2006年01月31日

ペティナイフ

果物ひとつ食べる行為を見ても、文化や国によって違いがあるようで、例えば葡萄を食べる時に、ヨーロッパ人のほとんどが皮を剥かずに、若しくは吐き出さないで、そのまま食べるのが普段の習慣になっている。

意外にも亜大陸インドにおいて、葡萄はポピュラーな果物で、ロザリオ・ロッソに近い赤葡萄やマスカットが、2月くらいからしょっちゅう屋台で顔を出していた。

小粒だけれど甘みがあり、それでいて、日本で買うより安価だったため、見かけるたびに買っていた。

喧騒的なカルカッタのサダルストリートにある老舗のゲストハウス、そう、あのパラゴンホテルの重々しい鋼鉄の玄関の横に毎日同じ夕刻になると並ぶ籠を持った果物売りも同様で、その日の収入を得ている彼らの主力な商品は、バナナと並んで葡萄が圧倒的だった。

水道から直接汲み取るローカルウォーターで洗い、インクの滲んだ新聞紙に並べて、まだ肌寒いカルカッタの夜を蝋燭の灯りで過ごしつつ、毎晩テラスで食べたものだ。

2月のカルカッタの夜は日本の5月くらいの季節で、バティックに包まり、気持ちのよい夜風にあたってノンビリできた。

テラスで思い出したが、カルカッタにはなぜかチョウメン(チベットの焼そば)の旨い屋台が多く、懐かしい故郷の味に近かったので、テイクアウトに持って帰って、チョウメンと果物で食事を賄った。

パラゴンホテルは日本人以外のヨーロッパ人の旅人も常宿にしていたから、彼らも夕刻になるとぞろぞろとテラスに現れた。

僕らが葡萄の皮を吐き出しているのをみると心底驚きの表情を見せ、、キョトンと僕らが皮を吐き出している姿に「日本はマジで贅沢だなぁ」としきりに感心していた。

*
*

一箇所のゲストハウスで一番長く生活したのはポカラのレイクサイドにあるゲストハウスで、3ヶ月ほどひとつのゲストハウスに滞在していた。

ゲストハウス以外となると、サウスアンジュナのルーシーズハウスになるが、ルーシーの家は行くところではなく、帰る場所だから、意味合いが異なる。

3ヶ月のゲストハウス生活となると、それは宿での生活というよりはアパートに近い生活なのだけれど、旅人の中にはゲストハウスに3年住んでいるようなツワモノがごろごろしているのだから、それはそれでキリがない。

ポカラのゲストハウスは庭にある台所が使えたので、たまに気が向くとそこで食事を作った。

簡単な料理ばかりで、パンにヤクのチーズを挟んだサンドウィッチや、スクランブルエッグなどを作っては気の向くままに食べた。

果物はインドほどではないが、とりあえず食べられて、バナナやオレンジ、林檎が一般的だったと記憶している。

林檎を食べるスタイルとなると、これまたお国柄が出て、僕らが包丁で全部カットして、お皿に並べてから食べるのに対して、ヨーロッパ人はぺティナイフを使ってちょっとずつ切ってナイフに乗っけてそのまま食べていた。

もちろん包丁やペティナイフがヴィクトリノクスのナイフであることは往々としてあったわけだけど。

ぺティナイフはヨーロッパで包丁以上に頻繁に使われているアイテムで、ちょっとしたハムや肉やチーズを切ったり、果物を切ったりするのに重宝する小型のナイフのようなものだ。

ぺティナイフで林檎を剥くときは全部を向かないで、片手で持つところだけ皮を残す。

皮のむいた実の部分は一口サイズに切ってナイフに乗っけたまま口に運ぶか他の食べる相手にあげる。

ちょっとずつ果物を食べる時間はゆったりとしていて至福だった。

贅沢な過ごし方のひとつだ。

そして、ペティナイフを上手に使いこなす人が食べる林檎ほどなぜか美味しそうに優雅に見えたものだった。

さっと手元にあるサフィーと呼ばれる布でナイフを拭くと布袋にしまう姿に惚れ惚れした。

日本でペティナイフとして有名なのはヘンケルスだろう。

ステンレス製だから錆びることもないし、手入れがラクである。

ペティナイフを買う条件は、なんといっても持ちやすさと切れやすさに尽きるわけだが、どちらを考慮してもヘンケルスは見事だ。

スパっと切れる正確さはさすがとしかいいようがない。

値段も手ごろで探せば2千円代からあり、それなりのモノが買える。


Zwilling ツインフィン ペティナイフ 130mm


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2006年01月30日

彼方に吼える

何も知らないで批判するのはラクな作業なんだなと、出勤早々に犬井は思った。

いつだって当事者以外が、あたかも知ったことのように一般論を偉そうに語りやがる。

直截、俺に言うならまだいい。そうじゃないからタチが悪い。

なんだその満足げな顔は?良いことでも言ったつもりでいるのか?

お前にその事情を知る術はないんだ。

なぜ言うなりになったのかだって?

俺はアホじゃないんだ。お前が想像しているような議論などとっくにかわした結果が、コレだ。お前の考えているようなことは俺はとっくに考えていた。

その前に俺に一言言わせろ。

「で、お前はだれなんだ?」

自分の仕事に関係ない奴が絡まってくることに辟易した朝だった。

犬井は出向した大阪の会社で、あるプロジェクトを一任されたのだが、犬井の知らないところで、つまり犬井の上司のそのまた上司の管轄で、まるでプロジェクトにそぐわない確約がなされていたのだ。

もちろん何も知らされていない犬井は激怒した。

納得がいくまで説明を求めた。

しかし会社と言うのは不便な場所で、正論が正論たる場所ではないのだ。

結局、何も知らない上司の一言ですべてが台無しになった。

犬井は自分のスタッフにきちんと事情を説明した。犬井が納得できないのと同じくらいスタッフも納得できなかった。

当たり前だ。

これを納得しているのは俺ら現場の人間じゃない。

しかし、それとは別に犬井は怒りを覚えた。自分の仕事に関わったことのない奴がことさら知ったような口を叩く時だ。

犬井はそういうのを一番嫌った。

自分のスタッフや現場の人間の批判は気持ちよく受けよう。

そしてきちんと説明しよう。それは俺の役目でもあるし、話を聞くことは現場の人間の役目だからな。

だから犬井は思った。

「で、もう一度聞こうじゃないか。お前はだれなんだ?」

でも、まあ、いいさ。

ほとんど会った事もないし、会うつもりもさらさら無い奴だし。

一言いうんであれば、「お前には1ミリも関係ないだろっ」ってことだな。

英語ってのはこういうときに便利な言葉がある「It is not fuck'n your business」。

そう、イッツノット ファッキン ユア ビジネス。

関係ない奴はすっこんでろ。その満足げな顔は俺には恥の上塗りみたいに見えるぜ。

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2006年01月27日

カメラ覚書

先日ココでも取り上げました森山大道「写真よさようなら」は2月下旬~3月上旬に発売が決定!

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最近は日本の戦前の写真集が次々と復刻が重なって嬉しいね。

完全復刻なのか、どんな体裁で復刻なのか詳細がまだ明らかにされていないけれど、古本屋で30万とかする場合もあるレア本が廉価に購入できるのは素晴らしい。

写真は印刷物なのだ!と改めて強く思う瞬間である。

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2006年01月26日

本城「おとぎの杜」

「日明の湯」と双璧を成す北九州市の日帰り温泉施設。

マンションの宅地建設中にガツンガツンと地面にボーリングしていたら突然とお湯が沸いて、急遽、温泉施設にサマ変わりしたという、まことしやかな平成14年10月にオープンした温泉。

箱根にある「天山」に似た雰囲気もあり、照明はそれほど暗くないけれど、全体として落ち着いた雰囲気が漂う。

ドアをくぐると聴こえてくるのが、さざなみのようなヒーリング音楽。

思わず心が和む瞬間。このヒーリング音楽はお風呂でも流れているので、なんとなく眠くなってしまう、なんてことも。

1階は食事のできるお座敷休憩室とテーブル席。マッサージコーナーと床屋もある。2階がお風呂だ。

地下1.100mから涌き出るミネラル分を含んだアルカリ性単純温泉泉質は柔らかく、保湿効果が抜群で肌がスベスベになる。

神経痛、関節痛、筋肉痛、五十肩、冷え性、疲労回復などに効くという。

電気風呂や泡風呂や大きな浴槽がある内風呂の片隅にあるのがアカスリ。

有料ではあるが、腕のいいスタッフがいるので、余裕がある人はせっかくだから受けてみるものいい。

新陳代謝が高まって汗がびっしりと出るのが韓国アカスリの特徴。

露天風呂には岩風呂、つぼ風呂、ぬるめの炭風呂がそろう。

特に37-8度というぬるめの炭風呂は長湯するのにちょうどいい。

炭の間からチョロチョロ流れる温泉をみてホッと一息。

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本城天然温泉「おとぎの杜」
福岡県北九州市八幡西区御開1丁目19-1
(黒崎 ICより20分)
10:00~25:00
大人 --\800(平日)\900(土日祝)
小人 --\400(平日)\450(土日祝)
貸しタオル --\100
貸しバスタオル --\150
貸しバスタオルセット --\200

※折尾駅、若松駅から無料送迎バスあり

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2006年01月25日

アメリカ映画のタブー

アメリカ映画のタブーのひとつに「犬が殺されない」というのがあるそうだ。

アメリカ映画で犬を殺すシーンがないとか。

そういえば、そうかもしれない。

犬を殺すなんていうのは、たしかに誉められるべきではなく野蛮で最低な行為だけれど、だったら他の動物ならいいのか?なんてことも思ってしまう。

それとも犬という動物はアメリカにとって何かの象徴なのだろうか。

変な部分に偏るアメリカの博愛主義だ。

そのタブーを破った唯一の例外が、「ターミネーター2」らしい。

たしかに未来からやってきた最新型ロボットが犬を殺したと思わせる1シーンがある。

もっとも殺害していると推測だけで、実際にそのシーンは映されていないけれど。

血のついた首輪の映像が流れるので、観客は『あぁ、犬が殺されたのね』と哀しくも想像をする。

さあ、実際にそのシーンは撮られたのか、それともそんなシーンは最初から存在しないのか、もし存在するとしたら、そのシーンは収録されることがあるのか。

ハリウッド映画のタブーを犯した「ターミネーター2」のエクストリーム・エディション」、発売。

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2006年01月24日

やがて陽は昇る

「体は名を表わす」というぐらい忙しい。

つまり心を亡くしそうなのだ。

もちろん仕事方面で。

日常でいくら忙しくても心を失うことはない。

昔の人は上手く言ったもので、たしかに忙しさにかまけていると、細かいものを見落としがちである。

でもこういうのは、愚痴をとくとくと呟いたところで、結局は問題が先送りになるだけなのだ。
解決に至らないならぼやくのはやめよう。

何がしたいのか、ではなくて、いま何ができるのか、だ。

それにしても、ふぅ・・・。

*
*

朝起きてケータイを見るとメール着信のマークが。

受信日は朝の4時。見覚えの無いアドレスから何通も。

あぁ、そうか、掲示板が荒らされたんだと、ようやく寝ぼけ眼で気がつく。

最近、やたらと外国のIPからの書き込みで荒らされがちな我がサイトの掲示板。

さすがに毎日数回にわたり書き込まれてしまうので、とりあえず、cgiのパスを変更。

こちらも、ふぅ・・・。

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2006年01月23日

ライブドアチョップ

ライブドアチョップ:
ライブドアの眼鏡っ子キャラな美人秘書に「堀江を出せ」とチョップを食らわすこと。

5年後10年後の誰かに説明するように、あるいは、ポリネシアに住む、過労死や通勤電車や残業を知らない人々に説明するように書くと、2005年以降の日本に、経済界やメディアを賑やかせたライブドアという会社があって、その会社の運用に問題があるとみなされ、東京地検が証券取引法違反で強制捜査した。

その東京地検の捜査を発端に、ライブドアの株に市場の嫌気が差し、売り注文が殺到し、値がつかず、市場が揺れ、しかも、東証は、システム上のキャパシティが追いついていないという事実を露呈した。

経済学者や識者はこれをライブドアショックと呼んだ。

2006年1月の話である。

ライブドアの社長は堀江氏、通称ホリエモンである。ライブドアを語るときに堀江氏を含まないで語ることは、ほぼ、在りえない。

なぜなら堀江氏の人格が拡大したのがライブドアであって、ライブドアという実体は彼の人格像の延長線上にあるからである。

つまり彼が目指さんとする夢や幻想が具現化した存在がライブドアである。

企業価値を高めることが、その企業の株価上昇に繋がる経済原則の法則とは裏腹に、ライブドア社はグループ内企業を、あたかも新たに買収するように装って発表し、株価の不正な上昇と売り抜けをした疑惑が生じている。

彼の求める理想が、時価総額世界第一位の企業であることは、つまり、企業価値を高めることではなかった、ということだ。

つまり株価を売り抜けで上昇させることと彼の理念は一致していたのである。

細かい株式分割を行うことで、1単価の価格を下げ、買いやすくし、投資家の裾野を広げたが、実際のプロ投資家はライブドアの株売買に参加しなかったことが指摘される。

多くのプロ投資家がライブドアの株価上昇が虚業である判断をし、参加しなかったらしい。

その代わり、ライブドアの株に注目を寄せたのが一般的なアマチュア投資家である。

ライブドアの株を購入することはファッションであり、流行のひとつであるのかもしれない。

ライブドア社は、いままでの時代にいたトリックスターのように、これから出現するトリックスターのように、今現在のトリックスターである。

だからライブドア社の今後の動向や、経済知識や経済用語、今回の捜査のメスで発覚する事実や多くの分析は必要とされない。

ライブドア社は過去にも未来にも生きずに、今この瞬間に存在する時代の何かなのである。

そういった意味で、ライブドア社を語るときは、経済理論から崩すのではなく、そのファッション性から語るのが一番イケている。

いまライブドアの毒気にやられて、経済的や株価市場の視点から識者にように語っている連中は、もう一歩踏み込んで語ると、もっとイケてるよ。

ライブドアは時代のファッションに過ぎない。

これだな。

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2006年01月20日

Judgment Night

Judgment Night

昔々のそのまた昔のある時代、HIPHOPとロックとテクノというジャンル的境界線は絶対で、東西の冷戦問題のように熱くしたたかに相容れることのない、それぞれ独立した世界を持っていた。

お互いが敬意を払うまでに至らないまでも、自分以外の領域には足を踏み入れることもなく、穏やかに自分達の音楽環境を築いていた。

しかし、時が経つにつれ、その沈黙を破る、勇気そして己の挑戦を試す者が何人か徐々に台頭し、1曲の合作ながらも、強力に音楽史にゴリゴリと血を流すかの如く歴史を刻んでいった。

恐らく多くの者の一番最初に記憶にあるのが、低迷時代から復活を遂げるキッカケともなったエアロスミスの往年の曲を、RUN D.M.Cが手がけた「Walk This Way」(86年)であろう。

この曲は、僕が高校生の時に通っていたクラブでも、その当時ですら(つまりリリース後の数年を経ても)、掛かっていたので、よほどの人気があった。

あの頃、D.Jがこの曲を流すとたいていフロアが騒然として、女の子がキャーって叫んで、長髪の渋カジ(死語)がフロアにいっせいになだれ込んで、大騒ぎになったものだ。

そんなこんなで、音楽業界は、ミクスチャー音楽としてレッチリやレイジ~に代表されるバンドや、ナインインチ~などのインダストリ系など各要素を取り入れたバンドが台頭し、音楽市場もさまざまに細分化し、ジャンルで区別できないロックがロックだけで成立しない例も、現在となっては当たり前になった。

しかし、93年、まるで眠れる獅子を起こしたような、徹底的にハードコア、へヴィーメタル、スラッシュメタル、オルタナティブの90年代を担う蒼々たるバンドに、これまた90年代を疾走したHIPHOPのユニットが見事に融合したアルバムが一枚、電撃的にリリースされる。

しかも、それが映画のサントラミュージックのために集まった一枚だったのだ。

その名も「Judgment Night」(93年)。

やがてこの系譜は「SPAWN」(97年)、「BLADEⅡ」(02年)と続くわけだが(ちなみに全部ハッピー・ウォルターズという有名なおっさんがプロデュース)、すべてはこの「Judgment Night」に始まったといえる。

映画自体はコメントしがたい内容なのだけど、このサントラの素晴らしさを語ったら本当に尽きない。

コラボレーションなんて糞みたいな言葉は使えない。

とにかく、誰と誰が合作しているか見てみよう。

ヘルメット VS ハウス・オブ・ペイン
ティーンエイジ・ファンクラブ VS デ・ラ・ソウル
リヴィング・カラー VS ラン・D.M.C
バイオハザード VS オニックス
スレイヤー VS アイス-T
フェイス・ノー・モア VS ブー・ヤー・トライブ
ソニック・ユース VS サイプレス・ヒル
マッドハニー VS サー・ミックス・ア・ロット
ダイナソーJR VS デル・ザ・ファンキー・ホモサピアン
セラピー VS フェイタル
パール・ジャム VS サイプレス・ヒル

見ましたか?どう考えても在りえない想像を絶する集まり具合でしょ。

マジでビビるメンツだ。

この連中にカツアゲされたら財布を渡すだけで済まされない勢いすらある。

バイオハザード VS オニックス が作曲した、アルバムのタイトル名にもなっている「Judgment Night」のシャウト聴いたら、絶対に血が騒ぐこと、間違いなし。

ジャンルなんて垣根をアッサリと超えている。凶暴な1曲。

サイプレス・ヒルも壊れているね。サイケデリックすぎるよ。それにソニック・ユースやパール・ジャムが絡むなんて。

当時はHIPHOPに優しくないロックな連中もこの一枚だけは認めたという、とにかく今後も語られるだろう名作。

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2006年01月19日

学校喪失

世の中には、目に見えないカタチで巡りあわせというのが実は結構あったりして、例えば、付き合う男付き合う男がロクでもないギャンブル野郎だとか、引っ越すたびに隣人が13号なサイコな人々で困惑しちゃう女子とか、出かけるたびに雨が降る気の毒な人とか、とにかく気づく気づかないの次元を超えて、必ず○○がこうだとXXXだという巡りあいが存在して、我々はその巡りあいを避けて通れずに生きているようである。

数千年前のインドの聖人は、この事実を何とか解明しようと、来る日も来る日も菩大樹の下でウンウンと唸り、ついぞ「これこそがカルマじゃ」と叫んだそうだけれど、そこまで悩まなくてもミクロからマクロまで、生きているとさまざまなレベルでカルマを感じることがある。

僕の場合は、学校である。

泣き虫先生が花園目指したり、B組の金っ八ぁさんがミカン箱から腐り掛けのミカンを取り出して、それを食べたりする、あのスクールってやつである。

『ふんっ何さ。アタイは学校なんて行かなかったんだから』という不良はどっかの材木場にでも投げ捨てておくとして、とりあえず一般市民の僕は、保育園、小学校、中学校、高校、大学と進んだわけだけど、なんとまぁ、世が世なのかね、この中で現存するのが保育園と大学だけだ。

あとは綺麗サッパリ無くなった。母校を訪れようにも姿カタチもない状態。

跡地は、老人ホームとか目的不明な文教施設にサマ変わり。

しかも昨今の少子化を危ぶむと保育園もいつ何時虚空に消えてもまったく不思議ではない。

寂しいバック・トゥ・ザ・マイスクール・ララバイ。

けどまぁ、いわゆる第2学区(新宿、渋谷、目黒、世田谷)では、この現象はけっこう珍しくもなく、特に新宿、渋谷だと、俺もないんだよねぇなんて背中寂しく吐露する輩も絶えないのが小さな救いでもあったりする。

ちなみにいまだに首都高の暴走が止められない某友人のA君は、保育園とか幼稚園には行かず、大学にも進まなかったので、すべての母校が消えたそうだ。

同窓会の通知もここ数年途絶えているとか。

こういうのは、さすがに切ない。

2校残っている僕はまだ大丈夫だ。

自分の心の中でコレだけは消えないと信じている筈のモノが無くなるというのはけっこう衝撃的だ。

例えばN.Yにあるワールド・トレード・センター。

9月11日にあのタワーが消えた時のNY市民に与えた影響は深いという。

無くなるはずの無いモノが無くなる、そういう時はしかも意外とアッサリと無くなるのだ。

こういうこともあるんだと心に留めておきたい。

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2006年01月18日

コンセント

・田口ランディ「コンセント」

「コンセント」

まず初めに思ったのが、この作者は果たして男性なのだろうか、それとも女性なのだろうかという疑問だった。

もちろん、ランディという名前が性別を想起させなかったというのもあるけれど、それ以上に彼女のテクストからは、そういった性差を超えた世界観が築き上げられていた。

「コンセント」は引きこもりの兄が自室で衰弱死したことをきっかけに、妹である主人公ユキが〝死〟というひとつの絶対的な行為を抱えて、さまざまな社会的に破綻した人々と巡りあい、なぜ兄は生きるのをやめたのか、彼の死を探し、やがて意識の革命を体験するといった若干の精神論的な物語が含まれた純文学だ。

主人公が女性であるにも関わらず、その主人公から直截的に作者像を投影しない作品は珍しい。

女流というジェンダー的な表現を用いると、彼女は女流作家から程遠い位置にいる。

いや、これは至極個人的な話で話題も飛ぶが、僕は、中村うさぎや室井佑月に代表される作家があまり好きではないようだ。

彼女達の、男なんて要らないわ、でも男が好きなの、男に依存しちゃうというパターンに毎回辟易としてしまう。

単刀直入に表現すれば、彼女達は作品中に男性に対するエクスキューズが無い限り物語が描けないからだ。

彼女達の小説は所詮〝旦那、彼氏とではなくてたまには女の子同士で集まったのよ〟という喫茶店だか居酒屋のよもや話に過ぎない(ああ、こんなことを書くと、僕はまた貴重な女の子の友達を失うのだろう)。

山田詠美にしても残念ながらそうだ。彼女の小説のキーワードは〝黒人〟あるいは〝シスター〟であることは周知の事実で、主人公達の多くは、『私はシスターである』と自負している。

でも、果たしてそうなのだろうか?

ある一人の男性を理解することが、延長として彼の人種的特徴の理解に結びつくのは安易なプロットである気がする。

僕が彼女のテクスト(黒人に絡む一連のテクスト)から感じるのは、彼女はシスターであるのではなく、シスターになりたがっているだけだという裏返しの感情だからなのかもしれない。

それは非常に哀しい。黒人の歌い方を真似てヒットしているJ-POPの歌手と同じくらいに哀しい。

自分のことをブラザーだと信じているアジアのストリートの若者達と同じくらいに。

もちろん彼女の小説は素晴らしく、切ない気持ちになる作品が多いし、「ぼくは勉強ができない」という作品は珠玉の作品だ。それでも、黒人のテーマとなると色褪せてしまうのは、彼女が永遠にシスターになれないと予感させるからなのかもしれない。

しかし、そのような男性に対するエクスキューズを用いなく物語を構築する作家が台頭してきた。田口ランディの小説はモチーフとしての男性に依存していない。

これは新しいことだ。

さて、話は戻り、「コンセント」だが、発売当初から、質の高い文章力ということで話題になった作品であり、僕も友人よりその噂を耳にして、すぐに手にした。そして、ズイズイと田口ランディの紡ぎだす小説の世界に引きずり込まれて、一気に読んでしまった。

あとがきですら気が許せなくてハラハラした小説は本当に久しぶりだった。

あとがきにヤコペッティを持ってくるなんてどうかしているって思わないかい?

他人との共鳴、救済、孤独の中にあるシンパシー。深層心理学からシャーマンまで。

何度でも読み返すことのできる作品だ。

盗作疑惑から初版と重版で内容が差し変わっているので注意。

僕としては、初版の薄雹を包むような壊れそうな新鮮さを味わって欲しいと願う。

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2006年01月17日

映画覚書

今年初春のめぼしい映画はこんな感じで。

・「クラッシュ」 サンドラ・ブロック マット・ディロン他

監督は「ミリオンダラーベイビー」のポール・ハギスが監督。

ロサンゼルスで交錯する人々の怒り、哀しみ、憎しみ、喜び。
一件の自動車事故がさまざまな人々を巻き込んで連鎖反応を引き起こすヒューマンドラマ。

2006年2月 新宿武蔵館 日比谷シャンテシネで。

公式

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・「LAST DAYS」 キム・ゴードン(ソニック・ユース)他

監督は「エレファント」ガス・ヴァン・サント。

カート・コバーンの最後の48時間を描いた衝撃の作品。

幾ら大好きなガス・ヴァン・サントだって、このモチーフを映画にするなんて。

もちろん絶対に観るけど、それでも・・。

2006年春公開予定。

公式(英語)

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・「A Scanner Darkly」キアヌ・リーブス ウィノナ・ライダー他

監督は「ウェイキングライフ」のリチャード・リンクレーター。

フィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」が原作。

2006年のサンダンスで上映する。「ウェイキングライフ」で用いた独特のアニメでSFワールドに誘う。

日本公開日は未定。

Trailer

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2006年01月16日

小倉北区「日明の湯」

2004年にオープンした北九州市小倉北区にある日帰り温泉「日明の湯」。

低温岩盤浴(有料)のできる温泉ということもあり、連日市内の温泉好きで賑わっている。

泉質は塩化物ナトリウム系泉。

保温効果が高く、肌も艶々になると評判が高い。

市内にある「おとぎの杜」とは少し趣が異なり、色々なタイプの湯船が楽しめるのが特徴。

お風呂は男女入れ替え制。座敷のあるゆったりとした食事処、マッサージルーム、岩盤浴と、安らぎ溢れる施設がきっちりと用意されているので、仕事で疲れたときなんかに立ち寄ると1日中遊べてしまう。

大浴場には、エステバス、バイブバス、電気風呂、檜風呂があり、サウナは塩サウナで、サウナ室にこんもりと塩が盛られている。

その塩を身体にすり込んで発汗作用を促すというものだ。ダイエットや新陳代謝を高めるのに効果があり、シャワーを流すと、身体が艶々になるとか。

露天風呂は、足湯、寝転びの湯、壺風呂と、開放的な空間でしっぽりと和むことができる。自然が見事に調和している雅やかな風景は、どこか山間の温泉宿に訪れたようでもあり、間接照明が照らされる露天風呂はまさに癒しの空間だ。

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バビリオ「日明の湯」
福岡県北九州市小倉北区日明3丁目4-28
(JR小倉駅より戸畑方面へ車で10分 バス停「日明五丁目」徒歩5分)
10:00~翌朝08:00
大人 --\900(平日)\1000(土日祝)
小人 --\450 3才~小学生

HP

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2006年01月13日

ヤフロゴ

Deltazulu氏が作成している某業務用DBで、そのDB名称のロゴを作成しているんだけど、そんななか、Yahoo!風のロゴを簡単に作成するサイトで、ついでに我がドメインのロゴも作成。

どう、YAHOOっぽい?


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2006年01月12日

きけわだつみのこえ

・ わだつみ会「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」

きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記

1993年、僕は代々木にある予備校に通う受験生で、18歳と19歳のはざまを往く若者だった。

英文法を教える里中先生は、授業の最後に必ず本の紹介をしてくれて、僕はそこで、生涯、忘れることのない、その当時ではないと読み通すことのできなかったであろう何冊かの本に出遭った。

坂口安吾の「堕落論」、開高健の「輝ける闇」、そして、「きけわだつみのこえ」だ。

「きけわだつみのこえ」は、第二次世界大戦の渦中に、政府が苦渋の策で発表した学徒出陣より突撃隊として散った学生達の手記である。

その本に出遭うまでに、僕は、彼ら多くの学生が当時の愚かな盲目のファシズムに乗せられ、何の疑いもなくたやすくも洗脳されて天皇の為に散っていったものだと信じていた。

しかし実際の彼らは、その戦争に懐疑的で自由主義(民主主義)が社会に必要であると感じていて、家族や愛する人の為に死んだ。

その事実に触れた衝撃は、当時の僕にとって少なくとも大変なショックであった。

同じような年代にも関わらず、歴史の誤りが原因で死んでいった彼らに対して、時代を超えた何かを僕は感じ取った。

その日を境に、僕は桜の咲く頃靖国で再会しようと約束した若者が祀られている九段下の靖国神社参拝を支持するようになる。

彼らは若者で、純粋で、それでいて家族や恋人を想い、時代と共に消えていった。

今読み返しても切ない。新成人もこれを読むがいい。

手記に遺されたある学生の手紙と、序文にある「詩人の光栄」を紹介したいと思う。


母へ最後の手紙  林市造 京大経済学部学生
昭和20年4月12日特別攻撃隊員として沖縄にて戦死。23歳

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときが来ました。
親思う心にまさる親心今日のおとずれなんときくらん、この歌がしみじみと思われます。
ほんとに私は幸福だったです。わがままばかりとおしましたね。
けれども、あれも私の甘え心だと思って許してくださいね。
晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。
私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、と言うことは、立派に死んだと喜んでください、と言うことは、 とてもできません。けどあまりこんなことは言いますまい。
母チャンは私の気持をよく知っておられるのですから。


ジャン・タルジュー詩集「詩人の光栄」より (渡邊一夫訳)

死んだ人々は、還ってこない以上、
生き残った人々は、何が判ればいゝ?
 
死んだ人々には、慨く術もない以上、
生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいゝ?
 
死んだ人々は、もはや黙っては居られぬ以上、
生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?

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2006年01月11日

Aphorism [大関松三郎]

一くわ

どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から

もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる

土の中にかくれて

あんきにくらしていた虫けらが

おれの一くわで たちまち大さわぎだ

おまえは くそ虫といわれ

おまえは みみずといわれ

おまえは へっこき虫といわれ

おまえは げじげじといわれ

おまえは ありごといわれ

おまえらは 虫けらといわれ

おれは 人間といわれ

おれは 百姓といわれ

おれは くわをもって 土をたがやさねはならん

おれは おまえたちのうちをこわさねばならん

おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが

おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする

おれは こまった

おれは くわをたてて考える

だが虫けらよ

やっばりおれは土をたがやさんばならんでや

おまえらを けちらかしていかんばならんでやなあ

虫けらや 虫けらや


大関松三郎『虫けら』(S19年、南シナ海で戦死 享年19歳)

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2006年01月10日

小倉北区「魁龍」

異端の文化人(という表現が適切なのだろうか)であり、元祖サブカルの草分け的存在でもあった青山正明氏(故)が、著作で提言している理論があって、いま思えば荒唐無稽に近い内容だったんだけれど、こういうのがある。

うろ覚えなので彼がどのように呼んでいたか失礼ながら失念してしまったが、中毒者というのは、自分に合ったブツをチョイスするので、政府が指摘するような、どんどんとヘビースタッフを求める傾向はない筈だ。だから解禁しても問題ないブツがある、という理論だった。

青山氏が言わんとすることは、無知な僕にはまるで理解ができないとはいえ、残念なことに彼が批判対象とした政府の提言する理論に当てはまるモノがひとつだけある。

それは「トンコツ」だ。

「トンコツ」というのはキリが無い。

一度ハマると、まさに中毒者が更なる刺激と快楽を求めるかのように、どんどんと濃いスープを求めて行脚する性質があるようだ。

もしかしたら、数年後には豚そのものを齧っているのかもしれない懸念すらある。

そんなヘビーなトンコツ中毒者が、最終的にたどり着くであろう店がこの魁龍だ。

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魁龍の源流は40年前に遡り、現大将の親父さんが久留米に出していた「珍宝軒」にあるという。最繁期は市内に6つの屋台も出すほどの人気ぶりで、その父親の姿をずっと眺めていた大将は、平成4年(1992年)に、ついに小倉北区に「魁龍」を開業した。

看板に「〝ど〟トンコツ」とあるように、普通のトンコツではない。豚の頭の骨をグツグツと煮込んで14年間継ぎ足したという、久留米ラーメンの真骨頂「呼び戻し」方式が生み出すそのスープが盛られる器には、なんと溶け出した骨粉が器の底に残り、骨髄が染み出しだ白濁のスープはドロドロとしている。これが魁龍のトンコツだ。

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写真はラーメン(580円)

店の中にムッと立ち込めるトンコツの香り。そして出される気合の入ったラーメン。

骨粉が溶け出すほどのスープだというのに、臭みが強くなく、むしろコクがあって、あるひとつの料理を食べているようなスープだ。

中細の麺に絡みつくトンコツエキス。

一度啜るともう止まらない。一気に病み付きになる。

他の店のトンコツじゃ物足りない。

だって魁龍のトンコツは「〝ど〟トンコツ」なんだもの。

まさしく麻薬のようなラーメンだ。嗚呼、また食べたくなる。
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魁龍
福岡県北九州市小倉北区東篠崎2丁目1番6号
11:00~23:00
日・祝11:00~21:00
毎月第1火曜日 店休日
ラーメン --\580

HP

※2006年2月16日~21日、船橋東武百貨店で行なわれる「第7回福岡物産展」にて限定開店中。
お見逃し無く(スープが無くなり次第閉店)。

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2006年01月06日

バリ島の正月

前にも何処かで書いたけれども、00年1月1日~1月3日まで、僕の記憶は丸々ブラックアウトしてしまっていて、いまだに思い出すことが出来ない状態である。

でもまぁ、それは半分以上は自業自得が招いた結果だから、しょうがないんだけれども、いささかの不気味さは、やはり、残る。

その数日前の12月30日に、バリ島のスミニャック近くの道路で、バイク事故を起こして30メートルぐらい吹っ飛び、緊急で病院に運ばれ、医者に入院を勧められるも、一番強力な痛み止めやら抗生物質やらを貰って何とか断った。

というのも、翌日の12月31日にバリ島のとある場所でカウントダウンのオープンエアのパーティが待っていたからである。

僕はそのためにバリ島に来たようなものだったのだ。

ますますと病院のベッドの上でカウントダウンなんてできやしない。

足なんて怪我でボロボロだったから、もちろん踊れやしないんだけれど、何処で大晦日を過ごすかというのが一番の重要なポイントなのである。

そういうわけで、無理やり友達と2人で、大晦日の午後一番にパーティ会場まで行った。

本当はエントランスが数百ドル掛かるそのパーティは、オーガナイズが適当で、会場を開ける前に現地に行けばなんとかなるらしいという噂は当たっていたようで、僕らはとりあえず金も払わずに芝生の上でゴロゴロとした。

その後、なんとなく覚えているのは、23時59分ぐらいからのカウントダウンぐらい、というわけだ。

午後の大半の記憶も何処かに飛んでしまった。パーティが始まった瞬間の記憶もおぼろげだし、その後数時間の記憶もセピア色の写真のように現実感を見失っている。

僕は1日に1個しか飲んじゃいけないような強力な痛み止めを数錠呑んだ上に、アルコールを大量に摂取して、しかも・・・・、まあそれはいいか。とにかくまるでジョニーデップの店で倒れたリバーフェニックスのような状態だった。

明け方、泡を吹いてぶっ倒れているのを発見された僕は、なんとか会場内にあるテラスのcafeに行って、コーヒーを飲んだようだ。

〝飲んだようだ〟というのは可笑しな表現だけれども、このあたりになるとイマイチ自信がない。そう言われれば確かにそうかもしれないなぁとしか言えない。

その時に、ジロちゃんという日本の友達に会ったような気もするし、会ったというのは僕の想像のような気もする。これもどうなのかは分からない。

まあ、これには後日談があって、帰国後の代々木公園のパーティで、そういえば、バリ島でジロちゃんに会ったような気がするんだけれども、ちょっとよく憶えてないんだよねと言ったら、ジロちゃんも「あぁ、やっぱしあの時会ったのって、koちゃんだったのかぁ、俺も完璧にFucked upしてたからさぁ。会ったのって本当なのかいままで不安だったんだよ」と笑っていた。

ジロちゃんはシルバーアクセサリーを作る職人で、僕よりも5つぐらいの年上の完全なヒッピーだ。パーティの時は必ずFucked upしているジロちゃんもきっと記憶が曖昧だったのだろう。

さて、1月1日の午前10時ごろ、帰りのタクシーの中でガタガタと震える僕は、ロスメンに着くと同時に医者を呼んで貰った。すぐさま駆けつけた女医さんは、脊髄へ直接、睡眠薬と弛緩剤を打った。

そして数日間、暖かい肥沃な泥沼のような眠りにコンコンと就いたのである。

2日めぐらいに何かを喋ったりしたらしいが、もはや記憶の領域から遠い出来事となる。

僕は何度かぶっ倒れているので、わりとその辺のことには実体験から詳しいつもりなんだけれども、さすがにこの時ばかりはキツかった。

97年のサウスアンジュナのフルムーンパーティの後に2日間昏睡したのといい勝負だった。

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2006年01月05日

資さんうどん

北九州でジワジワと展開しているうどん屋のチェーン店に「資さんうどん」という店がある。〝資さん〟と書いて〝すけさん〟と読む。

実は「資さんうどん」はうどん界のスターバックスなのだ。僕は最近その事実に気付いた。

日本の珈琲店業界に旋風を巻き起こしたシアトル発のコーヒーショップと、北九州でチェーン展開しているうどん屋は、同列に語ることができる。

スターバックスは、もはや日本全国に展開している説明不要のコーヒーショップなので、触りとしてちょっとだけ書くと、アメリカンコーヒーというお湯で薄めたコーヒーが主流のアメリカという土地において、濃くてドロっとした苦味のあるイタリア流のエスプレッソをメジャーにまでしたのが、スターバックスだ。

細かいレシピが可能なのが特徴で、96年に東京の銀座に日本の一号店が出来た。

さて、一方の「資さんうどん」は、北九州に住んでいる人や、行ったことがある人以外はほとんど知らないことだろう。

「資さんうどん」は、北九州では、非常に馴染みのあるうどん屋さんで、みんな普通に『資さん行こうや』とか『資さんで食べようや』と、お腹が空いたら、そこらにある「資さん」に行くほどポピュラーな店である。

うどんと言えば「資さん」となっているかどうかは知らないけれど、とにかく日常に浸透しているうどん屋さんだ。

店内は民芸調の装飾で統一されていて、たいてい座敷があって、何処かの天井の角にテレビが置いてあって、ローカル番組を流したり、ホークスの試合を流したりしている。

この店の特徴と言ったら数えるとキリがないのだけれど、まず何処の店にも恐らく共通しているのが、割烹着姿でテキパキと働くおばちゃんたちの姿だ。

和気藹々と、湯気の立ち込める調理場から聞こえてくる、高らかな笑い声にホッとする輩も多いという。

そして、おでん。

西日本では当たり前かもしれないが、とにかくうどん屋なのにおでんが置いてある。さらに、おでんの横にはおはぎが置いてある。お彼岸でもないのにおはぎが常に置いてある。

夏でも冬でもこのメニューは変わらないようで、お客さんはうどんと一緒に、2つ3つのおでん種を取って、箸でつついているようだ。

メインのうどんについて触れると、言うまでもなく、うどんの汁は透明。例の西日本のダシ汁だ。

僕のような東日本の人間は、とにかくスープに色がついていないと懐疑的になる傾向があるんだけれども、ズッズと一口啜ると、その心を占領している疑わしい想いも、風味あるスープの湯気と並んで消え去ってしまう。

透明な汁なのに味わい深い。

特筆すべきは麺のコシで、チェーン店とは思えないコシのあるうどんだ。

もちろん暖簾を構えるうどん屋にかなうとは思えないけれど、そのクオリティは賞賛に値する。

この「資さんうどん」のクオリティ高いうどんのコシ。ローカルエリアで絶大な人気を誇るネームバリュー。黎明期のスタバのようである。

しかし何といっても「資さんうどん」がうどん界のスターバックスたるゆえんは、これだけじゃない。

「資さんうどん」に行ったら、テーブルをよく見てごらん。〝とろろ昆布〟、〝揚げ玉〟、エトセトラと多彩なトッピングが無料で可能でしょ。

もちろん注文する時だって、あれこれ追加できちゃう。

これがスタバのカウンターなどに置いてある〝シナモンパウダー〟や〝ココアパウダー〟、注文の際のエスプレッソダブルとかいう、細かく頼むことが可能な好みのトッピングと同じであり、まさに両店ともに、衝撃的なサービスなのだ。

スタバ一号店開店直後に、こぞって友達と行った時、本当にこのシナモンパウダーとかのトッピングに驚いたものだ。

『えっ、無料なの?』と。

96年以前の日本のコーヒーショップに、こういうトッピングは置いていなかった。

そして時を隔てて03年1月、北九州の某所の資さんで僕は同じような台詞を、とろろ昆布を目の前にして口にしたのだ。

『えっ、無料なの?』と。

東京のうどん屋には、とろろ昆布の無料トッピングやら何やらなんて置いていないのだ。

だから「資さんうどん」は、うどん界の「スターバックスコーヒー」なのである。

ところで、〝東洋のベニス〟とかやたらと、「東洋の~」って附ける言葉あるけれど、僕は、この「東洋の~」という響きが、非常に嫌いである。

話がそれるから、簡単に済ましちゃうけれど、「東洋のエルビスプレスリー」というだけで、負けている気がする。

なんだ?「東洋のエルビスプレスリー」って?

エルビスプレスリーは、あのエルビスプレスリーだけが、エルビスなのである。

「東洋の~」と冠を附けないと主張できないそのムードに辟易としてしまう。

だから、「資さんうどん」と「スターバックスコーヒー」に、共通の何かを見出すのもどうかしているかもしれないけれど、少なくとも北九州を「東洋のシアトル」とは呼ぼうとしない。

文化というのは食文化も含めてとにかくオリジナルティから発生すると僕は信じている。そして「資さんうどん」にはオリジナルティがある。

いつの日か東京で巻き起こるかもしれない「資さんうどん」旋風を信じつつ。

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2006年01月04日

カメラ覚書

1972年発売の、そして今は絶版となり、古書でも入手困難である衝撃的な写真集「写真よさようなら」が再発する。

森山大道の伝説的な写真集だ。

きっと、誰もがこの写真集だけは再発は無いだろうと、半ば諦めかけていたに違いない。

まさに、これは新年早々縁起がいいじゃないか。

果たして幾らで発売されるのか、詳細未定だけれども、実際のところ、3万は出せるな。いや、マジで。

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2006年01月01日

ラッキーマンの教え

一年の計にマイケル・J・フォックスを抜粋。出典:「ラッキーマン」


神様、
自分では変えられないことを受け入れる平静さと、
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてそのちがいが分かるだけの知恵をお与え下さい。

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