まだ1980年にも満たない頃(こうやって書くとどうも前史的な響きがあるけれど、僕はもう6歳ぐらいにもなる。やれやれ)、四谷左門町に「うな浜」という鰻屋があった。
魚屋の「魚竹」の真向かいに位置する平屋姿の鰻屋さんだ。
太陽がよく照らされる窓から、香ばしい、炭で焼かれた鰻の香りがいつも天高く伸びていて、土曜日や日曜日に近所だったことから足を伸ばして食べに連れて行ってもらった。
畳のある座敷があって、下町らしい路地を眺めながら鰻を食べた記憶がある。
その後「うな浜」は、荒木町に移転した。
荒木町に移転しても、同じように香ばしい煙を天高く巻き上げて、毎日賑わっていたようだ。
僕は荒木町に移ってからの「うな浜」は大学を過ぎてからしか食べたことがないけれど、十年以上も時を経て久しぶりに訪れ、変わらないその活気ぶりに目を細めたものだ。
安い値段と丁寧に焼き上げた鰻が魅力的な店である。
荒木町に相応しい鰻屋、そんな風な佇まいだった。
だんだんと大人になるにつれお酒を酌むようになると、荒木町は非常に居心地の良い街として僕のなかで存在するようになった。
ゆったりとした時間の流れと静かでありながら、決して陰気ではなく華やかさもある。かつて花街だったというのが頷ける。要するに粋(いき)でいなせな街なのだ。
街のいたるところに猫が潜んでいるのも素敵なのだ。
四谷は猫の多い町としても実は有名である。
ほんと、とてもじゃないが、荒木町の居心地のよさや、一軒一軒の個性的な店柄、隠れた名店を知ってしまうと、渋谷や新宿や銀座に足を運ぶなんて思わなくなる。
さて、前述した「うな浜」だが、残念ながらに2006年2月24日にその歴史を閉じた。
古い趣に溢れた、およそ新宿区とは思えないその鬱蒼とした由緒ある雰囲気がいまとなっては非常に懐かしい。
「うな浜」で鰻を食べるという行為には、『よーし、今日は鰻だからな』という熱気があった。
お店の中もバブル前の活気があった時代から受け継がれたシンボルのようで、僕らの心の拠りどころだったのだ。
昨晩、なんとなく気になり、店の前を通ったのだが、真っ暗な入り口があるだけで、当たり前だけどもう煙が立ち込めることはなかった。
一瞬、何かが僕自身を捉え、小さく揺さぶった。
かつて何処かで同じような気持ちになったことがあったのを思い出したけど、それが何処でどんな時なのか思い出せなかった。
たぶん、何かを失い、なんとなく寂しくなったことがあったのだろう。
ただそれだけだ。
そのスミス社がおよそ100年前ほどから1967年ぐらいまで製造していた名作中の名作である壁掛け時計(現在は製造中止。市場にもあまり出回らない)を、ロジャー・ラッセルズという人物が〝歴史から消失させるのはあまりにも痛手だ〟ということでライセンスを取得し、当時そのままの時計を再現したのがこの「レトロウォールクロック」。
英国はもとより海外でも親しまれているモダンなデザインだ。
アイボリーの丸い壁掛け時計に、黒いビビットな文字盤と赤い秒針。
秒針はカチカチ音がしないので煩わしくない。美しい商品は時代を超えていつまでも愛される。赤や黒の本体もあるけれど、飽きのこないアイボリーが良い。
雑貨店、ネットショップで、8500円程度~。
木がそこに立っていることができるのは
木が木であってしかも
何であるかよくわからないためだ
木を木と呼べないと
私は木すら書けない
木を木と呼んでしまうと
私は木しか書けない
でも木は
いつも木という言葉以上のものだ
或る朝私がほんとうに木に触れたことは
永遠の謎なのだ
谷川俊太郎『木』(詩人)
クラッシュ【2004年 アメリカ】
監督:
ポール・ハギス(Paul Haggis)
キャスト:
ジーン --サンドラ・ブロック(Sandra Bullock)
グラハム --ドン・チードル(Don Cheadle)
ライアン巡査 --マット・ディロン(Matt Dillon)
リック --ブレンダン・フレイザー(Brendan Fraser)
キャメロン --テレンス・ハワード(Terrence Howard)
リア --ジェニファー・エスポジート(Jennifer Esposito)
フラナガン --ウィリアム・フィクトナー(William Fichtner)
アンソニー --クリス・“ルダクリス”・ブリッジス(Chris 'Ludacris' Bridges)
クリスティン --タンディ・ニュートン(Thandie Newton)
ハンセン巡査 --ライアン・フィリップ(Ryan Phillippe)
ピーター --ラレンズ・テイト(Larenz Tate)
カレン --ノーナ・ゲイ(Nona Gaye)
ダニエル --マイケル・ペーニャ(Michael Pena)
シャニクア --ロレッタ・ディヴァイン(Loretta Devine)
ファハド --ショーン・トーブ(Shaun Toub)
グラハムの母 --ビヴァリー・トッド(Beverly Todd)
ディクソン警部補 --キース・デヴィッド(Keith David)
ドリ --バハー・スーメク(Bahar Soomekh)
フレッド --トニー・ダンザ(Tony Danza)
「ミリオンダラー・ベイビー」のポール・ハギスが贈る群像劇。人の心と心がぶつかることのないロスを舞台に、ある晩に起きた一件の衝突事故をキッカケに次々と運命を狂わされていく人々。
この映画の鑑賞後、何の脈略もなしに僕の身の回りに起こったある出来事を思い出した。
こんな話だ。
僕が16歳の時に、中学高校と一緒に進級した友人の父親が亡くなった。悪性の胃がんが原因で、入院してから僅か数ヶ月の出来事だった。僕らは入院したんだよねというあたりまでは知っていたけれど、まさか癌だったとは聞いていなかった。つまり、まだ高校一年生だったその友人にも父親が癌であること、その命が残り少ないということは最後まで伏せられていた。
クラスはもとより、学年中でお騒がせな目の外せない愉快な彼の家族に起きた悲劇だった。
そして、彼の父親が亡くなったその晩に友人から一本の電話が掛かってきた。
「なぁ、俺のお父さん、死んじゃった」
僕と彼を含め、だいたい5人6人で毎日ツルんで遊んでいたので、僕らは非常に仲が良かったわけだけれど、なんとなくこういった電話を受けるのは僕じゃないとおぼろげながらに感じていた。
僕と彼とはバカ騒ぎをして日々を過ごす仲間だったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。そこにはシリアスな感情が存在しなかった。
突然の電話と、普段の彼には程遠い重たい声に、僕は驚いてなんと言っていいか分からなかった。
彼は続けた。「とりあえずさ、明日学校は休むから言っておいてくれないかな」
「分かったよ。俺がちゃんと言っておくから。それは大丈夫だよ」
居間で電話を取ったからだろうか、家族に聞こえているんじゃないかと、僕は恥ずかしくとも情けない気持ちになり、他人行儀なことを口にした。
僕の家では大きな音でバラエティ番組が流れていてみんながそれを見て笑っていた。
「そっか、ありがとう。なんか迷惑掛けてごめんな」
彼は僕に申し訳無さそうにそう言った。いつもの彼らしくないしおれた声に僕も泣きそうになった。
「それよりさ、ほら、何て言っていいのか・・・」
僕はその言葉を続けられない。なあ、俺らがいるじゃないか、その一言が言えなかった。
僕は彼に何かしらの言葉を向けるべきだったのだ。
彼が涙を堪えて、僕に電話をしてきたその理由を僕は察することはできた。
学校を休むという連絡だけで彼は僕に電話を掛けてきたんじゃない。
彼は何かを求めていたのだ。普段共に生活している友人からの温かい言葉を。
でも、僕はその時の彼に対して、伝えたかった気持ちの何十分の一にも満たない拙い言葉しか掛けることができなかった。
僕は自分が悔しかった。
そして後ろにいる家族を妙に意識しながら電話を切り、一人で部屋に戻って深い悲しみに覆われた。
*
*
15年以上経った今でも時々僕は、僕の古い友人が電話を掛けてきたあの晩のもどかしい気持ちに戻ることがある。
やはり僕は受話器を握っていて自分の伝えたい気持ちのほんの僅かな部分しか伝えられていない。
そして僕は受話器を切る。ガチャン。
僕はまだ受話器を握っている。そんな空虚な気持ちになったとき、僕は愛しい人とただじっと抱き合うようにしている。
映画「クラッシュ」にも、さまざまなもどかしい気持ちを抱えた人物達が登場した。傷つけないように努力し、でも傷つけあわずにはいられない主人公達。彼らには、救いがある場合もあるし、赦しはあるけれど救いがない場合もある。
ただ、彼らは一様に哀しみ、誰かを求め、愉び、そして泣いていた。
伝えたい気持ちを誰かに伝える。L.Aで起きたたった一つの衝突事故が引き起こした物語。あなたは誰に一番近いだろう。
群像劇★★★★★
・安達哲「さくらの唄」
安達哲について語るならば、安達哲ほど、青春漫画のドロドロとした陰鬱的な部分と、泣きたくもなる不変的な淡い思い出を、両サイドから描ける作家はいない。
少年マガジンで連載した「ホワイトアルバム」「キラキラ」で、若者と大人の狭間に生きる切ない高校生の群像を描いて多くの読者をつかんだ。
両作品は、画風こそ80年代後半~90年代初頭の漫画なので、今にしてみれば多少なり古臭いかもしれないけれど、その世界に描かれているのは、つまり、僕らみんなが通過したある時代のある気持ちなのだ。
誰もが抱えている淡い思い出、それがこの2作品は描かれている。
その後、安達哲は少年マガジンからヤングマガジンに活躍の場を移して、衝撃的話題作「さくらの唄」を連載した。
普通の高校生だった市ノ瀬が送ることとなる、まるで普通じゃない生活。
叔父夫婦が市ノ瀬の家に住むことから姉や担任の美人教師を巻き込んで、どんどんと深みに嵌っていく。
単行本の第3巻は大胆な性描写があることから成人指定を受けたことで話題を呼んだ。
鬱屈で不安定な10代の、突き刺さる焦燥を突き詰めている。市ノ瀬が抱えている内面的葛藤は特別なのかもしれないけれど、特別じゃないかもしれない。
僕らはそんな市ノ瀬にシンパシーを感じるだろう。
R指定を受けたことから、どうしてもエロな部分に集中されてしまうが、この作品の楽しくて恐ろしいところは、別のところにある。
残念ながら、それは読まないと分からないはずだ。
「俺(私)って、よく変わってるって言われるんだよねぇ」っていう連中はこれを読んで目を覚まそう。
普通じゃないというのは、これだけ現実と乖離して、孤独で、本人が求める求めないに関わらず引き寄せてしまい、カルマのように付き合わなくてはいけないのだということを知るのにちょうどいい。
[ 奇憚ノベ集 ]
PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are
1.Terminator - Psychedelic High (Vertigo Records)
2.Savage Scream - Wait for the End (Nabi Records)
3.Parasense - Karnataka punk(Third Eye Records)
4.Double Famous - Fire,Fire(Victor)
5.Sigur Ros - Takk... (MCA)
生を授かりXX年、思い起こせば辛かったことも楽しかったことも、いろんな毎日がありました。
気がつけばワタクシも立派な〝大人〟と呼ばれる年齢にまで成長し、同級生の多くは、結婚したり離婚したり、産まれたり転勤したりで、ドラマのような人生を送っているようです。
さて、非常に恥ずかしいながらの告白となりますでしょうか、実はワタクシ、「AKIRA」という非常に完成度の高い作品にうつつを抜かす度合いが少々過ぎているようなのです。
いえ、決してオタクだとかそういうんじゃありません。ワタクシという表象現象における一つの個人が「AKIRA」に出遭ってしまっただけなのです。
ただ、中1のときに薬局で空のカプセルを購入して、その中に10円の粉末ジュース(コーラ味)を詰め込んで『AKIRAのカプセルだぁー』とはしゃいで高校生に殴られたのも、原チャリをパクって金田の真似事して怪我をして捕まったのとかなら限りがございません。
もちろん、いまでは良き思い出です。
まだ青臭かったんですかね。
それとワタクシ、中学生のときにアニメの「AKIRA」でしたら台詞を全部〝ソラ〟で言えました。
おっと、自慢じゃないですよ。勉強もしないでノートに書き記して暗記しただけなんです。
さて、そんな世界の何処にでもたぶんいるだろう「AKIRA」フリークのためのお店が池袋にあるのですよ、これがまた。
店名なんて言わなくても分かるでしょう。
春木屋です。
場所は池袋と少々難儀な場所ですが、もし『やっとモーターのコイルが、あったまってきたところだぜ』という台詞にピンと来る方とか、28番という番号にどうも執着する傾向がある方はぜひこちらに。
えぇ、ワタクシも近日中に・・・。
─春木屋─
大国ロシアでもトランスやパーティの文化的土壌があるのだと教えてくれたのが、97年頃からゴアで台頭したXP。
漫画のおぼっちゃまくんみたいなキャラなのに、パワフルでゴリゴリなサウンドを引っさげてゴア在住の僕らを驚かした。
「とにかくロシアの凄い奴がいるらしい」
それが僕らの97年のゴアを巡る言葉のひとつだった。
それから数年経ったのち、〝ロシアン・コネクション〟と、なんとも秘密警察のような、ロシアンマフィアを彷彿させるような言葉が囁かれるようになる頃、若干20歳にもならない超新星のユニットがトランス界に現れた。
その名もPARASENSE。
大国ロシア、凍土とチェルノブイリとウォッカを代表するサウンドで、暗黒的な力強いトランスだ。
AlexとZolodの2人のParasenseは一気に人気をモノにする。
Acidance Recordsから2001年、2003年にアルバムを出し、当時のパーティシーンではよく掛かっていた。
その後ParasenseはAlexだけのユニットとなり、Zolodは新たにTerminatorというユニットを立ち上げることとなった。
そのZolodが2006年1月4日に母国ロシアで亡くなった。
享年25歳。
早すぎる死だ。
たしかに、彼のパフォーマンスは、死を予感するような、不吉な未来を暗示させる傾向があったし、アーティストには彼と同じように自らの手によって、その命を閉ざす者もいる。
しかし、僕は思う、自分の手で死ぬのだけは駄目だと。それは本当に切ない死なのだ。
彼の遺作である「Spirits Of The Plants」はDeja Vu Recordsから2月にリリースされる。
Rest In Peace, Zolod.
彼の親しい友人達によって、メモリアル的なサイトも立ち上げられている。
─詳細─
Twisted(Hallucinogen : Dragonfonfly Records 1995)
サイケデリック・トランスがまだゴアトランスと呼ばれていた時代にリリースされた不朽の名作。
サイモンポスフォード(Simon Posford)によるユニットHullucinogenが一気に注目を浴びたアルバムである。
95年当時にDragonfonfly Recordsからリリースされたのだけれど、新たに設立されたTwisted Recordsから1999年に出た同アルバムが現在はポピュラー。
基本的にトランスのアルバムは移り変わりが激しくて、それこそ3ヶ月タームぐらいで古い曲になりかねなくて色褪せてしまう場合もある。ところが、このアルバムだけは絶対に古くなることはない。
10年前に製作されたとは思えない完成度である。
なんといっても秀逸なのは5曲目の「Shamanix」。
何回も転調するこの曲で果たしてどれだけのパーティライフを過ごしてきたのか。
歓喜、喝采、野外で叫び、はしゃぐ声が聴こえる。
究極に快感的なメロディ。
トランスやテクノが嫌いな方もぜひ一度この5曲目だけは聴いて欲しい。
I'm fuckin on Fire!!
きっと気に入るはずだから。それぐらいは僕が請け負う。
昔はモラリストとかフィロソファーとかがいて、基本的な命題をじっと徹底的に、自分の頭で追求したんだ、そして自分の声で表現したんだね。
だから、その時代には、あの男は自然についてこう考えているとか、この男は悪魔の存在についてああいう仮説をたてているとか、町の人間がみな知っていたんだ。
しかし今日ではそういうことはない。
もう現代の人間どもは、いろんな基本的な命題については二十世紀の歴史のあいだにすべて考えつくされたと思っていて、自分で考えてみようとしないんだ。
そのかわりに百科事典をひとそろい書斎にかざっておいて安心している。
おれはそれが厭なんだ、本質的なことはみな、いちどおれの頭で考えて、おれ専属の答えを用意しておこうと思うんだ。
大江健三郎『日常生活の冒険』(小説家)
Ray【2004年 アメリカ】
監督:
テイラー・ハックフォード(Taylor Hackford)
キャスト:
レイ・チャールズ --ジェイミー・フォックス(Jamie Foxx)
デラ・ビー・ロビンソン --ケリー・ワシントン(Kerry Washington)
マージー・ヘンドリックス --レジーナ・キング(Regina King)
ジェフ・ブラウン --クリフトン・パウエル(Clifton Powell)
ジョー・アダムス --ハリー・レニックス(Harry Lennix)
ジェリー・ウェクスラー --リチャード・シフ(Richard Schiff)
メアリー・アン・フィッシャー --アーンジャニュー・エリス(Aunjanue Ellis)
アレサ・ロビンソン --シャロン・ウォーレン(Sharon Warren)
アーメット・アーティガン --カーティス・アームストロング(Curtis Armstrong)
盲目の天才、ソウルの神様であるレイ・チャールズの半生を描いた映画。主人公を演じたジェイミー・フォックスは、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞している。
6歳で緑内障で失明したレイは、母親アレサの愛を受けつつ、厳しく育てられ、ピアノを学び、その肉体的ハンディキャップを払拭するように独自の音楽を築きあげていった。シアトルで頭角を表わしはじめ、注目を浴びるようになったレイはデラ・ビーと結婚するが、同時に弟を幼い頃に失ったトラウマと戦うように麻薬に溺れ、複数の愛人を持つようになる・・・。
「Georgia On My Mind(わが愛しのジョージア)」がジョージア州の州歌に選ばれるほど伝説の偉人も、良くも悪くも非常に泥臭い人間であったというのが伺える作品。
驚いたのは、更生施設に入院していた経歴や、愛人との密月の話、デラ・ビーを悲しませたといった物語を映画に盛り込む内容として生前レイ・チャールズが認めていたという点。
輝かしい功績だけを辿らずに、レイのそういった闇の部分まで掘り下げたことによって、観衆は一人の人間の半生として親しみながら観ることになるだろう。
映画に収録されたようなステレオタイプの彼の栄光までの道のりを味わうのではなく、彼の紡ぎだす音楽とは別の物語が彼の人生にきちんとあったんだ、と知る為にこの映画は描かれたような気がする。
体を揺さぶるように歌いだすレイの姿をジェイミー・フォックスが完璧にまで模倣していたのが話題を呼んだ。
黒人霊歌をルーツとして新しい音楽を世に出したミュージシャン、レイレッツ(レイとヤルぜ)という刺激的でファンキーな女性コーラスとの数々の楽曲、つまるところ彼は盲目の天才だったのだ。
でもやっぱり麻薬はイカンね。
自叙伝度★★★★★
どうやら国民の義務のひとつに「納税」というのがあるみたいです。
さっき知りました。
さて、会社に電話してきて、納税を伝える新宿区税務署の職員はとにかくパワフル過ぎ。
1x万数千円の税金なんて一括できないから12分割してくださいと頼んだところ、「税率14%かかりますよ」と笑顔&ニッコリで言い放される始末。
ねぇ、何処に行くの?僕の税金・・・。
ちなみにこれ以上拒否るとオイラ氏のように〝差し押さえ〟を食らうらしい。
Live in Japan(Double Famous : Victor 2003)
リトル・クリーチャーズの青柳拓次、栗原努を中心とした、エキゾチックな、野外でコロコロと転げまわるような気持ちのいいサウンドを奏でる93年に結成したダブルフェイマスに、畠山美由紀、LeyonaやEGO-WRAPPIN'の中納良恵のゲストボーカルを招いて完成したのがこの「LIVE IN JAPAN」。
朝霧JAMなどでも見かける彼らのライブは、本当に本当に蕩けるぐらい気持ちいい。
思わずニタニタ笑ってしまうほどだ。
ハワイアン、アフリカ、レゲエ、ラテン、ソウルを織り交ぜたフリースタイルに脱帽。
春夏秋冬を問わずして陽だまりの中に飛び出したくなるような、すごく気分のいい休日に何処かに出かけたくなるような。
皆さん、J-POPだって捨てたもんじゃないですよ。
今週末に予定されていた精密検査が来週の変更となった。
2日にわたる検査であることから翌日も病院に伺う予定ではあったのだけれど、明日病院が休みだから翌週にしてほしいとのこと。そんな電話を朝の8時30分に掛けてくる病院は果たして大丈夫なのだろうか。
当分派手な遊びや運動は控えなくてはいけないようであるので、関係者各位には、何かとご不便ご迷惑をお掛けしますが、すみませんです。
*
*
古今東西、数ある運動競技のひとつにマラソンという競技があって、つまり延々と走る静かで熱い競技だ。
僕はマラソンは得意(学生時代、マラソン科目でベスト10位を常にキープ)なのだけれど、どうしてか、まるで好きになれない。
たぶん、この先ずーっと好きになれない気がする。得意なんだから続けたらなんて恐ろしい囁きすらあった学生時代、僕は震えるまでとは言わないまでも「お願いだから、そんなこと俺には薦めないでくれ」と心底願ったものだ。
どうして嫌いかという一番の理由は「なんで走らなくちゃいけないのだろう?」という根本的な疑問が頭から離れないからだ。
もちろん走距離タイムを伸ばすのはひとつの魅力であるのは認めるけれど、それだったら〝より速く〟走ろうとする100m走に僕は惹かれる。
*
*
結果だけに触れて話すと、トム・ハンクスが主人公だった「フォレストガンプ」は知的障害者の主人公が延々と走ることで問題を解決する映画だった(このように書くと、あばれはっちゃくを思い出すのは世代のせいだけとは思いたくない)。
恋、人生、人間関係、懸命に頭を悩ませても解決しない彼の悩みは〝走ること〟であっぱれなほど収束していった。
先日、後輩から試写会のお誘いで観た「プロミス」という映画も〝走る〟映画で、(以下、少々のネタばれあり)。中国のアクションファンタジー映画とされるこの映画に、日本からは真田広之が出演している。
中国の王朝時代の昔々の物語、チャン・ドンゴン演じる奴隷は『雪国』の者という身体能力がサイヤ人並の人間。
疾る(はしる)と表現するのがふさわしいかのように、映画の中で彼は山を越えて屋根を超えて人を担いで空を舞っていた。
しかしなんといっても一番の見所は、奴隷として虐げられているおかげで、四つんばでしか這えないチャンドンゴンが荒れ狂った牛におっかけられて焦りまくり、ついに2本足で叫びながら走るシーン。
しまいには牛を蹴散らし岩壁を垂直にシュピシュピ走るではないか。
猛牛がぶっ飛ばされて空を飛び、乞食が壁を疾走する映画。
誰も笑ってない暗闇の中で1人激しく「ブハッ」とお茶を噴き出してしまった。
中国にはまだまだ未知の領域が隠されているような気がした。
L.Aのヴェニスビーチの端にイタリアンサンドウィッチの美味しい店があって、朝食を食べる時はその店でよく食べた。
燦々と太陽の眩しい乾燥した気候の西海岸の朝は爽やかで、絞り染めのTシャツや貝殻のネックレスを売る屋台が店を開ける準備に、アイスカフェオレを飲みつつ、談笑しつつ、作業をしている時間だった。
イタリアンサンドウィッチのお店を教えてくれたのは、部屋をシェアしたイタリア人で、あとからそいつは同性愛者、即ちゲイだってわかったんだけれど、金だけはしこたま持っていて、ヘテロにちょっかいを出すこともなく、レンタカー代とか全部そいつ持ちだったので、適当に世話になっていた。
シアトル発の濃いエスプレッソがまだ出回っていない西海岸において、イタリア系移民が営むレストランやカフェは貴重な存在だ。豆の芳醇とした香りが漂うカフェオレはヴェニスビーチの朝にぴったりなのだ。
その店で初めてパテを挟んだサンドウィッチを食べた。
バターの練りこんだ黄金色のバケットにレバーのパテと野菜を挟んだサンドウィッチは完璧な朝食のひとつである。
過ごしやすい西海岸の晴れた朝だからこそ最大限に美味しかったというのも理由だ。
臭みのない濃厚なパテは動物の肝臓から作り出されて、レバーペーストと呼ばれることもある。
このサンドウィッチにエスプレッソのダブルに泡立つミルクを注いだカフェオレ、カルフォルニアオレンジ。
5~6ドル(600円)程度だった。
朝食にしては少々高いが、テラスのあるカフェで新聞を読みながらローカルFM局のラジオに耳を傾けて、完璧な朝の時間を過ごす以外は冒涜のような気がしたのだ。
カルフォルニアに移動するまでの10日間、僕はこの店でサンドウィッチを食べつづけた。
*
*
東京の渋谷に、このイタリアンカフェに近いサンドウィッチが食べられる店が1店だけある。
フランス主流の店となるが、渋谷東急本店の向かいがわに位置する「ヴィロン(Boulangerie Patisserie BRASSERIE VIRON)」という店だ。
フランス直輸入の小麦を使用して作り出されるバケットやケーキの数々は、宝石のような仕上がりである。
今も提供しているのかは分からないけれど、朝の12時まで食べられるプティ・デジュネ(ドリンク付きで1200円)は、日本で食べられるパンの朝食では最高の部類の朝食であった。
4種類のパンに6種のミオジャムとラベイユの蜂蜜、パティシエ手作りのチョコレートクリーム。
渋谷の喧騒に最も程遠いメニューであり、美味しいものを食べ続けるという飽食はこの街では罪ではない、という事実を知ることのできるレストランだ。
数日前の雪が舞った一日や、幾日か続いた曇り空を払拭するように、昨晩は澄み渡った夜だった。
残業がそれほどなかったので、まっすぐに家に帰れたのが幸いだった。
一杯呑んでも良かったけれど、たまには何処にも寄らずに盃を酌まない日があったって良いのだ。
交番の先にある、某米国ファーストフードを横目に薬局を通過して、路地に入った。
ふと、なにげなく空を眺めたら、漆黒のシートに豆電球を照らしたような姿でオリオン座が並んでいた。
冬の空は綺麗だと言うし星もよく見えるのだけれど、さすがに都会では、その輝きを僕らはそれほど享受できない。
でも、それを抜きにしても昨日のオリオン座は輝いていた。
そして、星を見るなんていうのは、じつに久しぶりのことだった。
嗚呼、なんと言うことだ、毎日ゝ空も見上げずに僕は家へと向かっていたのだ。
肌を切るように静寂とした冬の空に映る星々は癒しの象徴だ。
単純だけれども、空を見上げただけでとっても元気になったしラクになった。
こういう日もある。
さて、都心で星を見るとなると、プラネタリウム。たくさんの星をリラックスしながら見られるレジャーである。
そんなプラネタリウムのプログラムを、先日、友人から教えてもらったのでご紹介。
池袋サンシャインシティにある「満天」は、約40万個の満天の星が眺められる最新技術を投入したプラネタリウム。
特別企画として、6月まではオーロラを眺められるプログラムを開催中。
大地に日が沈むと、満天の星とともに夜空に現れるのは神秘の光、オーロラ。
癒しの体験を。
─詳細─
東京メトロ東西線に『西葛西駅』がある。
千葉県の浦安市と隣接している江戸川区の端にある駅だ。
近頃になってこの西葛西駅がたびたびメディアに登場するようになった。なんでも僅か数年の間にインド人の住民が増えて、西葛西≒リトルインディアとまで位置付けられるほど増えたらしい。
シリコンバレーさながらIT関連の会社が密集するエリアにゼロの概念を考えたインド人が集合。ありえなくも無い話に聞こえる。
さて、実際の西葛西はというと、何処にでもありそうな平穏な街で、駅の周りにインド人がたむろしていて『チェンジダラー?』とか『ハロ、ジャパニ。何欲シイ』と囁いてくることもない。残念だけれど、当たり前の話である。
その西葛西駅から徒歩5分ほどにあるのが「スパイスマジック カルカッタ」というカレー屋。
店を営んでいるのは西葛西インド人会会長。
ちなみに「スパイスマジック カルカッタ」は西葛西エリアに「シャンティゲストハウス」というゲストハウスを営んでいる。なかなかの辣腕ぶりだ。
整骨院の横に位置する民家を改造した風の店は何処にでもありそうな日本風の建物だけれど、じつは店内を徐々に増殖するアメーバーのように拡張している。ここの人気っぷりを物語る一面だ。
写真はタンドリーチキン(630円)。
ヨーグルトを摺り込んで各種スパイスをまぶしてじっくり焼き上げたタンドリーチキンは、本家インドでもお馴染みだけれど、焼き上げの段階で旨みが逃げてしまいパサパサになりがちな店が多い。
料理法として最も手がかかり、鶏料理でも最高の称号を貰うことがあるタンドリーチキンを、実にジューシーに仕上げている。複雑に絡み合うスパイスのオーケストラ。
フィッシュティッカ(630円)。
〝ティッカ〟若しくは〝ティカ〟とは〝一口サイズ〟という意味。
タンドール料理のフィッシュティッカは白身魚のスパイシー炭火焼。カレーの味のする白身フライはお酒のつまみとして最高だ。柔らかい白身から湯気が沸き立つ。
チキンバターマサラ(950円)。
〝マサラ〟とはヒンディー語で〝数種類のスパイスやハーブを混ぜたもの〟という意味がある。
実際に、マサラはマサラの数だけ配合や匙加減が存在するという、まるでパラレルな宇宙のようなものだ。
代表的なのがシナモン、カルダモン、クローブ、ジンジャー、コリアンダー、クローブ、ターメリックなどを混ぜているマサラ。
酸味があるマサラもあるし、甘みを引き出すマサラもある。日本料理に醤油が欠かせないようにインド料理にマサラを欠かせることがない。
インド料理の概念のような位置にあるだろう。マサラを混ぜ合わせてカレーにもなるし、お茶用のマサラを使ってミルクティを作ればチャイにもなる。
さて、「スパイスマジック カルカッタ」のカレーはブイヨンを一切使わないという。
食べると分かるが、それが信じられないほどのコクと旨みを醸し出しているのだ。
チキンとダンスするようなカレー。
ネットリとした仕上がりが罪作りなまでにサディスティックだ。
辛いだけではなく甘みもあるような、それでいてパンチが効いているカレー。晩年のレイチャールズのような温かみと深みを感じる。
こちらはサフランライス(320円)。
インドで一生分のナンを食べてしまった僕は、ほとんどナンを食べることがなくなった。なので気がつくとライスをチョイスしている。
しっかり炊き上がったサフランライスはモッチリとしていて日本人好みではないだろうか。
バターを落として炊き上げたようなまろやかさがある。
このサフランライスがカレーとの相性抜群なのだ。
ナンもバターナンらしい香ばしい仕上がりだけれど、この店はサフランライスが結構イケる。
で、バターナン(320円)。
バターで艶光りしているバターナン。ウキウキの焼き上がり。小麦粉の甘いテイストにカレーを染み込ませて口に頬張る。歓喜とはこのことか。
スパイスマジックカルカッタ
江戸川区西葛西3-13-3
ランチタイム:11:00~14:30
ナイトタイム:17:00~22:00
月曜、定休
タンドリチキン --\630
フィッシュティッカ --\630
チキンバターマサラ --\950
ナン --\320
サフランライス --\320
カルカッタターリ(カリー3種、サラダ、
豆のウエハース、タンドリ2種、ナン、紅茶) --\2100
ベジタリアンターリ(カリー3種、サラダ、
豆のウエハース、サモサ、野菜のフリッター、ナン、紅茶) --\1900
ラッシー --\420
チャイ --\320
銀座にある「黄金乃舌」に再訪。
最高の素材を最高のスタッフが紡ぎだす最高の店。もちろん値段は高い。
去年(05年)の夏頃とメニューが変わり、コース料理が中心となっているという。
そういうことで、メニューから幻の明太子の姿が消えてしまったのが残念。
しかし、魚の料理と焼酎の品揃えは、さすがである。
こちらは今日の大蔵省ケンカネコ氏。一山当てるという言葉は彼のためにある言葉。ご馳走様です。
お通し。
2月3日の節分に来店したので、お通しは恵方巻きである。それに山椒が練ってある味噌に柚子が乗っている口直し。丁寧な味に舌を巻く。
富山 氷見産寒ブリ(4200円)
「今日は寒ブリか平目が美味しいですよ」とのことだったので、ブリの刺身を戴く。天然モノらしい脂の乗り方で、まさに食べごろだ。本醤油につけて食べる。
千葉房総産 赤サザエ刺し(6000円)
携帯のカメラでは収まりきれない巨大な赤サザエの刺身。苦味のある内臓に焼酎が進む。コリコリした歯ざわり、まだ生きているような感触。なぜか残酷な気分にすらなる一品。
椎茸串(1本 500円)
肉厚の椎茸が炭火で焼かれて登場。畑のアワビとも呼ばれるこの椎茸。噛むほどに味が拡がる一品。
千葉勝浦 金目鯛 頭煮付け(1000円)
この店で食事をすると「金目の煮付け 1000円?安いね」なんてことになりかねなくなる。けどたしかにこの店にしては安い。味の染み込んだ真っ赤な金目の頭をほじくり肉を出す。繊維のひとつにまで染み渡る深い味。臭みなんて全くない。驚愕である。
千葉銚子産 真カジキ西京焼き (2000円)
ぎゅーっと締まった真カジキを時間をかけて西京焼きにした一品。いままでに食べたカジキで一番締まりが良い。噛んでも噛んでもってやつだ。照り焼きに近い西京焼きにして正解。
茨城鹿島産 地蛤の浜焼き (1個 950円)
貝を開くとそこに見えるのはプリプリな蛤とスープみたいな貝汁。これを10個ぐらい食べたらたぶん気絶するだろう、そんな旨さである。
東京 羽田沖産 穴子天ぷら (1200円)
通に言わせると羽田の穴子が一番だという。たしかに羽田の穴子は有名で希少価値が高い。その穴子を食べられる店自体が少なくなってきた。それを惜しげも無く天ぷらにしたのがこれ。塩で戴いたら天国に到着してしまった。サクっとした衣から覗く湯気がたっぷりの白身の穴子。
烏賊飯 (4800円)
「黄金乃舌」で有名なのがこの烏賊飯。注文してから炊き上げるという徹底ぶり。厳選したコシヒカリにコクのある烏賊のすべて。これまでに食べた烏賊飯のなかでダントツの一位である。別途貰った柚子胡椒をつけて食べる。
貝汁 (1200円)
選び抜かれた浅蜊、蛤、蜆の貝汁。この一杯でひとつの料理として成立している。
徳島紅ほっぺ (1500円)
言葉なし。感無量。
吟味 黄金乃舌
港区新橋1-5-6 銀座第三誠和ビル1・2F
月~土17:00~27:00
日・祝17:00~24:00
※コースは1万~1万5千円。要予約。
03-6215-9667
今日は2月3日、すなわち節分である。
節分といえば豆まきで、小学校6年生になるまでは節分が待ち遠しくてたまらなかった。
家の近所にある神社で豆まきが行なわれるからだ。豆だけでなくミカンや飴玉やチョコレートやおかきが神社の高い境内から「鬼はーそと、福はーうち」と投げられ、それを子供たちがキャッキャと袋をもって掴むのが、この日だった。
昭和60年代のお話だから、豊かになりすぎたとまでは言わないけれど、やはり飴玉ひとつを貰って喜べる世代でもなかった。
それでも僕らが昂奮したのは、境内から投げられるお菓子の数々を自らの手で掴み取れたときのささやかな満足感からだった。僕らにとって、飴玉は飴玉にすぎることはなく、ミカンは特別なミカンだった。
それはいわば戦利品に近かった。
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吉野の蔵王堂で有名なのが、「鬼もーうち」と鬼も迎える節分の行事。
僕の亡くなった祖父は、この「鬼もうち」の逸話を非常に気に入っていて、小さい頃よく話を聞かされた。
実は僕の母方の家は5代ぐらい続く医者で、祖父の医院には幼い子にはショッキングな不気味なものがたくさんあった。
6歳ぐらいまで生活していた祖父の家は明治時代に建てられた洋館だったため、なおのこと怖くて仕方が無かった。
「鬼もうち」と聞かされてから、医院に続く長い廊下の先に真っ赤な鬼が立っているんじゃないかとドキドキしたものだった。
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大きくなった僕は、祖父とおなじくらいにこの「鬼もうち」という話が好きだ。
豪気な懐具合が気持ちいい。
祖父が亡くなったいま、医院の庭には石碑が建てられていて、その石碑の横には「鬼もうち」とも彫られている。
寒い夜空のした震えている鬼達が「こっちは鬼もうちだよ」と喜んでいる姿が想像できる。
鬼だってきっと赦しが得られるのだろう。
「今年のテーマはまだはっきりとはしていなくて。何しようかなって考えてる最中です。少し考えてるのは、何をやめて何を新しくするのかってこと。
僕はそれを〝情報ダイエット〟って呼んでいるんです。
ここ5年くらいでインターネットが普及したことで、情報が50倍くらいの量で氾濫してるでしょ?
みんな実際に体験したわけじゃないのに、知っているだけで体験した気になったりしてる。
これはヤバいなと。
だから、氾濫している情報に惑わされずに〝情報ダイエット〟をして、いろんな本質を求めていこうと思っています。
それでね、テレビとウェブを見るのをやめたんですよ。携帯はまだやめられないけど。
例えば、美味しいラーメン屋はきちんと自分で行って確認して、それを人に伝えなきゃまずいと思ったんです。」
高城剛(ハイパーメディア・クリエーター)
湿気の少ない、乾燥した冬の夜だと、少々甘いアルコールでも気持ちよく酒精が霧散してくれて、酔い方がスッキリするようだ。
たしかに夏の盛りにフィッツジェラルドのロックを呑むよりも、1月2月の寒い夜に、エッジの効いたフィッツジェラルドを呑むほうが喉元を愉しませることができる。
もう彼此7年近くになるだろうか、通いつづけているバーがある。毎日のように顔を出す時もあれば、1ヵ月丸々ご無沙汰することもある。
レコードを流すカウンターだけの店で、緩やかな照明のある落ち着いたバーだ。
気の許した人間しか連れて行ったことがない。なんとなくそういう店なのである。了見が狭いと言えばそれまでだけれども、男は幾つになってもちょっとした秘密を抱えたがる種類の人間なのだから仕方が無い。
さて、7年も経つと、酒の呑み方ひとつをとっても多少なり変化して、あんずの魅惑的な香りが漂うアマレットのカクテル「ボッチボール」は決して外せないけれど、最近だとボンベイサファイヤを呑むよりもシングルモルトを頻繁的に口にするようになってきた。
アンスラックスやメタリカだけでなくエクストリームも聴くようなものなのだろう。
そして最近よく登場するのが白ワインが主たるヴェルモットだ。
ヴェルモットは白ワインにニカヨモギなどの香草を配合して作られるお酒で、辛口と甘口がある。
辛口はフレンチヴェルモット、甘口はイタリアンヴェルモットとも呼ばれる。
よく呑むのはイタリアンヴェルモットのチンザノで、チンザノロッソとチンザノドライが有名だ。
淡い琥珀色のこの2種類のお酒をハーフ&ハーフにして呑むのがお気に入り。
食前酒だけれど、こうやって呑むとくっきりとしたボディがあって、それでいて甘く口当たりが良い。
今宵、何処かのバーで。