2007年01月31日

M.C.ハマーとお弁当

高校1年の冬休み、近所でチャリ通ができるという理由から新宿アルタ裏の三平ストアでバイトしていた。

三平ストアの1階は、今はゲーセンになっているけど、当時はそこのフロアは電気屋さんで、僕はウォークマンとステレオの売り場を任されていた。自前のCDやカセットテープを聞き流して適当に商品説明をするだけだったので、かなりラクチンな仕事だ。

おまけに在庫過多のヘッドフォンとかウォークマンを倉庫でもらえたので、サイドビジネスの裾野も広い職場であった。冬休みが終わると、学校帰りの放課後にアバウトに働いて、2年生に進級する春休みまで続けた。

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朝から出勤する日は、13時以降に1時間昼休憩が貰えた。

三平ストア内の食堂(一般には公開されていない)は、スラム街の炊き出し場みたいに薄汚れていて、カルカッタの貧民窟のごときに貧乏臭かったので、青二才の自分は怖くなり、1度きり食べただけで行かなくなった。

目の前が桂花ラーメンだったから、ラーメンを啜るか、靖国通りまで行って牛丼をしばくかのどちらかで済ませた。

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1991年3月26日、その日の僕の昼ごはんは、そぼろが詰まった手作りのお弁当だった。

近くを通った歌舞伎町のホステスが「バイク事故で亡くなった弟にそっくりだわ」と目を潤ませて僕にお弁当を作ってくれたというのはもちろんウソで、実際には地元の友達宅に泊まった際に「明日、アルバイトなの」と言ったらおばさんが用意してくれたのである。

申し訳ないので一応断ったが、自分の息子(要は僕の友達)も明日アルバイトでお弁当を作るから問題ないとのことだから、そのお言葉に甘えた。

そして、朝になってお弁当を手渡された時に、すっかり忘れていた事実を思い出した。

「あーっ、やべっ、今日、M.C.ハマーのコンサートじゃん」

僕は当時から自分のことを黒人の生まれ変わりだと信じて疑っていなかった純粋なニグロだったので、HipHopでは初の東京ドームコンサートに参戦しなかったら死んでも死に切れないというのもウソで、ただ単純に級友からコンサートチケットを貰ったので行ったのであった(そもそもハマーなんて「U Can't Touch This」の1曲しか知らない)。

級友のお父さんは、芸能ビジネスみたいのをしている怪しい人物で、アルフィーから年賀状が届いたり、駆け出しのアイドルに住まいを用意してあげて時折自分もそこで寝泊りをしている人だった。そのお父さんがアリーナ寄りのチケットをたくさん抱えているから、僕らにくれたのだ。

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水道橋駅で降りた東京ドームの周りには独特のファッションの人たちが列を成していた。

ラッツ&スターみたいに日焼けしているお姉さんや、金のネックレスをしてダボダボの背広をキメているお兄さん。

一瞬、新手のダフ屋かと思ったけど、どうやらハマーを意識した上での格好らしい。

どう考えてもその場にいる客のうちで最年少に位置する僕らは面食らって、勝手にダボダボ背広兄さんと握手したりしてハシャいでしまった。東京ドームは熱気が渦巻いていた。

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エントランスのお姉さんにチケットをもぎってもらい、イヤッホゥと声にならない声で叫んで<さあ、いよいよいざ出陣!>と中に進もうとすると、もう一度お姉さんに止められた。

「大きい鞄をお持ちの方は鞄を開けてもらえますか?」

有無を言わさない闘志の炎がお姉さんの瞳で静かに燃えていた。

<メンドくせーな、もう>という表情で級友がさっさと鞄を開けてクリアし、もう一人の友人もクリアし、僕の番になった。

僕の顔は曇っていた。中には食った後のそぼろ弁当箱がバンダナに包まれている。

見つかりませんようにとドキドキしながら僕は鞄を開けた。

ところが、さすがお姉さん。コンマ1秒でそれを見つけた。

まあ、ジャンプと弁当箱しか入っていないので見つけられないほうがどうかしているわけだけど。

お姉さんは試合前の猪木みたいな顔つきで<してやったり>とご満悦に僕を攻めた。

「このバンダナの中身は何かな?」

僕はあけるのを躊躇した。何度もいうが中に詰まっているのはソニー製のウォークマンでもなんでもなく、食った後のそぼろ弁当だ。

そぼろ弁当とHipHop。

普段なら決して交わることのない組み合わせだ。場違いにもほどがある。

弁当箱持って今日のコンサートに来たオーディエンスがいるのだろうか。多分、いないだろう。

「ハマーにあげようと思って」も通じない。だって三平で食っちゃったんだから。ギャグをすっ飛ばして切ない空気が流れてしまいそうだ。

でも、この状況で級友のお父さんの権力をちらつかせるのもマズイし、効き目もなさげだ。

僕はすごすごとバンダナの結び目をほどいて中身を見せた。

お姉さんは僕に問いただした。

「これ、カメラ?」

「いえ、これはカメラとかじゃなくて、弁当箱です」

お姉さんの闘志の炎はすっかり消化し、笑い茸を食べた人の目に変わっていた。

僕は、まだハマーのことを好きになれない。

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2007年01月30日

沸騰時代の肖像

・石黒健治 「沸騰時代の肖像 PORTRAITS OF THE 60s」

僕が生まれた年よりもさらに昔、1960年代という時代があった。<あった>という実体溢れる表現は可笑しいけれど、当時を知る多くの人が─大抵にして─そうやって揃えて語るのだから、きっとそうなんだろうと思う。

その話をするとき、彼ら(彼女ら)は目を細めて懐かしみ、何かを回想している。その何かとはなんだろう?

僕は同時代性というものを時々、卑怯に感じることがある。同時代性に答えを求めるのは容易だからだ。しかし、必ずしも「強烈な隔てのない共有空間」に罪はあるのだろうか。僕はそうは思わない。

少なくとも特異な時代の渦に巻き込まれた人間の持つ表情は信じるに値する。

表紙を飾るのは若かりし頃の加賀まり子だ。

石坂浩二、加賀まりこ、津川雅彦、寺山修司、美輪明宏、吉永小百合、鈴木いづみ、石橋蓮司、カルメン・マキ、つげ義春、ピーター、緑魔子など。沸騰した時代を過ごした彼らのポートレイト写真集である。


※掲載されている写真の一部↓

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2007年01月29日

インスタントラブ

コンビニエンスな恋が流行る世の中なのか、便利が一番という思想からモノの判別は「ウザイかウザくないか」だけで決定しちゃうスタンスか、最近だと男女がお付き合いするための鼻緒を結ぶのもほどくのも、全ての工程を電話とか面通しで行うのではなく、メールで済ましちゃうらしい。

ちょっと驚いたので、試しに知り合い3人に聞いてみると2人が「うん、そうだよ」と答えたので、やはり世の中の70%ほどの連中はメール派という計算になる。すごい時代だ。

考えてみると、僕自身も女子のハートをつかむために真剣にメールを送ったり、<センターに問い合わせ>したりして、届いたり届かなかったりする返信内容に一喜一憂するのだから、あながち使っていないとは言い切れない。だって、ラクだし。

ただ、いまさらな話を進めると、メールでの会話というのは字面だけどを追っかけるので、送った相手が思い込んでいる気持ちがそのまんま完パケで相手に届くとはかぎらないところに危険をはらんでいる。イージーなぶん、使いようによっちゃ誤爆しちゃうのである。

たとえば、

「西川口のキャバクラはいいよ」

というメールを送ったとすると、受け取った相手は、

「西川口のキャバクラは良いからお勧め」--Aタイプ
「西川口のキャバクラは良くないから拒否」 --Bタイプ

の2通りの解釈をすることになる。

恐ろしい話だ。夜の遊園地というのは男子のオアシスなんだから、ここは是が非とも真剣に考えなくちゃいけない場面だ。そういう時に紛らわしいメールは送っちゃイカンだろう。

ちなみにAタイプは「普段はあんまりキャバっていない人」でBタイプは「ピンク産業の最近の事情に明るい人」ということになる。どーでもいい話だが。

まあ、とにかく、メールの文章ってラクチンなようで、相手がちゃんと解釈しているかわかんないので意外と難しい。

ましてや、間違いようのない一言でも届かないことだってあるのだから。

僕の友人は「キャバ嬢にさー、いっつも『愛している』ってメール送ると『うん、ワタシも愛している』って返ってくるんだけど、全然会えなくて、たまに電話あるかと思えば『今日、同伴お願いしていい?』の一言だけなんだよねぇ」とボヤいていた。

それを聞いていた自分は顔で笑って心で泣いて、ふと思った。

もはやこの『愛している』には、何の効き目もないし、何も期待ができないんじゃないかと。

これは、もう、近所のオッサンオバサンと交わす「今日もよく晴れましたねぇ」とか「なんだかすっかり冬めいてきちゃって」という季節の会話みたいなもんである。

愛のバーゲンセール。会話のジャブ打ち。

ブラジャーのホックを外すのにあと3年掛かりそうな台詞である。

そして、こういう時のメールは、送るほうもラクチン気分で鯛を釣ろうとして、スイートを味わおうとしているから、結局、それ相応のぼた餅しか得られないという図式になる。ローリスク、ローリターンだ。

僕が友人にそう説明すると、眉間に皺を寄せて深い洞察を重ねたと思いきや、フル笑顔で「うん、わかった・・・ それじゃあ、俺、あの子にさっそく年賀状書いてみるよ!」と言ったので、とりあえず殴っといた。

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2007年01月26日

南アルプス「やまなみの湯」

2000年8月に山梨県の旧・中巨摩郡、現・南アルプス市にオープンした日帰り温泉。

JR甲府駅から南湖経由鰍沢営業所行きバスで35分、やまなみの湯下車で徒歩3分、もしくは中央自動車道甲府南ICから国道140号、県道12・26号を増穂方面へ10kmの位置にある。

温泉施設もさながら、テニスコートやジョギングコースが併設されていて、水着を持っていればプールも利用ができる豪華っぷり。ただし休憩室を利用する際には若干の料金がかかる。

温泉は、内風呂の大浴場に始まり、全身浴、気泡浴、寝湯、エステバス、打たせ湯、源泉湯、かぶり湯があり、露天風呂がある。露天風呂から空が仰げて、夜には星空を鑑賞できる。ミストサウナ、スチームサウナも。

泉質は、ナトリウム塩化物(弱アルカリ性低張性高温泉)、炭酸水素塩温泉(旧泉質名:含食塩一重曹泉。

淡黄緑色したお湯で、浴用の適応症は以下の通り。

一般適応症:
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進

泉質別適応症:
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病

湯の華がたっぷりと浮いた温泉は保温効果があり、身体中がポカポカする。加温しているとはいえ、長湯ができるように37℃程度のお風呂が各所にあるのが嬉しい。風呂上りはスベスベして美肌効果もバッチリだ。

市外から訪れる際にはどうしても車でのアクセスになる感があるが、さまざまなお風呂を愉しめプールも利用できて、500円は手ごろな値段だろう。休憩室を利用して800円は都内では考えられない。

なお、17時以降は夜間利用となり、500円となる。

20070126a

自噴温泉「やまなみの湯」
山梨県南アルプス市西南湖1299-1
10:00~23:00
水曜定休

<入浴・プール・休憩室>
大人 --\800
小人 --\400

<入浴・プール>
大人 --\500
小人 --\300

<夜間利用 17時以降>
大人 --\500
小人 --\300

HP

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2007年01月25日

祖母の葬式

1月19日に祖母が亡くなったので、田舎に4日ばかり帰省していた。

僕はおばあちゃん子の甘ったれニグロ坊やだから、25メートルのプール一杯分ぐらい泣いた。従姉妹達もわんわん泣いた。みんな焦燥して、おばあちゃんの思い出話をして、楽しく笑って、やっぱり泣いた。

あんまり思い出すと、また涙が出てくるので我慢するけど、寂しくて悲しい。

僕の田舎は山梨県内で幾分と内陸に位置するから、東京と比べると特殊な慣わしや風習が残っていた。おじいちゃんの時の葬式で知っていたはずなのに少々面食らったりしたので、少し記したい。

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この地域では、葬式を出す時は、<組>という明治以前からの互助会のような組織が機能して、<組>の執り行いのもとに運営されていく。<組>はおよそ半径五百米のエリアの家々が属して、交代制の組長がいて、組長を筆頭に組員が葬儀の日などには近親者のサポートをしてくれる。

諸々の用意などを全て助けてくれるのだ。

逆をいえば、<組>を除外しての葬式というのは在りえないこととなる。<組>を経由して運営しない葬式を出すのは、想像でしかないが、さぞや恐ろしいこととなるのだろう。

<組>の衆の人数は一定であり、増減することはない。大体が10人~18人程度、だそうだ。

彼らは家族の代わりに弔問客にお茶を出してくれたり、葬式の受付をしてくれたりする。

だから葬儀場には近親者・僧侶とは別に<組>の方の控え室が用意されている。それぐらい重要な組織なのだ。

もちろん<組>の方々には幾ばくかの志しとして、通常は商品券3千円程をお渡しする。

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独特の慣わしのひとつが、故人とのお別れの場面にあった。故人を棺に納める儀式(納棺)では、おばあちゃんの顔や身体を白い和紙で拭いてあげた。

たぶん、これは湯灌を模したものであると思う。

僕はずっと我慢していたけど、おばあちゃんが作ってくれた山菜おこわや夏休みの朝に手を繋いで一緒に散歩したのとかを思い出して、そしていよいよお別れなんだと思うと、この時に咳を切ったように嗚咽した。

もう我慢ができなくて涙がポロポロ出た。

2つ下の従姉妹が僕を励ましハンカチをくれた。彼女の目も真っ赤に腫れていて涙が流れていた。

棺に納めた後にお上人様 (おしょうにんさま)がお題目を唱える。現世の者が現世に留まるように、準備された荒縄を個々が黙々と腰に巻く。

合掌する。

そうやって長い一日の始まりがスタートした。

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2007年01月24日

和光市「極楽湯」

全国に直営事業の温泉処を展開している「自然堂」の温泉施設が和光市にある。

2004年7月に開店した「極楽湯 和光店」は、国道254号線の和光陸橋交差点から笹目通りを南下したところで営業している。埼玉との県境に位置するので、駐車場には都内からのナンバーも目立つ。

施設は、内湯が1つあるほか、ジェットバスとタワーサウナ、そして蒸し風呂、露天風呂は岩風呂とひのき風呂、寝湯と多種多様。

泉質はPH7.8のナトリウム系塩化物温泉(弱アルカリ性高張性温泉)で、しょっぱく薄茶色のお湯で、ぬるぬるとした質感が特徴的だ。

露天風呂にある寝湯は、背中に温泉が流れる岩盤に寝ころがって愉しむ設計になっていて、これはかなり気持ちいい。露天風呂の温度が高めなので、火照った身体を休めるのに丁度いいのだ。

また、施設内のレストランはかなり評判が良いそうだ。残念ながら食事処を試したことがないので何もコメントできないけれど、ネットではかなり高得点をマークしている。レジャーランド的な施設なのに、それなりの食事が食べられるという声があった。実際にかなり盛況している。

なお、週末は家族連れで施設全体が混みあうので注意。芋洗い状態寸前になる日があることも。

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極楽湯
埼玉県和光市白子1-7-6
09:00~26:00

<平日>
大人 --\700(会員\650)
小人 --\300(会員\250)

<土日祝日>
大人 --\900(会員\850)
小人 --\350(会員\300)

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2007年01月19日

Aphorism [嵐山光三郎]

時代を背負いつつ回転していく宇宙には、大まかにわけて、三つのステイションがある。

一つは思想の駅、もう一つは感性の駅、もう一つは生活の駅です。

これらは、いつの時代もそれぞれの客を乗せたり降ろしたりしているわけですが、60年代は、思想ステイションの乗降客が多くてね。あのころ、『思想の科学』という雑誌があって私も熱心に読んでたけど、70年代に入ると、とたんにつまらなくなった。

「思想に科学なんてあるのかよ。思想にあるのは流行だけじゃないの」とか言ったりした。

それは、70年代は、感性ステイションの乗降客が多くなったんですよね。

禅なんか感性ステイションの助役だな。いろんなわかんないことがあって、山の洞穴で座禅し、諸国を旅し、滝にうたれ風雨にうたれ、風を食らい水辺に宿してなお悟れなかったある日、風鈴がチリンと鳴ったのを契機に大悟する、という。よくあるじゃないですか、こういうの。

感性は思想を凌駕するわけですが、生活によって凌駕される。で、生活は、また思想によって凌駕されるという三つどもえですね。

70年代の感性の時代を経て、80年代は生活の時代。

これは、そのうち、思想によって凌駕される運命にある、と。


嵐山光三郎(作家) 『「若者たちの神々Ⅳ」(筑紫哲也との対談集)』

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2007年01月18日

阿佐ヶ谷・野方「馬鹿豚や」

JR阿佐ヶ谷駅北口を中杉通り沿いに徒歩5分に1号店、西武新宿線野方駅徒歩2分のところに2号店がある「馬鹿豚や」。「うましかぶたや」と読むのではなく「ばかぶたや」と読むのが正解らしい。

「ぽんこつや」で修行を積んだ主人が作るラーメンは、あっさり系とんこつラーメン。ベースとなるタレは醤油味と塩味の2種類が選べる。

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写真は、こってりつぶつぶ背脂ラーメン醤油味(630円)。

つぶになった粒状の背脂がスープの表面にまんべんなく浮くラーメンだ。

評判どおり、とんこつはクセのないあっさり系で、とんこつ独特の香りはそれほど漂わないマイルドな感じである。醤油だれが生かされたスープの味は濃い目で旨みが凝縮されている。浮いている背脂がコッテリ感を演出。焙煎で焼き固めたという細い半生麺は歯応えがあるので、固めの麺が好きな人に向いているだろう。

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こちらは、全入りの馬鹿豚やラーメン醤油味(990円)。

まるまる一枚の巨大海苔に始まり、角煮2つ、味付け玉子1つ、そしてさらにチャーシュー、メンマ、青ネギどっさり、モヤシ・・・と具材が全員集合なラーメン。食べた友人の感想によると、見た目そのまんまな勢いで、ハンパなく食べ応えがあるとか。


馬鹿豚や
杉並区阿佐ヶ谷北4-4-8 藤井ビル1F
11:30~翌03:00
無休

中野区野方5-25
11:30~15:00 18:00~24:00 
月曜休み

ラーメン(塩・醤油) --\580
こってりつぶつぶ背脂ラーメン(塩・醤油) --\630
ピリ辛ラーメン(塩・醤油) --\680円
味玉ラーメン(塩・醤油) --\680
もやしラーメン(塩・醤油) --\680
馬鹿豚やラーメン(塩・醤油) --\990
替玉 --\100

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2007年01月17日

新宿「一坪ラーメン」

新宿歌舞伎町、日本屈指の歓楽街。他人と他人がすれ違う街。今日も何処かでドラマが生まれ、笑い声が空にこだまし、泣き声が地面に落ちる人情レスな東京砂漠・・・。

と、まあ、テレビでこういうナレーションがおなじみの新宿歌舞伎町。街の中心に位置するコマ劇場の裏側、新宿ロフトワンの向かいにあるのが、「新宿 一坪ラーメン」。

名前の通り、一坪(3.3平方米)あるかどうかの猫のひたいのような狭い、カウンター4席ほどのとんこつラーメンの店だ。

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とんこつラーメン(600円)。

新宿生まれの名物ママさんが作るラーメンは、可もなく不可もなく普通のとんこつラーメンである。わざわざ新宿にまで出向いて食べるほどでもない。

しかし、新宿で一杯呑んだ後に食べたりすると、あっさりとした風味なので、旨かったりもする。自家製だというおにぎりもなかなか。そういう道ばたの味である。ぶらりと立ち寄って肩肘張らずに食べるのには手ごろだ。

そのせいか、店内にはビッシリとホスト達の名刺が貼られている。店の裏手には日本最大のホストクラブが軒を並べている。聞けば、仕事帰りに寄り、ラーメンを啜っていく若いホストが多いのだとか。ゲンを担ぐのか、自分の看板でもある名刺を皆揃って貼っていく。新宿らしい光景である。

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新宿 一坪ラーメン
新宿区歌舞伎町2-36-3
21:00~14:00
月曜、定休

とんこつラーメン --\600
チャーシューメン --\800
替え玉 --\100
おにぎり --\150

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2007年01月16日

肉タリアン or ベジタリアン?

いまからおよそ10年以上前の95年頃~98年ぐらいまで、似非ベジタリアンな生活を営んだことがある。

どうして似非ベジタリアンなのかというと、正式なベジタリアンは野菜中心の生活で、肉類魚類は決して食べず、マギーブイヨンの成分表示にある<チキンエキス>の表記に眉をひそめるのがモノホンということになるのだが、僕は肉類こそは自主規制して食べなかったけれど、魚類は制限を設けないで食べていたし、<チキンエキス>的なラーメンなどもガツガツ食べていたので、肉を食べない似非ベジタリアンと自嘲気味に自称していた(一方、肉大好きなやつらを「この肉タリアンどもめ」とジョーク交じりに誹謗していた)。

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初めてインドに着いたのはニューデリーと呼ばれるガラクタみたいな街で、僕が目にする95%ぐらいの人達は路上生活者で、道端には牛が大量にいて大量に糞尿を撒き散らし、老婆や子供が「バクシーシ、バクシーシ」と施しを求める始末だった。

そして、ニューデリーの市街地にメインバザールと呼ばれる旅人達が泊まる安宿が並ぶ路地があり、デリーに滞在するバックパッカーは、みなそこを目指すわけだが、僕もボンベイに移動する束の間の数日間はそこを拠点にして生活した。

竹下通りが洪水に見舞われた直後だったら、ちょうどこんなヨレ具合じゃないかというメインバザールはインド人の生活拠点でもあったから、屋台や洋服や雑貨屋が軒を揃えて活気よく喧騒をまいていた。そんな店が立ち並ぶ一店舗に肉屋があって、僕はインド到着後の翌朝にその肉屋を目撃した。

インド人は牛を神様だと思っている人たちなので、肉屋には牛が並ばない。ついでにインド人にとって豚というのは便所に住む動物なので、豚も肉屋には並ばない。そのかわり羊と鶏が肉屋に並ぶ。マトンとチキンだ。

マトンは巨大な頭がぶった切られて脳味噌パッカリ状態で店先に陳列していた。そして鶏は片足が紐で結ばれて首がない状態で同じように陳列していた。で、そこで僕が見たのは日本の肉屋では決して考えられないだろう光景だった。

肉類に群がる大量の蝿。中には肉自体が真っ黒なんていう恐ろしいマトンもあった。衛生状態もへったくれもない。エントランスフリーな蝿達である。

それを見た瞬間、僕は胃の底がキュンと甘酸っぱくなってしまった。もちろん蝿を見た瞬間に中学生の淡い初恋がフラッシュバックして思い出だされたとかではなく、言葉通り吐き気を催したのだ。

なぜなら僕が昨夜の深夜23時にインドに到着して初めて食べた食べ物は屋台で売られていたチキンバーガーで、肉屋の鼻の先で店を開いていたからである。

その目撃経験がショックとなって、以後、インドでは肉類を食べなくなった。

ゴアと呼ばれるヒッピータウンのチャポラに死ぬほどチキンカレーが旨い店があると話題をかっさらたけど、僕が注文するのはいつだって「ベジカレー、ワン」であった。

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そして自身の脳味噌自体がカレー色に染まって耳穴からマサラパウダーがほじくれるぐらい、<インドな僕>状態で帰国した後、今度は日本でも肉類が食べられなくなった。

青山正明の著書にヨガで身体を浄化しすぎて肉類を受け付けなくなって、ひさびさに肉類を食べたら一晩中嘔吐でのたうち回った男のエピソードが載っているが、それと同じ症状になったのだ。

つまり、日本に帰国後、肉をちょっとでも食べると気持ち悪くなるのだ。

当時の体重は激減して50キロを下回り、世の中はオウムが捕まって間もないころである。若干20歳ぐらいの男子が肉を食べずにボロ布を纏い「神様がどうしたこうした」と騒ぐのだから、さぞや家族や友人は胸を痛めたことだろう。

ところが焼肉や野菜炒めに入っている肉、そして生姜焼きを食べられなくなっていても、なぜか、これだけは食べられるという矛盾な特別な肉が存在した。

海外に長らく滞在していると日本食がどうしても恋しくなり、いてもたってもいられないときに夢にまで登場した食べ物だ。

梅干が食べたいとかカツ丼が食べたいとか味噌汁が呑みたいという風になり、だんだん日本食への憧憬が高まるのだ。でも案外、カツ丼や味噌汁程度なら海外でもまずまずのが食べられる。

それでも、レアすぎて無理でしょという食べ物も当然あった。要するに入手しがたいし、入手できても大した美味しさじゃないのである。

僕にとって海外に滞在していて食べたくなるのは、明太子ごはんとお茶漬け、そして吉野家の牛丼だ。

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インドやネパールのゴミ山の片隅で明太子ご飯と牛丼のことを決して想像してはいけない。これは旅の大きな知恵だ。

ほかほかに炊き上がったコシヒカリの上に贅沢なまでに乗っかる濃いピンク色をした大粒の明太子。

こういうのを一度でも考えてしまうと悶絶する羽目になる。よく、M嗜好の旅人は「日本食を想像していてもたってもいられなくなるのって堪らないよね」なんてドミトリー部屋で嬉しそうにエヘエヘ話して時間を潰す。僕はS嗜好なので、そういうのを想像すると、ただ単純に辛い。

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とにかく、吉野家の牛丼はノンベジ(要するに肉のこと)/ベジを超えた崇高な食べ物であり、ソウルフードであり、日本食を代表する母国の味なのだ。

「並、玉子」の声と共に到着する牛丼。

飴色にて輝く牛肉ととろける玉ねぎ。そして生卵をかき混ぜ、どんぶりに投入し、お好みの量で乗せる紅生姜と唐辛子。

吉野家の素晴らしを表現するとしたら、ほんとに涙が出るくらい旨い。まさにこの一言に尽きる。

牛丼のつゆと一体化する生卵。単なるアクセントに留まらない計算されつくした紅生姜。

僕にとってどうしてか母国の味なのである。

そしてこれだけは帰国後に食べたって気持ち悪くなることは決してない不思議な食べ物なのだ。

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2007年01月15日

新年のつどい

Macutie>や<60%Water> の日記にエントリがすでにあるように、先週の金曜、錦糸町の「阿房山」という、駅から微妙に距離があるので初めて行く人は必ず「これって道が合っているのかな?」と不安になりそうな店(といっても8分くらい。店の雰囲気よしで、しかも歩いて辿り着くだけの旨さがある)で新年会が催された。

ほんとは忘年会で顔をあわせているはずだった面々との久々の再会。年末はピンキーストリートに余念がなくて参加できない人がいたり、網走に出張で仕事に行く人が準備で忙しかったりしたから、予定がイマイチ組み込めなく、新年会にスライドしたのだ。

ところで、こういった忘年会や新年会という暦上の代表的呑み会─年末年始の誰もが馴染み深いレギュラーイベント─に漂う空気というのは、一種独特の赴きがあると前々から思っていた。

たかだか10日か2週間程度の時間を隔たるだけなのに、その2つのイベントの雰囲気がおよそ考えうる限りガラリと性質を変えるのは、なんだかすごいんじゃないだろうか。

12月31日→1月1日も同様で、大晦日に流れる厳かな締めの空気や今年1年をまとめるケジメ的な感覚、そしてせわしない歳末の雰囲気が、たった翌日で、一気にめでたくなって、まるで肩の荷が降りたように晴れやかに弛緩して、皆がそろって「おめでとうございます」と挨拶する急激な変化は見ごたえがある。

年末年始なんて24時間内に行われる<時間経過>で人々の心情が一瞬にして変化するのだ。こんなのって1年365日のうちに2日間だけしかない。

忘年会と新年会は、たとえ同じメンバーで集まっても、その場が持つムードは違うのだ。それも下手したら先々週に会ったメンバーとかなのに。

なんというか、こういうのを考えると<区切り>というのは、たとえ便宜上にカレンダーの上でつかめる表象的なものであったとしても大切だなぁなんて思ったりもする。

もしこれが仮に、<暑い><寒い><雨がよく降る><晴れ><曇り>などの断続的な現象を捉えて生活していたら ひどく曖昧になって疲れちゃうんじゃないかと思う。淀みなく流れゆく時間にだって<リセット>が必要なのだ。それが便宜上であったとしても。

そういうことで新年会@錦糸町。

集まったのは新旧のおでんメンバー。

黒の木材が基調のシックなお店の2階にある座敷に陣取る。

仕事が立て込んだりで、吉野家さんが遅くに到着だったけれど、美味しく楽しく和やかに進み、「この唐揚げマジうめぇ」とか「10万のお手当て貰ってオヤジと食事をするのは果たして正しのだろうか」など話題も豊富なあっという間の4時間半。

カメラを持ち合わせていなかったのが残念。錦糸町のヨドバシカメラで使い捨てカメラを買っとけばよかったと今になって気がつく。

そして10万円のお手当て貰えば食事だけでは済まないだろうという予感も今になってよぎる。

絶対にオヤジが考えているのは、お得なセットがばっちり揃った<コミコミ・プラン>だって。

創作中華 阿房山
墨田区亀沢4-16-17
月~土 11:30~14:00(L.O.)
     17:00~23:00(L.O.)
日・祝  11:30~23:00(L.O.)

詳細

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2007年01月12日

Ancient Herbs & Mordern Medicines : January 2007

PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are

1.Ayuse Kozue - Pretty Good (TOYS FACTORY)
2.Ayuse Kozue - Boyfriend (TOYS FACTORY)
3.宇多田ヒカル&スチャダラパー - 今夜はブギーバック (*unreleased)
4.Transwave - Rezwalker (MATSURI PRODUCTIONS)
5.House of Pain - Jump Around (RHINO)

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2007年01月11日

プチ断食トラバ当選!(当選No2433 )

以前、当ブログでエントリ(プチ断食セット#1プチ断食セット#2プチ断食セット#3)しました「ケンブロ」の「ウィークエンドデトキシプログラム」のトラックバックコンテストの発表が07年01月11日にありました。

プチ断食のセットを試して記事にし、トラックバックを送るというもの。優秀な記事は当選すると1位がVISA商品券5万円分で、2位がVISA商品券3万円分が貰えて、それどころか商品のモニターになっているしと、かなり豪華なコンテスト。

その大会で、なんと驚き桃の木20世紀(以下、ブリキにタヌキに洗濯機と続く)、僕のブログが3位に入賞しました!


当選者発表記事


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しかも100人募集&応募していたから、100人中3番目ってことかな?

すげー。ちなみに3位はVISA商品券1万円分。

かつては某サイトの査定サービスでゼロ円ブログだのなんだのと囁かれ、冷遇されていたPSYBABA.NETも遅ればせながらに、輝かしい花道への第一歩を踏みだしたようです。

きっと、年内には「PSYBABA.NETさん、いつもサイトを楽しく見ています。これからも楽しみにしています。ラブ」みたいなファンレターだって届くこととなるでしょう。

ところで、断食の効果は今年も継続しているよ。年末年始に忘年会やら新年会があったけど、摂取量を抑えるようになったのが素晴らしい。あとは運動すれば身体が引き締まりそうだ。このプログラムはかなり気に入ったので、また「ウィークエンドデトキシプログラム」を試してみようかな。

おっと、当選番号は 当選No.:2433 です。

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2007年01月10日

三田「たけちゃん」

JR田町駅から徒歩3分、都営三田線三田駅から徒歩2分、慶応通り振興会という商店街の入り口にあるのが「たけちゃん」。

いま、一番関東で旨い串揚げが食べられる店だと評判が評判を呼んでいる。大阪スタイルの「たけちゃん」は立ち呑みのカウンターと幾つかのテーブル席がある店で、串揚げが90円~という安さが魅力的なのである。

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「たけちゃん」のシステムはというと、頼みたい串揚げを備え付けのメモ用紙に書いて渡すというシンプルなもの。テーブルに素っ気なしにおいてあるキャベツ、これは無料でおかわり自由だ。箸休めや串揚げと一緒に頬張るのが宜しい。

ただし、ステンレスの器にたっぷりと注がれているソースは、開高健のエッセイにも登場するように「2度づけ禁止」だ。

なぜなら、途中まで齧った串揚げをソースにつけたら他のお客様に迷惑が掛かるから。

関西じゃあたりまえのこのユーモラスな標語、本来は<衛生面>を考えたための言葉なのに、大阪人の商売人根性というかドケチ根性を意図的に意識して「ソースっちゅうもんはなぁ、2度もつけたらアカンでぇ」とも言っているようで面白い。誰が最初に考えたんだか、さすがである。

なお、ソースのつけ具合が足りなくて困った場合の対処方法、ズバリ、くだんのキャベツをスプーン代わりにしてソースを掬う、という技である。

まあ、とにかくソースは「2度づけ禁止」。

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さて、ここの串揚げは、何を頼んでも安くて旨いわけだけれども、ぜひ大阪の店ということで(たけちゃんのお母さんは、大阪で串焼きの屋台を経営している)、「どて焼き」を食べていただきたい。

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どて焼き(1本 100円)。

「どて焼き」は東京ではまるで知られていない食べ物といった感があるが、西日本、特に関西ではポピュラーな食べ物で、屋台で売られているジャンクなフードだ。牛すじが味噌で煮込まれていて、串にささっているのが一般的だろう。

七味をぱらぱらと振りかけてアツアツを頬張るのは至極の幸せというもの。

すじとは思えない柔らかい牛肉はモッチリとしていて味噌ダレがたっぷり染みている。これが100円だ。

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そして串揚げ。

全部が全部美味しいので、メニューでピンときたらアレコレ考えずに頼んでみたほうがいい。

きめの細かいパン粉が稀有なサクサク感を演出する。そして黄金色の、ピチピチと愉快な音を奏でる衣から覗く新鮮な食材の数々。

湯気がもうもうと立ち込めている串をソースにジュっとつける。サックサクに揚った串揚げとキュンと冷えた生ビール。もう、それで十分なのである。

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たけちゃん
港区芝5-20-19
16:00~22:00
土曜、日曜、祝日、定休

串揚げ --各\90~\210
生ビール --\420
瓶ビール --\550
サワー --\300
酒 --\420

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2007年01月09日

アクアリウム生活

大家さんと僕の2世帯だけが住む家で、大家さんに「いつもうるさくしてすみません」と家賃をお渡しする時に謝ると、「いーの、いーの、ウチは老夫婦だから、多少ぐらい賑やかなほうが安心するよ」と心温まるお言葉を頂戴している我が家は、一応、ペットを飼うことは契約上では<不可>となっているとはいえ、正直なところ、大家さんに聞いてみると快く了承してくれそうである。

圧倒的に猫が大好きなので、飼うとしたら断然<猫>と決めている。

ただ、猫にとって我が家で飼われるということは、果たして<幸せ>なのかと考えてしまうと、いまひとつ踏み切ることができない。猫にだって猫なりの人生(?)があるのだから僕の選り好みで決めたりするのは酷というものである。

もちろん、これ以上、大家さんにご迷惑を掛けることもできないというのも大きな理由だ。

ペットを飼う場合、犬・猫・鳥の障害は、やはり鳴き声と壁などの破損に尽きるだろう。逆に言えば、大家さんが大目に見てくれるとか、敷・礼金に劣化部分の補填が含まれていれば、賃貸ではペットOKとなるようである。

犬・猫・鳥以外となると、爬虫類とか昆虫とかハムスターとかになるわけだが、個人的にはいまひとつピンとこない。僕の友人にイグアナだかカメレオンだかを数匹育てていて、アフリカにしかいないような巨大な毒グモを「うん、可愛い」と目尻を下げてる輩がいるが、その可愛さというのが1ミリも理解できないのである。

別に嫌悪感があるとか気持ち悪いとかではなくて(見たら見たで、しっかりと昂奮して騒ぐ)、なんていうか自分が飼うとなると「わざわざ飼わなくてもいいんじゃないの?」と思ってしまう。こういうのは個人的嗜好だからしょうがない。

そして、ハムスター。小学3年生の時に飼っていたハムスターとモルモットが近所の野良猫に食われてしまった僕は、わんわんと泣いて、相当ショックだったので、その2匹については、思い出しちゃうから飼おうと思わない。

ところで僕の高校時代の友人は、昔フェレットを飼っていて、半年ぐらい餌付けしてだいぶ馴らしたと思い、世田谷の砧公園に放してみると一目散に逃げ去って、二度と帰ってこなかったという哀しい物語を持ちあわせている。閑話休題。

まあ、そうした紆余曲折の末に、ついに熱帯魚を飼うことにした。

といっても、単純に熱帯魚を水槽で飼うのではなく、アクアリウムを始めたのだ。

アクアリウムは、簡単に説明すると、水槽の中でプチ自然界な環境を構築して、鑑賞に重点を置いた飼育方法をし、水草や砂や流木、果ては石などを配置し、水槽の中に森や庭の景色を再現させて魚を泳がせて愉しむ共存生活である。

帰結した空間で自然を演出するので、水草を育てるための照明やエアレーション(ブクブクのことね)、苔取りやら水質調整・水温調整などが必要で、<たかが水槽、されど水槽>という風にハマると奥深いのが特徴的だ。

アクアリストの中には自宅の停電を心配して、万が一のためにUPSまで準備しているコアな好事家もいるようである。

我が家では年末のクリスマスに照明や循環器の一式がセットになっているコトブキ工芸の一体型の45センチの水槽をネットで購入した(2万ちょい)。そして砂と数種類の水草もそろえた。

さらに新宿のサブナードにある「アクアフォレスト」で、流木と石を購入(ちなみにアクアフォレストの水槽は本当に素晴らしい。一見の価値がある。職人芸だ)。

水道水を水槽に使用するので、毒を抜いたり塩素を飛ばしたりと、本来は水質が安定するまで数週間かかるのだけれど、PHチェックしてみたら、案外イケそうだったので、ヤマトヌマエビという西日本の沼にいるエビと、アカヒレという魚、そしてプラティという熱帯魚を放流した。水草にくっついていたタニシも仲間入り。

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こうしてアクアリウムが出来上がった。自然サイクルを作り出すには、1個体に留まらず、苔や残り餌を食べる掃除屋のエビやタニシを飼うのがコツなのである。

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↑エビちゃん。Matrixに出てくるセンティネルのような動きをする。

完成したアクアリウムは、素晴らしい。自分で言うのもなんだが、流木がナイスだ。水草はちゃんと育てれば、どんどんと増えるので、春に向けては、流木の周りが緑でいっぱいになるだろうと想像する。その中を熱帯魚が泳いだり、地面でエビが遊んでいたりするのだ。これはもう、究極である。

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2007年01月01日

アッシジの聖フランチェスコの祈り

一年の計にマザーテレサが好んだという聖人の詩を抜粋。出典「アッシジの聖フランチェスコ」


主よ、あなたの平和をもたらす道具として、私をお使いください。
憎しみのあるところには、愛を
不当な扱いのあるところには、一致を
疑惑のあるところには、信仰を
誤っているところには、真理を
絶望のあるところには、希望を
暗闇には、光を
悲しみのあるところには、喜びを

もっていくことができますように

慰められることを求めるよりは、慰めることを
理解されることよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを

求める心をお与えください
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