数年前に下北沢の古本屋で400円ぐらいで購入した「別冊宝島 1975年10月号」(敢えてその号のタイトルは伏せる)を改めてパラパラと捲っていたら、新刊書の案内というページがあったことに気がついた。
記事によると、当時の世の中はヒッピー文化の華盛りで、そんな時代を色濃く映し出したある一冊が話題を呼んだという。
わりとその手の文献には浅く広く手を出すタイプなのに、本書については知らなかったので「まだまだ俺はザルだなぁ」と深く反省した。
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アリシア・ベイ=ローレルとラモン・センダーが書き、深町真理子が翻訳した「太陽とともに生きる」である。
同時期に発売された「地球の上に生きる」と共に当時のヒッピー達のバイブルだったらしい。
原始的な生活を送る上での手引書であり、コミューンで生活する為に必要な知恵が詰まった本だ。
「太陽とともに生きる」では、彼女はこう読者に伝えている。
週に一日、太陽の子として生きることで、文明というばか騒ぎにまきこまれることなく、地球の上に生きることができるでしょう。
近々この本を読んで自分をファックしようと思う。
自分の生活水準が相対的であるのに対し(そりゃそうだ)、生活内で使用するモノの値段については絶対的な要素を求めるブツが少なからずある。ケータイ電話なんかはその最たるアイテムで、<ケータイ電話は1万円以内>が個人的に考えている絶対的値段である。
1万円を超えるケータイ電話は、たとえ明日にジャンボ宝くじで3億円を手に入れたとしても考慮の対象にならない。
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先日、総武線の中野駅前にある安売り店でSH903iという機種を1万3千ポイントを使って3000円で購入した。ドコモショップで購入するとしたら9000円だったので、まあ、わりあいお得だ。
新しいケータイのメディアには<micro SD>という昔のスパイ映画に登場するマイクロチップのような1センチ平方の記憶媒体が必要なので、さっそくアキバに買いに出かけた。
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秋葉原、世界的に有名な電気街。
東京に永らく住んでいても、小学生の時にラジコンを購入した以外は数えるほどしか来た事がない。全然、用事がない場所だ。
最近は安売り電気だけじゃなくてオタク文化の担い手的土地として有名で、メイドカフェなんてのはアキバが発祥だなんて聞いたことがある。街中のストリートにはメイドだらけと時々テレビで観ていたけど、心のどこかに「そんな冗談みたいな街はありえないだろう」と構えていた。
しかし、それは嘘じゃなかった。
2メートル間隔でメイドが突っ立っていて、メイドじゃない人は<お菓子の国>から飛び出したようなピンク色のふわふわした洋服を着てやはり同じように突っ立っている。
巨大な画面に映し出されるのは、"なんとか"というアイドルの"なんとか"コンサート。そのコンサートの映像を見て踊りだす青年。如何わしいDVDを路上で販売する中年男性。同じく格安価格で道端に売られているフォト☆ップ。
アニメ・同人誌・実写・格安パーツにバルク製品とメイドとスクール水着とアイドルなどなど。
「もまいら」と日常で話す店員。そしてアキバを歩いている人はみんな<名無しさん>感覚。なんか2ちゃんが立体化して3Dになったらこうなるんじゃないかという不思議な気持ちになった。
日曜はもっと過激らしい。なんともエキサイティングな場所である。
NHKの番組、とりわけ茂木健一郎の番組ということがあり、可能な限りエア・チェックしているのが、毎週火曜22時から総合チャンネルで放映している「プロフェッシャル 仕事の流儀」である。
さまざまな分野の第一線で活躍している人の仕事に密着するこのドキュメンタリーは、じつに見応えがあり、日曜夜の顔とも言える「情熱大陸」とは、また一味違う<人物に密着系の番組>だ。
さて、昨日の放送第44回のプロフェッショナルは宮崎駿だった。来年の夏の公開を目指して新作アニメを創作中の監督は、自分の想像力が己の創造力に向き合えるよう自身の心を深く下げて活動をする人物、という風に僕には映った。
新作映画の発足当初はドキュメンタリーのカメラに冗談を差し向ける余裕こそあったが、やがて自身がその映画の物語性にどっぷりと浸かろうとなると、カメラが鬱陶しくなり邪魔にさえ感じていく監督。作品を完成させるためには、孤独という心情にとことん向き合い、他人との距離を徹底的に保ち、その孤独の中から物語を紡ぎださないといけないと語っていた。
「映画というのは自分を暴露してしまうものなんです。裸で人前に出ていくことなんですよ。だから、これは娯楽映画だからと作っていても、実はその人間の根源的な思想がよく出てしまうものなんです。出すまいと思っても出ちゃうんですよ。それで隠して作ると、そのしっぺ返しが本人だけに来るんです。どういうふうに来るかといったら、やっぱり正直に映画を作らなかったというしっぺ返しが来るんです。だから、映画が作れなくなりますよ、ほんとに。正直に作らなきゃいけないんですよ、裸になって、ほんとに。それはそうせざるをえないんです。だから、全存在をかけちゃうから、映画の出来については、本当に切ない思いをするわけですよね。それは、全人格の否定なんですよ。」
自分が目指すその先にあるイメージに到達するためには、色々なカタチで痛みを伴う必要があるのかもしれない。その痛みを知っている者だけが孤独感から開放できる。
有名店ということもあるので、ネットでは辛口採点が多い新宿の「竈」は燻製した玉子、通称<くんたま>で名を馳せたラーメン屋である。西武新宿駅のペペの先、職安通りとぶつかったところの角にある。
凝縮された豚骨スープと濃厚な魚系スープをブレンドしたダブルスープで、こってりしつつも魚系がやや勝っているテイスト。麺は中太縮れ麺。スープの塩加減が濃い。
燻製した玉子は美味しかった。でもあんまりラーメンとは合わない。単品で食べたほうが旨そうだ。何処のラーメン屋に行こうかと意外と<当たり>のラーメン屋が少ない新宿エリアで訪れるには無難。
竃KAMADO
新宿区歌舞伎町2-46-7第3平沢ビル1階
日~木 11:00~15:00/17:00~24:00(日は通し営業)
金・土 11:00~15:00/17:00~翌2:00(土は通し営業)
ラーメン --\650
くんたまラーメン --\750
ベランダ(といっても猫のひたいのようなスペース)にプランターを置いてから10ヶ月ぐらいになろうとしている。
昨年の夏に生い茂っていたシソとバジルは越冬が厳しく枯れてしまい、プランターは空っぽである。種が芽吹くかと毎日窓を開けて観察しているのも期待が外れることが多く、まだ反応がない。
最近だとパンジーの咲き具合が悪くて心配している。液肥をあげないとやっぱりダメなようだ。
さて、今年は夏に向けて野菜にも手を出してみようと思っている。もちろんベランダで栽培するには限界があるから屋上で育てる予定だ。
屋上はかなり太陽が差し込むので野菜栽培が可能なような気がしてきた。
ラディッシュ、通称ハツカダイコンは手軽に育つ野菜として名高いので、さっそくホームセンターで種を買ってきた。二十日後に育っているのは何だろう?期待で胸が膨らむ。
吉祥のハモニカ横丁にあるタコライス専門店。
ファストフード感覚で手軽に食べられる店として人気がある。
ちなみにタコライスというのは、沖縄が発祥とされる食べ物で、挽肉やチーズとたっぷりのレタスに目玉焼きといった具材がご飯の上に乗っかり、辛味のサルサをかけて食べる丼(どんぶり)だ。海のタコが刺身で乗っかっている海鮮丼のことではない。
チーズタコライス、アボカドタコライス、オムタコライス、ベジタコライスの4種類から味が選べて、サイズはS・R・Lの3種類でチョイス。沖縄で5年の修行を重ねたということもあり、なかなか本格的。
狭い店ながらも店内は木の壁で囲まれ、木のテーブルがあり、日中は太陽が差し込むので落ち着いたりもする。
こちらはチーズタコライス。
チーズのこってりとした味と食感がご飯に不思議とピッタリで、炒めてある挽肉が食欲をそそる。細かく刻まれたたっぷりのレタスにサルサを混ぜ、目玉焼きを崩して一気にかっこむ。手軽でさっぱりしていて栄養もある。いかにも夏が旬の沖縄らしいご飯だ。
ハモニカ・クイナ
武蔵野市吉祥寺本町1-1-8
11:30~22:00
無休
チーズタコライス --\590~
アボカドタコライス --\650~
オムタコライス --\650~
ベジタコライス --\650~
目玉焼き&ドリンク --プラス\200
会社の元同僚が結婚をし、先月の某吉日に結婚式へご招待いただいた。
会社には部署というものがあって、それは学校でいうところの<クラス>とは相容れないけれど、<となりの部署>は<となりのクラス>と同意義ぐらいの響きがある。仕事で密接して、互いに協力し合い山を越えてゆくとなれば、それ以上の深い意味があるかもしれない。
彼と僕とは<となりの部署>同士でしばらく顔を合わせ、ついでに机も並べたりしたので、心から祝福を思った。その日の結婚式では懐かしい人ともたくさん会えた。
そして、そんな結婚式&二次会の写真をやっとこさ現像。ギャラリー1で僕のが、ギャラリー2でケニさんのが公開中。
閲覧するには専用のユーザIDとPWが必要です。関係者の方でIDとPWが不明の方はご連絡ください。
To.ケニさん
サーバに写真を置かさせてもらい、多謝です:)
彼是7年前、1999年→2000年のカウントダウンパーティがバリ島で開催された。
僕は12月からバリ島に滞在し遊び呆けていて、クリスマスを過ぎた頃、そのバリ島で二人組の女のコに知り合った。
トランス好き、本好き、パーティ好きでグルメさんであるから、日本に帰っても意気投合して、今に至るまで良き友人としてお付き合いさせていただいている。
一人は徐々にチャクラが開放しまくってポルトガルにまで踊りに行ったとか、沖縄で米兵相手のマッサージ(notエロ)をしているとか、全開モードで時々便りがある。
もう一人の友人は、<日本で一番音ネタを所持している女子>ではないか?と一時期謳われた名声をあっさりと引退し、いまはすっかりトランスから離れ、その深い造詣を生かし多方面で活躍している。
その友人が諸事情から3月末に神奈川県の奥地にある実家に帰るということで、最近は<都落ち呑み会>と称して呑んだくれている。
もちろん<都落ち>というのは愛すべき友人に向けた"はなむけ"の言葉だ。
残り10日間ばかりなので、率先してお誘いし、またお誘いがあればどこまでも連れ立って呑み明かしてやろうと思う。
コロシアムと呼ばれ、溜り場と化した彼女の家には不気味な金魚が潜んでいるが、最後は映画「ウィッカーマン」の編み編み巨大人形みたいに遂げるのはどうだろうかと思う。
※映画「ウィッカーマン」
1970年代に上映されたカルト映画。全裸で踊り狂っている住民が支配する孤島を訪れた警部のツイていないようなツイているようなガイキチムービー。なぜか今頃になってニコラス・ケイジ主演でリメイクされたが、案の定、オリジナルを超えられない駄作と評価されている。オリジナル版DVDは完売。再発の情報がないのが残念。
「北の大草原」は都営新宿線曙橋駅から徒歩3分のところに2006年4月オープンした北海道ラーメンの店だ。
カウンター7席ばかりの店内の外には何人かの列がいつも出来ている。
香りみそラーメン(850円)
大ぶりの中華鍋で野菜をガンガンに炒めるという北海道のオーソドックスな札幌ラーメンの作り方を踏襲。
スープはバターの濃厚なこくに野菜の旨みが加わり、こってりとして、深い甘みがある。
喉に絡むような甘みではなくて、すっきりと爽やかでありつつもクセになる甘みという表現があるけど、まさにこの店の味がそういう味なのだろう。
そのスープに沈めてある挽肉をほぐして、アツアツの野菜とプリプリの中細縮れたまご麺で一気に食べるのは格別だ。味付け玉子の種類が豊富。
なお、都内にある味噌ラーメンの店舗のうち、かなり味噌が甘い部類だろうと思われるので、辛い味が好きな方は「辛みそラーメン」を頼んだほうがいいかもしれない。
北の大草原
新宿区舟町12
都営新宿線曙橋駅A4出口徒歩3分
11:00~22:00
不定休
みそラーメン --\750
辛みそラーメン --\800
香りみそラーメン --\850
味付け玉子 --\100
(醤油 or 梅 or カレー or ごま油)
バター --\100
コーン --\100
自家製チャーシュー --\150
石については、いろんな人がいろんな場面で語っている。
水晶やアメジストなどのさまざまな石は特殊な力が宿っていると信じられていて、総称してパワーストーンと呼ばれている。
科学的見地では実証できないので、どうしてもオカルト寄りになるけれども、御守りや縁起を担ぐことが潜在的パワーを引き出す触媒になると考えられれば、パワーストーンだって、人々の精神に対して─それ自身が機能するとも限らず、結果的に─プラスに作用したりマイナスに作用することがあるんだろうと思う。
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そんなパワーストーンについてのアニメは言うまでもなく「天空の城ラピュタ」だろう。
小さい頃なんかは<天空の城>とか<飛行船>とかにがっつり魅力を感じていたのに、大人になって改めて観てみると、全然違う部分に集中していた。
憶えているだろうか、物語の中盤に、パズーとシータが線路下の採掘洞に落ちるシーンを。そのトンネルの中で彼らは、一人の老人に出会う。常田富士男(日本昔話の声優)が演じるポムじいさんだ。彼はバックパッカーさながらキャンプセット一式を背負って鉱石を採掘している。
そして彼が石にまつわる全ての言葉をアニメの中で語っている。
彼はシータの持つ飛行石を見て、こう言う。
「その石には強い力がある。わしは、石ばかり相手に暮らしてきたから、よー分かるんだが、力のある石は人を幸せにもするが不幸を招くこともよーあることなんじゃ…」
彼の云わんとすることは、なんとなく分かる気がする。
僕の周りには、結果的に<石に飲まれてしまった>としか思わざるをえない人たちがいるし、いた。
彼らの生活の中心には水晶やあるいは何らかのパワーストーンがあり、石に翻弄されていた。僕もそういったエキセントリックな連中に感化されて、何ヶ月かの期間、石に心を奪われた。
結果、石に飲まれそうな体験をして、身の危険を感じ、<生活の中心に石を赴くことをやめよう>を経験的に学習した。疑似科学であったとしても、体験的に石にはやはり何かがあるような気がする。
でも、石は御守りの一部であって、それ以上でもそれ以下でもないという風に考えないと、色々なものを招いてしまう。
ゴアのフリーマーケットで購入した月長石(ムーンストーン)は、暫らくの間、僕の御守りだった。23歳の秋、10年以上振りに父親と再会した。
会う直前までにポケットに仕舞われてたその石は、不思議なことに帰り道にはポケットから消えていた。ジーンズのサブポケットに入っていたから、決してなくなる事なんて起きるはずがないのに。
インドで見つけたその石は、僕と父親の再会の役目を帯び、それを果たしたのだろうか。何かの象徴だったのかもしれない。
10ヶ月以上前のGW、新島にキャンプした時にマウンテンスミス製バックパックのショルダーが壊れた。
学生だった20歳頃から旅行やパーティごとに酷使し、何人かの友人が海外に飛び出した時にも貸したりしたから、頑丈なアイテムといえども持ち堪えたほうだろうと思う。
最近のハイテク素材とは異なるので、通気性がイマイチでザック自体が重たいと難あり、明らかに時代錯誤な商品であるのは言うまでもない。でも鞄に刻み込まれたシミのひとつが自分自身の<成長のしるし>みたいに思えて、「じゃあ、次の鞄に乗り換えるか」とも言いにくい。
実際、買うんだったらカリマーの75リットルと勝手に目星をつけているというのに。
そんなに頻繁にパーティには行かなくない三十路でも、男はいつだって旅立ちの準備をしておかなくちゃいけないと考えたいので、春になる前に修理しようと思う。
こうなると僕がくたばるのが先か、バックパックがくたばるのが先か持久戦みたいになってくる。
てっきり<永久不滅ポイント>だと思っていたケータイのポイントに期限があることが判明した。
昨日到着した明細書の中に赤紙が入っていたので「やべ、また振込みを忘れたか?」と不安に駆り立てられたのは、単なる心配に過ぎなかったようで、穴が開くほど見つめてみれば「3月いっぱいでポイントが消滅するよん」と書いてある。
失うポイントは5300ポイントぐらいだ。1ポイントが1円で換算されるので、わりと大きい。
いま現在、所有しているポイントが13,000ポイントあるので、ここは一気に機種を買い換えろという<物欲の神様>からのお告げなのだろう。
さっそく、どの機種が<ベル打ち>できるのか調査しなくちゃいけないわけだけれど、ケータイの機種について関心が薄い性分なので、3月末までに欲しい機種が絞れるのか?というのが焦点になるのはいうまでもない。
暴力はある日突然に何の前触れの音を立てずに静かに訪れて、そして突然と襲う。
僕は神仏に仕える者ではないので、決して胸を張れないとしても、運命についてとか<生と死>の境界線について、しばし考える。日常生活においてそのようなことを考える機会は、さほどあるわけではない。
もちろん、ある種の例外をのぞけば。
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インドのバラナシ(ガンジス川)のほとりにあるガンガを眺められる安宿では、いろんなことを考えた。ベランダから見える風景には、ガートと呼ばれる火葬場で、毎日、死体が焼かれ煙が立ち上る姿が絶えることがなかった。「今日も死体が焼かれているんだな」とぼんやりと想い、川に漂流する水死体を見つめていた。
こういった光景が日常生活に蔓延すると、人という存在は、その者の決定心を超えられることなく終焉に向かって一歩一歩を踏み出すに過ぎないのかもしれないと、思うようになったりもした。
ガンジスでは、ある種の感覚が麻痺するけれども、ある種の感覚は研ぎ澄まされてゆくという、じつに奇妙な体験をした。
生と死が絶対的に並列で剥き出しになっている場所である。
そのような特異な場所ではないにしろ、やはり生と死は我々の身近に存在し、きっと我々が忘れたころに、突然の不吉な災いのように襲い掛かる。誰にも防ぐことが出来ない"それ"は、圧倒的な暴力で我々を襲い、誰かを悲しませたりする。
突発的な事故と呼んでもいいかもしれない。
人生にはごく稀にそういったことが、たびたび起きる。
本日は錦糸町で歓送迎会なので、エントリについては、後日、改めて、この文章の下に写真を載せる予定(という言い訳を思いついたぐらいに、テンヤワンヤ)。
でも、本当に今日は歓送迎会です。こういう内容の記事って、オンタイム過ぎていて、日々の生活を切り売りしている気がして、このblogには載せなかったりしているんだけれど、まあ、背に腹は変えられないので・・・。
創作中華 阿房山
東京都墨田区亀沢4-16-17
月~土 11:30~14:00(L.O.)/17:00~23:00(L.O.)
日・祝 11:30~23:00(L.O.)
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ということで、写真です。IDとPWは「転勤する人の苗字」です。
地球が温暖化だとか、エネルギーの大半を原子炉で賄わない限り資本経済が停滞する可能性があるなど、環境問題はいよいよ行き着くところまで到達してしまった感がある。
囁くようにアジテートするように<エコロジー>が問われる時代のようだ。
でも、その<エコロジー>は、果たして本当に正しいのだろうか。詰まらないジョークで終わればいいのに、<エコロジー>が<エゴロジー>に映る場面が頻繁になる。
例えば大風呂敷で話せば、先進国は、発展を目指そうとして森林を伐採している後進国に自然保護を強調する。それは先進国の勝手きわまるエゴロジーだと僕は考える。
完全なユートピアは共産主義にあるとは考えたくないけれど、円熟した資本主義は共産的な経済性が必要とされると思う。
そんなことをふと思った。
でも、平日の木曜日に突然とそんな重たい問題を考えるのも理由があって、それには3日ほどさかのぼる。
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先週の日曜日に、パチスロの愉しさを30歳過ぎて見出した友人と焼き鳥屋で串を突きつつ、日本酒を酌み交わしていた。僕はギャンブルはしないので、パチスロの話題についていけないから、異性の話をすることにした。
友人は男なので、おのずと女性の話になる。
「近頃さ、エコロジーとかって騒ぐけどさ、要はあれでしょ。ポリ袋とかを使わないとかそんなのでしょ。そしたらさ、ノーブラとノーパンって、超エコロジーだよね」と鼻息全開、泥酔寸前で彼独自の見解を公開してくれた。
もちろん、ノーパンがエコロジーなんてそんな訳がなくて、人間の倫理はどこに行ったのだ?となり、喧々諤々と議論が白熱することになった。
「でも思うにさ、やっぱりおっぱいパブってところは、地球にも俺にも親切だよ」
彼は話題の最後をそう締めくくった。
僕は、何も言わずに、焼き鳥を3本追加して、にっこりと笑い、日本酒をあおった。
そして自然保護とエロを密接に結び付けんとした彼の持ち前のシンキングとライフスタイル、愛嬌のあるエゴロジーを思った。
案外、こういうのが地球に優しいのかもしれない。
PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are
1.Biohazard & Onyx - Judgement Night (EPIC)
2.Spacecat VS Elysium - Funky (AVATAR)
3.Slayer & Atari Teenage Rio - No Remorse"I Wanna die" (SONY)
4.Anthrax & Public Enemy - Bring The Noise (ISLAND)
5.Astralprojection VS Alienproject - People Can Fly (TIP)
最近、癒しというかリラックスについて考える機会が増えて、リラックス=癒しという風に一色単に考えていたのが、意外と違うんじゃないかと思うようになった。
癒しの世界には、もちろん温泉や日向ぼっこなどがあるけれど、そうじゃない、もっとキツキツの世界もあるのだ。僕はそれをダウナー系に対してアッパー系と呼ぶようにしている。これは面白い発見だった。長くなるのでアッパー系のリラックス(40分間実践する過密的な筋肉トレーニング)については別の機会に譲るとして、今回はダウナー系の癒しの話。
それこそオリンピックやワールドカップじゃないけど、何年かに一度の割合だろうか、僕の中でモーレツに<梅こんぶ茶ブーム>というのが恋の突風のように突然と舞い降りてくる時期がある。1日のうちに何杯でも梅こんぶ茶が飲めて、実際に飲みたくてしょうがいない期間のことだ。
遡れば小学校6年生の冬に症状に見舞われたのが最初である。だいたいが冬や春に発症する。心頭滅却しても暑いのは変わんねぇよと、いくら美味しいといえどもさすがに蒸し暑い6月あたりには罹らない。
この症状は単純明快で、一度でも梅こんぶ茶が飲みたいと思ったら、もうダメ。ズルズルと引き込まれるのだ。朝晩昼に梅こんぶ茶。まるで老人の憩いの時間かと間違うぐらい。そして、しばらく続いたと思いきや、ある日突然去ってゆく。まさに嵐のような梅こんぶ茶。
2007年、今年は梅こんぶ茶の当たり年だ。暖冬と囁かれたって寒いものは寒い。ひさびさに飲むお茶の味が変わっていたらどうしようと心配したのは杞憂だったようで、湯のみで戴く梅こんぶ茶は至福。ダウナー系食べ物そのもので癒しである。
・茂木健一郎「生きて死ぬ私」
科学者が哲学する。
その一言で表しきれるのだろうか、でもまさにその通りなのだ。
まずこの経歴が凄い。
ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。
こうやって眺めると、理系と文系両方の総本山を制したのか、と思いがちなんだけど、そういうのを超越した作者であるのが著作を読めば伺える。
最近テレビなどのメディアへの露出も増えてきたので、番組のコメンテーターなどでお目にかかる方も多いだろう。彼の言葉ひとつひとつに耳を傾けて欲しい。脳味噌がピキピキと音を立てて喜ぶこと間違いない。
本書は長らく絶版になっていた。それがようやく満を辞して再販された。文庫である。読みやすく分かりやすい文章。その文中に輝く深い洞察力。
ノーベル賞に一番近い日本人だと噂されている通りの読み応えである。
脳科学の2つの大きなテーマは、「学習」と「選択あるいは主体性」の問題である。
脳が喜びを感じるためには、何をするにしても自分が「選べている」という感覚が重要だ。幻想かもしれないけれど、仕事しているときにも「やらされてる」感覚を持っているとダメ。みずから選んで仕事をしている感覚を持つことが大事だ。
限られた時間で、いかに仕事をこなすか。こういう「時間活用術」と言うと「効率」のことばかり考えがちだが、もっと有機的な側面がある。いかに自分の行動や考えを有機的に組み合わせて、新しい発想といったものにつなげるかを考えると、いろいろと面白い可能性がある。
会社での仕事で言えば、ちょっと席を立って何かを取りにいかなきゃならないといった行為を、集中している仕事の句読点として意識化する。次の仕事にかかるときに、歩いて行って帰って来る間に、何か思いつく、考えがまとまるといった方向性だ。
新しい仕事に着手した時に、いかに早く集中できるか。それを考えたときに、いつも決まった手順を踏んで、それを句読点にする方法がある。例えば「ジンクス」もそういうものだ。迷信とかそういうものではなくて、決まったルーティンに自分を入れていく。
僕の場合、朝起きてすぐブログを書くのは良い「助走」になっている。それをやってから本題の仕事に入っていくというのが、1つのルーティンとして確立している。
「創造性」について多くの人が誤解しているのは、いろいろ手を変え品を変えてやらなくちゃならないと思い勝ちなことだ。実は、同じことを繰り返すのが、創造性の一番の母だというのは、多くの方が言っていることでもある。
茂木 健一郎(脳科学者)
アルコールは適量に嗜み、酒場に頻繁に顔を出すのに、もう一方の大人のアイテムである煙草はまるで吸わない。
いまでも煙草を吸わないと告白すると驚かれることがあるので、見かけや格好にそぐわないのかもしれない。でも本当に吸わないのだ。
しかも禁煙を達成したのではなく、最初からである。正確に言うと煙が苦手なので吸えない。煙草が吸えないという理由で困ることは意外と多くて、一番最初の記憶は、高校生の時代に遡る。
僕が高校生の頃はアメカジが全盛期で、バイクに乗らないくせにエンジニアブーツを真夏に履いてセンター街を揃って練り歩いていたという狂った時代だった。
アメカジファッションの重要なアイテムに<ベトナムジッポ>、通称ベトジーがあって、これはベトナム戦争に派兵された米兵が所持していたライターという触れ込みで、表面に聖書を引用した罰当たりなセリフが刻まれているアンティークを謳ったブツである。
実際にはハノイかアジアあたりで生産されている偽物が殆どだったわけだが、やはり友達はみんな揃ってベトジーを持っていた。僕は煙草を吸わないので、ライターを持つ必要がないのに、ベトナム戦争というキーワードだけで気分が昂揚して買おうかどうか迷った。
数ヶ月洗いもしないジーンズから覗く潰れたマルボロとベトジーは最高にかっこよかった。もしライターを買っていたら、今頃は愛煙家なのかもしれない。
また、煙草に縁遠いので、結構とんちんかんな間違いを犯すことが多々あった。銘柄が全然分からないのだ。なんとかセブンだのセブンなんとかだの、頭と先のどっちにセブンが来るんだと訊ねたい。
土方の親方に仕えて工事現場でアルバイトをしていた学生時代は、休み時間になるとポッカの缶コーヒーと一緒に煙草を買いに走らされた。
親方は生粋の江戸っ子で、テリー伊藤を1万倍ぐらい悪くしてビートたけしを付け足したような短気な性格と口の悪さを兼ね揃えた人物だったから、煙草を買い間違えると物凄く叱られた。内心は「マイルドセブンなのかセブンスターなのか、僕にはちっとも分かりません」という状態でお手上げしていたのだけど。
そして某ムード歌謡曲を演奏する中年有名バンドのマネージャーをしていた時代も苦労した。
ボーカルが吸う煙草がこれまたコンビニなんかであっさりと売られちゃいない煙草なので、「ちょっと買いに行ってきて」と言われたら、それはもう30分は覚悟しなくちゃいけない程であった。
どんな名前だったか覚えていないのが残念だ。
いつも買いに行かされるのが悔しかったので、楽屋でお留守番している時間は、専用の化粧箱に納めてある浅田飴を勝手に食べた。同じマネージャーをしている友人もワル乗りして、煙草を抜き出し吸ったら、それがバレて2人とも正座させられた。
さて、二酸化炭素はガンガン吐き出すのに嫌煙権を世界中に広めるアメリカの態度は、煙草を吸わない僕でも閉口してしまう。身体に悪かろうが、世の中には無駄なモノがあったっていいんじゃないだろうかと考える。嗜好品というぐらいなんだから、煙草なんてのは気にせずにモクモク吸わせりゃいい。
映画「スモーク」は僕が最も好む映画のひとつで、ハーヴェイ・カイテルがじつに渋い演技をしている。原作がP・オースターで、これは短編小説だけれど、見事に世界観を映像化しているのだ。煙草を吸わないのに、思わず胸ポケットから1本抜いて一服つけたい、そんな吸引力がある映画である。