2007年12月29日

師走のご挨拶

「おじいちゃん、おじいちゃん、あけましておめでとう。はやくお年玉ちょうだい」

「おやおや、あけま・・。バ、バカモノ。何を言っているのじゃ。まだ12月だから明けてなんかおらんじゃないか。これから大晦日を迎えるのじゃ。お年玉はまだお預けじゃよ、孫よ」

「えー、いいじゃん。もう、おじいちゃんのケチ!」

「おじいちゃんのケツ?おじいちゃんはお尻なんぞ出しておらんぞ」

「ちがうよ。おじいちゃん・・。そうそう、ねえ、おじいちゃん、教えて欲しいんだけど、なんで大晦日になると除夜の鐘を叩くの?」

「むふふ。なんでもおじいちゃんに聞いてごらん。おじいちゃんは物知りなのじゃよ。除夜の鐘かい。ありゃ、百八つあるという人間の煩悩を解くためにお寺で叩かれるのじゃよ」

「わぁっ、おじいちゃんすごーい。ほんとなんでも知っているんだね。おじいちゃん煩悩ってなに?お茶とか乗せるやつのことなの?」

「孫よ、そりゃ煩悩ではなくてお盆じゃよ。ちなみに漫才ブームに一世風靡したのといえばザ・ぼんちじゃよ。おさむちゃんで~すと舞台で言っただけで客席がドッと沸いてじゃな、そりゃもうあの時ばかりはこのワシも・・・。ゴホン、ぼ、煩悩じゃったな。つまりじゃな、人間が持つ欲望や苦悩は百八つあってじゃな、そういった欲を解き放ってくれる有り難い鐘なのじゃ。鐘が一つ突かれるごとに人々は仏様に近づけるのだよ。みんなで集まって感謝をして祝うのじゃ」

「そっかー。とっても偉いんだね、除夜の鐘って。だから隣の家のお姉ちゃんとこは、毎年31日に男の人がやってきて百八回アンアンッて大きな声で喜んでいるんだね」

ゴォーーン。

それでは良い年を。

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2007年12月27日

─2007年俺マイTop10─

順不同でココロに残った映画やら音楽やらアイテムやらをつらつらと。

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新島「キャンプイン」
毎年GWに訪れている新島のキャンプ場は、知る人ぞ知る90年代初頭のゴアのような雰囲気。夜な夜なパーティをして盛り上がり、焚き火をして太鼓を叩き、ハンモックでうたた寝をする。朝日が昇れば自転車をこいで丘の上に眺めに行って、日が沈めばサンセットを堪能する。露天風呂と魚と旅人やサーファー。最高のバイブレーションがある。今年もいい仲間に出会えた。みんな全国各地に散らばっているけど、来年もまた会えるよね。

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神奈川某所「シークレットビーチ」
毎年訪れる神奈川某所のシークレットビーチは今年も健在。魚の大群と心行くまで戯れることが出来るポイントはまさに秘境。近くに温泉もあるし、人ごみを避けて泳げるし、申し分ない。帰りがけに食べる刺身の旨さといったら天国である。磯がプールみたいになっているから流される心配もゼロ。

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伊豆「廃墟パーティ」
伊豆のスカイラインにある某廃墟で開催されたパーティ。標高はかなり高く、外から眺めると満月の下でデコレーションが要塞のように光を放っていて、たどり着いたときは鳥肌が立った。目がチクチクするほどの眩しい芝生がフロア。空を見上げると、月が踊っている僕らを照らし、廃墟の塔から眺める太平洋と朝日で涙が出そうになる。<何がパーティに必要なのか>が明確に理解できたターニングポイントなイベントでもあった。ほんっと、ひっさびさに最高のパーティだった。

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北九州「サマー出張」
7月と9月の2回にわたり、新規プロジェクト立ち上げとして北九州を単身で訪れる。宿泊地は黒崎駅近く。7月の出張は連日の宴会。酔っ払いすぎて記憶という記憶がない。9月は2週間ばかりの滞在だったので、離島の民宿に泊まったり、皿倉山を探検したり、仕事もこなして遊びもこなせた。もちろんご他聞に洩れず連日の宴会。時間を割いて遊んでくれたみんなありがとね。すげー楽しかった。九州にぞっこんです。

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一ノ蔵「すず音」
瓶内二次発酵をさせた微炭酸が斬新な、シャンパンのような純米酒。今年一番のお気に入りアルコール。キリリと冷やして呑むスタイルがベスト。シュワシュワと炭酸が口当たり良すぎる日本酒だ。涼しげな香りもグー。日本酒が苦手な人すら、すず音の爽やかなテイストは虜にするだろう。非常にデリケートなお酒なだけに、置いているところもレアで1杯700円~900円するけれど、見つけたらぜひ呑んで欲しい。

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幕張メッセ「アンダーワールド」
今年のデカ箱イベントといえば、これ。Underworld,The Orbなど90年代を代表する UKテクノの大御所が日本に来るといえば黙っていられない。96年(97年だったけ?)のRainbow2000で初めて見たUnderworldが最高だったけれど、あれは野外だから、今回は箱で体験。ど演歌「Born Slippy」が流れた瞬間、昇天。ご存知、映画「トレインスポッティング」の名曲。90年代の焦燥がそこにある。泣けるよね。

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国分寺「トランスバー」
今年の1月2月ごろに頻繁に通っていた国分寺にあるDJバー。土曜はトランスで盛り上がっている。多摩地区のヒッピー達は独特のオーラを醸し出しているので、踊っていて飽きない。転がるように近くの白木屋になだれ込んで吐いたり記憶を飛ばしたりしていたっけ。DJ始めてからめっきり行く機会が少なくなったのが残念。

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映画「戦場のメリークリスマス」
1983年に公開された映画である。加入したCATVで放映していたので久々に観た。何年ぶりだろう?監督は大島渚。題名からして年末に公開されたのかと思いきや、意外にも初公開は初夏の5月だったらしい。ビートたけし、坂本龍一、デヴィッド・ボウイが出演者として名を連ね、流れていた音楽「戦メリ」は後世に継がれていく映画音楽としてはあまりにも有名。昔はそれほど自分に響いてこなかったラストシーンは、改めてみると身震いするほど感動した。いや、感動というよりは自分の芯ごとグワンと持ってかれた感じ。たけし演じるハラ軍曹の清清しくも切ない笑顔に涙した。

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菜園生活「ベランダ園芸部」
日当たり良好な家という理由で、去年バジルと紫蘇を育てたベランダ園芸は、今年はバジルと紫蘇と唐辛子をベランダで育て、屋上でラディッシュと胡瓜とトマトを育てた。夏の間はずっとムシャムシャ食べていた。近い将来、田舎での生活を考えているので、いい足がかり。来年も育てますよ。

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カメラ「smena8」
トイカメラの宝庫といえばロシア。LOMOはトイカメを代表するブランドであり、いまも独特のチープな感覚が世界中の愛好者を虜にしている。LC-Aも有名だけれど、smena8のソリッドな映り込みがかなり好きだ。ブラックタイプのデットストックが1万円近くで放出されていたので確保した。冬休みに一気に写真を撮りたいな。

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そんなこんなで、来年もフロンティア精神で。

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2007年12月26日

ソレイユ

・ソレイユ(中納良恵 : TOYSFACTORY 2007)

エゴラッピン(Ego-Wrappin')でボーカルを務めている中納良恵の待望のソロアルバムがこの「ソレイユ」である。ちょくちょく噂になりつつも、ソロアルバムについてはまだ実現していなかったので、待ち続けていたファンは嬉しいに違いない。

一方、エゴラッピンというバンドの<中納良恵>が彼女そのものというファンは複雑な心境だろうか。僕はアルバム発表の直後、後者寄りの心境であった。

退廃的でありながらとことん官能まっしぐらに突き進む稀有な歌声で、あらゆるジャンルの音楽ファンを魅了した彼女の歌声は、エゴラッピンというバンドの場合では、ドロドロしつつも攻撃的であり、聴いている側の鼓動が早まる。

それこそが<中納良恵>なのだろうと考えていた。

ソロアルバムを聴いて、まず気がついたのは、彼女は生まれながらの天才的なボーカリストであるということだった。

エゴラッピンとは正反対な穏やかで暖かい歌声。しっとりと歌い上げる中納良恵の幅広い音楽性が本領発揮している。

柔らかい気持ちになることのできる珠玉の一枚。

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2007年12月25日

街の変貌

先日、それこそ10年来で原宿の裏通りを歩いてみた。

神宮前の方面に抜ける裏道は、僕の記憶では─詰まらないといったら語弊があるので、あえて特徴がないと表現すると─原宿の表通りとはおよそ隔たりの在る閑静な住宅街だったと憶えている。

それが先日散策してみたら、次々とこじんまりしたショップが増えているのである。さすがに驚いた。

街自身が増殖するという現象は大小のスパンで目撃される現象であるが、まさか自分が目撃者になろうとは思わなかった。

竹やぶに囲まれた雰囲気のあるお好み焼き屋や、ツリーハウスのカフェ、そしてLotusをイメージしたオリジナルジュエリーの店など、ちょっと歩いただけで貴重な発見があった。

くだんのジュエリーショップは店名を失念したのが残念だ。60年代ヒッピーの生き残りのようなおじさんが構えている店であったので、かなりそそられる。

住宅と住宅の僅かな隙間に存在する板張りのカフェなんてのは、街が増殖する過程とともに増えて欲しいものである。

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2007年12月21日

暮れなずむ年の瀬のトシちゃんはB組

師走が近づくと、日々の生活をひたすら忘却し続ける自分のような人間でも、とたんに一年を振り返ったりしてしまうから薄気味悪い。菩提樹の下で涅槃の境地に達したゴーダマ・シッダルタのごときである。

しまいには思い出さなくてもいい記憶までうっかり掘り当ててしまい、盗んだバイクで走り出すセンチメンタルジャーニーをしでかしそうになる。

7月から8月に暦が変わるのと、12月から1月に変わるのは、同じ暦が変わるのでも明らかに後者のほうがダイナミズムだ。

来年のことをいうと鬼が笑うから今年一年について総括すると、フィジカル面では体力が落ちた。

「ルールは破ってもマナーは守る」をモットーに掲げてイベントに繰り出し、「健全な肉体には不健全な遊び心が宿る」を宣誓し続けて、いままで遊んできたのだから、そいつはいかん。早急にサンタさんに鉄アレイをお願いしないといけない。

夢についてはどうだろう?

明確な夢があり漠然とした夢があり、夢にもさまざまがあるけれど、夢というのを「知的行動を規範とした、抽象化している希望を具現するための到達地点」と勝手にデッチ上げると、要するに夢というのは「叶えたいと願う目標」のことである。

さて、一年を振り返って夢は叶えられたか。

前述したように、夢にはさまざまな夢がある。でも共通しているのは一つで、シビアと捉えられたらそれまでだけど、食べ物に賞味期限があるように、夢にも期限がある。

僕はそんな風に薄々思っている。キモいポジティブシンキングみたいだから、こんなこと書くのは柄でもないのを承知で書くと、「夢は達成するのに相応しい時期があるので、その時期を過ぎないように頑張るのが望ましい」のである。うーん、キモいなぁ。EDになりそうだ。

何はともあれ、もし自分の中で夢の賞味期限を偽装してラベルを貼りかえたりしていたら、ウッカリそれを食べて腹を壊さないように心がけたい。

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2007年12月20日

ラブアクチュアリー

・ラブアクチュアリー(Universal : 2004)

クリスマスの数週間前からの出来事をオムニバス形式で物語にした「ラブアクチュアリー」、さまざまな人たちの再会と別れが詰まっている空港の冒頭シーンで観客を虜にする映画である。

世の中に嫌気がさしたら
ヒースロー空港の到着ゲートへ

人は言う"現代は憎しみと欲だけ"と

そうだろうか?

ここには"愛"の光景がある


いい台詞だ。

クリスマスにちなんだ映画なので、使用されている曲もそれらしい選曲で構成されている。

ノラ・ジョーンズあたりを持ってきたり、映画でも流れていたように、ビリー・マックことビル・ナイの歌うクリスマス・イズ・オール・アラウンドがあったりと小洒落た要素満載。

個人的にはリンデン・デヴィッド・ホールの歌うビートルズのカヴァー「All You need is Love」がとても好き。

ぜひ、この季節に聴いてみて欲しい。

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2007年12月19日

サイコロ先生

先日、別フロアで勤務している社員が派遣社員の子を忘年会に誘っていた。

イベントらしいイベントの企画は、不特定多数が同時に情報を共有できる利便性の高いメールを通じて練られていくので、ちょっと珍しい光景だった。しかも、エレベーター脇だったので会話が筒抜けなのである。

聞いちゃ悪いなと思うにも、エレベーターが到着するまで聞こえてしまう始末だ。

社♂「それじゃさ、みんな遅いらしいから二人で始めちゃおっか」
派♀「え、二人だけですか。そうですね、忘年会しちゃいましょうか」

社員はセンター街で悪いことをしていそうな若者と同じ顔をしていた。

それは忘年会という名の・・・、と言い掛けたけれど、部下でも上司でも同僚でもないので、スカウターに反応しない戦闘力を消したサイヤ人よろしくやり過ごした。

*
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今週の月曜、友人達と四谷の「こうや」で忘年会をし、旨すぎる台湾料理をガツガツ食べて、紹興酒をグビグビ飲み、特製ワンタンメンで締め、23時を過ぎたところでその夜が月曜であったことを激しく呪った。

酩酊している帰り道で、サイコロ先生のことを思い出した。

サイコロ先生は大学時代の知り合いで、さっきの社員のように女子を誘い込み、二人っきりで忘年会を開催する人だ。1週間に9回合コンを企画する人でもあった。

僕も何度かサイコロ先生が企画する、粒ぞろいの合コンに甘えさせてもらったりした。サイコロ先生のイベントには彼が練り上げたシナリオが用意してあって、その脚本どおりに進行するのが特徴である。

しかも女子のテンションや反応に応じて、メガホン片手に巧みに演出を加減する姿は<合コン会のクロサワ>と呼ばれてもおかしくなかった。

そのシナリオは、千パターンぐらいあるんじゃないかっていう充実っぷりだったけれど、どのシナリオにも中盤に必ずサイコロゲームが登場した。

「何が出るかな、何が出るかな、チャララチャラララチャララ♪」である。

それゆえに僕の中でサイコロ先生と命名されていた。

宴もたけなわ、先生が叫ぶ。サイコロゲームスタートー!
うひょー!と、僕らがアンパン吸いすぎちゃった工業高校の生徒みたいに雄たけびをあげる。

サイコロタイムがやってくると、先生はポケットからひとつのサイコロとボールペンを出して、テーブルに添えてあるティッシュに1から6までの数字を書き並べた。もちろん、数字の横にはこれから割り振られるお題目が書かれる予定だ。

しかし、そこは合コンの席である。怖かった話、略して<こわばなー>とかいう眠たいお題は皆無で、ほとんどがこんなのであった。

「やってしまった友達、略して<やりともー>」

サイコロ先生がそう言った後に必ず僕らが「いいともー」って合いの手をかますのが通常だった。

もちろん女子は凍てついた顔をしていた。僕らはサイコロをどんどん振った。

果たしてこのサイコロタイムがその晩の成り行きにどれだけ影響を及ぼしたのかは実際には怪しいところであった。とあるお題で女子が「わ、私、そんなの言えない!」とカムアウトを拒んで泣いてしまい、お開きになった記憶さえある。

でも、サイコロ先生は絶対にこのメニューだけは盛り込むし、ミスを許さない仕事人でもあった。そこには1週間に9回合コンした男だけが知る、ゆるぎない自信があったのだろう。

*
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ある時の週末、サイコロ先生の真似をしてみようと、サイコロを用意して合コンに挑んだことがある。

前日に学校を休んで、原宿のキディランドにまでわざわざ足を運んで、サイコロを選んだのだ。

さらなる楽しい場面が待ち構えているかもしれないので、ぬかりないようブラックライトで光るサイコロを選択する俺は鋭いなぁなんて自分で自分を褒めた。

光るからなのか、サイコロのくせに800円ぐらいした。

そして土曜日、縦落ちが自慢のヴィンテージなジーンズをキメて合コンに参戦した僕は、いつも先生がする通りにサイコロゲームスタートー!と叫び、やはり友人達が、うひょー!と工業高校の生徒みたいに雄たけびをあげた。

そしてポケットに手を突っ込みサイコロを取り出そうとした瞬間、女子が凍てつく前に凍死しかけた。

縦落ちが自慢のヴィンテージなジーンズのポケットには穴が空いていたことを忘れていたのである。サイコロはどこにもなかった。

「や、やっぱし、王様ゲーム・・・」

とたんに、誰かの一周忌みたいな雰囲気に染まった。
そして改めて偉大なるサイコロ先生に敬意を払った夜であった。

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2007年12月18日

カクテルレシピ

年内中に1レシピでもかまわないので、カクテルレシピを習得しようと思っている。シェイカーを振るカクテルから覚えようと思う。

自分がお客さんとしてカウンターに座ったとき、レストランバーのDJブースでシェイクしたカクテルが現われたら楽しいだろうなって感じたのがきっかけだ。

友人達が時折お店に遊びに来てくれるので、彼らに振舞いたいという理由も大きい。習得したら、来てくださるお客様に応じてカクテルを出してみたい。

先週末にそんな話をマスターとオーナーに話したらokしてくれたので、さっそく、今週末に練習である。

当面は自分でシェイクして自分で飲んで確かめるパターンになるだろうけれど、またとない習得の機会は縁だと思っているので頑張っていこう。楽しみだ。

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2007年12月17日

バンコックへの旅だち

インドのバジ屋で、バジの代わりに酒が売られたら、きっとこういうお店なんだろうなっていう、ひどくて最低な雰囲気(褒め言葉)の酒場がある。

震度3で倒壊しそうな非日本的な様相、居座っている客もすべて規格外なお店だ。我々の間では最終酒場と命名されていて、まさその名に相応しく「どこにも行くとこねー」っていう夜にピッタリなのである。

大ジョッキになみなみと注いである焼酎割りは、1杯300円という格安さ。二日経っていないというのに、呑んでいるさなかから頭痛がしてくる凶悪っぷり。

先日も最終酒場で、とりとめもない会話をして、だらしなくヘラヘラ笑っていたら、いつになく「金曜出発夢のバンコックツアー」計画がでてきた。

4日間のタイトなスケジュールでタイを訪れる夢物語だ。もちろん観光なんてしない。ワットポーなんつうのは5千回くらい観ているし、チャオプラヤ川の屋形船なんて1万回ぐらい経験している猛者どもなので、中心はクラブ巡りと屋台と酒になる。

日程は、金曜日と月曜日に年休をブチ込めば、4日間確保できる。金曜発のバンコク行き格安チケットは34000円~があるので、これを使うのだ。でもイキナリ金曜日に遊びに出かけて6万円とか持ち出すのは、人それぞれ事情があるから難しいので、出所金は積立貯金をする。

例えば、毎月3回にパーティにでも行けば、じつは、一晩でこんくらいのお金はかかっている。

チケット---5千円ぐらい
お酒---4千円ぐらい
交通費---2千円ぐらい
マツモトキヨシ的アイテム---プライスレス

箱で1万ぐらい使っちゃうので、これが野外パーティとなれば、ご飯を作ったりやら温泉入ったりやら高速乗ったりやらで、倍以上を使う。

そのお金をグっと堪えて、3回のところを1回に抑える努力をするのだ。高円寺やら阿佐ヶ谷で記憶が消し飛ぶぐらい痛飲する週末を、4回のところを3回に抑えたりするのだ。そうすると毎月、積立貯金ができるようになる。

あるいは僕の友人は1日に煙草を2箱吸うという。1箱300円なので、月計算すると、毎月18000円は煙草代として消えている。それを1箱にすれば<300円 ×30日 = 9千円>の積立が可能だ。

とまあ、ヤニ代300円レベルとまで窃窮しなくとも、1日250円(ドトールでカフェラテMを飲む程度。ちなみにカフェラテMは260円)を積み立てられるように頑張れば<250円 ×30日 = 7千5百円>が得られる。

半年で4万5千円だ。

金曜日に成田へ向かい、ドンムアン空港までひとっ飛び。手っ取り早い拠点ということで、カオサンを目指す。長旅じゃないので、水シャワーは辛い。

80B(320円)のドミとは縁を切りたいのだ。中級でホットシャワーが出るゲストハウスに泊まる。

昼間から酒を呑み、夜は世界遺産への登録は永遠に不可能なパッポンに繰り出す。

夜通し踊り狂い、朝になったら、そこらへんのトゥクトゥクを捕まえてカオサンへ戻り、セブン前の早朝限定屋台で朝粥をすする。シャワーを浴びて、タイマッサージで疲れをほぐす。

悪くはない遊び方だ。さあ、250円握り締めて貯金をしようではないか。

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2007年12月14日

ヘルスケア

勤めている会社が所属している健康組合で運営している健康診断を受診した。

会議での外出を別にして、職業柄、夕方18時までは幽閉されている身としては、14時のお散歩は格別だった。会社から遠い病院は面倒くさいので、隣駅の病院で診察を受けて3,4年になる。

大抵の健康診断と同様に、まずは検尿だ。

検尿というのは、どうしてか後ろめたい気持ちになる。自分の情熱をそげ落とされるような気持ちだ。天狗になっている新入社員に困っている上司は、その部下に1週間ほど検尿するように命じるといいかもしれない。翌週には人間そのものが落ち着いて丸くなっていると思う。

検尿は小さな紙コップにめがけて用を足すわけだけれど、ふと思ったのが、女子はどうしているんだろうかという疑問。

男子はご存知のように、発射口における身体の構造が鉄砲のようであるので、紙コップを目指しやすい。

一方、女子は身体の構造が異なるわけだから、難しいじゃないだろうか。詳細は闇の中というほどの大袈裟ではないにしろ、誰にも聞いたことないので、もし自分が女子だったら、検尿を迎えるにあたって練習が必要かもしれないなぁなんて考えていたら、「紙コップの50のところまで入れてくださいね」って言われていたのに70という数字が見えて慌てた。

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2007年12月13日

奉行様

師走の風物詩の<忘年会>は意外と歴史が古く、遡ると鎌倉時代に始まりがあるのだという。

ご存知、1192つくろう鎌倉幕府である。征夷大将軍として任じられた源頼朝が開いた。

Wikipediaによれば、当時の忘年会は、和歌を詠みあうというひっそりとしたものであったらしい。今じゃ想像ができない光景だ。

新橋あたりで、お酒も呑まずにサラリーマンが「ま、年の瀬も暮れてきましたし、ここはひとつ句をひねるとしますか。ささ、部長から」なんて言い合っていたら、かなりシュールである。

ちなみに、お酒を呑んで慰労をし、やや無礼講になるというお馴染みの忘年会は明治以降の風習だとか。

僕が<忘年会>という単語でパっとイメージするのは、みんなで鍋をつつくという光景なんだけれども、過去の忘年会を思い出してみると、案外と鍋を囲んだ記憶がない。それか忘れているだけなのか。

焼肉と鍋というと、ひとつのスペースに用意されている食べ物を食べあう代表格で、あとは季節限定であればBBQぐらいである(鍋も季節限定か)。

焼肉が完全な個人戦で、まるでゲリラの如くに一個人が戦場(鉄板)に挑み、食べる食事であるのに対し、鍋というのはチームプレイを尊重する団体競技のような様相がある。みんなで理想のゴール(コトコト煮える鍋)を目指し、一致団結する雰囲気だ。

一致団結するには、やはりリーダーシップを発揮できる者が必要。そんな必要に応じるのは、鍋奉行。

時には独裁的と囁かれる鍋奉行も、みんなが個人プレイに走らないように涙ながらに買って出ているのである。これからは鍋奉行に温かい視線を送ってあげようではないか。

ところで、奉行は元来、武家の職種のひとつで、偶然にも管理者として君臨し始めたのは鎌倉時代からである。まあ、まさか当時から鍋奉行がいただなんて思えないけれど、はたしていつの時代の忘年会から登場したんだろう。

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2007年12月12日

Let's Dance

・Let's Dance(Compilation : WARNER 2007)

ヘイ、メン。みんな元気かい?

夜遊びは相変わらずなのかな。

僕はすっかりテクノに魅了されちゃったけど、いまでも君達と遊んだ夜のことは忘れていないよ。いまは世間となんとか折り合いつけて退屈ながらもどうにか生きている。みんなもそうだろう。

でもさ、こんなアルバム聴くと、また腕白なことしたくなるよね。

R?hall@六本木、フラワー@六本木、ガスパニック@六本木、ゴールド@芝浦、パイロン@246などで共に夜を駆け巡ったクラバー達に。

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2007年12月11日

平成オイルショック

僕が生まれた頃、オイルショックという社会現象があって、トイレットペーパーが店棚からなくなると噂になり、買占め騒動が起きたらしい。社会科の授業なんかで戦後史に登場していたのを憶えている。

時を隔てて三十数年、世界のボス気取りで紛争大好き親子の息子が引き継いだ血は争えないらしく、戦争が三度の飯より大好きということで、中東に因縁をつけて一悶着を起こした。そして、めぐりに巡って、そのとばっちりが石油資源が限りなくゼロにちかい極東の国に及んだ。

某日、灯油ストーブを天袋から取り出して、馴染みの酒屋に行って驚いた。

去年1650円だった灯油が1900円である。まさにオイルショック。250円で家計が傾くことはないけれど、平成時代のオイルショックは徐々に音も立てないで浸透しているんじゃないだろうか。そういえば、札幌に住む友人は灯油が高くて本気で辛いとボヤいていた。

聞けば古紙を固めて燃料にしている地域もあるようだ。まるでキャンプ場である。それぐらい深刻なのだという。しかし、古紙を燃やせば、発生するのはCo2で、二酸化炭素の排出量が異様に増える。空気中に増えた二酸化酸素のせいでさらに豪雪になるんじゃないだろうか(まちがってる?)。

環境破壊だって大きな課題だろう。

さて、灯油ストーブというと、我が家で愛好しているのはヤカンを乗せられるタイプだ。ヤカン以外にもブリ大根の鍋をコトコト炊いたりできて、かなり便利。おでんなんてのはじっくり煮ると味が染みて、ジャガイモや大根がホロホロと箸の先で崩れる。冬ならではの情景である。

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2007年12月10日

冬の元気な引きこもりアイテム

冬といえばスノーボード、そんな高貴なスポーツ精神は、19歳で発火して22歳で消化した。いつのまにやらウインタースポーツから遠のいている。いまではスノーボードをやろうなんて考えただけで筋肉痛を引き起こしそうである。20歳の時に熱中したあまり、一冬を栂池高原のスキーリゾートで働いていたなんて誰が想像できようか。

冬といえばパーティ、それはいまだにありかもしれない。でも30歳過ぎても、三が日にゾンビのように彷徨うのとか、気がついたら1月5日だったみたいな、残念な年明けはそろそろ止めないとだめだ。いい大人なのだから。しかしまあ、こればっかりはまだ現役である。

ゲームはしないので候補に上らない。

けじめのないテレビ番組は、いまや引きこもりアイテムとして吸引力が弱い気がする。

でもテレビってのは、もの凄く手っ取り早い。

僕が住んでいる地域は、新宿の超高層ビルや区内外の中高層ビルなどの影響によりテレビ電波が届かないエリアで、区が救済方法としてケーブルテレビのインフラを提供している。

我が家はアナログチャンネルは映るには映るけれど、所謂ゴースト現象(思いっきりテレビをつけると、みのさんが二人映ってしまい、「やべ、みのさんって双子だったんだ!」と勘違いしてしまう現象)が多発するので、ついにケーブルテレビを引いた。

一般的なアナログ番組(1~12チャンネル)は、閲覧できて、もちろん工事費や敷設費というのは全て区が負担する。そこで、ついでというか魅力に負けたというか、ケーブルテレビのチャンネルを一気に増大したプランも加入してしまった。

映画やドラマや音楽番組が見放題である。

チャンネルも50チャンネルぐらいに増えた。ディスカバリーチャンネルを見続けて冬休みが終わるかもしれない。5.1CHのサラウンドに囲まれてソファーにふんぞり返るのである。最強の引きこもりアイテム登場だ。

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2007年12月07日

マンキンタンともいう

昨日、ひさしぶりの友人から電話があった。

「なぜか週末になると、眉毛のところにあるホクロが痒くなるんだ」

数年も音沙汰がなかったというのに、開口一番の台詞がこれである。

僕はお風呂に入ろうとしてパンツを脱いで素っ裸で部屋を駆け回っているところだった。家の外ではできない行動を心置きなく堂々と実行できるというのは素晴らしいものなのである。

彼は続けた。

「しかもホクロが痒くなる週末に限って、酒にひどく酔うんだよ」

かなり深刻であるらしく、トーンがますます落ちていった。仕方なく、僕は部屋を駆け回るのをやめ、彼の相談に乗ることにした。

「なんだか分かんないけど、痒いんだろ?だったら掻けばいいじゃないか」

これ以上にない正論である。たぶん大学病院の医者だってまずはそう言うだろう。
「あ、なるほど。ホクロが痒いんですね。あー、そうですか。それでは、そのホクロを掻きましょうね」と。

しかし、どうやら僕は間違った答えをしてしまったようだ。なぜなら彼が突然と怒ったからである。予想していない反応だったので驚いた。

「ホクロン、怒るなよ」必死になってその言葉を抑えた。

「お、お前、バカ言ってんなよ。ホクロ掻くなんてそんなこと出来るわけねえじゃんか。ホクロっつうのはな、掻くとヤバイんだよ。ホクロっつうのはな、スイッチなんだよ。分かるか」

分かるわけがない。そこでようやく僕は、彼が以前に小人に襲われるから助けてくださいと警察に相談して、結局、長いこと警察のお世話になっていたのを思い出した。

そんな過去も抱えているのだから、あえてブッダのような声で彼に救いの手を差し伸べた。

「そっかー。そうだよね。スイッチは押しちゃまずいよね。やばかったよ。オレも押しそうになったことあるもん。掻いちゃマズイよね。どうしよう・・。そうだ、ホクロが痒いんだよね、だったらアレじゃん。タイガーバーム。ばっちりでしょ。痒みといったらタイガーバームしかないって」

地獄の淵で蜘蛛が垂らした糸を見つけた男なら、きっとこういう声を出すんだろうなっていう声で、彼が受話器の向こうで叫んだ。

「マ、マジありがとう!超助かったよ。さすがだよ。持つべきものはやっぱ友達だよな。ちょっと待っててよ。いまタイガーバーム持ってくるからさ」

いつになったらお風呂に入れるのだろう。30歳過ぎたのに部屋で全裸なのである。

どうにかしないといけない。

「い、いや、いいよ。礼には及ばないって。友達だもん、当然さ。つかさ、近々呑みでもしよ・・」

届かなかった。その代わりに電話の向こうでガサガサと音がして、あったーと聞こえた。
息を弾ませて彼が言った。

「見つけた見つけたよ。タイガーバームが薬箱にあったもん。ちょっと待っててね。いまヌリヌリするからさ」

「あ、う、うん」
そう答えるしかない。

電話の向こうでタイガーバームの蓋を開けるパカっていう音がした。

さあタイガーバームを塗るんだぜと彼が意気込んでいる姿を思った。

「さあーて、いよいよ塗るぜー。よーし」
なぜか実況中継である。

スリスリ。

「あ、ちょ、チョー痛てぇ。目が、目が開けられないー」

彼が相談してきたホクロは、目のそばにあるというのを忘れてた。

「痛いってー。スイッチがぁー」

プツッ。ツーツーツー。

電話が切れた。

ごめん、ホクロン。そう呟いてようやくお風呂に入った。

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2007年12月06日

新宿「東京麺通団」

2003年、西新宿に、やや人を食ったようなネーミングのお店が産声をあげた。

「讃岐うどん大使 東京麺通団(とうきょうめんつうだん)」という讃岐うどんの店である。そして瞬く間に西新宿の顔になった。讃岐地方に限りなく近いスタイルでセルフサービスを採用していて、入口の大釜でうどんを次々と茹でているなど、かなり豪気である。

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自分の好みのうどんを選ぶと、次は天ぷらやおにぎりなどが好みでチョイスできるようになっている。そして最後にレジ。レジの脇には、おろし生姜や刻み葱がおいてある。

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写真は磯辺揚げを乗っけた、ねばたま(340円+150円)。

揚がったうどん玉はもっちりとしていて歯ごたえ抜群。納豆と絡めてテーブルの上にある特製醤油を垂らす。

何度か足を運んだ結果、自分の一番の好きなスタイルが、その日食べたいうどんの小さいサイズに天ぷら2つ、そしておにぎり1つというメニューであることが分かった。うどんが大きいサイズだとちょっと満腹すぎるし、天ぷら1つだと物足りない。そんな理由である。青海苔のまぶしてある竹輪の磯辺揚げとゲソ天、そして茶めしのおにぎり。名脇役達である。

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東京麺通団
新宿区西新宿7-9-15ダイカンプラザ1F
10:00~02:00 (L.O.01:30)
無休

あつかけ --小\290 大\390
ひやかけ --小\290 大\390
かまあげ --小\340 大\440
かまたま --小\340 大\440
ねばたま --小\340 大\440
ひやたま --小\340 大\440
ざる --小\290 大\390

おでん各種 --\100
おにぎり各種 --\100
天ぷら各種 --\100~

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2007年12月05日

物語性の欠如

先日、深夜番組を観ていたら、「現代社会の物語性の喪失」という、やや重たい内容を放送していた。

インターネットが日常的なツールになったのが一因で若い世代を筆頭に読書離れや本離れが進んでいるという問題提起は、もはや人の心を動かさないぐらいに馴染み深いので、その番組でも取り扱ってはいなかった。その代わりに、読書離れや本離れという行動様式そのもの以上に、それらの活字に付随している<物語性>自体が若者達から失われているという展開だった。

背表紙を開いて文字を追うことで、扉を叩くことができる小説の世界。そこには物語が十分に用意されているけれど、悲しいかな、現代の活字離れは活字そのものを読む習慣ばかりではなく、その世界の入口すらも喪失しているのという。

なるほど、物語性か。大変興味深い部分である。

SNSで友人達の日記をつらつらと閲覧していると、彼らに関する情報を日記から取得しただけで、さも会ってしまったような満足感を得てしまう危険性があるんじゃないかと、今年の4月頃、何処かに掲載したことがある。僕個人が感じている危険性に過ぎないので、誰もが抱える問題ではないだろうが、ネットではなく実社会で会うということに重きを置く人間としては、ネットを通じた代替の出会いに懸念を抱かざるを得ない。

社会人になると、東京以外の地方都市に住む友人が増えてくる。僕はその地方に出向く時、あるいは彼らが東京にやってくる時、出来る限りの時間を割いてじかに会うようにしている。これには理由があって、メールやネット、SNSで完結してはならないコミュニケーションがあると信じているし、僕自身、そういったコミュニケーションが単純に好きなのだ。

むろん、彼らの一部は東京にやって来ようが、最終的に電子メールのみで連絡を取り合うだけで、実際に会わないケースがあるけれど、まあ、時間だって限られているという事情があるので、どうすることもできない。

SNSは、そういった僕が好きなコミュニケーションを結果として奪っているんじゃないだろうかと思う場合があるのだ。

ブログやSNSや電子メール、目を見張るほど、ネット以前の時代に比べて、情報を発信する場も与えられたし、同時にそれら情報を得る場所も増えた。しかしそこには文字数に比べると物語性が欠如している。

最近僕が感じる、SNSで誰かの日記を読んだ後にやってくる独特の感情、もしかしたら知らずして物語を求めているのかもしれない。いうまでもなく日記には物語は存在しない。近頃、まるでシーソーゲームでバランスを取るように小説を読むようになってきているのは、情報社会をサバイブしようとしている本能の所以なのだろうか。

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2007年12月04日

Ancient Herbs & Mordern Medicines : December 2007

PSYBABA.NET reccomends 5 potions in this month are

1.Paul McCartney - Wonderful Christmastime (EMI)
2.F.P.M. - Euphoria #MondoGrosso remix (CUTTING EDGE)
3.Lotus - Umbilical Moonrise (HARMONIZED)
4.Younger Brother - All I Want (TWISTED)
5.Underworld - Born slippy (V2)

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2007年12月03日

どないやねんという人たち

フォネティックコードというものがある。戦場で必要な重要な文字や数字を、決して間違えないように無線を通じて伝達する目的で開発されたものだ。アルファベットの頭文字が先頭になる言葉を丸ごと発して、アルファベット自体を伝達する方法だ。

例えば、BとDとPとTは混合しやすいし、間違えたら致命的である。そこで、AlfaのA、BravoのBなどと表現し、相手に伝えるのである。

以前、フォネティックコードさながら相手に重要な文字情報を伝えるという職に従事していて、関西方面の相手に対して「えー、そうですね、東京のTですよ」と<T>を表現し偉い目にあった。

「東京のT?何がやねん。Tって言ったらタイガースのTやがな」と。

じつに関西というところは不思議で、アンチ東京に抜かりがない土地である。

余談だが大学でこんな授業を習い感心した記憶がある。ある商品の物流量を調べると、関西だけが出荷数に伸び悩みがあるのだという。担当者一同、どうにもこうにも頭を捻ってもパンツを脱いでも、皆目見当付かない。関西以南は他都道府県と同様の売り上げが計上されるというのにだから困ったものである。

とにかく、関西エリアだけが売れない。謎だ。そこで、ある担当者が商品の味や宣伝方法ではなく、その商品のパッケージに着目した。

そしてある発見をした。「江戸☆らさき」と表示されているのを。

つまり江戸という単語一つで関西の売り上げが落ちたらしい。

そんな土地柄なので、<東京のT>なんてのは、火に油を注ぐかのように、彼らのアンチ魂を奮い起こしてしまうのだ。そんな傾向に気づいた自分は何度となく意図的に<東京のT>と数多くの見知らぬ関西人に伝え、そしてその後に延々と叱られた。

しかし、怒りが沸騰している彼らではあるが、同時にユーモアの精神を決して忘れることがないようで、「あ、すみませんでした。えっとそうですね、田淵のTですね」と続けると、「わっはっは、お兄ちゃん、さすがやなぁ。そうやねん田淵のTやねん」と褒めてくれる。

なんともはや。

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