2007年01月16日

肉タリアン or ベジタリアン?

いまからおよそ10年以上前の95年頃~98年ぐらいまで、似非ベジタリアンな生活を営んだことがある。

どうして似非ベジタリアンなのかというと、正式なベジタリアンは野菜中心の生活で、肉類魚類は決して食べず、マギーブイヨンの成分表示にある<チキンエキス>の表記に眉をひそめるのがモノホンということになるのだが、僕は肉類こそは自主規制して食べなかったけれど、魚類は制限を設けないで食べていたし、<チキンエキス>的なラーメンなどもガツガツ食べていたので、肉を食べない似非ベジタリアンと自嘲気味に自称していた(一方、肉大好きなやつらを「この肉タリアンどもめ」とジョーク交じりに誹謗していた)。

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初めてインドに着いたのはニューデリーと呼ばれるガラクタみたいな街で、僕が目にする95%ぐらいの人達は路上生活者で、道端には牛が大量にいて大量に糞尿を撒き散らし、老婆や子供が「バクシーシ、バクシーシ」と施しを求める始末だった。

そして、ニューデリーの市街地にメインバザールと呼ばれる旅人達が泊まる安宿が並ぶ路地があり、デリーに滞在するバックパッカーは、みなそこを目指すわけだが、僕もボンベイに移動する束の間の数日間はそこを拠点にして生活した。

竹下通りが洪水に見舞われた直後だったら、ちょうどこんなヨレ具合じゃないかというメインバザールはインド人の生活拠点でもあったから、屋台や洋服や雑貨屋が軒を揃えて活気よく喧騒をまいていた。そんな店が立ち並ぶ一店舗に肉屋があって、僕はインド到着後の翌朝にその肉屋を目撃した。

インド人は牛を神様だと思っている人たちなので、肉屋には牛が並ばない。ついでにインド人にとって豚というのは便所に住む動物なので、豚も肉屋には並ばない。そのかわり羊と鶏が肉屋に並ぶ。マトンとチキンだ。

マトンは巨大な頭がぶった切られて脳味噌パッカリ状態で店先に陳列していた。そして鶏は片足が紐で結ばれて首がない状態で同じように陳列していた。で、そこで僕が見たのは日本の肉屋では決して考えられないだろう光景だった。

肉類に群がる大量の蝿。中には肉自体が真っ黒なんていう恐ろしいマトンもあった。衛生状態もへったくれもない。エントランスフリーな蝿達である。

それを見た瞬間、僕は胃の底がキュンと甘酸っぱくなってしまった。もちろん蝿を見た瞬間に中学生の淡い初恋がフラッシュバックして思い出だされたとかではなく、言葉通り吐き気を催したのだ。

なぜなら僕が昨夜の深夜23時にインドに到着して初めて食べた食べ物は屋台で売られていたチキンバーガーで、肉屋の鼻の先で店を開いていたからである。

その目撃経験がショックとなって、以後、インドでは肉類を食べなくなった。

ゴアと呼ばれるヒッピータウンのチャポラに死ぬほどチキンカレーが旨い店があると話題をかっさらたけど、僕が注文するのはいつだって「ベジカレー、ワン」であった。

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そして自身の脳味噌自体がカレー色に染まって耳穴からマサラパウダーがほじくれるぐらい、<インドな僕>状態で帰国した後、今度は日本でも肉類が食べられなくなった。

青山正明の著書にヨガで身体を浄化しすぎて肉類を受け付けなくなって、ひさびさに肉類を食べたら一晩中嘔吐でのたうち回った男のエピソードが載っているが、それと同じ症状になったのだ。

つまり、日本に帰国後、肉をちょっとでも食べると気持ち悪くなるのだ。

当時の体重は激減して50キロを下回り、世の中はオウムが捕まって間もないころである。若干20歳ぐらいの男子が肉を食べずにボロ布を纏い「神様がどうしたこうした」と騒ぐのだから、さぞや家族や友人は胸を痛めたことだろう。

ところが焼肉や野菜炒めに入っている肉、そして生姜焼きを食べられなくなっていても、なぜか、これだけは食べられるという矛盾な特別な肉が存在した。

海外に長らく滞在していると日本食がどうしても恋しくなり、いてもたってもいられないときに夢にまで登場した食べ物だ。

梅干が食べたいとかカツ丼が食べたいとか味噌汁が呑みたいという風になり、だんだん日本食への憧憬が高まるのだ。でも案外、カツ丼や味噌汁程度なら海外でもまずまずのが食べられる。

それでも、レアすぎて無理でしょという食べ物も当然あった。要するに入手しがたいし、入手できても大した美味しさじゃないのである。

僕にとって海外に滞在していて食べたくなるのは、明太子ごはんとお茶漬け、そして吉野家の牛丼だ。

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インドやネパールのゴミ山の片隅で明太子ご飯と牛丼のことを決して想像してはいけない。これは旅の大きな知恵だ。

ほかほかに炊き上がったコシヒカリの上に贅沢なまでに乗っかる濃いピンク色をした大粒の明太子。

こういうのを一度でも考えてしまうと悶絶する羽目になる。よく、M嗜好の旅人は「日本食を想像していてもたってもいられなくなるのって堪らないよね」なんてドミトリー部屋で嬉しそうにエヘエヘ話して時間を潰す。僕はS嗜好なので、そういうのを想像すると、ただ単純に辛い。

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とにかく、吉野家の牛丼はノンベジ(要するに肉のこと)/ベジを超えた崇高な食べ物であり、ソウルフードであり、日本食を代表する母国の味なのだ。

「並、玉子」の声と共に到着する牛丼。

飴色にて輝く牛肉ととろける玉ねぎ。そして生卵をかき混ぜ、どんぶりに投入し、お好みの量で乗せる紅生姜と唐辛子。

吉野家の素晴らしを表現するとしたら、ほんとに涙が出るくらい旨い。まさにこの一言に尽きる。

牛丼のつゆと一体化する生卵。単なるアクセントに留まらない計算されつくした紅生姜。

僕にとってどうしてか母国の味なのである。

そしてこれだけは帰国後に食べたって気持ち悪くなることは決してない不思議な食べ物なのだ。

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投稿者 ko : 2007年01月16日 19:19 | トラックバック(0)
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