2009年04月26日

代々木公園で再会

電子メールがまだそれほど普及していない90年代の旅事情の難点といえば、旅先のアドレスブックをうっかり失くしてしまうと、何ヶ月も一緒に旅の空を過ごし、これ以上にない思い出を分かち合い、そして別れの日はとても切ないんだけど、きっとまた逢えるだろうと信じて、お互いそれぞれの国へ帰っていった親友ともう一度逢いたくても、奇跡が起こらない限りは、逢うことすらままならない点に尽きる。

僕は旅先でアドレスブックを失くしたというか、複雑な事情で燃やしてしまったというか(どうしてパイプじゃなくて紙で巻いたんだろう、俺)、とにかく数枚のバティックと一緒にそれは灰色の燃えカスになってしまった。

インターネットがこの現代に貢献した最大の功績は、人と人とを繋げるツールとしてこれまで以上に可能性を秘めていることにある。たとえば myspaceのアカウントを持っていれば、隣駅に住んでいるかと見間違うほど近況を知りえることができるし、skypeがあれば電話だって出来る。

でも残念ながらに僕らはそうじゃなかった。

もし、僕らが2008年にヴァラナシで初めて会っていたら、そんな失敗は起こさなかっただろう。きっと僕らは、それぞれ日本とヨーロッパに帰国しても、互いに連絡を取ることができたはずだ。そしてすぐにでも再会できただろう。

けれど僕らは1998年にインドで出会い、陸路でネパールへ向かい、また陸路でインドに戻り、一時的に別れ、タイで再会を果たし、パンガンで踊ったのが最後だったのだ。

僕らが起こした失敗といえば、それはもう、二人ともアドレスブックを似たような事情で失ったほかにはなかった。

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あれから11年経ち、僕は、ややまともに社会生活を送ることができた。そしてしょっちゅう思ったものである、そう、「あの時の旅の仲間はどうしているのかな」と。

再会できる仲間とは再会できたし、いい関係にあるので、全てが過ぎ去ってしまったわけでもなかった。それでも真っ青な突き抜けるような空が広がって、心地よい風が吹き抜けたりして、それが旅の空にそっくりだったりすると、ふとした瞬間に考えたりもした。

僕の仲間はどうしているんだろう。元気にやっているのだろうか。もし、もう一度会えるとしたら、その時僕らはどんなことを思い、何を話すのだろうと。どんな11年を歩いてきたんだろうと。

僕らは奇跡を待つしかなかった。なにせ日本とヨーロッパは遠すぎる。11年、奇跡を待つにはやや長すぎる時間だ。でもやっぱりそれは起きた。

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とても気持ちのよい土曜日、僕は代々木公園で開催しているアースデイに向かった。幾人かの友人と談笑し、近況を語った。いつもの代々木公園の風景だ。

芝生側とコンサート会場を結ぶ歩道橋で一人の外国人に会った。彼女はヒラと自分のことを指した。とても奇妙な話だ。彼女の本当の名前はヒラじゃないのだ。でも、まあいい。とにかく僕らは時々出会う知り合い同士がそうするように近況を話した。ねえ、最近どうしているのと。

そうこうしているうちに、ヒラがもう一人の友人を呼び、僕を紹介した。僕らは握手し、彼女も微笑んだ。彼女の名前はビリーで、僕の友人─そう、彼の名はステファンというのだ─の顔見知りだったのだ。

「え、貴方の名前はコウっていうの?」
彼女は驚きを隠せなかった。

「ステファンを知っているでしょ」
え?いまなんて言ったんだい。僕は自分の耳を疑った。彼女の声が大きくなる。

「ステファンよ。ステファン!あなた、もしかしてステファンのお友達でしょ」
Oh,gosh i...i know you,you are really his friend,huh?

僕が自分の電話番号をすぐに渡したのは言うまでもない。

10分後、公衆電話から電話が鳴った。

「いま、オシュマンズにいる。」
彼は昂奮していた。もちろん僕もだ。

僕は駆け足でオシュマンズに向かった。僕の鼓動は高まった。

そこに彼はいた。11年前と変わらない姿で。僕がダッシュで駆け寄り叫ぶ。

ステファン! 満面の笑みでステファンが同じくらいの声で返す。とても懐かしい声だ。僕は思わず泣きそうになる。コウ!!僕らは思い切りハグをした。

it's amazing! 本当に奇跡は起きたのだ。

3日間、彼が東京に滞在できる残りの時間だ。僕らにはいっぱい話すことがある。

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日曜日も待ち合わせをし、アースデイに向かった。月曜日、僕は会社に行かなくてはならない。18時30分に仕事を終えて、新橋で待ち合わせをした。

サラリーマンの楽園を巡るのも一興だろう。

彼には生まれたばかりの子供がいた。iPhoneでmyspaceにアクセスしてみると、とっても可愛くて、目なんか彼にそっくりだ。

いまのお互いの仕事や暮らしぶり、これからの将来、たくさんのことを話すと、僕らにはいろんな可能性がまだまだたっぷりあることを感じられた。

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僕は、僕の周りで頑張っているみんなのような完全な旅人になることはできなかった。彼らは社会のシステムに依存せずに経済サイクルを築き上げサバイブしていた。彼らは旅を続け、そのなかで世界を構築していった。旅を続けていない仲間も、言ってみれば、一本独鈷で活躍している連中ばかりだ。

一方、僕は結局のところ、臆病者にすぎなかったのだ。彼らのような勇気を持てずに、社会のシステムに依存する構成員として歩む道を選んだ。そして、幾人の友人達のように旅先や、また旅から帰国して自らの命を絶つようなこともなかった。

それは本当にお前のやりたいことなのか。誰かが僕に言う。いや、そうじゃないんだ。ただ僕には勇気が足りないだけなんだ。

僕はどうしてか何かを裏切った気分になる。

彼と再会した時、僕が旅の世界にどっぷり浸かっていた時代の何かを思い出した。その何かを僕は数年掛けて磨り減らして、自ら意図的に離れていったのかもしれない。

そんなことを考えたのは久しぶりだった。そう、僕は、自らが知恵と勇気を絞って築きあげたシステムで働くことを選ばずに、誰かが作った既存のシステムに乗っかって生きる道を選んだのだ。

たしかに責任のある大きなプロジェクトを動かしたりもしている。数億円以上の金額が動いているのだから、大きいのは間違いない。世間性も高い。

でも、僕が乗っているその船は僕がゼロから作ったんじゃないんだ。最初からそこにあったんだよ。僕は単なる船員なんだ。

臆病者の僕は旅人にもなれず、かといって、社会システムに完全にも染まらず、宙ぶらりんのまま時間だけが過ぎている。

先週の再会は、ターニングポイントだ。

運命は悪戯なんかじゃなくて、未来は同時に進行している。

何色にだって染めてもいい。

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投稿者 ko : 2009年04月26日 12:12 | トラックバック(0)
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