月に一度の割合で通う都内某所にある店で、知り合いに紹介されたのが最初だった。
のちに旅チャンネル「全国居酒屋紀行」などの番組でも有名な太田和彦氏も大絶賛をしていたのを知って、太田氏の鋭い味覚と居酒屋への情熱にただただ深く頷くばかりであった。
こじんまりとした店内は10組も入れば満員御礼になって、お品書きにはメニューはあるけれど、そこに値段は書いていない。一見のお客さんだったらピリリと背筋が伸びる瞬間だろう。
暖簾をくぐると毎度「○○君(僕の名前)、いらっしゃい。よく来たね」と温かく迎えてくれる。心がほぐれる瞬間だ。
上質な炭火が入り口で炊かれて、そこで新鮮な魚を焼き上げる。店内にはレトロな歌謡曲。全ての料理が丁寧で、その味といったら頬っぺたが落ちるほどである。
ここではビールと片仮名にするより麦酒と表現したほうが合うのである。一杯目は麦酒、すっと瓶が出てくるので、渇いた喉を潤す。そして、まず註文するのは煮物と刺身である。
優しい味の煮物。
そして、中トロをどのタイミングで食べようかしらと悩ましい刺身。
優しい味付けの煮物を、とみさんが長箸で綺麗に盛る。そして、新鮮な刺身。そう、ここは何でも絶品なんだけれども、魚の旨さといったら、それはもう都内屈指なのである。
こちらはほっけ。焼き担当のYさんが註文が入り次第、炭火で焼く。その手つきは熟練工だけが持つ繊細で正確な、職人の技である。ほっけ若しくは銀鱈をまずは頼みたい。肉厚でジューシーで、何よりも新鮮で香ばしい。魚を焼くには、なんと言っても炭火が一番である。もうもうと上昇する煙を嗅ぐと、日本人に生まれてよかったなって、思う。
そして酒肴の品々。
最後はいつも丼で締める。
幾つかあるうちの、まぐろの漬け丼かいくら丼が、いつもの締めだ。プリプリのいくらが熱々の御飯にたっぷりと乗っていて、海苔が散らしてある。一口食べるたびに愛おしさがこみ上げてくるのである。そしてほうじ茶で一息つける。
どのお店でも撮れる場合には可能な限りに写真に収める僕でも、このお店の場合、つい忘れちゃうことが多い。酒に心地よく酔っているのもあるし、美味しくて気がついたら食べ終わってたなんてのも。
ここの定番でいったら、塩辛がそうだね。気がついたら食べ終わっている。日本酒の熱燗に合うのですよ、これがまた。
なので、ここには挙げていない、季節の名品なんかもある。秋のほんの僅かな期間にお品書きに登場する「揚げ銀杏」は、秀逸で日本酒にピッタリなのである。魚も秋の秋刀魚は、もう格別。ここの銀杏と秋刀魚に想いを馳せると、嗚呼、秋が待ち遠しい。
まだ行かれたことのない御友人の皆様、僕はいつでも皆様のオファーがあり次第、予約しますので、iPhoneまで連絡ください。日本酒やお湯割り、麦酒も呑みつつ、たらふくに食べて、一人3千円程度。いいのかな?なんて思っちゃう値段である。
そして会計時にとみさんが「○○君(僕の名前)、また来てね。いつもありがとね」と。
こちらこそ愉しい時間をいつもありがとう。
3月の日曜日に降る長雨に、そんなことを想いつつ。
■4月3日4日「春風」 at 代々木公園
桜の季節の風物詩といえば、春風。
初期の頃の音楽とは違うけれど、春は代々木に集まりたくなっちゃうのが、トーキョーテクノトライブってもの。音はまだ本家サイトには今日時点で掲載ないけれど、mixiのコミュによれば、朝崎郁恵やサヨコ meets YA MAN RIDDIMが出るというので、個人的に注目。「おぼくりええうみ」と「マライカ」で号泣ぽい。晴れるといいな。
http://www.balance-web.com/harukaze/
* * *
■4月11日 渚音楽祭2010 at お台場コート
2年ぶりに東京に帰ってきた渚音楽祭。
毎度お馴染みのフジテレビ前からちょこっと移動しての開催で1日だけのスポット開催。<太陽 All Genre Stage>の気になるメンツは、ガチガチなジャーマンのThe Delta、オランダのキラ星Zen Mechanics、そしてQuintrixのKeiさん、日本のサイケユニットAstronかな。
今日のアップデート情報なので、まだまだ追加される予感。
デルタなんてのは、たぶん7年ぶりくらいのライブ体験。深夜サウンドなだけに、日中に聴く音がどんなか愉しみ。Zen Mechanicsは実は野外で聴くのが初めて。ディープな四つ打ちが気持ちよいのだ。これも期待大。
そして、トランスじゃないけど、<風 Jam/Rock Stage>もかなりの充実。
人力トランスの代表格のDachamboで思い切り盛り上がれるし、そしてハイスタの難波章浩が登場っ!ハイスタは池袋に事務所があるときに好きすぎてアポなしで訪問したこともあるんだけど、空中分解してから聴いてないし、ソロ活動もあまりインプットしてなかったので、この機会にぜひ楽しみたい。
他にも大物来るのかね。
http://www.nagisamusicfestival.jp/
* * *
■8月1日~15日 マフィア島 at タンザニア
そして脳が溶けそうなくらいヤバめなのがタンザニアのマフィア島(完全にWWF世界自然保護基金によって保護されている)で15日間ぶっ通しでやるパーティ。
その名も「Mafia Dance Festival」。
名前からすると物騒な気もしないわけでもないが、じつはまったくの正反対で、スワヒリ語で「癒しの島」を意味するのだ。
言葉にならないくらいの自然満載のステージでイベント。最高の夕陽。完璧なロケーション。もうそれだけでもそわそわしちゃうでしょ。
そして、世界中から3000人限定のイベント。出演者なんてのは、ハローページかっつうぐらいアーティストが並んでいる。
とりあえずコピペ。
なぜ、こんなに凄いかというと、サモスラキの連中が復活してオーガナイズしちゃったから。こりゃ、行ったら社会復帰できないな。うーん、行きたい。
http://www.mafiadancefestival.com/
LIVE ACTS:
ABSOLUM, 3D Vision Rec - FR
AJJA, Syncronize Records - CH
ANTIDOTE, Neurobiotic Rec - FR
BRAINCELL, Free Spirit Records/Phar Psyde Records - CH
BROKEN TOY, Alchemy Rec - SA
DEVIANT SPECIES, Ambivalent Records - UK
DIGITAL TALK, 3D Vision Rec/Yabai Records - FR
EAT STATIC, Mesmobeat/TIP/Twisted Rec - UK (Special 2 Hour Live! No Laptops!!)
ETNICA - PLEIADIANS, Etnicanet - IT (Special 2 Hour Live!)
FROZEN GHOST, Disasterpeace Records- SA
JOURNEY, Free Spirit Records - UK
KOXBOX, Twisted Records/Solstice Music - DK
LOGIC BOMB, Solstice Music - SWE
LIQUID SOUL, Iboga Records - CH
LOST & FOUND, 3D Vision Rec - SA (Special 2 Hour Live!)
MINDCORE, Yabai Records - FR
PHATMATIX, Yabai Records - FR
PHIBIAN, Trick Music - UK (Exclusive Live!)
PHYX, Timecode Rec - SA
PITCH HICKERS, Nexus Media - SA
PROMETHEUS, Twisted Records - UK
PROTOCULTURE, Nano Records - SA
RINKADINK, Alchemy Records - SA
RUBIX QUBE, MMD/Disasterpeace - SA
SCORB, Trick Music - UK
SHIFT, Nexus Media - SA
SLUG, Nexus Media - SA
SQUID INC, Ambivalent Records/Trick Music - UK
THE GRAIN SOCIETY, Ekholab Stud/Oktava Rec - GR (Exclusive Live!)
TOTAL ECLIPSE, Mandala Records - FR (Special 2 Hour Live!)
TRANSWAVE, 3D Vision Rec - FR
TRISTAN, Nano Records - UK (Special 3 Hour Live!)
XATRIK, Digital Psionics Rec - SA
DJs:
AJJA, Peak Records - CH
ALPHA, Interzone.pa - GER
CHRISTOF, 3D Vision Rec - FR
CONNECTO, Vortex - SA
DADO, IBZ Recordings - FR
DICK TREVOR, Nano Records - UK
DIMITRI, Neurobiotic Rec - UK
DINO PSARAS, Boa Group/Oktava Records - UK
DOC, Harmonia Records - GR
EARTHLING, Neuriobiotic/Spun Rec - SP
EDOARDO, Neurobiotic Records - IT
EMOK, Iboga Records - DK
E303, Antiworld Events/Sonesta Records - UK
FRANK E, Twisted Records/Solstice Music - DK
HEADROOM, Nano Records - SA
JAMES MONRO, 4Ddigitalaudio, Flying Rhino - UK
JAY OM, Free Spirit Records - UK
KRISTIAN, Transient Rec - UK
LIQUID ROSS, Liquid Rec - UK
LIQUID SOUL, Iboga Rec - CH
MARIOS, The Grain Society/Mafia Dance Festival - GR
MAURIZIO BEGOTTI, Etnicanet - IT
MAX LANFRANCONI, Etnicanet - IT
MONTAGU, Symphonix, Blue Tunes Rec - GER
RALPH, Rastaliens, Phar Psyde Records - CH
REGAN, Nano Records - SA
SENSIENT, Zenon Records - AUS
SERGE, Neurobiotic Rec - FR
SHANE GOBI, Alchemy Records - SA
SWARUP, Universo Parallelo Fest - BR
TEO, Discovaley Records - GR
TEO, Mafia Dance Festival/Oktava Rec - GR
TRANAN, Solstice Music - SWE
XP VOODOO, Spun Records - RUS
YOUNGER BROTHER, Twisted Records - UK
「アリス症候群」
寝ても覚めてもシンジタニムラとタカオホリウチのことで頭がいっぱいの現象・・・なわけがなくて、正式には「不思議の国のアリス症候群」というらしい。
中二病を患っているときに併発しそうな症状で、たとえば授業中になんだか解らないけれど突然と自分の右手が大きく感じるとか、逆に教室の大きさが変に小さく感じてしょうがない数分を総じて「不思議の国のアリス症候群」と言う。
皆さんはこういうのありませんでしたか?火曜日の6時間目とかにシーンとしている授業中に感じる変な違和感。
ウィキペディアによると、「典型的な症状は、眼に障害がなく外界が通常と同じように見えていると考えられるにもかかわらず、一方では主観的にそれらが通常よりも極めて小さな、または大きなものになったように感じられたり、ずっと遠く、あるいは近くにあるように感じられたりする。」とある。
詳細はウィキに譲るとして、この症候群の原因はナントカカントカというウイルスのせいで、日本ではこのウイルスに子供の頃にほとんど感染するから、ガキんちょの頃に時折起きる現象なのだとか。
不思議の国のアリス症候群
(ふしぎのくにのアリスしょうこうぐん、Alice in Wonderland syndrome, AIWS)
─リンク─
じつはおとといぐらいから風邪を引いているんだけど、小さいときに風邪を引くと必ず見る夢(完全にナイトメア)が、こんな感じだった。
全てが無音の世界でその無音の世界に地球ぐらいのツルツルした球体と同じ材質のスーパーボールみたいな小さな球体がある。ただそれが並んでいるだけ。でもその並んでいる光景と、その球体の大小の差がどういう理由なのか恐怖のバイアスを増幅させてとにかく恐ろしい。たいては汗びっしょりで目が覚める。
あんな夢見るのって自分だけだったのかな?と思い検索したら出てきたのが、このウィキペディアの頁で、風邪の時の事例もばっちり載ってた。なるほど、そういうことか。
ちなみに日によっておっぱいが大きく見えたり小さく見えたりするのはほとんどブラジャーのせいで、アリスとは無関係というのが某キャバ嬢のお言葉である。
あと、この症状の略語のAIWS、なんかフィンランドのメタルバンドあたりにありそうな名前だよね。
私用業務用でiphoneが2台、ドコモとソフトバンクの携帯がそれぞれ1台の合計4台の端末があり、しかもスマートフォンが2台も含まれていて、outlookのexchangeとさいすけでスケジュール管理している状態で、なおこの場に於いて紙にアウトプットする情報があるのかと自分でも不思議に思う。
というか、むしろ要らないだろうという気持ちのほうが先行する。きっかけは2ヶ月ほど前のTLで堀江さんが「手帳とかってもういらなくね?」的なツイートをしたのがトリガだった。僕もおおむね「手帳なんていらなくね」派だったし、事実、手書で書くより数倍の速さでタイピングが可能なので(iPhoneのフリック打ちも、もう慣れた)、手帳を持つ理由がないんだけど、どうしてか買った。
自分でも何で買ったのは説明するのは難しい。敢えて理由を挙げるとしたら、天邪鬼というのが答えだ。要らないじゃんって思う自分がいるからこそ、それに嫌疑をかけて真反対の行動を取る天邪鬼な性格。常にそんな部分で物事を試していたので、今回もそれに乗っかった。
第一、僕はそもそも何も書きもしないのに毎年6穴を交換している手帳を持っているのだ。
十数年前に僕の実家で居候していた旅仲間が餞別でくれたフィンランドの手帳。そう、あれは十数年前の2月のとある日のことである。
能天気な白痴的にご機嫌な朝、ミコが流すキラキラとしたモーニングトラックに身を任せてフルスマイルでディスコバリーで踊っていると、真っ黄色の手袋をしてグヨングヨンと踊り狂う日本人の女の子がいきなり僕を見てロックオンしてきた。
「鬼の子じゃぁ~!」と。
西瓜に話しかけたと思いきや、志村食いをして種を機関銃みたいにイスラエリに発射するパスポートのない残念な40代後半のオジさんとか、面妖極まりない妖怪組の生徒の行動にはすっかり慣れた自分だけれども、自分に向けられると流石にのけぞって、思わず口に含んだビスレリの水を吹いたのだ。
りらちゃん、それが彼女の名前である。
フランス人の彼氏と旅行しているりらちゃんは、前年のインドで僕を見かけたらしくて、当時の頬がこけて腰まで髪が長かった僕をずっと<鬼の子>と記憶していたらしい。まったく意味不明である。なので、ポニョの歌みたいに2回繰り返すだけで「名は体を表わす」状態のきらびやかな朝を迎えていたりらちゃんは1年ぶりに見かけた僕に思わず叫んだのだ。
その出会いをきっかけに、彼女とはその後も街のいたるところですれ違って、そのたびに「胃液を吐いて踊るとアガる」とか「ワカメには裏と表があるから気をつけたほうがいい」という数多くの有難い教えを説いてくれた。
それから半年後、旅ボケが収まらない僕のところに成田空港から彼女は電話を掛けてきた。インドを北上してネパールやタイを経由して日本にソロで戻ってきたらしい。
で、「居候させて」と。
僕も大学卒業してから「家にあまり居ないニート」みたいなデタラメな生活をしていたので、普通だったら断りそうなこの案件をアレコレ考えずに二つ返事で快諾した。
僕の家に居候したりらちゃんとの生活は毎日が漫画みたいで、そのエピソードだけで本が1冊書けそうなぐらいなんだけど、ここでは割愛するとして、居候してからしばらく経って、一度北海道の実家に戻るというりらちゃんが餞別でくれたのがフィンランドのシステム手帳なのだ。
だから、この手帳は旅仲間の置き土産として肌身離さず使う心掛けなんだけれど、まあ、ここは肉ばっかり食べているとたまには魚も食べたい精神に基づいて、<ほぼ日手帳>を。
それにしても、りらちゃん、どうしているのだろうか。ちゃんと生きているのを願うばかりである。
実家に居るときにはわりと食べていたのに、離れたとたんに何となく食べる機会を失するもののひとつに、わさび漬けがある。
スーパーとかに行くと、納豆コーナーから4品あたり遠のいたところで、手のひらサイズの長方形プラスチックに「天城育ち」なんてシールが貼ってあるあれだ。年末にふと無性に食べたくなったので、サンダルでスーパーに駆け込んで買ってきてしまった。
小皿に醤油を少し垂らしてわさび漬けをちょちょんとやる。
それを熱々のご飯に乗せて食べるのは格別である。こういう場合、やっぱり白米のほうがしっくりくるのだけれども、去年から玄米生活をしているので、玄米ご飯に乗せる。これもまた美味しいのだ。わさび漬けはご飯だけではなく、ぬか漬けや「地菜」と呼ばれる野沢菜漬けに添えて食べると、おかずいらずな感じである。
2000年代に入ってから101回目ぐらいの決心だろうか。
今日から時間のあるときには家の近所をジョギングともウォーキングともつかない運動をすることにした。
iPhoneの無料アプリに「RunKeeper free」というのがある。自分の走っているルートをGPSでgoogleMAPと同期して割り出してくれて、消費カロリーに平均速度、走行時間と走行距離を表示する。そしてさらにサーバにデータを送れば1ヶ月1週間のトータル数値を出してくれる。また、自分がどれだけ走ったのかをTwitterにポストしてくれる。
ものすごい優れものである。いや、ほんと、なんていう時代。こんなアプリが無料だなんて。iPhoneはマジですごいよ。携帯じゃないので。
早速これを使って近所を攻めてみた。僕が住んでいる私鉄沿線沿いは、JR線と比べると1駅の間隔が短いので、ちょっと走るには都合がいい。隣駅の商店街まで目指すなんていう目標を作って、GPSで自分の走っているのを追う。
いよいよハイテクがフィジカルな部分に融合してきて未来を感じる。
さて、今日は日曜だが明日以降の平日にどれだけ走れるか。まさにここが焦点である。時間的には20分ぐらいなので、何とかして、例え残業でも日課にしたい。
前大統領:
「まあひとまずは僅差だとはいえ、君の政党の勝利だ。今回は政権の座を譲ろうではないか。とりあえずは前政権としておめでとうと、一言私から直接言おう」
現大統領:
「いえいえ。政党が違えど、我が国を想う気持ちは同じ。やはり私は先人から学ぶことばかりです。ぜひ今後ともいろいろとご教授ください」
前大統領:
「その君の謙虚さがきっとこの時代にマッチングしたんだな。私は多少強引なやり方だったのかもしれん。ところで前政権として相談なのだが・・。」
現大統領:
「相談だなんて、めっそうもない。何でしょうか」
前大統領:
「いや、ほら、アレだ。例のヌーディストビーチ撤廃の件だが。あれは勇み足じゃないだろうかね」
現大統領:
「ああ、そのお話でしたか。参謀長官にも伝えましたが、あれはあくまでも民衆の声を私は政策として掲げただけですよ。民衆は求めてない。それだけです」
前大統領:
「いや、そうはいってもね、君。アレはあれでいいものだよ。私も寄宿校時代のヴァケーションで行ったものだ。民衆の声も大事だが、世の中にはガス抜きだって必要なのだよ。そう頑なにならなくてもいいじゃないか。」
現大統領:
「だから貴方には成し遂げた政策がないのですよ。戦争やって終わりじゃないですか。政治はそうじゃない。あんな海岸は明日にでも禁止するべきです。開放する理由なんてない」
前大統領:
「君も案外頑固者だな。君は本当のヌーディストビーチを知らないから、頭ごなしにそう言うのだ。こうやってだな、ズボンを脱いで私の自由の女神を太陽にさらしてだな」
現大統領:
「まったくこんなところで突然脱いで。そんなことが許されるとでも。親子2代続いた政治一家だとしたって、いまは私が大統領だ。そこまで食い下がらないなら、いっそのこと白黒つけようではないか」
前大統領:
「白黒? 白黒ならとっくに我々の肌の色でついているじゃないか。」
現大統領:
「・・・」
ゴォオーーン。
良いお年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
===
再会「旅の出来事」
たぶん奇跡ってこんなことを指すんだろうと思う。97年、僕はインドのゴアから北上してヴァラナシに滞在していた。ガンジスの名で日本では馴染み深いヒンズー教徒の聖地だ。ゴアから北上する多くの旅人がそうであるように、彼らは一様にヴァラナシで移動の足をピタリと止める。大抵がこの地で体調を崩すからだ。僕らも例外ではなく、1週間の予定が10日となり、2週間となりずるずると延泊していた。旅のスケジュールは白紙だから延泊することは大した問題じゃない。それより、このまま延泊したらそのうちサドゥーみたいに河原で物乞いをしなくちゃいけないんじゃないかって心配するぐらいだ。その滞在期間の幾日目に僕らはラビリンスのようなヴァラナシの路地裏で彼らにあった。ステファンとスザンナ。当時、トランスを好きで旅している輩は目配せしただけで打ち解けたりしたのだ。まるで何かいけないことを共有しているような一体感。僕らも例外なくウィンクした。で、それだけで十分だった。その日から僕がジジイになったって絶対忘れないだろう、刺激的な毎日が待っていたのだ。我々は陸路でネパールに入り、数ヶ月滞在して、またインドに戻り、そしてタイで再会し、パンガン島のフルムーンパーティでお別れした。それきりだった。あれから12年。もう一度我々は再会した。この日本で。幾つもの偶然を重ねて。それは本当に偶然の再会だった。だから、たぶん奇跡ってこんなことを指すんだ。神様がすこしだけやんちゃして僕らを楽しませたりしているのだ。
*
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10年「酒場」
僕が本当に心を許した仲間だけ連れて行くある酒場がある。飲み物はキャッシュオンで、何でも500円。カウンターだけの店で、真空管のアンプからジャズのレコードが流れる店。カウンターにあるおつまみは、どうぞご自由にという酒場だ。10年前に僕はその店の扉を勇気を絞って叩いた。何せ、酒場なんてせいぜい吉祥寺のいせやに行く程度の年頃だ。ジャズが流れる店だなんて縁もゆかりもない。でも不思議なもので、その店のマスターが醸し出す温かい雰囲気を、僕はすっかり気に入って、足掛け10年、この店に通った。夏の夜は、家でシャワーを浴びて太陽のにおいがする真新しいTシャツに袖を通して遅くまで、寒い夜はホットウイスキーで、暖を取った。一人で行かない晩は、気の許せる友達だけを連れてった。去年僕が表参道でDJしていたのも、じつはこの店のマスターの縁があったからなのである。そのお店は残念ながら今年の5月に二代目に譲られた。それと同時に僕の中でのこのお店の歴史の幕も閉じたのだ。僕はこのお店で過ごした思い出を手つかずのままに残したかっただけなのだ。二代目は二代目の思い出という器用な真似ができれば僕だって苦労はしないんだけどね。
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RICOH「GR DIGITALⅡ」
デジタルコンパクトカメラ、通称デジコンは汎用性があって、カメラの間口をグッと広げたと思うけれど、リコーのカメラだけは、人を選ぶ気がする。そんな気持ちになることがふとある。なんか特有の癖があるのだ。それに魅了された人は必ず言う「リコーでしょ」と。僕も同類だ。リコーの魅力にしっかりとハマった。たしかに扱いづらい。キャノンだったら楽だろうなぁって構図もある。でもこの徹底としたマニアっぷりがいいんだよなぁ。デジコンは買わないなんて宣言していたけど、これだけは別だった。そうそう、来年は銀塩がまた復活する兆しらしいね。
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海外「バリ島」
6年ぶりに海外に出た。門司港から韓国の釜山まで船旅して以来である。何度目かのバリ島。テロ以降に訪れるのは初めてだった。いつもクタに入り、ウブドに滞在し、またクタに戻る行程を、直接ウブドにインした。2週間滞在し、行きと帰りは台湾に一泊した。ウブドの滞在は本欄にある某酒場のマスターのお世話になったのだ。彼はバリ島で彼女とセカンドライフをしている。バイクを借りて、毎日駆け抜け、エステやマッサージを受けてたくさんリラックスが出来た。僕がかつて知っていたバリ島の面影は少なくて、すっかりリゾート地と変貌しても、やはりそのパワーは健在だったのだ。日本だと鬱陶しい雨も古い屋根が広がるウブドではとても心地よくて、22時になると、もう瞼が重たくなってずるずると寝てしまった。身体の緊張がほぐれている証拠だ。田園が見渡せる夜もやっている秘密のカフェでガムランの響きに包まれて、ビンタンビールを呑み、談笑して・・・。いつでもおいでと心強いお言葉を頂戴したので、また近いうちに行きたいものである。バリ島のセカンドライフも悪くない。そしてクタビーチ。そこはカオサン通りのごとく変貌を遂げていて、路地裏にまでびっしりと店が連なり、表通りは全部の店が入れ替わっていた。東京みたいである。ただ、スペーストライブの工場だけはいつもどおりだった。猫がいて商品がざっくばらんに置いてあって。2つほどだけ購入した。だって後は全部ギャルオみたいな洋服なんだもん。
*
*
国内「沖縄」
海外が6年ぶりだとしたら、沖縄はなんと23年ぶりである。12月に訪れた沖縄は気温が25度で、夜になってようやく落ち着く程度。レンタカーもクーラだし、ホテルもクーラー。だってホテルのプールで泳げるくらいだから。キャンプコートニーという、特別開放された基地のクリスマスパーティを攻めて、夜は白百合の古酒(クースー)でしたたかに酔い、記憶をなくして、ホテルで先に寝た友人にボディアタックをして、ジャッキーステーキハウスで分厚いステーキやら市場近くで沖縄そばを食べて、琉球のTシャツを買い、22階の特別なスウィートも抑えてラモスを見かけたりした。混沌とした猥雑な熱帯の夜は本土とかけ離れていて、すっかり気に入った。それにしても12月で25度はとてつもないよね。
*
*
開始「Twitter」
遅ればせながらもTwitterを今年から始めました。このサービスは何年ぶりかの昂奮で、思わず沢山の人に勧めている毎日である。我が社の社長も、つい先日やり始めて話題に・・・。まあ、それはいいか。チャットとSNSを足して因数分解したようなコミュニケーションツールは、140文字という限定された文字数でポストするにも関わらず、病み付きになる。自分の視座から見るタイムラインと呼ばれる多数のポスト。自分がフォローしている人の投稿が表示されるのだ。なんかサイバー空間に在る喫茶店で、いろんなグループがたむろしていて、その会話が文字化されているような感じ。そして、一番このサービスがしっくりくるのはiPhone使っているからである。豊富なクライアントツールがたくさんある。もちろん無料で使いやすい。最近こそモバツイという携帯向けサービスを提供したTwitterだけれど、自分のドコモ端末じゃ正直やる気がしない。iPhone、みんな使えばいいのに。特にTwitterする人は。そこの君、マイミクお願いしますとかメッセしている場合じゃないぞ。そんなこんなで、むしろ最近はiPhone使いでTwitterしてない人は何しているんだろう?と思うぐらい。当分はこのサービスに首ったけである。
*
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三好銀「いるのにいない日曜日」
このタイトルだけでピンと来た人は、相当の漫画マニアだろう。この作者生きているのかしら?と死亡説すら流れた三好銀が、91年~94年にスピリッツで掲載していた「三好さんとこの日曜日」の未収録作品の初単行本化である。およそこの先数十年経ったところで市場でお目にかかれるなんて思ってなかったので、感涙モノだ。買わないわけがない。というより、「漫画ばっかり読んでいるとそのうち漫画家になっちゃうわよ」と叱られつつも幼少から漫画を読み漁っている僕の中で、この作品は最高だ。一位二位を争う。中央線沿いらしき駅に住む、三好さん夫婦と飼い猫の物語。明日がたとえ月曜でも日曜日っていいよね。日常的な出来事を漫画にして、ほのぼのと、どこか哀愁漂う作品に仕上げている。「三好さんとこの日曜日」は残念ながら絶版だけれども、こちらは今年の12月25日に出たばかりなので、手に取りやすい。暖かい日曜日を想いつつ。
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Shpongle「Ineffable Mysteries From Shpongleland」
こちらも待望の1枚。シュポングルの4枚目のアルバムだ。トランス界の重鎮ラジャラムと、Hullusinogen名義で有名なサイモンのユニットが奏でる音楽は、トランスというジャンルを超えて幅広い層に支持されている。これまでの3枚がすべて名作であり、トランスという音楽業界の中でも極めて流行り廃りが激しいジャンルにも関わらず、これらのアルバムは僕個人はもとより多くのトランスファンにとっても殿堂入りの作品なのである。四つ打ちと呼ばれるキックが強くて145bpmあるような激しい曲でもないし、かといってゆるゆるのアンビエント、というわけでもない。踊ろうとおもえば踊れるし、チルしようと思えばチルできるのだ。まるで禅問答みたいだけれど、シュポングルの音楽ってどこかそういう趣きがあるんじゃないかしら。
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仕事「ユニオン」
業務歴は長いけれども社員歴は大卒並みなのに、どういう風の吹き回しか、数千人の代表メンバ二十数名の一人に選ばれて、毎週火曜日は19時から会議をしたりしております。これがなかなか刺激的で、たしかに本業じゃないので、本業が繁忙になると三途の河が見えかけたりしますが、やり応え十分あり。なにしろ背中に数千人の社員を背負っているので。その一環で名古屋に遠征したりもして社内の人的ネットワークも広がっております。本業で被らない人とは徹底的に被らないマンモス会社なので、こんな機会があると有難かったりする。なお、この仕事、俗に3年続けるらしいので、まあその覚悟で。3年後にはdelta君に持ちかけようじゃないか。
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映画「This is it」
ケーブルテレビに加入しているので、DVDと上映モノを併せると70本ぐらい新旧作を観ている中で栄えある第一位はこれである。なぜこれかというとそれは「This is it」が<今年の映画>だから。僕が言うまでもなく、世界一のポップスターが今年天に召された。僕は全然マイケルジャクソンなんて聴いてもないのに、あの日から流れるそのほとんどの曲を知っていた。だからこそ彼は最高のポップスターだったのだ。奇しくも同じ誕生日のマイケルの映画を上映最終日のレイトショーで観た。僕は後にも先にも会場が妙な熱気に包まれているレイトショーを観たことがない。それは本当に異様な光景だった。まるでライブ会場に足を運ぶかのような観客たち。映画のネタバレになってしまうが、この映画はマイケルのロンドン公演のリハーサルを映したもので、世界中から集まったガチなマイケル馬鹿ダンサーも映っている。彼らはマイケルと一緒に踊れるだけでションベン漏らすような大ファンなので、リハーサルといえども大拍手大喝采でマイケルを称える。1曲が終わるたびに拍手して口笛を鳴らすのだ。だから映画館にもその拍手が鳴り響いた。同時に僕は思った。最近のドルビーサウンドは半端ないなと。まるでその場に居るような臨場感なのである。でもおかしいな、こないだ観たターミネーター4でもこの臨場感はなかったぞ、と振り向いた瞬間。映画観ている人たちが泣いて拍手していた。ものすごい場所に来てしまったものである。さて、マイケルは本当に惜しいと思う。この映画を思い出すだけで少し涙が出てくる。たっぷりと愛の詰まった作品である。
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そんなこんなで、来年も with L-O-V-E で。
Remember,Red. Hope is a good thing, maybe the best of things, and no good thing ever dies.I will be hoping that this letter finds you, and finds you well. Your friend, Andy.
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snapped by: DOCOMO SH903i iPhone3G&3GS
つげ義春の「おばけ煙突」という、おそらく貸本時代の作品の冒頭に「煙突掃除殺すにゃ刃物はいらぬ雨の十日もね降ればよい・・・」なんて科白があって、煙突掃除の主人公が今日も仕事に溢れて家で鬱屈し、しまいには煙突から落ちてしまう昭和のストレートすぎるじめっとした作品がいうように、最近じゃブロガー殺すにゃ・・なんて科白が巷じゃ噂されている。
もちろん、オカルト映画じゃあるまいし、FC2でブログを開設したら数日後に失踪とかではなくて、「ブロガー殺すにゃmixiはいらぬついっとの10も投げればよい・・」で、Twitterの勢いが増すばかりだ。
SNSのサービスの在り方は本質的に従来のWebサービスとおんなじで、ややクローズドのコミュニティがあるけれども、Twitterは、明らかにこれまでのWebサービスとは異なる。進化を遂げているのだ。
一度憶えてしまうと大半の生半可なブロガーはこちらに流れるだろう。
圧倒的なライブ感。RTと呼ばれる、引用に近い投稿とハッシュタグやフォローという考え方。件名レスな部分も捨てがたいし、140文字というマイクロの世界に限定させた斬新さ。
残念なことにこのサービスだけは外から眺めているだけじゃ100分の1も理解できない。何が面白いか分かんないし、という知人が多いのも事実だ。
まあ、やんなきゃ死んじゃうわけじゃないから好き好きだけど、たぶんやったほうがいい。だってやった人はみんな病み付きになるから。
それでたいていの面白いことがそうであるように、まずは始めるところが大事である。
先日、とある秋の休日に代々木公園にて開催された、東西から集まった異色のメンバー達が、まるで寄せ鍋のように持ち寄った食材やらお酒を囲むというピクニックにご招待いただいた。
ブルーシートやら茣蓙を敷いて日没までドンチャンと呑もうじゃないかという会である。
知り合いから知り合いへ輪を広げるようにホスト役が随所に仕掛けを施しているらしく、まずは席次に着くと、ハート型のシールを渡されて、そこに名前(HNも可)と何をしている人なのかを書くシステムになっていた。ふと周りを見渡すと、女優だとか銅版画家だとかカメラマンだとか、なにやら面白そうな人物がいっぱいいる。
そこで僕もせっかくだから会社員なんて書かずに、「○○の中の人」と○のところに社名をぶち込んでおいた。そんなこんなで初めてのBUMPをしたりして笑いつつ交流を深めていると、やっぱりホストした子の魅力だろうか、集まっている連中がとにかく幅広い。高橋名人の本を編集したりファミ通に連載を抱えている方、エロ声優している女子、料理研究家であり女優である子、インディーズ映画(だったけな)のプロモーターやら、そんな皆様と作ってきたきんぴらごぼうをムシャムシャ食べてたら、あっという間に夕方になった。
愉しいときは時間が経過するのもあっという間なのである。
そこで更にユニコーンのてっしーのプロデュースでデビューしたロック姉さんと立ち話をしていたら、なんとなしに自分もロスプリモスの仕事をしていたんだよという話になった。それで、その夜、世界一周をしたパーティ夫妻が日本に戻ってきて個展を開いたので顔を出し自宅に戻り、いつもどおりにTwitterしていると、思わずタイムラインのスクロールが止まってしまった。ロスプリモスのボーカルの森さんがご逝去されたというのである。つい数時間前に話していた話題のシンクロはいったいなんだったんだ?ロスプリの話なんて数年以上したことがないのに。暫く呆然として動けなかった。でもそれじゃ何も始まらない。気を取り直してすぐに久しぶりの番号に回した。
当時の仕事の先輩に。そして大学時代の仕事仲間に電話した。
告別式の当日、十数年ぶりに待ち合わせたみんなはそれぞれ一様に大人になっていて、時が経ったことを実感した。我々は当時、森さんのことを看板と呼んでいて、仕事上では看板は近寄りがたい存在だった。しっかりと手を合わせ、残されたメンバーの皆様にご挨拶もした。
そしてふと思った。そういえば、この仕事のつながりでいつだったか、背広を着たっけなと。そう、それは皮肉なことに僕がこの仕事で背広を着たのはこともあろうか、看板の結婚式の日だったのである。
僕は背広をいままでに一着しか購入したことがないので、十数年前のとある日、祝いの席でこの背広を着たのだ。白いワイシャツに白いネクタイで。そしてこうも思った。結婚式と葬式はそれが生と死の相反する出来事だとしても、我々は一方で白ネクタイを結び、人生の門出を祝い、一方で黒ネクタイを結び故人を偲ぶ。なんだかそれは僕らにとって非常に近しい出来事で、結局我々は彼らの(あるいは彼の、彼女の)旅立ちに立ち会ったに過ぎないのではないだろうか。
僕らは常におくりびとで、様式的に─ネクタイの色を変えるだけで─時に笑い、時には悲しむ。僕らは彼らの旅立ちを助けたり支えたりする存在なのだ。
いつだったかタイのホワヒンでタイの葬式に参列した。その亜熱帯の夜の葬式は日本のそれとはまるで違う、祭りのような場所であった。音楽が鳴り響き、椰子の木のしたでアイスやらが配られたりした。
まるで葬式そのものが祝杯的な装置かと見間違うほどに。在タイの友人に尋ねると、来世観があるタイでは、葬式はもう一つの人生の門出だそうだ。だから決して悲しいばかりではない。現世に残された人々はできるだけその旅立ちを祝うのだという。
そんな幻想的な儀式の夜、満天の星がこぼれそうな南国の浜辺で、幾千光年も離れたところから輝く星空を眺めながら、僕らは人は死んだら何処に行くのだろうと語り合ったりした。
30歳を過ぎたときから、さほど誰彼にも伝えるまででもないけれど、これまでの二十数年に培ってきた<考え方>や<物事の見方>を180度とまでではないにしろ、変えてきたものというのがある。
その一つが<時間>に関する考え方で、20代と30代の境目で時間進行を─そう、それは30代がシニカルに捉えているという意味で─別の視点で迎えるようにした。
なにせ、20代の10年後は30代であるけれども30代の10年後は40代である。惰性的な毎日を下ネタばかりで埋め尽くすわけにもいかないのだ。
僕が30歳のときに「これからはこういう風に考えよう」と思ったのは、20代までの<時間>というものに対する考え方、例えるならば、まるで積み木を積み重ねるように過ぎていく蓄積な集合体であるというもので、高い塔を築きあげていく作業のようであると考えていた。
しかし、30代以降は時間というものは無限的な膨張する存在ではなく、その実体はきわめて有限で、30歳から31歳になった時点で、それは積み木がひとつ積み重ねられたわけではなく、<自分の持ち分として残された時間の目盛りがひとつ減った>のだと考えるようにしている。
こういうのは人それぞれが持つ考え方なんだけれども、どうも性格的に少しでも楽でイージーな方向に行きたがる自分としては、これぐらい褌を引き締める考え方で丁度いい。
時間の持ち分は決まっているのだと。そうすると何が大事で何が大事ではないか、もっと言えば、どれが最優先事項なのか明確になる。
まるで中華蕎麦屋が初夏一番の太陽を見せたときに、そそくさと冷やし中華のメニューを出すようなこの題名、PSYBABA.NETも遅ればせながら写真共有コミュニティに参加。
そう、「Flickr はじめました」である。
じつはこれiphone専用で使っている。iPhoneのカメラは、1200×1600の192万画素。 メール添付して送付すると、600×800になる。それでも当モブログのサーバのシステムでは弾かれるのである。つまり、サイズが許容を超えている。
モブログはドコモの端末からアップロードしていて、352×288のCIFでやっている。となれば、あとはiPhoneの写真をリサイズする以外に方法はないのである。
※ちなみにMMSのメアドをiPhoneで運用できるように機能が搭載されてから、モブログへのアップロードは可能ではある。
iPhoneの写真のリサイズについては、「Resizer」というアプリがあったので落としてみた。これは、リサイズというよりは写真の切り取りをするものなので、どうしても写真の構図が狭くなって芳しくない。ためしにモブログにアップしてみたけど、やはりしっくりこないのだ。
いよいよもって諦めかけていたところ(異常なやりかたでiphoneからドコモに送信して、そこから挙げるというのがあるけど、少し痛い人である)、いっそのことフリッカーでも使ってしまえば良いじゃんと結論に達した。実は、iPhone専用のphotoshareという、ものすごく最強の写真系コミュニティがある。ただ、唯一の難点は、まだブログパーツが充実していないのだ。一応データを吐き出しているので、どうにかすればパーツになるらしい。でも探してみても見つからないのだ。そこで世界で圧倒的なシェアを占めているフリッカーにして、右カラムにフラッシュで生成されるブログパーツを作ってみた。コメントはあえて英語にしてある。そのうち気の利いたことでもキャプションにしてみたい。
そんなわけで、iPhoneで撮影した写真は、ちょろちょろとフリッカーにアップしているので、右カラムのところでもよかったら見てやってください。写真のフラッシュはランダムに生成されてますんで、撮った写真をまとめて閲覧するときは、飛び先サイトの「ko_flicker's photostream 」を押してやってくださいまし。
そうそう、ちなみにiPhoneからフリッカーへのアップは「Flickit」というフリーアプリを使っているよ。なかなか(というか、かなり)優れもの。
ついったーを始めて程なく1週間ばかりが経過する。
140文字の呟きをネットに放流するのは、最初いかがなものだろうかと思ったけれども、少なくとも所謂ションベンblogを閲覧するよりはずっと健康的で、生きた言葉を知ることが出来るし、また投げることが出来る。
日本で一番シェアを持つ某SNS(ところで某国営放送と書いても匿名性の<某>にはならないらしい。なぜなら1つしかないから)が持っていないスピード感というかドライブ感は一度始めると病み付きになって、とてもじゃないがそっちでの更新をする方向にならない。特にiPhoneのアプリのユーザビリティに差がありすぎるのが一因だったりもする。
さて、どこから情報を発信するのかを考えてみると、例えば自分のドメインサイトからの発信は表玄関のようにかしこまっているとすれば、某SNSはクローズドのコミュニティなだけに閲覧権限も限られているから、表玄関から一歩奥に進んだ宅の玄関のようで、さらについったーはパジャマで連絡をとるような、まるで自分の部屋で部屋着で人を招いているような様相すら漂う。それがまたいい感じで。
右カラムについったー置いたので、、もしよかったらフォロー宜しくお願いします。
さっそくtwにもポストしたように、スペシャ主催の野外で、fishmansのボーカルがUAに決まったみたい。
関係性からハナレグミかUAかなとは思っていたけど。UAか・・。声いいもんな。
UAがカバーする頼りない天使は秀逸だもんね。でもやっぱり佐藤君じゃないとなぁ。故人は偉大だ。
そういえば、フィッシュマンズが大学の先輩だってのを記憶を紐解き、思い出したのがこないだ。大学時代に7留だか8留している先輩がいて、たぶん、世代的に言ったら、佐藤君のちょっと下ぐらいか、フィッシュマンズを絶賛していた。
当時学校にゴアパン履いて四つ打ちをしながら通っていたので、ゴアトランス以外にまるで関心なかったわけだけど、いま改めると、当時聞いておけば、まだ亡くなる前の佐藤君ボーカルが見られたんだなぁと残念で仕方がない。
記事の性質が関東圏─しかもとりわけ都内近隣─に絞られているので、きっと首都圏でしか売られていないだろう雑誌に「散歩の達人」がある。
なかなか見応えのある、つまりは雑誌文化の縮小が騒がれる昨今に頑張っている一冊であって、立ち読みじゃ済まされない訴求力があるコンテンツが目白押しだ。その名の通り、ぶらりとあてもなく散歩をするのに寄ってみたいお店や路地が特集されている。
職人技がきらりと光る焼き鳥屋さん、ホッピーの旨いあの店、富士が一望できる銭湯など心が和む。
先月号になるので、新宿のジュンク堂に在庫があれば取り置きできろうだろうけれど、もう入手できなかったら申し訳ない。特集が「東京とっておき散歩地図」だった。東京の選りすぐりの十二の街が特集されていて、そのうちの一つがいま住む街だった。
記事にあるように昭和の風景がなお色濃く残る商店街は貴重で、どうしてもこれからのご時世として、時代に渦波に飲まれるだろう無形文化財に近い存在だ。
恐らくは十数年先には違う形でしか商店街は残っていないと、推察するのは僕に限らず容易い。それだからこそ、その憧憬の牧歌的な商店街に現在進行形で身を置くのは、世界遺産には程遠いほど、時間の経過と共に風化するという意味合いでは実に等しく、喜ばしいものである。
本当に自分が纏いたい洋服やらアイテムが年齢を重ねると共に等身大で解ってくると、購買欲自体は抑止傾向になってきて、年数回程度しか買わなくなってくる。そんな簡単なことに気がつくのに随分とかかった。
流行り廃りは追わないまでも欲しいものはあるので、まあ、まだ煩悩は持ち続けているにせよ、である。
古きよきバックパッカーな時代、まずは目指すのは東南アジアの歓楽地バンコクであったから、みんな足元はビーチサンダルではなく、機能的なアウトドアのサンダルを装備していた。Tevaというアメリカのブランドのサンダルは1万少しするので、少々値が張るが、パーティで朝の8時まで踊りくるってもビクともしない頑丈さと快適なフィット感を持ち備えている。パーティ歴で言えば、もうそろそろベテランの領域になり、十数年経過すれば、さすがに頑丈なサンダルも世代交代する。去年の伊豆の廃墟で開催されたパーティで、現役のTevaサンダルが弱ってきたから、そろそろ買い替え時かなと思い、4月以降にアウトドアショップに足を運んだ。
5年ぐらいで履き潰したシロモノだ。
ところが、これが一向に待てど暮らせど店頭に並ばない。ゴールデンウィークが近づいても音沙汰がないから、いよいよおかしいと思い、店員に訪ねてみたら、なんと輸入代理店のゴールドウィンがTevaの正規輸入を撤退したらしい。2009年度の新作はあるけれども並行輸入でしか手に入れられなくなった。
店員は「まあ、すぐに次の代理店が決まるんじゃないですかね」なんて気軽に言っていたけれど、そこは危ない橋は渡らない精神のもと、新島にキャンプインするのだから、さっさとアマゾンにアクセスして2008年verを買い抑えた。もしTeva好きで今後も履き続けたい人は楽天にはまだ少し残っているから買ったほうが無難かも。
サンダル以外で購入したものといえば、先週ぐらいにKavuのストラップバケットハットを購入した。ご存知、シアトルのアウトドアメーカーである。
長髪だった去年までは、ある意味寝癖なんてないし、1年中結わって生活していたから整髪剤とは無縁で、つまりは帽子とも縁がなかった。なにせ長髪に帽子というのは痛い。春先に登場したら、ちょっとヘンタイっぽい趣きすらある。
そんなわけでここ2年は会社に通勤するときは整髪剤で髪の毛をビシッと決めるのだけれども、週末もそんなことやっていると、やや面倒くさいのである。きっと根がズボラなんだろう。もっと簡単に散歩したいものだ。そんな時に重宝するのが帽子のたぐいで、幾つか揃えてみた結果、これぞしっくりってのがKavuのストラップバケットハットである。Kavu独特のラインが一際目だって、アウトドアだけに及ばず、ストリートでも被れるし、パーティでも被れる。顎紐がついているから吹っ飛ばされることもない
。これからの暑い季節にもってこいのアイテムだ。週末は寝癖ボサボサの頭に帽子を被って完了である。
ところで帽子って言葉、じつは業界でしょっちゅう使う言葉で、特に自分の役割がたくさんある立場に居ると「あえて○○の帽子を被った形で発言すると・・・」なんて、立場を切り替えて議論に加わることがある。ちょっとここでは書けない日本じゃ誰でも知っているだろう某諸氏と議論のテーブルにつくことがあるんだけれど、そんな時に「○○の帽子で説明させてください」みたいに会議に出たりする。
要するに今現在の発言している自分とは、別の立場から説明や議事させてくださいってやつだ。
何せ、そもそもの会議通知は別のロール(役割)というか違うミッションを背負ったプレイヤーとしてアサインされているので、そういった趣旨の切り替えが必要ということになる。一例で言えば、ボランタリな立場とプロフィットな立場という、逆の側面それぞれで伝えたい議案があったりするのである。
同じような言葉で「いまからこの場で発言するのは○○の看板しょって発言します」みたいな宣言も使ったりする。
こういうのって、1人が幾つも役割を帯びているこの業界だけなのかしら。
半径ワンクリックの某SNSの皆様がpostされているように、我々も今年は例年通りの予定で島を巡った。
しかも、猫の額のような9800円のテントで野郎二人が寝ているテント生活は、毎年ホモ疑惑が生じていたので今回はスノピのテントを引っさげた(※)。
もう誰にもホモだなんて言わせやしないぜ。快適さだって抜群である。
※本当の理由は、去年テントの中で酔っ払いすぎて焦げ付いたフライパンをじかに置いてしまい、赤ちゃんの頭ぐらいの穴を空けてしまったのが買い替えの理由。テントが焦げると極悪な化学工場みたいな匂いが漂い、軽めの浮遊感を味わうハメになることを身を持って確認。
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それでも今年の島巡りは急遽の中止を最後まで悩んでいた。
実はまだ心の整理ができていないんだけど、4月26日に叔母がガンで亡くなった。こうやってあらためて叔母と書くと、なんだか二親等とか三親等とか社会の授業みたいになっちまってイヤなもんで、実際は叔母とかそういう立ち位置的な関係性を意識したことがなく、純粋に家族そのものだった。
物心ついたときからそばにいるのだから、当然の気持ちだ。
葬式は4月30日に執り行われて、僕は5月1日のチケットを持っていた。
親戚が集まり、思い出話で笑い、そしてやっぱり涙がこぼれて泣いて、みんな目を真っ赤にした。
喪主の叔父が「いままで本当に一緒にいてくれてありがとう」と最後声を震わせて泣いた時、僕も親戚みんなも人目をはばからずに泣いた。
叔父が泣いたのを見たのははじめてだ。
そして26日から30日の間、皮肉なことに悲しみを紛らわせてくれたのは仕事の忙しさだった。だとしたら、その悲しみを全部埋めてしまおう、よし、145BPMで島を駆け巡ろうと思った。
とことん疾走してみよう。どこまでも突っ走ろうと。
きっと僕なりのやり方で追悼し、偲ぶことが大事なんだ。
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さて、今年の島は毎日30度を越える真夏日で快晴だった。
到着した途端に身体中の細胞がざわめく感覚。久しぶりだ。旅モードである。
お馴染みのキャンプ場にテントを張り、ハンモックをぶら下げて、珈琲を淹れる。
新しい出会いと懐かしい再会。
日本語だったり英語だったりポルトガル語だったり。国際色豊かな顔ぶれが勢ぞろい。
鳥のさえずりが目覚まし時計。夜は宝石を散りばめたみたいな満天の星空のしたで火を炊いて、酒を注ぎ、寝ころび笑い、語り合う。
ヨウちゃんのアンプからこんな唄が流れてきて、それがグッと来てナイスで、島に感謝して。
やっぱり最高の場所だよ、ここは。
「いかれたbaby」 byフィッシュマンズ
悲しい時に 浮かぶのは いつでも君の 顔だったよ
悲しい時に笑うのは いつでも君の ことだったよ
人はいつでも 見えない力が 必要だったり してるから
悲しい夜を 見かけたら 君のことを 思い出すのさ
窓の 外には 光る 星空
君は見えない魔法を投げた
僕の見えない所で投げた
そんな 気がしたよ
来年もまた会えるよね。
With Big Hug & Love.ko
電子メールがまだそれほど普及していない90年代の旅事情の難点といえば、旅先のアドレスブックをうっかり失くしてしまうと、何ヶ月も一緒に旅の空を過ごし、これ以上にない思い出を分かち合い、そして別れの日はとても切ないんだけど、きっとまた逢えるだろうと信じて、お互いそれぞれの国へ帰っていった親友ともう一度逢いたくても、奇跡が起こらない限りは、逢うことすらままならない点に尽きる。
僕は旅先でアドレスブックを失くしたというか、複雑な事情で燃やしてしまったというか(どうしてパイプじゃなくて紙で巻いたんだろう、俺)、とにかく数枚のバティックと一緒にそれは灰色の燃えカスになってしまった。
インターネットがこの現代に貢献した最大の功績は、人と人とを繋げるツールとしてこれまで以上に可能性を秘めていることにある。たとえば myspaceのアカウントを持っていれば、隣駅に住んでいるかと見間違うほど近況を知りえることができるし、skypeがあれば電話だって出来る。
でも残念ながらに僕らはそうじゃなかった。
もし、僕らが2008年にヴァラナシで初めて会っていたら、そんな失敗は起こさなかっただろう。きっと僕らは、それぞれ日本とヨーロッパに帰国しても、互いに連絡を取ることができたはずだ。そしてすぐにでも再会できただろう。
けれど僕らは1998年にインドで出会い、陸路でネパールへ向かい、また陸路でインドに戻り、一時的に別れ、タイで再会を果たし、パンガンで踊ったのが最後だったのだ。
僕らが起こした失敗といえば、それはもう、二人ともアドレスブックを似たような事情で失ったほかにはなかった。
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あれから11年経ち、僕は、ややまともに社会生活を送ることができた。そしてしょっちゅう思ったものである、そう、「あの時の旅の仲間はどうしているのかな」と。
再会できる仲間とは再会できたし、いい関係にあるので、全てが過ぎ去ってしまったわけでもなかった。それでも真っ青な突き抜けるような空が広がって、心地よい風が吹き抜けたりして、それが旅の空にそっくりだったりすると、ふとした瞬間に考えたりもした。
僕の仲間はどうしているんだろう。元気にやっているのだろうか。もし、もう一度会えるとしたら、その時僕らはどんなことを思い、何を話すのだろうと。どんな11年を歩いてきたんだろうと。
僕らは奇跡を待つしかなかった。なにせ日本とヨーロッパは遠すぎる。11年、奇跡を待つにはやや長すぎる時間だ。でもやっぱりそれは起きた。
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とても気持ちのよい土曜日、僕は代々木公園で開催しているアースデイに向かった。幾人かの友人と談笑し、近況を語った。いつもの代々木公園の風景だ。
芝生側とコンサート会場を結ぶ歩道橋で一人の外国人に会った。彼女はヒラと自分のことを指した。とても奇妙な話だ。彼女の本当の名前はヒラじゃないのだ。でも、まあいい。とにかく僕らは時々出会う知り合い同士がそうするように近況を話した。ねえ、最近どうしているのと。
そうこうしているうちに、ヒラがもう一人の友人を呼び、僕を紹介した。僕らは握手し、彼女も微笑んだ。彼女の名前はビリーで、僕の友人─そう、彼の名はステファンというのだ─の顔見知りだったのだ。
「え、貴方の名前はコウっていうの?」
彼女は驚きを隠せなかった。
「ステファンを知っているでしょ」
え?いまなんて言ったんだい。僕は自分の耳を疑った。彼女の声が大きくなる。
「ステファンよ。ステファン!あなた、もしかしてステファンのお友達でしょ」
Oh,gosh i...i know you,you are really his friend,huh?
僕が自分の電話番号をすぐに渡したのは言うまでもない。
10分後、公衆電話から電話が鳴った。
「いま、オシュマンズにいる。」
彼は昂奮していた。もちろん僕もだ。
僕は駆け足でオシュマンズに向かった。僕の鼓動は高まった。
そこに彼はいた。11年前と変わらない姿で。僕がダッシュで駆け寄り叫ぶ。
ステファン! 満面の笑みでステファンが同じくらいの声で返す。とても懐かしい声だ。僕は思わず泣きそうになる。コウ!!僕らは思い切りハグをした。
it's amazing! 本当に奇跡は起きたのだ。
3日間、彼が東京に滞在できる残りの時間だ。僕らにはいっぱい話すことがある。
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日曜日も待ち合わせをし、アースデイに向かった。月曜日、僕は会社に行かなくてはならない。18時30分に仕事を終えて、新橋で待ち合わせをした。
サラリーマンの楽園を巡るのも一興だろう。
彼には生まれたばかりの子供がいた。iPhoneでmyspaceにアクセスしてみると、とっても可愛くて、目なんか彼にそっくりだ。
いまのお互いの仕事や暮らしぶり、これからの将来、たくさんのことを話すと、僕らにはいろんな可能性がまだまだたっぷりあることを感じられた。
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僕は、僕の周りで頑張っているみんなのような完全な旅人になることはできなかった。彼らは社会のシステムに依存せずに経済サイクルを築き上げサバイブしていた。彼らは旅を続け、そのなかで世界を構築していった。旅を続けていない仲間も、言ってみれば、一本独鈷で活躍している連中ばかりだ。
一方、僕は結局のところ、臆病者にすぎなかったのだ。彼らのような勇気を持てずに、社会のシステムに依存する構成員として歩む道を選んだ。そして、幾人の友人達のように旅先や、また旅から帰国して自らの命を絶つようなこともなかった。
それは本当にお前のやりたいことなのか。誰かが僕に言う。いや、そうじゃないんだ。ただ僕には勇気が足りないだけなんだ。
僕はどうしてか何かを裏切った気分になる。
彼と再会した時、僕が旅の世界にどっぷり浸かっていた時代の何かを思い出した。その何かを僕は数年掛けて磨り減らして、自ら意図的に離れていったのかもしれない。
そんなことを考えたのは久しぶりだった。そう、僕は、自らが知恵と勇気を絞って築きあげたシステムで働くことを選ばずに、誰かが作った既存のシステムに乗っかって生きる道を選んだのだ。
たしかに責任のある大きなプロジェクトを動かしたりもしている。数億円以上の金額が動いているのだから、大きいのは間違いない。世間性も高い。
でも、僕が乗っているその船は僕がゼロから作ったんじゃないんだ。最初からそこにあったんだよ。僕は単なる船員なんだ。
臆病者の僕は旅人にもなれず、かといって、社会システムに完全にも染まらず、宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎている。
先週の再会は、ターニングポイントだ。
運命は悪戯なんかじゃなくて、未来は同時に進行している。
何色にだって染めてもいい。
仕事の同僚には伝えて理解も戴けたので、一安心した。
来週から週一で学校に通うことに決定。
先月のエントリでも書いたように、去年の4月1日に、1年間はじっくりと仕事に専念して仕事を中心に生活をすることを心掛け、とにかく<慣れる>ことに没頭すると自分に誓った。結果的に幾つかのプロジェクトは成功を収め、非常に充実した。
そして仕事の流れは少しは見渡せるようになった。流れを掴むというのは大事なのだ。
そんな1年を過ごしたのだから、今年はまあ、自分に投資するのも悪くない。
何処まで自分のモノにできるのか、何処まで満足の行く在り方になれるのか。いずれにせよ、何事も機会を失ってはいけない。こんだけ成熟した社会だからこそね。自分を常に試してみようと思う。
大幅に仕事環境がガラリと変わってから、約1年が経過した。
1年間はじっくりと仕事に専念して仕事を中心に生活をすることを心掛け、とにかく<慣れる>ことに没頭した。業務時間後に帰宅しても、なかなか仕事のテンションが抜けられずに困ったぐらいだから、プライオリティの順位付けとしては、まあ成功したのだろう。
そんな1年を通した感想は、充実していたともいえるし、いささか味気ない─どちらかといえばバランス感覚が乏しいということか─と表現しても良いくらい、仕事人間だった。今年も相変わらず繁忙の予感だけはあるのだけれど、少し心情的に余裕が生まれたので、仕事以外にも手をつけていこうと思う。
なにせ1年間は手出ししていなかったのだから、こんなことをしたい!ってのだけは山のようにある。
それと最近は時間についてもよく考える。
僕には果たしてあとどれくらいの時間が残されているんだろうと。別に不治の病に罹ったとかではないし、ハットを被った子供姿の死神君が現れて、残りの寿命を告げたとか(解る人は解るよね。そう、えんどコイチの漫画です)ではないんだけれど、自分の時間なんて永遠だなんて考えてた若い10代20代と比較して、30代の今は自分の先を考えるようになった。
ある人はそういうのを人生設計というし、ある人はプランとも言う。呼び方に多少の差こそあれど、とにかく自分の残された時間ってどれくらいなのか、それを意識するようになった。そうすると、次第にやりたいことが間に合うのかななんても考えるようになる。まあ、1歩づつ1歩づつ、亀がゴールを目指すように。4月から会社が終わった後に週1で学校に通うかもしれない。
過日、某ファッションイベントで、ワールドプレビューし、世界を圧巻した「セカイカメラ」の熱気にようやく馴染んできたのでレビュー。
頓智・(とんちどっと)が開発したiPhoneのカメラを使った拡張現実だ。:
記事:
「世界をクリッカブルにするオープンプラットフォーム──「セカイカメラ」」
iPhoneのカメラは、その性質上、写真を撮影する機能が重視されていて、いわゆる<モニター>的な映像出力としての位置づけはそれほどではない。
「セカイカメラ」はエアタグと呼ばれる仮想世界における付箋のようなものを、現実世界の位置情報にマッチングさせて、iPhoneのカメラプレビューを通じて表示するというものだ。
仮想と現実が完全にクロスする。
つまりどういうことかというと、貴方が渋谷で誰かと待ち合わせをする、とする。渋谷のハチ公あたりでもいい。貴方はハチ公の位置情報にエアタグをくっつける。
「ここにいるよん」とかね。
そうすると待ち合わせの相手先がJR渋谷駅からひょいと降りて、ハチ公に向かい、iPhoneの「セカイカメラ」をかざせば、眼前のハチ公前の風景がカメラを通じてプレビューされると同時にエアタグをも映し出すというものだ。革命である。
ただ、そうすると世界はエアタグだらけで埋め尽くされていく。そこで頓智・(とんちどっと)は特定の条件にのみマッチングしたタグを表示するエアフィルタの実装も予定している。友達のエアタグ、ビジネス上のエアタグ、カフェ情報のエアタグ、昨日のエアタグなど時間軸をも条件に加えたフィルタリングを搭載である。
たとえば、こんなエアタグもできるかもしれない。
野外のパーティに行くと、タイムテーブルなんてのはどこにあるんだかよくわからないし、いろんな言い訳を隔てて、誰が回しているのかサッパリ意味不明なんてことがよくある。
そんなときに、「セカイカメラ」でブースをかざす。
オーガナイザによってブースにエアタグが附けられていれば、iPhoneのプレビューからブースの風景と共にタイムテーブルが表示されたりする。
また、こんなこともしょっちゅうあるんだけど、自分がテントをどこに建てたんだかサッパリわかりませんなんてのもある。そんなときに自分のテントの位置情報に自分の属性情報を含めたエアタグをくっつけておけば「セカイカメラ」でテントにたどり着けたりする。
人間自身が感知する視界以外にも情報が埋め込まれる。
世界は幾十にも階層化され深化していく。
そんな未来はすぐそこまでやってきている。
サーモス(THERMOS)といえば、魔法瓶で有名だったり引き出物でよく見かけるブランドで、燻製器とは程遠い。
そのサーモス(THERMOS)が簡単手間要らずの煙に困らない家庭用燻製器をリリースしているということで購入してみた。セラミックの鍋底にチップを敷いて、更に網をセットし、材料を並べて10分程度ガスコンロに掛けるだけ。そして10分経ったら、セラミックの鍋を保温器にセッティングして20分待つ。それで完了。なんだか料理というよりは実験に近いくらい手を掛けていないので、心配に駆り立てられつつも試してみた。
ガスコンロでソーセージを並べる。セラミックの鍋にはさくらのチップが5グラム。これを強火で炊いて煙が出てきたら10分弱火で燻す。燻した後は保温器で20分放置。
そしたらこんな艶々した燻製ウインナーの出来上がり。なんとも簡単。手軽に家庭で燻製を作るならイージースモーカーはうってつけ。香ばしい燻製独特の味わいが愉しめるのだ。
日曜の夜にこんな燻製をつまみながらビールを呑みつつ。
オバマ大統領の演説は、遠く海を隔てた日本の企業で受け入れられて、会社のスピーチなぞにも引用されるようになった。
演説力をもともと強烈に欲される国の代表であるので、つまりは「伝えたいことを伝えるべき内容で最も効果的に伝える」ことに長けているのは確かに学ぶ点が多い。なるほど、大統領の演説に集まったのは熱狂的なオバマファンの市民であったし、彼らは大統領の言葉に酔った。
しかし、そこには日本の経済の救いは見出せない。オバマ大統領はアメリカ経済を立ち直すことに全力を注ぐだろうけれど、日本の経済を救うのは海外の国の代表ではなくて、あくまでも日本人で日本の政治であるのだ。
まあ政治は実体経済からかけ離れているので訴求力があるとは思えないが、アメリカの大統領がどうにかしてくれるのはアメリカ経済のみというのは、悲観主義ではなく現実的である。
アメリカ大統領が日本経済そのものの立ち直りのトリガになるという主張は短絡的で、他力本願であるのは否めない。
ところでニューヨークの世評ではオバマフィーバーを牽制する意見が伸びてきている。これはオバマ政権自体を低評価するものではなく、過大評価を危惧しているものだ。要するにアメリカ経済が直面してる問題は未曾有であって、これこそがオバマ政権の大きな仕事になる。成果は未知数なのだけに、オバマフィーバは政権の本質的な実力を見過ごす懸念がある。
熱病の後の体力維持に気をつけないといけない。
先日、久しぶりに映画の試写会場に行った。
汐留のヤクルトホールで宮藤官九郎が監督した「少年メリケンサック」をやっていたのだ。友人より招待を戴いたので、甘えさせてもらった。
最近はこういうお呼ばれの恩恵を授かると、なんだか大人になったもんだなぁとしみじみ感じるのである。
この「少年メリケンサック」、宮崎あおいが主演を演じる以外の情報は何にも持ちえていなかったものだから、まさかパンクが主題だなんて知る由もなかった。田口トモロヲがボーカルを演じているのだ。
いまじゃ俳優業に板がついているけど、元「ばちかぶり」のボーカルである。それだけでも観る価値があるじゃないか。
ひょんなことから、中年のパンクバンドのマネージャをすることになった悲哀の女子、バンド連中の物語。
まだ上映が先なので、詳細は割愛するとして、なんと言ってもこの映画を観て欲しいのは、元パンクな連中だ。僕らはすっかりナマクラなナイフになっちゃったけれど、やっぱりパンクが大好きなのだ。マーチン履いて唾吐いて、すべての根源は初期衝動にある。
これぞパンク魂。
佐藤浩市演じる<高円寺のシドビシャス>は、全然落ち着いていない、どうしようもない糞なオヤジで、本当に最高だった。ヤキなんて回っちゃいない。
パンクって気持ちよくて最低で、そしてカッコいいな。
「なんでガキみたいな客に笑われるのに演奏しに行くんだよ。もういいじゃないか」と泣き言をいうバンドメンバーに「やりたいに決まっているからだろ。やらないと・・・やらないと俺ら駄目になっちゃうんだよ。やりてえんだよ」みたいな科白を叫ぶ佐藤浩市はクールそのもので、全体にコメディ感が漂う映画だけれど、このシーンで泣きそうになった。少なくとも学生時代にバンドをやっていれば心に迫る言葉だ。
初期衝動に忠実になれ。
5月19日の日本武道館3枚取れたぜ~。
横浜アリーナはつば被りシート狙っただけに、あっさりと敗退。武道館はビビって快適シートを予約したのが、勝因かね。
まさかの復活バンド、もう一度見られる事が奇跡的。
アルバム「ケダモノの嵐」に収録された夏の甘酸っぱい気持ちを歌い上げた名曲「自転車泥棒」は僕の1990年夏のアンセムで、当時はこれにとどまらず、どっぷりとユニコーンにはまってた。某大学の文化祭でユニコーンがライブをやるということで、友達と出向いたものである。まさか数年後にその大学に入学するとは思いも寄らなかった。それから1度だけ大きなライブを見たきりでユニコーンから遠ざかっていたけれど、いつだって僕のなかではペケペケが流れていて人生は上々で、やっぱりパパは金持ちで、僕らはsugarboyだし君達は天使なのだ。
髪を切りすぎた君は僕に八つ当たり
今は思い出の中でしかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた振りをして逃げた
とても暑すぎた夏の君は自転車泥棒
エビと阿部Bと民生をもう一度観れるだけで泣くな、きっと。
東京は武道館でやるみたいよ。まさか復活するとは・・。
最高のお年玉である。
こりゃ行くしかないでしょ。絶対に。
娘:
「い、いやっ。なんでこんなことするの?寄らないで。触られたくないっ」
越後屋:
「ぐへへ。まったくバカな娘だ。恨むんなら手前の親父を恨むんだな。絹屋の娘よ」
お代官様:
「まったくもってお前の下衆さには誰もかなわんな。越後屋、お主も悪よのお」
越後屋:
「いえいえ、お代官様ほどでは。どれどれ、こりゃ絹のように真っ白な肌じゃわい。娘よ、ちこう寄れ」
娘:
「いやーっ。おっ父っ~。助けてぇぇ」
越後屋:
「うーん、やっぱなんだか迫力に欠けるなぁ。せっかく時代劇コスプレということで衣擦れの音を再現しようとしたのに、なんかパッとしないんだよな」
お代官様:
「そうなんだよなぁ。ちこう寄れなんて科白は一番の萌え萌えなのに、なんだか白けるんだよね」
娘:
「あのさ、もしかしてなんだけど、このシナリオって言ってみたら勧善懲悪じゃん。善人がいるからこそ悪人も目立つみたいな。もしかして正義の味方が登場しないとスッキリしないんじゃない?」
越後屋:
「正義の味方ってものなぁ。誰か心当たりある?俺なんかこないだ幼馴染に、ちょっと時代劇のコスプレしないって言ってみたら絶縁しかけたぜ」
お代官様:
「たしかに。なぜか学園モノだったら保健室のシーンやりたいって言うくせに時代劇は誰も来ないんだよな。やれば面白いのに」
三人:
「う~ん・・・」
娘:
「じゃあさ、私の彼氏呼んでみる?こないだ家で練習したときに案外ノリノリだったし、すぐに呼べば来てくれるよ」
二人:
「マ、マジで。呼んでみてよ」
* * *
娘:
「い、いやっ。なんでこんなことするの?寄らないで。触られたくないっ」
越後屋:
「ぐへへ。まったくバカな娘だ。恨むんなら手前の親父を恨むんだな。絹屋の娘よ。お前はたった三両で売られちまったのさ」
お代官様:
「まったくもってお前の下衆さには誰もかなわんな。越後屋、お主も悪よのお」
越後屋:
「いえいえ、お代官様ほどでは。どれどれ、こりゃ絹のように真っ白な肌じゃわい。儂も十ほど若返っちまうわい。ほれほれ、娘よ、ちこう寄れ」
娘:
「いやーっ。おっ父っ~。助けてぇぇ」
将軍:
「待て待て待てぇい。貴様達の悪事も今宵限りだ。」
越後屋:
「むっ、何奴。何処から忍び込みやがった。怪しい奴め。天狗のお面なんぞ被りやがって」
お代官様:
「ここを誰の屋敷と心得ておる。天下の大将軍のお膝元と知っての狼藉か。者ども何をしておるっ。出合え出会え!」
将軍:
「娘よ。もう安心だ。おっ父も無事だ。」
娘:
「あ、貴方様は」
越後屋:
「お、お前はあの時の浪人!?」
将軍:
「そうだ覚えているか。汚い連中め。私が居る限り、この世に悪は栄えない。人呼んで暴れん坊将軍。今日もどこかで泣いている、イテっイテテ。ごめんちょっと待った。正座しすぎて足が痺れた。立てなくなっちたよ」
娘:
「もうっ。一番大事なクライマックスに・・。これからが盛り上がるのに。ほんとここぞという時に駄目なんだからぁ。なんで昼も夜も勃てないのよ」
ゴォオーーン。
良いお年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
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表参道「DJ稼業」
通しで1年、レギュラーでDJをした表参道のバー。4月から完全にダイニングバーとして営業をするということで、DJブースも撤退。それでも、かけがえのない経験を得た。音楽なんていうのは回すより回されるモノと捉えていたので(高校時代のしょっぱいアマチュアバンド時代を除いて)、知識も何もない僕にDJのチャンスを与えてくれた知人に感謝である。僕は彼らより一回り以上も年下の若造。色々と学ぶことが多い。また超本職DJのM君、今の会社で遡ること7年ほど前、なんにも分からなかった新人の僕にオブザーブをしてくれた最初の先輩である。これまた奇遇に隣の駅に住んでいらっしゃる。そのM君からDJ中にたくさんの事を学んだ。一緒にDJ稼業にお付き合いしていただきありがとう。これもまた縁を通じてのことである。
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身上変化「断髪式」
腰の位置まであった長髪をバッサリと切った。モブログにあるように今はせいぜい耳にかかるぐらいの髪型である。僕はおんなじ床屋しか行かないので、履歴を見てみたら7年ぶりだそうだ。予約も取らないまま平日の午前中にやってきた僕は、正直異様だった、1ヵ月半に1回のペースで訪れることとなった理容師さんは後に述懐していた。髪を切って何が楽かというと肩が凝らないね。それとシャンプーがすげー楽。ただ、寝癖がなぁ。結んでハイ完了ってわけにはいかないのが辛い。
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仕事「転職」
仕事内容はそのままで、もっとプロジェクトに関わる感じで転職。給与体系も年俸制。ナスは年2回。端的に言うと引き抜かれたのかな(で、いいのか?)最初のうちは戸惑ったけれど、社内社外の、「え、アノ有名人?」と一緒に仕事が出来たり、省庁の「うわ、こんなに偉い人?」と物事を進めたりするのは楽しい。自身のスキルにもなるしね。しかしまあ、俺がサラリーマンになるとは・・。いったい何処の誰が想像できたであろうか。ちなみにネクタイは初日しか着けていません。だってビジネスカジュアルでいいみたいだから。
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新島「キャンプイン」
もう毎年の恒例になっている新島のキャンプイン。5月1日~5日まで訪れて、平均睡眠時間は3時間。毎日が漫画みたいな世界である。船で一泊するんだけれど、去年島で出会ったJちゃんに会う。もう偶然というか縁というか。そんなんで初日からボトル数本空けて大宴会。Jちゃんなんて酔っ払って深夜の海に飛び込もうとするし、朝になったらみんなヘベレケだし、おまけに台風が直撃で荷物がどうにかなっちゃうし。それでもみんな大爆笑。島では毎年のお馴染みメンバーが大集合。焚き火をしてみんなでツマミを食べて踊って呑んで、フラフラになりながら浜辺までダッシュして、朝7時にたたき起こされて朝市に出かけて。夕方にはサンセットを眺めて、また夜に集まって。最終日、船上で僕の相棒はだんだん離れる島を見て泣いた。そして大きな声で「ありがとう~っ」と。僕にはその涙の意味がとっても分かる。島で出会ったみんなも分かるだろう。来年もまた訪れる予定だ。
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スノーピーク「アメニティドーム」
2005年ごろからコールマン一点張りのテントグッズムードから離れ、スノーピークに強く惹かれるようになってきた。日本のブランドだからこそ出来る匠の技。テントの中で苦にならない便利なアイデア。アメニティドームは、僅か9キロ程度で5人は収納が可能のテントである。機能的な前室はスペースを確実に確保でき、フライシート、ボトムの耐水圧はランドブリーズシリーズ同等の1,800mmである。パーティに持っていっても楽チンだし、設営にも時間が掛からない。2人で余裕で建てられる。スノーピークは決して値段を下げないし、それほど廉価で売っているところもない。職人気質のメーカーで、そんな企業の方向性も好きなのである。これから人生の間であと何回テントを買い換えるか買い足すのだろうか。スノーピークを選ぶだろう。来年の島には持ってきますよ。
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伊豆「ナチュラルスマイル」
去年に引き続き2回目のナチュラルスマイル。伊豆のスカイラインにある某廃墟で開催されたパーティである。このパーティ会場にゾッコンとなって今年も中秋の季節に踊り明かした。標高がかなり高く、パーティ会場からは熱海の夜景が一望できて、背中には大きく聳え立つ富士山。ゆるい野原のような芝生のパーティ会場で、満天の星空が包んでくれる。これ以上のロケーションは、10数年パーティに通っているけれど、東京近郊では皆無だと思う。やっぱりオールドトランサーとしては富士山への思い入れが強いので、霊峰を眺めながら踊る、あるいは霊峰をバックにして音と戯れるというのは極めて大事なことなのだ。そして夜景。絶景である。朝方に近所に住むG君カップルに出くわしたのは爆笑だったね。あんまり憶えていないみたいだけれど。
※この某廃墟は、NGOが管理していたんだけれど、来年から国が管理することなり、パーティ会場として使用することは事実上不可能になったらしい。また一つ伝説の会場になってしまう模様。
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北九州「秋出張」
9月の最終週に今年も北九州のセンタに出張。今回は同僚のdelta君も同行である。delta君は飛行機にめったに乗らないということで、搭乗中少し揺れるだけでおしっこをチビりそうになっていた。僕は彼の手をそっと握り、大丈夫だよ、ちゃんと着陸するからねと介添えしていたというのは嘘で、相変わらずガースカ寝ていた。
今回のセンタへの業務は決して明るくない話題もあったんだけれど、みんなが迎えてくれたので涙が出そうになった。黒崎で飲み明かし、2軒目には思い切り記憶を欠落させ、翌日には大海原が眺められる温泉へ。また来年も行く機会がある筈だから、また遊びましょう。
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ギア「iPhone」
日本でも遂に発売となったiPhoneを3台目の携帯として入手。私用ケータイに業務用ケータイに加えてiPhoneである。まるで一昔のテレクラ業者みたいな怪しさ。3ついるのかと訊かれても困るのだが、仕事柄必要なのである。さて、iPhoneはモバイルインターネット元年と謳われているだけあって、まさにネットのための端末である。フルブラウザなので、3Gで気の向くままにググれるし、何処に至ってネットし放題。SMSはチャット形式でまるで飽きない。グーグルマップが搭載されていてGPSがついているから、初めての街を歩くのにも地図が不要。電車の中でyoutubeが見れてipodが使える。まだ無料のアプリしかDLしていないが、こんなのがあって楽しいですよ。「産経新聞アプリ」、マスメディアで旋風を起こしたこのアプリは、なんと驚くなかれ、今日の新聞が丸まるスキャンされていて閲覧可能なのだ。「あなたのiPhoneに、新聞を 配達 します」という衝撃的なキャッチフレーズは伊達じゃない。僕は通勤中、iPhoneで新聞を読んでいる。まるでドラえもんの世界だ。ビジネスシーンで活躍するアプリもファイナンス系アプリあるし、まさに何でもござれである。音ネタで言うと、iPhone向けのDJアプリ「iPJ-Lite」が秀逸。タッチパネルを使ってターンテーブルやDJ用音楽再生機同様のDJプレイを実現するソフトウェアで、これも無料。TAPもできてCUEもあり、エフェクタもついている。iPhone2台とミキサーがあればDJできちゃうのだ。
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トラベル「箱根」
今年は2回ほど旅行した箱根。観光ばかりの箱根を避けて10年以上行っていなかったけれど、久々に訪れてみると、やはり温泉は抜群である。芦ノ湖近くの宿に泊まれば釣ったばかりのワカサギを目の前で天ぷらにしてくれて、露天風呂で日々の疲れをほぐす。美術館めぐりも愉しいし、湯めぐりもオツである。冬は冬らしく真っ白な雪に包まれて、それはそれで自然を堪能できるけれど、箱根はやはり秋がいい。すすきが黄金の大海原のごとく巡らされているのは必見だ。そのうち箱根に別荘を持ちたいんだけれど、どうにかならないかな。金でも貯めようかしら。
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マキシマムザホルモン「爪爪爪」
「爪爪爪」と「F」と「kill all the 394」の3曲入っているミニアルバム。3曲目は某SNSを歌い上げているアレである。たまたま観ていたスペースシャワーの特集がマキシマムザホルモンで、「爪爪爪」のPVだった。もうこれで一発でノックアウト。もうね、自分の音楽史で一番ロックだった時代、90年代前半のエッセンスがぎっしりなのだ。パンテラのごとくのデス声、初期NOFXのようなメロディとアンニュイじゃない時代のレッチリのフリーを髣髴させるベース、どれをとっても血が騒ぐ。実はsublimeのブラッドが死んだ年にロスに行って自分のロックを閉じたんだけれど、90年代初頭はスカンジナビア系(いまでいうスウェーデン音源)のミクスチャーとかメロコアをかなり収集していた時代なのだ。なので、ついついそんな頃を思ってしまう音であるだ。とにかくこの「爪爪爪」は最強である。嗚呼、ロックは久々に聴くといいな。
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そんなこんなで、来年もWalk this wayで。
男の友情は不思議なもので、年月を積み重ねれば重ねるほど、かえって照れくささが募ったりするものである。
言葉を交わさなくても、お互いがどれだけ相手のことを信頼し、また想っているかが解るから、ついつい口を閉じたままで盃を酌み交わし、別れ際にボソッと聞こえるんだか聞こえないんだか小さい声でお茶を濁したりする。ありがとう、ごめんね、そんな簡単な言葉こそ言えない。
指を折ってみると十数年ばかりの付き合いになる学生時代の親友も、そんな友情関係にある一人だ。
大切な旅の仲間である彼とは、初夏の季節になるとテントを担いで伊豆七島を巡る。釣りをして魚が釣れれば、文字通りそれを肴にして夜の帳を過ごすけれども、テクニックより運に任せている我々の釣果は、いつだって気まぐれである。
釣れない夜も枯れ木に灯りを灯してコッフルに島焼酎を手酌で注いで、これまでに訪れた国々の話をする。
そしてこういう夜は、不器用な男が作る簡単でラフな野外料理が旨いのである。バックパックには常時マヨネーズと携帯用のソルト&ペッパー、十徳ナイフとさばの缶詰が詰めてある。
これこそがテントの夜のつまみなのだ。さばの缶詰を切って水分を飛ばしてソルト&ペッパーをまぶし、マヨネーズを少々。
夜風に吹かれながら箸で突付く。そうやって夜が更けてゆく。
さて先日、その友人が実家から珍しく電話を架けてきた。一人暮らしをしてからだいぶ経つのだから何かがあったのだろう。
耳を澄まして彼の言葉を待つと「妹に子供が生まれたよ」と、なんだかしみじみした声で伝えてきた。おめでとう、と言いかけて言葉を飲んだ。なんかちゃんと面と向かって彼の肩を叩いて言ってやりたくなったのだ。すぐに電車を乗り継ぎ彼の自宅のチャイムを鳴らすと、親友が招いてくれた。僕の手には缶ビール。彼の手には何故かさばの缶詰。僕は思わず笑った。おめでとう、俺も嬉しいよ。がっしりと握手して気持ちを伝えると嬉しそうに彼が涙を拭った。「ありがとう。俺もおじさんになっちゃったよ」
そうだね、あれから幾分か我々も大人になったみたいだ。いつのまにか健康にだって気を使う。
AJINOMOTOピュアセレクト「サラリア」。コレステロールをさげるマヨネーズ。
来年の島のお供に。
もう何年もお世話になっている会社の先輩と、ある事情から私的な話題に及び、自分の誕生日を告げると「え、マジで?俺のお姉ちゃんと同じ日じゃん。俺が生まれてはじめて事故った日だよ」とのこと。驚いた。
*
*
九州の元仕事仲間が東京に遊びに来ていたので、同僚2人と僕とで新橋で出迎え小気味よく週初めから呑んだ暮れた。
ある事情から別の元同僚の私的な話題に及び、その同僚達の結婚話で盛り上がったので、勢いで写メールを彼にしてみると、見慣れない電話番号が画面に映る。
新職場で頑張っている元同僚からである。
東京の同僚たちは九州の元同僚と(ややこしいな)会話をするのは久しぶりなので、お祝いを告げ感極まり電話を切る。でも僕だけがなにやら違和感を憶え、その違和感は自宅に帰るまで払拭できない。
何か大事なものを見過ごしているんだけど、それが何なのか思い出せないのだ。落ち着いてもう一度携帯電話の着信履歴を眺めると、その何かはそこにあった。なんと九州から掛かってきた電話番号は、家族のそれと1番違い。そうかこれだったか。
こういう日は全ての存在を数字が凌駕する。
日帰り温泉といえば、東京都内だったら、もう数年前から深大寺の「ゆかりの湯」がダントツでブッチ切りの一位なんだけれども、どうも繁忙期が続くと「天然温泉むさし野湯らく」に足を運んだりする。JR吉祥寺駅三鷹駅、西武新宿線田無駅西武柳沢駅のそれぞれから送迎バスを出し、年中無休がモットーの日帰り温泉だ。運行時間こそばらけているけれど、会社帰りに立ち寄ってひとっ風呂浴びれたりするので嬉しい配慮で、あるいは日曜のちょっとした夕方の時間に、さてさて日帰り温泉などでもという時に便利なのである。施設は内風呂や露天風呂、そして別料金となる岩盤浴。地下1500メートルから引く温泉は東京独特の塩分の強い茶褐色のお湯で保温保湿効果が抜群。ph7.6の弱アルカリ性。適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、関節のこわばり、冷え性などなど。湯上りに確認すると、かなり肌がすべすべになっていて、これで明日の仕事も頑張れるなぁなんて気持ちに。ちょっと早めに上がって、バスが来るまでレストランでよく冷えた生ビールを呑むのがこれまた至福だったり。
「天然温泉むさし野湯らく」
武蔵野市八幡町1-6-10
年中無休(但し設備点検日は休み)
平日06:00~00:00(最終受付23:30)
土日06:00~01:00(最終受付00:30)
岩盤浴10:00~23:30(最終受付22:30)
大人 --\1560
小人 --\1050
朝風呂コース --\1050(06:00~08:00)
夜風呂コース --\1050(22:00~01:00)
岩盤浴 --\1050(60分)
─HP─
ブラジルへの移民100周年(だそうだ)を記念して、写真を機に両国の交流を深めようというこの企画。
森山大道がブラジルはサンパウロの姿を写し出し、ミゲル・リオ=ブランコが東京を写す。日常に潜むちょっとした暴力性が露呈する。森山大道の写真の圧倒さをまるで覆い被すかのようにミゲル・リオ=ブランコが東京をえぐり出す。早速週末に訪れてみたが、個人的にはミゲル・リオ=ブランコの写真がもっと見たかったぐらいである。そして写真展を出た時に思うのが、カメラは残酷だということ。弱者の視点から撮るとかそういう意味ではない。ファインダーから覗く絵に意味性を持ってはいけない。意味は嫌でもあとから追ってくる。絶対に。
■会期:2008年10月22日(水)~2009年1月12日(月・祝)
■休館日:月曜日(ただし、11月3日・24日、1月12日は開館、11月4日・25日、12月28日~1月1日は休館)
■開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
■場所:東京都現代美術館 企画展示室B2F
■観覧料:一般900円(720円)/ 学生700円(560円)/ 中高校・65歳以上600円(480円)
─詳細─
社会のシステムなんて糞食らえだ!と、四谷のシドビシャ夫はドブ板で小汚い野良犬のように野垂れ死ぬ運命を辿るはずだったのに、神様だか仏様だかジョニーロットン様だかの匙加減の手違いで、自分からスケープゴートする予定の社会システムにうっかりアサインしてしまい、往年振舞い続けていたのび太ライクな暇々生活の債務を清算すべく、毎日毎日を満員電車にゆらゆら揺られる人生を送っている。
会社は有り体に表現すれば戦場のような場所だけれど、ナレッジだのスキームだのタスクだの、果てはアクションプランなどという言葉を駆使して、パワポで資料を作成すれば幼稚園児にだって理解できちゃう上出来具合、プレゼンテーションをしようならばどんな難題だって有利に解決、発言をすればその会議に出席をしている誰よりも鋭く且つ理論的、湯水のように贅沢なまでに生み出されるアイデアはとことんオリジナルティ溢れる発想と、善良な読者の諸君ならきっと理解してくれると信じているが、はっきり言って自分の天才ぶりが恐ろしくなることもある。
同僚や後輩の熱い尊敬の眼差し、部長の安心しきった態度、派遣OL達の嬌声、どれもこれもがパーフェクトである。
しかし、そんな天才スーパーサラリーマンの私にも唯一のマイナススキルがあった。
本来ならそんなマイナス要素は伝えることすらもなく完全な姿をアピールするにとどまって幕を引くのがセオリーだが、ここはひとつ、あえて恥を忍んで私のマイナススキルを告白しようと思う。
私のマイナススキル、それは「カラオケ」である。
そう、どんな提案書だって30秒あれば作成しちゃう私なのに「カラオケ」が苦手なのだ。
いや、鬼門と言い表したって構わない。呑みの席だったら2次会だろうが3次会だろうが優しい私は地平線の果てまで付き合うのだけれど、「カラオケ行っちゃいますか?」という七三分けが酔いちくれモードで提案するアレが苦手なのだ。
千鳥足でカラオケ館に行き、曲をセットする。歌える歌は「サライ」ぐらいしかないので、毎度こんな歌を全力で熱唱してしまうと「金がねえのかな?」とか思われてしまう。
いや、だいたいカラオケで一人サライはいくらなんでも無しだろう。しかも全然締めの時間でもないし。
だから毎回、小気味よくタンバリンを振り続けるだけだ。最近はタンバリンを腰骨に当てつつ、腰をフリフリして叩くという技まで憶えてしまった。
まだまだ10代前半だったときには「飲みすぎたのは貴方の精子♪」と替え歌で「キャー、エッチィ」なんて、ションベン臭い声援を無償でいただけたが、30過ぎてそんな歌を歌った日には、たとえスーパーサラリーマンといえども、何処の僻地に飛ばされるか分かったもんではないものだし、かといってミスター・タンバリンの名称もさほど魅力がない。
歌う曲もこれから仕入れるので、修行の道である。
JunoReactorの「貴方は太陽~」というゴアトランス界のアンセムな「サムライ」があれば喜んで歌うつもりでいるパーティピープルの心掛けとは裏腹に、残念なことに大御所トランスの歌モノは今世紀中に配信される気配もなく、なにしろ今世紀は始まったばかり。そういうわけでいよいよもってカラオケソングなんてものを磨かざるをえない。
The ブルーハーツの歌には優しさが詰まっていると信じて疑わなかった10代(もちろん今も)、<青空>という歌の歌詞に涙しそうになったことがある。
「運転手さんそのバスに僕も乗っけてくれないか行き先ならどこでもいい こんなはずじゃなかっただろ?歴史が僕を問いつめる まぶしいほど青い空の真下で」という歌詞である。
人種問題に関する歌詞であることは言うまでもない。
先日、We can do!と声高々に叫んだ黒人は、アメリカ有史始まって以来の有色人種大統領となった。テレビで中継を見ていると、肌の色に関係なく支持をしていた有権者が喜びを顕わにしていたので、海の向こうの熱狂がダイレクトに伝わった。
黒人の有権者たちは感無量でかつ複雑な表情で、人種の壁を乗り越えた大統領を迎えた。47歳という若さも魅力の一つに違いない。
アメリカ近代史を学生時代に習ったことがあってもなくても、きっと名前なら耳にしたことがあるだろう人物にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがいる。キング牧師だ。アメリカの人種差別の歴史では必ず登場し、いまの<法的に人種差別のないアメリカ>の基礎に貢献したといっても過言ではない。
アメリカは100年以上前に奴隷解放宣言をしてアメリカ合衆国としての奴隷制度は廃止されたが、実のところそれから100年余りは白人と有色人種は公共の場で明確に区別されて、プールに一緒に入るなんてのは皆無に等しかった。
バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティがタイムマシンにて過去に戻ったとき、黒人のウェイターが働いていて、白人の店主に笑い混じりでちゃかされているが、その当時ですら当たり前だったのだ。それほど黒人は抑圧されていた。1964年に公民権法が制定されるまでは。
黒人解放運動は、ほんのつい最近のアメリカの歴史である。
さて、今回に大統領選では、1944年前後に生まれた黒人有権者もいる。彼ら彼女たちは1964年に20歳という年齢であり、2008年では64歳である。団塊の世代だ。
アメリカのこういった人種の壁を巻き込んだ歴史をずっと見続けた連中である。彼らは、オバマ大統領の時代をどう感じているのだろうか。
あの頃からたった40年余りで歴史が変わったと考えるだろうか、それとも40年掛かってようやく・・と捉えているのだろうか。
いずれにせよ公民権法が制定されてから40年後の出来事である。
狂乱麗踊(きょーらんれいぶ)な連休といっても、騒ぎを起こしていたのはもっぱら肝臓方面で、ぶっ続けで酒を呑んでいた。
2日目の土着系ヒッピーが集ったお祭りは、まるで数年前までは当たり前だった3日間連続の<まつり>を期待させるような規模と、やっぱり独特のユルさが心地よくて、やはりこの日も呑み明かしていた。いくらなんでも3日目は肝臓を労わらないとくたばっちゃうような気がしたので、山梨のワイナリーが大集合!という触れ込みのイベントは涙ながらにキャンセルして、まったりと自宅で過ごした。
大掃除をし、肌寒くなってきたから絨毯を敷いて園芸の手入れをしたら、どっぷりと日が暮れてる。それじゃあ、まあと、朝の誓いを脳の奥底に押しやり、着の身着のままで近所の蕎麦屋の暖簾をくぐって、天ぷらと日本酒一合(ん?)とせいろをいただいた。モブログにある写真である。
今年の山梨のワイナリーの新酒は試せなかったからではないけれど、ゆっくり過ごしている夜にはアクション映画よりも単館上映しているような、小粒の珠玉というストーリーに身を任せたくなるので、書庫から「サイドウェイ」を取り出してデッキにセットした。
離婚から立ち直れない英語教師のマイルスは、小説家希望だけれども出版社は何処も連絡がなし。彼の学生時代からの親友ジャックは俳優業を営みつつ婚約者と来週には結婚するという順調な人生。
結婚を1週間後に控えたジャックと、ワインおたくのマイルスがカルフォルニアへ旅に出かける。そして二人はマヤとステファニーという女性と出会う。切なくユーモアで、でも温かくて忘れられない1週間。
「人生の寄り道」をしたくなる映画である。マイルスをポール・ジアマッティが演じている時点でおそらくは食指が動く特定の範囲に位置する観客がいると思う(僕もその一人だ)。
映画の要素のひとつとして、彼らキャラクターの対比が描かれている。マイルスは、その人物の背景どおり、マイナス思考な人物として描かれ、婚約者が居るのにナンパがしたくてしょうがないジャックは本能むき出しの楽天家という人物で描かれている。マイルスは自分以上にワインに詳しく鋭い舌を持つマヤに恋焦がれるが、失恋の痛手から立ち直っていないので、なかなか勇気が沸かない。
ある晩、ジャックがふさぎ込むマイルスに「Do not drink too much. Do you hear me? I don't want you passing out or going to the dark side. No going to the dark side!(飲み過ぎてダークサイドに行くなよ)」と釘をさすシーンがあったので、ちょっと新鮮だった。
ダークサイドといえばSWシリーズ以外は思いつかないので、こんな言い回しでも活用できるんだなぁと感心した。知り合いのイギリス人に尋ねてみると「物語の設定でジャックが映画俳優ということもあるけれど、いいんじゃないかな」とのことである。ふむふむ。「No going to the dark side!」、何かと使えそうな科白である。
how every time I open a bottle it's going to taste different than if I had opened it on any other day.今日開けたボトルの味は、今日だけの味で、他のどの日に開けた味とも違うでしょう。
というマヤの科白に酔って、さて、今宵も乾杯。
Mr. Brown/
Let me tell you what 'Like a Virgin' is about. It's all about a girl who digs a guy with a big dick. The entire song. It's a metaphor for big dicks.
Mr. Blonde/
No, no. It's about a girl who is very vulnerable. She's been fucked over a few times. Then she meets some guy who's really sensitive...
Mr. Brown/
Whoa, whoa, whoa, whoa, whoa... Time out Greenbay. Tell that fucking bullshit to the tourists.
Joe/
Toby... Who the fuck is Toby? Toby...
Mr. Brown/
'Like a Virgin' is not about this nice girl who meets a nice fella. That's what "True Blue" is about, now, granted, no argument about that.
Mr. Orange/
Which one is 'True Blue'?
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snapped by: DOCOMO SH903i
予備校時代からの友人で14年前に一緒にバンコクやホワヒンを旅したりしたFと久々に再会をした。
予備校を卒業してそれぞれが異なる大学に通っても、なぜだか友人関係が継続して今に至る、という仲間が多く、Fもそのうちの一人だ。
最近はお互いが仕事が忙しくなり、年に数度しか会えなくなったが、どちらともなく酒でも呑みたいななんて思うと誘ったり誘われたりしている。輸入の仕事に携わっているFは、以前から経済に明るいので、近頃の混沌とした経済事情について語り合いたいと思っていたのだ。
そこで実に1年ぶりに会う約束をした。
僕が馴染みにしているトンカツ屋で、ままかりの酢漬けと自家製ラッキョウを食べ、エビス瓶ビールで乾杯をしたと思いきや3本を明け、「いい牡蠣が入ったよ」と板長が教えてくれたので、牡蠣フライとメンチカツを揚げてもらって、新米のコシヒカリでガツガツ食べ豚汁を飲み、一人2500円。まあ、安いほうである。
経済についてはそれぞれの解釈があるので、意見は一致したり逸れたりしたが、共通の認識として出てきたのが、ドル安である。
そう、14年前、我々がバンコクを訪れた時、円が94円ぐらいになって、旅人たちは複雑な気持ちだったのだ。円に比べるとドルのほうがバーツに強いので、換金するにはドルでしてしまったほうが割がいいのである。そのドルが94円に急落したものだから、なぜか安宿に寝泊りする汚い旅人も為替市場に食いついていたのだ。
その後、周知の通り、日本にはいよいよもって大不況が寒波のごとく押し寄せ、我々が大学を卒業する頃には、就職難のいわゆる氷河期がやってきたのだ。僕はその頃ネパールだかインドだかで白昼夢みたいな生活をしていたから、バックレモード全開で食らっちゃいないけれど(その後、ツケを払うはめになったけどね)。
さて、僕はFほど経済に明るくないし、また興味もあんまりないので大きなことは言えないが、思うに、円高がどこまで進んでしまうのか、つまりはドル安がどれくらい進むかが、大きな軸となって経済の再構築が始まるんじゃないかなと。
まあ、根拠はゼロなので(あるっちゅえばあるけど、そこはなんつうかね)突っ込まれても困るけど。
で、Fとは結局最後は、あの晩のゴーゴーバーの踊り子はとてつもなくエロかったという、ある意味、実体経済らしい話題で幕を閉じたのであった。
なんだかんだ言っても、裾野が広くて敷居が低いイージー感のあるmixiは手頃なので、チラホラ日記やら雑記を更新するけれども、自分のドメイン側ではすっかり更新が滞っている。勤め先では毎日が漫画みたいな生活なのに、例のごとくNDAが思い切り緘口令宜しく敷かれているので1ミリも公に書けない。
まあ、多忙でも超暇でもこういうところで仕事にまつわる話題を書いたことが無いので、元ネタ探しとしては影響受けないから、やはり怠っているというのか。
さて、iPhoneが端末として加わったことで携帯を3台持ち歩くという、一昔前のテレクラ業者みたいな日々を過ごし始めて数ヶ月、なんとまあ、iPhoneが思い切りぶっ壊れた。いわゆる初期不良ってのである。
ちょっと挙動が怪しいなぁと思っていたら、ある日突然<アクティベーション>を求める画面と<緊急番号>だけしか掛けられない画面が登場。そう、ネットでも転がっている故障とおんなじでババを引いちゃったのである。
神サマ、ドウシテ良心ヲ絵二描イタヨウナ私ナノニ、ケータイ壊レルンデスカ?と、突然とインスタントな信者になってもケータイは直ってくれない。
嗚呼、めんどい。
SIMカードは別端末で認識するので、完璧に個体に原因があると判明。itunesで復元やら更新しても変化せず。いよいよコリャ駄目だとアップルストアに駆け込んだ。
ipodbarの予約やらという七面倒な手続きをしたのちに2回目の来訪でサポートを受けることに。故障の再現性というか、回復の余地ゼロとの判定で、新品のiPhoneが手元に届くことになる。
彼らには彼らのNDAがあるのか(アップルはこの故障現象をまだプレスしてないので)、原因については詳細をはぐらかしていたけれど、どうやらファーストロットだから発現する故障ではなく<ある一定の期間に出荷された端末の基盤が起因>で発現するという、一休さんのとんちライクな回答をしてきた。ということで、運が悪ければ、もう一度同じ個体をしょっ引くことになる。
ご利用は計画的に。
バックアップはこまめに。
同伴出勤はここぞという時の切り札に。
9月の後半だというのに、昼間は蝉が鳴きしぐれるという、まだ夏の面影すら残る某日、残業を終えて死んだ魚みたいな目をしつつ素っ裸でテレビ(ワンツッスリー)を観ていたら、矢追さんが「超ヤヴァイ宇宙人映像」をプレゼンテーションしていた。
思えば幼い頃から口裂け女やら狼男や地底人を半狂乱じみて妄信していた僕だけに、こりゃ見逃す手はないなと前のめりでテレビに齧りついた。
第三位から映し出され、十分すぎるほどに我々の心を鷲づかみした矢追さんが一位に持ってきた映像は、なんとブッシュ大統領の演説の真っ最中に紛れ込んでしまった宇宙人の姿であった。モノホンだとしたら、まさに全世界に衝撃が走る瞬間である。
引っ張るだけ引っ張り、もうはやく見せてよと若妻のようにおねだりする視聴者の目に飛び込んできたのは、相変わらずの好戦的な態度でブチまけているブッシュ大統領。
だが、それだけじゃない。な、なんと、ブッシュ大統領の後ろには、たしかに宇宙人が映って・・・いる。いや、ちょい待て、映っているのか、これ?
なんだか紙芝居の出来損ないのような白い宇宙人(グレイ型)がひょろひょろと映し出されている。どう好意的に見ても、こりゃなんかが窓に映っているだけじゃないかというシロモノなのだが、矢追さんは「この映像は宇宙人が常に地球を監視しているという警告なんですよ」とシャブ中みたいなことを本気汁だして説明していた。
矢追さんが宇宙人は居るというプレゼンテーションをしたのに、なぜか見終わった後は「あーあ、やっぱり宇宙人はいねーのか」と、全然プレゼンの影響を受けずしてションボリとケサラン・パサランやスカイフィッシュと縁のない日常生活へと舞い戻った。
さて、今日も残業を終えると山手線に乗って家路に向かった。
運悪くiPhoneの充電が切れてしまって音楽が聴けない。鞄に入っている村上春樹が訳したグレイス・ペイリーの「最後の瞬間のすごく大きな変化」は文章のリズムがスッと入ってこなくて頁が進まない。そんな悪条件が理由なのかどうしてか分からないが、ふと宇宙人のことがよぎって宇宙人について思い起こしてみた。
一般的な通説で、なんでアメリカだけと宇宙人が密約を結んでいると囁かれるのだろうと疑問に感じたのである。
宇宙人が地球にやって来ると仮説を立てると、宇宙人は二十億光年も離れた銀河の彼方からわざわざ訪れているということになる。二十億光年というのは光の速さで計算しても二十億年掛かるという意味で、もう話がでか過ぎて下手したらオッパイが縮んじゃいそうである。
そんな遠く離れたところからやってくる宇宙人は、超長生きか超科学力を持っているかのどちらかだ。いや、下手したら両方かもしれない。
だからインターネット程度の技術で騒いじゃっている地球というのは、はっきり言ってド田舎だろう。ハイテクのウォッシュレットだって、彼らから見てみれば肥溜めみたいなもんである。ボットン便所だ。宇宙人はもうDNAとか改造しまくりだから、お尻で笛が吹けたりしても不思議じゃない。たぶんウンコとかしないに違いない。
地球の生命体は、宇宙人視点では猫も杓子も人間も同じで、それぐらい地球レベルを超えた宇宙人がわざわざやってきて、どうしてアメリカだけと密約を結ぶのか、これが大きな疑問なのである。
ブッシュ大統領がぶらり途中下車して、日本の某県ほにゃらら郡うひょひょ村大字3の牧場にいる一匹の牛とだけ仲良くするか?ちょっと有り得ない気がする。どれこれも同じ牛で差異はない。
だから宇宙人だって、アメリカとだけ仲良くするなんて、アンバランスな密約はない筈だぜ矢追さん!って脳内でまとまったら2駅過ぎていた。
週末がやってくるたびにルーシーと一緒にダイアモンドを抱えて空を駆けるのに、何故か一方では健康には気をつけている連中が多いこの業界、最近はめっきり某県が鬼門らしいじゃないですか。
アンバランスだとか矛盾だとか糾弾されても肉を食べない、つまりはベジタリアンだと宣言するのは珍しくなくなってきたし、卵も受けつけないし蜂蜜もNGだというヴィーガンを目指すのも当たり前になってきた。僕自身も十数年前の4年間ほどは実践していたので、過度の肉摂取は身体的にそぐわないんではないかと、経験則として認識している。
*
*
まあ、僕自身のきっかけは、何処かで書いたように、15年前の初インドがそれだった。
初めて訪れる印度亜大陸にブルブルと武者震いした僕は、深夜のニューデリー空港から市街地のメインバザール(東西の旅人が滞在し交差するマーケットのある安宿街だ)のゲストハウスにその晩の寝床を決め、僅かに灯りを灯している屋台でハンバーガーに舌鼓をうった。飲み物はサムズアップというコーラのパチモン。
今思い起こせば、わざわざインドまで足を運んだのに毛唐を代表する食べ物に手を出したのが運の尽きだったんだろう。喧騒とヒンディ語にボッタクリとデタラメが渦を巻いて、地面を灼熱が照らしている朝に僕は早速と亜大陸の洗礼を受けることとなった。
昨夜の屋台があった場所には何をしているんだかさっぱり分からないインド人が数名たむろしていて、喧嘩なのか談笑なのか絶対に判別できない会話がいたるところで繰り広げられ、屋台の真向かいには肉屋があった。
牛は人間より偉いんだか尊いんだかという国なので、牛肉は軒先には並ばない代わりに、羊のでっかい頭がそこにぶら下がっていて、その横に─たぶん、そうだったんだろう。もはや思い出すこともできない─鶏が逆さになって吊らされていた。
まあ、それぐらいだったら耐えられる。でもそこで僕が見たものは明らかに異質のものだったのだ。
数千、いや数万匹はいるだろうか、みっしりと密集した蝿の大群。
その大群が肉の周りを値踏みするように飛び回っていたのだ。ある肉の塊は、肉ではなく黒い物体だった。自分の眼を疑ったのは言うまでも無い。でも何度見返してもそれは揺ぎ無い事実だった。
肉の全面を蝿が覆っているので真っ黒になっていたのだ。ブンブン。
僕はそれを見た途端に胃のあたりに鈍い衝撃を受け、摂氏40度はあるというのに、文字通り鳥肌を立てた。大好きな小説の一節にタンドリチキンを食べてこそインドだみたいなくだりがあったが、それを見て以来、旅の期間、僕が口にしたのはベジフライドライスかベジカレーだった。
そんな生活が続いたせいか、今度は日本に帰ると肉が食べられなくなった。
蝿を思い出すとか清潔面からではない。ちょっとでも食べると胸焼けがするのだ。身体がぐったりする感覚。
そこで僕は思った。
「肉って、ほんとは健康に良くないんじゃないか?」と。
そして4年ほど似非ベジタリアンをしていた。魚は食べるし、時々ラーメンも食べるし、牛乳も飲むので、<なんちゃって>スタイルだ。明らかに肉として眼に映る形態は避けていたという感じだ。
いまはベジタリアンという生活スタイルについて強迫観念はない。以前は心の何処かで肉食について追い立てていたというか、罰則規定を設けているかのように、自分と肉食の関係性に場合によってはストレスを感じていたけれど(要は肉食を絶とうと努力していたからだ。煙草を僕は吸わないが禁煙みたいなものか。禁肉だね)、いまはそうじゃない。食いたいときは食えばいいじゃんかとアバウトに構えている。で、案外アバウトに構えると肉なんてそんなに食べないものだったりもする。
*
*
さて、話がちょっと逸れたけれど、先日、こんなニュースがあったのだ。「菜食は肉食に比べて脳収縮を引き起こす可能性が高い」というニュース。あんまり野菜ばっかり食べていると脳収縮を引き起こすらしい。脳収縮ってなんだか分からないけど、パーチクリンってことなのだろうか。野菜を食べることで健康を手に入れようとしてパッパラパーにはなりたくないものだ。
じゃあ、インドのベジタリアンはパーチクリンなのかというと、そうではないので、果たしてこの記事の信頼性そのものは疑わしいとも言える。ただ、肉や魚をあんまり食べなかったりすると、ビタミンB12が欠乏しがちというのは科学的根拠があって、その欠乏は脳収縮を引き起こす一因になってしまうらしい。
ちなみに脳収縮を回避するには、魚を食べることのようだ。魚に含まれるオメガ3(n-3系)の脂肪酸が、脳のシナプス中の柔軟性を高めて記憶力と学習能力を高め、痴呆や他の精神障害のリスクを抑えるとか。
何事も過度の状態はアレルギ反応が出るのかもね。過度に肉を摂取することも健康を損なう原因になりうるし、過度の肉の非摂取も健康を損なう原因になりうる。
まあ、焼肉デートはムフフな予感というのは、渋谷の恋の物語では、今もこれからもガチなわけですが。
東京で呑み屋を<上手に>経営したいなら、野球の話と宗教の話と政治の話をしちゃいけないとはよく耳にするもので、夜が訪れるたびに一心不乱に酒場の扉を叩く身としては、酒精で滲んだ記憶をまさぐりつつ、なるほどと頷くばかりである。
東京は読売巨人軍の本拠地なので、やはり巨人ファンが何処の酒場にもいたりするわけだけれども、同時に熱心なアンチ巨人もいるものである。だからシェイカーを振るだけに留まらずに、うっかりと巨人軍に対しての見解を述べるものならば、あとは想像するのもウンザリする口喧嘩の応酬が待っているのだ。
宗教についても同様である。東京には戦後最大の某宗教の本拠地(っていうのだろうか)があるので、圧倒的に信者が多い。と同時に、そこにはアンチも必然的に存在するのである。だからツマミを差し出すだけに留まらず、つい宗教観について一言挟もうなら、それはもう、辟易とした食傷気味な夜がアングリと口をあけているのだ。
政治についてもこれまた然り。地盤的には自民党が強いとは言いがたい土地柄だけれども、それは上述の2つの命題と同じだ。ただ、修羅場が待つのみである。
そこで、もし、貴方が東京で一旗挙げようと堅く決意していたら、このルールを覚えておいて損はない。
少なくとも、大切なお客を3人減らすことは防げる。
東京で呑み屋を経営するなら、野球の話と宗教の話と政治の話をするなである。
さて、先日、サルが猿山から下りてきて、緊急会見で質問してきた記者に言い訳するように「あなたとは違う」と呟いた。だとしたら、彼はいったい誰とは同じなんだろう?それとも誰とも同じじゃないのか。
ふー、酒でも呑みに行ってくるか。
NYタイムズが「美しい役立たず」と絶賛(?)したとかっていうくらいだから、よほど安っぽいと思いきや、そのチープさが醸し出す切ないメロディがツボにはまったりもする。切ないアンビエントな、そう、その名の通り、仏陀の御心に到達できそうなメロディが延々と繰り返される。
とまあ、それだけのアイテムだ。
世の中、何が流行るかわかりませんね。内蔵スピーカーから末期の老人の小便のように垂れ流されるチロチロとしたサウンドは9つあって、外部ジャックに差し込めば出力することも可能。KORGのエフェクタに繋げると、案外使えそうな仕上がりになるから驚きである。
このチープループ「Buddha Machine」は単三電池で動く。だから野外フェスなんかに持っていって、寝袋のそばに置いておくと、きっと仲間たちから大絶賛というコブシのプレゼントを頂戴すること間違いなし(いや、笑いのわかる、もしくは音に理解のある仲間だったら、きっと握手のひとつでも差し伸べるに違いない)。
カラーは7色。3465円なり。
─HP─
ちょっとした経緯があって、iPhoneを所有することとなった。16Gの白で、まだ届いていないけれど、おそらくは今月中には手元にあるだろうと願っている。
3Gでインターネットに繋げるし、ituneも使えるので、電話機というよりは、インターネットギアという扱いで遊ぶ予定である。そんなわけだからもちろん現ドコモは解約することなしにこれからもお付き合いしていただき、新規で購入ということになる。
さて、iPhoneを購入した最大の理由は、これからどしどしリリースされるであろう、iアプリの数々である。音楽系ソフトが早速リリースされていて、財布の口は緩むばかりだが、今一番期待しているのは、とあるメーカーが作成しているらしい、タッチパネル方式のエフェクター。これを使って、ituneで流している曲をウネウネと動かすのだ。そんでもって、端子に繋げて外部に音を放出するのだ。
そんなことをしてキャンプを楽しめたらいいなと思い、今日もまた「お届けメール」を待つ日々。
旨いもの屋がネットで名が売れるとすっかり不味いもの屋に成り下がる可能性の昨今、やっぱりここは名前も場所も控えておこうと心に決める、ある店がある。
カウンター7席程度の鰻屋は、浜松まで最高の鰻を求めて行脚したけれど、結局はこの店しかないと評価するグルメな友人お墨付きの一店で、老夫婦が営む小さな店だ。
あれ、こんなところに鰻屋があったんだ?と、もしかしたら通りの人々は気づかないかもしれない。そんな小さな店なのである。
ひっそりと暖簾を下げている店には遠方から人々が胸を躍らせて訪れる。
鰻は注文を承ってから捌き、焼いて蒸し、蒸しては焼いてを繰り返す。もちろん炭火で。活きのいい鰻はスルリと主人の腕から零れて一枚板のカウンターで宴をするくらいである。
注文してから1時間ほどして出来上がるので、待っている間は、これまた秀逸で丁寧な小技がピリリと効いている刺身や、サザエの壷焼きなぞを冷酒で戴き、静かに待つ。
鰻の放つ香ばしい香りにグッと耐えて。
満を持して現れる鰻重は、何度も焼いたり蒸したりを繰り返しているだけあって、これでもかというくらいふっくらとしている。自家製のタレが光り輝く銀シャリにしみ込み、鰻にしみ込む。すっと箸をいれると何の抵抗もなくずずっと入っていき、そのまま熱々を口に運ぶ。
鰻がとろけて、思わず目がうっとりとなり、店主を見つめてしまう。ほんとうにこんなに美味しくていいんですかと。
職人気質の店主は、ただただ微笑するばかりである。
中鰻重1800円。
え?ともう一度確かめるけれど、漆の塗られた品書きにはそう書いてある。
いやはや、恐縮するばかりである。
もし、貴方が本当に美味しい、本物の鰻を食べたかったら。PSYBABA.NETまで。
先日高円寺近くに引越しをした友人宅でホームパーティをした。
誰でも来ればきっと盛り上がるさという、ホスト(家主)の気前のよさも手伝って、九州から仕事でやってきて3日も経過していない友人も招いてしまった。僕は3年物のとっておきのブランデー梅酒と自家製糠漬けをカバンに詰め、ベランダの紫蘇を摘み、行きがけに豆腐屋で豆腐を購入して出向いた。
もちろんホームパーティの定番であるDJセットも忘れなかった。なんてったって祭りである。祭りというのは賑やかなほうがいいのだ。
友人宅には早速東西南北から友人たちが集まり、最初の乾杯の段階で12人くらいいた。その後入れ替わり立ち替り人々が深夜だというのに訪れて、合計で26人ぐらい現れたんじゃないだろうか。こうなってくると名前すら覚えられないものである。
持ち込んだ機材を駆使してBack to Backをして、ロックからトランス、果てはヒップホップとつなぎたい放題繋いで、音を鳴らし、朝7時までグテングテンになるまで呑んだ。もしその家にリングがあったらプロレスの試合だって始まったかもしれない。
要するにそういう種類の夜だ。
酔っ払いすぎると写真を撮り忘れたり、記憶のあるうちに1枚しか撮らなかったりするのが僕の特徴なんだけれども、モブログに1枚しか載せてないところを見ると、相当呑んだのかなと思う。
この夜に集まった連中は、友人の人柄だろう、個性豊かな人たちばかりで、サブカル好きだったら誰でも
知っているだろう聖書的な雑誌の編集長やら「たけしの誰でもピカソ」に出演していた絵描きとかわさわさ集まった。
彼らに深く感銘を受けたのは(といっても、その場で感動したり深い顔して頷くとか気持ち悪い態度をとるわけじゃない)、たとえ自分の方向性が時として自身を取り巻く世界と馴染まないとしても、決してスタイルを変えずに自分を信じて進んでいくという点だ。
そして、それがオリジナリティと呼ばれるものなのだろう。
早起きは三文の徳なんて言葉があるように、朝っていうのは思いがけないサムシングがハップンしたりする。
僕は朝の5時に、路上にてノーブラ姿で鼻歌を歌う20代前半だろう可愛い女子を見たことがあるので、本当に昔の人は上手いことを言うんだなあと感心する。
さて、平日の仕事日においても、朝の時間は大変貴重で、僕にとってのそれは、今日の仕事における全般的運用やら、趣味の世界での求道的な探究心など、冴えた脳みそで考えることのできる重要な時間である。
会社の始まる時間は9時なのだけれども、最寄の駅に到着するのは大体8時15分~20分。混雑のラッシュを避ける為と、朝の時間を確保するためにこの時間の出勤となる。
実際のところラッシュは酷いので、理にかなったりだ。
仕事の始まる時間まで随分と時間があるのは、まっすぐ会社に向かわないので喫茶店に立ち寄っているからである。この時間こそが一日を決定してその週を捉えて、積み重なり、人生の指針となったりするのだ。
オフィスのビルの1階にサンマルクカフェがテナントで入っており、毎朝このカフェで「プレミアムアイスカフェラテM」を注文する。エクセシオールカフェも入っていて、何度かサンマルクと二者択一に頭を抱えたが、サンマルクが一歩リードである。
ゆったりとした独立型のソファと騒がしくないjazz音楽。そしてたっぷりとミルクが注がれたプレミアムアイスカフェラテ。ガラス越しに映る爽やかな朝の風景。
この環境こそが脳内のシナプスをグイグイと刺激してくれるのだ。残念だけれど他のカフェだと、なかなかこうはいかない。
特にソファは硬すぎず柔らかすぎず何とも心地よい按配で、物事を思考するのにこれ程向いているソファはないんじゃないかという設計である。
プレミアムアイスカフェラテは300円する。朝から300円を使うなんていい度胸である。
僕は根が貧乏性なので、朝から300円使うことを放蕩の極致と考えちゃって、ついつい「いいのだろうか、こんな贅沢をして・・・」と悩むのだけれども、仕事で抱えているプロジェクトの行く末に関するアイデアが浮かんだり、日々の暮らしにおけるナイス発想が生まれたり、週末の遊びのスケジュールが沸いたりするので、決して高くはない。
むしろ300円で貴重な発想が生まれるのだから、最近では安いとまで考えている。
浮かんできたイメージはそれぞれ自分の脳内のフォルダに<ToDo>と<TASK>、<TIPS>、<What should I do <How should I be>とざっくりと分けて、プライオリティの格付けをしていく。もちろん脳内の出来事なので、このあたりはきっちりと決められているわけではない。感覚的に処理するのだ。
主体的で柔軟な発想、つまり創造性のある思考が朝の数十分で作られる。
あとはその生まれたイメージを逃がさないよう、なぞらえて可視化し具現化していくだけである。
まさに早起きは三文の徳だ。
ひょんなことから使う予定のiPhone。あれこれ考えるとMNPするよりはインターネットモバイルギアとして使えばいいのかなと思うように。
電話機だと思うと、どうしても足りない部分があるよね。だったらiPodでもいいんじゃね?となるわけだけれど、無線ポイントを探すそれより<どこでもアクセス可能>なiPhoneに一歩リードがあるというか、なんていうか。アプリの期待感も大きいし。8Gと16Gだとどっちがいいかなぁ。そこがいまの最大の悩み。
あとは業務用ケータイ含めて常に3台ぐらい持ち歩いているのはどうなのかね。見た目感というか、ちょっとアホみたいな気がしないでもない。まあ、僕の会社には全キャリ持った上で(イーモバもw)iPhone買うってのもいるらしいから、いいのか。
最近、巷で話題を振りまいているのは林檎印のケータイだったりして、どうやら片手でアレコレできるとかできないとかって話になっている。
新しモノ好きなアンテナ3本立てているギアフリーク若者は、1500人集まり買い求めに並んだ。まるでドラクエである。
ところで、同じような片手アイテムでも、こちらは楽器好きな連中の間で沸いているアイテムである。
ここまで世の中進歩したんだと感心した。
ご存知の方もいるだろう。Tonium の PACEMAKER だ。スウェーデン生まれの、このギアは、片手でこなせるMIXツールなのである。
120GBのハードディスクが内蔵、音楽ファイルをクロスフェーダーでミックスできちゃう。しかもエフェクトがついていて、FILTER、ECHO、REVERB、ROLLを内蔵。EQはそれなりの3バンド。つまりこれでCDJに匹敵しちゃうのだ。
踊るトランスDJが現れる日も近いな。
そんな衝撃のギアの動画でも。
【Youtube】
さて、今年も雨が降ったあとに訪れてくるのは夏。
もくもくの入道雲と緑の中で鳴くせみ。プールではしゃぐ子供たち。真っ赤に染まる夕焼けで語らう青春。幾つになっても夏が来るたびにドキドキする。
そんな7月第一週の週末イベント第一弾!
代々木公園で開催のアースガーデンだ。オーガニックでフリーダムなお祭り。
バティック敷いてカチ割り氷でビール冷やして、まったりと愉しむの一興だよ。
世界の屋台メシが大集合するし、ツマミも充実!?
2008年7月5日(土),6日(日)
at:代々木公園イベント広場&ケヤキ並木
10:00 - 17:00
─詳細─
これは絶対に行かなくてはと、久々に奮い立った「井上雄彦 最後のマンガ展」を上野の森美術館に観にいった。
井上雄彦は、1億2000万部以上売り上げている「スラムダンク」という超お化けマンガの作者である。いまはモーニングに掲載している宮本武蔵の半生を描いた「バガボンド」で注目を浴びている。
さて、実際の展示会は、当日券は3秒で売り切れ。前売りを握り締めているというのに1時間の行列(しかも平日なのに)で、どれだけ人気があるのかとうかがい知る事ができる。
「たかだかマンガの展覧会なのに、こんなに並ぶんじゃねーよ」と理不尽なまでに毒づいたのだけれど、これが展覧会に入場すると瞬時に理解できた。
なんと「バガボンド」の最終的物語の展示なのである。
僕の記憶が確かであれば、まだ掲載中の漫画では物語は途中なので、「こりゃとんでもないモノを見てしまっているんだな」と身震いがした。
ペンではなく筆を用いて細かに描きこまれているコマは、もう漫画の範疇を超えている。それだけではなく、ひとコマを3メーター近くの和紙で描いたりして、目がくらむばかりなのである。
ネタ的にバラすのはマナー違反なので、急にここから先は抽象的に感想を述べると、とにもかくにも宮本武蔵(武蔵)の最後が・・・。息も飲み込むほどの躍動感で、映画のように描かれている。
最後は鳥肌だ。この作者しか表現できなかったであろう唯一無比の世界。自宅だったらたぶん泣いていた。
その涙は、悲しみとかではなく、尊ぶ存在に自分自身が出会えたという感動で。
たかが漫画というなかれ。一度訪れたほうがいい。
*
*
ところで、東京という土地は、家賃は高い、人々は他人に無関心、キャバクラはぼったくり、電車は地獄列車と悪い側面ばかりが目に付いたりするけれど、文化的な情報では他所を寄せつけないレベルで質と量共に揃っている。
たとえばナイトクラビング。どんなジャンルの箱であれ、トップレベルの箱が週末になれば用意されていて、遊泳する深海魚のようにクラビングできる。
たとえば映画。中東のマニアックな映画であろうと、絶対に東京で上映している。いや、東京で上映していない映画なんてないだろう。
そして美術展や写真展の数々。東京が拠点となり、巨大な供給場所となっている。
毎週そんなことばかりしているわけではないけれど、東京じゃないとできない何かってのは必ずある。
残念なことにネットワークのインフラが整備されても、なお解消されないフェイズはあるのだ。amazonや楽天の功績は大きいけれど、個人がネットワークに通じていない状態では自らの足を使って、楽しみを得るしかない。
東京生まれでヒップホップ育ちのわりには東京を毛嫌いする傾向が僕自身の中にあって、それはなかなか大きなシコリでもあって、週末のたびに中途半端に東京郊外でお茶を濁して自然と戯れたりしてた。
だけれど、視点を変えてみれば、東京に絶え間なく流動している情報の波に乗らない手はないんだ。
少なくとも東京で生活する限りは、この土地に赦されている文化的基盤に甘えさせてもらうのはいいかもしれない。どうせ東京に住むんだったら東京じゃないと出来ないことを享受する。
こういうのって生き方のひとつなんだろうね。
ロシアのお酒といえばウオッカ。
現地ではウォトカと発音するらしいというのは、どこかの漫画で仕込んだネタである。アルコールは90度近くあり、無味無臭。
これって何かに使えるんじゃないだろうかって思った。そう、果実酒である。ホワイトリカーの特徴にそっくりだ。
そうこうしていたら、今年も梅酒の時期がやってきた。
2年前のブランデー梅酒、去年の泡盛梅酒。どれも琥珀色の梅酒で、喉を鳴らす。
先々週、浜松で開催されたシークレットのゴアトランスパーティに、2年物のブランデー梅酒を持っていったら、音が鳴る前に瓶が空になってしまったくらいである。
今年は新たなテイストでラムかウオッカか悩んだ。ラムは、それ自体が主張していて、独立的に味を保っているので、梅と共存できないような気がしたのだ。リーダーが二人いて衝突する部署のようである。
その点、ウォッカは静かな力持ちという感じで梅を持ち上げ、それでいながら全体に貢献する、職人のような風情がある気がした。
今年はウオトカで梅を漬けてみよう。3年物のブランデー梅酒をグラスに注ぎつつ、梅雨の夜更けに。
いま思い返してみれば、劇場型犯罪の先駆けのともいえるだろうか。
宮崎勤への死刑が執行された。犯人逮捕から20年である。
オタクというのは、気持ち悪くてロリータで犯罪予備軍であるという、一方通行な社会的認識を作り出したのはおそらく彼の仕業だろう。彼以前では、オタクではなく、<マニア>と呼ばれていたはずだ。
オタクという言葉なサブカルチャー的な世界でのみ使われていて、少なくとも一般生活には登場してこなかった。
突出的な情熱のある趣味を抱えていた者は、みなマニアだったのだ。
切手マニア、鉄道マニアなどなど。今日ではすっかりと、
一般的な度合いを超えた趣味性を持つ人間に対する蔑称はオタクという言葉にすげかわっている。
さて、離れ部屋に6千本のビデオを所有していたとされる彼の行動は、いずれにおいても当時では常軌を逸していた。30代前後の世代だったら、耳にしたことがあるかもしれない。「ギニーピッグ」というレンタルかセルオンリーの映画を。
ストーリーがまったく存在しない、ただ淡々と人を殺める映画だ。僕は勇気がなくて観られなかったけれど、当時観たという友人は無軌道な青い10代だというのに、どんよりと曇った顔をしていた。聞けば、ただひたすら人をひっぱたいている映画なのだという。画面の片隅に1003回、1004回とひっぱたいた数だけが映し出され、(もちろん特撮だが)叩かれた人はどんどんと変形していくという映画。
観る奴も作った奴も頭がどうかしちゃっているとしか思えない作品である。僕はこの大筋を聞かされたとき、公園でスーパーカップを食っていたんだけれど、ゲンナリして、すっかり食欲が失せたものである。
M君はこのビデオを所有していたのだ。逮捕以来、彼の素性が公開されると、このビデオもご多分に漏れずに知れ渡れ、そして自主規制という枠でレンタルビデオ屋から姿を消した。
*
*
さて、僕の地元は旧フジテレビのすぐそばである。
当時、街には大きなレンタルビデオ屋が一軒あって(ツタヤが世の中に現れるのはまだ先である)、僕と友人は夏休みにたまたま映画を借りに来ていた。
プラトーンにしようかネバーエンディングストーリーにしようか迷っていたところに、あのフジテレビが取材にやってきていた。
目的は、ずばりスプラッタ映画である。なにせ、世間に衝撃をもたらしたM君が大量に所有していたのだから。
僕と僕の友人は、その取材班を見つけると、ヒソヒソと相談をし、「きっと僕らみたいな若者が熱心にホラー映画コーナーをうろついてたら取材されるだろう」という結論に達した。
中学生なんてきっかけさえあれば目立ちたいのである。そこに思想なんてものは作用しない。
そういうわけで、2人して借りる気も無いホラーコーナーで、わざとらしく「これがいいんじゃない?」なんて、むごたらしい映画を手にとって取材班を刺激する画を醸し出した。するとやはりというか、取材班のチーフみたいのが「もしよかったら取材させてくれないかな」と乗り出してきたのだ。
僕らは内心ウキウキしているにも関わらず、努めて冷静な、ちょっとまあ面倒くさいけどいいよね的な顔して承諾した。
撮影時間15分程度。こういう映画ってやっぱり借りたりするんですかという質問に、僕の友人は一度も借りたことないのに、「ええ、けっこう借ります。こういう残虐なのって一度観ると興奮してやめられないっすよ」とかなり適当に答えた。
そして数日後。僕らの映像は3時からのワイドショーで思い切り使われていた。
そして僕の友人が答えた適当なセリフが、<いまの時代を象徴する若者>として、残虐な映画を観る10代達、彼らを駆り立てるものは?なんて喧々諤々と物議をかもしていた。
コメンテーターと識者までもが、僕らの映像ひとつで時代を憂いたり、理解できない若者たちの嗜好に近づこうとけっこうな時間を割いていた。
世の中ってヤバくて脆くて怖いなって、14歳にして知った。暑い夏の盛りの思い出である。
あれから20年経とうとしている。
1年のうちに何回か妙に「マスターキートン」を貪り読みたくなることがある。
そわそわと落ち着かずに本棚に足を運ぶぐらいだから、その求心力は押して知るべしで、1巻の「水を飲ませてやれ。やつは・・・」なんてシーンに始まり、ノンストップで突っ走る。
まるで特攻野郎Aチームみたいである。
敬愛するユーリースコット教授に再会して、「Mr.キートン…立派になったな」と温かい言葉を掛けられる場面なんて、そりゃもう、号泣である。歴史に始まり、サバイバル技術に考古学、漫画とは思えない幅広い情報に頷くばかりで、全巻通じてハズレがない。珍しい漫画だ。
もちろんそれは多大な影響を与えるということにつながるので、僕は「ワインを慎め。それから・・・・・・ 新鮮なグレープフルーツジュースを飲むんだ!!」の言葉どおり、最近毎晩グレープフルーツを絞ってジュースにして寝るようにしている。きっと身体にいいに違いない。なにせ、マスターキートンに書いてあるんだから。
さて、ワインというかアルコールのほうは慎むというよりは、なんだか週末になると妙に疼いてきちゃって、なんだかもう・・。
先月、渋谷の「たばこと塩の博物館」でギャラリーを開催した叔父が、サイン入りの図録を送ってくれた。
総頁126あまりのそれには、決して日本ではお目にかかれないだろう、世界的にも稀有なビンテージのキリムが余すことなく掲載されている。叔父が云うには、彼らの生活に深く密着したキリムは、決してドルや円には変えられない、いわば彼ら自身を投影した貴重なものであり、つまりは他人にはやすやすと譲らないらしい。彼らが砂漠に建てるテントで何十日間も一緒に生活し、塩の入ったバター茶を飲み、水パイポを喫い、羊の肉を食べ、赦しを得て、ようやく手に入るのだ。いわば友情の証である。遊牧民が語り継いできた織物には砂漠の匂いが染み付いていてシルクロードの汗が染み渡っている。
毎年訪れている新島で、今年は初日に雨が降り、テントの中での生活を余儀なくされた。
狭いテントでも心は錦というか、しっかり酔っ払ってしまい、鉄鍋をひっくり返して、とうとう8年間使用し続けたテントにポッカリと穴を空けてしまう漫画みたいな出来事も起きた。
これからが野外の季節だというのに、この打撃は痛い。
そこで、来週の週末に攻める予定のイベントを機会に、給料少ないのに心機一転して、新しいテントを購入。スリム化を目指しているので、僅か3キロ程度のコールマンのファッドX3にしようと思ったんだけれど、ビクトリアの兄ちゃん曰く、通気性が悪く、日本の気候には不向きらしい。
しかも、2人以上では厳しいとか。ならば、ここはひとつ清水の舞台からダイビングする気分でスノーピークのテントをチョイス。
アメニティドーム3万4800円だ。重さは8.9Kg。大人2人子供3人のスペースだから、テントで子供連れたり、子供作れたりする広さである。そして日本が誇るアウトドアメーカー。痒いところに手が届くという感じで、いろいろと細かいアイデアが豊富。そんなわけで今年はコイツで野外を攻めますよ!
鮭が季節になると育った河に戻ってくるように、一年ほど一時的に実家に(出)戻っていた友人が東京にカムバックした。
かつての住まいは2つ隣の駅だったのが、今回は1つ隣の駅だ。まさにご近所さんである。東京生活が面白くなってきた。
その友人とはミレニアムのバリ島のパーティで偶然会ったのがきっかけだ。ウブドと呼ばれる田園の村で、ふらふらと夜気持ちよく散歩していたときに出会ったのだ。それから日本に帰っても縁が続いて、なんだかんだで8年も時が経過した。
もう友人はパーティ業界を引退したけれど、数年前にリリースされた某球家のコンピアルバムは、じつはその友人の貢献なしでは成立しなかったアルバムだったりする。ジャンルを飛び越えて、音楽の豊富な知識をもちえている貴重な仲間だ。多趣味であり、サブカルに異様に詳しい。
そして、いま、我々がハマっているのは酒場巡りである。それも大衆酒場。さあ、初夏の誘いに乗って、夜の市長を名乗りでようじゃないか。
神経が擽られるような、ざわつく写真を撮り続けて、我々を魅了してやまない森山大道の写真展が開催中。
レトロスペクティブと称されたイベントは、1965年~2005年の写真を惜しみなく公開だ。
眠れない夜を過ごしている不眠症の貴方、もっと眠れなくなる写真が此処にあります。
■会 期:2008年5月13日(火)→6月29日(日)
■休館日:毎週月曜日(休館日が祝日・振替休日の場合はその翌日)
■会 場:2・3階展示室
■料 金:一般 1,100(880)円/学生 900(720)円/中高生・65歳以上 700(560)円
※( )は20名以上の団体料金
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料
─詳細─
検索エンジンの世界で、Googleキラーが現れたと噂が流れ、一世を風靡したのは記憶にも新しい。その名もPowerset。
たしか2008年が正式なリリースだったんじゃなかったかなと思い出し、ググってみた(どこか矛盾している、この探し方)。
やっぱりそうで、ちらほらと低温火傷のようにくすぶり、うりゃっとIT世界を炙っている。
人工知能的な検索というのは衝撃的で、いよいよここまでやってきたのかとも思う。
昔ハマった漫画に「魔界都市ハンター」っていう、少年チャンピオンで掲載していたのがあって、その最初のほうに、人間が作った神というスーパーコンピューターが登場した。
シックスセンスな能力者である博士が、そのマシンを使って、神様の存在を見つけるってシーンがあった。コンピューターはたしか「神はどこにも存在しなくて、同時にどこにでも存在する」なんて答えを導き出し、火を吹いた(う、記憶があいまい)。
果たして人工知能は何をどう導き出すのだろうか。
虚無からではなく有理な情報から回答を導き出すので、彼らの回答は、いわゆるメタにメタなメタすぎる検索結果の集積だ。
でもね、きっとそうだろうけれど、もし、科学が進んで、よく言われるようにコンピューターが自我を持ち出したら、どうなるだろうか。マトリックスとかターミネーターの闘いは、ないだろう。
人間を不要とする彼らは、同時に自身の存在意義に懐疑的になり、自身の手で自らを消失させるのではないだろうか。
福利厚生を調べてみると、巨大な会社だけあって、やたらと充実していることが判明した。
全国どこでも映画が学生料金程度で観られたりすることを始めとして、居酒屋での割り引きチケットやら温泉宿の超格安プラン。どうしてなのか会社近くの本屋で10%オフだとか、なんだかわりと便利だ。
特に月に必ず1回は訪れる日帰り温泉が300円引きで毎回入れるのは素敵。小額とはいえ、こういうのを積もると後々大きくなる。
それ以外にもここでは書けないお得がたくさん。業務はてんてこまいで日々の闘いを要求されているのだけれども、徐々に慣れてきたら、思い切り使ってみたい。
残業が20時過ぎて、帰宅が21時近くになるだろうというところに、私用携帯電話宛に近所に住む友人から1通のメールが送られてきた。徒歩20秒の場所に住む友人が駅前の焼きとん屋に寄っているというのだ。
ご近所同士だからこそ気さくに待ち合わせできるというのが特権。水曜という、週の天王山にも関わらず、僕も2杯程度だけならと暖簾をくぐった。毎日、会議体だけでも3つ4つ割り当てられて、それでいて社長がアノ○さんなものだから、つまりまあ、呑んでなくちゃやってられないのだ。だって社長直々の指令が直接やってくるんだから・・・。まあ、その話はいいか。
パーティ仲間である友人は、7月くらいを目処に彼女と同棲生活を始めるらしい。それに伴い引越しを検討していて、他の土地に住むかもしれないとか。
普段はみっちりとツルむわけではないけれど、世知辛い都会生活、なんとなく友人がそばに住んでいるだけで安心していたものだ。それだけにちょっと寂しくもなったりした。もし許されるのであれば「私鉄沿線各駅停車コミューン計画」を密かに練っているので、これからもご贔屓願いたい。
そういえば、NYのソーホーも最初の一歩はそんなところから始まったのだ。
「何ができるか」「何をするべきか」「何をしたいか」、それらの線引きを明確に引くことによって、解決までの手順が浮き彫りになってくる。原理原則だからこそ疎かにできない部分である。
男のつまみというと、手っ取り早くて、安くて、適当でありながらも旨くて酒に合うっていうことになるだろうか。こだわりのレシピなんてものは存在しない、ざっけな食べ物で、極端な表現を借りてしまえば、最大限に手抜きした手料理だ。
独身生活のお供のつまみは、同時にアウトドアでも、およそ比類ないほど活躍を見せてくれる。そんな男同士だから許される、ガードの低いレシピを今日は紹介。
火力すら使わない。僕は先日キャンプインした新島で、初日に大雨にぶち当たり、わずかに足が伸ばせる程度のテントでランタンを灯しつつ、野郎2人で、こんな料理をを盃片手につまんでいた。
緊急避難的なおっさん料理だ。しかも酒用の。
それを野郎のレシピと名付ける以外にどう呼ぶのだろう。
▼材料
--さばの缶詰(水煮)
--塩コショウ
--マヨネーズ
▼レシピ
1.さばの水煮の封をあける
2.缶詰内の水を切れるだけ切る(切ったほうが絶対に旨い)
3.塩コショウをお好みでふりかけ、マヨネーズを適量入れる
4.箸でかき回す
たったこれだけ。
おそらくは3分くらいで料理が完成するだろう。
しかし、侮るなかれ。まるでさばの水煮が、コンビーフのように生まれ変わること間違いなし。
食べ物にイチャモンつけることに関してはミシェラン並みの男が言うのだから保証する。マヨネーズの酸味と塩コショウの味つけ、そこにたっぷりとしたさばが混ざり合わさる。
日本酒・焼酎・ビール、とにかく酒が進むのだ。ぜひ、一度。
仕事(毎日の労働)とはベクトルが違う方向で、なんだか自分のなかでアイデアが浮かんできた。仕事にできたら面白そうな内容だ。そういうアイデアを寝かせつつ、仕事とは別に進められたらいいなと思う。まずはホニャララから押さえてしまう。そっから先は5人ぐらいで始めたい。と、やけに抽象過ぎる文章だな。
仕方ない。自分でまとめられていないモノを誰かに伝えることなんてできないのだから。1人でするよりも5人でするほうが、話が早いって例もある。それは度胸とか勇気とかメンタルな面ではなく、実際的で物理的にだ。要するに<数で勝負>ってのだ。これからはマクロとミクロ、両極端で<数>が勝負になってくる、と思う。
親父どものワンダーランド、新橋で酒杯を酌み交わしてきた。
会社帰りにってやつだ。クソッタレなろくでもない仕事なんてのは、夕暮れまでのオママゴト。息がしたければ、漆黒の闇が街を包む前に飛び出さないと駄目だ。
島に同行した相棒から写真が焼きあがったって連絡あったので、花の金曜日に繁華街にダイブした。大露路で300円のツマミを食べて、ぼんそわで立ちんぼみたいに350円の白ワインを口にした。
相棒が持ってきた写真は最高だ。島の生活が最高だったから当然だろう。
例の、あの鳥肌がぶわっと一斉に上を向く感覚、根っこの部分から呼び起こされる感動、すべてがそこにあった。
僕には、どれも上手く言葉に出来ない。写真に収めるのも難しい。
つまり、いつまでも圧倒的に隔絶した何かがそこに横たわっているのだ。表現という手法を用いて、再現することが何時しか出来るのだろうか。本当に泣きそうな感動を得たときに、いつも思ってしまう。
要するに、何十年前かにブルース・リーが放った言葉そのものだ。
「Don't think!! Feel!(考えるな、感じるんだ)」。さて、その先には?
2000年に購入したテントが、今回の旅でついにボロっとなった。
モブログに何度か写真がちらりと映っているアレだ。もともとドンキで購入した4500円の、3人スペースを確保できるかどうかの超キリキリなテントだったので、数年前から撥水しなくなって、雨が浸透するようになってきたのだ。
シンプルな構造で軽量ではあったけれど、いよいよ買い替えの時期で、今回、酔っ払って熱い鉄なべをジュッとやってしまい穴を空け、確定的になった。
*
*
いまでこそ愛用しているテントも、10年前は、移動に関しては考慮外で、重さよりも広さを重視していた。
つまりは重くてもスペースによる快適さを選んでいたのだ。なんせこのテントだって、荷物置き場用で活用していた時期があったぐらいなのだから。で、寝食スペースとしての持ち運んでいたテントはコールマン製の6人タイプで10キロ程度あった。ずいぶんと体力があったものだ。
でも最近では、軽量化されたテントで小スペースが無難であると考えるようになり─運ぶのに便利であり、かつ設置しやすく撤退しやすい─、購入予定のテントも3キロ程度で収められるタイプを検討している。
コールマンのバックパッカー用テント、そう、ファッドX3がそれだ。
耐風性抜群の3ポール構造で、ヨーロッパ仕込みのコールマンバックパッカーテントという謳い文句。なかなかそそる。夏前にもう一本ぐらいはキャンプに行きたいので、買ってしまおうか。
ただいまの時間、このサイトの管理者はリセットをしに島を巡っています。
公開が許される限り、数日間は携帯からのモブログによるエントリとなりますので、島での生活を写真を添えて、ぽちぽちと更新していきます。
モブログサイトについては、右側にある画像をクリック若しくは下記リンクからジャンプしてください。
それでは、ごきげんよう。
今年の3月でとりあえずクローズした表参道(まあ、1年間回したわけだけど)から、1ヶ月経ち、静養という名のサラリーマン業も、そろそろ落ち着くかもしれないので、というよりは、金曜と土曜は余裕が出てきたので、そろそろ活動の再開を予定している。
土曜日は仕事は休みなので、週末は動けるのだ。
ここでも告知したように、今度は中央線沿線の某駅すぐそばにある立ち呑み屋で回す予定。曲目はオールジャンル。こないだみたいなアンビエントとチルアウトは、盛り込まない方向。
CDJは廉価で引き取るので─持ち主の友人はバリ島に1ヶ月旅行に出かけるので、6月に─、あとは微調整を残るあまり。表参道と違い、個人の経営する立ち飲みなので、資本が違うから、5月内に急変更もあるだろう。
そんな覚悟を持ちつつ、懲りずに企画しますので、宜しくです。
着々と準備が進んでいる。そう、一年間に溜まった都会の汚れた垢を落としに島へ向かう。
島の生活は、自然と共存なんて生ぬるいことはいえない世界で、言うなれば、わたくしといふ現象は自然といふ大仏様の掌の扁で小さく佇む一片の蟲のやうである。と、別に旧仮名にしなくてもいいのに、そういふ気分だ。嗚呼、また繰り返してしまつた。
雷鳴におののき、太陽に感謝する。職業的にITまみれになっている自分は、どこかでバランスを必要としているようで、心の平穏を保つようにネイチュアへと飛び込む。何もないけれど全てがあるという文化的享受の逆説的世界である島のキャンプは、精神をリセットするには相応しいのだ。
そういうことで今年も島を巡る。
自分の人生なんだから、無限に拡がる可能性に挑戦しないと駄目だろう。
偉そうなことを2年も3年も言っているわりには、結局親の用意した船に乗るのは間抜けってものである。親の脛を齧るのが間抜けなんじゃない。自分のポリシーがないくせに野望ばっかり撒き散らし、それでいて発言にも責任を持たずに、駄目だったからと泣きを見て親に頼るのが間抜けなのだ。
だったら最初からでかい風呂敷を広げないほうがいい。
ダサいな。全然パンクじゃないな。
何年も付き合いがないけれど、そんな話を聞いたら、やっぱり付き合いをやめといてよかった。野暮なもんだぜ。言い訳は聞き飽きた。昔はいいスピリッツ持っていたのに。ったく。
新橋らへんがランチの徒歩圏内なので、週に1度くらいは繰り出して食べに行ったりする。
それ以外は超高層ビル2X階の、とんでもなく壮大な景色に囲まれた会社専用食堂で食べている。北欧っぽいソファでゆったりと食べられて、なかなか至福なのだ(仕事中というのを除けば・・・)。
吉野家があったり、メニューも豊富で、学食程度の金額で食べられる。夜はなんと夜景を愉しみながらお酒も呑めるのだ。それもまた至福である(仕事中というのを除けば・・・)。
新橋のランチはけっこう有名どころを開拓した。
香姫のうどんに舌鼓を打ち、昭和テイスト満載の懐かしいナポリタン、そう、ポンヌフも攻めてみた。どうにもこうにもメタボリアンまっしぐらである。
そして、無名の居酒屋のランチ。夜はお酒を出している店のランチってのが旨いのだ。ボリュームたっぷりで廉価。先日食べたのは、「牛肉とピーマンの炒め物にイカフライがついて、納豆サービス、ご飯お替り自由、味噌汁飲み放題、コーヒーとオレンジジュース好きなだけ飲んでよし、サラダついて700円」というランチだ。これはさすがに驚いた。そして確実に残業20時でもお腹は空かない。
アースデイの行き帰りに、何人かの友人が「たばこと塩の博物館」を訪れてくれた。
嬉しい限りだ。
僕も先日は家族総出で叔父の講演とギャラリートークを聞いた。
普段から見慣れていたせいか、どうやらその貴重ぶりに鈍感だったようで、じつは日本はもとより、世界でも屈指のコレクションという事実に改めて驚いた。
150年前のキリムは失われた文化で、遊牧民達がかろうじて現代に受け継いだ遺産なのである。
講演会やらギャラリートークの動員数は館創設以来のレコードらしい。
日本には無い独創的でかつ創造力溢れるデザインは、足を運ぶ価値があるので、ぜひこの機会に観てほしい。Y本K斎さんも来ていた。ほんとうに見事である。
ピンホールカメラやテルミンや真空管アンプなど、あの頃の郷愁を呼び起こしてやまない、大きくなった男子に圧倒的人気を誇る「大人の科学」の気になる次回のアイテムは、なんと「8ミリ映写機」である。
嘘じゃない。マジだ。
7980円だけれど、今回もまた、<買い>じゃないだろうか。
僕は理科室でしか観たことがないけれど、40代より後半の諸氏は、きっと8ミリフィルムがどこかで眠っていることと思う。テルミンといい、男子な大人の心をくすぐるなぁ、毎回。
ところで、みんなは(といっても昭和49年前後に生まれた世代)小学生の頃のコマーシャルで、「まだかなまだかな~学研のおばちゃんまだかなぁ」というのを覚えているだろうか。
あの少年、僕の幼馴染なのだ。3歳くらいからの友人で、小中学校と一緒に通い、高校くらいまでツルんでいた。もう久しく会ってない。
多感期の頃は、学研の歌を歌うと恥ずかしがって激昂し、半キロくらい追いかけっこしたものである。
学研というキーワードで肩パンとか食らったり食らわせたりしていた。懐かしいものだ。
ここじゃ書けない、とある海外の某企業からのアクセスをみつけ、こっそりとデザインを変更。
またそのうちどうにかなるかも。
私信:
もしかしたら、今度は焼き鳥屋でDJするかもしれません。どんな曲まわせばいいのか・・。ど演歌かね。
中央線沿線になります。格安の立ち飲み屋なので、今度はもっとお気軽に。
プランニング固まる前にお店が転覆しないように祈ります。
自分の卒業した学校が次々と消えてゆく東京生まれテクノ育ちの僕は、もうそんなの慣れっこです。
でもこればっかりは驚いた。となりの小学校が、なんとつい最近、吉本興業の新社屋になったという。
四谷第五小学校だ。僕はとなりの小学校なので(さて、第四なのか第六なのか・・。まあ、いいか)、何度か、お隣さん突撃という名の訪問をしたことがある。
ゴールデン街近くの第五小学校は、昼間でも歌舞伎町が近くて、猥雑な雰囲気たっぷりだったから、小学生ながらにドキドキしたものだ。チャリンコで新宿通りをかっ飛ばし、背中に刺青の入った専門職の方々に威勢のいい声をかけられたっけ。
それにしても小学校が吉本だなんて。すんごい時代だなぁ。
4年目に突入したGWの島巡りは3年連続の新島に今年も決定である。
黎明期のアンジュナビーチのごとくにキャンプサイトにはバックパッカーやサーファーが集まり、焚き火をしながら踊り明かしたり、太鼓を叩いたりするのだ。
年に一度しか会えない─つまりは新島で再会するのだ─みんなも、きっと今年も訪れるのだろう。
さて、そろそろ準備を始めないと。
なんと、アノ伝説のユニットTRANSWAVEが復活を遂げたらしい。
日本でのプレイもする。クリストフという天才トランス職人が織り成す音は徹底的にゴアトランスで、深い精神世界へといざなう。10年以上前にTIMETRANCEが日本に招待したのが懐かしい。エイミーはどうしているんだろうね。
そして5月にはパラセンス。こちらもひさびさの来日。しかも日本では初という野外パーティである。今年は連れの友人も上がり調子だし、いっちょうパーティシーズンにするのもいいかも。
新橋族、果たしてそんなカテゴリがあるのやら。でも確かにあるような気もする。
テレビの街頭インタビューで登場するサラリーマン達。今年の巨人軍の行く末に苦言を申す赤ら顔のAさん、自民党の不甲斐なさに力がつい入ってしまうBさん。
どの顔も新橋だからこそっていう気負いがある気もしないでもない。自分の勤めている会社の催す呑みの席を新橋で飲むと、何ていう気持ちなのか、もしかしたら、これこそが属性意識なのかもしれない「自分が大人になったような、なってしまったような」気分になる。
よくよく考えれば、記念すべきサラリーマン飲み会を新橋でデビューするのは、野球をしている若者がいきなり大リーグのマウンドに降り立つようなものだ。
カジュアルにネクタイ外す格好なんかするんじゃなかった。もっとベタに、そう、頭に巻いて焼き鳥のお土産持つぐらいじゃなくちゃ。
春先に降る、ちょっと肌寒い小雨が好きだったりする。
土日に降られると、それなりにがっかりするのは、僕も同じで、平日に限っての話である。
物憂いな雰囲気の、せっかく薄着になったというのにタンスから厚手の長袖を引っ張り出す感覚。やれやれと思いつつも、古いアルバムをもう一度眺めるような期待感。ひっそりとした喫茶店で、うつらうつらと雨が降りそそぐ景色をボンヤリと眺めるのは格別である。
近くで猫がすやすやと気持ちよさそうに眠り込むのもよく分かるのだ。
それは季節がほんの少しだけ僕らに与えた、移ろいがもたらす静謐な気持ちなのだろう。
先週の日曜は残念なことに雨だった。せっかくの桜を愉しむことなく過ごした方も多いだろう。でも安心、天気予報によれば今週は晴れるようである。
先週の日曜に引き続いて今週末も代々木公園で春のゲリラ的に野外パーティが開催される。
昼過ぎからは噴水の右奥でサイケデリックトランスを、そして16時くらいからDEEPHOUSE系が。
16時の開催は新島で知り合った僕の友人がオーガナイズするので、もしよかったら散歩がてらにいかが?
何かのニュースで読んだ記憶によると、一昔前だったら、旧店舗から新店舗に変わるのは圧倒的にコンビニエンスストアが多かったようだ。
それが近頃だと、コンビにではなく美容室や理容室に移り変わっているらしい。全国的にもコンビニの数より美容室の数が多いという。店舗自体も借りやすい。
なるほど、自分の住む町に照らし合わせてみると、たしかに美容室の数は多い。意識していないから見過ごしがちだけれど、50メートルに一店舗はある。
美容関係の仕事に就く友人は「ちょっと5年前とは比べられないほど、競争が激しいよ」とボヤいていた。まさに同職同士の潰しあいに近いとか。
美容室あるいは理容室には数えるほどの店にしかお世話になっていないし、事実、片手くらいの店舗しか知らないので ─これからも冒険しなそうだ 地元の四ツ谷にある店に通い20年以上である─ いま住んでいる街の古めかしいお店が潰れて改装し、ちょっと覗いて「こりゃ喫茶店だな」なんて心うつろにウキウキしていたのちの<出来上がりが美容室>だった場合におけるガックシ感は、なかなかのものである。
そんなに美容室が多くなくても不便じゃないのにって思うのは、果たして僕だけなんだろうか。
親御さんと揉め事をしていた友人が最近になって和解をした。
友人の部屋に遊びに行ったら、それはもう軽めを超えた引きこもりみたいな部屋で(といっても、友人は外出ばかりしているけど)、目のあたりにした僕もさすがに居たたまれない気持ちになって、親御さんに「任せてくれ」と申し出たのだ。
桜が満開の公園で1時間ばかり話して、彼が本当に自分のしたことを申し訳ないと感じていて、機会さえあれば許しをえたいと心の底から願っているのを理解した。プライベートな領域に属する事柄なので、ここで書くことを控えるが、どう憂慮したって、100パーセントで彼が悪いことをしたのだ。
だからあとは誠意をみせて詫びるしかない。単純だけれどそれが実直な方法だ。
そんな内容を僕は伝えた。そしてあとは勇気だけだと彼に言い聞かせ、その夜に親父さんに詫びるよう勧めた。
結果は冒頭に書いたとおりである。
誠意を見せる。目には見えない<何か>ではあるけれど、それは存在する。そしてそういうのが物事の本質的な部分で大事だったりする。
制服なんてのは中学生の3年間しか着なかったので(高校は私服)、普段着慣れない背広なんてのをちょっとあつらえてしまうと、肩が異様に凝ったりするから大変である。
社会人として致し方ないとはいえ、今まで着ないでサバイブしてただけに、まあその辛さといったら・・。
こういうのはきっと新卒の22歳ぐらいで、徹夜とか朝の5時まで呑んでいるとか、そんな風なタフな時代に洗礼を受けるべきなんだな。
3月20日~5月6日にて展示をしています。
シルクロードの彼方、イラン.アフガニスタン.パキスタンにかけての西アジア西域に展開するバルーチ族やカシュガイ族、クルド族をはじめとした遊牧民が織り成すキリム、それらの、もはや現地でも入手不可能な百~数十年前のオールドアンティークの毛織物を集めた「丸山コレクション」を各部族ごとに百点余の作品を展示しています。
丸山イコール僕の叔父です。下記でやっています。
会場:
たばこと塩の博物館(渋谷or原宿or代々木公園近く)
開館時間:
10:00~18:00
休館日:
月曜日
料金:
大人100円
小中高生50円
その他イベント:
4月5日(土)
「各遊牧民の染織と紋様の特徴」
丸山繁(ギャラリーササーン代表)
4月20日(日)
「砂漠の旅.遊牧民とのふれあい」
丸山繁(ギャラリーササーン代表)
─詳細─
イランとかトルコとかのキリムとか好きな方とか興味がある方、お勧めですよ。身内びいきになっちゃうかもだけど、日本屈指のキリムあるんで。
代々木公園もすぐそばだし、もしお近くに寄った際には。どぞ。
The Suits Companyでこれまで頑なに着てこなかったシャツを調えたり、ABCマートでかろうじてギリギリなんじゃないかなというティンバーランドのシューズを購入したり、B5サイズのノートパソコンが格納できるカリマーの肩掛けバッグを取り急ぎ用意したりと、なんだかドレスコードって気を遣います。
来週からピアスも禁止だし(まあ、これは今まで装着していたのが不思議なのか)、Gパンなんて絶対にNGである。
ところでドレスコードってなんだろう。
女子だったらどのあたりまでがケバいのか、ケバくないのか。男子だったらどの境界線がラフになってしまうのか。
個人的には巨乳な女子はすべからくケバいというかエッチぽい気がするんだけれど、それは<巨乳がエロい>んじゃなくて<巨乳を見ている俺>がエロいんだろうね、きっと。
イソップ童話だかに「王様の耳はロバの耳」という物語がある。
ひょんなことから王様の耳がロバの耳だと知ってしまった下僕あるいは農民(あれ、床屋だっけ?)が、どうしてもその事実を言いたくて、でも言ってしまうと処刑されてしまうから我慢しているという出だしで始まる。
結局、その農民は穴だか井戸に向かって、「王様の耳はロバの耳」と叫んでスッキリした。めでたしめでたし、そんな話だ。
王様の耳がロバの耳だってことは、井戸を通じて民衆に知れ渡ってしまったんだけど、そのあと果たして王様が自身の地位を護ることができたのか、農民は公開処刑を喰らってしまったのか、それとも勇気ある若者として幸せに暮らしたのか、そのあたりをイマイチ覚えていない。
自分で抱えきれない事実を知ってしまった時、僕だったらどうするんだろうか。
ロバの耳ぐらいだったら耐えられそうだけれど、たとえば大統領が火星人だったら!? うーむ、井戸に向かって叫んでも誰も信じてもらえないかもしれない。
とある先日、都内某所の某通りで、たしかに僕はノーパンの女性をこの眼で確認したのだ。
でも不思議なことに、その場所に5人も友人がいたのに誰一人として見た者はいなかった。
「いや、いたんだって、マジで」
「またまたぁ、それってほんとは見たいって願望なんじゃないの」
虚しい会話が繰り返されるだけだった。
「春先のOLはノーパンツー」
井戸に向かって叫びたい気分だった。果たしてあの女子の身に一体全体どんなことが起きたのやら。
罰ゲーム?ドッキリ?
生活して三十数年、東京にはまだトワイライトゾーンがあるようです。
インドでは地理上の関係から東西南北のいずれの場所でも、チベタンに出会える。
ゴアにはチベタンレストランがあって、そこでチベット料理に舌鼓をうった。アンジュナビーチからカラングートに抜ける途中に、チベット人医師の診療所があって、そこでチベット医学による診療をうけた。
チベット人医師は慎み深い目で僕に「もし夢の中で辛いことがあったら、これを飲みなさい」と黒くて苦味のある丸薬をくれた。
僕はその頃、派手な遊びが影響して精神的に不安定であり、実際に<夢の中で辛いこと>があって、どうにかしたいと旅行中考え悩んでいたので、ただただチベット人医師の指摘に驚くばかりであった。
「どうしてそんなことが分かるんですか」と訊ねても、幾分か頷き、ニコニコとブッダのように微笑むだけであった。またゴアのフリーマーケットではチベット人から琥珀(アンバー)を譲り受けた。 (写真)
ただ、必ずしもすべてのチベタンが善良ということでもない。ネパールではチベタンに騙されたこともある。だから一概には言えない。
一方、必ずしもすべての中国人が悪鬼ということでもない。僕は何度か中国人に助けられている。サンフランシスコのチャイナタウンで、見ず知らずの僕に一宿一飯を提供してくれたチャンさんのことは一生忘れない。
たしかに中国思想というのはあるけれど(←どうしようもなくかなりの自己中心的な考え)、それを差し抜いても全員が全員悪いとは限らないのだ。むしろ、そのような全体的理論は危険だ。
でも、正しいこともあれば間違ったこともある。個人という枠組みを抜けて、国家的イデオロギーが及んだ中国に果たして正義が存在しているのか疑問である。
週末、僕はデモに参加する。旅先で出会ったチベタンのために。
─詳細─
明日は年休で休みだ。明後日が春分の日で祝日なので、連休となる。
山梨県南アルプス市に帰省して、祖母のお墓参りをする予定だ。おばあちゃんにちゃんとご報告しなくちゃいけないことがあるのだ。
僕はのび太もビックリするぐらいにおばあちゃん子で、小さい頃は、ずーっとおばあちゃんと一緒だった。亡くなる数年前は僕自身がパーティナッツになってしまって、田舎に遊びに行くこと自体がご無沙汰となってしまってた。亡くなる直前の半年前、5年ぶりぐらいに会った。おばあちゃんはとっても小さくなっていて、時の流れの恐ろしさを感じた。
だから僕はいま、ずっと孝行が出来なかったことを引きずっている。たぶん、これからもずっと引きずるだろう。僕に出来ることは、きちんとお墓参りをして、お墓の前でしっかりとおばあちゃんにご報告をすることである。本当なら、大学卒業した年の4月にご報告するわけだけど、僕はインドに滞在していて、それからもネパールにいったりバリ島で沈没したりして、結局、この年になってしまった。
明日、高速バスに乗りアルプスに向かう。
歌舞伎町のコマ劇場にあるボーリング場で、100円をジュークボックスに投入してレピッシュの「パヤパヤ」を流していたのが、もう20年以上も昔の中学生時代だなんて、にわかに信じられない事実だ。
ジャンピング ダンスダンスダンス♪というフレーズの部分で、ボーリングそっちのけに踊ってしまったものである。
日本における元祖スカパンク。そのボーカルの上田現が先日亡くなった。
「パヤパヤ」のPVは、当時としてはかなりイカれていて、中学生には十分な刺激と影響を与えてくれた。
ファンも参列が許された葬儀は、奇しくも信濃町の千日谷会堂で執り行われる。
実家から自転車ですぐだ。千日谷会堂から5分程度の絵画館には大きな池があって、まさに当時、ここで夜通し遊んだりしていたのである。
レピッシュか・・・。久しく聴いていなかったな。
90年代の中頃、渋谷のセンター街で、リーバイス646と呼ばれる時代錯誤なベルボトムを穿いてエンジニアブーツを決めこみ、日がな地べたに座りこんでいた十代の若者(アメリカだったらコジキ寸前)が闊歩した。
彼らのあいだで流行ったアイテムが幾つかあり、そのなかでも特殊だったのが香水だった。
そのファッションスタイルとはよほど程遠いだろう、シャネルのエゴイストが渋谷センター街の一世を風靡した。あるいは同じくシャネルのアンティウス。僅かな期間であったにせよ、この2つが渋谷を代表する香水だった。やがて半年ぐらい経つと、ギラロッシュのドラッカーが主流となり、ckとかが台頭した。
わけも分からずに香水をつけていたので、みんな5プッシュぐらいして、ぷんぷんな状態であった。僕もエゴイストとアンティウスが最初の香水で、ちょっと多めに7プッシュぐらいしていた。クラクラである。
そんな流行がキッカケとなり、一時は随分と香水を集めたものだ。
ネット未到来時代の日本未発売ものがウハーなご時勢に、知り合いがNYに行くとなれば、限定品を土産に頼み、タイを訪れるたびに新作を探した(そう、どういうわけか、タイは日本未発売の香水がゴロゴロしているのだ)。その収集癖の影響で、何年も経つのに、いまだ使いきれていない香水が押入れにゴロゴロしている。
ダビドフのクールウォーターは随分と長い間、愛用していた香水で、発売の年にバンコクで購入した。これは2本所有していて、なんだかんだで一昨年まで愛用していた。クールウォーターがなくなってからは、ちょっと整理整頓しようと、溜まりまくっている香水を使いはじめた。
最近になってようやく片がついてきたので、久しぶりに香水屋さんを訪れたら、まさに<ひとめぼれ>にピッタリな一品がでてきた。95年にサイアムスクエアでckのoneを嗅いだ以来の衝撃である。目がトロトロしてしまうユニな香り。収集癖が再発しそうな勢いだ。
毎週末レギュラーでDJをしているお店は、来週で1周年となる。
4月からは完全にダイニングバーとして運営することが決定事項となった。好きな音楽を好きな場所で好きな人たちに対して流すという願いは、傲慢すぎるとか、DJの何たるかを分かっていないとか指摘があるとしても、先週土曜に流したR30的音楽で、学生時代の友人Rが帰り際に「懐かしくて涙が出そうになったよ、ありがとう」と反応してくれた言葉が嬉しいし、Yちゃんが「このバージョンは誰が歌っているの?」と訊ねてくれるのが糧となる。
Rに関して言えば、彼が毎週クラブで暴れていた頃のトラックだもの。コンセプトはBack To 90'で、まさにそういう声を待っていたのよ。
こちらこそありがとう。いいケジメになったし、整理整頓ができてサッパリしたよ。
<2008.03.01 Back to 90' #Track>
01.Hey D.J.
02.Regulate
03.Boombastic
04.Boom Shack-A-Lak
05.Come Baby Come
06.Boom Shake The Room
07.Fight For Your Right
08.How Gee
09.Jump Around
10.Do you wanna Get Funcy
11.Got To Be Real #1
12.I'll do For you
13.Got To Be Real #2
14.GoodyGoody
15.Hiphop Hooray
16.Really Into You
17.I'll Be Around
18.No Woman No Cry
今日できることは今日のうちにやれって話は正しい。
そしてこれも正しい。明日でも間に合うことは明日のうちにやればいい、という言葉。
明日なき疾走。昇らない太陽と輝かない月。偶然と必然。堕落と再生。
嗚呼、自分を憐れんでいる暇もない。。。。
うーん、どうしよ。
このような属性分類が決して正しくないのは承知で書くと、ヒラリーさんは<女性代表>で、オバマ氏はポリティカルコレクト的に表現して<アフリカ系アメリカン代表>という属性になる。
では、<アフリカ系アメリカンでかつ女性>である有権者はどう動くのだろう。あるいは<女性かつアフリカ系アメリカン>は。
その属性を持ち合わせていない有権者がいるので、大多数という捉え方は控えるべきなのだが、属性選挙で当選が左右されるとしたら、どちらに勝利の女神が微笑むのか想像するのも愉しい。
つまるところ他所の国の政治話になるので、個人的には、2036年からやってきたと主張して忽然と消え去った時間旅行者ジョンタイターが予言する、「アメリカ初の女性大統領が誕生する」という内容が、果たしてウソかまことのどっちになるかと、気になっているぐらい。ちなみに僕は人生の何分の一かを過ごしているわりには、まだ選挙に・・・。
いっぱいいっぱいです。
じゃあ、上の文の「い」を「お」に変えて言ってみましょうか。
おっぱいおっぱいです、と答えたそこのアナタ。アナタもやっぱり、いっぱいいっぱいですよ。
だって答えは、「おっぱおおっぱおです」なので。
そんなこんなで、ちょっと更新が不定期に。よろしゅう。
今日は、というよりは、今年は「うるう年」なので、2月のカレンダーには1日多く日付が設定されている。
ご存知、2月29日である。4年に一度なので、オリンピックが開催される年でもある。
ついこないだまで正月だったのにねぇと世間で囁かれるのとしたら、わりとこの時期あたりで、僕もカレンダーを見ていてちょっと驚いた。
明日はもう3月だ。光陰矢のごとし、Time flies like an arrow.
ウカウカしていられないので、キューが溜まっている諸々の予定を消化しておかないと、次回振り返った時には、ついこないだまで8月だったのにねぇなんて言いかねない。
A君が事情によって今回は見送りになっちゃうのは残念で致し方ない新年会を、いよいよ満を持して3月1日に開く予定だ。
新年会よりも新春会のほうがしっくりと要を得ているかも。
大学生時代、一緒にアルバイトをした仲間やその家族、合計7人が集り、渋谷道玄坂にある和食系居酒屋にて。炙り〆鯖を食べて焼酎を片手に。
2軒目には表参道に向かい、DJする予定ですよん。
距離感を保って価格以外の面で差別化を図らなくてはDSL事業のように価格競争に巻き込まれると、無料通話について懸念をしていたキャリア2社(KDDI DOCOMO)も、ついに家族間無料通話サービスをスタートさせる。エンドユーザにとっては好材料になりえる新サービスは、キャリアにとっては長期スパンで捉えると減収幅が膨大になるので実質の利益率が下降する。これは投機筋には懸念材料になりがちだ。
そのせいもあってキャリア3社とも株価が下がっている。(って僕は株とかしていないんだけど。ニュースで見ている感じでは)
auが家族間無料通話をスタートした時点で、かなり食指が動かされて、とうとう「バイバイキン、ドコモ」って言いそうになったのは僕だけじゃないだろう。しかし、追随する形でドコモも始める。
まだしばらくはドコモでいいか・・、そんな風な気持ちになるのと同時に、2年縛りの罠にどこかで引っ掛かっていないだろうか確認もしなくてはならない。
ケータイのキャリア変更を検討するときは<月ごとの月額料金>の差額で選択するよりは、<2年間で発生するトータルの月額料金>が3社間でどれだけ差が開いているか、そのへんに焦点を定めたほうがいいかもしれない。
目先の1ヶ月でお得でも、恐らくは2年縛りの契約になるので、2年間で考えると損しているかもしれないのだ。
しかし、こうなると、いよいよ自宅にある固定電話の使い道がなくなってくる。僕自身、いま住んでいる自分ところの固定電話番号はソラで言えない。馴染みが無さ過ぎて憶えていないのである。
ロシアでも「オレオレ詐欺」が流行っているみたいだ。
ロシアというと、KGBとかスパイとか秘密警察のイメージを勝手に持っちゃっているので、「オレオレ詐欺」も凄みがあるんだろうなぁなんて、つい想像してしまう。
「俺だスキー、俺だスキー、ママン2万ルーブル用意シェターニャ」なんて電話口で言っているんだろうか。
産経新聞のニュースに拠れば、被害総額は4千万円を超えているっていうから甚大である。
ロシアといえば、キャビアが有名だ。世界三大珍味のひとつであるキャビアを、銀座にある某料亭で何度か食べたことがある。丁寧な料理が好評の店で、静かに心行くまで食材を堪能できるのが気に入り、3年ぐらい前にちょくちょく行っていたのだ。
2万5千円のコース料理の中盤で登場した。何かの料理に添えてあったか、お酒のちょっとした口直しだったか。どうにか思い出そうにも、記憶が定かではない。
濃淡な灰色をしたキャビアは<黒い宝石>と称されるだけに、目の前に出されたキャビアも輝きを放っていたのは鮮明なほど記憶に残っている。ただ如何せん、当時はそれほど東京に置いていなかった「マヤンの呟き」で酩酊したり、若気の至りもあって、普段呑まないブランデーなんぞも呑んだりと、デタラメぶりを発揮して、有り難味も分からずに平らげてしまった。銀座には久しく行っていない。店も結構変わったんだろうか。まあ、それよりもやっぱり新橋のほうが気楽で居心地が良かったりする。
そして一度でいいから街頭インタビューってのを受けてみたい。赤っ恥をお茶の間にお披露目するのだ。植木等の「ニッポン無責任時代」を継承する形で。
月曜の夜、つまりは昨日の夜に表参道でDJをした。
原宿駅から歩いていると、街は土曜の顔とは違う、なんだか「経済が動いているぞ」という活気に満ちていて、そこはかとなく期待が漂っていた。
バーテンのIさんと駄洒落を言いあって盛り上がり、コック長のAさんに美味しい料理を教えてもらい、店を切り盛りしているOさんと静かに談笑するという、いつもながらの夜を迎えた。
巨峰のお酒にヨーグルトテイストのリキュールを合わせて、ジンジャーエールで割ったオリジナルドリンクをグビグビと呑んで、「果たしてこのあと回せるのか」と一抹の不安が過ぎったあたりに、「もしかして昔パーティにいませんでした?」と声が届いた。
どうやらお客さんの一人がパーティピープルで、それこそ96年頃のレインボーでお店を出していたらしい。
昔撮ったパーティの写真に僕が写っているなんて、なんとも偶然な物語だ。スピークイージーやらイクイノやらisnt'itやら懐かしい話題がゴロゴロ出てきたのである。
同じ戦場に赴いて、同じタコツボで戦火を潜ったであろう戦友に再会したような気持ちになり、とたんに楽しくなった。カナダから帰って来たというAちゃんは表参道にある事務所で外国人向けのフリーペーパーを作っているとか。
週末とはまた異なる、素敵な夜に乾杯。今日も回しますよん。
土曜日はひさびさのベイホール。
ROVOが繰り広げる最強にウンニョリした音で宇宙に飛ばされて、REE.Kが紡ぐミニマルな音で昂揚して、Dachamboのライブで昇天。
なんていうか、ベイホールの階段登って左側にトイレがあって、入口はいると左右に弧の字型に廊下が広がっていて、ちょこっと登るとステージが見渡せるあの感じ、やっぱり気持ちいい。
ほんとにひさびさのベイだったので、震えて鳥肌立ったよ。
近所に住むG君カップルやパーティ仲間に会えて盛り上がった。気がついたら目を閉じてフラフラとダンス。これぞまさしくフラダンス。さて、おあとがよろしいようで・・
アレゲな曲をリストアップ。246沿いにあった初期Pylon的なノリで。いまさらにコレクトしたのでけっこうドタバタしましたが、次週のお店で。
01.Boombastic
02.Hey D.J.
03.Regulate
04.Boom Shack-A-Lak
05.Come Baby Come
06.Boom Shake The Room
07.Fight For Your Right
08.How Gee
09.Jump Around
10.Do you wanna Get Funcy
11.Got To Be Real #1
12.I'll do For you
13.Got To Be Real #2
14.GoodyGoody
15.Hiphop Hooray
16.Really Into You
17.I'll Be Around
18.No Woman No Cry
モブログに幾つかの写真をアップしている通り、先日、箱根を訪れた。
富士の帰りに箱根に立ち寄ることを除けば、箱根のみを目的とした旅は高校3年の遠足以来だ。ロマンスカーに乗り(50000形の素晴らしさと言ったら、嗚呼)、箱根湯本駅に僅か1時間半で到着した。
箱根登山鉄道は箱根湯本駅から出ているので、おそらくは十数年前にも当駅を利用したはずだけれど、どういうことか、まったく記憶がない。
駅前にして温泉宿が立ち並ぶ光景は新鮮で、旅情感を奮わせる。
全国的知名度にして小田急新宿駅から1時間半の利便性。久しく敬遠していた箱根はあらためて訪れると、やはり最高である。
そこで、一緒に遊んでいる地獄酒場巡りの猛者たちと、パーティじゃなくて旅をしたいと、前々から思っていたので、ざっくりとこんなプランを練ってみた。
4月ぐらいをめどに実現したいものだ。
大ジョッキの焼酎が300円という酒場を巡り、千円でベロベロに酩酊する、俗に言う<千べろ>をこなせるバックパッカーならではの旅である。
===
▼プラン名
出張 地獄酒場「天国に一番近い酒場」
▼催行者
ライター、絵描き、DJ の3名ほか
▼今回の地獄
「かっぱ天国」
▼地獄のありか
箱根湯本駅徒歩1分
▼日程
○月○日~○月○日の一泊二日
▼旅費
1万2千円
職業柄の特殊な事情があって、必ずしも毎日仕事をしているわけではない友人がいる。
1ヶ月まるまる日曜日というスケジュールもあれば、土日なしの怒涛の1ヶ月を過ごしたりしている。一見、優雅そうに映るその生活スタイルは、いざ自らの身に差し迫ってくると、けっこう堪えるらしく、自分自身の予定表に飲まれないよう、徹底的な自己管理が大事なんだとか。
それでもやはり、平日の連休は他には変えられない特典があるようで、たとえば、ちょっとしたお出かけをしても、何処に行くにも道は空いているし、旅館は平日料金で、土日に泊まるのより半額近く安い上にサービスも行き届いているという。なんとも羨ましい話である。
誰の人生にも悩みがあるように、彼もまた迷える子羊の一人として、家業を継ぐかどうか決めかねている時期があった。友人は幾度となく一人暮らしをして、新天地で仕事を始めては「自分の人生の資質はどうなっているのか」と、そんなことを考え、行動に移していた。
この「考え→行動」までの決断力が、じつに絶妙のタイミングと決断力で、僕は思わず賛辞を呈した。
僕は行動へ移すまでの時間を徹底的に費やすタイプで、考えられる可能性を全て洗い出すのだけれども、彼はとりあえず動くというところから始める向きがある。
どちらも一長一短ではあるのは否めないにせよ、行動に移すまで時間を費やしすぎるのは、時として煮詰まりすぎてしまい、行動そのものが実現しきらない場合もある。
落語か何かで、著名な棋士があまりにも次の一手を考えすぎて、とうとう脳内で相手に詰められてしまい、一手も出さずに「参りました」と、駒を並べただけの状態で降参してしまったなんて笑い話があるけれど、まさにその状態に陥ることも拭いきれない。
「いいと思ったらすぐに動いてみる」
彼は笑いながら簡単に教えてくれた。でも、簡単なことこそ達成するのが難しいというのも、また真理である。
一つ学んだようだ。
去年の何月だったか、お気に入りのホームセンターで、観葉植物のポトスを購入した。
けっこうな大きさのポトスで、1500円。これが最近どうしてか元気がない。
葉っぱがシナシナとへたれるのだ。まるで全速力をしきって力果てたマラソン選手のようである。
ネットで調べてみると、根腐れをするから冬には水やりを抑えたほうがいいとアドバイスしてある。ここのところ元気がないので、思い切り水を与えてた。うーむ、またやってしまったのか。
日陰でも育つけれど、ちょっとは太陽に充てたほうがいいらしい。ちょっと窓際においてみよう。
ポトスに限らず植物は気持ちいい。そのうちココナッツが生い茂る南国あたりで過ごしたいものだ。刺激が少なすぎてボケるのも早そうだけれども。
自然環境問題へ意識の高い方々が、日常生活において注意を向け、また問題として捉えている対象に割り箸がある。
森林伐採の象徴的な生産物として槍玉に挙げられる割り箸は、国内生産に限れば、実際には環境破壊に結びつかない生産工程で仕上げられている。木材加工品を作る過程で生じた木屑で割り箸が作られるので、割り箸のために直接的に森林が伐採されることはない。
一方、輸入品となると、主に中国で生産されるが、割り箸のために森林が乱伐されて、直接的影響が計り知れない。
事実、割り箸のために森林が失われているともされている。
エコロジーの観念といえども、定着していなければ、日常生活上で表面化するのは好ましくないと僕は考えているので、割り箸のトピックスが端々に登場するたびに森林伐採のテーマに発展すると、やるせない気分になったりする。エコロジーの観念そのものが昇華して、エチケットでもマナーでもない、日常そのものとして成立する日があって欲しいと願っている。
自前の箸を持ち歩く、いわゆる<マイ箸>は僕の周りに実践している人が多くて、友人達は鞄に携帯して、居酒屋なんかでも使用している。
僕はエコロジーの方向から持ち歩くのは、エゴっぽくて厭らしいって、抵抗感を露わにして、地球のためになんてのは口が裂けても言えないのだけれども、割り箸の輸入品については、てんこ盛りの漂白剤や防カビ剤がぶち込まれている実態を知ってからは、出来れば<マイ箸>を使いたいと思うようになった。
僕が怖いと思うのは、コレは絶対に日本のモノだろうっていう物品が、実は海外製品だったりするのが最近怖い。
納豆なんてのは、日本で作られていると思っているし、線香だってそうである。もっといえば、ご祝儀袋だって日本で作られていると信じているし、日本酒や味噌や醤油や鰹節も同じだ。
でも近頃はそうじゃない。
こりゃ日本モノだろうっていうものが、ごくごく普通に海外で生産され、輸入されている。これまでにないスタンダードが身近に迫っている。
チョコレートが貰えるんだぜ!と、北九州の繁華街にある「とんがりくん」というお触りパブに一直線で向かった友人がいた。
それは単なる<ご指名確保作戦>なのでは・・・とは、彼の燃える眼を見る限りは伝えられなかった。翌日、彼は戦利品のチョコレートを見せてくれた。ロッテだか森永だかの既製品のチョコレート。
幾ら使ったのか訊ねてみると、胸を張り「3万ちょいだよ」と答えた。きっと不況ってのは経済学者が決めた戯言なんだろう。そんな風に思った。
そういえば、その年の2月14日も銀白の雪景色だったけ。
僕が好きな写真家の渡辺克巳。すでに他界されてしまった<流しの写真屋>と呼ばれた人である。
新宿の路上に佇む、愛すべき猥雑な連中を記録し続けた。
混沌とした時代を収めた彼の写真に残る人々は、みなイイ顔をしている。カメラを向けられるというのがそれほどカジュアルじゃなく、ちょっとした<ハレ>な行動であった時代が、ほんの少し前にはあったのだ。
だから彼らは一様に、カメラを向けられた緊張感が漂っている。そしてユーモラスだ。
あらためて注目を浴びている渡辺克巳の写真展が下記にて開催。
▼
会期 2008年2月9日~4月20日(日)
休館日:月曜日(2月11日は開館)
開館時間:11時より19時まで(毎週水曜日は21時まで延長)
入館料:大人 1000円 学生(25歳以下) 800円
※会期中何度でも入場できるパスポート制チケット
─詳細─
予備校時代の友人K-B君は、外食する時に高頻度で焼肉を食べるというし、実際にK-B君と遊ぶ時には焼肉屋を訪れるケースが多く、また彼が連れて行ってくれる店は食通だけあって、安い上にめちゃくちゃ旨い。一人焼肉もへっちゃらという彼ならではの厳選チョイスで毎回驚かされる。
僕は外食をするときは、旨い肉より旨い魚を探求したい傾向が20歳過ぎた頃からあるので(というのも、数年間は肉を食さない生活をしていた)、魚系のお店に足を運ぶ率が高い。
それでも半年に一度ぐらいのルーティンで<お肉モード>となったりして、自ら焼肉屋に行く。
肉の焼き方については一人につき一家言ある上に、店にもこだわりがあるようで、最終的には鉄板で焼くのが柔らかくて一番旨いという説と、やっぱり炭火で脂を落とす焼き方が理にかなっているんだよという説が、いまもなお入り乱れていて、どちらも座を譲らない。
個人的には見た目のワイルドさと野性味に惹かれて、炭火焼が一歩リードしている。真っ赤に轟々と炎をちらす炭火は、原始的な愉しみがあっていい。日常的な行動である<食事>に現われた太古を彷彿させる祝祭的装置は痺れる。
焼肉なので肉をジュウジュウと焼くのがメインテーマは言わずもがな、意外とハマるのがニンニクのホイル焼きである。
たっぷりとした香り豊かな胡麻油に、剥いたばかりのニンニクが丸ごと。アルミ皿に乗ったそれを弱火でじわりじわり暖めるのである。
あらかじめ塩を混ぜてもいいし、ほっこり焼きあがったあとでもいい。粗塩があればそれに越したことはない。
胡麻油が沸騰したあたりの、焦げ目が黄金色についたニンニクの滋味溢れる香ばしさは、秋にたわわと実る銀杏に通ずるとでも言おうか、濃厚なからすみの味わいに匹敵するとでも言おうか。
よく冷えた麦酒を片手に。
今月のDJスケジュールはこちら。
土曜日のレジデントで回します。
気持ちの良い音楽とともに、今月もまた、皆さんにお会いできることを楽しみにしております^^
++ Monthly schedule(20080205 update) ++
-->02月02日(土曜) 22:00~
-->02月09日(土曜) 22:00~
-->02月16日(土曜) 22:00~
-->02月23日(土曜) 22:00~(?)
僕は日々の出来事や所感が綴られた、いわゆる<日記>は公開されるべきではないと考えているので、よほどの場合を除いて、当ブログではその手の出来事に触れることはない。
そういった点から考察すると、このブログは記録としてはまるで価値がないものである。いってみれば、過去のログを見て、自分が何をしていたか追跡することは不可能な日記ということだ。
その上、特定日を除いて土日祝日にアップされることは、めったにない。土日祝日は、なんだかんだであんまり自宅に居ない。それらの日は記事すらないのである。
モブログでは土日祝日の出来事を断的ながらに載せているが、酔っ払っていたり電池がなかったり、その他諸所の事情で見送られたりしているので、掲載は毎度のことではない。以上の理由から記事は月~金に限定して載せるよう、俺マイルールな運用を作った。とりあえず、デタラメ進行なブログでも約束事を設けなくてはと考えたのだ。
それでもたまには、こんな記事を書いてみるのも新鮮でいいかもしれない。
===
02月02日
11時に起床。
昨晩、学生時代の友人と吉祥寺で呑みすぎたのでアタマが痛い。外を見ると晴れ。
ベランダ園芸と部屋の観葉植物に水を与えて、明日の節分に向けて豆を調達。ほとんど寝巻きの姿で目の前の八百屋に。年齢の数だけ豆を食べる慣わしなので、一袋39円という怪しい豆の原産地を念入りにチェック。うしろから「豆?豆?豆撒くの?」と囁き声が聞こえてくる。おかしな変質者かと思い、振り向かずに無視していたら、まだ「豆?豆?豆撒くの?」と言っているので振り返ると、近所に住むパーティ仲間のG君。八百屋の向かいのコインランドリーで洗濯中らしい。
国産だと分かり、節分の豆、果物、野菜、牛乳を購入。G君と立ち話。今日、下北に前売りチケットを買いに行くとか。23日のベイホールだ。Dachambo、Mayuriと、かなりくすぐられるメンツ。それよりなによりベイホールってのがねぇ。聖地である聖地。無条件にアッパーになれる箱だ。800人限定だし、行くとしたら前売り買ってからじゃないと。どうすんの?って訊ねられたけれど、「ちょっとまだ悩むわ」と返す。Wちゃんが朝ごはん作っているからとG君が家に帰ったので、僕も自分とこに帰る。
*
*
今宵はDJを控えているから、ケーブルテレビの旅チャンネルを点けながら音ネタを整理する。
こんなの買ったけ?というCDが4枚出てきて驚く。ステレオでざっくり確認。3分の2使えたらいいほうだ。戴きものの珈琲を淹れて、チェックを続ける。
平行して、肉弟君に貰った宮部みゆきをちょっとだけ読む。会社近くのタイ料理屋で、先週の木曜日に肉弟君と舌鼓を打ったのだ。読まず嫌いがあるとしたら僕にとっては、この作者である。なぜかいまだに読んだことがない。けっこう面白い。収集癖が再発しそうである。本棚は買い足したというのに、満杯だから困るものだ。
*
*
CD聴いているところにパーティ仲間のT君からメール。夕方ぐらいに呑まない?ってお誘い。
快諾する。
駅裏の焼きとん屋が知る人ぞ知る都内の名店なので、16時から串をつつく。
「そういや昨日の晩、M子たちから電話があってさー」と話したら、T君のところにも掛かってきたらしい。
ったく、酔っ払いどもめが。夜中にCATVでトムクルーズの映画を観ていたら、ケータイが鳴り、国分寺においでよと誘われたけれど断ったのだ。
どうせ二日酔いで苦しんでいるだろうとM子に電話。「アタマ痛すぎてさー。死にそうよ」ゲラゲラ。愛すべきパーティ&呑み仲間とはこのことである。
近々開催予定のY公園パーティに行くから宜しくねと、電話を切る。2軒目の焼酎バーは大したことがなかった。珍しい焼酎もないし、席料とお通し取られて、2人で3杯呑んで2700円。どうりで空いていたわけだ。お通しはありだけど、席料500円ってのはちょっと。焼酎出すんだったら、カジュアルじゃないとね。このご時勢、厳しいんじゃないかな。
*
*
20時過ぎたので表参道に。コース料理を食べている若者カップルが幾つか。ご年配の方がいらっしゃらないので、JAZZではなくテクノ寄りの構成にする。
T君も来てくれたし、トランスを選曲。
カウンターにMさんがいたので、ご挨拶。六本木のバーでバーテンをしている女性だ。クリスマスパーティ以来の再会。相変わらずお元気そうである。六本木のお客さんもいまから来るらしい。軽く名刺交換。
ミニマムテクノからBPMを上げて、ハルシノ、インフェクテッド、アストラル、X-DREAMとこってりとした<演歌>な選曲。踊りそうになるT君。DJしていて一番嬉しい瞬間だ。K君&Iさん登場。k君にバトンタッチ。「ピカデリア」からきっちり繋げてくれる。うーむ、すごい。
終始トランス&テクノ一色だったので最高。来週はお休み予定のところ、どうやらK君がビデオ録画、Oさんの知り合いのIM君がデジタルで保存してくれるということなので、参戦決定。画面にひっつかなくても大丈夫な予感。来週もこってり回します。
あと、K君から衝撃的ニュース。イエローが閉店だとか。またひとつ老舗の箱が消えるのか。表参道のDJ終わったあとにイエローに行く計画があるので、実行しないと。オルメカのテキーラトニック3杯飲んで撃沈。外は随分と寒い。明日は雪が降るらしい。
餃子を食って死に掛けるというのは、鉛筆握ったら鼻血が止まらなくなったというぐらい銀河が離れている出来事だ。
チラっとテレビを観てみると「食中毒」と軒並み伝えているけれど、意識不明に陥るのは、もはや「食中毒」のレベルを超えている。
先日、新宿二丁目にある業務用スーパーに食材を買出しに行ったので、何か危険そうなブツを買っちゃわなかったかなと考えてしまった。輸入に依存している国の国民としては、その依存に相応しい方法でサバイブしないといけないんだろうね。
これからは食品関連にとどまらず、生活していく上で何が起きても不思議じゃないっていう感覚を自分自身に実装させないとダメだ。
そのうち金魚が喋って目玉焼きで電話が出来る日が訪れるかもしれない。
荒唐無稽だけれど、餃子で死に掛けるんだから可能性はゼロとは言い切れない。
でも、まあ、まさかね。
あえて現実社会と仮想社会を、アナログとデジタルに区別して進めると、アナログ店舗のマーケティングには非常に色濃く<商圏>というものが重要視されるんだと思うようになってきた。
<商圏>というのは、平たく言うと、ある店舗を出店するときに、その店舗を中心点とした影響のある地理的環境である。商圏の性格によって、料金・雰囲気・店員など同スペックで出店したとしても、高円寺だったらピンとくるのに、吉祥寺だったら何だか閑古鳥みたいな状況が発生する。
オーナーにしてみれば、まさに死活問題である。
商圏分析で最もポピュラーで王道なのが、通行量調査だそうだ。ときどきグッドでウイルなバイト先から派遣された若者が、パイプ椅子に座ってカウンターをカチャカチャ鳴らして計測しているアレである。彼らは、これから出店されるだろうお店が必要とする店舗手前の通行傾向や駅の流入を計測しているのである。
年齢別・性別・職種別と多岐に渡り分類されて通行量は割り出される。その通行量の何パーセントが見込客として取り込むことができるかがキーワードだったりする。また取り込むべき対策が明確になるので、方向性を見出しやすい。
こんなことは僕がどうこういうのではなく、マーケティング会社がすでに指摘しているのだが、競合店の存在や宣伝効果による顧客を加味するまでもなく、<商圏>における通行量を分析するとき、その母数(つまりは総数)が大きくなくては話しにならない。
店を出してから軌道修正するとかではなく、原理原則にまで立ち戻ると、そういうところをおろそかにしてはいけないんだと思う。
プレゼンをしているとしばし「そもそも論」が登場するように、そもそもそんなところにお店を出すんじゃなかったっていう店が潰れちゃったりする。
去年の夏ぐらいに、こんな場所でおむすび屋さんを!?という無謀な出店がR246沿いにあった。
おにぎりは150円。道路に面しているので、家賃は35万超え(推測)。おむすびを何個売らないと元が取れるのか計算するまでもなく、ふと気がつくと2ヶ月弱で撤退していた。
何というか、ここまで達するとバクチみたいな世界である。
長年パーティ業界の境界線で明日なき沈没を続けていると、さまざまな人間模様にめぐり合わせたりする。
現実社会と上手に向き合えない連中はそれぞれ苦労をしているようで、アンプの中に小人が住んでいると数年信じているパーティ仲間の一人は、社会復帰が計算不能なレベルで程遠い状態だ。彼の口癖は「そうそう、いま聞こえてくる音って全部が全部、小人のしわざだかんね。超ヤバイよ、小人」で、やはり一般人として生活するには足りない部分がまだありそうである。
もう一人のパーティ仲間は、森羅万象のコミュニケーションを<ギブ アンド テイク>に差し替える性格が仇となって、孤立無援になってしまった。この人はガム一枚煙草1本も義理に換算しちゃうので、周りの連中のほとんどは、この人主眼だと<義理がない>と見なされてしまうのである。
当然、こんなのはパラノイアの兆候そのものだから、蓋を開けてみれば、ダチ連中は義理堅いし、ダチだからこそ<ギブ アンド テイク>なんていうミミズのハナクソみたいな戯言から離れた場所に構築されるべき関係だが、残念なことに「テイクばっかりしてんなよ」と順番に糾弾しまくるので、とうとう新旧のダチからスポイルされてしまった。
僕自身、こういう手合いには寛容的な方だが、さすがに「もう勝手にしてくれ」と離れてしまった。<ギブ アンド テイク>発想にウンザリしたのである。
一度だけパーティでひさびさに会って「これ呑む?」なんて酒を差し出されたりこそしても、「そういやさー、あんとき呑んだっしょ」と、ギブ発想を全開でされても面倒で厄介だと踏み、丁重にお断り申した。君子危うきに近寄らずである。
最近は、どういう道徳教育を受けてきたのだろうか疑問に思っちゃうぐらい、当たり前のことを力説する人が増えてきた。自分に酔っ払っているのでクチから飛び出す講釈も長々しているわけだが、意外と中身はありきたりで、尺を縮めると「自然は大事にしないといけない」だとか「仕事と趣味はどちらも大事で、それぞれバランスよく」だとか「誰とでも話すことが大切」やら「日本の文化に誇りを持とう」みたいな、<何をいまさら>という内容でしかない。
幼少時代にそういったことを大人や学校や家庭でしっかりと学んで大人の仲間入りするのが一般的だとしたら、彼らは、記憶が欠落しちゃったのかしらんが、今頃になって目覚めちゃったのである。
当の本人は「いいこと言っているっしょ」とシナプス解放で気持ちよさそうだけれど、案外と周りは面倒な気持ちでいっぱいだ。日本でそれをやって許されるのは現時点では永ちゃんだけである。
夕方17時を過ぎたのに、いつのまにやら日が沈むのが遅くなってきたようである。
冬の夕暮れは空が透き通っていて、気持ちいい。夏の夕暮れとは別の趣きがあるので、しばし呆けていた。給湯室から外を眺めてみると、まだまだ空は青く、夕焼けがうっすらと広がっていた。
どんなに仕事がサクサク進んだといえども、帰宅は18時を超えるので、ちょっと新鮮に映った。東京は軒並み「この冬一番」の寒さを記録しているけれど、お天道様の世界では冬が去ろうとしているようだ。
さて、2月からDJをしているお店の方向性が変わり、DJタイムは22時~の予定となります。今週の予定は以下の通りで修正です。今週土曜日はちょっと急な事情があってお休みです。
遊びに来ていただけるご予定だったみなさん、申し訳ございません。
メールをお送りしましたとおり、明日22時からお店で回しています。もし、明日のご都合に差し支えないようでしたら回していますので遊びに来て下さいまし。
++ Monthly schedule(20080111 re:update) ++
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01月26日(土曜)---20:00~
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01月25日(金曜)---22:00~
山梨県甲府盆地のやや身延に近いエリアに足を運ぶと、桃園があり葡萄畑があり、東日本屈指の果樹県なのだなぁと改めて感心するのと同時に、ラーメン屋やスナックや中華料理屋、焼肉屋などお店の規模・形態にこだわりなく看板に「無尽 承ります」と書かれているのを見つけることとなる。
都心部の人には馴染みのないこの無尽というのは、ほうとうや馬刺しと同じ郷土料理の一種というのではなく、古くから存在している民間金融システムのことを指している。特定地域以外では見かけないけれども歴史を紐解くと、すでに鎌倉時代には成立していて、いまも沖縄と山梨に現存している。頼母子講(たのもしこう)と呼ばれたりする。
運用面の側面としては、金融商品を発行するのではなく、閉じられた会員による運用となるので、土着の結びつきが強い。
土地ごとに区切られている<組>、学校などの所属、職業の多岐にわたり個人もしくは法人単位で<無尽>に所属し(一人一無尽とは限らない)、定期的に一律の金品を無尽に払い込む。
無尽は払い込まれた金品の総額もしくは一定額を引き出し、特定期日を設けて、くじ引きや入札形式で当選者や落札者に与える(とあるけれど、ほとんどが順番形式になっていて談合的な要素がある)。あるいは実際に金品を無尽自体で運用し、生じた利息を無尽に所属している者に対して給付する。
また特定日の給付に限らず、相互扶助という様相もあり、所属者への無担保による融資なども行われる。
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隣接した都道府県であるのに、東京ではまったく知られていないシステムである。先日、僕自身、たまたま無尽にスポット参戦する機会をいただいたので、同席したけれども、かなり独特のコミュニティで、職業的ギルドとはまた違った、かなりディープな世界だった。
現在催されている無尽は、上述した特徴はなく、無尽の所属者同士で積立をして、その積立額を活用して宴会をしたりしているらしい。ただ入札やくじ引きの面影は残っていて、必ずビンゴとか催し物が盛り込まれるようである。
だから土地柄、山梨は宴会の機会が圧倒的に多い。どんな店でも「無尽 承ります」と明記しているのが頷ける。
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無尽は、情報交換や親交を深めるきっかけとなるのと同時に、徹底的に閉じられたコミュニティを形成することになるので、談合の可能性を秘めてしまったり既得権益を手放さない原因となる側面もあり、他者を排除する社会構成になりがちである。
また政治家は票数確保のために多数の無尽に所属することから、金権政治だと揶揄されることがある。
なお、会社組織で無尽業を行う場合には「無尽業法」で制定されている。実際には、この無尽講が発展して、相互銀行となり、普通銀行化して、第2地銀となった。
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経済的効用が期待できる一方、徹底的な縁故共同体の成り立ちを助長しすぎるきらいがあるけれども、東京では面影がなくなったこのシステムを、時代に迎合した「ネオ無尽」として蘇らせるアイデアは悪くない気がする。
気心の知れた仲間同士内の運用であれば、容易であるし、旅行や宴会やイベント企画と多面的に活用でき、無尽が何かの触媒になりえるだろう。
ところで、山梨在住の県民の多くは、某消費者金融のサービス「むじん君」を見たとき、「無尽君」を思い浮かべたのが多数であったとか。
第2地銀に限らず、消費者金融には無尽から発展したものもある。
ヤキが回ったわけじゃないよ。たまには四つ打ち以外をね。
お気に入りのJ-POPを。
* SoulJa「ここにいるよ feat.青山テルマ」
去年の秋頃発売された、PVがめちゃくちゃ泣ける切ないJ-POP。
うっかりMTVでPVを観た日にはちょっと泣いてしまった。
言葉に出来ない気持ちを綴っている。これはめちゃくちゃいいよ。
【Youtube】
で、ここで終わらないのが、お気に入りの所以。
青山テルマからSoulJaへのアンサーソングが明日(2008年1月23日)に発売である。
これがまたメロウで切ない。やべーな、買うな、これ。
* 青山テルマ「そばにいるね feat.SoulJa」
【Youtube】
センター試験の時期となった。
大学入試の全国試験である。この受験の季節になると、必ず思い出すことがある。センター試験ではなくて、「センター試験の前日の夜」のことを。
僕は一浪して大学に入学しているので、センター試験は現役時代・浪人時代と二度受験した。よく憶えているのは現役時代のセンター試験だ。つまり高校3年の受験である。たしかセンター試験の頃は3学期が始まっても学校には通わなくてもよくて、それぞれ受験を目指すものは塾に通ったり図書館に通い詰めたりして合格を祈願して猛勉強に努めた。
中学校のダチ2人と同じ高校に進学したので、それぞれ目指す学部こそ違えど、受験も3人で図書館に通ったり塾に通ったりした。いまじゃ到底考えられないぐらいにマジメに毎日を過ごした。もしかしたら人生に占める<マジメ>という総量をそこで使い切ってしまったのかもしれない。
でもいくらマジメといっても血気盛んな十代には、なかなか辛いもので、「アレもだめ」とか「コレもいかん」と制約を受けると我慢ができないことだってある。
センター試験の直前だというのに「これ以上勉強したら俺が壊れる」と突然と同級生が言い放ち、二の句も継げないうちにもう一人が「俺もダメだ。我慢できない」と吐露した。
彼らが我慢できないというのは異性に関する問題で、運悪く、彼らは夏休み直後に彼女と別れたばかりだった。このままセンター試験を受けたってベストな結果が残せないから今夜中にスッキリしたほうがいいに決まっている、というのである。
センター試験の直前日に性的にスッキリした受験生が合格できるなんて思えないし、一体この人たちは試験中に何を考えているんだろうと疑問が沸いたうえに、彼らほど僕はスッキリしなくても差し支えがなかったわけだが、2人揃って「俺達は言ってみれば同じ船に乗った仲間でありライバルだ。陸に辿り着くときも一緒であれば沈むときも一緒ではなくてはならない」と僕を非難した。
なので仕方なしに21時ごろ、チャリを飛ばして3人揃って歌舞伎町にまで向かった。もしかして何かあったら困るので、一応僕もお金を持っていった。さくら通りの角にチャリを止めて、まるで模試を解くかのように鋭い視線をピンキーな看板に巡らせる友人を見て、改めて彼らは本気なんだと思った。
風林会館近くのピンサロがどうやら値段といい女子の揃いっぷりといい、手ごろだと分かったらしく、いよいよ店の前で相談会をした。
戦闘機に乗り込むパイロットのように決意した友人と、待機する僕とで別れた。
やっぱし僕としては明日に試験を控えているし、そもそもエロい気分じゃないので、この「歌舞伎町すっきりツアー」に賛同しがたいので、店の近くのロッテリアで待機したのである。
まあ、コンディションは悪くないし、これで友人の気分がよくなって勢いづいてセンター試験に挑めればそれに越したことはない。ロッテリアのフライドポテトを食べつつだらしなく待っていたら友人が帰って来た。
ガッツポーズのひとつでもするかと思いきや、随分と曇り顔だ。途端に嫌な予感がした。
開口一番「ボラれたよ」と言い、肩を落とした。やっぱり、である。
聞けば、表の写真に載っているピチピチの女子は一人も現われず、中年のおばさんが現われて、自分の右手を取ったかと思えば、胸を無理やり揉ませて「ハイ一万円」と告げたそうだ。きっと僕だったらトラウマになるだろう。しかも胸を見るとなると、追加で1万円。完全にぼったくりだし、おばさんのおっぱいを楽しむ年頃でもない。友人は泣く泣く1万を払い脱出したらしい。
「やっぱし行かなくて良かったー」と安心するも束の間、もう一人が帰ってこないじゃないか。「やべー、ヤクザにやられちゃったのかな」なんて二人で心配していたら、やはり同じようにうな垂れて帰って来た。だが、まんざらでもなさそうだ。もしかしてこっちはぼったくりじゃなかったか?
どんな結果だったのかドキドキしながら反応を待ってみると、一言、「せっかくだからさらに1万払って片チチ見てきたよ」と殊勲に答えた。
コイツとこれからも友達として付き合っていっていいのだろうか。本気で悩んだ。
そしてその年、僕らはセンター試験で玉砕した。
そんなわけで、この季節になるといつも思い出す。歌舞伎町の夜を。あの<歌舞伎町では片チチ見ただけで2万円>という若い夜を。
自分の右脳と左脳どちらがどう機能しているのか、そんなことを時々考える。だいたいが寝る前だとかお風呂に入っている時だとか電車が空いているときなんかに。結局どっちだどうなのかと分からないままに、また別のことに思い連ねてしまうので、単なる暇つぶしなんだろうと思う。
バーで一人で過ごす時、ケータイを弄くるのは味気ないし、そもそも弄くる理由もない。でもなんとなく手持ち無沙汰だ。煙草なんて吸えりゃいいけれど、僕は愛煙家じゃないのでことさら困り果ててしまう。
そんな夜に、こんなパズルがあったらグラス片手にゆったりと時間を過ごせていいなって思う。対象年齢6歳以上で右脳が鍛えられるという触れ込み。木製のパズルだからバーカウンターにもしっくりする。シンプルだけれど奥深い。こういう一人で遊べるゲームは案外カウンターで重宝するものである。
お酒を絶ったと大々的に宣言をしたというのに、さすが、持つべきものは友人である。そんなのは聞き間違えだったと言わんばかりに「いまから呑もうよ」とか「これからディファ攻めようよ」と全員が異口同音に悪魔の囁きをしてくれた。
あやうくこちらも舌の根も乾かぬうちにうっかりと「よっしゃ。朝までいっちゃいますか」なんて応じてしまいそうになった。昨年末、健康診断を迎えるにあたり、いい数字が取れるよう、一夜漬け方式を採用して一ヶ月を健康体で過ごしてみたのである。
志半ばで、何度か家から徒歩2分の激うま焼きとん屋で酩酊したのも事実だし、あやうくアンダーワールドのイベントでドーピングしそうになったのも本当だけれども、イチローの出塁率ほどは健闘したので、自分にしてはよくやったと手放しで褒めてあげたい。
誰かと遊んでしまえばすぐに暖簾をくぐり呑んでしまうので、まるで隠匿者のように人目を避けて生活していた。健康体になるためには人間関係までもを変化させざるを得ない。この事実を目の当たりにした時はたしかに驚いた。ライフスタイルがいつのまにやら変わっていたのである。
なにせ、ほんのちょっと前まではお酒を呑まないで遊んでいたんだよね。いまと変わらずに盛り上がっていたし。その頃僕は一体何を呑んでいたんだろう?
さて肝心の健康診断の結果は、GOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)が昨年の35から18に下がった。10~40というのが基準値なので、なかなか好成績である。判定はA判定。
身体って、つくづく正直だ。
早いものであっという間に今年で一周年を迎える表参道のお店。ショットバーとしてスタートしたのちは、夏ごろからフードも充実してきた。
お酒だけではなく、料理も音楽も楽しめる隠れ家的ダイニングバーだ。
知り合いがお店のオーナーという縁で、まったくの初心者だというのに週末に回すのをお誘いしていただき、身に余る光栄である。遊びに来てくれたみんなに感謝。誰かが来てくれるだけでテンションあがります。これからもよろしく。
そして、当ブログをお読みいただいている方で、もしご興味がありましたら、ぜひこの機会にお気軽にいらっしゃってください。大歓迎です。面識ないし、気が引ける・・・なんて人はこっそりと遊びにきちゃってください。お酒でも食事でもどちらでもカジュアルにお過ごしいただけます。
あと、基本的に土曜日はお店で回していますが、夕方ぐらいから串をつついていたりと酔っ払って登場する場合もなきにしもあらずなので─店に居た記憶がまるでないなんて週末もあったり─お越しの際には下記連絡先宛てにお知らせいただけましたら幸いです(そのときはちゃんとシラフで登場します)。もしくは「よし、ここはひとつ突然行って驚かしてみよう」なんていうゲリラ的ご来店も大歓迎です。
それではお店で皆様にお会いできるのを楽しみに、週末の土曜日を気持ちよく過ごしていただける心地よい音楽をご用意してお待ちいたしております。
++ Monthly schedule(20080111update) ++
01月05日(土曜)---Off(Bar's fixed holiday)
01月12日(土曜)---20:00~
01月19日(土曜)---Off(?18日金曜にもしかしたら回すかも?)
01月26日(土曜)---20:00~
今月、およそ1年ぶりに山梨に帰省する。
僕は生まれも育ちも東京で、夏休みや冬休みに預けられていただけだから、山梨といっても実際には<帰省>という定義に当てはまらないのに、物心ついた時点から自分の皮膚感覚として山梨は「帰る場所」と捉えている。
慣れ親しんだ風景の中に身を置くだけで心が安らぐのだ。
甲府駅からさらに内陸部に位置するので、交通の便が芳しくないという理由から今回も高速バスで向かう予定だ。
2日間の滞在。往復で4400円は、まあ悪くはない。
日頃から高速バスの旅というのは最も一人旅に向いている移動手段ではないだろうかと僕は思っていて、電車のそれに比べると格段と自分の世界と旅情に浸れる向きがある。ウォークマンと、文庫本もしくは雑誌。
少ないけれどたったこれだけのアイテムがあるだけでグッと旅が親密になる。バスの停留場近くにドトールかスターバックスがあれば乗りがけにテイクアウトするのも一興だ。窓側席が確保できれば申し分ない。
一般車両と比べて車高が高いので、普段見慣れているはずの景色でも、何だか特別に映るのが醍醐味である。車窓を流れる景色を愉しみつつ目的地に進み、高速道路に入るころにはうつらうつらと居眠りをしてしまう。
今月の帰省については、タイトな滞在期間もさながら、親戚関係の行事に参加をするので、日中はプライベートな時間がなかなか取れそうにない。
ただ、近所の酒造がオリジナルのワインを醸成して販売しているので、ボトルを何本か購入する時間だけは確保したい。これが結構旨いのである。
ヤリチン。
しばし耳にするけれど、なんて節操のない言葉なのだろう。
一男一女でシーソーゲームをしている市場に現われるトリックスター。股のあいだに暴れん坊将軍を携えている男の称号。ハメたもん勝ちの思想。
異性にはとんでもなく疎まれたり蔑まされたりするのに、不思議と同性からは絶対的な賞賛を浴び、羨ましがられる。
それがヤリチンというもの。
僕の知り合いの何人かは、ヤリチン傾向があって、それぞれ素性も年齢も異なるのだけれど、観察してみると彼ら特有の美学があるのだと最近気がついた。
それは「たとえ負けると分かっている試合でも<とりあえず>挑んでみる」精神だ。
ぜってー無理でしょっていう逸材に対してガチで勝負しようとする心意気。
彼らは逃さない。たとえその勝負に未曾有のリスクが潜んでいようとも決して臆さず果敢に挑むのだ。
そして、その勝負には途中敗退はありえない。勇者である彼らは「揉むところまではいけたのに」みたいな気弱な発言を絶対にしない。
インドのローカルな雑貨屋で売っているお菓子が、糖尿病になるぐらい甘いか、食った瞬間ゲロしそうにマズイかの二種類の味しか存在しないのとおんなじで、彼らの試合も結果として、まったく相手にされなかったか、きちんとハメたかの二つしかない。
オールオアナッシングである。
ヤリチン思想には難を示す僕だけれども、彼らの勝負に対するスピリッツはいつも感服する。
男として生まれたからには、どうせ負けるなら僅差で涙を飲むのではなく109対0で「悔しいです」と男泣きするという信条。
そういった面では非常に憧れる。
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でもこれは同じ土俵での試合が基本だからこそ頷ける武士道であって、違う土俵となるとそうはいかない。まったく別モノのジャンルだというのに戦わなくてはいけない場合。
茶道部の生徒がなぜか甲子園を目指し、そして敗退してしまった時に同じ気持ちでいられるであろうか。いられるわけがない。
昨日まで茶こしを手にしていたのになぜかグローブである。負けるはずだ。涙も枯れるだろう。
でも時として人にはそんな試合に挑戦しなくてはいけないこともある。
たとえ土俵が違うんだと分かっていても。絶対に勝てないって最初から知っていたとしても。
そしてそんな名勝負だからこそ発せられた敗者の言葉というのがある。人生勝ち負けだとしたら、こんなセリフを吐いて負けていきたい。
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映画の都ハリウッド。
古今東西、銀幕で華やかにデビューすることを夢見て男子はお尻で笛が吹けるように、女子はおっぱいで拍手が出来るように努力をしなくてはいけない街。
そのハリウッドでトップを走り続ける男優ラッセル・ク☆ウは、ハリウッドのヤリチンとして名高い。名声ここにありきという振る舞いらしい。
共演した女優を片っぱしからベッドインするヤリチンぶりだ。
比較すること自体はばかられるのだけれどハリウッド俳優の彼もまた、上述したヤリチン特有の気質をふんだんに持ち合わせた人物で、つまりは、ぜってー無理でしょっていう逸材に対してガチで勝負しようとする。
でもそこはハリウッド。市井の人には醸し出せないワンランク以上もハイクラスな名試合を残している。
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カムアウトするしないの以前に、公然の秘密という名のもとに3億人ぐらいがすでに知っていたジョディ・フォ☆ターのレズビアンネタというのがある。噂とか都市伝説とかいうレベルをすっ飛ばして、みんなが知っている暗黙の了解ってやつだ。ハリウッド界隈では、ひよっこエキストラでもご存知な周知の事実である。
こんな非の打ちどころのない鉄のカーテン状態であるオアシスを目指し、共演女優を喰うことで名高いラッセル・ク☆ウは、ヤリチン界のトップセールスマンとして、その事実を知っている上で無茶を承知にジョディにアタックし、そして散った。
讃嘆を捧げられるとすれば、彼のような挑戦者に対して捧げられるのだろう。
しかしただ負けたばかりでは、生き馬の目を抜く銀幕世界ではサバイブしていけない。
俺はスポっとハメるのが商売なんだぜと言ったか、スポットライトを浴びるのが商売なんだぜと言ったかどうかは定かでないにしろ、股間にはさわれなかったとしても沽券にはかかわるのだ。
だから彼は果敢にも試合に挑んだ者として、ある言葉を後日友人に残した。
「彼女はプレイするリーグが違う」
トップ オブ ヤリチンだからこそ放てるこの負けセリフ。109対0で負けるよりも重みのある言葉。悔しさなんてどこ吹く風。
行ったこともないハリウッドがグッと近づいた気がした。
僕も何かに負けたとき「プレイするリーグが違った」と言葉を残して退場したい。
「おじいちゃん、おじいちゃん、あけましておめでとう。はやくお年玉ちょうだい」
「おやおや、あけま・・。バ、バカモノ。何を言っているのじゃ。まだ12月だから明けてなんかおらんじゃないか。これから大晦日を迎えるのじゃ。お年玉はまだお預けじゃよ、孫よ」
「えー、いいじゃん。もう、おじいちゃんのケチ!」
「おじいちゃんのケツ?おじいちゃんはお尻なんぞ出しておらんぞ」
「ちがうよ。おじいちゃん・・。そうそう、ねえ、おじいちゃん、教えて欲しいんだけど、なんで大晦日になると除夜の鐘を叩くの?」
「むふふ。なんでもおじいちゃんに聞いてごらん。おじいちゃんは物知りなのじゃよ。除夜の鐘かい。ありゃ、百八つあるという人間の煩悩を解くためにお寺で叩かれるのじゃよ」
「わぁっ、おじいちゃんすごーい。ほんとなんでも知っているんだね。おじいちゃん煩悩ってなに?お茶とか乗せるやつのことなの?」
「孫よ、そりゃ煩悩ではなくてお盆じゃよ。ちなみに漫才ブームに一世風靡したのといえばザ・ぼんちじゃよ。おさむちゃんで~すと舞台で言っただけで客席がドッと沸いてじゃな、そりゃもうあの時ばかりはこのワシも・・・。ゴホン、ぼ、煩悩じゃったな。つまりじゃな、人間が持つ欲望や苦悩は百八つあってじゃな、そういった欲を解き放ってくれる有り難い鐘なのじゃ。鐘が一つ突かれるごとに人々は仏様に近づけるのだよ。みんなで集まって感謝をして祝うのじゃ」
「そっかー。とっても偉いんだね、除夜の鐘って。だから隣の家のお姉ちゃんとこは、毎年31日に男の人がやってきて百八回アンアンッて大きな声で喜んでいるんだね」
ゴォーーン。
それでは良い年を。
順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。
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新島「キャンプイン」
毎年GWに訪れている新島のキャンプ場は、知る人ぞ知る90年代初頭のゴアのような雰囲気。夜な夜なパーティをして盛り上がり、焚き火をして太鼓を叩き、ハンモックでうたた寝をする。朝日が昇れば自転車をこいで丘の上に眺めに行って、日が沈めばサンセットを堪能する。露天風呂と魚と旅人やサーファー。最高のバイブレーションがある。今年もいい仲間に出会えた。みんな全国各地に散らばっているけど、来年もまた会えるよね。
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神奈川某所「シークレットビーチ」
毎年訪れる神奈川某所のシークレットビーチは今年も健在。魚の大群と心行くまで戯れることが出来るポイントはまさに秘境。近くに温泉もあるし、人ごみを避けて泳げるし、申し分ない。帰りがけに食べる刺身の旨さといったら天国である。磯がプールみたいになっているから流される心配もゼロ。
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伊豆「廃墟パーティ」
伊豆のスカイラインにある某廃墟で開催されたパーティ。標高はかなり高く、外から眺めると満月の下でデコレーションが要塞のように光を放っていて、たどり着いたときは鳥肌が立った。目がチクチクするほどの眩しい芝生がフロア。空を見上げると、月が踊っている僕らを照らし、廃墟の塔から眺める太平洋と朝日で涙が出そうになる。<何がパーティに必要なのか>が明確に理解できたターニングポイントなイベントでもあった。ほんっと、ひっさびさに最高のパーティだった。
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北九州「サマー出張」
7月と9月の2回にわたり、新規プロジェクト立ち上げとして北九州を単身で訪れる。宿泊地は黒崎駅近く。7月の出張は連日の宴会。酔っ払いすぎて記憶という記憶がない。9月は2週間ばかりの滞在だったので、離島の民宿に泊まったり、皿倉山を探検したり、仕事もこなして遊びもこなせた。もちろんご他聞に洩れず連日の宴会。時間を割いて遊んでくれたみんなありがとね。すげー楽しかった。九州にぞっこんです。
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一ノ蔵「すず音」
瓶内二次発酵をさせた微炭酸が斬新な、シャンパンのような純米酒。今年一番のお気に入りアルコール。キリリと冷やして呑むスタイルがベスト。シュワシュワと炭酸が口当たり良すぎる日本酒だ。涼しげな香りもグー。日本酒が苦手な人すら、すず音の爽やかなテイストは虜にするだろう。非常にデリケートなお酒なだけに、置いているところもレアで1杯700円~900円するけれど、見つけたらぜひ呑んで欲しい。
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幕張メッセ「アンダーワールド」
今年のデカ箱イベントといえば、これ。Underworld,The Orbなど90年代を代表する UKテクノの大御所が日本に来るといえば黙っていられない。96年(97年だったけ?)のRainbow2000で初めて見たUnderworldが最高だったけれど、あれは野外だから、今回は箱で体験。ど演歌「Born Slippy」が流れた瞬間、昇天。ご存知、映画「トレインスポッティング」の名曲。90年代の焦燥がそこにある。泣けるよね。
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国分寺「トランスバー」
今年の1月2月ごろに頻繁に通っていた国分寺にあるDJバー。土曜はトランスで盛り上がっている。多摩地区のヒッピー達は独特のオーラを醸し出しているので、踊っていて飽きない。転がるように近くの白木屋になだれ込んで吐いたり記憶を飛ばしたりしていたっけ。DJ始めてからめっきり行く機会が少なくなったのが残念。
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映画「戦場のメリークリスマス」
1983年に公開された映画である。加入したCATVで放映していたので久々に観た。何年ぶりだろう?監督は大島渚。題名からして年末に公開されたのかと思いきや、意外にも初公開は初夏の5月だったらしい。ビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイが出演者として名を連ね、流れていた音楽「戦メリ」は後世に継がれていく映画音楽としてはあまりにも有名。昔はそれほど自分に響いてこなかったラストシーンは、改めてみると身震いするほど感動した。いや、感動というよりは自分の芯ごとグワンと持ってかれた感じ。たけし演じるハラ軍曹の清清しくも切ない笑顔に涙した。
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菜園生活「ベランダ園芸部」
日当たり良好な家という理由で、去年バジルと紫蘇を育てたベランダ園芸は、今年はバジルと紫蘇と唐辛子をベランダで育て、屋上でラディッシュと胡瓜とトマトを育てた。夏の間はずっとムシャムシャ食べていた。近い将来、田舎での生活を考えているので、いい足がかり。来年も育てますよ。
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カメラ「smena8」
トイカメラの宝庫といえばロシア。LOMOはトイカメを代表するブランドであり、いまも独特のチープな感覚が世界中の愛好者を虜にしている。LC-Aも有名だけれど、smena8のソリッドな映り込みがかなり好きだ。ブラックタイプのデットストックが1万円近くで放出されていたので確保した。冬休みに一気に写真を撮りたいな。
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そんなこんなで、来年もフロンティア精神で。
先日、それこそ10年来で原宿の裏通りを歩いてみた。
神宮前の方面に抜ける裏道は、僕の記憶では─詰まらないといったら語弊があるので、あえて特徴がないと表現すると─原宿の表通りとはおよそ隔たりの在る閑静な住宅街だったと憶えている。
それが先日散策してみたら、次々とこじんまりしたショップが増えているのである。さすがに驚いた。
街自身が増殖するという現象は大小のスパンで目撃される現象であるが、まさか自分が目撃者になろうとは思わなかった。
竹やぶに囲まれた雰囲気のあるお好み焼き屋や、ツリーハウスのカフェ、そしてLotusをイメージしたオリジナルジュエリーの店など、ちょっと歩いただけで貴重な発見があった。
くだんのジュエリーショップは店名を失念したのが残念だ。60年代ヒッピーの生き残りのようなおじさんが構えている店であったので、かなりそそられる。
住宅と住宅の僅かな隙間に存在する板張りのカフェなんてのは、街が増殖する過程とともに増えて欲しいものである。
師走が近づくと、日々の生活をひたすら忘却し続ける自分のような人間でも、とたんに一年を振り返ったりしてしまうから薄気味悪い。菩提樹の下で涅槃の境地に達したゴーダマ・シッダルタのごときである。
しまいには思い出さなくてもいい記憶までうっかり掘り当ててしまい、盗んだバイクで走り出すセンチメンタルジャーニーをしでかしそうになる。
7月から8月に暦が変わるのと、12月から1月に変わるのは、同じ暦が変わるのでも明らかに後者のほうがダイナミズムだ。
来年のことをいうと鬼が笑うから今年一年について総括すると、フィジカル面では体力が落ちた。
「ルールは破ってもマナーは守る」をモットーに掲げてイベントに繰り出し、「健全な肉体には不健全な遊び心が宿る」を宣誓し続けて、いままで遊んできたのだから、そいつはいかん。早急にサンタさんに鉄アレイをお願いしないといけない。
夢についてはどうだろう?
明確な夢があり漠然とした夢があり、夢にもさまざまがあるけれど、夢というのを「知的行動を規範とした、抽象化している希望を具現するための到達地点」と勝手にデッチ上げると、要するに夢というのは「叶えたいと願う目標」のことである。
さて、一年を振り返って夢は叶えられたか。
前述したように、夢にはさまざまな夢がある。でも共通しているのは一つで、シビアと捉えられたらそれまでだけど、食べ物に賞味期限があるように、夢にも期限がある。
僕はそんな風に薄々思っている。キモいポジティブシンキングみたいだから、こんなこと書くのは柄でもないのを承知で書くと、「夢は達成するのに相応しい時期があるので、その時期を過ぎないように頑張るのが望ましい」のである。うーん、キモいなぁ。EDになりそうだ。
何はともあれ、もし自分の中で夢の賞味期限を偽装してラベルを貼りかえたりしていたら、ウッカリそれを食べて腹を壊さないように心がけたい。
年内中に1レシピでもかまわないので、カクテルレシピを習得しようと思っている。シェイカーを振るカクテルから覚えようと思う。
自分がお客さんとしてカウンターに座ったとき、レストランバーのDJブースでシェイクしたカクテルが現われたら楽しいだろうなって感じたのがきっかけだ。
友人達が時折お店に遊びに来てくれるので、彼らに振舞いたいという理由も大きい。習得したら、来てくださるお客様に応じてカクテルを出してみたい。
先週末にそんな話をマスターとオーナーに話したらokしてくれたので、さっそく、今週末に練習である。
当面は自分でシェイクして自分で飲んで確かめるパターンになるだろうけれど、またとない習得の機会は縁だと思っているので頑張っていこう。楽しみだ。
インドのバジ屋で、バジの代わりに酒が売られたら、きっとこういうお店なんだろうなっていう、ひどくて最低な雰囲気(褒め言葉)の酒場がある。
震度3で倒壊しそうな非日本的な様相、居座っている客もすべて規格外なお店だ。我々の間では最終酒場と命名されていて、まさその名に相応しく「どこにも行くとこねー」っていう夜にピッタリなのである。
大ジョッキになみなみと注いである焼酎割りは、1杯300円という格安さ。二日経っていないというのに、呑んでいるさなかから頭痛がしてくる凶悪っぷり。
先日も最終酒場で、とりとめもない会話をして、だらしなくヘラヘラ笑っていたら、いつになく「金曜出発夢のバンコックツアー」計画がでてきた。
4日間のタイトなスケジュールでタイを訪れる夢物語だ。もちろん観光なんてしない。ワットポーなんつうのは5千回くらい観ているし、チャオプラヤ川の屋形船なんて1万回ぐらい経験している猛者どもなので、中心はクラブ巡りと屋台と酒になる。
日程は、金曜日と月曜日に年休をブチ込めば、4日間確保できる。金曜発のバンコク行き格安チケットは34000円~があるので、これを使うのだ。でもイキナリ金曜日に遊びに出かけて6万円とか持ち出すのは、人それぞれ事情があるから難しいので、出所金は積立貯金をする。
例えば、毎月3回にパーティにでも行けば、じつは、一晩でこんくらいのお金はかかっている。
チケット---5千円ぐらい
お酒---4千円ぐらい
交通費---2千円ぐらい
マツモトキヨシ的アイテム---プライスレス
箱で1万ぐらい使っちゃうので、これが野外パーティとなれば、ご飯を作ったりやら温泉入ったりやら高速乗ったりやらで、倍以上を使う。
そのお金をグっと堪えて、3回のところを1回に抑える努力をするのだ。高円寺やら阿佐ヶ谷で記憶が消し飛ぶぐらい痛飲する週末を、4回のところを3回に抑えたりするのだ。そうすると毎月、積立貯金ができるようになる。
あるいは僕の友人は1日に煙草を2箱吸うという。1箱300円なので、月計算すると、毎月18000円は煙草代として消えている。それを1箱にすれば<300円 ×30日 = 9千円>の積立が可能だ。
とまあ、ヤニ代300円レベルとまで窃窮しなくとも、1日250円(ドトールでカフェラテMを飲む程度。ちなみにカフェラテMは260円)を積み立てられるように頑張れば<250円 ×30日 = 7千5百円>が得られる。
半年で4万5千円だ。
金曜日に成田へ向かい、ドンムアン空港までひとっ飛び。手っ取り早い拠点ということで、カオサンを目指す。長旅じゃないので、水シャワーは辛い。
80B(320円)のドミとは縁を切りたいのだ。中級でホットシャワーが出るゲストハウスに泊まる。
昼間から酒を呑み、夜は世界遺産への登録は永遠に不可能なパッポンに繰り出す。
夜通し踊り狂い、朝になったら、そこらへんのトゥクトゥクを捕まえてカオサンへ戻り、セブン前の早朝限定屋台で朝粥をすする。シャワーを浴びて、タイマッサージで疲れをほぐす。
悪くはない遊び方だ。さあ、250円握り締めて貯金をしようではないか。
勤めている会社が所属している健康組合で運営している健康診断を受診した。
会議での外出を別にして、職業柄、夕方18時までは幽閉されている身としては、14時のお散歩は格別だった。会社から遠い病院は面倒くさいので、隣駅の病院で診察を受けて3,4年になる。
大抵の健康診断と同様に、まずは検尿だ。
検尿というのは、どうしてか後ろめたい気持ちになる。自分の情熱をそげ落とされるような気持ちだ。天狗になっている新入社員に困っている上司は、その部下に1週間ほど検尿するように命じるといいかもしれない。翌週には人間そのものが落ち着いて丸くなっていると思う。
検尿は小さな紙コップにめがけて用を足すわけだけれど、ふと思ったのが、女子はどうしているんだろうかという疑問。
男子はご存知のように、発射口における身体の構造が鉄砲のようであるので、紙コップを目指しやすい。
一方、女子は身体の構造が異なるわけだから、難しいじゃないだろうか。詳細は闇の中というほどの大袈裟ではないにしろ、誰にも聞いたことないので、もし自分が女子だったら、検尿を迎えるにあたって練習が必要かもしれないなぁなんて考えていたら、「紙コップの50のところまで入れてくださいね」って言われていたのに70という数字が見えて慌てた。
師走の風物詩の<忘年会>は意外と歴史が古く、遡ると鎌倉時代に始まりがあるのだという。
ご存知、1192つくろう鎌倉幕府である。征夷大将軍として任じられた源頼朝が開いた。
Wikipediaによれば、当時の忘年会は、和歌を詠みあうというひっそりとしたものであったらしい。今じゃ想像ができない光景だ。
新橋あたりで、お酒も呑まずにサラリーマンが「ま、年の瀬も暮れてきましたし、ここはひとつ句をひねるとしますか。ささ、部長から」なんて言い合っていたら、かなりシュールである。
ちなみに、お酒を呑んで慰労をし、やや無礼講になるというお馴染みの忘年会は明治以降の風習だとか。
僕が<忘年会>という単語でパっとイメージするのは、みんなで鍋をつつくという光景なんだけれども、過去の忘年会を思い出してみると、案外と鍋を囲んだ記憶がない。それか忘れているだけなのか。
焼肉と鍋というと、ひとつのスペースに用意されている食べ物を食べあう代表格で、あとは季節限定であればBBQぐらいである(鍋も季節限定か)。
焼肉が完全な個人戦で、まるでゲリラの如くに一個人が戦場(鉄板)に挑み、食べる食事であるのに対し、鍋というのはチームプレイを尊重する団体競技のような様相がある。みんなで理想のゴール(コトコト煮える鍋)を目指し、一致団結する雰囲気だ。
一致団結するには、やはりリーダーシップを発揮できる者が必要。そんな必要に応じるのは、鍋奉行。
時には独裁的と囁かれる鍋奉行も、みんなが個人プレイに走らないように涙ながらに買って出ているのである。これからは鍋奉行に温かい視線を送ってあげようではないか。
ところで、奉行は元来、武家の職種のひとつで、偶然にも管理者として君臨し始めたのは鎌倉時代からである。まあ、まさか当時から鍋奉行がいただなんて思えないけれど、はたしていつの時代の忘年会から登場したんだろう。
僕が生まれた頃、オイルショックという社会現象があって、トイレットペーパーが店棚からなくなると噂になり、買占め騒動が起きたらしい。社会科の授業なんかで戦後史に登場していたのを憶えている。
時を隔てて三十数年、世界のボス気取りで紛争大好き親子の息子が引き継いだ血は争えないらしく、戦争が三度の飯より大好きということで、中東に因縁をつけて一悶着を起こした。そして、めぐりに巡って、そのとばっちりが石油資源が限りなくゼロにちかい極東の国に及んだ。
某日、灯油ストーブを天袋から取り出して、馴染みの酒屋に行って驚いた。
去年1650円だった灯油が1900円である。まさにオイルショック。250円で家計が傾くことはないけれど、平成時代のオイルショックは徐々に音も立てないで浸透しているんじゃないだろうか。そういえば、札幌に住む友人は灯油が高くて本気で辛いとボヤいていた。
聞けば古紙を固めて燃料にしている地域もあるようだ。まるでキャンプ場である。それぐらい深刻なのだという。しかし、古紙を燃やせば、発生するのはCo2で、二酸化炭素の排出量が異様に増える。空気中に増えた二酸化酸素のせいでさらに豪雪になるんじゃないだろうか(まちがってる?)。
環境破壊だって大きな課題だろう。
さて、灯油ストーブというと、我が家で愛好しているのはヤカンを乗せられるタイプだ。ヤカン以外にもブリ大根の鍋をコトコト炊いたりできて、かなり便利。おでんなんてのはじっくり煮ると味が染みて、ジャガイモや大根がホロホロと箸の先で崩れる。冬ならではの情景である。
冬といえばスノーボード、そんな高貴なスポーツ精神は、19歳で発火して22歳で消化した。いつのまにやらウインタースポーツから遠のいている。いまではスノーボードをやろうなんて考えただけで筋肉痛を引き起こしそうである。20歳の時に熱中したあまり、一冬を栂池高原のスキーリゾートで働いていたなんて誰が想像できようか。
冬といえばパーティ、それはいまだにありかもしれない。でも30歳過ぎても、三が日にゾンビのように彷徨うのとか、気がついたら1月5日だったみたいな、残念な年明けはそろそろ止めないとだめだ。いい大人なのだから。しかしまあ、こればっかりはまだ現役である。
ゲームはしないので候補に上らない。
けじめのないテレビ番組は、いまや引きこもりアイテムとして吸引力が弱い気がする。
でもテレビってのは、もの凄く手っ取り早い。
僕が住んでいる地域は、新宿の超高層ビルや区内外の中高層ビルなどの影響によりテレビ電波が届かないエリアで、区が救済方法としてケーブルテレビのインフラを提供している。
我が家はアナログチャンネルは映るには映るけれど、所謂ゴースト現象(思いっきりテレビをつけると、みのさんが二人映ってしまい、「やべ、みのさんって双子だったんだ!」と勘違いしてしまう現象)が多発するので、ついにケーブルテレビを引いた。
一般的なアナログ番組(1~12チャンネル)は、閲覧できて、もちろん工事費や敷設費というのは全て区が負担する。そこで、ついでというか魅力に負けたというか、ケーブルテレビのチャンネルを一気に増大したプランも加入してしまった。
映画やドラマや音楽番組が見放題である。
チャンネルも50チャンネルぐらいに増えた。ディスカバリーチャンネルを見続けて冬休みが終わるかもしれない。5.1CHのサラウンドに囲まれてソファーにふんぞり返るのである。最強の引きこもりアイテム登場だ。
昨日、ひさしぶりの友人から電話があった。
「なぜか週末になると、眉毛のところにあるホクロが痒くなるんだ」
数年も音沙汰がなかったというのに、開口一番の台詞がこれである。
僕はお風呂に入ろうとしてパンツを脱いで素っ裸で部屋を駆け回っているところだった。家の外ではできない行動を心置きなく堂々と実行できるというのは素晴らしいものなのである。
彼は続けた。
「しかもホクロが痒くなる週末に限って、酒にひどく酔うんだよ」
かなり深刻であるらしく、トーンがますます落ちていった。仕方なく、僕は部屋を駆け回るのをやめ、彼の相談に乗ることにした。
「なんだか分かんないけど、痒いんだろ?だったら掻けばいいじゃないか」
これ以上にない正論である。たぶん大学病院の医者だってまずはそう言うだろう。
「あ、なるほど。ホクロが痒いんですね。あー、そうですか。それでは、そのホクロを掻きましょうね」と。
しかし、どうやら僕は間違った答えをしてしまったようだ。なぜなら彼が突然と怒ったからである。予想していない反応だったので驚いた。
「ホクロン、怒るなよ」必死になってその言葉を抑えた。
「お、お前、バカ言ってんなよ。ホクロ掻くなんてそんなこと出来るわけねえじゃんか。ホクロっつうのはな、掻くとヤバイんだよ。ホクロっつうのはな、スイッチなんだよ。分かるか」
分かるわけがない。そこでようやく僕は、彼が以前に小人に襲われるから助けてくださいと警察に相談して、結局、長いこと警察のお世話になっていたのを思い出した。
そんな過去も抱えているのだから、あえてブッダのような声で彼に救いの手を差し伸べた。
「そっかー。そうだよね。スイッチは押しちゃまずいよね。やばかったよ。オレも押しそうになったことあるもん。掻いちゃマズイよね。どうしよう・・。そうだ、ホクロが痒いんだよね、だったらアレじゃん。タイガーバーム。ばっちりでしょ。痒みといったらタイガーバームしかないって」
地獄の淵で蜘蛛が垂らした糸を見つけた男なら、きっとこういう声を出すんだろうなっていう声で、彼が受話器の向こうで叫んだ。
「マ、マジありがとう!超助かったよ。さすがだよ。持つべきものはやっぱ友達だよな。ちょっと待っててよ。いまタイガーバーム持ってくるからさ」
いつになったらお風呂に入れるのだろう。30歳過ぎたのに部屋で全裸なのである。
どうにかしないといけない。
「い、いや、いいよ。礼には及ばないって。友達だもん、当然さ。つかさ、近々呑みでもしよ・・」
届かなかった。その代わりに電話の向こうでガサガサと音がして、あったーと聞こえた。
息を弾ませて彼が言った。
「見つけた見つけたよ。タイガーバームが薬箱にあったもん。ちょっと待っててね。いまヌリヌリするからさ」
「あ、う、うん」
そう答えるしかない。
電話の向こうでタイガーバームの蓋を開けるパカっていう音がした。
さあタイガーバームを塗るんだぜと彼が意気込んでいる姿を思った。
「さあーて、いよいよ塗るぜー。よーし」
なぜか実況中継である。
スリスリ。
「あ、ちょ、チョー痛てぇ。目が、目が開けられないー」
彼が相談してきたホクロは、目のそばにあるというのを忘れてた。
「痛いってー。スイッチがぁー」
プツッ。ツーツーツー。
電話が切れた。
ごめん、ホクロン。そう呟いてようやくお風呂に入った。
先日、深夜番組を観ていたら、「現代社会の物語性の喪失」という、やや重たい内容を放送していた。
インターネットが日常的なツールになったのが一因で若い世代を筆頭に読書離れや本離れが進んでいるという問題提起は、もはや人の心を動かさないぐらいに馴染み深いので、その番組でも取り扱ってはいなかった。その代わりに、読書離れや本離れという行動様式そのもの以上に、それらの活字に付随している<物語性>自体が若者達から失われているという展開だった。
背表紙を開いて文字を追うことで、扉を叩くことができる小説の世界。そこには物語が十分に用意されているけれど、悲しいかな、現代の活字離れは活字そのものを読む習慣ばかりではなく、その世界の入口すらも喪失しているのという。
なるほど、物語性か。大変興味深い部分である。
SNSで友人達の日記をつらつらと閲覧していると、彼らに関する情報を日記から取得しただけで、さも会ってしまったような満足感を得てしまう危険性があるんじゃないかと、今年の4月頃、何処かに掲載したことがある。僕個人が感じている危険性に過ぎないので、誰もが抱える問題ではないだろうが、ネットではなく実社会で会うということに重きを置く人間としては、ネットを通じた代替の出会いに懸念を抱かざるを得ない。
社会人になると、東京以外の地方都市に住む友人が増えてくる。僕はその地方に出向く時、あるいは彼らが東京にやってくる時、出来る限りの時間を割いてじかに会うようにしている。これには理由があって、メールやネット、SNSで完結してはならないコミュニケーションがあると信じているし、僕自身、そういったコミュニケーションが単純に好きなのだ。
むろん、彼らの一部は東京にやって来ようが、最終的に電子メールのみで連絡を取り合うだけで、実際に会わないケースがあるけれど、まあ、時間だって限られているという事情があるので、どうすることもできない。
SNSは、そういった僕が好きなコミュニケーションを結果として奪っているんじゃないだろうかと思う場合があるのだ。
ブログやSNSや電子メール、目を見張るほど、ネット以前の時代に比べて、情報を発信する場も与えられたし、同時にそれら情報を得る場所も増えた。しかしそこには文字数に比べると物語性が欠如している。
最近僕が感じる、SNSで誰かの日記を読んだ後にやってくる独特の感情、もしかしたら知らずして物語を求めているのかもしれない。いうまでもなく日記には物語は存在しない。近頃、まるでシーソーゲームでバランスを取るように小説を読むようになってきているのは、情報社会をサバイブしようとしている本能の所以なのだろうか。
フォネティックコードというものがある。戦場で必要な重要な文字や数字を、決して間違えないように無線を通じて伝達する目的で開発されたものだ。アルファベットの頭文字が先頭になる言葉を丸ごと発して、アルファベット自体を伝達する方法だ。
例えば、BとDとPとTは混合しやすいし、間違えたら致命的である。そこで、AlfaのA、BravoのBなどと表現し、相手に伝えるのである。
以前、フォネティックコードさながら相手に重要な文字情報を伝えるという職に従事していて、関西方面の相手に対して「えー、そうですね、東京のTですよ」と<T>を表現し偉い目にあった。
「東京のT?何がやねん。Tって言ったらタイガースのTやがな」と。
じつに関西というところは不思議で、アンチ東京に抜かりがない土地である。
余談だが大学でこんな授業を習い感心した記憶がある。ある商品の物流量を調べると、関西だけが出荷数に伸び悩みがあるのだという。担当者一同、どうにもこうにも頭を捻ってもパンツを脱いでも、皆目見当付かない。関西以南は他都道府県と同様の売り上げが計上されるというのにだから困ったものである。
とにかく、関西エリアだけが売れない。謎だ。そこで、ある担当者が商品の味や宣伝方法ではなく、その商品のパッケージに着目した。
そしてある発見をした。「江戸☆らさき」と表示されているのを。
つまり江戸という単語一つで関西の売り上げが落ちたらしい。
そんな土地柄なので、<東京のT>なんてのは、火に油を注ぐかのように、彼らのアンチ魂を奮い起こしてしまうのだ。そんな傾向に気づいた自分は何度となく意図的に<東京のT>と数多くの見知らぬ関西人に伝え、そしてその後に延々と叱られた。
しかし、怒りが沸騰している彼らではあるが、同時にユーモアの精神を決して忘れることがないようで、「あ、すみませんでした。えっとそうですね、田淵のTですね」と続けると、「わっはっは、お兄ちゃん、さすがやなぁ。そうやねん田淵のTやねん」と褒めてくれる。
なんともはや。
4年ほど海外に生活していた同級生が東京に拠点を戻したということだったので、せっかくだから海外の暮らしぶりについて伺ってみた。
オーストラリアでの生活が楽しかったらしく、月に一度は必ずホームパーティを自宅で開催していたようだ。誰彼全てがそのような生活なので、週末にはパーティのお誘いが絶えず舞い込んで来るらしい。
笑ってしまったのは、映画に出てくるワンシーンの通り、自宅にはこじんまりとしたプールが完備されていて、ハシャいで飛び込んでしまう奴が必ず現れ(ベタだなぁ)、庭ではバーベーキュー、自宅の1階ではDJセットがあり、踊るか吐くかして乱痴気が当たり前だとか。
「ヘーーイ、キャサリン、君のウインクで月が半分に欠けちゃって驚いたよ」などとジョークも飛ばしているのだろうか。
古典的ながらも楽しいにちがいない。
そして、それはチャポラにある鬱蒼とした─太陽が今世紀中には差し込まないだろう─ゲストハウスの一室に6人ほどのレイバーが集り、円になって座った瞬間にケ※ミ☆が登場して、否応なしに心が彷徨う宴よりはよほど健康的そうではある。
朝夕にピンと張り詰めた清清しい空気が頻繁に漂うようになったなあ、なんてツラツラと思っていると、卓上の暦も残すところ僅か1枚になってしまった。
一の酉で訪れた花園神社は、長袖でも暑いくらいであったのに、二の酉の浅草は真冬の風景に様変わっていた。なにしろ立冬は過ぎているのだから。近所の八百屋さんには蜜柑が並び、夜の帳はいよいよ深く、そして濃厚になってゆく。
こんな季節だからこそ準備をしておきたい食べ物があって、満を持して、いよいよ重たい腰をあげた。糠漬けである。じつは以前に、冷蔵庫でつくるパックの糠床を購入して、何回か試しに漬けてみたことがあるのだ。漬け始めはなかなか調子が良くて、冷蔵庫で漬けるのも悪くないななんて思っていたら、胡瓜を5本ぐらい漬けると、糠が弛んでしまい、いい漬物が出来なくなってきた。
やがては熱意も薄れ、その糠も越冬できないままに捨ててしまった。それから失意の日々を噛み締めていたけれど、糠漬けに取り囲まれた食生活を30年間過ごしてきた男は諦め切れなくて、ついに決心したのである。
食後に日本茶を啜りつつ糠漬けを摘まずにして、一体何処の馬の骨が日本人といえようか。
思い立ったら吉日、せっかくなら琺瑯製品で漬けようということになり、ご存知、野田琺瑯の商品にある「糠漬け美人」が最有力候補に選ばれた。平たいタイプの琺瑯で、糠に溜まる水を汲み取る容器もついている。
名前の通りの商品であるから、ネットでの評判も上々のようである。
しかし、平たい容器が今後においても使いやすいのだろうかと考えると、少し不安にもなった。長い目で見据えると、オーソドックスな容器が一番に思えてきたのだ。
そこで、18センチのラウンドストッカーに決めた。丸い昔ながらの琺瑯容器。さっそく糠を溶いて捨て野菜で漬け始め、そして先の3連休最終日は実家のお呼ばれで、カレーやら煮込みうどんやらおでんで舌鼓をうち、帰りがけに糠も分けてもらった。これで一気に発酵が加速すると思うと落ち着いてはいられない。
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野田琺瑯 ホワイト保存容器 ラウンドストッカー 18cm WRS-18 野田琺瑯(ホーム&キッチン) |
数年前、北九州で仕事をしていた頃、12月当初に2週間滞在だった予定が、急遽いつ戻れるのか白紙になったので、行動範囲を広げるために折りたたみ自転車をチャチャタウンという巨大な観覧車がある施設近くの雑貨屋で購入した。1万円程度である。
この自転車を活用したおかげで随分と小倉の街に詳しくなれた。
帰京要請の声がかからないプロジェクトは、いっそのことずーっと滞在でもいいんじゃないかと思ったけれど、新緑が街を彩る季節に落ち着き始め、荷物をまとめ自転車を宅配便で送り、僕自身も東京に戻った。
自転車はしばらく僕の部屋で折りたたんだまま放置されていた。そして実家を離れてからも、一緒に持ってきこそはしたが改めて乗ることはなかった。
今週末に3連休を控えている。年末までにはどうにか部屋を整理したいので、自転車で実家まで行ってみよう。小一時間の運転になるだろうと思われる。
自転車がテーマの音楽といって浮かんでくるのは、ユニコーンの「自転車泥棒」だ。
僕が高校一年の時の曲である。あれから幾つもの時間が音を立てずに流れた。初めて聴いた瞬間に懐かしく切なくなった歌は数多の曲を耳にしたけれど、この曲だけだ。
何時聞いてもなんとなく夏を思い出す歌なので気に入っている。
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髪を切りすぎた君は僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしているよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の君は自転車泥棒 君は自転車泥棒
ユニコーン「自転車泥棒」
暦の関係でいつもより長い休暇(といっても、土日祝日5日を足して11日間)になる予定。
インドに呼ばれているような気がしてならない。
あ、でもパスポートの有効期限切れているんだった・・・。
11月の第3木曜日といえば、地球の自転の関係から赤道を中心として水星と土星が一直線に並び(俗に呼ばれるレッドライン オブ シンクロクロスってやつ)、どのような因果か以前解明されないまでも、金融市場が活性し、空売りをすれば必ず儲かるとマネーゲーム上では囁かれている有名な逸話である、というのは、まあ、真っ赤なウソなんだけれど、この日は、おフランス好きにはたまらないであろう、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日である。
呑み助は目尻を下げるお祭りだ。解禁日という規制が人々の欲望の琴線をくすぐる。11月の第3水曜日はNGだけれど、翌日の第3木曜日はOKだなんて。人間は対象物全てに価値を付与することができる不思議な生き物である。
このお祭り、元を辿ればフランスのど田舎の農家がささやかに収穫を祝っていたのが起源だという。それだけに世界中に伝播した勢いというのは計り知れない。
僕はもちろん前世がフランス人だったので今年も呑みますよ、というのも、これまた真っ赤なウソで、これまで呑んだことがない。これからも呑むのか怪しいものだ。機会があれば一口味わってみたいとはいえ、どこかに出向いてまで呑みたいと渇望をするほどではない。
ところで、広告を見ると、必ず日本が世界最速で解禁日を迎えるという触れ込みになっているけれど、日本がGMT+9でニュージーランドはGMT+12だから、グリニッジ標準時間を基点とするとニュージーランドが日本より3時間早く11月の第3木曜日を迎える。
たしかニュージーランドって世界で最も早く朝を迎える土地というのが売りだし。なので、第3木曜日の未明にニュージーランドでボジョレー・ヌーヴォーを呑むのが解禁日として最速じゃないのかなってwikipedia見たら同様のことが記事になっていた。ビンゴである。
しかし職業上といえども、パイロットじゃ有るまいし脳内にグリニッジ標準時間を基点とした世界時間情報がインプットされている男というのは、アジアの極東で第3木曜日の未明にボジョレー・ヌーヴォーの封を開けて喜んでいるOLと同じぐらい薄気味悪いものである。
昨日、友人と「毛糸でふんどしを編んでも、穿くときにチクチクしてたまんないよね」と<ふんどし会議>に花を咲かせていたら、懐かしいジュースのウイズユー・スイカソーダ味とともに、「そういえば小学生の頃、缶けりとかするときに、インディアンのふんどしって数えたなぁ」なんてのを思い出した。
「インディアンのふんどし インディアンのふんどし インディアンのふんどし・・・」と10回繰り返して百数えるのである。
それにしてもインディアンのふんどしって一体何なんだろう?
喜国雅彦の「傷だらけの天使たち」に登場する、昔のコマーシャルが気になって夜中に突然と目が覚める中年オヤジのように僕もまた悩むのか。
お酒を控えるようになってから気がついたことは、ここ数年のあいだ、いかにして自分のアフター6が密接にお酒と関わっていたのかということである。
平日であれば仕事を終えて誰かと待ち合わせをし、食事をしつつ一杯呑む。土日祝日であれば、やはり夕方ぐらいから待ち合わせをして、食事をしつつお酒を呑むか、宅呑みをする。どちらもアルコールの存在はとても大きい。二十代半ばまでは純粋に食事だけを愉しんでいたのに、そんな過去は遠い彼方。
お酒が潤滑油という昭和テイストたっぷりの生活サイクルにいつのまにか突入していたようだ。
それだけに、にわか仕込みの禁酒期間となると性質が悪い。つまりただ単純にお酒を控えれば済むのではなく、その期間は意識的に人間関係までを小奇麗に洗わなくてはならないからだ。
「禁酒期間だから、ちょっと・・。」とお誘いをお断るすること星の数ほど。友人がお酒を呑んでいる傍らで黙って烏龍茶を飲むほど人間が出来ていないので、早足で帰宅するようにしている。
でもよくよく考えてみると、こういうのって<モノは考えよう>で、自分がお酒を呑まずしてどれだけ酒席で辛抱できるのか閾値を見つけ出す、という方向から可能性を探ることだってできる。
乾杯の生ビールであっさり敗北するのか、黄金色に焼きあがった唐揚げが登場した時点で「済みません、ビール追加で・・」と負けるのか、「ま、ここはひとつさ、1杯ぐらいはありでしょ」と例の如く悪魔の囁きをかます皆さんの誘惑を断れずに負けるのか、それとも最後まで烏龍茶に代表されるソフトドリンクで目標を達成できるだろうか。
自分の人間性を試す<試用期間>と見据えるのだ。
なんか苦行が人生を彩る大事な項目だと信じているゲルマン民族のバックパッカーみたいな発想だけれど。
DJ用のヘッドホンは長らくお店に常設の audio-technica のモノをお借りしていたけれど、クリスマスやカウントダウンに向けてお店の雰囲気も良い方向になってきたので、いつまでもレンタルは憚られるだろうと、自前のヘッドホンを購入した。
廉価な部類で8千円ぐらいを目処に取捨選択して、最終的に audio-technica DJモニターヘッドホン ATH-PRO500 に決定した。値段としては狙っていた価格より千円近くを下回る価格帯で購入できたので、まずまずである。
僕はお店から給料を貰っているわけではないし、友人知人を誘ったからといってマージンが発生するということはないので、正直言うとお客さんが少なかろうが僕自身の生活に直撃しないから胸を痛めないんだけれど、親しい知人がお店を4月に立ち上げ、当初は順風満帆とはいえなくとも徐々に盛り上がってきて、最近だと土曜日のお客さんが入ったり、なかにはDJについて目を留めてくれるお客さんが出てきたので、嬉しくないわけはない。
仕事でもプライベートでも、大小なり自分の携わった企画が、まるで小さなつぼみから大きな花に育っていくかのように発展していくその歴史に参加できた、というのはありがたい。
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DJモニターヘッドホン ATH-PRO500 BK オーディオテクニカ(エレクトロニクス) |
遠く離れている大家さんのご子息が、茨城県のとある土地を借りて週末に農作物を育てているらしい。
大家さんのもとに送られてきたのは、大きくて甘そうな紅あずまだった。たくさんあるので、どうぞと、我が家にもお裾分けしてくれた。恐縮するばかりである。もちろんありがたく頂戴した。
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さつま芋といえば、家の向かいにある八百屋さんは、冬になると焼き芋を販売して、もちろん八百屋さんの焼き芋なので、大きな焼き芋が100円だったりする。これがめっぽうに旨い。
どうしてか焼き芋に限ってはお洒落な容器に入っているよりは新聞紙で包んでいないと、しっくりとこないものだ。
熱々の焼き芋を片手でパカっと割ると、カステラのような甘い香りが立ち上がって、黄金色のお芋が現われる。そのまま齧ってもいいけれど、バターを落として食べると、一味違った格別の旨さになる。冬の訪れとともに、土曜日の朝食は焼き芋で済ます朝が続く。
灯油ストーブでミルクを温めてマグカップに注ぎ、、厚手の靴下を履いていそいそと目の前の八百屋で焼き芋を買う。部屋に戻り、デッキにCDを乗せて音楽を流す。慌しい平日と異なり、至福の時間である。
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戴いた紅あずまは、どうやって食べようか。大根の味噌汁とさつまいもご飯、秋鮭というメニューも悪くない。夢想が幾らでも尽きない。
先月の某休日、天気が良かったので昼間っから家の近所をあてもなくブラブラ歩いていたら、住宅街の中心地に居ることに気づいた。家からそれほど離れていないのに、これまでに通ったことがない脇道は新鮮に映り、良質の単館系映画を観たような小さな発見が嬉しく、喜びにすら感じた。上を見上げると空が突き抜けるような青さで、秋の到来を感じさせてくれたからだったかもしれない。
やがて前方から大きなヘッドフォンを装着し、ブツブツと独り言を呟いている中年男が歩いてきた。束の間の幸せは霧散し、背筋に緊張が走った。染色体が少し足りないかちょっと多いか、とにかくそんな風情である。いくら春と秋が季節的に似ているからって、こんなところで出てくることないだろうと憤りを覚えた。やっぱり都会って、危ない人が多いなぁと警戒しつつすれ違ったら、タレントの※☆△博士だった。散歩が趣味だと公言している彼だが、その姿は正直言うと異様で独特すぎた。あーゆーのがオーラってやつなのかもしれない。
一定の速度を保ちながら散歩するというには、効率的な有酸素運動になり脂肪燃焼が行われやすいらしい。俗に言うウォーキングである。
前述の博士は健康目的なのか趣味の延長なのか、どちらでもないのか両方なのかは残念なことに永遠の謎だけれど、けっこうなスピードで歩いていた。
ハードトレーニングは無酸素運動に陥り、燃焼率の低下を招くので、メタボリック対策には不向きとされている。一方、20分以上の運動で心拍数が一定に保たれる運動(120~140程度)を続けると、脂肪が燃え始め、運動の動力にと体脂肪をエネルギー源に代謝させようとするから、ダイエットにより効果的と一般的に評価されている。ところが、20分以上の運動は手ごろでありつつも、いざ試そうとすると、時間の確保が難しい。
そこで、住んでいる場所によって左右されるとはいえ手軽に歩けるのは、以前に流行した<一駅前で降りる>という運動だ。僕が使っている路線は一駅前の駅で急行待ちをするケースが多く、通過待ちするので、歩くのに都合が宜しい。
そして実を言うと、一つ前の駅にも我が町と同じぐらいの商店街があり、そこのお豆腐屋さんのがんもどきが結構イケるのだ。寄り道が目的になってしまい本末転倒にならないように身を引き締めつつ、今日もぶらり途中下車。
僕が毎週DJしている友人が経営しているお店は、平日週末にこだわることなく、きっと土地柄だろう、外国人のお客さんがわりと目立つ。5人ぐらいのグループで来客されることもあれば一人でカウンターで飲むお客さんもいらっしゃる。
なんとなく「もしかしたら今夜は外国人が多いかもしれないな」なんて思っていると、ビバリーヒルズ高校白書から飛び出したようなグループが実際にテーブルを取り囲んだりしているから不思議である。
週一のお手伝いでも、継続して現場を見渡していると、その仕事ならではの<勘>みたいなものが培われるらしい。
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先週末。
その晩の一番最初に扉を開けたお客さんは外国人だった。大体が22時以降に外国人のお客さんが増える傾向にあるので、一組目が外国人というこのパターンは珍しい。しかも一人である。
アメリカ人のレナード君。横須賀の基地に2週間だけ滞在し、また本国に戻るというタイトなスケジュールながらも、きっちりと週末は表参道や六本木を攻めまくる青年だ。
一組目という余裕から、レナード君に普段はどんな音楽を好むのかとか訊ねてみた。
通常、DJするときは手持ちにない曲やジャンルをリクエストされても失望させてしまうことになるだろうから、できるだけリクエストは避けているのだけれど、まあいいかと思い、聞いてみたのだ。リクエスト云々以前の技術的な問題を山ほど抱えているというのに、安請け合いをしてしまう性分は直さなくてはいけないのかもしれない。
「HIPHOP・・・」
返ってきた答えは一番厳しく苦手なものだった。手持ちがまるでないのだ。最も縁遠いジャンルである。Kanye Westのアルバムをかろうじて一枚持っているだけで、あとはせいぜい何かのサントラに収録されているトラックがあるぐらいだ。ずばり「尺が足りねー」である(腕もねーでもある)。
かろうじておいてある棚のどこかに埋もれているエミネムを探すためには、バベルの塔の如く聳え立つベタ置きのCDタワーを崩さなくてはならないわけだから、気が遠くなる作業になるのは明らかである。
もちろん暗い店内の上にエミネムのアルバムがどんなジャケットだったかすらも憶えていない不甲斐ないDJが探索の旅に出られるわけがない。
エミネムは諦めようと肩を落とした瞬間、ちょっとしたことがよぎった。以前にHIPHOPを流さなくちゃいけない夜がもしかしたら訪れるかもしれないと危惧して、渋谷の宇田川交番裏手にある日本一下品そうなHIPHOPの店で買っておいた編集盤のアルバムをストックしていたのだ。
この2枚で何とか凌いだ。レナード君もそれなりにご機嫌である。
シアトルからやってきたと言うので、野球の話とスターバックスの話とニルヴァーナの話題で盛り上がり、<Smells Like Teen Spirit>のHigh/Lowを切って(店で使用している自前の機材にこの機能があるので、一度使ってみたかったのだ)、「Hello,hello,hello,how low?」のボーカル部分だけをHIPHOPに被せたら、手を叩いてゲラゲラ笑っていた。
そして30分も経つと、レナード君と入れ替わるように、僕の友達が遊びに来てくれた。
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さて、アメリカ人は諸外国の非英語圏の人と話すときは努めて分かり易く話そうとする傾向が見受けられる。それに比べて英国人は酷い。決して速度を変えることなく平然と話そうとする。もちろん個人差あってのエピソードだ。でも僕の粗末な経験に照らし合わせてみても、この類の話というのは、結構思いあたる。
この夜のレナード君もそうであった。日本人に聞き取りやすい速度とセンテンスで会話をするのだ。コミュニケーションをとりやすい。
英語学習においては、<習うより慣れろ>という言葉を頻繁に耳にする。語学は生活ツールであるというのが僕自身の思想なので、この信条は大いに頷ける。
学習したい言語と日々接するのが、学習への近道だ。
悲しくも、近頃、映画を鑑賞していてもスルーして見ていたはずの字幕で立ち止まってしまう場面が出てきた。
こういう時に活躍するのは速聴学習で、付録のCDをMp3ウォークマンにぶち込んで通勤中にリスニングすると効果が増大する。
英字新聞から拾い出した例文はいささか時代を感じざるを得ないけれど、言葉は不変である。
青い表紙のCore編は初級者にやや敷居が高い。やもすれば途中で投げ出しかねない。でもジっと堪えて目を見開き耳を開放すると、良質の英語学習が得られる。
最初は辛いが、初心者用の緑色の表紙よりもこちらから始めたほうがいい。
僕はひさびさに再開しようと考えている。
暖冬のせいで長袖を腕まくりしないと暑くてしょうがないというのに、10月31日のハロウィンを過ぎた瞬間に、東京中のレストランや雑貨屋、洋服屋などの装飾がクリスマス一色になっているのにはさすがに目を見張るものがある。
キリスト教圏でもない極東の国が、世界一最速でイエスキリストの生誕を祝おうとしているのは、外国人の指摘を待つまでも無く奇妙でしかない。
何割強の日本人が<主の降誕>を祈るのだろうか。少なくとも街を鮮やかに彩るクリスマスツリーを見る限りは、イエスキリストというよりはサンタクロースに比重があるように思える。僕はそうである。
キリスト教系大学では日本で最も長い歴史をもつミッションスクールに在籍していたくせに、初期パンクの影響で<アンチクライスト>と称して中指立てたりしていたりと、学風にまったく馴染まない僕ですらクリスマスは大好きだ。
それは日本独特の外国文化迎合システムによって、それ本来の意味・意義が失われ、出来事という事実だけが受け入れられて定着しているからである。日本におけるクリスマスは、宗教的行事を中心に捉えないで単なるお祭りに昇華している。だからこそ納得ができる。
もし、日本におけるクリスマスが<主の降誕も込みでっせ>だったら、きっとアンチになっただろう。
外国のお祭りは挙げだしたら枚挙に暇がない。卵の殻にイラストを描くイースターや牛追い祭りやタイのソンクランだって、外国のお祭りである。
でも誰一人として銀座のど真ん中とかで「今日はソンクランだから水をぶっかけるのじゃー」とか言わない。
なぜだろう?
サンタクロース、クリスマスツリー、ホワイトクリスマス、クリスマスソング、ケーキなどなど。全部、ほかの祭りには準備できないお祭り騒ぎをするには申し分ない素材が12月24日25日に揃っているからだ。
外国文化のお祭りでブッチ切りで一位の箔がある。だからクリスマスは楽しい。キリスト教のイベントだから祝わないってのも頷けるけど、日本に到来した時点で、こりゃ単なる祭りだと思えば気が楽だ。
ただ、12月24日を祝日にしようとする動きには賛同できない。特定の宗教に著しく関係する記念日を祝日にすることは政教分離に反することだ。祝日の意味合いに気をつけなくてはならない。
それと、11月の初日から残り50日近くをクリスマスに身をささげるというのは、いささかスタミナがもたない。せめて10日前ぐらいからでいいんじゃないか?祭りっていうのはそういうもんである。
たぶんいまも現存しているだろう喫茶店で、英会話喫茶というのがある。渋谷や高田馬場や原宿で何度か見かけたことがある。それなりに繁盛しているようだ。
一見変哲のない喫茶店だけれど、自動ドアを開けるとそこは教室のような店内の様子で、外国人講師達が学校さながらに黒板に向かって教鞭をふるっているのである。ただし喫茶店なので授業を受けながらドリンクを注文できたりとちょっと他の喫茶店にないサービスが振舞われる。
英会話教室よりは値段が手ごろだし敷居も高くないということで学生を中心に人気を博している。というのは、まったくのウソで、要するに店員が外人というだけである。
日本語を理解できる出来ないに関わらず、あえて店員は日本語でコミュニケーションを図らない。日本語を解しないから、注文するときなんかは英語で話さなくてはならないのだ。注文時だけでなく適度に店員と会話が出来るので、英会話上達も期待できるし、なんだか外国みたいな雰囲気。
外国に留学しなくちゃいけないという同級生に真剣な顔して、留学前に英会話喫茶で緊張を解きたいから付き合ってよと頼まれたことがある。「コイツ、バカか?」って思ったけれど、奢りだったしちょっと覗いてみたかったので、渡りに船と思い、同席した。
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僕なんかは<アリババカフェ>と称してインド音楽が割れんばかりに垂れ流しされるインドスタイルの喫茶店を都内にオープンしたらそれなりに繁盛するんじゃないかなんて思うのだけれど、人それぞれ好みというものがあるようだ。
インドにはやたらと似たような店が何処にでもあって、<アリババカフェ>なんてのもその一例だ。
経営母体を辿ると同じだったということは絶対に有り得なく、要するにそこらへんのインド人が勝手にネーミングしているのだ。
たいていの<アリババカフェ>の店内にはボロ雑巾が朽ち果てたような生気のない野良犬が数匹居座っていて、30分に1回の割合で店に断りもなしに乞食がたかりにきて、カレーを頼んでも1時間ぐらい出てこなくて、コーラじゃなくてThumbsUp(インド独自のコーラ。激マズ。飲むとなぜか咳が止まらない。リムカっていうレモン味のジュースもある)がぬるいまんま置いてあり、インテリアの代わりに蝿が10匹ぐらい気ままに飛び交っている。運が悪いとチャイに睡眠薬を盛られてパスポートを盗まれる。夜は停電。昼はぼったくり。
まあ、つまりインドに一万軒ぐらいある喫茶店全般に共通しているクオリティなのだが、裏原宿あたりに開店したら最高だろうなって思う。3時間ぐらいで保健所がすっ飛んできて営業停止になること間違いなしである。
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こういう「○○カフェ」「○○喫茶」というのは、古くは「名曲喫茶」「ジャズ喫茶」や「ノーパン喫茶」があり、最近だと「メイドカフェ」がある。
「○○」の部分に、肥大化した趣味や嗜好を代表する文字を当てはめて、店内をその嗜好性を拡大した様相で彩れば成立する。「○○」が埋まっていく限り、人々が抱え持つ嗜好の数だけカフェが存在するのだ。
最近だとメイドだけじゃなくて「ぽっちゃりカフェ」だとか「メガネっ娘カフェ」と、かなり細かく分類されたカフェがあるようだ。
もっともっとこだわりぬいて、フィジカル面で欲望を満たせるのではなく、パーソナリティで成立するカフェなんか出てきたら面白い。
「しかられカフェ」とか「バブバブカフェ」など。
いうまでもなく叱られたい願望があって赤ちゃん言葉でカフェオレをくゆらせたい人が暖簾をくぐるのである。
人々の欲望と共にあらんことを。
12月14日に健康診断を受けるので約1ヶ月の間、禁酒することにした。
肝臓を休め、バランスの取れた食生活をし、一夜漬けならず一ヶ月漬けの即席ヘルシー人間に変貌しようと考えているのである。もちろん検診結果で良いスコアを出すためだ。
半年以上も前から「なるべく早く検診して下さい・・」という会社から再三要望されていたそれをすっかり忘れていたので、ついに決めた。
僕も含めて世間全体が、12月の年末は恐らく忘年会のラッシュ、お正月は新年会のラッシュである。
だから12月の後半や年明けは残念な結果になりそうだということは容易に想像ができる。それでいてパーティのオファーもあるだろうから─僕はだいたいがカウントダウンやニューイヤーでパーティのハシゴをしてしまい朝まで踊り狂うパーティナッツ(パーティ気違い)になる傾向がいまだにある─、健全な身体で挑むとなると12月14日以外には選択肢がないんじゃないかと思うのだ。
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そもそもこのアイデアは会社の同僚の案で、彼は実際に3ヶ月の禁酒をして肝臓系統で良いスコアを出した。ただし、禁酒しすぎたせいでストレスが溜まり、胃の方面の数字が伸び悩み、2次検査に至った。
僕は何事も中途半端な性格なので辛抱強く3ヶ月を耐え抜く器量なんて20世紀の頃に置き忘れてきちゃったから1ヶ月にした。つまりは11月14日からお酒は飲まないしカロリーも控えるし、1つ前の駅で降りて運動しちゃうぐらいを敢行するのだ。
ところがである。11月14日はまだまだ当分先だからという奇妙な安心感がそうさせたとしか思えないが、先週末の土曜に3軒ぐらいハシゴしてすっかり記憶をなくしてしまった。たいていの健忘した翌朝がそうであるように、目覚めた直後に自己嫌悪に苛まされた。「何を喋って何処で何をしていたのか全然憶えてねー」である。
最近は、DJをする前はオファー次第で、友達と待ち合わせし、近所の焼とん屋で1杯呑んだり串をつついたりしている。台風が荒れ狂う先週土曜は友人カップルと僕の3人で<4時空き>の焼とん屋に入った。
生ビールで乾杯し、キンミヤという焼酎をシャーベットにして凍らせたジョッキにホッピーを注ぐ<シャリキン黒>で喉を潤おし、芋焼酎のお湯割りを呑んだ。まだまだ意識はしっかりしていたので2軒目を目指し河岸を変えた。近所のネパール屋は裏メニューと称してメニューに載っていないツマミを出してくれたり、サービスでいろんな食事を出してくれるシャンティな店で大変気に入っている。ここでククリラムというネパールのラム酒を2杯ロックで呑んだ。
で、この店を出た記憶がないのだ。
どうやら友人曰く「いまから表参道行くぞー。オラァ」とわめき散らし、日本シリーズを観たくて台風だし帰りたいという2人を無理やり表参道に連れまわしたとか。
電車の中で奇行をしたバカ外人がネットで話題になっているけれど、僕はどうやら同じ時間帯の別路線で、車内で用を足そうとしたり椅子の上にあがり傘をギターに見立ててロックスターのまねをしたり「森末、金です。金メダル取りました!!!」と絶叫しながら吊革で懸垂したらしい。
近くにねらーが居なくて助かった。今頃きっとYoutubeでバカ面引っさげた僕の動画がアップされていただろう。
表参道?何を回して何を話してどうやって帰ったかたぶん一生思い出せないと思う。
そんなわけで、反省の意をこめて、11月14日といわずに今日から禁酒します。
弟と妹が双子で所謂<としご>だったので─親としては想定外だったらしい─物心がつくまでは田舎のおばあちゃんのところに預けられていた。
そのせいか、いつまでもおばあちゃん子だった。春夏秋冬、四季を通じて甲府の田舎で暮らした。
秋も深まる季節になると、つまり落ち葉が舞い落ちる季節になると、大きな庭で枯葉を集めて畑で焼き芋をしたりした。落ち葉の暖かい炎をともに煙が空高く舞い上がり、おばあちゃんは一緒にしゃがんで童謡を謳ってくれたのを憶えている。
「焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き。あーたろうかあたろうよ・・」と。
だから有名な落ち葉という童謡を聴くと、幼少の頃の落ち葉焚きの目に染みる煙と、ホクホクの黄金色の焼き芋がアルミ箔から覗いているという情景が思い浮かぶ。
さて、最近知った豆知識によれば、この歌の発祥となった土地が中野区新井薬師にあるらしい。西武新宿線新井薬師駅近くだ。そんなに遠くはないので、いつか訪れてみたいと思う。
そして突然だけれども、今朝、夢に亡くなったおばあちゃんが出てきて、おばあちゃんはどういう理由だったのか思い出せないけれど淋しそうにしていた。だから僕も起きた時にはひどく哀しかった。もう大人だから泣くのは我慢できるけれど、それでも哀しかった。なぜだか分からない。
久々に帰省でもして、近々、お墓参りに行こうと思う。
鳥取県の総人口数が都道府県で最下位になったというニュースが流れていたので、東京はどうなんだろうと気になり調べてみた。
そしたら驚いたことに、面積は60パーセント足らずというのに総人口数を比較すると20倍なのである。もちろん東京が。
23区にいたっては、面積は鳥取県の17パーセントで総人口の割合は13倍。ここまでくると何がどうなっているのか数字だけじゃ分からなくなってくる。げに恐ろしき、東京都。
<東京都>
面積 2187平方キロ
総人口 1280万人
<鳥取県>
面積 3507平方キロ
総人口 60万人
<東京23区>
面積 621平方キロ
総人口 800万人
土日に歓楽街に出歩く自分が悪いのだけれど、感覚的に評価しても、たしかに10年ぐらいで劇的に新宿や渋谷の混雑っぷりは加速している。まさに歩けないぐらい混雑しているのだ。
僕が高校生の頃は土日に渋谷をブラブラするぐらいの余裕と言うか、街自体には隙間があったと思うけれど、いまはそんな悠長なことは言っていられない雰囲気である。
ナントカ線とかホニャララ線が主要駅へのアクセスを可能にしたので、昔に比べたら足を運びやすくしているんだろう。人口だけじゃなくていろんな要因が街を飽和状態にしている。
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東京に上京した人がまず真っ先に都会の洗礼を受けるのは電車のラッシュである、というのは大抵誰もがよく聞く話だ。電車を降りても昼も夜も区別無く車が走り、のべつなく人の往来がある。
ところが都心から離れてちょっと秩父あたりの地方に出向くとガラリと様相が変わる。
某年某月の夏休みに秩父に行った時のことだ。大抵の旅館がそうであるように、僕が泊まった旅館も例外なく夕飯の時間が18時ぐらいだった。真夏の18時はご存知の通り夕刻らしくないので、蝉がいつまでも鳴いていて、昼間の太陽がまだ沈まずに最後の暁を振り絞っている。
15時ぐらいだっただろうか、山頂にある喫茶店で珈琲とチーズケーキを食べたから、さほどお腹は空いていなかった。
山で採れた新鮮な山菜天ぷらで有名な温泉宿ということもあり、僕は女将に少し散歩して食事をしたいから18時半に延ばしてもらえるようお願いした。もちろん女将は快諾し「それでしたら18時20分から天ぷらを揚げますので、お部屋でお待ちください」とお辞儀をした。そういう宿なのだ。
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僕は古い街道の景色を眺めながら30分じっくりと散歩したのだけれど、期待とは裏腹に散歩すればするほど妙な胸騒ぎが沸き起こり落ち着かない気分になった。
その違和感は最初は気がつかなかった。思い過ごしかもしれない、そんな風にも思った。
だけどもいつまでも払拭できない奇妙なしこりのように留まるので、歩きつつそれについて考えていたら、どうも街道に原因があることが判明したのである。
普段、人の往来が皆無である通りを歩くことがないので、歩いても歩いてもシンと静まり返っている街の様子に不慣れだったのだ。このあたりでは日常的光景かもしれないが、左右前後に誰も居ない状態で往来を歩くことに慣れていないと、スティーヴン・キングが書く小説の世界に紛れ込んでしまったような奇妙な浮遊感に包まれてソワソワしてしまう。
自己確認できないバッドトリップみたいな感覚である。
結局、ヘトヘトになりながら宿に戻り、何処の部屋からとも聞き分け出来ない程の小さく零れる談笑を耳にして自分以外の他人がいることに安堵感を憶え、ようやく一息ついた。
都心か田舎か。どちらが好ましいのだろう?
よく聞く話にあるように、日本以外の諸外国─とりわけアジアやアフリカ中近東─で、喉が渇いたからといって蛇口を捻りゴクリゴクリと水道水をじかに飲むと、のべつなしに数時間後には便所に駆け込むことになる。噂でも誇張でもなく、実際に旅の空では起きて不思議じゃないエピソードだ。
蛇口からでてくる水は一般的にローカルウォーターと呼ばれて、衛生事情が好ましくない地域にいたっては旅人に限らず現地人ですら煮沸しないと口にしない傾向にある。
そういうわけでペットボトル入りの水は決して手放せない存在になる。これはミネラルウォーターではなく、煮沸したいわば<衛生的>な飲み水で、ドリンキングウォーターと呼ばれている。ラベルにも「DRINKING Water」と書いてあるはずだ。もちろんミネラル成分が含まれていないから廉価な値段で購入できる。
清潔大国の日本から第三国に入国すると、なんといっても衛生関係でカルチャーショックを受けること間違いないので、小心者の旅人は歯磨きするにもこの「DRINKING Water」を使用することになる。ところがやがて「ん?もしかしたらそんなに大袈裟じゃないんじゃないか」と安堵感が漂い、歯磨きぐらいだったらとローカルウォーターを使うようになる。まあ、それぐらいだったら平気だし、国によっては免疫が出来てしまえば、うがいぐらいだったら大丈夫なのだ(という発想のもと、ローカルウォーターを無謀にも飲み続け感染症にかかった旅人を僕は知っている)。
カルカッタの木賃宿が立ち並ぶサダルストリートには海とも山とも見分けがつかないバックパッカーがウヨウヨしていて壮大な見応えがあるのだが、その中心に位置するパラゴンホテルは、オールドヒッピー世代の時代から愛された安宿で、パラゴンのドミトリーに数ヶ月居座っているという輩が雨後の竹の子のようにいる(そのドミトリーは結核病棟を思わせた)。
もちろんロクに金を持っていないので、彼らはローカルウォーターをごくごく飲むのだけれど、これは非常に不衛生で肝炎の発症率がグンと高くなる。とある旅人がペットボトルに入った水をくれたので随分と気前がいいなぁと思っていたら、水道水を入れ替えた代物だったと判明して眩暈を起こした。彼らは不衛生・不健康・不真面目をモットーにしているからすぐに肝臓系を壊し、肝炎に罹りやすい。コホコホと不吉な咳をしては「LIV52」というアーユルヴェーダの肝臓強化薬を飲んでいるぐらいなのだ。
生活用水としてローカルウォーターを使用していても、決して飲むには至らなかった僕は不安を抱えて帰国したが、運よく僕は肝炎にならなかった。肝炎は長期的に治療を必要とするから厄介なのである。ラッキーだとしかいえない。とにかくそんな経験もあって、第三国での生活以来、自国に戻っても蛇口からの水道水に妙に不信感を覚えてしまい、ミネラルウォーターを購入するようになった。
最近だと100円程度で2リットルのミネラルウォーターが購入できるのが嬉しい。特にこだわりなく目についたペットボトルで賄っていた水のブランドは、意外にも近所の100円ショップで売られている「朝霧ビバレッジ」のミネラルウォーターで決定的になった。朝霧という名の通り、富士の深井戸が源泉となる水で、一口飲むと少しだけ塩っぽいクセがありつつまろやかな口当たりが広がる。ちょっと侮れない。明らかに他社のそれとは一線を画すテイストである。
かつて野口五郎が「私鉄沿線」という歌で♪花屋の花もかわりました ぼくの街でもう一度だけ 熱いコーヒー飲みませんか♪と歌って一世を風靡したのは有名である。
生まれも育ちも山の手、中央線総武線至上主義者の自分としては私鉄沿いに住んでいる田舎っぺの気持ちなんぞは理解不可能で、「私鉄沿線」という70年代のアンニュイな雰囲気がサッパリ分からなかったのだけれど、いざ自分が私鉄沿線に住むとなると、なるほどなと頷いたりして歌の背景がしっくり染みこみ、これまた違った気持ちにもなる。
私鉄沿線(しかも各駅停車どまりの駅)にしか出せない味わいというのがあるのだ。街にも色々な顔があって面白い。
ただし、♪熱いコーヒー飲みませんか♪ではなく、♪旨い焼きとん食べませんか♪になるわけだが。
このブログでも何度か登場している駅裏の焼きとん屋は、連日大賑わいの人気店だ。
炭で丁寧に炙られた<たんした>を特製の味噌焼きで戴き、ホッピーを飲む。煮込みやガツ酢もあり、もちろん刺身も用意されている。
不定期ながらも当店で心ゆくまで焼きとんを堪能しようという企画を準備して、とある土曜日の早い時間の開店、通称<4時あき>を狙い、串を堪能したりしている。
友人がアメリカから帰国したので、来週あたりもこの会を企画しようと心待ちわびているところである。いや、ほんとに旨いので、ぜひ一度。連絡いただけたら誰のお誘いだって行きますぜ。
1ヶ月の放蕩が仇となったのか、季節はずれの野外活動が身体に響いたのか、風邪を引いた。
経験的に思うのは、身体は発熱したいから発熱するのだという考えで、つまりは下手に風邪薬で熱を押さえ込むよりは大量の汗を掻き一気に熱を出して、スッキリしたほうが楽になる。目の前のお盆に乗せてあるアスピリンに手を出しそうになりつつ、夢の世界に。週末までには体調を良くしておかないと。
払い出し数が制限されていた当時に取得したアカウントだったので、某Gmailのエイリアスは希望通りに取得できている。
特にサイトに公開しているアドレスでもないのに関わらず、他の誰かと間違えて送られてくることが多い。PSYTRANCE系の誰かと間違えているらしく、その多くは海外のパーティピープルで中にはパーティの写真を送ってくる輩も登場してきた。
先日もアカウントの受信ボックスを覗いてみると、オーストラリア人のsam君が「hello Ive been trying contact you but coudnt get・・・」と、<何回も君に連絡したんだけど、連絡とれなくて>なんていうメールを送ってきているのである(しかも彼はシドニーから荷物を送りたいから助けて欲しいなんて続けて書いている)。これはさすがに不憫に思い、「君の友人のアドレスじゃないよ、ごめんね。宛先確認してちょ」と返信しておいた。その後、sam君が友人と正式に連絡が取れたのかどうか分からない。
パーティのお誘いメールもあり、asif君からは「Just wanted to know if you are attending psy-trance fest in kathmandu・・・」とネパールのカトマンドゥで開催されるフルムーンパーティの案内が寄せられた。これも「君の友人のアドレスじゃないよ、ごめんね。宛先確認してちょ」と返信しておいた。数日後、asif君から「こちらこそ申し訳ない。東京からじゃ遠いかもしれないけれど、もしネパールに来る機会があったらフルムーンパーティに!」と返ってきた。
asif君によれば今月末のフルムーンに3日間のパーティがチベットとの国境16キロのエリアで開催されるとのこと。
そのURLがこちら。 http://www.shantijatra.com/
NeuromotorやIron Madness、Kindzadza、Syntax Errorが出演。Parvati系のメンツがプレイするようだ。
深い山に囲まれたネパールのパーティは最高に気持ちよくて、クリームな上質のアレがたっぷり用意された環境で、ヒマラヤを背中に踊れたりするからかなりそそられる。
3日間をネパールの山中でパーティーかぁ・・・。そんな気持ちを抑えつつ、上記サイトのギャラリーにある写真を肴に今日もお仕事。
個人的には年相応と思っているわりには一部の方々からはそんなでもないようで、わりと実際の年齢より年下に思われるケースが多い。先週末も表参道でDJをしていたらお客さんに青学の大学生アルバイトと思われていた。昔はもっと酷くて、年齢どころか性別すらも間違われることもあって(大学1年の頃は痴漢に会うことも)、しばし女の子と勘違いされるケースすらあった。
さすがにいまでは女の子に思われるケースはないけれど、19歳ぐらいの写真を見ると「こりゃたしかに痴漢にあうかも」というレベルではある。
当時は体重が52キロ程度でウエストが27インチ、それでいて究極に細いブーツカットを穿いていたもんだからお尻がパッツンパッツンだった。それでいてロン毛だから、もしかしたらせっかちな痴漢には女子に見えたのかもしれない。
まあ、しかし、不幸なのは彼だけではない。微妙な手つきで触られる僕こそが不幸である。徐々に差し迫る手。最初はスリかと思ったけれどそうでもないらしい。手をテクニカルに揺らしてお尻を触ってきて緩急つけて揉んでくるのだ。ガタンゴトンと揺れる電車。吊革が急に遠くに感じる。「あ、そこ、もっと右」とかは微塵にも思わず(もちろんだ)、鳥肌がゾっと立ったのちにすぐに怒りが爆発した。
これは痴漢じゃないかと。
こういう時に一番効果があるのは大声で啖呵を切るに限るよと、高校2年生になる友達の妹が話していたのを思い出した。クルッと振り返り腕を取り「てめぇ、野郎のケツ触ってんじゃねぇぞ」と怒鳴り、次の駅のホームに引きずりだしたのである。
痴漢は触ったことがバレたのと触っていたのが男だったという<1粒で2度の不幸>を味わった男にしか出せない表情で泣きそうになり、立ち尽くした。僕は男なのでケツぐらいじゃ傷も少ないとはいえ、実際に痴漢というのは女の子にとってトラウマになるだろうな。困ったもんである。
女性の多くを敵に回しちゃうかもしれないが、痴漢というのは男に限ったことではないというのが僕の定説だ。もちろん個体数は少ないだろうけれど、女性の痴漢というのは存在する。
事実、高校3年生の時、ラッシュ時間の山手線で僕は遭遇した。年齢は20代後半。見た目に特徴というのは特段見当たらない。ごく普通のOLである。容姿だって悪くない。スタイルもいいし、むしろ綺麗なほうである。
こういう類の定番なのだろうか。やはり差し迫る手。ただ、その手が差し迫るのはお尻ではなく、僕の非常にデリケートで大事な部分だ。オティンティンをクリティカルヒットされた。ジッパーに手を掛けてくるマニキュアの綺麗な指。密室的空間で視線がバッチリ合う年上の女性。僕の手を取り自分のお尻に回そうとする。僕は手を払った。一体全体、いまこの地球で何が起きているのかまるで理解できない。マジでビビった。突然のことで怖くて泣きそうになった。思わず次の駅で途中下車して心を落ち着かせた。
僕が降りようとすると、その女性は何事もなかったように澄ましている。たぶん、周りの乗客も気づいていないだろう。そこで何が起きていたのかを。
過ぎ行く電車の中に映るその女性はごくごく普通の人だった。少なくともラッシュ時に高校生の男子をサワサワする人には見えなかった。元々が乗り合わせている電車じゃなかったので、それ以来その女性に再会したこともない。いまとなっては顔も正確に思い出せない。
そしてウォークマンで聴いていた曲がレッチリの「Give it away」で、悲しいことにこの日を境に僕の中で<痴漢>というと、自然にこの曲がテーマソングのように頭の中を駆け巡るようになった。「ギブレイギブレイギブレイナーーウ」とアンソニーが謳いだすとOLの綺麗な手がお尻を触ったりしているイメージが浮かび上がるのだ。困ったもんである。
ごく稀に今も時折山手線に乗ると、高校3年生の時に出くわした女性の痴漢を思い出すことがある。あの人はいまも都市伝説のように存在して、見ず知らずの誰かの何かを触ってるのだろうかと。どんな経歴でどんな事情があって、痴漢に至ったのか興味本位で尋ねてみたい。
たった2週間とはいえども、自宅を離れて生活し、しかもインターネットからも遠ざかっていたら、脳味噌に余計な情報が混入してこなくてスッキリとした<情報ダイエット>が実現出来るようになった。
余計な情報というのは、取るに足らない芸能情報とかで、つまりは必要としていないゴミみたいな情報である。おかげさまで東京に戻ってからも、普段は垂れ流ししているテレビを消して生活するようになってきた。
テレビを観ない生活は本当に久しぶりだ。物足りないというよりは、観ないことによって自分の時間が有効に使えるようになったので、なんだかいままでテレビで時間を潰していたかのようである。まあ、実のところ、テレビという玩具は依存性の高い娯楽だと、かねてより考えていたから、足を洗うにはちょうどいい機会。
9月の半ば頃だったか、こんなエピソードを耳にした。
インターネットやテレビを規制していたブータンでは爆発的にテレビが普及し、その影響で海外の情報を一般庶民が知ることができるようになったと同時に、みんながテレビの虜になりすぎて普及前の時代に当たり前のように交わされていた家族の団欒や会話が少なくなったという。
もちろんこの手の話は往々にして端的過ぎるから、全ての原因がテレビにあるという見方は極端であるにせよ、なるほどなと頷ける部分が僕自身に認められたので、なんとなくテレビを自粛するようにした。
さて、テレビを観ない我が家は意外とシンとしていて、デッキに乗せたCDが音を紡ぐように奏でる。芋焼酎「白波」の原酒ボトルを頂戴したので、ロックで呑んでいたりすると、今更ながらに夏が過ぎ去ったんだなぁと感慨深くなったりする。こういう風に過ごすのは久々である。
Marty/
Doc,You gotta listen to me.
Doc/
I've had enough practical jokes for one evening. Good night,Future Boy!
Marty/
No,wait! Doc. The... the... the bruise... the bruise on your head.
I know how that happened! You told me the whole story.
You were standing on your toilet,and you were hanging a clock,and you fell,
and you hit your head on the sink. And that's when you came up with the idea
for the Flux Capacitor... which... is what makes time travel possible.
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snapped by: DOCOMO P900iv &SH903i
今朝、乗り入れしている駅の階段あたりで偏差値30ぐらいのギャル男を見かけた。
エグザイルのメンバーに居そうな風貌に下品なグラサンとマシンでこんがり焼いた褐色の肌。黒いジャージの背中には金ラメの文字がでっかくイタリックで刺繍されていた。
<Ass hole>と。
「俺はケツの穴みたいなもんだぜっ!」という自己主張だろうか。理由は彼自身のみが知るところだろうけれど、もしその単語の意味が分かっていないっていうんでデザインだけで選び着ているんだとしたらちょっと気の毒だった。
タイのカオサンにもそんなインチキ臭が漂うTシャツが30B(120円)ぐらいで売っていて、日本語で<ウンコ大盛り>って書いてあるTシャツをアメリカ人が「超coolだぜ」と呟いて颯爽と着て屋台でタイの汁そばを啜っていたりする。日本人の僕らには絶対着ることの出来ない一枚である。
いまから8年ぐらい前、知り合いの家で映画を観ていた。当時の主流はDVDではなくビデオだったので、レンタルビデオ屋で映画を借りて観たのだ。<プライベートライアン>という最高傑作を誇る戦争映画で、臨場感溢れる冒頭シーンは幾度となく回数を重ねて観たというのに震えが止まらなかった。
3時間近くある映画を完全に観終わり、気分はノルマンディだというのに、仲間のうちの女の子が僕に尋ねた。
「で、ライアンって助かったの?」と。
気分はすっかりミラー大尉だった僕は未曾有の脱力に襲われオマハビーチでドイツ第352師団に囲まれたような既視感をくらった。
でもこういうのって日常生活でも溢れていて「え、ウソでしょ?」と逆にこっちが聞きたい場面に出くわす。
僕の知り合いは数年間ベルリンの壁が崩壊したということを知らなかったまま生活していた。近くにこういう人がいるんだから、もしかしたら日本中を歩き回れば沖縄が返還されたことを知らない人が居るかもしれない。
秋の祝日<体育の日>が10月10日に固定だった1999年までは毎年富士山に登ることが慣わしとなっていた。
日頃の無為に過ごしている自身を内面から見つめ直し、心機一転して新たな一歩を踏み出すのに実にピッタリなのが富士山登頂であり、一つ踵を大地から離しては己の煩悩も捨て、頂上にてご来光を眺めれば心身ともに洗われるのだ、というのはもちろんウソで、車で5合目まで登ってせいぜい7合目ぐらいに辿りついたら「これ以上進んだらきっと高山病になるっしょ」とすごすご下山するイベントである。
下山した後は山梨名物のほうとうを食べて温泉に浸かって帰る。そもそも最初のキッカケは「秋だし富士山で秋刀魚でも焼いてみない?」と言ったのが動機で、まあ、結局は秋刀魚については企画倒れになっちゃったけど、富士山に登るのだけはかろうじて何年も遂行していた。
メンバーは、周りの登山客は重装備だというのにローファーを履いてボタンダウンのシャツ一枚で煙草を吸いながら登るマチャピコ、朝の7時までジオイドで踊り狂っていて一睡もしないで身体BPM165の僕、5合目時点で頭痛がするとか騒ぎ出すAWA-YA。多少のメンバーチェンジがあってもこの3名は固定である。
休日がハッピーマンデーに移行してからも何年かは続いていたけれど、ここ数年は祝日の調整が出来ない関係で富士山に行っていない。今年あたりから復活しようなんてマチャピコと話したので、三十路に相応しいダメモードでここはひとつ富士山登山を再開したいと思う今日この頃である。
学生の頃は一緒にデタラメしていた友人がエコロジーに目覚めてから十数ヶ月が経とうとしている。
何かと耐性が出来やすい人だったので、そろそろ効き目も薄れる頃か?と思うもそうではないようで、いまも<マイ箸>がどうとか<駅前のゴミ>があーだとか毎日騒いでいる。六本木のアマンドで暴れてしょっぴかれたり、かのクラブ「CODE」で出禁になるとか海辺でカップラーメン食ったら中身ごと捨てて顰蹙を浴びるとか伝説だらけなのに人というのは歳月を重ねれば変わるものである。
僕の周りのエコロジストの多くがそうであるように、彼もまた毎日の自分の行動に酔いしれて北へ南へと布教活動に忙しい。
ワンクリックで救える命があるように、回りくどくブチブチと理由をつけて行動しないよりも偽善が素晴らしいのは、結局はそれが結果に結びつく行為だからだ。
地球は誰がどんな理由でやさしいのかやさしくないのかは知ったことではなく、<結果的にやさしい人>が地球にとって一番やさしい。
そうはいっても、なかなか胡散臭いというか酔いしれている人相手にエコロジーをするのはめんどくさい。
「僕がきっかけになってみんなを気づかせてあげられたらいいんだ」と彼は言った。いい事言ってんでしょー、俺っていう顔して。なんだか突然目の前でゴミ捨てたくなったけど、大人なのでここはグッと我慢してその台詞は今度の合コンで使ってやろうと誓った。
久々に渋谷のセンター街を歩いてみたら、結構な割合で女子同士が手を繋いで歩いているのを目撃した。女子高生・コギャル・ガイジンとジャンルの棲み分け関係なくお手手を繋いで歩いているのだ。いまに始まったわけでもないこの現象も世の中にだいぶ定着してきた。
いわずと知れたことを敢えて書くと、手を繋いでいる女子は決してレズビアンではない、たぶん。
友愛(むしろ友情)の延長線上にある行為として顕れたスキンシップがそれであり、どちらか一方の女子が「この子の乳を揉みたいわ」とか思っているわけではなさそうだ。
これが男子同士となると多種多様のおバカさんの坩堝と言われている渋谷ですら手を繋いでいる光景に出くわしたことがない。
きっと夜の2丁目あたりでしか目撃されないのだろう。僕も仲のいいダチと一緒に街をぶらつくことはあっても手を繋ぐことにはならない。
どうして男子同士が手を繋がないのか?
大体の男子諸君であれば経験しているだろうが、小学生の頃は頻繁に同級生(←野郎)と手を繋いで学校から帰ったものだ。別に違和感とかなかった。友達だから手を繋いで帰るという当たり前の行為だった。もし2丁目に隣接している四谷ならではの風習だとしたらちょっと恥ずかしいが、とにかく小学5年までは手を繋いで歩いたこと明確に憶えている。
いつのまにやら繋がらなくなった。というか、6年になったら、なんとなく恥ずかしいなと思いつつ繋がないようになったのだ。
どうして5年で繋いで6年で繋がなかったか明確に憶えているのかというと、僕の小学校は6年生の時に仮校舎になり、過去5年で通っていた通学路と正反対になったから忘れようがないのだ。家を出て12秒の道を小学5年までは右に折れていたのが6年で左に折れたのである。
6年生という時期を境目にしているのが何を意味しているのか調べようがないけれど、男子の場合は自意識が確立されるようになるに連れて繋がなくなるのだろうか。もしくは社会性に対してより拘るのが男子なのかもしれない。
しかしながら、この男子で手を繋ぐ行為、ある外国の地域ではごく一般的に見受けられる。
サンフランシスコと言いたい所だが、そうではなくて、タイより西のアジアや中東では成人男子同士も仲良く手を繋ぐ。
これを目撃した当初は「やっべーな、ホモだらけかよ」とお尻を身構えた。
でもそれは早とちりだったようで、インドやバングラディッシュでは、本当に仲のいい友達同士は手を繋いで普通に歩いている。
クルタ姿の髭モジャ軍団が手を繋いでいる光景は見慣れるまでなんとなく異様ではあるけれど、僕も何度かインドの路上でインド人と手を繋いで歩いた。
ガイドブックに拠れば<友情の印>と載っているのでそれを信じるしかなかったのだ。「ゴメン手をつなげない」と言ってインド人を傷つけるのは何となく気が引けるし。ゲストハウスで会った旅人達も僕と同じような経験をしていたから安心した。
それでも、なんというか、ニューデリーの路地裏を会って間もない人懐こいインド人と手を繋いで歩くのは懐かしいような恥ずかしいような複雑な感じで、なんかこそばゆいものだった。
台風が過ぎ去った後は低気圧がホニャララして高気圧がウニャララして快晴になり、それを「台風一過」などと言ったりする。
この「台風一過」を「台風一家」だと思っちゃいましたみたいな鶴光ライクなAMラジオジョークを僕は心が極端に狭いのでまったく解さないのだが、そういう勘違いというのは案外あったりする。
酔っ払う以外の手段で酒場で恥ずかしい思いをするのは、こういった類の勘違いだ。ウンチクの勘違いだとか、そういうのである。
*
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ジャズのレコードが真空管アンプで流れる地元のバーで、あんずの種の天神様を使ったリキュール、すなわちアマレットをオレンジジュースとソーダで割った<ボッチボール>というお酒を初めて呑んで、一気に虜になった。最初の一杯をいつもこのお酒に決めて、週に3日程通っていたわけだが、ある晩、何がというわけではないけれど、強烈な違和感があった。バットと間違えて大根を握ってバッターボックスに立ったような気分だった。そしてその違和感は、とある友人の言葉で氷解した。
「そのお酒さ、ドッチボールじゃなくて、ボッチボールって言うんだよ」と。
世界の中心でおもらししそうな一言だった。
*
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タイにあるホワヒンというビーチは、15年ほど前までは僕のタイの友人が完全に仕切っていたエリアで、そこで遊ぶ限りは僕らは何でもOKだった。
いつものように売春婦やゲイやオカマやマフィアなんかがごちゃまぜになってドンチャン騒ぎしている夜、いつもはシーバスリーガルを使って何でもかんでも割っていたんだけど、その日はI.W.ハーパーだった。
ご存知、ケンタッキーで生まれたバーボンだ。
タイに来る前からその存在を知っていたとはいえ、そもそも酒を嗜む時期じゃなかったので、お酒の種類や由来に興味も薄かった。酔っ払ってふとラベルを見たら僕が知っているハーパーとは違うじゃないか。
「あれ、これって、I Love You ハーパーって言うんじゃないの?」
聞いた自分が間違っていた。爆笑の渦がとぐろを巻いて、オカマちゃん達に「なんとかかんとかカーーーップ」とクネクネ触られた。きっとタイ語で「どんだけー」って言っていたに違いない。そして在タイ中のあだ名は、たったこの一言で決まってしまった。
*
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まあ、そんな話。
呑んで~呑んで~呑まれて~呑んで~、と。それでは今宵も何処かの酒場で。
色々な技術があるんだったら、こんなのがあればいいのに。
ネットの闇職安で集った名前も素性も互いに知らない3人の男たちが、偽名でそれぞれを呼び合って、名古屋で面識も無い女性を拉致して殺害して現金を奪ったりキャッシュカードで現金を引き出そうとしたりしたという目も耳も塞ぎたくなるような事件が起きた。
たまたま歩いていたら(というよりは、毎日歩いている道)、突然襲われてそして殺されたのだ。もしも、それが自分の家族だったらどうする?もしも自分の愛している人だったらどうする?とにかく心が痛くなる事件だった。
さっきニュースを見ていたら、被害者の女性からキャッシュカードの暗証番号を聞きだして、その後に殺害したらしい。キャッシュカードの暗証番号が2個設定できればいいのに、そんな風に思った。
2個目は緊急的な暗号。
実際のキャッシング用の暗号ではなくて、持ち主が事件に巻き込まれたことを示唆するのだ。つまりはその4桁を入力した場合は明らかに不正であり、その場で警察が駆けつけてきたりする。その4桁を犯人に教えてしまえば、現金を奪われるのを防ぐだけでなく、そのあとに続く凶悪な事件も防止できるかもしれない。そんな技術がどっかにあればいいのに。
※ただ、無念なことに、今回の愛知の事件では、犯人達は暗号を聞いた直後に殺害した。極刑が望ましいと思う。
昨晩は雷が踏み切りの信号に直撃したので駅員が手旗信号で電車を捌いたという、バングラディッシュのダッカみたいな状態だったので、皆既月食どころか家に帰れるかどうかも分からない始末だった。
バケツをひっくり返したように土砂降りだったし。そんなわけで今朝はぼんやりとしたまんま電車に乗っていたら2駅ほど乗り過ごしてしまった。
いろいろと考えることがあったのである。
日本語は自分を指し示す一人称の代名詞はめちゃくちゃ多い。というかその気になれば幾らでも作れるという恐ろしい言語である。そしてこの一人称ほど、そのあとに続く文章は言葉の雰囲気をピカピカに輝かせたりヘニョヘニョに台無しにしたりするものだと、朝から考えていた。
「○○の愛人」。この○○にありとあらゆる一人称を挿入すると様変わりするのだ。
乾いたりジメジメしたり愛人関係でさえ変幻する。
なお、愛人はラマンと呼びたいところだが、そこはぐっと我慢をしたい。
■「私の愛人」
まあ、普通である。男女とも両方使えるだろう。一番エッチっぽいのもこれである。だが愛人の後に続ける言葉にだけは気をつけたい。「私の愛人。ポチ」ちょっとトルエンの量が多かったんじゃないかな?それ、犬だよ。そんな風に心配しそうである。
*
*
■「ぼくの愛人」
<僕>という名称は<ぼく>や<ボク>と書くだけで、なんだかどうでもよさそうな曖昧性を帯びてきて、すべてがカジュアルになってしまうパワーがある。愛人って流行ってるんでしょ。ボクも最近気になるんだよね、みたいな。
まるで吉田栄作のような一人称である。「亡国のイージス」という寒い日本映画をトチ狂って1800円払って観た事があり、たぶん緊張するであろうシーンに吉田栄作が登場した瞬間、吹き出したことがある。
自衛隊の話なのに吉田栄作が被っているキャップな帽子がなんだかバブルな時代を髣髴させたのだ。タンクトップだったし。シリアス感が微塵とも見当たらない映画だった。そんな吉田栄作は「ボク」という一人称がなんとなくしっくりくるように思える。
なお、変形の「ボキ」はどうだろう?「ボキの愛人」・・・。見たこともない、そして会うことも無いだろう愛人だけれども、その愛人がものすごく不憫に思えてくるから不思議だ。そんな奴の愛人だけはやめておけ、と。
*
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■「オラの愛人」
説明不要。「オラの愛人」、これを発したのは孫悟空以外の何者でもない。ただそれだけだ。
悟空の愛人がブルマでも人造人間ナントカ号でも特にこだわらない。そんな設定の漫画はコミケに掃いて捨てるほどあるだろうから。闘うなり地球を救うなりとなかなか肉体関係に及んでいなそうな関係でもある。
「ママ、この<あいびと>ってどういう意味?」と子供に尋ねられて慌てふためいている昼下がりの(ジョージ高橋)主婦が2万人くらい居そうだ。
ただ、ここまで書いてふと思ったのが「ドラゴンボール」以前に「オラ」と言えば誰をイメージしていたのか、まるで思い出せない。そんな事を考えると、ちょっとだけ悔しい。
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■「あたいの愛人」
愛人側の家族に気遣いゼロ、秘密なにそれ?、オープンマインド・ドントウォーリーな関係。それが「あたいの愛人」だ。ジャマイカみたいである。もう少し愛人関係らしくひっそりしろよ。何処からか友人達の声が聞こえてきそう。
人生いろいろ見聞してきたけれど、実際に自分のことを「あたい」と呼んでいるようなハスッパ(←完璧な死語)に出会ったことがない。あと、「あたいの愛人」って、なんかベータビデオ版しかなかったアダルト系のタイトルにありそうだね。
と、ここまで考えたところで駅が過ぎているのに気がついた。
2007年8月28日18時~21時@日本で皆既月食が見られる。都会のど真ん中眠らない街である我が家の屋上から見られるのか心配とはいえ、ここはひとつ風流に団子でもこねて屋上にあがってみよう。もちろん月見酒も。
千葉県の南船橋に、日本初のIKEAが登場してからちょくちょく出掛けている。スウェーデンの家具メーカーということもあり、スタイリッシュかつ北欧的なセンスが満載のアイテムが勢ぞろい。それでいて廉価な価格で揃えられるので連日賑わっている。
IKEAといえば案外忘れられているけれど、映画「ファイトクラブ」に登場している。
この映画の主人公ジャックは北欧家具の虜になっている不眠症の青年で、彼の高級コンドミニアムは映画冒頭でチュドーンと爆破してしまう。映画のシーンを注意深く観察していると、ジャックが懸命に揃えた北欧グッズのメーカー名がインデントで書かれている。それのほとんどがIKEAだ。
まあ、それは置いといて、自分で組み立てられる大型のホームセンターなので、置いていあるアイテムもピンキりなわけだけれど、行ってみると、いかにもお洒落~!と手を叩きたくなるようなコーディネートされた部屋が見本として実際に並べられている。
1Kの部屋の家具や台所周りを一式揃えて9万足らず。それでいてなんだかスウェーデンな香り。やはり聞くところによれば、3月4月の上京時期や学生の一人暮らしに人気があるらしい。
ちょっと昔、僕らの20歳の頃は一人暮らしの勢ぞろいアイテムといえば無印良品で、あまりにも一式揃えている友達のところに遊びに行った日には「お前は西武の回し者か!」なんて言われたけれど、最近だと「お前はスウェーデン人か!」なんて言われているのかもしれない。
今年2回目の巣潜りをしに行ってきた。魚とイカの大群に出会い、寝ぼけたソーセージみたいなナマコを突付いてウツボと挨拶した。
岩場なので干潮と満潮の差がすごい。まるで別世界。ところで干潮と満潮って、美化語の「お」をつけるとグッとエロくなるね。
※美化語とは、なんつうか上品に言葉を装飾する接頭語みたいなもの。ステージが同列で対象物が上にならないから、尊敬語ではない。たいていが「お」をつける。<おビール>とか<おパンツ>とか。これは尊敬語の<お父さん>の「お」とは別モン。
写真を撮るという行為は、自分の心性が欲する、曖昧で表現しようが出来ない貪欲なまでに乾いた部分を─決してそれは写真を以って補完することはできないだろうと知りつつも─坦々と埋めていくような作業であると、いつの頃からか考えるようになった。
文章を書くという作業もまた然り。
自身の目前に広がる世界や心を揺さぶる強烈な体験と、それを表現を通じて記録に残すこととは大きく隔たりがあるのは否めない。対象世界を描写しきれないのだ。つまり、力量が足りない、ということだ。永遠に隔たりは縮まることを知らないのかもしれない。
だとしても─例えそれが岩肌を耕すより困難かもしれないとしても─今日もまたシャッターを押しテクストを綴る。
それは「好きだから撮る」というより「乾きから解放されたい」という、いみじくも自身の欲望を具現化した代替行為に等しい。写真であれ音楽であれ文章であれ、ということだ。
今回は紅梅を使い、しかも泡盛で漬けてみた。じつのところ、多くの人や文献が梅酒に使う梅は青梅が定番だと言う。入梅の季節になると八百屋やスーパーの店頭に2種類の梅が並んでいることに気がつくはずだ。
白桃のように赤みかかった梅は梅干を作るときに使われる。一方、青梅は果実酒向け。紅梅よりもアルコールに漬けることによって梅独自の香りが引き出され果肉が崩れないらしい。
しかし、我が家では鋭い第六感と豊富な経験を駆使して紅梅で挑戦してみた。
コチラのほうが梅独特のクエン酸成分が引き出され、この上ない最高の梅酒が出来上がるからである。本当の梅酒というのは紅梅で漬けない限りは決して味わうことはできない・・・。
とまあ、以上が僕が友達に話す際に使うセリフである。
実際には各サイトなどを見れば分かるが「梅酒の場合は青色の濃いもの、つまり、さわってみて果肉が固く感じるもののほうが、香りとコクのある梅酒が出来ます。」と堂々と書いてある。
僕はブラブラとスーパーに出かけて、アホウドリのようにポカンと口をあけてなんにも考えずにヒョイと赤いほうを選んでしまい、家に帰ってネットで調べて愕然と肩を落としたのである。
さて、そんないわくつきの<紅梅泡盛梅酒2007>を、先日解禁した。
赤い蓋の保存瓶を覗くと、宝石のように詰まっていた氷砂糖は螺旋を描いて溶けきっている。泡盛は43度あるので蓮華一杯だけにとどめて、ロックで飲んでみた。インドで購入したチャイグラスに注ぐ。滑るように撫でるように、注ぐ。
6月当初に嗅いだクセのある泡盛の香りは何処にもない。どちらかというと梅ジュースの香りがするので期待が高まった。そして一口飲んで驚いた。
たった2ヶ月しか経過していないというのに、もの凄くフルーティな味わいでコクがあるのだ。紅梅の桃みたいな魅惑的香りが封じ込まれているだけではなく、果実酒の名に相応しいテイスト。まろやかな飲み口。某リポーターだったら「梅酒界のハニカミ王子や~」と絶賛する場面である。
夏といえばイベントである。「Summer of love」「Equinox」「Rainbow2000」「Fuji Rock」等、懐かしいイベントやお馴染みのイベントが目白押しの季節。とにかく夏といえば祭りが定番。
そんな中、お盆の真っ只中に音楽とは多少なり無縁ながらも動員数は3日間で50万人越えという大規模なお祭りがある。
通称コミケと呼ばれる東京ビッグサイトで開催の「コミックマーケット」だ。
同人誌が飛ぶように売れて経済効果は億単位、ラムちゃんとか悟空とか(たぶんね・・・)の格好をした人が真顔で歩いている、ある意味サイケデリックな空間だとその道に詳しい人は言う。ヨーロッパからわざわざ東京ビッグサイトを目指してやってくる連中さえ居ると聞くと、もはや聖地と化したのではないかと思う。
いまやその看板のコミックに囚われず、さまざまなブツが流通しているとも聞いた。世界を駆け巡るお祭りだ。
僕自身、ガッチガチのサイケを流していた全盛期のRayが回すという理由で7時間掛けて長野の山中にテント道具を担いで行くことがあったので、人のことを言えはしないが、よくもまあ、このクソ暑い時期に50万人も集るイベントに・・・。
ただ、このコミックマーケット、日本人として、しかも東京に生まれ育ちそこに住んでいるのなら、一度は行った方がいいような気がする。それは例えば凋落してしまったが世界規模な「ラブパレード」にベルリンに住んでいながら参加しないのと同等であるように思えるからだ。リオ・デ・ジャネイロに在住していながら「リオのカーニバル」で踊らないのと等しい。
その土地ならではという見方をすれば、「コミックマーケット」、東京に住んでいたら見逃す手はないってやつだ。地元民による興味本位の不純な野次馬的嗜好。そしてこういう不特定因子が混雑をさらに誘発するわけだけれども。
Yahooオークションで家具を購入する傾向が高いPSYBABAハウスでは、この法則に漏れずして1ヶ月ほど前にダイニングテーブルをやはりオークションで落札した。探す手間と送料を考慮してもかなり格安での購入だ(送料はほぼゼロに近いという偶然も加味される)。
正式にはダイニングテーブルではなく、福島県の山中にある小学校の図工室で昭和時代に使われてたテーブルである。
昔の職人の仕事らしい組み込まれた頑丈なシロモノは、ノスタルジックな趣きを漂わせていて飽きない。これは階段を上がって扉を開けてすぐの一番目の6帖部屋に配置した。この部屋も洋間なので調度品としては収まりがいい。一気に部屋の貫禄が高まった感がある。ダイニングテーブルとして使うには申し分ない。
但し、運搬には相当の苦労があった。というのも、このテーブルを搬入するには、玄関のネジを外して階段の手すりも外さなくてはいけなかったのだ。
ある休日、親しい知人が遊びに来ていて、音楽を聴きつつテレビを見つつ酒盛りをしてたタイミングで宅配業者が訪れたので助かったのは幸いである。
去年漬けた自家製梅酒やビール、焼酎を呑み、しっかり酩酊していた我々だったけれど、焦点が合わなくとも30分ぐらいで搬入した。
そしてヘトヘトになったついでに駅前にある死ぬほど旨いと名高い焼きとん屋に行き、味噌だれの串を注文してホッピーでもう一度乾杯した。
椅子の調達が完了していないから、ぜひとも9月までには揃えたいものだ。
秋にはPSYBABA映画祭というイベント(ランボーシリーズを観るとかロッキーシリーズを観るとかオーバーザトップを観るとか)が我が家で待機しているので、ことさら愉しみである。
1996年8月9日のその日は、ロスアンゼルスの西側にあるヴェニスビーチに居た。
真っ青なカルフォニアの晴天らしい空が広がっているそんな一日。住処にしているゲストハウスはイタリア人のゲイとシェアする羽目になったけれど、海沿いですぐにメインストリートに出られるという立地でしかも格安だった。目の前のビーチにはパール椰子が等間隔に並んで、ホットパンツにタックトップの金髪ギャルがウォークマンを聴きながらローラーブレードをしているというベタな光景。
もちろん僕はそんな風景に恥じないように、サングラスを掛けてバドを飲みつつホットドッグを齧り、オープンカフェの席に毎日座った。
ジェリーが逝去してからちょうど1年目だったので、ヴェニスビーチで野外パーティが開催されていて、噂を耳にした僕はゲストハウスで友達になったドイツ人と一緒にそれぞれの言語で「蛍の光」を大声で合唱して、会場に向かった。まったく言葉が異るというのに唄の終わりはピッタリと合わさったのでゲラゲラ笑った。
会場ではいたるところでお香が焚かれ蝋燭が灯されていた。各地から集ったヒッピーたちは泣いたり悲しんだりして、そして踊っていた。
メロコアが大好きだと言うので2日前の晩にハイスタのCDを貸してあげたイギリス人の女の子も来ていたので、バドとワインでジェリーを偲んだ。彼女は午前中から踊っていたらしく、涙で目を赤くして「Still love&miss you,Jerry」と小さく呟いた。
ジェリーが亡くなってから12年が経とうとしている。僕も随分と大人になった。
きっと嘆き悲しむより、ジェリーが僕らに感動を与えてくれた音楽にゆっくり耳を傾けて聴いたほうが似合う。いつのまにかそんな年頃になったようだ。でもね、やっぱり「Still love&miss you,Jerry」だよ。
R.I.P Jerry
かつて「ゲームセンターあらし」という漫画があった。
主人公の少年は出っ歯の前歯を手のように扱ってゲームの高得点を弾き出し、その母ちゃんは巨大なボインでやはりシューティングゲームなどの高得点を弾き出すという(ノーブラボイン打ち)、恐らく平成を生きるキッズからしてみたらにわかに信じがたい漫画だ。
主人公のあらし少年が出っ歯を駆使しすぎて歯がポキンと取れちゃったけれど、新しい永久歯が生えてきて、なんとさっきまでのは乳歯だった!というギリギリのギャグでかわしたところまで記憶があるが、そのあとどうなったかまるで思い出せない。
その「ゲームセンターあらし」が21世紀に新たに登場する。ただし、プレステ3とかwiiを歯でプレイするという内容ではない。
あらし少年はサラリーマンになった。そして大人になった彼が夢中になっているのは株取引。
その名も「サラリーマントレーダーあらし」。「コミック・ガンボ」で07年08月07日より連載するとか。
株とかよく分かんなくて金融に興味を持っていないので内容には惹かれないとはいえ、大人になったあらしは見てみたい気がする。スーツ着て帽子被ってるのかな?
─コミックガンボ─
アメリカのギャグ映画『ケンタッキー・フライド・ムービー』にインスパイヤされて、1979年に漫画家の赤塚不二夫が下落合を舞台に書上げた映画だとか。今じゃ到底考えられない尋常ならぬ豪華キャストがそそる(ある意味、オーシャンズ13を超えている)。
伝説のB級映画ということで一度だけ上映会はあったものの、DVD化には至らなかった本作がついに実現!
地元エリアが舞台で、タモさんが俳優として出演している時点でちょっと見てみたいかも。
ただ、内容はかなりB級路線とか。
<監督>
山本晋也
<主題歌>
歌名:TOKYOナイト&デイ
作詞:宇崎竜童
歌:所ジョージ
<キャスト>
所ジョージ
タモリ
坂崎幸之助
高見沢俊彦
桜井賢
柄本明
団しん也
たこ八郎
近江俊郎
内藤陳
佐藤B作
グッチ裕三
モト冬樹
ウガンダ・トラ
赤塚不二夫
宇崎竜童
─詳細─
PSYBABA邸のベランダ園芸部は、屋上シリーズのイタリアントマトがこないだの収穫以降から全滅に差し掛かっていて、一向に新芽と花が咲かないのである。かろうじて1個だけ申し訳なさそうにトマトがぶら下がっているという状態。
一方、胡瓜は壊滅に近かったのに7月終盤になったら息を吹き返した。モブログにあるようにニョッキニョッキ胡瓜が育つのである。
ベランダのハーブ(青しそとバジル)は心配要らず。さすが強い植物だ。こちらもワサワサ育っている。
そしてアブラムシと日夜闘っているのが唐辛子。アブラムシどもは小さな花が咲いた瞬間にエサ見つけ!と言わんばかりにわらわらと食いつぶそうとする手ごわい連中だ。天敵のてんとう虫が胡瓜のとこにたくさん居たので、せっせと大陸移動させたけれども気まぐれなのかパタパタと飛んでちゃった。
それでも幾つかの花は唐辛子の実となり豊作には程遠くとも色づいてきた。ドSな態度で挑むとMな唐辛子はどんどん辛くなるという話も聞いたので、水やりを少なくしたりとすっかりご主人様気分である。
収穫した唐辛子は、小さいながらもムッチリとしていてかなり赤い。
1本だけ試しに取ったのでペペロンチーノで堪能することにした。にんにくを潰したついでに、冷蔵庫で見つけたエシャレットもみじん切りにして、唐辛子も小さく刻む。唐辛子は刻めば刻むほど辛味が増すのだ。
たっぷりのお湯でパスタを茹でる。アルデンテに仕上がったところでオリーブオイルで炒めた具材と一気に絡める。味付けは単純に塩コショウ。
出来上がったペペロンチーノはシンプルだけれども腰の入った辛さが直撃だ。
扇風機を回して麦茶をグイっと飲む。なかなか順調に育ったようである。
F川さんに教えて貰った「白身魚の刺身を唐辛子醤油で戴く」という真夏の魅惑的献立は、次回の収穫までお預けしておこう。こちらもかなり楽しみである。
東日本、とりわけ東京の鰻は背開きにして蒸した後に炭火で焼き上げるのが主流である。これに対し西日本は股開きにして蒸さないで焼く。
どちらの味もそれぞれ試してみた感想は、慣れ親しんだ味だからだろうか、個人的には東日本式の背開きにして蒸した後に炭火で焼き上げる鰻のほうが滋味滋養の広がりがあって、鰻の独特の旨みが引き出されているように思う。これは好みの問題なので仕方ない。小さい頃からの味、というものだろうし。
昨今、中国からの輸入鰻から抗菌剤のマラカイトグリーンが検出されたとして輸入鰻の危惧が懸念されていた。産地偽装が無神経なまでに蔓延する世なので、たとえ国産と謳っていたとしても実際にはどんなシロモノが使われているかは分からなくなってきた。食べてからじゃ遅いというのも厄介だ。最終的には料理人やお店の人間の常識・良心・プライドに委ねるほかない。プライドのない人間が産地を偽装する。
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さて、鰻に話を戻すと、鰻というのは夏より冬のほうが旬で美味しいとか。それでも僕は夏の土用になると行列すらも覚悟して鰻を食べるよう心がけている。夏ばてしないよう祈願も含めて。願掛けみたいなものだ。
いま住んでいる街に、註文してから鰻を捌くというカウンター数席だけの職人技の鰻の店があって、値段も手ごろ、味は保証附き、つまみも旨い、まさに「鰻屋でせかすのは野暮」という言葉通りの穴場がある。鰻を註文してから45分は待つのだ。
老夫婦で賄っている当店は、土用の日は気の毒なくらい忙しいと耳にしていたので、ここで食べたかったけれど涙を飲んだ。四谷にある「うな浜」は潰れてしまったし、「宇な米」は予約で一杯なので、「宮川本廛」はどうかと思ったが、時計を見ると20時手前、やや厳しい状況である(ここは18時半に到着していないと食べられない)。
新宿に出向いていたので、新宿で鰻でもと頭の中で地図を巡らせると一軒あった。アルタ裏にある「小ばやし」だ。創業明治38年の老舗。江戸前の味を頑なに守り続けている店だ。
急ぎ足で店まで向かうと5組ほどが待っているだけで、何とか食べられそうである。20分ばかし列に並び、瓶ビールで喉を潤おした後、竹(2415円)を食べる。ふんわりした三河産の鰻が口中に広がり、目がほころぶ。今年もいい夏が迎えられそうだ。
持つ部分のプラスチックをペリペリめくるとガムになっている斬新的なアイスを齧って、ゼウスとかサタンとか天使のシールの収集に明け暮れていた昭和キッズな僕らのヒーローは、野球選手でもなくロックスターでもなくゲームの上手な名人だった。
一世を風靡したゲーマー達は時代の寵児となり日本中からの注目を浴びた。いまでは到底信じられないけれども、名人ブームはさらに拍車がかかり、ゲーム名人対決が映画化され名人同士がひたすらゲームを闘いあう映画が上映された特殊な時代である。
そう、高橋名人は指を痙攣させると一秒間に16連射ができるという必殺技をひっさげて僕らを虜にした。スターソルジャーという連射を必要とするゲームを難なくクリアする姿にチビッコ達は痺れまくった。
そしてそのスターソルジャーはキャラバンと呼ばれるゲーム大会の種目になった。ハドソンというゲームメーカーが企画して大々的に<コロコロ>という漫画雑誌で最新情報が発表された全国大会である。全国のキャラバン会場ではチビッコ達の熾烈な争いが繰り広げられた。勝ち残った子供が全国大会に進むのだ。高橋名人がキャラバンに登場するというのも大きな目玉イベントである。
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渋谷区表参道に聳え立つ岡本太郎の巨大モニュメントが目印の<こどもの森>で開催されたキャラバンに僕は同級生と参加したことがある。スターソルジャー大会であっさり敗退した僕らだったけれど、最後のメインイベント<高橋名人と遊ぶタイム>があったので、胸の鼓動は高まりっぱなしだった。ワクワクしてテカテカしていたのだ。
「さーて、高橋名人と遊ぶ時間だよー」
座布団の山田君より2オクターブぐらい高い声が会場に響くや否や、飴玉に群がる蟻ん子のように名人に飛びつくガキンチョ。いま思えば仕事とはいえ、なかなかハードである。
訳もわからず「ウンコー」と叫ぶ奴がいたり、他の子供に蹴飛ばされて泣きだす子供が出てきたり。まさにカオス状態だ。僕らも指をくわえてみている間抜けじゃないので負けじと周りのガキンチョをどんどん押しのけて高橋名人にチェックメイトした。
名人の右腕に触るだけでご加護があると信じているのだ。
だから触れた時点で満足のはずだった。でもなんか一言発したいというのが当時からの男の野望。
「ウンコー」に対して「チンコー」はあまりにも芸がなさすぎるので一言こう叫んでみた。
「俺の友達126連射できるよー」
まるでウソである。そんな奴いるわけがない。なんでそんな事を言ったのかもよく分からない。居たとしたらソイツこそ腕にバネを忍び込ませているに違いないのだ。
しかしそれを耳にした高橋名人、子供の純真な野望にこそ真正面からぶつかってくれたのか、それとも俺を越える奴は何人たりとも許さねぇというベジータな精神なのか、「うおぉぉ」と雄たけびを上げたと思いきや、僕を軽々と持ち上げるとフゴーッと会場のはじまで飛ばした。
さすがにビビってチビりそうになった。安く見積もっても5メートルぐらい飛んでただろう。友達はゲラゲラ笑っていたので僕も笑っていたけど、正直おっかなかった。
しかし子供というのはアホというかネジが一本少ないというか僕が飛ばされたのをきっかけに他の子供達も「僕も僕もー」とおねだりして次々と吹っ飛ばされはじめた。フゴー、フゴー。
「高橋名人って、100万パワーあるかもしんないね」
キン肉マンが3度の飯より大好きな友人のその言葉に僕はただ頷くばかりだった。
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とにかく当時は連射が出来るというのが算数ができるというのより圧倒的に魅力を放っていたのだ。
ハイパーオリンピックが出始めた頃から鉄定規を机に固定してビヨンビヨンさせて揺れを連射に活用する技が開発されたとはいえ、何といっても一番カッコよかったは、ピアノ打ち(人差し指と中指をピアノを叩くように連打する手法)やこすり打ち(人差し指・中指・薬指の爪を滑らして連射する手法)でもなく、親指と中指の先をくっつけて真ん中に人差し指を添えて連射する痙攣打ち手法だった。
この連射スタイルがピカイチだった。
何連射できたか?というのは常々自己申告で誰も正確に計測できなかったけれど、そんなご時世ということもありハドソンが連射だけを計測するシューティングウォッチを販売したのだ。自分が何連射できるのか?ついにそれが計れるようになったのである。
当時クラスメイトの数名はこれを持っていたけれど、僕はファミコンと同じぐらいに流行していたエアーガンにお小遣いとお年玉をすべてつぎ込んでしまったので、買えなかった。
ものすごく欲しかったので残念でいたしかたない。いまでもふとした瞬間に心惜しい気持ちにすらなる。
そして時折ウォッチングするヤフオクで売られているボッタクリ価格の<シュウォッチ>を横目に日々を過ごしていたら、なんとこれがハドソンから1万個限定で復刻販売したのである。
買わずにはいられない。代引き手数料送料が無料で1600円。
9月に配送ということで今年は連射の熱い夏こそ迎えられないが、それはしょうがない。
秋が移ろう物悲しい季節にスターバックスでホットカプチーノなんぞを飲みながら、気色悪い顔して連射しまくってOLに奇異の目で見られてやろうと思う。
僕の周りにいる友達連中には<マヤ暦>や<13の月の暦>を時間軸に取り込んで生活している人がいるので(要は太陽ではなく月の周期で生活を営む)、今日は「時間をはずした日 the day out of time」、明日7月26日は新年の始まりということでワイワイガヤガヤと盛り上がっている。
<13の月の暦>は1年を365日周期で計算しているけれど、28日換算なので、28日×13月=364日と1日が残る。
この1日が「時間をはずした日 the day out of time」なのだ。
「暦に属さない日」「時空を超えた日」と考えられている。<13の月の暦>だと全ての日や月が意味を持ち合わせていて、それが重要なメッセージとして過去・現在・未来を形成している。しかし、7月25日は、特定の月や曜日を持たず、全ての時間の流れから解放される。
つまりは、(the day out of time)。
僕はマヤ暦や13moonな人じゃないので、明日が新年だと強く意識をしていない。というより、グレゴリオ暦がメインストリームである社会の構成員として<13の月の暦>を自身に取り組むのは、少々難儀だと感じている。実は以前に何度か試してみたのだ。ほとんど興味本位で。
たかだかカレンダーされどカレンダー、それを太陽から月に交換することが自分にどんな影響を及ぼすのか。そんな飽くなき追求心(言い方を変えれば、知りたがりの好奇心)が自分を動かした。でも、結局は達成できなかった。
月の満潮に合わせる28日の周期は、日頃から満月や新月を意識しているので自分に馴染むと思うけれど、それとこれとは別問題というのが僕自身が導いた回答だった。
ところで、カレンダーといえば現在主流になっている太陽暦のグレゴリオ・カレンダーが一般的だと思いがちだが、世界にはマヤ暦や13の月の暦に限らず独自の暦を使用している人が実際には数多くいる。例えばバリ島にはバリカレンダーというのがあって、彼らバリニーズはサカ暦ウク暦に基づいて生活している。サカ暦は農耕儀礼に、ウク暦はガルンガンなどのお祭りの暦として使われる。
しばし東京を離れて南方の九州で1週間ほど滞在し仕事をした。
「呑んで呑まれて 呑まれて呑んで~♪」と誰かの唄にもあったようにその期間、文字通りに毎日呑んだ暮れた。僕は1人だとめったにお酒を呑まないので、毎日誰かと呑んでいたということになる。
遠くからとか(九州といえども離れた場所というのがある)忙しい合間を割いてだとか旅行から帰ってきて直後だとか、会社のみんなや元同僚のみんなが集まってくれて遊んでいただいて嬉しい限りである。
呑んだ後にラーメンを食べるのならまだしも、呑む前に食べて呑んだ後に食べるというダブルスコアを叩き出していたので、けっこうなカロリーを取ったようだ(しかも北九州が発祥だという<丸腸>と呼ばれる牛の小腸を炙って食べたりを繰り返し)。
それよりなによりも会社に行く途中の空き地の横で久々に会った某女史に開口一番「丸くなった?」と訊ねられたのがショックだった。一発奮起して体重を落とす日がついにやって来た。
九州で働いているけんちん君は、たしかお昼ご飯が<おにぎり>だった。彼のおにぎりから覗いていたのは、明太子のように見えたが、なんとそれはウインナーである。東京ではお目にかからない具材だ。
でも、誰も驚いていない。窓の外では寝ているところを起こされた不機嫌な若獅子の雄たけびのように台風4号が突風を地面に吹き付けている。そんな台風4号だって、みんなから注目を浴びていない。
「ウインナーって、おにぎりの中に入っていたりするの?」
「僕んちだと、わりと普通ですね」
なんだかとても遠くに来たような気がした。
明日から、僕も会社におにぎり持って行こう。ウインナーを入れるのもいいかもしれない。カロリー制限からスタートだ。
ウィキペデイアで見てみると、おにぎりの具として、以下のものがピックアップされていた。
具なし(俗に言う”塩むすび”)、あさりの佃煮、穴子、油味噌(アンダンスー)、豚味噌、イカの塩辛、イクラ、田舎漬、うなぎの蒲焼、ウニ、梅干し、えのきだけ、エビマヨネーズ、エビの天ぷら(天むす)、かき揚げ(天むす)、数の子、かつお酒盗(塩辛)、鰹節(おかか)、カニマヨネーズ、辛子明太子、キムチ、きゃらぶき、牛カルビ、牛ごぼう、牛タン、牛マヨ、きゅうり漬け、小女子、コロッケ、昆布、鮭、しいたけの佃煮、しそ青実、しば漬け、筋子、ソーセージ、鯛、鯛味噌、高菜、たくあん、干し鱈、たらこ、ツナマヨネーズ、壺漬け、鶏ごぼう、鶏そぼろ、鶏の蒲焼、トンカツ、茄子の浅漬け、納豆、なめこ、ネギ味噌、野沢菜、海苔の佃煮、葉唐辛子、ハムカツ、ひじき、豚キムチ、豚の角煮、べったら漬、まぐろの角煮、でんぶ、マツタケの佃煮、メンチカツ、焼肉、ランチョンミート、わさび漬け
4月からDJをしている店は今月からフードのメニューが増えたりして、期待度合いが高まってきたので、夏の盛り上がりに向けて個人的にサブミキサーを購入した。
店で使用しているミキサーには、Send/Returnの接続がないので、エフェクターをかますことができないという問題が前々から浮上していたのだ。Mixer--Effector--PreAmpの接続も方法のうちと考えればそれまでとはいえ、この接続の場合だと、エフェクターの掛かり具合がモニターできないし、エフェクターを効かせていなくても、常にエフェクター経由で全音が出力されてしまうので、やはり音質劣化のことを考えると少々厳しい。
全ては新しいノートPC端末を購入することによってPCDJしちゃえば何もかも解決が図れるわけだけれど、ちょっと如何ともしがたいので、機材から固めてゆくことにする。
ミキサーと刃物とダイアモンドは値段と品質が比例すると言われるとおりで、ずばり、高いものほど音が良いとされている。僕が購入したのは▲のてっぺんに位置するミキサーでお値打ちというより格安という言葉が相応しいので、果たしてどうだか・・・。
まあ、サブミキサーとはいえエフェクター機能も搭載されているのでオールラウンドに遊べそうであるので、平日も会社帰りに回しちゃおうかなと思っていたり。
夏になるにつれて主婦が主人の帰宅を待ちわびて食卓に冷奴を登場させるのが増えるのが理由じゃないだろうが、近所のお惣菜屋さんのお豆腐は僕が帰るころにはすっかり売り切れるようになってきた。
僕だって、ベランダで育ってる大葉をちぎって生姜をたっぷりおろして葱をちらし、削りぶしをたっぷり乗っけた冷奴を食べるのがお楽しみだというのに・・・。
というわけで暑くなってくると、週に1回買えたらマシなほうである。どうしても食べたいときは駅から5分のところにある豆腐屋さんにいかなくてはならない。
ところが、油で揚げた生揚げは案外と夜でも残っている。東京では生揚げと呼んでいるけれど、一般的な名称は厚揚げだろう。黄金色に表面が輝いている生揚げは、ちょっと火で炙って薬味を乗せて食べると箸が進む。
そして、運がよく帰宅しても時間があり冷蔵庫をのぞいてみるとキャベツが鎮座している日には、キャベツをざく切りにして炒めて鷹の爪も入れて油抜きした生揚げを割いて、醤油・料理酒・みりん・ブイヨン・砂糖で煮込む。キャベツの甘みが染みこんで、なかなかの味である。
で、その煮込みの最中に大活躍しているのが、このアイテム。
これまではずっと我が家には<落し蓋>がなくて、アルミホイルを丸くして蓋の変わりにしていたんだけど、これが台所に登場してから凄く便利で使い勝手が向上した。
耐熱耐水耐久を備えたシリコン製の落し蓋は、その名称の通り子豚さんの顔をしていて、鼻のところから湯気が出せるようにとシャレも効いている。シリコンなので、匂いがつくこともないし、アルミみたいに毎回作る不便さもない。
蓋を取る時は子豚さんの鼻にさいばしをプスリと刺して・・・。
後片付けも簡単。ほんと、便利だよ、これ。
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ぶたの落しぶた K-092 マーナ(ホーム&キッチン) |
高校2年生の修学旅行でヒロシマに行った。
原爆ドームや資料館を見学した後、きっと戦争当時はまだ僕らと年齢が大差なかっただろうというお婆ちゃんから被爆の体験を拝聴した。
僕らは高校生でかなりのバカだったけれど、お婆ちゃんが涙を流しながら伝えてくれた戦争の愚かさについては理解できた。
お婆ちゃんが「もし戦争が起こらなくて、ピカドンが落ちなかったら、私の子供もきっと大きくなってみんなみたいに元気よく育ってたじゃろうに。でもみんなどっかに逝っちまったじゃよ」と言葉を続けた時、コギャルで有名だった何人かは堰を切ったように大泣きして僕らもまた涙が出そうになった。
原爆が落ちたことがしょうがないだなんて、あの涙を見たら絶対に言えない。
ここ最近、しょっちゅうオスマン・サンコンさんを家の近所で見かける。
ホンモノかどうか分からなかったので、誰にも話したことがないんだけど、昨日、友達が家に遊びに来た時も家の近所にいたから「あの人、サンコンさんだよね」と訊ねたら「うおー、ホンモノだ!」と大昂奮だったので、確信した。
サンコンさんってカタカナで書くと「サンコンサン」になって、なんだか「山本山」みたいだよねとか話しすぎたら友人は酔っ払って終電を逃してた。そんだけ。
バリスヒルトンが出所するということで 刑務所前にマスコミと大勢のファンが集まった。
保安官や刑務官に囲まれたバリスが門を潜り、文字通りシャバに戻った瞬間に一斉にフラッシュが炊かれ、ファン達の嬌声が轟き、当の本人は満面の笑みで胸を張って歩いた。その映像は罰を受けて刑期を全うして反省した前科者の姿というよりは、何処かのファッションショーのようであった。
出所時にフラッシュが焚かれている映像をなんか最近見たことがあるなと記憶を辿ってみると、そういえば日本ではホリエモンが同じようにマスコミやファン(というよりは野次馬か)に注目を浴びていた。
法廷でのシラを切る厚顔ぶりからは想像できなく、「ご迷惑をお掛けして済みませんでした」的な発言を大きな声でして深々と頭を下げていた。
文化の違いといったらそれまでだけれど、拳銃犯罪大国なのに世界の番犬を名乗り出る無神経、出所ですらエンターテイメント性が求められ、またそれがまかり通るアメリカってギャグ大国なんだなってつくづく思う。
僕の家のベランダから見える道を挟んで向かい側の老舗お団子屋さんが<氷開き>をした。
空梅雨で夏日が続いたし、花屋にはヒマワリも並んだし、たぶんはそういうこともあって、例のかき氷のマークが記されているのぼりを出したのである。氷開きというのは、かき氷が店頭に並ぶことを指して、海開きや山開きという言葉と同じように使えるように勝手に造語した。
ささやかだけれど、大好きな夏の始まりである。
歩いて1分のところに知り合いが引っ越してから、たびたびベランダの下から声がすることがある。「koくーーーん」と呼ぶ声が聞こえると、カーテンを開けて覗いてみる。まるでバンコクのカオサン状態だ。
友人は日曜日にコインランドリーを使うことが多く、ガランゴロンとランドリーが回っている間、通りを眺めがなら煙草を吸ったりしている。そんな訳で僕も階段を下りて、お団子屋さんでかき氷を買って「最近どこのパーティに行ったの?」とか談笑したりする。
僕の元々の地元には、戦後最大の某巨大宗教団体の総本部があり、その要塞を守るように周りに支部が次々と出来上がったので、昔の知り合いがみんな引っ越してしまったし、商店街も潰れてしまった。こういうのは決してニュースにはならないし、僕も過ぎてしまった事柄だから多くを語ることはない。
ただ、もし、その総本部がなかったら、きっと僕の地元は昔ながらの下町らしい雰囲気を残したんだろうなって思う。いま住んでいる街みたいに。通りを歩いているだけで知り合いに会えるような。
お酒も煙草も嗜まないというのに友人が尿管結石なるものを患った。
なんでもお水を飲まないと罹る病気らしい。その友人は、土曜日の深夜に帰宅後、どうしてもハンバーグが食べたくてしょうがなくなったらしく、零時に台所に立ち、せっせと肉を捏ねて形を整えてフライパンを温めたそうだ。出来上がったのは草木も眠る夜中の2時。出来上がったハンバーグに満足もして何事もなく床に就いたはいいいが、朝起きると共にとんでもない腹痛に見舞われたとか。
トイレに篭もっても変化が現わず「どうやら食べ物系で腹を壊したわけじゃないらしい」とにらみ、病院に直行。下された診断が「尿管結石」。
尋常ならない激痛だとかで、Webで検索してみると「痛くて気が触れそうになった」なんてコメントしている人もいる。すげー、恐ろしい。
さて、この病気の原因は、就寝前に油っぽい動物性蛋白質や食塩を過剰に摂取しないことが肝心だそうである。油っぽい動物性蛋白質や食塩・・・。これはラーメンがまさにドンピシャでは?ということは、寝る前に腹が減ってもラーメンを食いに行っちゃ駄目ということになる。
クラブ仲間と深夜まで踊っていると、たいてい帰りがけにラーメンを食いに行く流れが多い。
もしかしたら危険なのかも。
しかし、そんな話を聞いた直後なのに、土曜日はお腹が空いたので、しっかりと家の近所の横浜系豚骨ラーメンの暖簾を深夜零時にくぐってしまった。横浜ラーメンは焼き豚も大きくて美味しすぎて食べて正解だったけれど、「尿管結石」の話を聞いたせいか、なんか時限爆弾を身体に仕掛けているようで怖くなってきた。
もちろんビビリなので、寝る前にこれでもかとお水を飲んだ。おかげで日曜の朝は快適に目覚められた。
なお、信じられないけれど、時々逆立ちすると結石予防に繋がるとか。暴れはっちゃくみたいだね。
日曜日の夜に限って意図的に晩御飯を外食で済ませるのも面白いと思って、ちょこちょこ実践している。
友人づきあいを別にすれば元来は自宅でご飯を食べるのが好きな性格だから、仕事が忙しいとか妙にラーメンが食べたいという気持ちさえ沸かないと帰宅の路は我が家に向かうことになる。
週に二度も三度も自宅以外で夕飯を食べている場合は、さすがに週末といえでもおとなしくしているが、自分ルールでは月曜~金曜の平日に晩御飯を外食で済ませなかったら、日曜日は外で食べると決めてみた。夕方頃に夕飯を済ませると日曜日の休日の夜がゆっくりと過ごせる、なんて利点もある。
食べるメニューにはこだわりがないかわりに、お店については、少々うるさい。有機栽培がどうしたとかいう面ではなくて、位置的な問題、つまりは自宅の近所にある店、特に歩いて行ける店に限定したのである。
わざわざ電車やバスを乗り継いで行くのはナンセンスというか<遠出してまで気合いで飯を食っている>というようなグルメ根性が見え隠れしちゃうからNGだ。あくまでも<ご近所さんにぶらりと飯でも>が重要である。
そのあたりの設定は僕が住んでいる私鉄沿線各駅停車の街はピッタリで、古本屋やお団子屋さんが立ち並び、お風呂屋さんの煙突が目印のスロウな時間が流れる商店街は本当に23区内なの?って首を傾げるほど、ぶらりぶらり&ジャランジャランがよく似合う。
そんな日曜日の一番人気は、隣駅にある「魚がし寿司」。駅と駅の間が短いので、徒歩で10分掛からない場所にある。安くてカウンターで食べられる寿司屋として連日大賑わいだ。日曜日は17時から営業しているので、前日ぐらいに予約をいれておく。
写真はいわしとしめ鯖の刺身。
そして上寿司の一例。
ビールを大瓶で頼んで中トロと穴子の握りを追加して、締めにしじみ汁を頼んでも2千円程度。週に一度のささやかな贅沢。(だって会社では昼飯代が200円ぐらいだから、これぐらいは楽しまないと)
で、こちらは、近所じゃないけれど7月にサンフランシスコで自身の絵のギャラリーを開催する予定になっている友人と先週末に訪れた田町のたけちゃんの写真。
テレビでたまたま「うたばん」を観ていたら番組内の企画「東京でも食べられる大阪の味」というコーナーに登場していたのでタイムリーなネタ的に。先週末もやはり混んでいたから、これからさらに混みそうだね。でもまあ、並ぶ価値ある味である。カラリと揚った串が90円から210円。
キスの串なんつのはジュワっとソースが染みこまれていて、アツアツを食べればビールが旨くないわけがない。
今年も行くであろう秘密の穴場に神奈川の真鶴という場所がある。
人ごみでごった返している江ノ島や湘南のずっと先にある半島の岬だ。夏のシーズンだというのに、あたりには海の家もなく一番近くの駐車場からも歩いて10分掛かる岩肌と茂みが覆う海岸は、汗だくになるだけの苦労をする価値がある手つかずの大自然で、素潜りのポイントである。
岩に囲まれた10メートルほどの磯は、まるで水族館のプールみたいで、息を呑むばかりに遊泳している魚と戯れることができる。
四方が完全に閉ざされているので、温水プールのように暖かい海の中を決して波に流されることもなく、気ままにゴーグルで魚を鑑賞するのだ。夢中になりすぎて毎回背中だけが日焼けしてしまうぐらいである。泳ぎ疲れたら岩の陰で冷やしているクーラーボックスからビールを取り出して海を眺めつつ飲み、七輪で焼いた貝や魚を食べる。大海原と自然を満喫できるこの秘密の穴場は、どうしてか誰にも気づかれることなく、贅沢に独り占め状態なので、東京から足を運ぶようにしている。
真鶴は漁港も豊富なので、帰りには魚料理を堪能しつつ、源泉掛け流しの温泉に浸かり、温泉施設の縁側でよく冷えた西瓜を風呂上りに食べるのが定番だ。
なかなか梅雨が訪れない東京で早くも海で遊ぶことを指を折って待っている。
九州の博多を始めとする福岡では、焼き鳥屋や焼きとん屋に行くと、この手のザク切りキャベツがお通しのように登場し、とても馴染み深い食べ物のようである。
関東でもアンテナ高いグルメが取り寄せたことからメジャーになったというのが、この「キャベツのうまたれ」。
焼き鳥屋さんで食べるキャベツが家庭でも再現できると本場でも好評だとか。
ノンオイルで酢がベースになっているドレッシングは、キャベツだけでなく幅広く食卓で大活躍。ちょっと夏バテした時なんて超打ってつけだ。
僕は会社帰りに近所にあるお豆腐屋さんで豆腐を買うのを秘かな愉しみにしていて(これがまた売り切れたりで入手しにくい)、運よく豆腐が買えたら、夏は冷奴にしているんだけど、この「キャベツのうまたれ」にラー油をお好みで混ぜてピリ辛ドレッシングを作り、白髪葱を添えて中華風冷奴にするのがお気に入りである。これは手放しで旨い。
豆腐の大豆の甘みと薬味である白髪葱のアクセント、そこに辛くてさっぱりとしたドレッシングがマッチング。白ごまなんかを散らしてもいい。
ぜひ、一度。
昨日のエントリでジャズの巨匠であるマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンについて触れた際に、「どうしてマイルス・デイヴィスは通称マイルスなのに、ジョン・コルトレーンはジョンと呼ばれずにコルトレーンなのだろう?」と彼らの名前にまつわる呼び名に関して漠然ながらに疑問を感じた。
まあ、すぐにジョン・レノンという20世紀最大のポップスターの存在に気づき、この問題は氷解したわけだけれど、ジョン・レノンの影響というのは、こういった人名にまで及ぶと思うと計り知れないものがある。
一般的にジョンという名前だけで思い起こされるのは、かの故人であるジョン・レノンであって、間違いなくジョン万次郎ではないことは確実だろうと思う。ジョン・トラボルタ、ジョン・F・ケネディ、ジョン・アーヴィング、ジョン・カビラと、有名なジョンを列挙してみても、やはり彼らが世間一般でジョンという単称で呼ばれることは多くはない。
名前ひとつとっても、魔の凶弾に倒れた永遠のスターの後世に残した遺産が、まるで大きな墓標の如く聳え立っているというのががよく分かる。
僕ぐらいの世代なのに、野球でスーパースターだといえば長嶋だと主張するのはどうも不健康な感じがしてならない、というのが個人的な意見で、というのも、僕が物心がついたときには長嶋選手は引退していたからリアルタイムで感動を覚えるということがなく、どちらかといえば世代的には落合がスーパスターだったんじゃないかと思うからだ。
長嶋の活躍は過去の映像でしか見たことがない。言ってみれば最初に見た時から懐かしのスターなのだ。
音楽に関しても同様で、僕ぐらいの世代なのにジャズがどうしたこうしたと非常に熱心になるのは不健康なように思えてしょうがない。だって、ジャズが輝いていた時代を同時代的に生きていないから、全然分からないのだ。
音楽に左右はあっても上下はないというのが僕の考えなので、ジャズについての素晴らしさというのは大変分かる。マイルスが稀有な存在だというのは当然だと思う。
でもそんなジャズに熱狂していたのは、明らかに僕より上の世代であって、「ジャズ」という言葉に過敏に反応するのも効き目があるのも僕らではなく、その人たちなのだ。
それと同時に最高の音楽というのは時代を越えて語り継がれるというのも頷ける。ただ何も知らずに「ジャズ」というキーワードが含まれているだけで、それっぽい感じになってしまっている自分の世代が好きではないのだ。
焼肉食いながらジャズって、ほんとにそれでいいのか?こういうのは全共闘世代の悪しき影響だと思いたい。
しかしまあ、前述したように僕より上の世代にとって「ジャズ」音楽は聖域に近い。コルトレーンは神様なのだ。僕がDJしている店にもごくたまにそういった音楽が好きそうな連中がやってくる。彼らにとってテクノは許しがたい音楽なのだろう。理解の最果てにある騒音なのかもしれない。テクノ or アナログ、そういう位置にフラグが立っている連中なのだ。
悲しい哉、今度また彼らがお客さんでやって来たら、僕はそんなに好きじゃないジャズを流す。でも、それは正しい。僕からしてみると僕が流しているジャズは、彼らに向けて贈る音楽であり、レクイエムや葬送行進曲なのだ。そんな感じでまた週末が近づいてくる。
生産ライン自体が打ち切られたことから、本場ロシアでも時たま工場からデットストックが見つかるだけで、年々高騰し続けているLOMO社のスメハチことSMENA8Mが10880円で[R-2nd]にて発売中とニュースが飛び込んできたので(但し保証書は2週間のみ。1年保証の場合はロモグラフィで購入したほうが無難。こちらは1万5千円程度)、いい機会なので購入した。
今回売り出されているのはブラックタイプのデットストックだ。個体それぞれに激しい品質のバラつきがあるという何ともギャンブルみたいなカメラなので、どんなものが届くのかハラハラドキドキなわけだけれど、T-43レンズというシャープの効いた描写力を誇る独特の写りが魅力であり人気の秘密なので、早くも待ち遠しい。
これで手持ちのトイカメラはLOMO LC-A、HOLGAに加わって3台目となった。まあ、HOLGAを使ったのは一度しかないので、持ち腐れという言葉がどんぴしゃつうのはどうしたものかというのは棚に上げてしまうとして。
<スメハチ スペック>
・フィルム : 標準35ミリ
・レンズ : Triplet 43 / 40mm f/4
・焦点距離 : 1m~無制限
・シャッタースピード : B,1/15,1/30,1/60,1/125,1/250
・絞り : f/4,f/5.6,f/8,f/11,f/16
物心がついた時分から6月の初旬といえば、お神輿のお祭りと梅とらっきょうの季節ということになる。新宿の四谷の場合、お神輿は6月の第一週にやるので、街中は祭囃子の音色とハッピに包まれる。
小さい頃から四六時中お祭り騒ぎが大好きな人間としては、これ以上に楽しいことはない。
そして浮かれた気分と同時に、6月初旬といえば梅とらっきょうが出回る時期でもあるので、梅干や梅酒やらっきょうを漬ける我が家は大忙しになる。梅干に代表される漬物は手間が掛かる分、市販品とは雲泥の差で美味しいものが作れるのだ。
我が家に限らず自家製のそれらを一度でも口にしたら僕は取りあえず市販のものは食べられない。不味いし、気持ちが悪くなる。でもこういうのはだんだんと感覚的に察してきたことなのだが、全ては幼少の頃の味覚が鍵を握ると思うので、<何を小さいときに食べたのか>が大きな要因になるのではないかと思う。つまり、小さい頃から市販製品を口にして育った子は、それが自身の基本的味覚として身体が覚えるんじゃないかな。
さて、実家を離れて生活すると、作ってみたいと夢見てもなかなか手を出せないのが梅干とらっきょうで─というのも、梅干とかラッキョウを黴らせると災いが訪れるという古い迷信があって、僕は頑なにそれを信じていて、躊躇しているのだ─もっぱら家族や親戚や親戚の隣近所の方々に依存するようになる。僕の田舎の山梨では、一家で10キロぐらい毎年それぞれが梅を漬けているので、親戚でもないじつに色々な方々から「ウチの梅(あるいはラッキョウ)は美味しいよ」という理由で戴けるという、なんだか凄まじい土地でもあるので、漬物に困ることはまずない。
今でも僕の冷蔵庫にはたくさんの作り手による梅干が格納されている。
なので、今年もまた漬物に関しては名人の腕に譲るとして、我が家では去年から始めた梅酒を今年も挑戦した。
去年はブランデーで漬けた梅酒を作った。一年も経つと琥珀色に染まってきて、まろやかな味わいに仕上がり、遊びに来る友人達からもなかなか好評である。今年は普通のホワイトリカーで漬けようか迷ったが、3軒先の酒屋で35度の泡盛が売っていたので、これを使うことにした(35度以下のアルコールは保存に難が生じる)。ただ、今回は青梅ではなく、やや赤みのある南高梅を使った。青梅に比べると酸味が少ないのが、この品種だが、果たして吉と出るか凶と出るか・・・。
ところで、色々な文献やWebサイトで説明している梅酒の作り方をみても、おおよそが梅1キロに対して氷砂糖500グラム程度としているのに、氷砂糖の説明書にだけは梅1キロに対して氷砂糖1キロって書いてある。絶対にこれは消費量を増やそうという氷砂糖メーカーの陰謀に違いない。
1週間前ぐらいのエントリに10年以上前のJ-WAVEのことを書いたついでに、当時にまつわる話でも。
そのエントリに書いた通り、1991年~1993年には、まだInterFMが開局していなかったので(InterFMは96年に開局だ)、東京のFMラジオ事情といえばJ-WAVEの独占場だった。
1990年代後半から顕著になった<FMラジオとAMラジオのけじめのなさ>が目立つこともない、FMラジオがFMラジオとして確固たる位置に君臨していた時代だ。(それに比べ、AMラジオ並みの凋落ぶりには目を見張るものがある。AMラジオも好きだけど、FMにはFMの良さがあるというもの。特にJ-WAVEやInterFMには)
僕は、当時は今よりももっとテレビを観なかったので、部屋で過ごすといえば、本を読むか音楽を聴くか両方愉しむかが主流だった。アルバムを入れ替えたりする必要がないラジオは、ながら読書にうってつけの音楽だったのである。バイリンガルなDJが日本語と英語のチャンポンDJで季節や天気に合わせた曲を流したり─その日が雨だったら雨にまつわる曲を流している─、その日に応じた選曲をするJ-WAVEは気持ちいいFM局だった。
そしてさまざまなジャンルの音楽が流れる中、まるで一目ぼれの恋に落ちたかのように僕はJ-WAVEで流れるある曲に惹かれた。
J-WAVEはFMラジオということもあり、首都圏のドライバーがリスナーとして多い理由から交通情報をこまめに流している。また天気予報も同じような理由で頻繁に流れる。「ジェェイウェーーーブ トラフィックインフォメーション」、「ジェェイウェーーーブ ウェァザァーリポート」の声で始まるニュースだ。
僕は何故かこの2つのニュースに流れるバックミュージックがたまらなく気に入って、交通渋滞も天気も自身に関係ないのにこの2つが流れると読書を止めてすら耳を傾けていた。ゆったりとしたリズム、あくまでも静謐なメロディと旋律、人の心を惹き付ける何かがそこにあった。
この2曲を聴くためにチャンネルを81.3MHZに合わせたといっても過言じゃないぐらいお気に入りだった。
しかし、局の再編と共にやがては使われなくなり、僕自身もまたFMラジオとは疎遠になり、やがて時を隔ててラジオ自体を頻繁に聴かなくなった。J-WAVEを聴くのは1年に1度あるかないかという2007年のある日、ふとしたことからJ-WAVEのことを思い出して、ついでに上述の2曲についても思い出した。そしてインターネットで調べたのである。
ネットというのは本当に便利で、当時聴いていた曲が誰の音楽なのか、というのもすぐに調べることができた。さらに驚くべきことに僕と同じように交通情報と天気情報の曲に心を奪われたリスナーが多いというのも分かった。なんだか戦友にでも再会したような気分である。
アメリカ出身のミュージシャンであり、クロスオーバーの名手であるチックコリア、同じくアメリカ出身のジャズ・フュージョンの演奏家デイヴィット・ベノワ。
彼らがそれぞれ交通情報と天気情報の音楽を担当していた。
耳を傾けて当然である。ただ、グーグルで調べてみても、それらの音楽は彼らがリリースしているアルバムのいずれにも収録されていないことに僕は肩を落とした。
「あーあ、もう聴くことはないんだな」と妙に寂しくなったものだ。
けれどインターネットは本当に便利で、ある掲示板を目にしたら、何処かの名無しさんが書く投稿が真実であれば、1990年か1991年にJ-WAVEから発売されたアルバムに収録されているというではないか。もちろん10年以上も昔の話なのでどれも絶盤だ。
ひたすらググると「J-Wave & GRP Pazz & Jops」の1stと2ndにそれぞれが収録されている!
思わず泣きそうになった。そして気がついたらヤフオクで落札していた。たまたま出品があったようである。なんとまあラッキーなことか。とりあえず2曲揃ったら土曜日に流します。
果たしてこういうジャンルがあるのかどうかは差し置いて、とにもかくにも女子と一緒に観にいくのではなく、男臭く野郎同士で観たほうが絶対に面白い映画というのがこの世に存在する。
一方、女子を引き連れてではないと映画館で観るにはちょっと躊躇する映画も存在する。
例えば古い映画になっちゃうけれど「タイタニック」とか「ユー・ガット・ア・メール」なんてのは、野郎同士で観にいった日には周りはカップルだらけで肩身が狭いなんて思いをする羽目になるのだ。いや、下手したら2人組でクリスマスの夜に観にでも行ったら、それこそアッチ系に間違えられる可能性は十分ある。
トムのファンですとかディカプリオが遠い親戚なんですよというたわ言はまず通用しない。
ほんとに奇異の目で見られる。「タイタニック」はカップル映画の最たる映画なので諸氏も注意したほうがいいだろう。こういうアフター・ムービーの終電で帰らないかもしれないサムシングに強い期待を寄せられないのが前述の野郎映画だ。ジャッキー・チェンの初期の映画だとか香港カンフー映画がこのジャンルで、そして「ロッキー」シリーズも野郎映画である。
こういっちゃなんだが長年連れ添った男女ならいざ知らず、しょっぱなのデートで「酔拳」はないだろう。つまりは、こういう映画はあくまでも下品全開で野郎10人ぐらいで観にいくのがセオリーなのだ。
上映からしばらく経過している「ロッキー・ザ・ファイナル」、残念ながらまだ僕は観ていない。無駄に巨大なポップコーンを買い込んでコーラを流し込みつつ、映画館で観にいかないと。とにかく巨大なスクリーンの前でロッキーになりきりたいのだ。
だって映画のタイトルが「Never Giveup」だよ。「最後まであきらめない」だなんて男臭くていいじゃん。
先週の土曜は、ターンテーブルの左右それぞれを別のDJが担当し、交互に曲を流すというスタイルの<Back To Back>でプレイした。
水曜日あたりに、初めの第一部では緩めのアンビエントで攻めつつ第二部でロック系統を流して少し盛り上げ、第三部はその場の流れに従う、つまりは場の空気でさらに上げてもいいしチルアウトに終わらせてもいいという事前調整をした。こういった大まかな流れを予め描いておくというのは結構大事で、普段は持ち歩かないロック系も今回はコンパイルして出陣した。
<Back To Back>のスタイルは、一緒に場を作り出していきながらも、相手がどんな楽曲で繋げてくるのかというのが最大の関心であって、遊び心で意表を突いたりと突かれたりとドキドキして非常にやりがいのある楽しい作業だ。
実際のプレイ中も、LCD Soundsystemの新しいアルバムで攻められつつも、僕も禁じ手に近いSaafi brothersの四つ打ちを流したりと有意義だった。またロックもOKな夜ということで、どのタイミングで流そうか考えていたレッチリの「Scar Tissue」も良い塩梅で流せて安堵した。
DJに限らず、自分が持っていない発想をする人と何かを成し遂げるということには、たくさんの発見があり、たくさんの学ぶところがあり、身体全体に散らばる自分のDNAが喜んでいるのがよく分かる。
またぜひ企画したいと思う。
僕の周りのヨッパライどもは、真の酒飲み(酒豪)の最終到着駅は<辛口>だという。
日本酒やワインは然り、渋めの<辛口>というのが、身体に馴染み、その味を追求するんだとか。一方、赤玉ワイン(懐かしいね)のたぐいやウメッシュだとかは、通からしてみたら、まるでなっていないらしい。
そんな連中に「ワインはなんつっても葡萄ジュースみたいに甘くないとダメっすよ」と言おうものなら、通が試合前の天龍のような目つきになり、甘党はボッコボッコにされたあげく、す巻きになってしまったなんていうひどい話も聞く。
それぐらい、酒豪達は<辛口>を尊ぶ。
さて、そんな他愛もない話を自分自身に照らし合わせてみると、酒席の機会は右肩上がりで増える割には、辛口志向に走るわけでもなく、別に甘いのとか辛いのとかをそれほど気にしたことがない。むしろワインなんてのは甘いほうが好みで、辛口ワインなんてのは苦いぐらいにしか思えないし、シャンペンなんかはサイダーみたいな味のほうが大好きである。
そして、いま一押しの甘いお酒がコレ。
先週末の土曜、六本木の箱で知り合いがパーティをすると伺っていたので、いつもどおりバーでDJした後に顔を出した。
バーテンさんに六本木行く前に気つけに一杯何か作って貰うようお願いしたところ、「こんなの呑んでみます?」と出してくれたのが、スターバックスのリキュールだった。
例のスタバのロゴが入っているオフホワイトのボトル。なかなかお洒落な瓶である。
バーテンさんの話によると、2004年にシアトルで発売されるや否や、一気に口コミでその美味しさについての噂が広まったらしい。なにしろスタバのコーヒーのみを使用して作られたリキュールということもあり、カルーアに比べると、コーヒーの香りが雲泥の差で醸し出されていて、コクがかなりあるのだ。
僕はオンザロックで飲んだんだけど、まるで極上の深みある珈琲牛乳を飲んでいるかのようだった。
日本では一部のデパートで購入できたり、「スターバックスコーヒーリキュール」でググるとヒットする。
米国でもスタバ店舗では販売されていなく、酒専門店で取り扱っているんだとか(まあ、酒を店舗で取り扱うライセンスの問題も絡んでいるのかと思うが)。
甘党諸君には、ぜひ。
中学3年生の時に度が入ったメガネを購入しても、日常生活では裸眼で差し支えなかったので、映画を観る場面でメガネを着用する程度だった。
海外でバイクを運転する機会に恵まれた時もメガネを掛けるのは、せいぜい夜の運転に限られていた。
やがてどういう運命の巡り会わせなのか、仕事でPCを活用し、つまりは目を酷使する環境となり、とうとう裸眼でモニターの文字が霞み始めた。27歳のどの季節だったか、コンタクトレンズを着用となる。
やっぱりパソコンって・・・と思ったりもしたが、不思議なことに僕よりも全然ヘビーなPCユーザと、ふと何かの話題の拍子に視力について話すと、意外に目がそれほど悪くない連中が多かったりした。だから結局は視力というのは持って生まれた能力のように、個人の差があって、PCを使うからといって目が悪くなるとは言い切れないのかもしれない。
いずれにせよ一度コンタクトレンズを着用したら、あまりにも鮮明に世の中が見えすぎて、裸眼で日常生活を送れなくなった。
何しろ、いままでボヤけていて世界がくっきりと細部まで見渡せるのである。覚えてしまった快楽は手放せないというのは、このことかと、一人ごちた。
僕がずっと愛好しているのは、アキビューの2週間の使い捨てコンタクトレンズで、無精者にしては珍しく、2週間を満了したら、新しいレンズに切り替えるというサイクルをきちんと守っている(僕の昔の同僚に2週間のレンズを2年間使用していて、医者に叱られた人がいる)。
ところが、コンタクトレンズの洗浄液は、毎日使うわりにはブランドにこだわりがなくて、薬局で目に付いた商品や安いのを購入。しかし、これからはこれが定番になりそうな予感である。
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ロートCキューブ ソフトワンクール 500ml (ヘルスケア&ケア用品) |
である。
この洗浄液は名前の通り、ひんやり爽やかな洗浄液で、かなりヤバイ。
要するに目覚めようの目薬を点眼するのと同じクール感を、あの忙しい朝のドタバタのあいまに装着するコンタクトレンズで味わえるという商品。グループI-IVのすべてのソフトコンタクトレンズに対応!こんなのが発売されていたとは。
なお、洗礼を浴びる初日はかなり悶える。クゥ~ッと前かがみになるぐらい、ひんやり。
これからの季節、絶対に手放せないかも。
さる土曜、毎年恒例のタイフェス@代々木公園の季節がやってきた。
先日のエントリにも書いたように、今年の夏は<バケツ泡盛>を一押し。
100均のバケツじゃ味気ないなぁなんて思っていた矢先に、ふと立ち寄った大久保のドンキホーテでCAPTAINSTAGのウォータージャグ6リットルが2400円という格安で販売していたので、ここぞとばかりに購入。表面はステンレスで覆われていて、中身はアルミタイプだから少々の暑さぐらいなら保冷がバッチリという優れもの。
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トップキャッチ ウォータージャグ6リットル M-5030 キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG)(スポーツ用品) |
このジャグに泡盛をどぼどぼ注いでダイアアイスを2袋投入し、さらにミネラルウォーターで割れば、あっという間に<バケツ泡盛>が完成。
キュっと冷えた泡盛と初夏の日差し。メキシコで購入したバティックを敷き詰める。そしてスパイシーな香りを漂わせている屋台のご飯たち。パッタイ(タイの焼きソバ)にガイヤーン(鶏の炭火焼)にカレーにご飯ものにマンゴーなどの南国フルーツ。そしてよく冷えたシンハビア。
最高のシチュエーションである。
今回は僕が勤めている会社関係の人たちと呑み仲間が一同集まって、なかなかの大所帯になった。初対面の人同士が多かったのに、和気あいあいと盛り上がってくれたのは何よりだった。
僕は自分が大切に思っている友人や知り合いをどんどんと繋げてゆくのが昔から大好きで(お節介なのか?)、常日頃、自分がリスペクトしている先輩後輩や友人達に対しては、この人とこの人を会わせたいなぁなんて思っている。
この日もまた、ぜひとも知り合って欲しい人達だったので、タイフェスを通じて紹介でき、そして楽しく遊べたのでとても嬉しい。
呑みすぎて翌日は二日酔いが凄まじかったし、お腹はシベリア超特急だったけどね。でもまあ、それこそがタイの醍醐味でもあるわけだから、マイペンライってことか。
そんなこんなでコップクン サムラップ ワンニー クラップ、サムラップワンニー クラップ!(ほんとにありがとう。また会いましょうね!)
日々の出来事の記録を時系列に書き綴る<日記>というスタイルが古くは紫式部が活躍していた時代より親しまれていた我が国では、<日記>を書く行為そのものに、偉大な作業であるような付加価値が与えられて、達成感溢れる建設的な行為と見なされたりすることが多々ある。
逆を言えば、<365日、日記を書く>という類の今年の抱負ともいえる宣言は、「あけましておめでとう」と言うか言わないかの束の間に燃え盛る一抹の気持ちであり、<禁煙>と同じくらいに三日坊主のトップランカーとして、君臨している。
それだけに日記を書き続けている人は畏怖され尊敬されているのかもしれない。
紙媒体に限らず、インターネットが出てきた当初から、HTMLを使ってWeb上で日記を公開する人々が増えたのは周知の事実で、cgiで動く掲示板形式などが流行った直後は、簡単に時系列でまとめることが出来るWeblog形式が現在の主流となった。
そして、通称ブログと呼ばれるWebブラウザ上で簡単に更新可能なサイトの更新者をブロガーと呼んでいる。web2.0を強く意識させるWeblogの人口比率はダントツぶっちぎりで日本がトップで、40%のシェアを誇るらしい。
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<日記>という文筆スタイルは最もプライバシーが尊重される書き物であると個人的に考えているので、公開が前提となるWebでの記録は僕のなかでは考えられない。他者の存在を強く意識する以上、ブログから生み出される文章の数々というのは客観性に富んでいないくてはいけない、これが持論だ。
僕自身、<日記>をまともに書いたことがないので(そのくせに、このブログはダイアリーのカテゴリにある)、このWeblogにある多くのエントリは時系列を主眼にして取り扱うとまるで役に立たないシロモノである。これはブログを<日記>にしたくないという僕のスタンスによる。
さて、ミクシィしかりブログしかり、プライバシー性という観点では配慮が少ない形式がメインストームになると、<日記>は酷く疲れるんじゃないだろうか。そんな心配を最近している。
いつでも他者の視線がある。ということは、倫理が求められ、もっといえば社会性が問われる。つまりは、うっかり社会に馴染まないエントリを書くと炎上したりする。
<日記>はもっと閉鎖性があり、プライバシーが尊ばれ、自分が自分であることを吐露できる場所であり、そして<日記>を通じて、自分自身を自分だけが再認識できる場所であるべきだと思う。
今年はついに屋上にまでエリアを拡大した<ベランダ園芸部>は、4月に当blogでエントリしたように、トマトと胡瓜とラディッシュを栽培している(2階ではバジルと青じそと唐辛子を)。
周りに大きな建物がないので、晴れてさえすれば日当たりは抜群という我が家は、その環境で足元をすくわれるのか天の恵みとなるか、夏を迎えるまでは分からないにしろ、5月初旬の段階では、まずまずの滑り出しといってもいいかもしれない。
GW明けの水曜日、毎朝の習慣となっている水撒きをと屋上に登ってみたら、いつものとは見慣れない姿のイタリアントマトがそこにはあった。
淡い黄色の小さな花が幾つか咲いていたので期待していたのだが、ここまで順調とは正直思ってもいなかった。小さいながらも緑色のトマトの実が附き始めたのである。
イタリアントマトはサクサクとした食感が特徴的で、モッツァレラチーズとバジルに合わせて岩塩をまぶしバルサミコで味付けをしてサラダにすると最高だったり、生で戴くだけではなく、煮たり焼いたりすればパスタに利用できるなど幅広い食材でもある。幸いにも2階のベランダではバジルを育てているし、以前にアースデイで購入したトルクメスタン産の岩塩もあるので、バッチリである。
今週の日曜には支柱を立ててあげる予定。
こちらは、胡瓜とラディッシュ。胡瓜はまだ受粉をしていない(花が咲いていない)ので、見守っている状態。ラディッシュは葉を間引くのを忘れてしまったので、実が小さいんじゃないかと心配。う~む。
ラディッシュは酢漬けにして食べても美味しいけれど、何といってもマヨネーズをつけて齧るのが素材の味そのものであり、瑞々しくて旨いものである。胡瓜もやっぱり一番旨いのは、もぎって味噌つけて食べるスタイルだ。梅雨明けが楽しみである。
すくすくと育ちますように。
9割9分対1分の大差で圧倒的に冬より夏が大好きな性分なので、夏の計画や夏休みについて想像を膨らましたら、いくらでも思い起こせることができる。
10年前はフリスビーにのめり込んで、7年ほど前にお遊び程度のボディボードに打ち込み、やがて、七輪でひたすら食べ物を焼くことに没頭したと思えば、燻製にハマったりもした。
もちろん、パーティは欠かさない。僕にとってレイブはライフワークなので、流行り廃りに左右されない。
今年のテーマで考えているのは、ずばり「バケツ泡盛」。
5月の初夏の盛りに、夏の暑い午後に、バケツに泡盛をどっぷりと注いで次にカチワリ氷をぶちまけて、そして呑んでハシャぐというスタイル。
日本の最南端のお酒だからだろうか、蒸し暑い夏には泡盛がぴったりと合う。
カチワリ氷っていう響きもいいね。夏を明瞭に表現した言葉なような気がする。
「かちわり」と聴いただけで夏の光景が思い浮かび、大人になってもワクワクしちゃう。物質自体は氷の塊を粗く砕いただけなのに、どうしてか、そこには風流の佇まいさえある。
日本特有の感覚かもしれないね。なんだか不思議だ。
かつて。
狂いまくって音ネタを買い漁ったり収集していた時期が、やや続いていた。
まともに聴かないアルバムなのに、収集しなくては気がすまなく、どちらかというと偏狂なコレクションに近い、と表現したほうがが正しいかもしれない。
やがてそういうのも虚しくなったので、いつのまにか集めなくなり、月1枚がせいぜいという状態になった。
別に経済的に困窮している状態でもなく、情熱的な部分で冷めてきたとか、他に楽しいものを見つけたとか、そんな具合である。それに、本当に素晴らしいアルバムや心の琴線を揺さぶる音というのは数少ないと気がついたわけでもある。
さて、ここ4週間ほど、毎週土曜日に表参道にあるショットバーで定期的にDJをさせてもらっている。お客さんが居ない時には、ゴアサイケの四つ打ちを織り交ぜガシガシ流しちゃったりしているけれど、基本的にはチルアウト系を流すように極力努めている。
せっかくの表舞台というお客様相手の世界でもあるので、永い間自粛していた音ネタ収集をついぞ再開してみようかと思う。ただし、一度は完治した病でもあるのだから、ちょっと風邪引いたかしら?と首を傾げる程度に。
GW期間中に群馬で開催されるパーティに行く予定が、やや複雑な事情からキャンセルを余儀なくされたので、GWのやり過ごし計画については、急遽、例年に倣い、キャンプ道具を一式担いでの島巡りとなった。
持っている能力や使いこなせているかどうかは別にしても、毎日モニター3台に囲まれる生活は、何かを蝕んでいるような感触だけが日々蓄積されて、文明機器にどっぷりと浸かりすぎている気がしないでもない。本来、太陽光線を浴びながら生きたい自分ではあるけれど、<北の国から>の一家みたいに大自然で生活する知恵も度胸も無いので、とどのつまり、インスタントにどこかでリセットが必要で、結局、大型の連休を島で過ごすことに決定。
大海原が眺められる300円の露天風呂に入り、適当に魚を焼いたりして電脳の垢をそぎ落としていく意気込みである。
まあ、それでも捨て身はちょっと怖いし、下記の事情もあるので、FOMAと充電器はしっかりと携える、ということになる。まだまだ、携帯を所持しないレベルまで到達できないな。頑張らないと。これもまた修行である。
ということで、土日祝日のエントリ記事が往々にしてそうであるように、今回もまた、アップロードは携帯からのモブログによるエントリとなりますので、島での生活を写真を添えて時間が許す限り、ぽちぽちと更新していく予定です。
モブログサイトについては、右側にある携帯モックの画像をクリック若しくは下記リンクからジャンプできます。
それぞれ同じSNSをやっているのに、登録しちゃうと、そのソーシャルネットーワク内のコミュニケーションで満足して、会っているような錯覚を起こし次第に疎遠になったりとか遊ばなくなったりしたら詰まらないので、決してお互いを登録しようとしない関係っていうのがある。
だから事あるごとにそのダチと連れ立って呑んだくれたりとか踊ったりとか体内BPMを125→150とかにしてしまうのかもしれない。
インターネットテクノロジーの風潮をまるで無視!
あんがいステキである。
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話変わり、先日、一族行事でひさびさに会った妹と従姉妹に「10年以上昔、東京の渋谷に行った時に、**ちゃん(←妹の名前)とセンター街歩いていたら、女の子をナンパしていたのを見かけたから、あとをつけたんだよ」と、とんでもない思い出を語られた。
マックのポテトをぽりぽり食いながら、僕と友人2人が激しくナンパしているのを追っかけていたようである。なんつー従姉妹なんだか。
センター街がいつからあるのかしんないけれど、<兄が女子をナンパしている姿を観察する妹とその従姉妹>という光景は、そうあるもんじゃないと思う。
「なんかエロっぽい子ばっかナンパしていたよね」と妹が続けて言った。
兄の威厳、まるで無し!
こういうのはあんまりステキじゃない気がする。
2007年の代々木公園メモ。
今年もイベントがたくさん。たぶん公式以外のパーティもあるだろうね。
とりあえず公表されているのだけピックアップ。
■タイフェスティバル2007
5月12日(土)13日(日)
─詳細─
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■ジャマイカフェスティバル2007
5月19日(土)20日(日)
─詳細─
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■スリランカフェスティバル2007
5月26日(土)27日(日)
─詳細─
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■ナマステインディア2007
9月29日(土)30日(日)
─詳細─
これまでにずっと賭け事に無縁だった友人が突然とスロット(北斗の拳)に目覚めてしまって、最初のうちは4千円で4万円儲かったりして、それこそ僕も恩恵を授かり居酒屋をゴチってもらい、友人自身もPS3を購入したり潤っていたのに、最近(といっても、この2週間ほど)は、カスリもしなくなり、ついに貯金にまで手を出してしまったと連絡があった。
このブログで以前にエントリした通り、僕はパチスロやらパチンコに縁がなくて、高校1年の3学期に全財産のお年玉とバイト代を初めてプレイした新装開店で一瞬に使い切って泣いているので、それからは「二度とやるまいか」と固く決心して今日まで誓いを護っている。
試しに打ってみようとも考えたことがないが、同じような考え方で、しかもそんなに大きな買い物もしないし、派手な遊びも目立たない、金銭感覚がきちんとしているように見えた友人が「もうね、全然でない時は、千円が単なる一枚の紙に見えちゃうんだよね」と呟いた時にパチンコ中毒というか賭け事の底深いブラックな部分を垣間見たようでゾッとした。
十億円を現金で所持していて、しかもそれが全部千円札だったら100万枚になるので、もしかしたら千円札1枚摘んでも単なる紙にしか見えなくなってしまう可能性があるかもしれないが、少なくとも「ジュースが100円で売ってたよ。超ラッキー」という金銭感覚のもとで、<千円紙切れモード>は凄く危険だろうと思う。
そんなタガが外れるような、何かの一線をあっさり越えてしまうような遊びは実際に恐ろしいし、儲けようと思うのであればリスクが高いし、暇つぶしと捉えたとしても中身があるとは思えないので、個人的には、<君子危うきに近寄らず>、これに尽きると思う。
そう考えると、俗に言う<ビギナーズラック>が高校1年のその日に訪れずによかった。当時としては高い授業料であったが、当たってたらハマるだろうと分かる自分なだけに、結果としては正解だったかもしれない。
どうせギャンブルをするのなら、動物保護団体が眉をひそめるような毛皮を裸に纏って、金のネックレスと指輪をじゃらじゃらつけて、耳に100ドル札を差込み、周りにはゴージャスなパツキンギャルが取り巻き、ダイアモンドを埋め込んだジッポで僕がくわえる葉巻に火をつけようとしているラスベガスのポーカー会場というシチュエーションで賭け事をしたい。
ところでパチ中毒のみんなは大概にしてこんな言葉に耳を貸してくれないが、誰が放った言葉か知らないこのセリフを僕はいつも大事にしている。
「パチンコがギャンブルだと思っているのは客だけで、店はビジネスだと思っている」
最終的にどちらに軍配が上がるのかは、言うまでもないだろうと思う。
去年育てていたバジルと青じその種が育つかなと思いきや、寝ても覚めても土壌に変化が見当たらないので、業を煮やして近所にある馴染みのホームセンターを訪れた。
5月が間もなく近づいているからか、ハーブ以外にもベランダ園芸用の苗がたくさん売られていて、さながらプチ農園のような光景で、日曜日の休日に相応しく売り場は活気に溢れていた。
さて、絶対にマニュアルを読めば解決するのに、頑固オヤジのごとくそういった種類の説明書を読まない自分は、屋上のプランターの土壌を作るときも、肥料の説明書を読まずして適当に混ぜてしまい、油かすの袋半分を投入してしまった。(本当は一掴み程度でOK)
そんなこんなで、恐らくは誰でも育てられるであろう<赤カブ>が過多肥料で一向に育ってくれない。
さすがにこれに懲りて、このプランターを境に諸土壌の袋の裏表紙をよく読むようになったので、種からスタートしてもいいんだけれど、わりと各種野菜の苗が~120円程度で売られているので、都市生活者のチキン能力を発揮し、今回はそれにあやかり苗(接ぎ木)を購入してみた。
屋上のプランターで、<きゅうり>と<イタリアントマト>、ベランダコーナーに<バジル>と<青じそ>と<唐辛子>を、日当たりを考慮して並べる。
バジルはたわわと葉がついているので、休日にパスタに添えてみた。
梅雨を上手に越せたら安定するかなと睨んでいるけれど、さあ、いかがなものか。
酒だって呑んじゃうし、会社でお腹が空いたらカップラーメンを食べるので、決して胸を張って「健康に気遣いしている」とおよそ言えないにしろ、不文律のように、そんな不道徳な食生活においてもめったに食べない食べ物がある。
ハンバーガーに始まるファストフード、こってりした東京豚骨ラーメン、焼肉、下井草にある某長浜ラーメン。<毒メニュー>と呼んでいるそれらは、カロリーが高かったりして、日常的に好き好んで食べない。しかし、どんな星の巡り会わせか、なぜか時々無性に食べたくなる時がある。
肉体が毒々しい物質を懇願しているような身体感覚で、そんなに大仰しい表現を使わなくとも、要は「なんだかしんないけど、超これ食いたい」っていう想いが一向に消えない状態に陥る。
特に、美味しい笑顔なマクド☆ルドは、そのうちの最たるメニューで、食べない期間はというと、周期的にはオリンピック以上にインターバルがある。しかし、5年に一度ぐらいの発生率で突然と妙に食べたくなり、その日はなんだかマックが食いたいなと考えちゃうと、リンダじゃないけれど、もうどうにも止まらない。普段なら絶対食べないのに。
サンプル写真の面影もないチーズバーガー、油っぽいフライドポテト、そしてコーラ。こんな毒を体内に取り入れたくなるのだ。そして、10割の割合で、これらの<毒メニュー>は食後には気持ち悪くなって、もう2度と食わないと決心する。
その世界的なバーガーに比べてモ☆バーガーは、わりとダメージが低いのか、食後のヒットポイント低下もそんなに著しくない。が、やはり周期は3年半に一度食べるか食べないか程度にとどまる。
胸がムカムカして、充実感なんてのは全く味わえず、食べた後は後悔しか残らない。それでも何年かに一度だけ食べたくなる魔性の食べ物軍団。絶対にこれは中学3年の3学期に高校生と詐称してバイトしたロッ☆リ※が与えた呪いかなにかなんじゃないかと思う。
ここ数日、海外や国内と拳銃による犯罪が目立つ。僕自身、かつては合コンでお相手の女子に対して自分の44口径をぶっ放していたのさ、という親父ギャグはさておき、19歳の4月の帰宅途中に家の近所で実際に拳銃事件に遭遇したことがある。
夜の20時過ぎだったか、駅前から自転車に乗り、ウォークマンでGun'sのブートレグのライブカセットテープをガンガンに聴いていると、家の角を曲がる直前で、小道の方向にダッシュする変な人を見かけた。
「なんだろう?気持ち悪いな。ほんと春先になるとおかしな奴が現われるぜ」と不穏に思っていると、目の前で、近くの住人が大騒ぎしている。
なんだなんだ?と、イヤホンを外せば一様に「う、撃たれたぞー!」とかなんとか騒いでいる。状況が掴めない上にぎゃーぎゃーと錯乱しているから、何が起きたのかさっぱり分からない。そこで、自転車を止めて様子を伺ってみた。
すると、車庫に入れようとしている車の運転席に小さな穴がポッカリとあいていて、何だか硝煙臭い煙が立ち込めているじゃないか。で、運転席の男が「うぅ・・・」とか細い声で正面を見据えて完全に固まった。
うわ、これって殺人事件じゃん、すぐに気がついた。そして白いワイシャツからは不思議と赤い血が一滴も流れていないのが印象的だった。
とんでもないものを見てしまったなと感じるまもなく、今度は目撃者の住人が「く、車が~~」と慌てふためきはじめた。そう、運転席の男が死亡したので、車が前にズルズルと進んでしまっているのだ。見かねた誰かがサイドブレーキを引いてどうにか難を逃れたわけだが、その車が前に行かないようにボンネットを押さえた僕の指紋は、ばっちり残った。
もちろん、こんな事件なのだから警察やら救急車やらがあっという間にやってきた。目撃者それぞれが事情聴取されている。そのうちの一人が僕で、刑事に「・・・ということで、僕の指紋が検出されると思うんですけど」と吐露すると、苦味を味わうような目つきで「ちょっと署に来てくれるかな?」とパトカーで連行された。思い切り容疑者扱い。
取調室に連行されて、すべての事情(駅から自転車に乗ってかくかくしかじか)を説明したら、とりあえず指紋だけ取らせてくれるかなと言われた。ここで逆らったら、間違いなく犯人にされてしまうんだろうみたいな鬼気迫る迫力があったので、二つ返事で「OKです」と答えた。
さらに長い廊下の奥にあるちょっとやそっとじゃ脱出できない別室みたいな場所に連れて行かれ、真っ黒いインクを手に塗られて指紋を取られたそのあとしばらく放置されて、和久さんのような刑事が登場し、連行した刑事に耳打ちをすると僕のほうをみた。
「まるで、力士が記念に手形を押したみたいに君の指紋が残っていたよ」
ポンポンと僕の肩を叩いて、ご苦労さん!と一言告げられ解放された。
その某警察署は歩いて10分かからない場所にあるけれど、行きはパトカーだったのだから、きっと帰りもパトカーで送ってくれるんだろうと期待していたのは、一般庶民の甘さだったようだ。刑事は見送りひとつもしてくれない。
「超対応悪いっつうの」と内心怒りで煮えたぎらせても、しょせんはビビリなので、急ぎ足で警察の角を曲がり、そこでようやく小さく中指立てて、すごすごと帰った。
ちなみに、その殺人事件は、ものすごく闇の世界が絡む事件だったようで、いまだに記事になったりしている。どんな内容なのかは、ちょっとここじゃ書けない。
今年もまた、代々木公園で「EarthDay」が開催される。
今週土日の4月21日22日だ。アースデイの季節になると、いよいよ木々も青々としてきて、長い冬が終わったんだなぁと季節を感じたりもする。
代々木公園で、無農薬野菜や玄米が売られたり、ヘンプグッズが並び、フリーマーケットや音楽パーティなどが催され、子供も大人も楽しめるイベントだ。実際に、知り合いのヒッピー達の幾人かはすっかり親らしい顔つきになって、子連れでやってきたりしていて、親子一緒にわいわいと騒いでいらっしゃる。
土日の天気は芳しくない予報なので、やや残念であるものの、小春日和に自然に囲まれつつ、昼間からビールを飲んだりして遊ぶのは最高だ。今年の「EarthDay」には、96年頃のインドで出会った連中がショップを出すので、夜予定しているスケジュールの前に再会がてらに顔を出すつもり。お日様が照って欲しいよね。
─詳細─
徒歩20秒の距離のところに、パーティ仲間が引っ越してきた。
去年、山梨で開催されたパーティ以来にひさびさに再会したら、「今年4月に引っ越してきたんだよ」とのこと。
僕がそこに住んでいるのは知らなかったので(特に伝えていなかった)、すんごい驚いてた。まあ、そりゃそうである。逆の立場だったら、僕も驚くに違いない。
昭和時代的な牧歌な香りが漂う商店街に住んでいるので、さながらカオサンロードを彷彿させる感じがワクワクする。
ゲストハウスを往来するバックパッカーみたいだ。
近所にはシャンティなネパール料理屋や、都内屈指の焼きとん屋さんがあったりと侮れないので、終電を気にせずに遊んじゃいたい。
すでにSNSのmixiで何度かエントリを書いたように、青山近辺にある某店で回した。
回すよりは回される姿が周知の事実とはいえ、お声を掛けて戴いたのは非常に嬉しい。そして、せっかくの機会なので、レッツプレイ。
某テクノユニットでアルバムもリリースしていたという近所に住む会社の元先輩のプレイをいつしか聞いてみたいと秘かに願っていたので、ぜひともご一緒にとお誘いし、聞かさせて貰った(すげー、カッコよかった)。
さて、店の様子はというと、某店はお店が立ち上がったばかりなので、利き所~仔細にいたる部分がこれから盛り上がってくるという様子で、外国人がお客さんとして登場したりすると、一瞬、「予想外っ!」みたいな空気がポヨンと流れたりで、なかなか面白い。
場所柄、家賃が高いという点と、やや閑散としているエリアという立地条件もあるが、たくさんの可能性を秘めている店である。ぜひ一度。
先日、新宿のSRCに修理を出したマウンテンスミスのバックパックの見積もりが到着した。古いバックパックで素材が現存しないという理由から、両肩の修理と送料込みで7,000円という金額になった。
カリマーの最新の40リットルが2万程度で買えると考えると、いささか躊躇する。まあ、仕方ない。
10年間以上、旅を共に歩んだので、これからも付き合おうと思う。1ヶ月程度は見込んで欲しいとのことだったので、GWに間に合うかどうか微妙だ。
それにしても、最近の修理代というのは、デジタル製品を含めてバランスが悪い例が目立つ。修理をするぐらいだったら新品を購入したほうが結果として<お得>なんじゃないかというパターンだ。
いつのまにかデジタル製品については購入時に5年程度の保証ローンに加入するのが慣習になった。
案外、そういう修理に出すんだったら、もういいやという商品を積極的に回収して、ビジネスに結び付けている人がいるのかも。いや、きっといるのだろう。僕の家の下を毎週土曜に通る回収業者は「パソコン、カメラ、いらなくなった・・・」とマイクロフォンで叫んでいるのだから。
10年ほど昔、タイのチャン島(Koh-Chang)で、打ちあげられた魚を適当に焼いたり、拾った椰子の実のジュースを飲む生活をしていたら、微熱を発症して、よれよれになったことがある。トイレに行ったら光よりも速い速度でお腹が痛くなってしまう症状だ。もしくは「む、きたな」と思ったコンマ0.2秒後にゲートがオープンしてしまう症状でもある。
亜熱帯でお腹を下したことがある人なら、きっと共感ができるだろうと思うが、東南アジアで患ってしまうと、夏バテのような状態でヘトヘトになり、かなりキツい。
結局、この島の生活は、熱が下がらないのが不安になって、早めに切り上げバンコクに移り、すぐさまに総合病院に駆け込んだ。日本語が少しだけ話せるタイ人の医者は優しいけれども鋭い目つきで「あんまり不衛生なものを食べちゃだめカップ」と拙い言葉でボロボロの旅人を諭し、抗生物質を大量に与えてくれた。細菌性の下痢であると説明され、僕はうなだれてゲストハウスに戻った。
ただここで早合点してはいけないのだが、恐らく(これは個人的見解にとどまらない)、そういった酷い食生活を送らない限り、タイ国内では食べ物の不衛生で腹を下すことはないだろうと思われる。その代わりに、例の激辛なテイストがその役目を全うしてくれる。
初めてタイを訪れた19歳の1994年は、タイで14日間、ライブを開催した。もちろんトイレットでの話だ。
当時は食事の不衛生が原因と踏んでいたのだけれども、帰国後に色々と考察した結果、どうやら辛味成分がお腹の調子を狂わしているようだと辿りついた。俗に言う<しぶりっ腹>は、出しても出してもまるで釈然としないお腹の状態をさして、厄介なシロモノで、これに泣かされる旅人が多い。日本でタイ料理を食べ、しかもソムタムだの激辛シリーズを食べると、事実、タイと同じ症状になる。
昨日、ガード下という立地条件だからだろうか、電車が通るたびにガタゴトと扉と店が揺れて、店内は通称<泣きメロ>の音楽が響き渡り、魚醤や香菜が芳醇で艶々しいアジアな匂いを放つ食事が所狭しと並べられている店で食事をした。
この店が面白いのは、全品630円均一だということ。ソムタムもパッタイもその他エトセトラが全品同じ値段なのである。支払いは前金制で、タイの屋台のようである。
味はもちろん本格的。バンコクの雰囲気に涙が出そうになった。そして言うまでもないことだけれど、今朝はしっかりと途中下車をした。
2GのMicroSDをブチ込んだので、ヨウツベの動画をローカルに落として、モバイル用の動画形式(3gp)に変換し、SH903iで動画を愉しんでいる。
声を大にして説明するのは憚られるとはいえ、もっぱらPVなんかが手ごろで、特に90年代前半のロック系バンドのそれは、かつて大画面で見ていただけに、「ケータイで見ちゃっているじゃん、俺」と昂奮を隠し切れない。あんなのとかこんなのが、ケータイで!!である。しかし、すんごい時代だ。
東京メトロのフリーペーパーで去年、高城氏が語っていたように、パソコンの普及の恩恵で数年前とは比べられないレベルで情報が飛び交っている。高城氏は<情報ダイエット>を強く意識していた。
「今年のテーマはまだはっきりとはしていなくて。何しようかなって考えてる最中です。少し考えてるのは、何をやめて何を新しくするのかってこと。
僕はそれを〝情報ダイエット〟って呼んでいるんです。
ここ5年くらいでインターネットが普及したことで、情報が50倍くらいの量で氾濫してるでしょ?
みんな実際に体験したわけじゃないのに、知っているだけで体験した気になったりしてる。これはヤバいなと。
だから、氾濫している情報に惑わされずに〝情報ダイエット〟をして、いろんな本質を求めていこうと思っています。
それでね、テレビとウェブを見るのをやめたんですよ。携帯はまだやめられないけど。
例えば、美味しいラーメン屋はきちんと自分で行って確認して、それを人に伝えなきゃまずいと思ったんです。」
僕はSNSで似たような危機感を感じている。SNSの恩恵で小学校の幼馴染と連絡が取れたりするのはひとつの利点だ。でもSNSでコミュニケーションをしているだけで、それが代替行為となり、<なんとなく会っている>気がするのは、空虚なんじゃないかと最近思うようになった。
SNS上でのやり取りなんてのは実際に会った場合の100万分の1ぐらいの感動しかないと思わないと、大切な何かを見過ごしてしまう。安心してはいけないと感じた。
南アルプスの田舎に帰省した場合にワインを購入する以外を除いて、ほとんどワインを嗜む場面が少なくなった。
一人じゃお酒を呑むことがないので、正確に言うと<ワインを呑む店に行く機会が減った>が正しい。
それでも数年前はワインにどっぷりとハマった時期があった。九州地方に半年ばかり転勤していた頃のことである。
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福岡県北九州地方の主要都市を担う小倉駅の近くに<サンスカイホテル>というビジネスホテルがあって、会社の同僚の幾人かはこのホテルに滞在していた。ホテルの施設自体は、ありふれたホテルでそれほど特色がなかったのだが、このホテルの最上階にあるラウンジレストランは一見の価値があるレストランだった。
レストラン自体がゆったりと回転するのである。
席はすべて窓際で北九州地方の夜景を一周しながら眺められる。
回転するスピードも決して目が回ってしまうような酷いシロモノではなく、じつに優雅に回転していく。たしか料理はフランス料理が旨かったと記憶しているが、料理というよりは、このラウンジで飲むワインが最高だったと憶えている。
しっかりと腰のある白ワインは完璧に冷えていて4月の桜の時期に呑むというシチュエーションは感動に属するレベルであった。
いまだったら考えられないが、友人が運転する車でレストランに向かい、白ワインを2本ほど空けた。
ワインの酔いは心地がよくて、なにかふわふわした感じで、どこでどうやって会計を済ましたか分からないまま千鳥足で夜の北九州をかっ飛ばした。
ラジオからは森山直太郎の「さくら」が流れて、歌詞にある「さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で」なんてのに耳を傾けると少しだけ感傷になったりもした。
小倉城の桜は満開だろうか。懐かしい思い出である。
毎年その数字を更新している「巨人戦開幕試合の視聴率」が、今年も例外なく過去最低の記録になったらしい。野球中継をテレビで観戦するというのが娯楽のメインストリームになり得ないご時勢では、なかなか難しいことだろう。
小学生の頃は家から自転車で5分ぐらいのところに神宮球場があったので、夏になると野球観戦しに足を運んだ。もちろん、テレビで観る試合より迫力があって、昂奮した。
当時のヤクルトは順位が下から数えたほうが早い球団だったので、大体いつ行っても空いていて、このあたり一帯は神宮の森と呼ばれるだけあって、外野スタンドの音にまじって蝉がミンミンと鳴いたりし、非常に風物的な光景であった。
夏の神宮球場は、じつに気持ちのよい素晴らしい場所である。
野球中継というのは夏を顕す季語だとここ数年思っているので、夏大好きっ子としては、「今年は野球観戦を!」と計画している。
もちろん、神宮球場だ。
夏を味わいたいのが最上位のコンセプトなので、季節を味わえないドームなんてのは秒殺で却下。
試合を観戦するのは外野スタンドに決定。応援するのは巨人以外のどこのチームでも。焼きそばをつついて生ビールをぐびぐび飲んで焼き鳥も食べちゃって野球を観るのは、想像しただけでも愉しい。
まだ夏が先だが5月11日の<ヤクルト阪神戦>なんてのはどうだろうかと目星をつけている。
自分の生活水準が相対的であるのに対し(そりゃそうだ)、生活内で使用するモノの値段については絶対的な要素を求めるブツが少なからずある。ケータイ電話なんかはその最たるアイテムで、<ケータイ電話は1万円以内>が個人的に考えている絶対的値段である。
1万円を超えるケータイ電話は、たとえ明日にジャンボ宝くじで3億円を手に入れたとしても考慮の対象にならない。
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先日、総武線の中野駅前にある安売り店でSH903iという機種を1万3千ポイントを使って3000円で購入した。ドコモショップで購入するとしたら9000円だったので、まあ、わりあいお得だ。
新しいケータイのメディアには<micro SD>という昔のスパイ映画に登場するマイクロチップのような1センチ平方の記憶媒体が必要なので、さっそくアキバに買いに出かけた。
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秋葉原、世界的に有名な電気街。
東京に永らく住んでいても、小学生の時にラジコンを購入した以外は数えるほどしか来た事がない。全然、用事がない場所だ。
最近は安売り電気だけじゃなくてオタク文化の担い手的土地として有名で、メイドカフェなんてのはアキバが発祥だなんて聞いたことがある。街中のストリートにはメイドだらけと時々テレビで観ていたけど、心のどこかに「そんな冗談みたいな街はありえないだろう」と構えていた。
しかし、それは嘘じゃなかった。
2メートル間隔でメイドが突っ立っていて、メイドじゃない人は<お菓子の国>から飛び出したようなピンク色のふわふわした洋服を着てやはり同じように突っ立っている。
巨大な画面に映し出されるのは、"なんとか"というアイドルの"なんとか"コンサート。そのコンサートの映像を見て踊りだす青年。如何わしいDVDを路上で販売する中年男性。同じく格安価格で道端に売られているフォト☆ップ。
アニメ・同人誌・実写・格安パーツにバルク製品とメイドとスクール水着とアイドルなどなど。
「もまいら」と日常で話す店員。そしてアキバを歩いている人はみんな<名無しさん>感覚。なんか2ちゃんが立体化して3Dになったらこうなるんじゃないかという不思議な気持ちになった。
日曜はもっと過激らしい。なんともエキサイティングな場所である。
NHKの番組、とりわけ茂木健一郎の番組ということがあり、可能な限りエア・チェックしているのが、毎週火曜22時から総合チャンネルで放映している「プロフェッシャル 仕事の流儀」である。
さまざまな分野の第一線で活躍している人の仕事に密着するこのドキュメンタリーは、じつに見応えがあり、日曜夜の顔とも言える「情熱大陸」とは、また一味違う<人物に密着系の番組>だ。
さて、昨日の放送第44回のプロフェッショナルは宮崎駿だった。来年の夏の公開を目指して新作アニメを創作中の監督は、自分の想像力が己の創造力に向き合えるよう自身の心を深く下げて活動をする人物、という風に僕には映った。
新作映画の発足当初はドキュメンタリーのカメラに冗談を差し向ける余裕こそあったが、やがて自身がその映画の物語性にどっぷりと浸かろうとなると、カメラが鬱陶しくなり邪魔にさえ感じていく監督。作品を完成させるためには、孤独という心情にとことん向き合い、他人との距離を徹底的に保ち、その孤独の中から物語を紡ぎださないといけないと語っていた。
「映画というのは自分を暴露してしまうものなんです。裸で人前に出ていくことなんですよ。だから、これは娯楽映画だからと作っていても、実はその人間の根源的な思想がよく出てしまうものなんです。出すまいと思っても出ちゃうんですよ。それで隠して作ると、そのしっぺ返しが本人だけに来るんです。どういうふうに来るかといったら、やっぱり正直に映画を作らなかったというしっぺ返しが来るんです。だから、映画が作れなくなりますよ、ほんとに。正直に作らなきゃいけないんですよ、裸になって、ほんとに。それはそうせざるをえないんです。だから、全存在をかけちゃうから、映画の出来については、本当に切ない思いをするわけですよね。それは、全人格の否定なんですよ。」
自分が目指すその先にあるイメージに到達するためには、色々なカタチで痛みを伴う必要があるのかもしれない。その痛みを知っている者だけが孤独感から開放できる。
ベランダ(といっても猫のひたいのようなスペース)にプランターを置いてから10ヶ月ぐらいになろうとしている。
昨年の夏に生い茂っていたシソとバジルは越冬が厳しく枯れてしまい、プランターは空っぽである。種が芽吹くかと毎日窓を開けて観察しているのも期待が外れることが多く、まだ反応がない。
最近だとパンジーの咲き具合が悪くて心配している。液肥をあげないとやっぱりダメなようだ。
さて、今年は夏に向けて野菜にも手を出してみようと思っている。もちろんベランダで栽培するには限界があるから屋上で育てる予定だ。
屋上はかなり太陽が差し込むので野菜栽培が可能なような気がしてきた。
ラディッシュ、通称ハツカダイコンは手軽に育つ野菜として名高いので、さっそくホームセンターで種を買ってきた。二十日後に育っているのは何だろう?期待で胸が膨らむ。
会社の元同僚が結婚をし、先月の某吉日に結婚式へご招待いただいた。
会社には部署というものがあって、それは学校でいうところの<クラス>とは相容れないけれど、<となりの部署>は<となりのクラス>と同意義ぐらいの響きがある。仕事で密接して、互いに協力し合い山を越えてゆくとなれば、それ以上の深い意味があるかもしれない。
彼と僕とは<となりの部署>同士でしばらく顔を合わせ、ついでに机も並べたりしたので、心から祝福を思った。その日の結婚式では懐かしい人ともたくさん会えた。
そして、そんな結婚式&二次会の写真をやっとこさ現像。ギャラリー1で僕のが、ギャラリー2でケニさんのが公開中。
閲覧するには専用のユーザIDとPWが必要です。関係者の方でIDとPWが不明の方はご連絡ください。
To.ケニさん
サーバに写真を置かさせてもらい、多謝です:)
彼是7年前、1999年→2000年のカウントダウンパーティがバリ島で開催された。
僕は12月からバリ島に滞在し遊び呆けていて、クリスマスを過ぎた頃、そのバリ島で二人組の女のコに知り合った。
トランス好き、本好き、パーティ好きでグルメさんであるから、日本に帰っても意気投合して、今に至るまで良き友人としてお付き合いさせていただいている。
一人は徐々にチャクラが開放しまくってポルトガルにまで踊りに行ったとか、沖縄で米兵相手のマッサージ(notエロ)をしているとか、全開モードで時々便りがある。
もう一人の友人は、<日本で一番音ネタを所持している女子>ではないか?と一時期謳われた名声をあっさりと引退し、いまはすっかりトランスから離れ、その深い造詣を生かし多方面で活躍している。
その友人が諸事情から3月末に神奈川県の奥地にある実家に帰るということで、最近は<都落ち呑み会>と称して呑んだくれている。
もちろん<都落ち>というのは愛すべき友人に向けた"はなむけ"の言葉だ。
残り10日間ばかりなので、率先してお誘いし、またお誘いがあればどこまでも連れ立って呑み明かしてやろうと思う。
コロシアムと呼ばれ、溜り場と化した彼女の家には不気味な金魚が潜んでいるが、最後は映画「ウィッカーマン」の編み編み巨大人形みたいに遂げるのはどうだろうかと思う。
※映画「ウィッカーマン」
1970年代に上映されたカルト映画。全裸で踊り狂っている住民が支配する孤島を訪れた警部のツイていないようなツイているようなガイキチムービー。なぜか今頃になってニコラス・ケイジ主演でリメイクされたが、案の定、オリジナルを超えられない駄作と評価されている。オリジナル版DVDは完売。再発の情報がないのが残念。
石については、いろんな人がいろんな場面で語っている。
水晶やアメジストなどのさまざまな石は特殊な力が宿っていると信じられていて、総称してパワーストーンと呼ばれている。
科学的見地では実証できないので、どうしてもオカルト寄りになるけれども、御守りや縁起を担ぐことが潜在的パワーを引き出す触媒になると考えられれば、パワーストーンだって、人々の精神に対して─それ自身が機能するとも限らず、結果的に─プラスに作用したりマイナスに作用することがあるんだろうと思う。
*
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そんなパワーストーンについてのアニメは言うまでもなく「天空の城ラピュタ」だろう。
小さい頃なんかは<天空の城>とか<飛行船>とかにがっつり魅力を感じていたのに、大人になって改めて観てみると、全然違う部分に集中していた。
憶えているだろうか、物語の中盤に、パズーとシータが線路下の採掘洞に落ちるシーンを。そのトンネルの中で彼らは、一人の老人に出会う。常田富士男(日本昔話の声優)が演じるポムじいさんだ。彼はバックパッカーさながらキャンプセット一式を背負って鉱石を採掘している。
そして彼が石にまつわる全ての言葉をアニメの中で語っている。
彼はシータの持つ飛行石を見て、こう言う。
「その石には強い力がある。わしは、石ばかり相手に暮らしてきたから、よー分かるんだが、力のある石は人を幸せにもするが不幸を招くこともよーあることなんじゃ…」
彼の云わんとすることは、なんとなく分かる気がする。
僕の周りには、結果的に<石に飲まれてしまった>としか思わざるをえない人たちがいるし、いた。
彼らの生活の中心には水晶やあるいは何らかのパワーストーンがあり、石に翻弄されていた。僕もそういったエキセントリックな連中に感化されて、何ヶ月かの期間、石に心を奪われた。
結果、石に飲まれそうな体験をして、身の危険を感じ、<生活の中心に石を赴くことをやめよう>を経験的に学習した。疑似科学であったとしても、体験的に石にはやはり何かがあるような気がする。
でも、石は御守りの一部であって、それ以上でもそれ以下でもないという風に考えないと、色々なものを招いてしまう。
ゴアのフリーマーケットで購入した月長石(ムーンストーン)は、暫らくの間、僕の御守りだった。23歳の秋、10年以上振りに父親と再会した。
会う直前までにポケットに仕舞われてたその石は、不思議なことに帰り道にはポケットから消えていた。ジーンズのサブポケットに入っていたから、決してなくなる事なんて起きるはずがないのに。
インドで見つけたその石は、僕と父親の再会の役目を帯び、それを果たしたのだろうか。何かの象徴だったのかもしれない。
10ヶ月以上前のGW、新島にキャンプした時にマウンテンスミス製バックパックのショルダーが壊れた。
学生だった20歳頃から旅行やパーティごとに酷使し、何人かの友人が海外に飛び出した時にも貸したりしたから、頑丈なアイテムといえども持ち堪えたほうだろうと思う。
最近のハイテク素材とは異なるので、通気性がイマイチでザック自体が重たいと難あり、明らかに時代錯誤な商品であるのは言うまでもない。でも鞄に刻み込まれたシミのひとつが自分自身の<成長のしるし>みたいに思えて、「じゃあ、次の鞄に乗り換えるか」とも言いにくい。
実際、買うんだったらカリマーの75リットルと勝手に目星をつけているというのに。
そんなに頻繁にパーティには行かなくない三十路でも、男はいつだって旅立ちの準備をしておかなくちゃいけないと考えたいので、春になる前に修理しようと思う。
こうなると僕がくたばるのが先か、バックパックがくたばるのが先か持久戦みたいになってくる。
てっきり<永久不滅ポイント>だと思っていたケータイのポイントに期限があることが判明した。
昨日到着した明細書の中に赤紙が入っていたので「やべ、また振込みを忘れたか?」と不安に駆り立てられたのは、単なる心配に過ぎなかったようで、穴が開くほど見つめてみれば「3月いっぱいでポイントが消滅するよん」と書いてある。
失うポイントは5300ポイントぐらいだ。1ポイントが1円で換算されるので、わりと大きい。
いま現在、所有しているポイントが13,000ポイントあるので、ここは一気に機種を買い換えろという<物欲の神様>からのお告げなのだろう。
さっそく、どの機種が<ベル打ち>できるのか調査しなくちゃいけないわけだけれど、ケータイの機種について関心が薄い性分なので、3月末までに欲しい機種が絞れるのか?というのが焦点になるのはいうまでもない。
暴力はある日突然に何の前触れの音を立てずに静かに訪れて、そして突然と襲う。
僕は神仏に仕える者ではないので、決して胸を張れないとしても、運命についてとか<生と死>の境界線について、しばし考える。日常生活においてそのようなことを考える機会は、さほどあるわけではない。
もちろん、ある種の例外をのぞけば。
*
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インドのバラナシ(ガンジス川)のほとりにあるガンガを眺められる安宿では、いろんなことを考えた。ベランダから見える風景には、ガートと呼ばれる火葬場で、毎日、死体が焼かれ煙が立ち上る姿が絶えることがなかった。「今日も死体が焼かれているんだな」とぼんやりと想い、川に漂流する水死体を見つめていた。
こういった光景が日常生活に蔓延すると、人という存在は、その者の決定心を超えられることなく終焉に向かって一歩一歩を踏み出すに過ぎないのかもしれないと、思うようになったりもした。
ガンジスでは、ある種の感覚が麻痺するけれども、ある種の感覚は研ぎ澄まされてゆくという、じつに奇妙な体験をした。
生と死が絶対的に並列で剥き出しになっている場所である。
そのような特異な場所ではないにしろ、やはり生と死は我々の身近に存在し、きっと我々が忘れたころに、突然の不吉な災いのように襲い掛かる。誰にも防ぐことが出来ない"それ"は、圧倒的な暴力で我々を襲い、誰かを悲しませたりする。
突発的な事故と呼んでもいいかもしれない。
人生にはごく稀にそういったことが、たびたび起きる。
本日は錦糸町で歓送迎会なので、エントリについては、後日、改めて、この文章の下に写真を載せる予定(という言い訳を思いついたぐらいに、テンヤワンヤ)。
でも、本当に今日は歓送迎会です。こういう内容の記事って、オンタイム過ぎていて、日々の生活を切り売りしている気がして、このblogには載せなかったりしているんだけれど、まあ、背に腹は変えられないので・・・。
創作中華 阿房山
東京都墨田区亀沢4-16-17
月~土 11:30~14:00(L.O.)/17:00~23:00(L.O.)
日・祝 11:30~23:00(L.O.)
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ということで、写真です。IDとPWは「転勤する人の苗字」です。
地球が温暖化だとか、エネルギーの大半を原子炉で賄わない限り資本経済が停滞する可能性があるなど、環境問題はいよいよ行き着くところまで到達してしまった感がある。
囁くようにアジテートするように<エコロジー>が問われる時代のようだ。
でも、その<エコロジー>は、果たして本当に正しいのだろうか。詰まらないジョークで終わればいいのに、<エコロジー>が<エゴロジー>に映る場面が頻繁になる。
例えば大風呂敷で話せば、先進国は、発展を目指そうとして森林を伐採している後進国に自然保護を強調する。それは先進国の勝手きわまるエゴロジーだと僕は考える。
完全なユートピアは共産主義にあるとは考えたくないけれど、円熟した資本主義は共産的な経済性が必要とされると思う。
そんなことをふと思った。
でも、平日の木曜日に突然とそんな重たい問題を考えるのも理由があって、それには3日ほどさかのぼる。
*
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先週の日曜日に、パチスロの愉しさを30歳過ぎて見出した友人と焼き鳥屋で串を突きつつ、日本酒を酌み交わしていた。僕はギャンブルはしないので、パチスロの話題についていけないから、異性の話をすることにした。
友人は男なので、おのずと女性の話になる。
「近頃さ、エコロジーとかって騒ぐけどさ、要はあれでしょ。ポリ袋とかを使わないとかそんなのでしょ。そしたらさ、ノーブラとノーパンって、超エコロジーだよね」と鼻息全開、泥酔寸前で彼独自の見解を公開してくれた。
もちろん、ノーパンがエコロジーなんてそんな訳がなくて、人間の倫理はどこに行ったのだ?となり、喧々諤々と議論が白熱することになった。
「でも思うにさ、やっぱりおっぱいパブってところは、地球にも俺にも親切だよ」
彼は話題の最後をそう締めくくった。
僕は、何も言わずに、焼き鳥を3本追加して、にっこりと笑い、日本酒をあおった。
そして自然保護とエロを密接に結び付けんとした彼の持ち前のシンキングとライフスタイル、愛嬌のあるエゴロジーを思った。
案外、こういうのが地球に優しいのかもしれない。
最近、癒しというかリラックスについて考える機会が増えて、リラックス=癒しという風に一色単に考えていたのが、意外と違うんじゃないかと思うようになった。
癒しの世界には、もちろん温泉や日向ぼっこなどがあるけれど、そうじゃない、もっとキツキツの世界もあるのだ。僕はそれをダウナー系に対してアッパー系と呼ぶようにしている。これは面白い発見だった。長くなるのでアッパー系のリラックス(40分間実践する過密的な筋肉トレーニング)については別の機会に譲るとして、今回はダウナー系の癒しの話。
それこそオリンピックやワールドカップじゃないけど、何年かに一度の割合だろうか、僕の中でモーレツに<梅こんぶ茶ブーム>というのが恋の突風のように突然と舞い降りてくる時期がある。1日のうちに何杯でも梅こんぶ茶が飲めて、実際に飲みたくてしょうがいない期間のことだ。
遡れば小学校6年生の冬に症状に見舞われたのが最初である。だいたいが冬や春に発症する。心頭滅却しても暑いのは変わんねぇよと、いくら美味しいといえどもさすがに蒸し暑い6月あたりには罹らない。
この症状は単純明快で、一度でも梅こんぶ茶が飲みたいと思ったら、もうダメ。ズルズルと引き込まれるのだ。朝晩昼に梅こんぶ茶。まるで老人の憩いの時間かと間違うぐらい。そして、しばらく続いたと思いきや、ある日突然去ってゆく。まさに嵐のような梅こんぶ茶。
2007年、今年は梅こんぶ茶の当たり年だ。暖冬と囁かれたって寒いものは寒い。ひさびさに飲むお茶の味が変わっていたらどうしようと心配したのは杞憂だったようで、湯のみで戴く梅こんぶ茶は至福。ダウナー系食べ物そのもので癒しである。
アルコールは適量に嗜み、酒場に頻繁に顔を出すのに、もう一方の大人のアイテムである煙草はまるで吸わない。
いまでも煙草を吸わないと告白すると驚かれることがあるので、見かけや格好にそぐわないのかもしれない。でも本当に吸わないのだ。
しかも禁煙を達成したのではなく、最初からである。正確に言うと煙が苦手なので吸えない。煙草が吸えないという理由で困ることは意外と多くて、一番最初の記憶は、高校生の時代に遡る。
僕が高校生の頃はアメカジが全盛期で、バイクに乗らないくせにエンジニアブーツを真夏に履いてセンター街を揃って練り歩いていたという狂った時代だった。
アメカジファッションの重要なアイテムに<ベトナムジッポ>、通称ベトジーがあって、これはベトナム戦争に派兵された米兵が所持していたライターという触れ込みで、表面に聖書を引用した罰当たりなセリフが刻まれているアンティークを謳ったブツである。
実際にはハノイかアジアあたりで生産されている偽物が殆どだったわけだが、やはり友達はみんな揃ってベトジーを持っていた。僕は煙草を吸わないので、ライターを持つ必要がないのに、ベトナム戦争というキーワードだけで気分が昂揚して買おうかどうか迷った。
数ヶ月洗いもしないジーンズから覗く潰れたマルボロとベトジーは最高にかっこよかった。もしライターを買っていたら、今頃は愛煙家なのかもしれない。
また、煙草に縁遠いので、結構とんちんかんな間違いを犯すことが多々あった。銘柄が全然分からないのだ。なんとかセブンだのセブンなんとかだの、頭と先のどっちにセブンが来るんだと訊ねたい。
土方の親方に仕えて工事現場でアルバイトをしていた学生時代は、休み時間になるとポッカの缶コーヒーと一緒に煙草を買いに走らされた。
親方は生粋の江戸っ子で、テリー伊藤を1万倍ぐらい悪くしてビートたけしを付け足したような短気な性格と口の悪さを兼ね揃えた人物だったから、煙草を買い間違えると物凄く叱られた。内心は「マイルドセブンなのかセブンスターなのか、僕にはちっとも分かりません」という状態でお手上げしていたのだけど。
そして某ムード歌謡曲を演奏する中年有名バンドのマネージャーをしていた時代も苦労した。
ボーカルが吸う煙草がこれまたコンビニなんかであっさりと売られちゃいない煙草なので、「ちょっと買いに行ってきて」と言われたら、それはもう30分は覚悟しなくちゃいけない程であった。
どんな名前だったか覚えていないのが残念だ。
いつも買いに行かされるのが悔しかったので、楽屋でお留守番している時間は、専用の化粧箱に納めてある浅田飴を勝手に食べた。同じマネージャーをしている友人もワル乗りして、煙草を抜き出し吸ったら、それがバレて2人とも正座させられた。
さて、二酸化炭素はガンガン吐き出すのに嫌煙権を世界中に広めるアメリカの態度は、煙草を吸わない僕でも閉口してしまう。身体に悪かろうが、世の中には無駄なモノがあったっていいんじゃないだろうかと考える。嗜好品というぐらいなんだから、煙草なんてのは気にせずにモクモク吸わせりゃいい。
映画「スモーク」は僕が最も好む映画のひとつで、ハーヴェイ・カイテルがじつに渋い演技をしている。原作がP・オースターで、これは短編小説だけれど、見事に世界観を映像化しているのだ。煙草を吸わないのに、思わず胸ポケットから1本抜いて一服つけたい、そんな吸引力がある映画である。
今月の「BE-PAL」の特集は「焚き火レストランへようこそ」だ。
僕は焚き火系の特集に弱い傾向があって、どんな雑誌でも焚き火の記事があるとついつい財布の紐が緩んでしまう。
野外パーティが絡むとはいえ、もう13年以上、4月~9月の時期はキャンプをする習慣になっている。
キャンプにおける焚き火という行為は、こだわればこだわるほど楽しくて、場合によってはキャンプそのものが輝くか萎むかを左右するイベントであるのは意外と知られていない。気持ちよく炎を焚いてそれを囲むというのは難しかったりするものだ。
僕が前々から欲しいのは小川キャンベルのストーブなんだけれども、まだこれを購入するまでには至っていない。もう少しさまざまな方面で安定をしてから、買おうと考えている。
さて、気持ちのいい焚き火っていうのは、どういう焚き火のことなんだろう?
僕が考える最良の焚き火というのは、火持ちする薪をくべて、山の静けさに耳を傾け(まあ、往々にして、電子音が響く山奥というシチュエーションが大半なんだけど)、コールマンの椅子に座り、温めた焼酎を呑んで、変幻する炎をじっと眺める。
炎の向こう側に座っている友人としばし無言の時間を分かち合い、愉しむ。
遥か昔の太古から伝承する自分のDNAがさざめく束の間。夕闇から漆黒の夜に移ろうとする時間に囲む焚き火は最高だ。
ところで、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」という短編小説には、焚き火が趣味という男の物語がある。真冬の海岸で焚き火をする男と、その男の背景に密かに魅了された若い女の物語。
流木が乾いた音を響かせて燃えている描写が冬そのものを表現していて、さすがである。
映画「スタンドバイミー」の焚き火シーンと匹敵するぐらい名場面だ。
580円の雑誌としては、お徳感がたっぷりあるTitleが写真特集を組んだ。
題して「新・写真道楽」
日本最高の“アマチュア写真家”という切り込み(なんて大胆なんだ)で植田正治の世界を載せ、沢渡朔×藤代冥砂が交互に「オンナの魅力の写し方」を実践するという企画があるなど、結構見応えがある。
雑誌を読み終わった後に、週末にでもひさしぶりに写真でも撮ってみるかと箪笥に仕舞われたカメラを出してみる、そんな気持ちになる一冊である。
─詳細─
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こちらはご存知アラーキーが去年の秋に出版した写真集「東京人生SINCE1962」
ページを綴るたびにどうしてか切なくなる写真集だ。彼はどんな気持ちでファインダーを覗いたのだろうか。写真に添えられたキャプションが胸に刺さる。
呼称が無数に及んでいるとは言え、つまるところ自宅で呑み明かすというのが、<宅呑み>であり<家飲み>であり<ホームパーティ>である。
<家飲み>と書くと、4畳半の畳の上というシチュエーション、そしてガラパン一丁で日本酒一升瓶といった「どくだみほうれん荘」的世界を思わず想像してしまい、かといえば<ホームパーティ>と書くと、鼻メガネをつけたデトロイトあたりの若者がチキンを貪りつつ、チアガールが庭にあるプールに飛び込む姿を眺めているという古典的光景が浮かんでしまう。
さて、個人的所感を述べると、最近ちょっとした<宅呑み>ブームであるような感がある。
平日の月~金はどこかしらの居酒屋orバーなんぞで呑み、週末は誰それの家で<宅呑み>みたいな。
意識的な行動パターンかどうか分からないけれど、平日/ウィークエンドの2つのレイヤーで、呑むスタイルを切り替える人が増えてきた、そんな傾向があるように感じる。
自宅に招待するのもお呼ばれされるのも両方とも、僕自身ご他聞にもれずに<宅呑み>が好きである。何人かでワイワイとDVDや好きな音楽を流しつつ歓談して美味しい料理を作り、お酒を呑む。気軽だし、これはこれでいろんな発見がある遊びだ。
イージネス&ハッピネス路線による週末的ライフスタイルだからこその醍醐味である。
でもさすがに「今日さ、いいワインが入ったからウチで呑もうよ」とかいうキザなセリフは、なかなか言えないよね。そんなセリフが言える大人に私もなりたひ・・・・、いや、まだなりたくないか。
大江健三郎の「日常生活の冒険」という小説には、退廃した若者が<宅呑み>を繰り返しているシーンが何箇所かある。これはこれで何十年前もの若者達の行動が描きだされていて、かつ新鮮な文章であるから、面白い。古本屋で探せば文庫本で100円程度で売っている。
先週は、知り合いの結婚式イベントが2度あった。
月曜日の祝日に新宿で、そして土曜日に銀座で催された。それぞれの席で新郎新婦の門出を祝い、美味しいお酒を呑み、旧知の人との再会が果たせた。
銀座の中華レストランで、僕としてはまだやる予定のないゴルフの話題が出たりすると、年齢に相応しい会話をちゃんとしているなぁなんて思ったりして、ついつい紹興酒が進んじゃったりした。「痛風にならない為に、カロリーを控えたほうがいいよ」と健康話に花が咲くのもご愛嬌である。
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結婚式の映画といえば、10年前ぐらいにヒュー・グラントが出演する「フォー・ウェディング」という映画を映画館で観たことがある。わりとハッピーエンドだったと憶えているけれど、正直なところ、仔細については思い出せない。
30歳過ぎたら、10年前と違った気持ちで鑑賞することができるかもしれないし、まさに年相応に楽しめるような気がしてきた。いつかの週末に観てみよう。
近い将来、そんなハッピー・エンディングな映画の話題を心ゆくまで語りたい、そんな風に思う。
インドネシアのバリ島山間部ウブドに一軒、サテーと呼ばれる、ピーナッツバターやらマサラを混ぜた味噌ダレを鶏肉に塗るバリ郷土料理の焼き鳥が炭火で食べられる店があった。
延々と続くライスフィールドを眺めつつ、沈む夕陽に心を奪われ、何処かで奏でられるガムランに耳を傾けビンタンビールで乾杯するという、究極のシチュエーションの店だ。
バリ島ではクタビーチでもスミニャックでもレギャンでもチャンディダサでも、とにかく至るところでサテーを食べてみたが、そのレストランが出すサテーは本物だった。
竹を割った皿に真っ赤な炭が炊かれて、串に刺さった焼き鳥がジジジッと脂を照からせ芳醇な食欲をそそる香りを醸す。
少し焦げたピーナッツバターがビールにピッタリで、ウブドに滞在している期間、何本平らげたか分からない。
それに引き換え、日本に(東京に)あるバリ料理の店は閉口するばかりで、食べれば食べるほど、バリ島への郷愁が強まってしまうシロモノである。
その代わり、日本には日本のサテー、つまり、焼き鳥がある。
焼き鳥やもつ焼きについては、昔から中央線沿いが旨いのが定説だけれど、案外、私鉄沿線にも美味しい店があることを最近知った。
某私鉄某駅徒歩1分の焼きとん屋の味噌ダレは、秘伝だと胸を張るのが頷けるぐらいに完璧で、酔うと分かっていてもホッピーがどんどん進む。たんしたという串はむっちりと歯ごたえがあって、ウブドで経験した驚嘆をそっくりそのまんま味わうことが出来るのである。
そして、1本100円なのに、丁寧に炭で焼きを回すご主人にはいつも感心だ。
さて、今日はまだまだ火曜日、3日も平日が残っているのに、こういう文章を書くと、なんだか寄り道して呑みたくなる。困ったもんである。
今日は特異日じゃないとはいえ、
まるでそうであるかのように、
春先取り!という風に暖かい。
気象上では大型の低気圧が発達した影響で、
気温が急上昇というのが理由らしい。
まあ、とにかく2月には相応しくない、
言うなれば、卒業式が過ぎ去った頃に近いような気がする。
具体的に書くと、バレンタインデイじゃなくてホワイトデイっぽいのだ。
春といえば別れと出会いの季節。
どちらがどうということじゃないけれど、
なんか一足先に、春の季節が醸し出す情報を
自分の身体のDNAが直感的に感知して、
それが嬉しいようなもったいないような、そんな感じ。
ROM:
インターネット上のコミュニティで閲覧のみの訪問者など(Read Only Member の略)。Read Only Memory(ROM)をもじった言葉。
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自分のブログのROMな皆様が果たしてどれぐらいいらっしゃるのだろうかと気にしたことがある。
僕のサイトを訪れる人は必ず挙手してくださいとか女子だったら合コンのセッティングしてくださいとドサクサにお願いしたいから・・・・が理由じゃなくて、delta君のはてなサイトなんてのを見ていると、「いままでROMでしたがカキコします」とかあって、なんだか凄いなぁなんて思うからである。
仮に、面識がある/ない で、他者との係わり合いの区別をするとしたら(もちろん、それが 良い/悪い の区別ではない。念のため)、面識がない方々から書き込みがいただけるというのは、それだけサイトが愛されている証拠だと思うので、とても感心する。
僕は<普段の知り合い=インターネットの知り合い>という生活を送っているので、ネット限定で知り合いが増えることがない。逆に普段の知り合いには「え?アメリカにEmail送るのって、値段とか大丈夫なの?」といまさらに心配する原始人が多いので、さらに<ネットの知り合い>が限定される。
ということは、数字上では、
ネットの知り合いの人数 < 普段の知り合いの人数となる。
こういうのはWEB2.0時代においては、遅れていてアナログなコミュニケーション手段なんだろう。2.0時代は、インターネットをコミュニケーションツールとして活用してガンガンに知り合いを増やさないとダメなのだ、きっと。
だから出会い系サイトを通じてほんとに出会った人たちから武勇伝を聞くと、とにかく「すげーー」としきりに驚いちゃうのである。
と、そんな事をボヤきつつ、自分は自分で見ず知らずの人が公開しているBlogの常連ROMなので、人のことをあれこれ言えない。
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気にしちゃうといえば、まったく別の話になっちゃうが、僕の友人のK君は、尋常じゃない自意識過剰で、居酒屋に入店すれば、お客さん・ウェイター・厨房の全ての人たちが自分のことを見ているんじゃないかと考えてしまう人で、もちろん本人はSMAPの一員だとかボンジョビのギタリストだとかそういうんじゃないんだけれど、どうしてか「もしここで焼きバナナとか頼んだら、注目浴びちゃうかな?」と心配が絶えない男である。
そんな自意識過剰の彼が、ある日、ステーキ屋で<当店売りのスペシャルパフェ>を頼んだそうだ。
<当店売りのスペシャルパフェ>を若い男が頼んだということが注目に繋がると考える彼だから、あたりをキョロキョロ窺いながら「まあ、たまにはパフェでもね」というオーラを放出しつつ他のテーブル客に向かって弁解していたらしい。
もちろん、周りの人々は、誰がパフェを頼もうがそんなことは気にしちゃいない。
でも彼にとっては「きっと見られてるだろうな」と悩みの種がニョキニョキと芽を出すのだ。やがて10分が経過した頃だろうか、ウェイトレスが<当店売りのスペシャルパフェ>を持ってきた。
なんとそのパフェの頂上では、小さいなが