同僚(そして、 [PSBN DMG(PSYBABA.NET Design Manegement Group)]の長)の縁側さんが、本日が最終出勤日となった。彼女には本当にお世話になりっぱなしだった。
ニュアンスと直感だけで「こうしたい、あーしたい」と言うだけの僕のサイトのオーダー(もちろんそれをオーダーと呼べば、である。こんな感じにしたいのよねという、まさに感覚的なニュアンスのオーダーだ・・・)引き受けていただき、しかも忙しい時間を削って作ってくれて、色々とこしらえてくれた。
その仕上がりも、もう文句のつけどころも無いぐらい素晴らしい出来合いで、本当に多謝多謝なのであった。
そして、彼女の発想と言うか着眼点というかセンスは、まさに天性の賜物で、しばしば「ko君ってさ、デッサン能力が皆無だよね」といろんな人に言われる身としてみれば、本当に初めて太陽を見る地下住人のような気持ちにすらなる。
ホームページ関係以外でも実に彼女から教えてもらったことは限りがなく、35ミリの写真に興味を持ったのも、彼女からで、とあるサイトとカメラの機種を教えてもらってから、僕は、ずいずいとそのカメラという奥深いジャングルにハマッた。
多方面で彼女からの影響を受けた。
新しい出発を祝って。
出産までの日々、母子共に健康でありますように!
デス・トゥ・スムーチー【2002年 アメリカ】
監督:
ダニー・デヴィート(Danny DeVito)
キャスト:
レインボー・ランドルフ --ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)
スムーチー --エドワード・ノートン(Edward Norton)
ノラ --キャサリン・キーナー(Catherine Keener)
高視聴率の子供番組に出演しているミスター・レインボーは、その画面上に映るファンタジー像とは裏腹に、自分の子供を出演させたい親から賄賂を受け取る裏の顔も持っていた。
ついに司法の手が伸び、そのおとり捜査にひっかかり、スキャンダルにさらされたランドルフは、番組を降板させられてしまう。
そのミスター・レインボーの代役に起用されたのがまったく無名のスムーチー。
心の底から世界を良くしようと考えるスムーチーは瞬く間に子供達の人気者に。
そんな彼を羨むランドルフは、とうとうスムーチーを暗殺しようと決心した。。。
さて、この映画の主人公スムーチー役のエドワード・ノートンの演技を観ていると、どうしてか、いつも晩年のルイ・アームストロング─サッチモ─を思う。
不思議なことなんだけれども、彼の演技から想起されるイメージと言うのは、いつも(少なくとも僕にとって)サッチモなのだ。
一方は主役キラーとも呼ばれる演技派俳優、一方はジャズ創生期を語る上で、決して外すことの出来ないジャズトランペットの名手。
この2人の間柄に別に共通の何かがあるわけでもないし、ノートンがサッチモの曲が流れる映画に出ていたというのも、乏しいながら僕の映画の記憶の導電からも思い当たらない。
それでもどうしてか、彼の演技を観ているとバックから、あの甘くて切ない「What A Wonderful World」が切々と流れるのだ。
嗚呼、素晴らしき世界。
それは、僕が初めて観たノートンの演技─そして事実上ノックアウトされた─「真実の行方」(96年)に感じた出来事だ。
ノートンが出演しなかったら、残念ながらヒットはしなかったであろうこの映画で、彼は主役のリチャード・ギアをまさに喰ってしまう演技で衝撃的に銀幕を飾った。
この作品以降も、「アメリカン・ヒストリーX」(98年)、「ファイトクラブ」(99年)、「25時」(02年)と、常に観客を魅了した。
まるでサッチモが人々をトランペットの音色で魅了したように。
甘くて切ない歌声のように。
もしかしたら、彼らが僕に与えてくれるのは、空から舞い降りる雪の結晶のような、魔法のようなものなのかもしれない。
そんなことを、日本未公開の「デス・トゥ・スムーチー」(02年)を観て思った。
彼は、二重人格者やドラッグの売人や、穢れを知らない純粋無垢なエンターティナーを演じる時も、たとえその姿が自分の実際とかけ離れていようが、常に人々を惹きつけ、今後も魅了しつづけるのだろう。
これからも出演作を追っていきたい。
同じく演技派でありながら、コメディ路線色が強いロビン・ウィリアムスが穢れ役を演じているのも見所だ。
コメディサスペンス度★★★★★
・川畑聡一郎「S60チルドレン」(1)(2)(3)(4)
「S60チルドレン」(1)(2)(3)(4)
昭和6x年、僕は小学校6年生で、みんなと同じくらい昭和があと数年先に終焉を告げるなんて心の何処にも思っていなくて、ビックリマンチョコのシールは集めるけれども、チョコの部分は食べなくて叱られて、ドラクエ2の復活の呪文を間違えて、画面の前でうな垂れたり、駄菓子屋でうまい棒食べたり、ガチャガチャで一喜一憂し、50円のカップラーメンを啜ったりしていた。教室では、男子と女子と明確に分かれていたけれど、ほんのちょっとだけ(たぶん)お互いに異性を気にしていた。
女子は休み時間になると、教室の端っこで交換日記をキャッキャと笑いながら陽だまりの中で交換したり、校庭でゴム跳びしたりして遊び、男子は6年1組と3組とかで分かれて、サッカーの試合をしたり、時には男子と女子が混ざってケイドロ(or、ドロケイ)をした。
そして、道徳の時間は、教育テレビの「みんななかよし」という番組を観ることになっていて、テレビを点けている間は教室のカーテンが閉められた。
窓側のクラスメイトがテレビを観る際のカーテンを閉める係で、カーテンを閉めるだけで、教室が違った感じに映る独特の雰囲気が好きだった。
「♪口笛吹いて、空き地へ行った。知らない子がやって来て、遊ばないかと笑って言った♪」
その唄の流れる時間に、クラスの片思いの女の子が、カーテンの隙間から校庭を眺める、時折見せる大人びた横顔は僕をどうしようもなく複雑な気持ちにして、それでいて、小学生ながらも、僕らはやがて大人になるのかなとぼんやりと想ったりもした。
この作品は残酷だけれども読者を選ぶ。僕はそういう風に信じている。
すべての昭和60年代に小学生時代を送った人たちに。
今年31歳で逝去した川畑聡一郎氏に。
[ 奇憚ノベ集 ]
サンダルの指の頭にプロテクトをつけた「toe guard」商品で一世を風靡し、2004年のアウトドア業界を賑やかせた。
そのKEENがシューズも手がけて、リリースをしている。こちらもやはりKEEN独自の「toe guard」が施してあり、まるでエンジニアブーツのよう。軽くてタフだし、アウトドア好きには、なかなかお奨め。
ひさびさに俺マイ。
ADSLが完璧に自宅でリンクしなくなり(非対称デジタル加入者線なんて、もう信じない)、写真もupできないことから、いろいろとトピックス。
【Dvd】
・『不思議惑星キン・ザ・ザ』
ソ連のSF。あのキンザザとは関係ないっぽい。寒い土地ってイカれた奴が多いのかな。
すぐに観ないと。
・『ジャン=ピエール・ジュネ傑作短編集』
「デリカテッセン」「ロストチルドレン」などの名作を生み出した鬼才。
マイク・キャロとコンビを組んでいた初期の作品集なので期待大。
公式:
なし
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【Books】
・『S60チルドレン』全4巻 イブニングKC
キン消し、ファミコン、ビックリマンシール。昭和のガキを描いた名作。
作者の川畑聡一郎は今年31歳の若さで逝去。惜しい、実に惜しい。
帯が「ショウワのガキどもより、ヘイセイの大人たちへ。」
amazon:
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【Music】
・『YMCK』
ファミコン的サウンドを載せたポップテクノ。80年代的な香りがプンプン。
音も歌もキャッチーで聴いていると何処か懐かしい。
というよりはコレ、あいつん家でやったファミコンの音じゃんっってな感じ。たんなるサンプリングで終わらずにオリジナルなサウンドになっているのが良い。
ヴィレッジヴァンガードでトップ入り。
【Food】
・『スパイスマジック カルカッタ』
東西線西葛西駅、徒歩数分にあるインドカレー屋さん。
この辺一帯はインド人街としても有名(実際に店舗とかが並んでいるわけでもないけれど)。
そんなエリアにある最強のカレー屋がここ。
ここのチキンカレーとサフランライスは、マジで旨い。
インドで食べるカレーより確実に旨い。添加物を使わないで仕上げるコクは、まさにマジックスパイスだ。
公式:
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ご存知・・・、かどうかは知らないが、バリ島はバリヒンドゥーと言って、インドネシアに伝播したヒンドゥー教が独特に発展した島独自の宗教があり、その宗教の中で規律とモットーを重んじて人々は生活している。
実際にインドにおける不可触賎民(ハリジャン)の位置を示す身分制度は無いにせよ、緩やかにカースト制度が存在する島だ。
たしかプダンダと呼ばれる祭司がいて、多くの庶民はシュードラというカーストであったと記憶している。
そして、庶民の生活の実にさまざまな到る所に、このバリヒンドゥー的な宗教習慣が実際に見られる。
ウブドゥはもとより、クタビーチやスミニャックのどんなサイケデリックな店ですらも、朝になれば必ず店の入り口に葉っぱで包まれた花の乗ったお供え物が置いてあるし、山の方では獅子舞とルーツが同じであろう被り物をした動物が練り歩いている。この島を訪れる多くの旅人がまずは驚く事実だ。
日本の、とりわけ東京のクリスマスは、シュプレヒコールの如くクリスマスソングが鳴り響くので、否応がなしに12月24日がクリスマスであると強制的自覚を強いられ、豪華絢爛な装飾のデパートとその徹底としたシーズンイベントに、日本人はキリスト教を信じるのか?と、外国人に錯覚させるほどの勢いがあるという。
しかも、その数日後には神社にお参りをするものだから、更なるその豹変振りに、外国人がケムに巻かれるのは有名すぎる話だ。日本の特徴的な嗜好の一面である。
これがバリ島となると、まるで逆の立場に追いやられ、自分が否応ナシにキリスト教圏外に、今居るのだ、と気付かされるわけである。
でもこれはもっともな話で、国民的に無宗教感が蔓延する日本だからこそ、クリスマスをひとつの年行事として成立させてしまう傾向がある、
つまり日本人にとっては、7月7日の七夕も12月24日のクリスマスイブも同列なのである。どちらも年行事として捉えて、同じ性質で、或る意味、宗教が立ち入る隙がない。
だから、少なくとも信仰心からしてみれば、バリ島の感覚のほうが正しいと言わざるを得ない。
さてバリに腰を据えて旅をしていた頃、ビーチで日焼けして、夕方までロスメン(バリの安宿)でナシゴレン(インドネシアの焼き飯)やサテー(焼き鳥)を頬張り、ビンタンビアやバリハイを呑んでは寝るという自堕落な生活をしていた。
そんな日々でも、朝食の時間だけは毎日ちゃんと起床して食べるように心がけていた。
心がけていたといっても朝の10時に起床するのすら、呪詛を呟くほどだったから大した早起きじゃないんだけれど、どうしてそこまでして早く起きるのかというと、バリ島のロスメンはアジアの他の国々のゲストハウスと違って、朝食が出るのである。
これは節約生活をするバックパッカーにはありがたいことだ。
だいたいがフルーツとパンと卵とバリコーヒー、コーヒーの粉がたっぷりと沈んだバリコピである。
網を編んだテーブルに置かれた朝食を、バリニーズのふくよかな微笑に囲まれて食べる。
木陰の竹製のしっくりとしたテーブルで、軽くシャワーを浴びた後に食べる朝食は格別だ。
12月24日、その日も例外ではなく、いつも座る少し段を登ったプールのよく見えるテラスで新聞を読みつつ、朝食を食べていた。
何気なく目にやった英字新聞のその日付で、僕らはようやくその日がクリスマスイブだってことを知った。
半袖と短パンで迎えるクリスマスはまるで実感が湧かなかった。
特にクリスマスソングが流れるわけでもないし、もみの木があるわけでもないし(椰子の木ならあるけれど)、街のどこもが昨日と同じであった。
新聞さえ読まなければきっと永遠に気が付かなかったに違いない。
「やれやれ、今日はクリスマスだぜ」僕と僕の友人は揃って言うと、わけもなくテラスでゲラゲラ笑ってしまった。
今日がクリスマス!そう思うだけで笑いが吹き出た。
それはとてつもなく僕らにもバリ島にも関係ない行事に思えたのだ。
僕らの周りにあるのはキラキラと水面が輝くプールとお香の漂うテラスと、コパトーンのサンオイルの甘い香りにビーチサンダルだった。
僕らがあまりにも大笑いしているので、ロスメンのスタッフが、おいおい、一体どうしたんだと様子を見にきた。
目に涙を浮かべてヒィーヒィーと呼吸をする僕らは何とか笑いを堪えて、「メリークリスマス!」と大きな声で言った。
突然なにを言っているんだ?、こいつらは、と言うかのようにキョトンとした顔つきでスタッフが首を傾げていた。
こんなクリスマスもたまには。
予備校時代からの腐れ縁で、19歳の時、一緒に訪れたタイで、永遠と「あぁ~っサンドウィッチしてぇ」と意味不明な言葉を叫んでいたバーゴリ君(父親のお仕事の関係で中東にあるバーレンに長期滞在していたのと、そのズバ抜けて日本人離れした体躯からイメージされる動物キャラを合体させたステキなあだ名)、通称コンさんがアメリカンフットボールのJAPAN BOWL決勝戦@東京ドームに出場するとのことで駆けつけてまいります。
僕の高校にもアメフト部がありましたが、イマイチそのルールが分からないのが残念。
裏情報によると、どうやらチアガールがすごいらしい。あれはなぁ、見応えあるぞ、とのこと。
なるほど、どう見応えあるのか確認せねば。
JAPAN BOWL公式ページ:
http://www.xleague.com/review/05/jxb/jxb.html
今日は朝から変な一日です。変な仕事の依頼とか、変な仕事の電話とか、変なおじさんとか。
そういうおかしな一日には、下手すると、隣の家のナチ的大佐がずぶ濡れで立っているなんてことも起きたって不思議じゃありませんが、いずれにせよ、、重なる日は重なるものです(Fromアメリカンビューティ)。
で、そんな変な一日に相応しく、どうやらケータイ電話落としたみたいです、自分。
都会でケータイが無いというのは、腰ミノ一丁でジャングルの密林を歩くのと大差ないですね。ぶり大根の煮汁のように身にしみている次第です。
とりあえず回線停止していますので、申し訳ないのですが、連絡は、@孫正義.co.jpのアドレスか、こちらまでお願いします。
渋谷のファイヤー通りと東急ハンズ近くのciscoのHOUSE館の斜め前それぞれに店舗を構えている「モボモガ」。
「モボモガ」がモダンボーイ、モダンガールの略であると気がついた人はなかなか鋭いところだ。
その名の通り、モダンな雰囲気のアメリカンロックが流れる、サボテンとテキーラが似合いそうな穴ぐら的店内は、薄暗く、オブジェチックな照明が照らされる空間で、カクテルとかというよりバーボンやスピリッツがしっくりと合いそうな店である。
元祖カフェめしと言えば必ずノミネートされるぐらい昔からあり、その気さくなメニューの数々に、渋谷にきたらココが定番という人も少なくない。
煙草の脂で燻された店内にいると、何気なしにワイルドな気分にもなってくる。
写真はハンバーグピラフ(1100円)
「モボモガ」ってどんな店って尋ねられたら、きっと10人中10人は『とにかく量がとんでもない店』と答えることだろう。
なにもかもがアメリカンサイズ。
うっかりそれを知らずに頼むとエライ目にあうのでご注意。
下の写真の飲み物もけっしてLサイズってわけじゃなくて、これがこの店の標準サイズ。
バイレックスの計量カップというかビーカーがコップだよ。
ただ単に巨大とか量が多いってだけではなく味も保証つき。
ハンバーグピラフは、どっさりとジューシィな肉汁たっぷりのハンバーグが乗っていて湯気を立てている。
トマトソースの甘み豊かな香りが立ち込め、思わず喉が鳴る。
引きちぎるようにスプーンを入れると肉汁とライスが一緒に。それをアグリと口に運ぶのだ。おもわず渋谷にいるのも忘れちゃいそう。
スピーカーから流れる「カルフォルニケイション」の甘く切ないメロディを聴きつつ、アルコールをもう一杯。
モボモガ
渋谷区神南1-9-4NCビル2F(神南店)
渋谷区宇田川町4-9くれたけビル2F(宇田川店)
平日11:30~23:00
日・祝日12:00~22:00
水曜定休
ハンバーグピラフ --\1100
メキシカンチキンピラフ --\1100
ベーコンエッグカレー --\1050
モガ風カレー --\1050
タコライス --\1100
バナナジュース --\750
アイスアーモンドオレ --\700
イチゴシェイク --\800
ハロー。How's it going?
みなさん、 いかがお過ごし?
風邪なぞ引いてないかい。
東京は相変わらずだよ。全然変わりがない。季節も季節だから、だんだん寒くなって師走が近づいている。
そうそう、こないだはエリックとSige-Matsuさんと門仲でもんじゃとお好み焼きを食べに行ってきました。
何枚かケータイで撮った写真も。みんなにも連絡いってるだろうけど、Sige-Matsuさん、お元気そうよ。
アレがコレで仕事は別々だから傍目からしかみてないけど、いい感じそうだね。
もんじゃ焼き? もんじゃはやっぱ東京が一番さ。ここのネギ焼き食べないと、もんじゃを語れないよ。
今度来た時行こうぜ。東京だって美味しいものがあるのを教えてあげるさ。
そんで、11日に東京ドームのラクーアに行ったんだ。HR川さんとItoさんとSige-Matsuさんと4人で。
エリックは結婚式があるから来れないってさ。Tani-Mは仕事で休みが取れないって。
そうだよね、3年も経っているんだし、仕事だってバラバラだものね。
でも、集まるときは集まるもんさ。何処に居たって関係ないよ。
ラクーアは2900円くらい掛かる高めの温泉施設だけど、値段だけの価値があるかな。
遠赤外線の亜細亜の楽園のようなサウナ施設から眺める夜景はピカイチだし、お肌もスベスベ。
2日経った今日だってまだ艶々しているよ。
おっと、温泉には入る前にジェットコースターも乗るべきだよ。息もつけない疾走感。ほとんど直滑降に下るコースターに乗ればアドレナリンが分泌されまくる。
一瞬死ぬかと思ったね。グングン上がって周りの高層ビルが小さく見えるだもの。
で、その帰りに、東京土産的な観光名所として「メイドカフェ」にも。
まあ、これは当人とっての要望ということで。
もちろん僕らもこういうのは、わりとまんざらじゃなかったり。
けどね、凄かった、「メイドカフェ」。
メイドが凄いっていうよりは客がすごかった。なんていうか、ぶっちゃけたところ、危ないってやつかな。
メイドも『おかえりなさいませ、ご主人様~』とかって言うし、『にゃんにゃん』とかって猫の物真似みたいのしているんだけど、お客さんはもっと濃い。なんていうか濃い。普段はなかなか会えない濃度の持ち主ばかり。
笑うのを堪えるのに必死だったよ。ほとんどが常連で、一人で来店しているわけだし、見ようによってはベテラン。それよりもなによりも、勇気あるな、こういうところに一人で来るの。
ほんっと、二人組とかはたいてい悪ノリで蹴飛ばしたくなるような連中のわりには、ピンのお客さんは静かに濃かったな。
『最近×××にログインしてないっすね』とか『今日は忙しかったの?』とかひたむきな態度でメイドに話し掛けている。
なんていうか彼のドキドキ感がこっちにも伝わってくるんだよね。
愛ってなんだろね。愛ってさ。どうよ、最近、愛しているかい?
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ウォー・ゲーム【1983年 アメリカ】
監督:
ジョン・バダム(John Badham)
キャスト:
ディヴィット --マシュー・ブロデリック(Matthew Broderick)
ジェニファー --アリー・シーディ(Ally Sheedy)
フォルケン --ジョン・ウッド(John Wood)
マキットリック --ダブニー・コールマン(Dabney Coleman)
元祖ハッキング&コンピュータークライシスの映画といえば、なんと言ってもこの「ウォー・ゲーム」。
この作品以外は考えられないぐらい、80年代の冷戦を代表するSF近未来大作。
シアトルに住む18歳のコンピューター少年ディヴィットが新しいパソコン欲しさにコンピューター会社に不正アクセスして侵入しようと試みたところ、アメリカ国防庁の最高軍事機密レベルにある端末に偶然アクセスしてしまう。
「世界全面核戦争」と称されるシュミレーションゲームを軽い気持ちでログインするディビットだが、なんとそれは実際に現実世界に直結した、ゲームではない世界を核の恐怖に落とし込む操作だった。。。
83年公開ということあって、派手なCGもなくユルい雰囲気と、ほんのり残っている70年代の風潮がなんともいえない味を醸し出している。
音響カプラーでネットに繋げる姿は今となってはある意味新鮮だし、外部メディアも〝大きい海苔〟みたいなフロッピー。国防庁のセキュリティ室はマジックミラーだけ!!
そしてこの時代のアメリカの仮想敵国といえば、いまやその影を追うのすら難しい旧ソ連。
秘密主義的なその国家背景は、当時の多くのスパイ小説や映画の題材となった。
この「ウォー・ゲーム」の仮想敵国も、もちろん旧ソ連。時代が変われば映画も変わるってやつだ。
公開当初は、マシュー・ブロデリックの甘いマスクが演じるコンピューター少年がなかなか好評だったとか。
なにせこの頃の端末といったら、今のパソコンの普及とは桁違いにマニアックな(こういう言い方をしても恐らく語弊がないだろう。当時、個人でパソコンを所有してネットに繋げている者は少し変わっていた)商品だったし、実にオタクなアイテムだったのだ。
その商品を高校生ながらに巧みに扱い、しかもバックドアから侵入を試みる。この配役設定は多くの潜在的コンピューター若者を虜にしたらしい。
物語中盤、軟禁されていたディヴィットが抜け出し、途中の電話ボックスからコインを使わずに裏技(受話器を外した電話機に空き缶のプルタブをくっつけ電波に同調する方法)で、ジェニファーに掛ける姿は今でも実に新鮮だ。
このシーンには個人的な思い入れがあって、小学生の自分は、映画を観に終わって、この映画をそのまま鵜呑みにして、近所の電話ボックスから同じことをしようとして大目玉をくらったことがある。
コンピューター社会を杞憂する映画としては時代的に〝早すぎた〟感があるのだろうか。端末任せの管理システムが問題を起こすという映画ならではの出来事に現実がようやく追いついてきたようだ。「ウォー・ゲーム」みたいな事件てフツーにありそうだもんね。だからこそ、20年以上経っても色褪せない飽きさせない映画だし、そういった古臭さを抜きにしたって21世紀に楽しめるエンターテイメントなのだろう。
所沢駅西口を降りると、賑やかな繁華街になり、そこから徒歩で歩くこと数分の立地にあるのが「四川 龍の子」の所沢店。
四川料理といえば言わずとしれた激辛料理の数々であり、例えば有名なところで麻婆豆腐などがそうだ。
「龍の子」のメニューにも、麻婆豆腐丼や麻婆ラーメンや坦々麺と見るからに辛そうな品々が目白押しで、辛いもの好きには堪らないらしい。
実際に原宿にある本店(?)は、そういったスパイシー系で一目を置かれている。
またトマト麺なるものもあって、真っ赤なトマトスープに煮てあるレタスが入っているという、もしかしたらゲテモノ?と思いたくもなるメニューがあるのだけど、意外とこれが美味しいとか。
でもここまでくると、もうラーメンなのか創作料理なのか区別もへったくれもないので、ノーコメント。正直、ビビるほど不味くなく、むしろ旨いというのが食べた人の弁。
写真は塩ラーメン(750円)
チベットの塩を使用したという触れ込みの塩ラーメン。
こってりと油の浮いた青葱と白葱が細かく散らしてあるスープは絶妙。
塩ラーメンのサッパリさと程よいこってり具合が掛け合う。
もともとが中華料理の店だけに、スープに奥行きがあって、丁寧に裏ごしされたダシがガツンとやってくる。そして、スープに浮かぶ海藻の風味がこれまた格別。もう一口と、ついつい蓮華がやめられないとまらない。
チャーシューは柔らかめで濃い目の味付け。
ほとんど噛むことも無くとろけるチャーシューのしっかりとした醤油風味は試す価値あり。
麺は中太の縮れ麺。塩ラーメンではかなり上位にランクイン。
四川 龍の子
埼玉県所沢市日吉町9-2
(西武新宿・池袋線所沢駅徒歩3分)
11:00~2:00
無休
塩ラーメン --\750
ラーメン --\600
トマト麺 --\750
今日12月8日、ニューヨークのある街角で自称熱狂的なファンのマーク・チャップマンにジョンレノンは殺された。
いまから25年前の話である。
17歳の12月8日に観た映画「イマジン」に、ジョンの追悼シーンが一部あって、画面ではファンが蝋燭を片手に祈りを捧げていた。
目を閉じて悲しみに暮れるその姿に、僕は酷くやりきれない気持ちと泣きたい気持ちが入り混じって、結局泣いた。
その時に流れていたのが、「All You Need Is Love」だった。
R.I.P. John
All you need is love.
All you need is love.
All you need is love, love.
Love is all you need.
・三好銀 「三好さんとこの日曜日」
「三好さんとこの日曜日」
90年代初頭にスピリッツに掲載されていた三好銀の初の単行本。梅という名の猫を飼う夫婦の、何処かにありそうなやさしい淡々とした日曜日の様子を描いた名作。
寡作で有名なこの著者の描く漫画は、シンとした不思議なノスタルジック漂う静謐な心地よさがある。
夜、寝静まった時刻に遠くから聞こえる汽笛の音に耳を澄ますときの気持ち。
作者の住んでいたエリアが西荻窪-吉祥寺あたりだったので、中央線的な生活(そんなのがあるようで、ないようで、やっぱりある)が、懐かしいデジャブのように書き出されていて、読み終えると温かい気持ちになる。
誰かに何かを伝えたいような、誰かとなんとなくお散歩したいような素晴らしい名作だ。
登場の梅ちゃんがかわいすぎるので、猫好きにお奨め。一作品がだいたい2ページ程度。
たとえ明日が月曜日でもこんな日曜日が好きだなという台詞が本作品にあるけれど、まさにその通り。
こんな日曜日があったらいいな。
淡々として、それでいてささやかな日々の生活であり、小さな幸せであるような日曜日。
すでに絶版であるのが悲しい。スピリッツ掲載分で、単行本未収録の作品が幾つかあるはず。部数は伸びなかったかもしれないけれど、珠玉の名作はあるのだから。再販と未収録作品の単行本化を強く望む。
─amazon─
もし神が存在するなら 人の心の中じゃない
人と人との間のわずかな空間にいる
この世に魔法があるなら
それは人が理解し合おうとする力のこと
たとえ理解できなくてもかまわないの 相手を思う心が大切
映画『ビフォア・サンライズ』
たまには、日々の日常を綴ってみようじゃないか。
12月2日(金)
第??回の「肉の会」。
何回目なのか分からないのは、「肉の会」を幾度となくドタキャンしたため・・・。
もちろん会長、副会長レベルは掌握している筈。
今回は「年忘れ肉の会」。場所は西葛西の「金ナントカ園」。
年忘れとしては、いつもの場所。
会長、副会長、うー、koとお馴染みの顔ぶれに、新メンバーぬまっち登場。
会長と同じ会社に勤めている前回参加の肉超人(♀)が参加できないのが、残念だ。
肉で肉を購う性の垣根を越えたバトルロイ肉は、次回に持ち越しである。
さて、この「金ナントカ園」は、毎年来ているけど、なんだかんだで肉が旨い。
肉の写真をパシャパシャ撮ったが、また食べたくなるので、ここは割愛。
そして、肉が旨いのにいつまでたっても毎回、店の名前が覚えられないのが悲しい。
西葛西の駅降りて12秒のところにあるので、「いつだって、肉食わなきゃワタシ死んじゃうの」的は人は病院に行く前にぜひ、ここに。値は張るけど、味は保証。
ところで、ぬまっちは、ドアを閉めてからS(サド)だとか。
「ドアを閉めるまではおとなしいんだよねぇ。ドアを閉めたあとはもうヤバイよ、俺。超言葉責め」。
そうなのか。どんな責め具合なのか一度聴かせて欲しいものだ。
─肉の会─
12月3日(土)
夕方から、秩父の夜祭に行く。
毎年12月2日3日に開催のこのお祭りは、曜日が合わなくて歯痒い気持ちでいっぱいだったけど、今年は土日開催なので、思い切って行ってみる。
日本3大夜祭(他の2つがどこだか知らない)と名高く、夜な夜な秩父の山間を派手に提灯で装飾した曳き屋台が練り歩く。
それを一目見るだけでも価値があるというのに、着くまでは知らなかったが、全国の選りすぐりの花火玉が惜しみなく何百発と打ち上げられる祭りでもあったのだ。
真冬に眺める尺玉はホントに圧巻で、仕掛け玉のような尺玉は言葉にならない美しさ。
何メートルも離れている距離から見ているのに胸にドンドンと音がする迫力。
スターマインも見たことのない仕掛けで、あのスターマインが猛スピードで打ち上げられるのだ。
身悶えする感覚。スターマインで空が眩しくなるなんて、いままで想像したこともなかった。
そして尺玉連発の夜空の下でみる曳き屋台の神々しさ。いまのところナンバーワンの花火&夜祭。
昂奮止まぬまま夜通し遊ぶ。
EXA 1b で、何枚か流し撮り。
来年は、土日開催。
12月4日(日)
昼過ぎまで爆睡。外を見ると雨が降っているみたいだ。
昨日のお祭りが雨じゃなくて改めてほっとする。
むげん堂で購入した、ベトナムコーヒーのフィルターで淹れた珈琲を飲んで、ゴロゴロとまったりモード。
そして、ADSL回線の速度変更(1M→24M)がようやく開通。体感的にはまるで同じ。まぁ、いいか。
開通ついでに色々と机周りを整頓して、夜ご飯は、元同期の四谷在住のこじか君と四谷三丁目の大戸屋に。
こじか君は、煮込んである鶏肉を単品で、そしてデザートを、僕はカキフライ定食を食べる。
「僕、こんなに食べれない」とライスを食べずとも、デザートは頼むというこじか君から鶏肉を半分貰う。
カキフライ定食は780円としてみれば、正直悪くない。
大戸屋は、ご飯やおかずがそこそこイケているのに、味噌汁だけが美味しくないというか、味に広がりがないのが毎度ながらに残念だ。
でもって、お互いの近況をつれづれと話す。
多くの日本のブログで使用されているシック○アパートのサポートの仕事があるらしい。
雇用側の求めている技術(unix、phpエトセトラ)とギャラが折り合ってなくて、しょっぱい内容だから渋っているとか。
あと、ついでにSoberの亜種の話をする。
ワクチンベンダーで働いている彼のところにも、どうやら、こちらで確認した謎の亜種のレポートは無い。残念だ。
ブログについて語ろう。
なぜTBがないのかといえばトラックバックの機能が必要ないから。
なくてもダイジョウブ、でもその機能が付いていたって、問題じゃない。
でも、便利は新たな不便利を引き起こすかもしれないから、なんだかんだで、つけない。それは個人の問題だから、或る無いの差はあっても良し悪しの差はない。
つけたい奴がつけて、つけたくない奴がつけなければいいだけだ。
もし、ブログなんだから付けろよと云う奴が居たら、そいつの頭めがけて豆腐でも投げつけてやればいい。
そんな奴は豆腐の角に頭をぶつけただけで死んでしまうだろう。
でも必要ってなんだろう?ブログは必要なのか?
たぶんこれもなくてもダイジョウブだ。
mixiだってなくてもダイジョウブだ。ドメインも、携帯も。
ウチに何台かあるパソコンやカメラや聴きもしない収集しているサイケのCDも。
そう考えると、僕はなんだか要らないものばかり集めているような気がする。
ところで、僕はいったい何を書こうとしているのだろうか。少なくともこの文章に終着がない。
あるとすれば、世界の片鱗にしがみついている堕天使の独白だ。
そして悲しいことに駄天使に救済は与えられない。彼の翼は灰色に穢れていて、彷徨う運命にある。
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時々、都会を離れて月数万円で田舎暮らしをする家族の番組を観ることがある。
彼らは実にシンプルな生活をしている。悲しみや幸せが直截的に呼応する世界に住んでいるように僕には映る。
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩くような生活なのだろうか。
似ているのかどうかはしらないが、恐らくその生活に近いだろう人たちをネパールの山中で見たことが或る。
ネパールの人々は未知の世界に対する探究心があった。
僕らは都市生活の伝道者であり、情報提供者であった。
彼らが僕の腕に装着されているG-Shockを見る眼には、何か一筋の灯りがあったし、それは実に素直な反応だった。
G-Shockは、あるひとつの象徴だ。
象徴が具現化して僕の腕に巻きついたと考えてもいい。
その先に何を見るかはその者の状況によって異なる。
彼らは村に数本しかないコカコーラを、まるで神秘の泉から溢れた液体のように取り扱ったし、僕の腕に装着してある時計を宝島の宝箱を眺めるように見た。
僕にはそのような気持ちがない。
コカコーラなんてのは、そこいらにある空気みたいなものだ。刺激すら感応しない。
幾ばくかのコインを投げる。ガチャン。
コカコーラが一本出てくる。
そのコカコーラを飲んでいる僕の眼はきっと乾いた死んだような眼なのだろう。
コカコーラに憧れたい。いつしかからそんな風なことを思うようになった。
それができる奴はきっと何処で生活しても問題ない気がする。
飛騨の山奥でも六本木ヒルズの最上階でも変わることがないのかもしれない。
でも自分はダメだ。自分は弱い。
シンプルを求めるにはシンプルな場所に到達しないと出来ないことを知っている。
なにがしろの強みがあるとすれば、僕には、自分が弱いことを知っているというささやかな事実だ。