2005年12月27日

デス・トゥ・スムーチー

デス・トゥ・スムーチー【2002年 アメリカ】

監督:
ダニー・デヴィート(Danny DeVito)

キャスト:
レインボー・ランドルフ --ロビン・ウィリアムズ(Robin Williams)
スムーチー --エドワード・ノートン(Edward Norton)
ノラ --キャサリン・キーナー(Catherine Keener)


高視聴率の子供番組に出演しているミスター・レインボーは、その画面上に映るファンタジー像とは裏腹に、自分の子供を出演させたい親から賄賂を受け取る裏の顔も持っていた。

ついに司法の手が伸び、そのおとり捜査にひっかかり、スキャンダルにさらされたランドルフは、番組を降板させられてしまう。

そのミスター・レインボーの代役に起用されたのがまったく無名のスムーチー。

心の底から世界を良くしようと考えるスムーチーは瞬く間に子供達の人気者に。
そんな彼を羨むランドルフは、とうとうスムーチーを暗殺しようと決心した。。。


さて、この映画の主人公スムーチー役のエドワード・ノートンの演技を観ていると、どうしてか、いつも晩年のルイ・アームストロング─サッチモ─を思う。

不思議なことなんだけれども、彼の演技から想起されるイメージと言うのは、いつも(少なくとも僕にとって)サッチモなのだ。

一方は主役キラーとも呼ばれる演技派俳優、一方はジャズ創生期を語る上で、決して外すことの出来ないジャズトランペットの名手。

この2人の間柄に別に共通の何かがあるわけでもないし、ノートンがサッチモの曲が流れる映画に出ていたというのも、乏しいながら僕の映画の記憶の導電からも思い当たらない。

それでもどうしてか、彼の演技を観ているとバックから、あの甘くて切ない「What A Wonderful World」が切々と流れるのだ。

嗚呼、素晴らしき世界。

それは、僕が初めて観たノートンの演技─そして事実上ノックアウトされた─「真実の行方」(96年)に感じた出来事だ。

ノートンが出演しなかったら、残念ながらヒットはしなかったであろうこの映画で、彼は主役のリチャード・ギアをまさに喰ってしまう演技で衝撃的に銀幕を飾った。

この作品以降も、「アメリカン・ヒストリーX」(98年)、「ファイトクラブ」(99年)、「25時」(02年)と、常に観客を魅了した。

まるでサッチモが人々をトランペットの音色で魅了したように。
甘くて切ない歌声のように。

もしかしたら、彼らが僕に与えてくれるのは、空から舞い降りる雪の結晶のような、魔法のようなものなのかもしれない。

そんなことを、日本未公開の「デス・トゥ・スムーチー」(02年)を観て思った。

彼は、二重人格者やドラッグの売人や、穢れを知らない純粋無垢なエンターティナーを演じる時も、たとえその姿が自分の実際とかけ離れていようが、常に人々を惹きつけ、今後も魅了しつづけるのだろう。

これからも出演作を追っていきたい。

同じく演技派でありながら、コメディ路線色が強いロビン・ウィリアムスが穢れ役を演じているのも見所だ。

コメディサスペンス度★★★★★

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投稿者 ko : 2005年12月27日 19:19 | トラックバック(0)
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