2006年01月12日

きけわだつみのこえ

・ わだつみ会「きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記」

きけわだつみのこえ―日本戦没学生の手記

1993年、僕は代々木にある予備校に通う受験生で、18歳と19歳のはざまを往く若者だった。

英文法を教える里中先生は、授業の最後に必ず本の紹介をしてくれて、僕はそこで、生涯、忘れることのない、その当時ではないと読み通すことのできなかったであろう何冊かの本に出遭った。

坂口安吾の「堕落論」、開高健の「輝ける闇」、そして、「きけわだつみのこえ」だ。

「きけわだつみのこえ」は、第二次世界大戦の渦中に、政府が苦渋の策で発表した学徒出陣より突撃隊として散った学生達の手記である。

その本に出遭うまでに、僕は、彼ら多くの学生が当時の愚かな盲目のファシズムに乗せられ、何の疑いもなくたやすくも洗脳されて天皇の為に散っていったものだと信じていた。

しかし実際の彼らは、その戦争に懐疑的で自由主義(民主主義)が社会に必要であると感じていて、家族や愛する人の為に死んだ。

その事実に触れた衝撃は、当時の僕にとって少なくとも大変なショックであった。

同じような年代にも関わらず、歴史の誤りが原因で死んでいった彼らに対して、時代を超えた何かを僕は感じ取った。

その日を境に、僕は桜の咲く頃靖国で再会しようと約束した若者が祀られている九段下の靖国神社参拝を支持するようになる。

彼らは若者で、純粋で、それでいて家族や恋人を想い、時代と共に消えていった。

今読み返しても切ない。新成人もこれを読むがいい。

手記に遺されたある学生の手紙と、序文にある「詩人の光栄」を紹介したいと思う。


母へ最後の手紙  林市造 京大経済学部学生
昭和20年4月12日特別攻撃隊員として沖縄にて戦死。23歳

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときが来ました。
親思う心にまさる親心今日のおとずれなんときくらん、この歌がしみじみと思われます。
ほんとに私は幸福だったです。わがままばかりとおしましたね。
けれども、あれも私の甘え心だと思って許してくださいね。
晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。
母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。
私は至らぬものですが、私を母チャンに諦めてくれ、と言うことは、立派に死んだと喜んでください、と言うことは、 とてもできません。けどあまりこんなことは言いますまい。
母チャンは私の気持をよく知っておられるのですから。


ジャン・タルジュー詩集「詩人の光栄」より (渡邊一夫訳)

死んだ人々は、還ってこない以上、
生き残った人々は、何が判ればいゝ?
 
死んだ人々には、慨く術もない以上、
生き残った人々は、誰のこと、何を、慨いたらいゝ?
 
死んだ人々は、もはや黙っては居られぬ以上、
生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?

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投稿者 ko : 2006年01月12日 19:19 | トラックバック(0)
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