夏のようにタンクトップや短パンで遊べるほどではないけれど、湿気が少なくて涼しいことから秋には秋らしくちゃんと野外のイベントがあったりする。
10月第一週の連休に郊外で3日間のパーティがあるのをはじめ、都内では下記の通り毎週催され、〝おまつりの秋〟といった華やかさで楽しい。
第二週の渚音楽祭初日にはRay Castle、TEO、DOMINOが、2日目にはRajaRam、TSUYOSHI、KAORU INOUEがプレイと、なかなかの豪華っぷり。
第三週は、築地で、市場の魚が半額だったり呑んだり食べたりするお祭りが、そして翌日の日曜日には、代々木公園でアースデイのマーケットが開催。
農薬や化学肥料を使わない野菜やらオーガニックコーヒーなど、自然に優しいお店が集まりそうな雰囲気。
第四週は、先週に引き続き、代々木公園でアースガーデン。
春と秋に開催されるアースガーデンは踊れて呑んで遊ぶ楽しいイベント。
お香のショップやアジアン雑貨のショップなど代々木公園らしいお店が勢ぞろい。
都内で開催するこれらのイベントで迎える秋の週末もいかが。
渚音楽祭2006 秋
@お台場ポート 10月14日(土)、15日(日)
─More INFO.─
飲みねぇ食いねぇ釣りねぇまつり
@築地場外市場 10月21日(土)10:00~14:00
─More INFO.─
アースデイマーケット
@代々木公園 10月22日(日) 10:00~16:00
─More INFO.─
アースガーデン 秋
@代々木公園 10月28日(土)、29日(日)
─More INFO.─
ファミコン。
言うまでも無く任天堂が発売した世界最強のゲームマシーンである。正式名称ファミリーコンピューター。
家庭用ゲーム機の金字塔と言っても決して過言じゃない。僕と同じ世代でファミコンで遊んだことがないって奴は皆無だろう。
家庭用ゲーム機といえばファミコン以外は考えられないというオンリーワンでナンバーワンな時代すらあった。もはや説明不要の玩具だ。
しかし、黎明期の家庭用ゲーム機時代、実はファミコンを選択するというのは過半数であったにせよ、ワンオブゼムだったこともあったというのは意外と知られていない。
ファミコンに立ちはだかる壁のライバルは、セガ社の「SG-1000」とエポック社の「スーパーカセットビジョン」だった。
ただ哀しい事に、どちらも歴史の渦に飲み込まれてしまった。だからあまり知られていないのだ。
そして僕は、この後者のエポック社の「スーパーカセットビジョン」を持っていた。
それは小学校3年生の時だ。おねだりの定番といえば、やはり家庭用ゲーム機が定番だった。
しかし社会の認知がまだまだ低いこの時代、ゲームをすれば脳味噌がアッパラパーになるとか視力がガタ落ちするとか、テレビを酷使するから画面の映りが悪くなるとか、さまざまな悪い噂がそこら中に蔓延し、ゲーム機入手に至る道を妨害しては小学生を悶絶させた。
僕の家もご多分に洩れずに〝子供は外で遊んでナンボじゃ〟という家庭方針のもと、なかなかどうして買ってもらえなかったけれど、『○○ちゃんも持ってるじゃーーん』と囲い込み作戦の如くおねだりをしまくったら、ようやく買ってもらえるところまでこぎつけた。
ところが、当時からヒネくれたガキンチョだっただけに、『みんなが持ってるファミコン買ってもつまらないしなぁ』という、今に至るまで継続されている非経済的な〝少数派好み〟が災いして、ファミコンを選ばずにスーパーカセットビジョンを選んでしまった。
スーパーカセットビジョンをクラス内で所持しているのは、僕と田中君の2人で、学年で見渡してみても5人ぐらいしかいなかった。
ファミコンがカセットを〝貸したり〟、〝また貸し〟したりするのに対して、スーパーカセットビジョンは、5人で誰がどのカセットを買うかを検討して、「なるべくダブらないようにする」といった、極寒で遭難している探検隊が毛布をみんなで大切に使いまわすかのような境地に至った。まるで現在の北朝鮮の小学校で読みまわされている教科書のようである。
僕も幾つかのカセットを持っていたんだけれど、これが今思い起こしてみるとなかなかシビれるタイトルだ。
題名だけで鳥肌が実るのがいかにも。すべては時効ということにしておきたい。他にもまだまだファミコンじゃ考えられないようなゲームがあった。
・トントンボール [気分はドキドキリズム]
たしか画面上に散らばっている子豚(トントン)を豚小屋に戻すゲーム。主人公の名前はブータン・・・。
気分はドキドキリズムってあたりが・・・。「今日の気分はドキドキリズムよ」って言われたら100年の恋も冷めそうだね。
・ポップ&チップス [ミラクルワールドは大さわぎ!]
ちょいと難しいパズルゲーム。
説明書の但し書き↓
ポップとチップスの住む小さな森とパンプキン大王のやさいの国との間にはミラクルワールドがありました。ある日のこと森の中で遊んでいた妖精の子どものピッピたちが大王にさらわれてミラクルワールドに閉じこめられてしまったのです。ポップとチップスのドタバタ救出劇の始まり始まり~。
うわ・・。
重大な事件や出来事のニュースをテレビを通じてリアルタイムに知るという体験は、オウム事件やテロの報道、古い出来事ではホテルニュージャパンの火災など枚挙にいとまがない。
即時性に優れ且つインパクトな出来事をテレビを通じて知るというのは強烈に心に残って、ブラウン管越しより伝わる光景が、ニュース性を生み出す。
『番組の途中ですが・・・』と、突然に画面が報道センターに移り変わるあの瞬間。
何ともいえない目を見張る緊張である。
*
*
1997年6月28日。
その日はいかにも梅雨の終わりといった感じの、とっても蒸し暑い日で、僕は予備校時代の友人、深tetsu、Konさん、ビリー、ケンシン、ACOちゃんの合計6人で、その頃拠点にしていた新宿の思い出横丁にある焼き鳥屋に集まって、ワイワイとビールを片手に飲み明かしていた。
誰もが同じ大学に通っていない割には頻繁に呑む間柄で、予備校を卒業(っていうのかね)しても旅行に出掛けたり、呑み会を開いたりして仲良く遊んでいた。
ケンシンとACOちゃんは短大に進学したから、もう社会人だったけれど、この日のように土曜日だったら顔を出せるのが僕ら大学組としても嬉しいことだった。
酒をガバガバ進み、気兼ねなくガハガハ笑いながら、茅野にあるバンガローにみんなで泊まりに行った時、Konさんが泥酔して『俺に学歴は必要ねぇ』と泣いた夜のことや─ちなみにKonさんは社会人アメフトの日本一で全身筋肉の塊のような男である─、ビリーが頭を丸めたらオウム真理教の新見被告に間違えられてしまったこととか、僕が初対面にも関わらずみんなと旅行に出かけ、酔っ払い暴れまくったことを、毎度のように酒の肴にして、話し込んでは大爆笑していた。
その思い出横丁の焼き鳥屋は2階建てで、すぐ近くにJRの鉄道があるから、電車の音がガタゴトと聴こえてくる。ボロボロのテーブルがあって、店内に煙がもうもうと立ち込める時代錯誤な雰囲気が妙に居心地がいいところだ。何組かのグループが1階で呑んでいて、熱気ムンムンに酔っ払って嬌声を挙げていた。
『そんでさー、俺が腹が痛くなったと思ったら、コイツも超腹が痛いとか言い始めてさー』僕が深tetsuとタイに行って、2人とも脱腸しちゃったかもしれないレベルの下痢に見舞われた話を続けていたら、例の『番組の途中ですが・・・』が流れた。
『番組の途中ですが、警視庁は兵庫県神戸市で発生した連続殺人事件の犯人、近所に住む14歳の少年を逮捕しました』
その瞬間、店の外まで響き渡るほどのガヤガヤしていた連中が固まって、誰も動けずにテレビを見つめた。
テレビの報道センターの慌しい様子が伝わってきた。
店が一気にシーーーッンとして、誰かが小さく『14歳って言った、いま?』と隣の人に確認していた。
僕ら6人も焼き鳥の串を持ってピタリと固まった。
焼き鳥の焼ける音だけがジッジと音をだしている。
炭をおこしている焼き手のお兄さんは手を止めて画面に見入ってた。
当時誰もが関心を寄せて止まない凶悪事件の幕切れを垣間見た。
それも14歳の逮捕劇という前代未聞の結末で。酒鬼薔薇は中学生だった。
報道映像が映し出される間、素性も知らない連中が、新宿の片隅にあるバラックみたいな焼き鳥屋で、事件の結末を知る傍観者となったことの親密な空気が流れた。
突然結末を迎えた14歳逮捕の報道で、店全体が妙な臨場感と昂奮に包まれた。
神戸から遠く離れた東京の新宿の空のもと、たったひとつの報道で、僕らはその連続殺傷事件に無関係とはいい難い、それは自身の身に起こった自分の事件として奇妙なまでに深く関与したのだ。
それは本当に不思議な一体感で、何とも言いがたい体験であった。
いまからおよそ20年くらい前、僕らの周りにはこんなハウツー本がたくさんあった。
男の子向けの雑学本みたいなもので、攻めの恋愛テクニックとか女子の攻略方法とか、そんな感じの内容の恋愛本である。
多感な時期もあったのか、馬鹿で単純でやることが無い上にウブな僕らはそれらの本に書いてあることを額面どおりに受け取った。
もちろん本の通りにしたって成功なんてなかった。
だいたいにして小学生~中学生がこんなの読んでどうにかなるほうがおかしい。
それでも僕らはまるで教科書のように、あるいはバイブルのように手に取り、みんなでむさぼり読んだのだ。
そんな面白恥ずかしいセピアな80年代雰囲気たっぷりの恋愛テクニックを、憶えている限り列挙してみる。押入れから何冊か出てきた本の内容をそのまま載せてみた。
こちらは、「デート編」に書かれていたもの。
初めてのデートでスカートを履いてきたらゴーサイン。
カノジョがもしデート当日にズボンを履いてきたら警戒心の表れだ。キミは慎重に行動しよう。でもスカートだったら!? カノジョのココロの準備はOKモード。カノジョしだいでアプローチしちゃうのもアリかも。
カノジョのアクセサリーを褒めるポイントは、ネックレス→指輪の順で!!
女性は意外と無防備な首の周りが弱点だったりする。そんな弱点を本能的にカバーしているのがネックレスだ。上手なアクセサリーの褒め方はまずはネックレスから。きっとカノジョのガードが緩むゾ。
珈琲をブラックで飲むコは大人の証拠!!
珈琲をブラックで飲むコは、大人の付き合いが出来る証拠だ。もしキミとのデート中にカノジョがブラックで珈琲を飲んでいたら、きっとカノジョは大人の世界を知っている。キミもそれに合わせよう。オトナっぽい自分をすかさず見せるチャンスだ!!
満月の夜は少しだけ大胆に!! カノジョもそれを待っている!?
満月の夜は生体的にバイオリズムが活発になる。告白するのだったらこの日がチャンス。カノジョはすでに大胆モードだ!!
帰りたくないかも!? そんなカノジョのサインを見逃すな。
デートに門限はつきもの。それでもカノジョはまだキミと時間を過ごしたいと思っているかもしれない。さりげないカノジョからの〝帰りたくないサイン〟を見逃すな。終電時間を訊くのは禁物だゾ。
学校の話題が豊富なコは友達つきあいが上手。まずは友達から攻めよう。
学校の話が多いコはそれだけ友達が多い証拠。手ごわいカノジョも周りの友達から仲良くなれば、そのうちキミに興味を持って、意識しちゃうかも!?。
ピンクのマニキュアはOKサイン!?
もしキミとカノジョが初めてのデートだったら、すかさずマニキュアの色をチェックしよう。
ピンク色のマニキュアはアバンチュールのOKサインだ。カノジョはきっかけを待ってるゾ。
こちらは「リゾート編」に載っていた。
開放的!? 浜辺でアンクレットをしている子は積極的。チャンス到来だ!
キミと同じように夏の思い出を求めたコが待っている浜辺。アンクレットをしている女のコに優先的にアタックしよう。遊びたいというカノジョ達からの合図だ。
花火で二人っきりになるのは〝線香花火〟が決め手!?
案外、女の子はロケット花火とかをわいわいするよりは、しんみりと線香花火をしたがる傾向がある。「線香花火しようよ」と普段のキミじゃない素顔を見せれば、きっとカノジョはイチコロ!! 抜けがけなんて気にしないキミの勝ちだゾ。
ちなみに初デートのスカートというのは20年近く経ったいまでも、まだ妄信しているのはナイショ。
しかし、こうして挙げてみると相当のアホだったな、僕らって。
東京には幾つかの心霊スポットがあって、夏になると季節も高じて話題を事欠かさない。
ちょっと調べてみると、23区内だけでもざっと10箇所以上あり、何処の場所も、歴史的に哀しい出来事や恐ろしい惨事があったりした場所である。
詳細なエリアについては省くけれど、不思議なことに、そういった場所とは知らずとも、何やら穏便ではない空気が漂っていたりする。
*
*
池袋にあったレゲエの箱〝キングストンクラブ〟、通称〝キングス〟が新宿のコマ劇場の横に移転して以降、すっかりレゲエ熱が冷めてしまった僕らは、何故か、その年の夏の出来事に心霊スポットを選んだりして猛暑をすごそうとしていた。
お金があんまりないので、ゲストで入れるクラブをはしごして、六本木・渋谷・新宿を車で徘徊し、女子をナンパしたり、ナンパに成功しなかったら深夜に営業しているラーメン屋で僕らの間で〝負けラーメン〟と呼ばれるラーメンを食べたりして過ごす日々。
ちなみに、なぜ〝負けラーメン〟って呼ばれるかというと、夜中のラーメン屋で若者男子のグループでラーメンを啜っているのは、だいたいがナンパして女子を見つけられなかった連中だからだ。
そしてそんな夜に啜るラーメンが案外旨かったりもする。
しかし、〝負けラーメン〟ばっかり食っていられない僕らは、考えあぐねた末、素敵なサムシングを求めて、何故か23区内にある心霊スポット巡りを敢行した。
時間にしておよそ深夜の3時ぐらい。
やることがないので渋谷区にある某トンネルを通ってみようというのが事のキッカケだ。
「トンネル近くでOLが逆ナン」 ムハー。
スーフリだって裸足で逃げ出すという僕らの妄想しているプランだ。
ところで、このトンネルは深夜タクシーが通りたがらないトンネルとして有名である。
行ってみると、期待とは裏腹に誰もいない。
どうやら深夜の3時に訪れる墓場にサムシングは絶対に存在しないようだ。
いるのは途方に暮れる我々。
そして、まっすぐに伸びるトンネルが実に不気味で恐ろしい。
明け方までワイワイと肝試しをして時間を潰した。
*
*
このトンネル遊びを境にして、次の夜、各々が憶えているだけのスポットを思い出して、順番に行ってみることにした。
足立区やら港区やら品川区、新宿区にある心霊スポットを次々と訪れては、無謀にも「きっとお化けも一緒に写るんですよー」とかハシャいで、インスタントカメラでパシャパシャ写真を撮った。
そして、なんだかんだで遊びを充実した僕らは、お腹が空いたので、青山のクラブ〝Yellow〟近くの〝かおたんラーメン〟を食べようということになり、そこを目指して車を走らせた。
時間も遅いので、246号沿いになると後部座席に座っていたA君がウトウトした。
よくあることだ。
Jazzy JeffとかCypress Hillとかをガンガン流してるのにも関わらず、爆睡している。
かおたんラーメンに着いたのでA君を起こした。
A君は「あぁ~」とか「う~ん」とか寝ぼけて目を擦り、煙草に火をつけようとして、続けた。
「そういえばさ、なんか246沿いで鎧兜を着た連中が歩いてたじゃん、つか、あれ何だったんだろうね。あんな格好してたら捕まりそうじゃね?」
僕とKという友人はA君が何を言っているのか意味が分かんなかった。
246沿いで鎧兜を着た連中は、憶えている限り誰一人もいなかった。
「ちょ、A君さ、何言っちゃってんの。鎧兜の奴らとかって誰もいねぇって」
「そうだよ。普通に車走ってたんだって。なあ」
「ベルコモ近くでさ、女の子が3人いたからナンパしようかどうしようか相談したぐらいしかなかったって」
僕らは声を揃えて訊ねた。
「つか、鎧って何のこと?」
今度はA君がきょとんとする番だった。
「え・・。誰も見てないの、あれ。お、俺さ、中央分離帯のところで武士みたいな格好をした10人ぐらいの団体を見ちゃったんだよね。ガチャガチャと重たそうな時代劇に出てくる感じの鎧を纏った奴らが並んで歩いてたんだよ。しかも中央分離帯で」
A君が青ざめた。
「でさ、あまりのも普通に歩いているから『なんか変な格好している奴らが今日は歩いているもんだなぁ』って思って、また寝ちゃったんだ」
僕らも青ざめた。
A君が見たという場所は青山の246号沿いだ。
10年前ぐらいパイロンがあったあたり。
そう、ウェインディーズの正面の通りだ。
それから2日程、A君は謎の高熱を出して寝込んだ。
*
*
その後も数え切れないくらいパイロン前あたりを通るたびに懲りずに目を凝らしたけれど、僕らは鎧兜らしき連中を見たことはない。
A君とも何度もそこを通った。でも誰も見なかった。
あの晩にA君が見た以外には。不思議な話だ。
*
*
けど僕は思う。
A君はその夜の出来事やら条件やら色んなものが共鳴してしまって、非日常的な体験をし、僕らの世界には在りとしないものを見てしまったんじゃないだろうかと。
そして、そういう何かは、ちょっとした加減で見えてしまうんじゃないかなと。
カメラのピントが合うように、ラジオの周波数が合うように、感覚のどこかの軸が合ってしまい、普段は見えないものが見えてしまう。
誰もが必ず見えるとは限らないけれど、人や場所や時間によっては見えてしまう。
そういう見えない存在がこの広い世界の何処かにあるような気がした。
*
*
なお、肝試しをして、すぐさまピンときた僕らは「心霊スポット巡り DE ドキドキツアー」を開催して、それからしばらくの間、女の子をナンパして結構な成功の日々を味わった。
肝試しは調子がいいことを発見した。
ゲーム方式で、男子女子の2人が組になってミステリーツアーを行えるあたりが、世界不思議発見まるごとハウマッチである。
僕の周りにはチラホラとキャバ嬢とかホステスが居て、わりと賑やかだったりするのに、自分ではそんなには夜のお店には遊びに行ったことがない。
友達が〝どうしても奢りたいから一緒に行こう〟と誘ってくれたから行くのであって、決してお金が惜しいわけじゃないけれど、自腹を投じてまで遊んだことはない。
なんていうか、気兼ねしちゃうのだ。
西日本でラウンジ、東日本でキャバクラと呼ばれる店は、入店すると女の子が一人附くシステム、タイミングによっては希望の女の子を選べたり選べなかったりする。
僕の知り合いの夜王は、キャバクラに行くと、自分が気に入らない女の子が座るや否やチェンジをする強硬派で(本人は、こぶ平と安田大サーカスを足して2で割ったような容姿)、必ず自分の附けたい子に接客をさせる。
僕はというと、彼のようにチェンジというのが一生懸命働いている子に対してどうしても申し訳ない気持ちになって(というかそこまで鬼になれない)、最初に附いた子とお話をする。
でも別に嫌々ということでもなく、附く子に執着がないだけだ。
それにキャバクラといっても、大したお遊びじゃないわけだから、カラオケしたり適当な身の上話をする程度だ。
僕は煙草は吸わないカラオケはしないと、いささかキャバ嬢が仕事がしにくい客なので、彼みたいにガサツになれずにどうしてもキャバ嬢に気を使ってしまう。
たぶん、こういう遊びには性格的に向き不向きがあるのだろう。
接客しているキャバ嬢が大変そうだなぁなんて考えちゃうので、ネクタイを鉢巻がわりにして結んで、頬っぺたに口紅で渦巻きを描き、キャバ嬢の胸元にお札をねじりこんで笑う友人を見ていると、いつも羨ましいなあと思う。
*
*
北九州で仕事をしていた時期、会社の夜王たちにお誘いを戴いて、仕方なしに〝場の流れ〟で夜の街に遊びに行ったことがある。
夜王たちは、会社の部署を立ち上げに腕を見込まれて、東京から九州まで働きに来た勇者だったので、夜のほうの立ち上げも決して怠ることのないプロフェッショナルな人たちだった。
僕はもう少し観光地とかご当地グルメとかを堪能したいという、彼らからしてみれば完全にアマチュアで、夜の羽を伸ばしたい性格じゃなかったから興味も薄かったけれど、これもひとつの経験かなと思い、一緒に参加した。
まるで地元のように既に街の俯瞰図を熟知して、「夜の歩き方~北九州編~」を完全に自分のモノにした夜王が選ぶ店はさすがにすごかった。
〝とんがりくん〟というお店は小倉の古船場にあって、40分7千円で女の子を膝に乗っけて遊ぶ店だった。
僕は毎朝その店の前を通って通勤していたのに初めて存在に気がついた。
女の子は4人登場する。つまり一人10分間、膝に乗っかるのだ。
乗っかっている間はあんなことこんなことが出来る。
どうしてか店内にはテンポの速いパラパラ系テクノが爆音で流れていて、パチンコ屋のように店員がマイクであれこれと鼓舞していた。
店にいるのはその名に恥じない〝とんがっちゃった〟お客さんばかりだった。
*
*
離れて座ればいいものの、何故か威嚇しあうように狭いテーブルを挟んで座る夜王達だった。
何の躊躇もなくオプションの〝制服コース〟に入会し、みるくちゃんと自称する女の子にパンクラスの選手のごとく耳を攻められる夜王。
夜王の口元がだらしなく笑っている。
今日、会社で見た死んだ魚のような顔はいったいいずこ?
みるくちゃんの目はすっかり獲物を狙うハンターの目。いつ殺ったってかまわない人の目だ。
しかも制服!
絶対そんな高校ねぇよという奇抜なデザイン。
制服着せるとプラス2000円。どうせ脱がすのに2000円!
夜王に不景気という文字は見当たらない。
夜王にとって2000円はどうでもいいこと!
なんだか妙に東京が遠くに感じた夜だった。
噂の高額アルバイトとまでいかないアルバイトを、中学2年生の2学期頃~中学3年の初春まで続けたことがある。
地元にある雀荘でのアルバイトで、雀荘で使うお絞りをコインランドリーに持っていて洗濯して畳んだり、雀荘で出されるおつまみ(胡瓜と缶詰のツナを混ぜてマヨネーズで和えたもの)を作りつつ、灰皿を片付けたりするアルバイトだ。
雀荘のマスターは、北斗の拳の第1巻に登場する「息をするのもめんどくせぇ」と台詞を吐いた血を見ると逆上する巨漢のハート様そっくりの容貌で、金銭がらみの問題を起こして関西から夜逃げしてきたホモだった。
在りし日のマスターにそっくりと謳われていたハート様。
巨体に馴染まないソプラノ歌手みたいなカン高い声で「ね、いいでしょ、いいでしょ」と囁くのが口癖だった。
自転車を漕いだりして雀荘の前を通った時にスカウトされて、いま思えば、完全に僕の身体を狙っていたとしかいいようがない素振りだったわけだけれど、まあ、いざとなればどうにかなるでしょと楽観した気持ちで引き受けた。
給料は当時としても結構の破格で、夕方の4時くらいから9時くらいまで仕事をして1万円。
恐らくは1万円の内訳として、マスター希望の〝僕の大事な春〟が含まれていたに違いないと今も思っている。
結局のところ、彼の思惑は残念ながら果てせず、とうとう、僕の身体は安全だったわけだけど。
*
*
仕事は週に2回だった。つまり月間で換算すると8万ぐらいの収入。
中学生のアルバイトにしてみれば悪くない。
バブル全盛期ならではのお話だ。
夕方4時に雀荘の扉を叩くと、夏でもないのに大量の汗をかいているマスターが僕を出迎えてくれる。
僕はアルバイトにも関わらずチヤホヤされた待遇で「ね、ね、とりあえずコーラでも飲む?」と、大地賛頌を歌うとしたら、たぶん2つぐらい離れたパートなんだろうなという声域で毎回訊かれた。
コーラに睡眠薬でも混入していたらどうしようと、ビールジョッキに注がれた黒い液体を見れば見るほど、毎度ながらに疑心暗鬼になって、いつも飲むのを迷った。
でもさすがにそこまではしないようだった。
それよりも中学生とはいえ、ビールジョッキに丸々注がれたコーラを飲むほうが大変だった。
だいたいにして、この人は全ての事柄がアメリカンというか、大雑把な趣があった人で、生活全般から人生に至るまで、おおよそどんぶり勘定だった。
ハンバーガーが食べたいと告げると、駅前にあるファーストフード(サンテ・オレ)でコロッケバーガーを13個買ってくるのを普通と思うタイプの性格だった。
だから僕の仕事はまずジョッキコーラを飲むところからスタートした。
さて、それが飲み終わると、ゴミ袋2つに収まった山盛りのお絞りを自転車で3分のところにあるコインランドリーに持っていて、洗濯する。
そして洗濯が終わったら、そのまま乾燥機にブチ込んで乾かす。
待っている間はコインランドリーにおいてある漫画を読んで時間を潰す。
それを雀荘に持ち帰って畳むのだ。
量こそは多いとはいえ、テレビを観ながら片付ければいいので楽チンだった。
で、18時くらいになるとマスターが出前を頼む。もちろん僕の分も頼んでくれる。
道の向かい側にある蕎麦屋さんの出前で、ラーメンとかカツ丼とか、ざるそばとかを注文して食べた。
この時も「ね、ね、ビール飲む?」って毎回聞かれたけれど、いつも「いや、いらない」と答えて、ジョッキに注がれたコーラを飲んだ。
*
*
19時くらいになるとお客さんがチラホラ集まるので、おつまみを作った。
しかもものすごい適当に。
「あの子たちは、ホラ、味なんて分かりはしないのよ」とマスターは薄笑いを浮かべて僕に説明した。
このような仕事を僕はどうしてか中学3年の4月まで続けていたのだ。
マスターも愛嬌があって面白くて、一般社会においては早々出会わないような人物だった。
僕はこのマスターから10年ぐらいは枯渇しないぐらいの彼の人生の武勇伝的な面白ネタを教えてもらったし、ホモであっても別に嫌悪感は抱かなかった。
ただ、唯一仕事中で辛いのは、雀荘に立ち込める煙草の煙だった。
もう煙たいなんていうレベルじゃない。
異臭騒ぎと疑われても仕方ないくらいモウモウとしていた。
駄菓子屋で売っていた10円の煙玉を部屋で燃やすと、きっとあの雀荘みたいになるのだろう。
僕は煙草の煙で毎度涙腺を刺激されて、涙を流していた。
それ以外は本当に至れり尽くせりだった。
ご飯もご馳走になってコーラも飲み放題、洗濯畳んで、胡瓜をスライスして一丁上がり。
結局、中学3年に辞めたのも高校受験を控えていたからだ。
それに嫌悪感がないとはいえ、同性愛の世界は十分だった。
そしてヘテロセクシュアルの日常生活に戻った。
だがしかし、僕が十分とは思うのと裏腹に、僕はそのあと中学3年生で同級生(♂:オス)から告白を受ける。これは僕にトラウマを与えた。
どうしてなのだろうか、当時の僕は男からモテたのだ。まったくもって嬉しくとも何ともない能力である。
それにしても、中学生の多感な時期にあれだけアプローチされて、今に至るまでに道を誤らないでよかったと心の底から思う。一歩間違えていたら僕はふんどし一丁で角刈りだったのかもしれない(←だいぶ偏見)
学生時代お決まりの〝噂の高額アルバイト〟といえば、「病院での死体洗い」と「バキュームーカーの掃除」と「新薬の人体実験」が、いまも昔も御三家。
病院での死体洗いは○○部のなんとか先輩がしたことあるらしいとか、ホニャララの友達経由で紹介しているらしいとか、噂が立つのに、実際のところ、その友達とかなんとか先輩には誰も会ったことがなくて、真偽の程は確かめようがなかった。
まるで都市伝説みたいな現象だ。
一説によると戦後間もない頃には実際に存在していたアルバイトらしいけれど、現在では過去の栄光だけが生き残って、実態については誰も知らない仕事らしい。
村上龍の短編小説でも、病院での死体洗いのアルバイトはモチーフとして描かれていて、70年代初頭の頃にすでに眉に唾をつける仕事であったようだからなおさらだ。
2つ目のバキュームカーについては、23区内では需要すらなさそうな始末だった。
なにせ下水道の水洗率が100%なわけだから、当然といえば当然な結果だった。
排泄物のきわどい加減から発生したアルバイトなのだろうか。
このアルバイトもいまだに経験したという諸氏に出会ったことがない。
3つ目の新薬の人体実験も、高額アルバイトの噂としては定番になるアルバイトで、僕自身もないと信じていたけれど、実はこのアルバイトは存在する。
もちろんアルバイトニュースなどで大々的に広告媒体を通じて募集しているわけではなく、口コミで募集しているバイトだ。
*
*
僕の場合はこうである。
ある日の午後、大学1年の夏休み前の経済学概論の授業中、先日の合コンで飲みすぎたせいで、僕がうつぶせになって居眠りをしていたら、後ろの席の同じ学科の生徒が肩を叩いてきた。
「ねぇ、ねぇ、ちょっと起きてる?ko君ってバイトしてたっけ?シンヤクのバイトがあるんだけどさ、やんない?」
当時、長髪だった僕は就業できるアルバイトの業種が非常に限られていて、ほとんど日雇いのアルバイトしかしていなかった。
僕は同級生の声で夢の中から呼び戻された。
眠い瞼をこすって、いましがた同級生から言われたことを反芻した。
「信也君のバイト?誰それ」
信也というハウスDJをしている同級生がいたので、そいつ絡みのアルバイトなのかと思ったのだ。
ただ、大学1年当時では、まだ仲良くなかったので、訝しく思った。
「ち、違うよ。新薬だって。新薬。クスリの人体実験のバイトだよ。なーんもしないで寝ているだけで10万ぐらい貰えるよ。漫画読み放題。ゲームし放題。ねぇ、一緒にやろうよ」
同級生が満面の笑みで僕を誘った。彼の笑顔が天使に見えた。
「ちょっと、それ詳しく教えてよ」
こうして僕の新薬実験のアルバイトは始まった。
*
*
実際には新薬の実験には幾つかの条件があった。
まずは身内に薬剤会社とか医者とか〝医〟に関する職業の者がいないこと、そして新薬のアルバイトについては誰にも口外しないこと。
投薬の影響で身体に異常があっても責任は被験者にあることを了承すること、最後に被験者の身体能力が健康であること。
要するに暗黙のうちに問題を起こさないように実験を行いたいというのが当局の狙いのようである。
厚生省だか何処かの認可を通すための最終的な実験であるために、サンプルとしての被験者の健康状態にもうるさかった。
僕は親族に医者が居るのと、身長の割には体重が少なすぎる(当時52キロ程度)というのが、不都合な条件だった。
同じ学科の斉藤君は、同じくらい体重が低すぎて、投薬が認められなかったくらいだ。
彼は登録するだけで貰える3千円を手にしてこの仕事から去った。
僕はしょぼしょぼの3千円組になるのは避けたかった。
泣く泣く体事にありつけないことも考えられたので、身体測定の日には鉄アレイをポケットに忍ばせることを考えた。
斉藤君から体重測定はズボンを穿いたままであると事前に情報を入手していたのだ。
そうすれば57キロくらいには変貌できる。準備はOKだ。
*
*
翌日、学校の公衆電話から、山手線XXX駅にある登録センターに電話をした。
プルルルゥ・・・。
なぜだかしらないけれど異常に緊張した。
カチャリッ。
「あ、あの~。新薬のアルバイトをお願いしたいですが・・」僕がそう言うと、予想していたよりも明るいノリの声で─そう、それはまるで八百屋さんみたいだった─応対してきた。
出たのは若い男性の声だった。お堅いおっさんが出るもんだと思っていたので面食らった。
「はいはい、アルバイトですね。どうぞどうぞ。たくさんありますよ。いまならねぇ、そうそう、ジョウチュウがあるねぇ、ジョウチュウしちゃう?ジョウチュウはお金がいいよー、僕ちゃんもするかい」
ものすごく早い展開で久しぶりに僕ちゃんと言われた。
そして、この人の言うジョウチュウってのがさっぱり意味が分からなかったけれど、その高額そうなお金の香りにまんまと釣られた。
きっと、ジョウチュウというのは特権階級だけに許される所業なのだろう。
それとも僕の声を見込んでの勧誘か。恐らくは両方だ。僕は運がいい。
きっぱりくっきり僕は答えた。
「はい、僕ちゃんジョウチュウします」
「あら、ほんと?嬉しいねぇ。ジョウチュウは募集してもなかなか集まらないから有り難いよ。それじゃあ、場所は分かるかな」
人が集まらないという彼のセリフに激しく反応し、いささか不安になった。
「す、すみません、あの、その、ちょっとよく分からないんですけど、ジョウチュウってなんですか」
「あれ?知らなかったの?紹介してくれた友達から聞いてないかな。ジョウチュウって静脈注射のことだよ」
僕は丁寧にお断りをして、もっと軽めの仕事を紹介してもらい、登録センターの予約をした。
*
*
登録センターは山手線のXXX駅から徒歩10分程度の閑静な住宅街のはずれにあった。
目立たない建物で、一見、何をしているビルなのかさっぱり掴めなかった。
仕込み作業が万全だった鉄アレイは効果を発揮し、僕は体重制限をクリアした。
静脈注射は勘弁だったので、軽い新薬ということで、痒み止めのパッチテストを紹介してもらった。
5日間くらいの軟禁で、腕に薬を塗ったパッチを貼って様子をみるというのが内容だ。
かぶれたりしないかを確かめるらしい。
所謂ジェネリック製品だったので、安心というのがその触れ込みだ。
内服液とかも辛そうだし、パッチテスト程度で助かった。
*
*
実験は場所を移動し、丸の内線のXXX駅近くの病院で行なった。
病院の裏手にはプレハブ小屋があって、はい、ここで皆さんは寝泊りしますと、無愛想な看護婦が説明をし、当局は責任を持ちませんということが延々と書かれている承諾書にサインをさせられて、変なガウンを着せられた。
荷物は別の場所に預けられた。
プレハブ小屋には、同じような大学生が数人、それにプロデビューを目指しているという時代錯誤ないでたちのバンドマンが数人いた。
仕事内容は、ほんとうにまるでなかった。だらだらと喋ってゲームしたり全巻そろっている〝こち亀〟を片っ端から読んだりしてだらしなく笑っているだけだった。
他の連中も同じくらい脳が足りなそうな連中だったので、べつに友達になろうとも思わなかった。
そのほうが気が楽だし、一緒に参加した友達と寝転んでいるだけで十分だ。
ただ、日に2回ほどある血液を抜く注射が厄介なのと、出されるご飯の量が少なくて腹が減りすぎたのが難点だった。それでも後半になると、パッチを貼っているのすら忘れた。
結局、僕は5日間ボケーとしていただけで、10万近く手に入れることが出来た。
人間がダメになりそうな仕事のひとつを19歳で僕は経験したことになる。
なお、斉藤君は僕と同じ手段を使って、後日、再登録し、ジョウチュウの仕事をした。
血糖値を無理やり上げる実験だ。
彼は20万以上のお金を手にしたけれど、血糖値が正常に戻るのには実験終了してから1ヶ月以上もかかった。
「もう、ジョウチュウはやばいね」彼は目を細めて、そう述懐した。
これが噂の新薬実験である。
僕が今年上半期(06年01月~06月)に強力プッシュしているバンドは、AlayaVijanaである。
2004年に1stアルバムをリリースして、2ndを2005年、そして3rdを今年と、コンタンスにアルバムをリリースしている日本人編成の民俗系のバンドだ。
ヨシダダイキチが奏でる面妖なシタールと、山川冬樹がシャウトするホーミー。
タブラやアフリカンパーカッションをひっさげて繰り出される音楽はまさに原始の鼓動といった感じ。
そのAlayaVijyanaの3rdアルバムのリリースパーティが、先日、表参道のCAYで行われたので、行って来た。
CAYは、表参道のSpiralの地下にある、レストラン兼クラブのような店。
日曜日の夕方からのリリースパーティだから、それほど人が来ないだろうだなんて思っていたのも束の間、あっというまにフロアに人が溢れる。
随所随所に見覚えのある顔もチラホラ。
サラーム海上のインドDJが、ゴリゴリとフロアを揺らし、特別レシピとして出されているフードコーナーのカレーが、スパイシーな香りを塵のように舞い散らしている。
一緒に遊びに来た肉弟氏とk456氏と共にフロアの前方に陣取って準備完了。
箱のキャパを越えた客動員数だったのか、スタッフが「前のほうから座って詰めてください」と悲痛なまでにアナウンス。
座ること3時間弱。何度かバンドの替えがありつつも、こんなにじっとして体育座りしたのは初めてだったので、頭の中で反復&復唱されるのは「俺はエコノミー症候群になりゃしないか」という心配事ばかり。
もしなったらどうしようと、心の準備に気持ちを注いだせいか、「僕、エコノミー症候群になっちゃった」というメールを誰ぐらいまでに送れば事足りるのか妄想ばかりしてしまって、ヘトヘトになる。
*
*
さて、AlayaVijanaのライブ。妖艶なホーミーにヨシダダイキチのうにょんうにょんしたシタール。
頭がくらくらしてくる。山川冬樹のホーミーが痺れる。
顔に紫色のスポットが当たると恐ろしいくらい物の怪のような雰囲気を醸し出す。
本当にプログレっぽくてこのバンドは気持ちいい。
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結局、サラームさんのカレーは食えずじまい。
フロアを軽く流していたら、携帯が鳴り、今日同じくして遊びに来ていたという友人が、「表にいるので、おいでよ」ということなので、肉弟君と表にでて、しばしの閑談。あっというまの22時。
*
*
帰りがけに、お腹が空いていたので、「我々ハ中国人アルヨ」という、世界はひとつ♪中国もひとつ♪のような全中華的なオールチャイニーズの店で冷やし坦々麺を食べる。
「お前に食わせる冷やし坦々麺はねぇ」とか言われなくてよかった。
夏が近づくにつれて、友人と杯を酌み交わす機会が増えるというのが最近の毎日で、週末ともなれば、泥酔に限りなく近い酔っ払いになって、翌日の休日を枕を抱えて頭痛と戦うことにも慣れてきた。
酒席に女子の一人でも居れば、「やっぱ、デフテックってナイスで気持ちよいよね」なんて、聴くこともないだろうバンドの音楽話ひとつで、気の利いたことも言えるのだけれど、たいがいが混じりっけのない純度100%な野郎だらけの呑みなので、「やっぱデブフェチってなかなかキモイよね」と、知能のかけらも見当たらない会話で時間を過ごすことになっている。
先日、〝電子メールを海外に送信したら国際料金が取られるんじゃないかと去年まで心配していた〟友人と、新大久保の職安通りにある日本語のまるで通じない韓国レストランで、「早くキムチを持ってくるスミダ!」とか言いながらマッコリを片手に呑んでいたところ、その友人が突然、「いまはシスか?」と聞いてきた。
聞き間違いの程度どころか、意味不明でついてこれなかった。
渋谷の109のてっぺんにはFBIが潜んでいるのを知っている!と普段から特殊な極秘情報を持ち合わせている彼だからこそ、あー、いよいよイッちゃったかな?と、彼の頭をチラっと確認して、心配そうに見守っていたのだが、事情を聞くと、どうやら現在の心の拠っている位置が〝シス〟なのか〝ジェダイ〟なのか考える機会が最近増えたらしい。
〝シス〟〝ジェダイ〟というのは、映画『スターウォーズ』に出てくる用語で、簡単に言うと、シス=悪、ジェダイ=善ということになる。ジェダイとしてはルークスカイウォーカーとかで、シスといえば、最後まで悪者だったパルパティーンが有名。
つまり、彼は僕に「いまは悪なのか?」と聞いてきたわけだ。
善も悪もなくて、キムチが辛いだけだっつーのとか思いながらも、僕自身、次に生まれるとしたらジェダイマスターとして人生を全うしたいと常日頃から思っていたので、「・・・いや、いまはジェダイだよ」とだけ答えておいた。
すると友人がビシっと僕を見据えたかと思うと小さく呟いた。
「そうか、俺はいま、シスになりかけたよ」と言った。
僕は一気に心配になった。唐辛子が脳まで達しちゃったのかと不安になった。
「え、ど、どうしてかな・・・?その、なんでシスになりかけちゃったの?」と僕は尋ねた。
シスかジェダイかと区別したら、どう考えてもこの時間はジェダイだろ。そう思った。
話している内容だって不穏な会話なんてなくて、彼独自の巨乳論を僕に説明する楽しいひと時だっただけに、ことさら疑問だ。
「俺もさっきまでジェダイだった。でも、アイツが俺をシスに誘ったんだ」と、友人は奥の座敷に陣取っているアジア系ミニスカート女性に囲まれた一人の男性を指した。
昭和を激しく思わせるスラックスとサングラス。指の数がちゃんとそろっているのか疑わしい男性が中心の、グループ。
たしかにこのお店で最初から目立っていたけれど、席だって離れているし、僕らがなにか被害を受けたわけではない。寧ろさっきまでチラチラ見えるパンツに喜んでいたのは僕の友人なのだから。
「俺、ちょっと行ってくるわ」と友人は席を立つとその座敷に近づいた。
ちょっと待った!と言うまもなく、「うぬぬぬぬー。お前らはパルパティーンかーー!?」と、友人はそのグループに向かって叫んだ。
店全体が凍って、僕の血圧が100ぐらい下がって、寿命が3年縮んだ。
う、ダメでしょ、この人。
僕はそう思うや否や、日本語の通じない韓国人アルバイトに身振り手振りでチェックを済ませるようにいい、友人を引きつれて早々と夜の闇に消えていったのだった。
僕の友人にS君というのがいて、乙女チックな顔つきの割にはけっこうタフなことばかりやっていて、ヒッピーまがいのことをしたり、無銭でヨーロッパに渡ろうと計画したりと、常日頃から観察していないと何をしでかすか分からない気の許せない奴だ。
しかも、最近は、やたらと必要以上に長けている薬学の知識を自らの身体で試した影響なのか、「ラジオが俺のことを観察している」と、非常に周波数の高い発言で周囲からますます一目を置かれるようになっている31歳の男である。
その彼と久しくぶりに先日会い、タイ料理なんてものを食べつつ、談笑して、近況について話したところ、お勧めと称する「7つの習慣—成功には原則があった!」という題名の本をぜひ読めと力説する。
いつも彼は、自己啓発系統の本を紹介してくれるのがお決まりで、俗にいうポジティブシンキング・マニアである。
片っ端からその手の本を、まるで木をなぎ倒すように読み漁り、その瞬間に一番〝効いている〟本を誰かをひっ捕まえてゴリ押しする。
もう何年もそんな本ばかりを紹介されているので、ほとんど題名を忘れてしまったけれど─僕はその手の本を読まないのでいつも『あー、うん、脳が溶けてしまいそうな暇があったときに本屋に行ったらちょっと見てみるよ』と返事をしている─覚えているだけでコレぐらいの本を教えてくれた。
「お金と才能」がないほど、成功する52の方法 --中谷 彰宏
金持ち父さん貧乏父さん --ロバート キヨサキ
人生に役立つ論理力トレーニング --渡辺パコ
「金持ち」発想ですべてはうまくいく!成功を呼ぶ賢い頭の鍛え方
--臼井由妃
「好きな人」ともっとうまくいく20の方法 --ドイル・バーネット
思考は現実化する --ナポレオン ヒル
成功の9ステップ --ジェームス・スキナー
もちろん紹介された本はこれに留まらず、貧困を救うとか砂漠化を止めるとか、さまざまな本があった。
どう低めに見積りを算出したところで、人生がいくつあっても足らないような感じである。
で、今回紹介の本がこれ。
個人的体験から、僕は小さいころから〝夏休みの計画〟やら〝漢字検定受験〟とか、とにかく計画を立てるだけ、受験をするという行為だけで、満足して自分がエラくなったように勘違いするタイプだから、この手の本も読んだだけで満足してしまい、結局のところ、〝あとにつながらない〟ので、読む気が全然しない。
彼なんかも、よくこういう本を読んでいるわりには、キャバクラで出入り禁止になったり、アコームちゃんプロミースちゃんをしたりしているわけだから、読まなくても大して俺と変わらないじゃないかと内心思いつつ、実際に指摘もしちゃうわけだけど、そのへんはやはりポジティブシンキング王、そういうのは取るに足らないことらしい。
「それより地球だよ」と彼は言うけれど、地球が危険にさらされているのを警告する前に、僕としてはどうしてキャバクラで出入り禁止になるのかを考えたい。
ところでポジティブシンキングについてこんな格言があったので抜粋。
結局のところ、ポジティブ・シンキングというのはマイナスの部分を単に無視しているだけなのだ。 だからそれ以上の進歩は望めないことになるし、問題が大きくなっていくだけだ。(大野裕)
拡がりというのは陰と陽が一体となり成立するのかもね。
僕は「世のなかの事象がすべて、それだけ独立してあるのではなく、陰と陽という対立した形で世界ができあがっている」とする陰陽説に親密さを感じる。
新宿厚生年金ホールで上映するハリソン・フォード主演「ファイヤーウォール」の試写会に招待されたので、先週のとある過日、観にいった。
この記事がアップされる日(つまり今日)は、まだこの映画は上映してまもないことだから、一応、内容についてはあまり触れないでおこうと思う。
一言の感想の述べると、「ファイヤーウォール」は、高度の技術を持ったセキュリティシステムが悪の手に・・・(ごにょごにょ)・・・・それをハリソンが・・・(ごにょごにょ)・・・・という映画だが、題名とは裏腹にものすごい肉弾戦が繰り広げられる映画だった。
サイバー系のノリを期待していただけに、そういった意味では意表を突かれた。
つまりは、高度セキュリティといいつつも、実際は、アナログ的な、あるいはヒューマンロイド的な部分でシステム自体のバランスや保守が成り立っているから、逆にいえば、そこさえ崩せばセキュリティそのものも崩れる、そんなことを伝えようとしている映画なのかもしれない。
まあ、あまりこの映画について考察していないし、娯楽映画なので大した事が言えないわけだけど。
この映画では、冷徹なキラー役をポール・ベタニーが準主役を演じている。
ジェニファー・コネリーの夫だ。トム・ハンクスの「ダヴィンチ・コード」にも出演する。
イギリス人らしい気難しい顔と、気品のある雰囲気を醸し出すこの役者、イギリス英語特有のアクセントが実にクール。ポール・ベタニー目当てで「ファイヤーウォール」を観ると楽しいだろう。
さて、これで今日の記事を終わらせるのも何だか味気ないので、いままでに観た映画にまつわる話でもしてお茶を濁したい。
せっかくだからハリソン・フォードの話でも・・・と思ったら一つだけこんな話を思い出した。
以前、サンフランシスコを長らく旅行していた頃、市内のダウンタウンにある決して安全とは言えない程度の安宿に何日か宿泊していた。
70年代のヒッピーがいまだに顕在していそうなヘイト・アシュベリーに近いその宿には、みんなでテレビが観られる大きなホールがあって、金の無い旅人や仕事をしている滞在者は、チリビーンズやブリトーニを齧って60セントのコーラを飲んで過ごしたりしていた。
僕と友達もそのうちの一人で、メキシコ人が出す屋台で、タコスやトリッパという臓物の塩焼きを買っては、夜は何処を歩くこともなくその安宿の居間のようなホールでテレビを観て過ごした(その10日ほど前にゲイしかいないクラブで黒人に羽交い絞めにされそうになったのも実は出かけなかった大きな理由だ。それは本当に危機一髪(not一発)で泣きそうになった)。
で、その時放映していたのが、SW(スターウォーズ)シリーズだった。
リマスター版がリリースされたこともあり、何日間か、SWシリーズが集中的に放映されていた。
僕らや宿に滞在している連中は、適当にチップスやぺプシやチリやベイクドポテトやチョコレイトケーキを誰彼なく寄り持って、夜21時になると適当にホールに集まって空いているところに座った。
不思議なことにそれまで自分がアメリカにいるんだと強く意識したことがなかったのに、小汚い安宿でハリソンフォード演じるハン・ソロとルーク・スカイウォーカーが帝国軍に立ち向かう姿をブラウン管越しに観ていたら「ああ、そうか、俺はいまアメリカにいるんだ」と感じるようになった。
恐らくはその場にいるほとんどの者が既にSWを観ていることだろう、でもまるでみんな初めてその映画を観るかのように、大盛り上がりしていた。
僕らこそがジェダイの戦士であるかのように。
ルークがやられるごとに「ガッディム」と大きな声で悔しがったり、「He can fly!!(アイツ、飛んじまったよ)」と叫ぶさまざまな国の連中の姿を見るほうが楽しかった。
Dear,ジェダイ。
May The Force Be With you.
「フォースと共にあらんことを」.
◆金曜日
精密検査の結果を教えてもらいに一度病院に伺い、また会社に戻り残業をする。
精密検査の結果は投薬の必要はなしとのこと。とりあえずの安心を手に入れる。年に一度の検査が必須となってしまった。
19時近くの就業を終えて、広島風お好み焼き屋に向かい、1時間並び、食す。
とにかく有名な店なのだ。
ねぎ焼きと広島菜をつまみに、ソバと餅の入ったお好み焼き。イカ天が香ばしい。
ジュージュー焼ける銀色の鉄板の彼方先で野球のテレビ中継をやっている。
WBCの日本戦。
イチローが塁に出て、次のバッターが本塁打を放った。嬌声が店内をこだました。
出口のガタピシと音を立てる扉の外は寒気が吹き荒れているのに、野球の放映があるだけで、少し早めの夏を味わったような気になる。
テレビ中継の野球放送は夏の季語なのかもしれない。
満腹な後、本日が最終日というエクアドルの映画「タブロイド」を鑑賞しに六本木ヒルズに。
22時からの上映。
遅めの時間なのにチラホラと座席は埋まりつつある。
この時間帯の「ナルニア王国」の観客は、いかにも六本木で夜通しで遊んでまっせという雰囲気に満ち溢れているのに比べ、「タブロイド」の観客は幾分しんみりとしている。
もしかしたらこれから観ようとする映画の内容のせいだろうか。
必ずしも楽しい夢を与える映画ではないからだ。
「タブロイド」はエクアドルで連続に発生している猟奇事件(少年少女を次々と誘拐し、レイプしたのちに殺害する)の犯人を追うテレビコメンターが‘ある’中継がきっかけで事件の真相に近づく映画だ。
鬱屈としたやるせない映画なので、観客もおのずと神妙としているのかもしれない。
観終わったあとの感想は良くも悪くも南米らしい映画だということ。
大学で第二外国語でスペイン語を取ったのだが、その時に先生が「南米の映画はハリウッド映画に比べて必ずしもハッピーエンドで終わるとは限らない」と話していた。
ハッピーエンドではない映画も、そこそこの集客力があって、またそういう映画に、南米では観る者が惹かれるようだ。
「タブロイド」もアン・ハッピーエンドの類型的映画だった。
DVDで手元に置きたくなるほどの情熱は感じられなかったが、一度は観ても良いかもしれない。そういう種類の映画だった。
鑑賞後、バベルの塔のようなヒルズを背中にして、まだ遊びたい気持ちを抑えて駅へと向かう。
===
◆土曜日
ひさびさの友人と渋谷で偶然にバッタリと会う。
新しいアルバムはないかなと新譜コーナーを物色していたら、なんと5年以上ぶりぐらいでhiromiちゃんがいるではないか。
身長が170センチ以上あって、パーティでガシガシと踊り明かす子。
ギリシャ人の彼氏と海外を回っているというのは噂で聞いていたけれど、日本のどこかで逢うことは無かった。明日はもうバンコクに発つらしい。
またどこかで会えたらいいね。カバンに入っていたホルガで一枚撮らせてもらう。
昂奮覚め止まぬままに渋谷に来ると必ず立ち寄るカフェに。
落ち着いた雰囲気の決してコギャルやギャル男が居ないカフェ。
チャイを飲んで、まったりムード。もう一枚写真を撮る。
黒崎にあったという「唐そば」は、まあまあだった。薄めのとんこつ。先代の味は美味しかったと聞くだけに残念。九州系とんこつは、もっと濃くても良い。
===
◆日曜日
昨晩キャバクラで、記憶と合わせて財布から5万飛んだと嘆く友人と温泉に。
深大寺ゆかりの湯。
日本庭園に梅が咲き、足湯の温泉から湯気が出ている。
ドテラを羽織い、みたらし団子を食べてボーっとする。この上ない至福。
どうやらここが東京であることを忘れてしまったようだ。
ハロー。How's it going?
みなさん、 いかがお過ごし?
風邪なぞ引いてないかい。
東京は相変わらずだよ。全然変わりがない。季節も季節だから、だんだん寒くなって師走が近づいている。
そうそう、こないだはエリックとSige-Matsuさんと門仲でもんじゃとお好み焼きを食べに行ってきました。
何枚かケータイで撮った写真も。みんなにも連絡いってるだろうけど、Sige-Matsuさん、お元気そうよ。
アレがコレで仕事は別々だから傍目からしかみてないけど、いい感じそうだね。
もんじゃ焼き? もんじゃはやっぱ東京が一番さ。ここのネギ焼き食べないと、もんじゃを語れないよ。
今度来た時行こうぜ。東京だって美味しいものがあるのを教えてあげるさ。
そんで、11日に東京ドームのラクーアに行ったんだ。HR川さんとItoさんとSige-Matsuさんと4人で。
エリックは結婚式があるから来れないってさ。Tani-Mは仕事で休みが取れないって。
そうだよね、3年も経っているんだし、仕事だってバラバラだものね。
でも、集まるときは集まるもんさ。何処に居たって関係ないよ。
ラクーアは2900円くらい掛かる高めの温泉施設だけど、値段だけの価値があるかな。
遠赤外線の亜細亜の楽園のようなサウナ施設から眺める夜景はピカイチだし、お肌もスベスベ。
2日経った今日だってまだ艶々しているよ。
おっと、温泉には入る前にジェットコースターも乗るべきだよ。息もつけない疾走感。ほとんど直滑降に下るコースターに乗ればアドレナリンが分泌されまくる。
一瞬死ぬかと思ったね。グングン上がって周りの高層ビルが小さく見えるだもの。
で、その帰りに、東京土産的な観光名所として「メイドカフェ」にも。
まあ、これは当人とっての要望ということで。
もちろん僕らもこういうのは、わりとまんざらじゃなかったり。
けどね、凄かった、「メイドカフェ」。
メイドが凄いっていうよりは客がすごかった。なんていうか、ぶっちゃけたところ、危ないってやつかな。
メイドも『おかえりなさいませ、ご主人様~』とかって言うし、『にゃんにゃん』とかって猫の物真似みたいのしているんだけど、お客さんはもっと濃い。なんていうか濃い。普段はなかなか会えない濃度の持ち主ばかり。
笑うのを堪えるのに必死だったよ。ほとんどが常連で、一人で来店しているわけだし、見ようによってはベテラン。それよりもなによりも、勇気あるな、こういうところに一人で来るの。
ほんっと、二人組とかはたいてい悪ノリで蹴飛ばしたくなるような連中のわりには、ピンのお客さんは静かに濃かったな。
『最近×××にログインしてないっすね』とか『今日は忙しかったの?』とかひたむきな態度でメイドに話し掛けている。
なんていうか彼のドキドキ感がこっちにも伝わってくるんだよね。
愛ってなんだろね。愛ってさ。どうよ、最近、愛しているかい?
たまには、日々の日常を綴ってみようじゃないか。
12月2日(金)
第??回の「肉の会」。
何回目なのか分からないのは、「肉の会」を幾度となくドタキャンしたため・・・。
もちろん会長、副会長レベルは掌握している筈。
今回は「年忘れ肉の会」。場所は西葛西の「金ナントカ園」。
年忘れとしては、いつもの場所。
会長、副会長、うー、koとお馴染みの顔ぶれに、新メンバーぬまっち登場。
会長と同じ会社に勤めている前回参加の肉超人(♀)が参加できないのが、残念だ。
肉で肉を購う性の垣根を越えたバトルロイ肉は、次回に持ち越しである。
さて、この「金ナントカ園」は、毎年来ているけど、なんだかんだで肉が旨い。
肉の写真をパシャパシャ撮ったが、また食べたくなるので、ここは割愛。
そして、肉が旨いのにいつまでたっても毎回、店の名前が覚えられないのが悲しい。
西葛西の駅降りて12秒のところにあるので、「いつだって、肉食わなきゃワタシ死んじゃうの」的は人は病院に行く前にぜひ、ここに。値は張るけど、味は保証。
ところで、ぬまっちは、ドアを閉めてからS(サド)だとか。
「ドアを閉めるまではおとなしいんだよねぇ。ドアを閉めたあとはもうヤバイよ、俺。超言葉責め」。
そうなのか。どんな責め具合なのか一度聴かせて欲しいものだ。
─肉の会─
12月3日(土)
夕方から、秩父の夜祭に行く。
毎年12月2日3日に開催のこのお祭りは、曜日が合わなくて歯痒い気持ちでいっぱいだったけど、今年は土日開催なので、思い切って行ってみる。
日本3大夜祭(他の2つがどこだか知らない)と名高く、夜な夜な秩父の山間を派手に提灯で装飾した曳き屋台が練り歩く。
それを一目見るだけでも価値があるというのに、着くまでは知らなかったが、全国の選りすぐりの花火玉が惜しみなく何百発と打ち上げられる祭りでもあったのだ。
真冬に眺める尺玉はホントに圧巻で、仕掛け玉のような尺玉は言葉にならない美しさ。
何メートルも離れている距離から見ているのに胸にドンドンと音がする迫力。
スターマインも見たことのない仕掛けで、あのスターマインが猛スピードで打ち上げられるのだ。
身悶えする感覚。スターマインで空が眩しくなるなんて、いままで想像したこともなかった。
そして尺玉連発の夜空の下でみる曳き屋台の神々しさ。いまのところナンバーワンの花火&夜祭。
昂奮止まぬまま夜通し遊ぶ。
EXA 1b で、何枚か流し撮り。
来年は、土日開催。
12月4日(日)
昼過ぎまで爆睡。外を見ると雨が降っているみたいだ。
昨日のお祭りが雨じゃなくて改めてほっとする。
むげん堂で購入した、ベトナムコーヒーのフィルターで淹れた珈琲を飲んで、ゴロゴロとまったりモード。
そして、ADSL回線の速度変更(1M→24M)がようやく開通。体感的にはまるで同じ。まぁ、いいか。
開通ついでに色々と机周りを整頓して、夜ご飯は、元同期の四谷在住のこじか君と四谷三丁目の大戸屋に。
こじか君は、煮込んである鶏肉を単品で、そしてデザートを、僕はカキフライ定食を食べる。
「僕、こんなに食べれない」とライスを食べずとも、デザートは頼むというこじか君から鶏肉を半分貰う。
カキフライ定食は780円としてみれば、正直悪くない。
大戸屋は、ご飯やおかずがそこそこイケているのに、味噌汁だけが美味しくないというか、味に広がりがないのが毎度ながらに残念だ。
でもって、お互いの近況をつれづれと話す。
多くの日本のブログで使用されているシック○アパートのサポートの仕事があるらしい。
雇用側の求めている技術(unix、phpエトセトラ)とギャラが折り合ってなくて、しょっぱい内容だから渋っているとか。
あと、ついでにSoberの亜種の話をする。
ワクチンベンダーで働いている彼のところにも、どうやら、こちらで確認した謎の亜種のレポートは無い。残念だ。
先週末の金曜日は、急遽、渋谷にあるセルリアンタワー東急ホテルの2FにあるLIVE JAZZ AND DINING CLUB「JZ Brat」で行なわれた「KANKAWA&つのだ☆ひろ」のジャズを観に行った。
去る2月8日に79歳で亡くなったジャズ・オルガンの王様ジミー・スミスに師事し、NY市長から表彰も戴いたというKANKAWA氏のお弟子さんと同じ勤め先の友人(ややこしいな)よりお誘いを受け、行った次第である。
セルリアンタワーでの演奏なので、ドレスコードとか厳しいのかな、なんてちょっと心配したけれど(当日といえば僕はジーンズにコロンビアのワークブーツ、そして紺のパーカーというラフで、どちらかというとあんまりジャズの演奏を聴きに行くような格好をしていなかった)、その友人より『全然、ダイジョウブだよー』と太鼓判を押してもらったのにすっかり安心して、大袈裟な表現をしてみれば小躍りして向かったのだ。
何しろお弟子さん経由ということでタダのチケットだったし、ジャズのライブなんて久しぶりだからである。
「JZ Brat」は、案の定、品の良い大人達の集まる入り口からエスコートのあるバーのようなダイニングクラブで、「つのだ☆ひろ」は19時半からの演奏だった。
しっとりとしたすわり心地の良い席に案内された小腹の空いている我々は、早速と、飲み物と食べ物の注文。周りを伺うとけっこう40代ぐらいの年齢層が多く、みなそれぞれ静かに談笑している。まろやかな雰囲気である。
ハイネケンの生ビールとチョリソとチリビーズの和え物、マルガリータピッツァを頼む。
白いきっちりと気泡の詰まったハイネケンで乾杯し、チリビーンズを絡めてピリ辛のチョリソを戴く。チョリソとチリビーズの和え物は飽きのこないツマミで、簡単に作れそうだ。しかもビールに程よく合う。
ピッツァも薄焼きの生地でチーズが濃厚。大満足。
2杯目にクエルボで割ったテキーラソーダを頼んだあたりから演奏が始まった。
1時間ばかりの演奏でひときわ良かったのは、つのだ☆ひろがドラムを叩きながら歌う「Georgia On My Mind」。言うまでもなくレイチャールズのヒットナンバーのひとつである。
僕は日本人だから、ジャズやブルースのバックグラウンドにある黒人のルーツや迫害の歴史を肌で感じることがないので、ピント外れかもしれないけれど、それでも「♪Georgia, Georgia, the whole day through Just an old sweet song keeps Georgia on my mind(ジョージア、ジョージア、懐かしき甘き調べとともに、心に浮かぶジョージアのおもかげを私は一日中追っている)」という歌詞とその物悲しい曲に、故郷を離れて、なお故郷を想う気持ちを汲み取ることができた。
2つ離れた席に座っている妙齢の黒人ミュージシャンが、一緒に歌っていただけに。
例のハリケーンでニューオリンズは壊滅状態になったし、もしかしたら遠く離れた日本で聴くレイチャールズは彼らの心に染みるのかもしれない。
映画「RAY」もDVDでリリースされているので、秋の夜更けに観てみよう。
*
*
さて、残念なお知らせだけれど、2年連続して今年も「はらっぱ祭り」の開催は難しいとのこと。
おととしのある事件、というか運営側と運営を許可する側の相互不一致がきっかけとなっていまだ開催にむけて理解が得られないというから悲しい。
「はらっぱ祭り」は武蔵野公園の ─公園というよりは巨大な野営場─ くじら山近くで20年近く開催されているお祭りで、ヒッピー色の強いイベントとして名高く、ジャンベや民族楽器のライブやサイケバンドの演奏、オーガニックやエスニックの屋台に、Tシャツや革製品などのフリーマーケットがごちゃごちゃと熱気を醸し出している貴重なお祭り。
僕は5年前にこのイベントを知って、トランスの野外パーティでは見ない緩~い雰囲気が気に入って、それからちょくちょく時期になると訪れていた。
店を出している人たちはみんな普段は何処に居るんだろうっていう70年代ヒッピーのような、耳に木製のピアスをくっつけたりパンタロンを穿いたり腰まで髪の毛を伸ばしたり見応えのある人たちばかりだけど、店先に並ぶお酒や食べ物もピカイチに美味しいし、みなシャンティな人たちなので飽きることはなかった。出店している人は公園にテントを出して寝泊りができるので、さながら即席コミューンのようで快適な感じで、それぞれ好き勝手にくつろいでいる。
くじら山に登って、あったかい梅焼酎でも啜りつつ、秋の空を眺める「はらっぱ祭り」は本当に格別なのに残念。
来年こそは期待したい。
しかもなぜかしら「はらっぱ祭り」では旧知の知り合いに遭遇することが多く、それもまた愉しみのひとつでもあるのだ。
バラバラになって、仕事や出没するところ変われど、このお祭りには集まるんだなぁと感慨もある。
こちらは「Photo Log」に掲載の「はらっぱ祭り」の写真。
>>Photo001
>>Photo002
>>Photo003
>>Photo004
レポート名: Shinjyuku association vol.3
Member: ko、ケンカネコ
Place: 大阪屋
Date: 2005年9月30日19時半
実はすでにカウントしてなくて、全然3回目じゃない〝シンジク会〟。
お馴染みのメンツによる会合。
季節は変わり、初夏から初秋に移るというのに成長しないのが我々。
今回もバッチシへこたれた会話で幕を開けて幕を閉じる。
所在なしにお好み焼きをつついてバカ話に花を咲かせていると、毒のない垂れ流される有線からこんな曲が。
無言 いくじなしね
無言 淋しがりね
かつての80年代アイドルが「目と目で 通じ合う そうゆう 仲になりたいわ」とブラウン管越しに歌った曲がまさにいま大阪屋で流れている。
私は思わず耳を疑った。なんというシンクロニシティ(意味ある偶然)であろうか。
聞こえているか、友人よ。
おい、これこそファンキーでソウルな気持ちではないか。
言葉の要らない関係。
こんなことができるのはラブラブな連中か、すこし頭の痛いキャラか、映画「A.I」の最後に出てくるエイリアンぐらいだ。
彼の望まんとする関係性への兆しがこんなところに転がっている。私はすっと胸をなでおろした。
何もコメントをしない私ではあったが、そのぶんジッと私は彼を見詰めた。きっと私が言わんとした助言に気付いてくれたのであろう。私のような人物で「目と目で 通じ合う」関係を練習するがよい。
そして、わがシンジク会のメンバーが前述の「すこし頭の痛いキャラ」ではないことを心から願う。
ちなみにその某アイドルは、その歌の続きで「明日 少し 勇気をだして視線 投げてみようかしら」とカワイク歌ってた。
どうか、彼の〝勇気をだした視線〟が空振りだけはしませんように。
大阪屋のお好み焼きのソースが目に染みる・・・。
木曜日。
ボククボ@アゴ友達 とひさびさの再会した。
予備校時代からの友人である。
大学入学後、彼もまた多くの友人達と同じように建築の仕事を一緒にした。
夏は湘南でワカメを投げるバトル「ワカメゲーム」の戦士として、週末の夜はクラブ巡りをする夜の徘徊組として欠かせない存在であった。
そしてギャルが一人も引っかからなくて、早朝5時とか6時に腹が減ったのでラーメンを食べるという〝負けラーメン〟の仲間でもある。
細面の爽やかな顔なのでモテる時は人気がある男だ。
彼のエピソードといえば、稀にない神経質っぷりで、新島に遊びに行ったなんかは、深夜の草木も眠る丑三つ時だというのに、一人悶々として起きていたという(僕らは海ではしゃぎ、たらふくの魚料理を食べてガースカと鼾をたてていた)逸話がある。
聞けば、枕元に放置していた〝さきいか〟を猫が見つけ、その袋に猫が忍び足で徐々に近づき、袋をこっそり開けて、首を突っ込んでカサカサしているのが気になって一晩中眠れなかったそうだ。
それからしばらくの間は「ネコカサ」というニックネームで呼ばれていた。
99年-00年にタイとバリに行って、バリのミレニアムパーティではじけた旅仲間でもある。
1年ぶりの再会となる今回は、タイをコンセプトに信濃町にあるタイカレー「メーヤウ」で食事をすることにした。
そういえば去年最後に会ったのも代々木公園のタイフードフェスティバルで、その時はけっこうカワイコちゃんを連れていた(というか毎回カイワイコちゃんを連れている)。
閉店近くというのに相変わらずテーブルがほとんど埋まっている。一番端っこの席に座り、早速と「辛口カレー」を頼み、シンハで乾杯してから近況を尋ねる。
で、最近どうよ?
「俺、別れちゃったんだよね」
オイオイ、ここにもまた一人ハートブレイクか。
どうも我が愛しきご友人達はどいつもこいつも雁首揃えて失恋中である。
いったいどういうことなのだろうか。彼らの為に一肌脱ぎたまへ という神のお赦しなのか。
「へ?だって去年、結婚するとかっ言ってたじゃん。あれどうなっちゃったの」
呆気にとられて聞き返す。
「話せば長いんだけどさ、やっぱどうなんだろな。俺次第なんだよ。こればっかりは」
そうかそれじゃしょうがないな、よく分からないけれど。僕も彼女とは面識が深いわけでもないので、彼らの事情を察することもできない。
とにかく再会を期してカレーを食べる。
ココナッツミルクがふんだんに溶けているタイ独特のスパイスなカレーはひとくち食べるだけで汗が噴き出す。強烈な太陽の日差しを浴びているような夏の食事。こうやって同じように並んでカオサンやヤワラーの屋台でご飯を食べたのが昨日のようだ。
閉店も近かったので荒木町にあるピアノバーで呑むこととする。
テキーラトニックとジンバック。
どうやら彼女とずーっと一緒に過ごしていたので、いざ別離となると、次に向かう土壌がないらしい。
俗に言う「耕す畑がない」って状態だ。
数年前は丸の内界隈のサラリーマンやOLに人気のあった〝丸の内ドットコム〟で誰よりも先立てて企画を練り、毎夜合コンを開催していたらしいけれど、いまとなっちゃ誰もが真似をしちゃって、そういう種類のイベント自体が物珍しくもなくなっちゃったとか。
それは残念だ。
でも、合コンのお願いを僕にされても困るし。ギャル関係はしばらく連絡取ってない。つうか電番だってもう分からないし、みんな結婚してるしなぁ。
お役に立てなくて申し訳ない。
でも、ま、夏だし、なんかあったら連絡するよ。花火でも行こうぜ。ケンカネコとも最近遊んでいるので、ツルむのも悪くないぞ。
レポート名: Shinjyuku association vol2
Member: ko、ケンカネコ
Place: 大阪屋
Date: 2005年6月29日19時
歌舞伎町のど真ん中にあるドンキホーテの斜め横にあるお好み焼き屋「大阪屋」で開催。
僕が小学生3年の頃にはあったので少なくとも20年ぐらいは営業しているのか。
新宿のお好み焼き屋では老舗である。
ケンカネコと夜の19時過ぎにアルタ前で待ち合わせ。
さすがに不夜城の街新宿、往く人来る人がなかなか極悪じみていて実に見応えがある。
アルタの電光モニターの有機発光が蒼白く浮かび上がって生命保険のコマーシャルが繰り返しリピートされている。その女ののっぺりとした笑い顔は醜悪なショーのようで少し鬱陶しくなる。
キャミソールというよりは下着に近い格好で出勤と急ぐホステスや、ピラニアのように厳しく視線を飛ばすホストやキャッチ。
小指の欠けた浮浪者。新宿にはピリッとした緊張がある。
アルタ横の百果園にドリアンが置いてあり人々の注目を浴びる。
南国タイのフルーツ。果物の王様。
発酵したチーズと言っても過言ではないこの果実の匂いはタイ人を虜にする。
「女房を質にいれてもドリアンを買う」というのがタイの格言だ。
ちなみに今日はケンカネコの31歳の誕生日。
誕生日だというのに、なぜ高校の同級生(しかも同性)と祝うのかは、あまりにも哀しくも切ない物語があるので、こういうのは普通触れないのが人情だが、そこは同級生、言ってイイコトはあっても言っちゃイケナイ事は殆ど無い。
「女は星の数ほどいるって」それがテーマであり結論でもある。
おい、ケンカネコ、そんなに肩を落すなって。いい誕生日にしようぜ。
*
*
「大阪屋」は24時間営業で年中無休である。
この街に相応しい営業方針。眠らない街にぴったしである。
20年以上の油を吸い取った細長い階段を下ると、地下一階が店になっている。
つきあたりに座敷、テーブルが幾つか。
中年男性と20歳ぐらいのコのカップル、見つめあう2丁目系の男2人組、白人男性とギャル、お好み焼きの具がそのまんま客になったほどの喧騒である。見応えたっぷり。
生ビールでまずは乾杯。イカゲソの鉄板焼きとエノキの鉄板焼きをそれぞれ頼み、オニオンスライスを追加。
ひたすら携帯を気にする奴をなだめる。ドウドウ。
男はつらいよ。意外とふっきれないのも男である。
「女は思い出を上書きするけれど、男は別フォルダで保存する」これは予備校のご同輩ボククボの格言である。
*
*
自暴自棄なのか夜の街への布石なのか。
欲望に身を任せて呑む姿が面白くて、僕もつられてグビグビと呑む。
こういう時─つまり失恋をしちゃった時─言い分を聞いてやるのが同席した奴の責務でもあるわけだから、腹に沈殿している猛る想いをぶちまけさせる。
「もう俺無理かなぁ」
「さぁ」
「さぁって・・・聞いている?」
「ああ、聞いているよ(モグモグ)。イカ焼けたよ。食えば?」
「いやイカもいいんだけどさ。そのどうかな。」
「どうなんだろうね。エノキ来たよ」
答えの無いファンタジー。ウサギが扉を開けてしまったラビリンス。
「まぁ、アレだよ。しょうがないって」とにかく食べようぜ。
なので食べる。お好み焼き登場。〝豚玉〟と〝野菜玉〟。
鉄板に薄く油を引き、ステンレスの器の具材をよくかき混ぜて、丸く載せる。
お好み焼きを焼く時のコツはなんといっても「いじくらない」だ。
「いじくらない」に始まり「いじくらない」に終わるといっても過言じゃない。
ごくたまにヒヨッ子(トーシロー)がひっくり返した後、鉄板返しでパンッパンッとかって叩いちゃっているのがあるけれど、ありゃダメだ。
お好み焼きを知らなすぎる。お好み焼きは「いじるな」。これがルールだ。
裏面がキツネ色になったのを確認して、一気にひっくり返す。ジュゥ。
小麦粉の香ばしい焦げと桜えびや紅生姜の香りが熱気とまじって昇華する。じっと我慢。
さらに待つこと3分。表面もキツネ色に焼けたのを確認し、もう一度ひっくり返す。ジュゥ。
特製のトロトロソースをたっぷり塗り、青海苔、かつお節を全体に振り掛ける。
ソースの匂いって食欲そそるよね。熱々のお好み焼きをてこで4等分に分ける。
店員登場、マヨネーズを貰う。お粉と山芋のサクサク感、桜えび、紅生姜、キャベツがそれぞれ個性的に主役を演じる。
そこにかつお節と青海苔の海系フリカケが乱入。
カラメル色のソースとマヨネーズが渦巻きを描いて混ざる。
旨い。最高!お好み焼きを考えた奴は天才に違いない。
ハートブレイクジャパニーズクレープ。良き一年を。第3回まで復活の呪文を唱えておきましょうね。
大阪屋
新宿区歌舞伎町1-17-12 浅川ビルB1F
良く晴れた週末。
梅雨入りなんて天気予報じゃ得意げに宣言しているわりには雨なんて降りやしない。
肌にまとわりつく湿度だって心地よいくらいだ。
雨のない休日と言うのは、雨が降りつづけているゴールデンウィークよりずっと価値がある。少なくとも僕にとっては。
携帯の緑色にランプが灯る。緑色に灯るのは友人からのメールだという合図。カチャリ。
「19時新宿に集合だ。さっさと来やがりたまえ」とケンカネコ氏からメールが到着。
今日は第1回シンジク会である。
場所が新宿であれば、何をするをも咎められないというコンセプトのもとに設立された集会。
その記念すべき歴史のスタート。栄光への架け橋。
プールの水面に漂う水泡を膨らましたようなアイデアから浮かんだこの企画が産声をオギャァとあげてから1週間、果たしてうまく運用されるのだろうか。
なぜなら〝企画潰し〟のゴールデンコンビという全然ありがたみの欠片もない異名を持つ2人でも在るので、これからも第2回とかって続くの?なんて疑問も無きにしもあらずだからだ。
だって、そもそも第1回だって、ドタキャンってカードを切りまくる連中なわけだし、集まるまでは分かりゃしない、不安が細かい塵のように空気中を舞う。
それは今日の湿った梅雨の空気のように肌にまとわりつく。
なんて思っていたら、ホーラ来た。メールだよ。
差出人:
ケンカネコ
件名:
なし
本文:
わるいっしぺぷ。ちょっと遅れるだわさ。アレがこれで、ちょっと。まぁ、ゆっくり来て。ウホ。(ほとんど脚色 by ko)
早くも遅刻である。これだから目が離せない。
つっても待ち合わせの19時に間に合いそうもない場所に自分も居たので何も言えない。お互い様だ。
むしろ僕にしてみれば棚からぼた餅が降って来たような気分である。
そもそも僕自身は、第1回なのに、あんまり長居ができないなんていうドタバタスケジュールだ。明日は、栃木の佐野にちょっと行くので、ウシオ邸にお泊りするのだ。終電までには撤収である。
*
*
ゆっくりと丸の内線に乗り、欠伸を数回すると新宿三丁目に着く。
今日は「つな八」で天婦羅を食する予定、ダンディな我々にはピッタシすぎる食事。
「つな八」は天婦羅の名店として名高い。
わざわざ遠くから足を運んでここで天婦羅を食べるお客さんもいるくらいだ。
さっくりとした衣。帆立はじわっと、それでいて素早く揚げているので、中身はうっすらと桃色を放っている。それを塩で食べる。
名店なのでもちろん常に混んでいる。週末は店の外まで行列ができるぐらいである。
先に並んでいるという事なので、店まで直行し、暖簾をくぐる。椅子に座ってぼんやりをケータイをいじっている男が視界に入る。奴だ。
「ハロハロ、久しぶり」
お互いの知っている友人の結婚式が最後に会った時なので、かれこれ1年半ぶりの再会だ。
それでもあんまり久しぶりって気もしない。なんか先週にでも会ってんじゃないかと思う向きすらある。
不思議といえば不思議。
とりあえず会ったら罵詈雑言を浴びせると言うのが長年の付き合いがなせる業でもある。
「つか、超おせえつうの」
遅刻したのは自分でもあるのにとりあえず僕が口火を切る。
「いや、ちょ、わりい。なんかさ、遅くなっちゃって。でさ、連れもくるんだけど、それはもっと遅刻するんだよね・・・」
「マジかよ、もっと遅くなるの?腹減って死んじゃうっつうの。どれくらい?20時半?お前、あと1時間あるじゃねぇか。いいよ、先に座ってビールでも呑んでいようぜ」
素晴らしい友情。
もし悪魔超人がそこに居たら、「アレ、この眼から流れてくる水は何なんだろう?」と首を傾げて涙を流すシーンである。
1時間もここで待っちゃう?ぐらいのアイデアを展開する友人にアタマがクラクラした。
*
*
スムーズ進行で2階のテーブルに席を確保して、とりあえずビールとつまみを頼む。
ここの天婦羅は普通にボリュームもあるので、つまみはさっぱりとしたものを選ぶ。
つまみから進めるのは今日は初めてだ。
ケンカネコ氏がまだ新宿で勤めている数年前、この男のお勧めで紹介して貰って以来、僕はここの天婦羅の虜になっている。並ぶだけの価値があると思う。
この男は、旨い店をよく知っているので、僕はよく耳を傾けるようにしている。
ここに来たら、カウンターには座るな が彼のモットーなので、僕はまだカウンターには座ったことがない。カウンターはゆっくりできないらしい。彼がそう言うのであれば、きっとそれは正しいのであろう。
つまみは「長芋の酒盗かけ」をチョイス。サッパリとシャキシャキの長芋に酒盗の塩気がよく合う。
エビスビールが届く。乾杯。
白いむっちろとした泡がビールの苦みを目立たせる。美味い。
*
*
お互いの近況を語り、待ち時間を過ごす。
さて、今日のテーマは「借りパク」。
「借りパク」というのは借りたままパクる自分のモノにした)の略語。
10年以上付き合っているとお互い(若しくは他の連中も含めて)「借りパク」アイテムが増えてくる。
人によってはパクられるよりパクる方が多いなんてのもいる。
「なぁ、俺のアニエスのシャツ、どうした?」
アニエスのシャツ?やべ、そんなの借りてたっけ。つか、もう家にない。誰かんところだ。
「え、もうないよ。だって相当昔の話じゃん。どっかいっちゃったくさい」
うん、絶対、家にない。どこいったけ、あのシャツ。
「でたでた、俺ん家来て、漁りまくったじゃん、○○と一緒に来て。チノパンとか持ってってさ」
そうだったか、でもチノパンの「借りパク」は俺じゃないよ。
「そうかもしんない。懐かしいなぁ。つかさ、それはいいんだけどさ、俺のL・Lビーンのウエストバッグ、どこ?もう7年ぐらい見掛けないんだけど」
「いや、それは俺じゃないって。○△☆がパクったんじゃないの?」
夜が更けてゆく。消えたアイテムは見つからない。それが友情。それが「借りパク」。
きっと夜空の露にでもなったのだろう。
シンジク会。どうなることやら。
第2回は未定である。
新宿 つな八
http://www.tunahachi.co.jp/
先週の週末は代々木公園にて開催された「第6回タイフードフェスティバル」に行った。
これで第1回から皆勤賞。いぇい。
てっちゃん、ちび助、ケイスケ、サントス、石戸谷ポン@予備校以来、前ピ-、ミー、マサキ、マサトシ、トモ、ウシオ、アツコ、ソロモン、コータ、エレナ、ユリカ、マキ、スケートティーチャー、エトセトラ、えとせとら。
今年もたくさんの人と呑んじゃいました。
日曜にお会いしましたパーティではよく見るけれど、名前を知らない皆さまは、泉のような酒精とともに何処かに…。うほっ。酒が記憶を消したのか。
で、さすがに年々と規模が大きくなるこのイベント。まだ昼過ぎだというのに現地に向かうと、人だかりがすごいのって。万博なんて目じゃないんじゃないかしらという人手。
快晴とまではいかないにしろ、5月の新緑が眩しくて気持ちがいいし、都心のオアシス、代々木公園だっていうのもあるのかな。
屋台から発せられるパクチーやタイ米の香リが、まさにタイそのもので懐かしい。
会場全体がカオサンロードのようだ。独特の南国的な匂い。甘美な亜熱帯の香辛料。
コンサート会場では、アルバムを23枚リリースしているというタイの国民的バンド「カラバオ」 が演奏しているし、ロケーションは抜群。
楽しい夏の予感がしてくる。ワクワク。
人が集まれば酒が飛び交うというもの。とりあえず、というか、とにかく乾杯ー。
金曜と土曜がお休みだというてっちゃんは、仕事柄、すっかり真っ黒。髪の毛も短くカットしていい感じじゃないの。まぁ、まぁ、呑みましょうよ。プーケットラガービールをぐびぐび。うーん、最高。
混みこみの屋台で並んで購入したソムタム(青パパイヤのサラダ)とカオニャオ(もち米)をぱくり。
炭火でこんがりと焼かれたガイヤーン(鶏肉)を誰かが持ってくる。公園中をフラフラしているネパール人サントスがギャルを物色している。おいっ、ナンパしまくってるなよ。ヒャッホーとか言っちゃって知らないコに抱きついているし、もう。
揚げバナナ登場。ぱりぱりの衣にもっちりとした甘いバナナ。手が止まりませんっ。それもぱくり。
隣のだれかが、汁ソバを回す。唐辛子が効いていて旨い。前ピー、遅れつつ現れる。真っ黒でかつ日本人離れしたその顔が現地の人のようだ。女ったらしのようなので、「スケコマシ」というあだ名がつけられる。たしかにエレナに目がギラついているとか指摘されてたし。コータが変な格好をしている。今日のテーマは「裏原宿」らしい。そうなのか?
酔っ払いつつ会場を歩いていると、会場脇のブースで、なんとタイのバンド「LOSO」のアルバムを発見。
「BEST OF LOSO」。
2002年に惜しくも解散してしまったこのバンド、950円で並んでいたので即買い。
1曲目の「ソムサーン」は、マジで名曲。98年のタイの空をめぐる1曲だ。
宴もたけなわ、ココナッツカレーとパッタイも登場。カオトンムア(ぶっかけご飯)がどんどん並ぶ。辛すぎ。
カチワリ氷がきらきらしている泡盛の器がどんどん回る。すっげー味。酔っ払うな、これ。
髪の毛が伸びると自然にドレッドになっちゃうんだよねぇとギャハギャハ笑うアフリカ人ソロモンがフラフラになっている。酔っ払ってるのか、ただ陽気なのか分からない。テルテル坊主の唄を呟きながら、ビニール袋で人形を作ってた。よく知ってるね、そんな唄。
夜のとばりが近づくと、ナイトマーケットのみたいな雰囲気になってきた。原色のネオンとお香。ひさびさにタイに行きたいな。
PSY-MOB
http://shanti.psybaba.net/
アースデイ@代々木公園
アースデイは1970年から続く地球の日(4月22日がそうらしい。代々木公園では22日と23日が該当)に地球に感謝する日。
平たく言えば、日常的な試みとして地面に向かってお辞儀するというイベント、、、ではなく、エコロジーや環境汚染、オーガニック、自然循環などに集約されて、いかにしてエコな感覚が定着するかとか、日々の生活から、どんなことが自分達なりにできちゃうのみたいな、気持ちというか、方向性を確かめたり考えたりするフェスティバル。
フェスティバルなので、テーマは重たいといってもスタイル自体は堅苦しくなく、どちらかというと、音楽あり、フリーマーケットあり、屋台ありのお祭りに限りなく近い。つまり祝祭的だ。
さて、今回の会場で注目を浴びたのが、屋台のDishReuseSystemというシステム。
全ての出展している屋台に導入されていて、どういうシステムかというと、たとえば普通なら屋台が準備する紙皿や紙コップなどのたぐいが準備されていない。
じゃ、どうやって食べるのってところだけれど、もちろん長髪のビーズをたくさんぶら下げた人たちが多くても、素手で食べるわけにもいかないので、専用のブースでレンタルのお皿─ほにゃらら合成プラスチックで石油から生成されていない─を100円で借りて、それを持って列に並ぶのだ。
もちろん、マイ皿を持ってきて並んだってかまわない。
要するに救世軍(サルベーションアーミー)みたいなもの。
で、食べた後は、その専用ブースにお皿を返す。100円もそのときバック。専用ブースでは古布が置いてあってそれで皿を拭く。
ゴミゼロ運動の一環だという。
僕らもタイ料理の匂いに誘われて、さっそく到着後に皿をレンタルし、汁そば(バーミナム)とぶっかけご飯(カオ・ムー・デーンだっけか)を食べる。
ピリッとした唐辛子と八角がアジアの味だ。とても気持ちのよい午後の晴れた日なので、自ずとビールも購入。ステージの音楽も、どうやらトランスのイベントとは一味違うサウンドシステムのようで低音と高音が綺麗に波長して素晴らしい。
幸せに包まれて、とりあえず乾杯っー。
初夏のような新緑の一日にはアジアンフードがぴったりくる。黄金色をしたビールと白い泡も眩しい。
さてお腹も満たされ、どれどれとあたりを見回してみると、どうやらアースデイ自体の参加層が厚いらしく、また、70年代のカウンターカルチャーに掛かるムーブメントに源を発している流れからなのか、トランスのパーティなどでは見ないようなリアルな ─あるいはもっとネイチャー色が強い─ ヒッピー達もいた。
もちろんレイブ組も。
ぶらぶら歩いていると、さっそく昨日からほとんど寝ていないそうなショウちゃんを発見。GW中にオーガナイズするイベントのフライヤーを貰う。
フリーマーケットに移動後、チビ助と合流。チビ助の彼氏、マサキも登場。さらにフリーマーケットを徘徊。あっこちんのトモダチが店を出していたので、そこでしばしお喋り。沖縄で絵の勉強を続けた後に、その独特の画法を織り交ぜた洋服を作っている。マングローブの素材であったりと、なかなか本格的。
続いて、ひさびさにギャリーが登場。日本語ペラペラのノースフェイス好きなイギリス人。
最近は嫁に内緒で仮装パーティによく行っているらしい。自分の引き出しにはドレッドのマイウィッグがあって、それを被って行っているんだと目を輝かしていた。大人な遊びなので君らもいつかねっだってさ。
なんのこっちゃ。しかし面白い外国人だな。また野外に行こうね。
で、居ると思ったらやっぱり居たのが、キョウちゃん。
さすがにまだ時間も早いからベロンベロンになってなかった。でもやっぱり缶ビール片手にしていた。毎週のようにどこかしらで最近は遭遇する。
で、その遭遇組といえば、のどか嬢。この子もやはり出没していた。チッタの エトニカと JORG のパーティに行こうかどうか迷っているらしい。
ウシオとあっこちんが「ウチら、行くよ~」と言うと、さらに深く悩んでた。「どうしたらいいの?」いや、聞かれてもさ。どうすればいいのかね。
愉しい時間も過ぎ、夕暮れが訪れるとともに、今日のイベントはお開き。最後はデッド系の曲が夕方を染めていた。夏はもうすぐ。
この日の購入品は、ダライラマの FreeTibet のTシャツ。そして、絞りたての秩父産の生醤油なり。
アースデイ2005
http://www.earthday-tokyo.org/
小学5年か6年の時に漫画家の水木しげるの家に電話を掛けたことがある。
もちろんいたすら電話ではない。かといって遠い親戚を辿っていくと水木家にあたるわけでもない。
20年前の当時、藤子不二雄ランドと称して毎週セル画付きで藤子漫画が復刻したり、
発売されていて、僕は今は亡き幼なじみとそのシリーズを貪るように夢中になって耽読していた。
シリーズのひとつに著者の半自伝的な漫画があり、凄く大好きなシリーズだった。
題名もそのまんまで「まんが道」。
ことさら説明するまでもないけれど、藤子不二雄は[藤子F不二雄]と[藤子A不二雄]の二人組のコンビから成り立っている漫画家である。
記憶の倉庫から情報を引き出すと、たしか僕が小学生低学年まではペンネームは〝藤子不二雄〟オンリーだった。
いつのころからか『ドラえもん』の巻末にある著者紹介で、FとAがそれぞれとして紹介されるようになり、見て、ビックリしたものだ。一人だと信じていた人が実は二人だなんて。
同時にこんなにしてわざわざ二人の名前を別に記載するにはなんか理由があるのかなと小学生ながらに心配になった。
さて、その二人が登場するこの「まんが道」、主人公は才野茂(F)と満賀道雄(A)といういささかベタな名前で、内容も自伝的であるぐらいだから、彼らの対面シーンに始まり、葛藤、そして手塚治虫との出会い、名アパートのトキワ荘で仲間達と過ごす共同生活と徐々に一人前の漫画家として成長する姿が描かれている。
ところでトキワ荘のひとコマに登場する〝キャベツの味噌汁〟は、盆ダンス管理人ことTK野氏も幼少時代に憧れたという、グルメ漫画美味しんぼを越える漫画界最強の仕上がりになっているので食いしん坊は絶対読むべし。
で、『まんが道』の少年編では、いずれは大漫画家に成長するこの二人が初めて作品を書き、それをキリや画用紙を使って製本して、近所の同世代の子供たちに見せて大絶賛を浴びるシーンというのがある。
そのシーンで僕らは大いに影響を受けた。自分達のデッサン力なぞまったく度外視して、俺らはもう漫画家になるしかないなと西日の射す放課後、訳もなく決意とかしたりした。
当時から、何をするにもまずはカタチから入るというのが我が信条というか先走りであって、この時も例外なくマンガに出てくる道具を片っ端から揃えていった。
今でも何を買ったか覚えている。ケント紙、丸ペン、Gペン、ペン先、インク、スクリーンシート、肝油ドロップ...etc。最後の肝油ドロップは画材と関係ないんだけど、本編では重要な役割があるので購入した。
あとプラスチックの定規は家にあるのを拝借し、作中に書いてある通りに裏側に一円を貼り付けて準備した。なぜ1円を貼るかというと、一円硬貨の分だけケント紙と定規の間に隙間が出来て、インクがこぼれないようになるからだ。ペン先は使いやすいように後ろの部分を削った。
それだけのアイテム群を丸々準備したところで漫画を読むのは好きでも別に絵を描くのは好きじゃないし、道具を揃えると、あり大抵は満足しちゃう性格なので途端に暗礁に乗り上げた。毎度のことである。それにノウハウや絵の組み立て方がさっぱりなのである。
じゃあっていうことで今度準備したのは小学館から出ている「マンガの書き方入門」とかいうタイトルのハウツー本。
小学生向けの本から学ぼうとしたわけだ。
今考えると意味が全く分からないんだけど、この本の巻末には有名な漫画家のプロダクションの住所・電話番号がバッチリと記載されていた。
これを見て僕らはすぐに閃き、うん何かに使える!と、みるみるうちに素晴らしいアイデアが湧いてきた・・・というかは、きっとこれは〝君らから漫画家に電話してみろ〟という小学館からのメッセージだよと、まるでハタ迷惑な思考を導き出してしまい、しかも片っ端から知っている漫画家の住所を104で検索した。
これくらいになると漫画の書き方を教えてくれるかもしれないという高尚な相談ではなく、
サイン貰えるかなとか、もしかしたら生原稿貰えちゃうかもねという私利私欲に傾きかけていた。
もちろん言うまでもなく104で調べ上げたところで実際にそこに漫画家本人がいるわけでもないし、ガキンチョが掛けてきたところで取り持ってくれるわけがない。けど僕らはまだそんな事情は知らなかったので家の電話から調べた番号をダイヤルした。
「もしもし、手塚先生はいますか・・・?」
「もしもし赤塚先生に用があるんですけど・・・。」
「ここにはいないんですよ」出た人はみんな優しく言ってくれた。
でも漫画家本人とお話できないのでつまるところ収穫ゼロだった。
電話するのも飽きちゃってしばらくコードを弄くりぶらぶら遊んでいる僕に反して友人はまだその住所録を真剣に検証していた。
「おい、ちょっとこれを見てみろよ」
「えっ?」
僕は口をだらしなく開けてそっちを見た。
友人がまさに血相を変えて本を押し付ける。
「おっおぉ~」
なんだか近所のサカリのついた猫のように声ともならない音を思わずだしてしまった。
そして目を疑った。
水木しげる 東京都×××××・・・
こ、これは、どう見ても普通の住所だ。
いいぞ、いいぞ。ついに金脈あてちゃったかな。僕らはにやにやしながら104で調べ、すぐさま掛けた。
プルルル、プルルル。けっこう保留音が長い。あーあ。やっぱ出ないのかな。載っているわけがないよね、ホントの住所なんて。そんな諦めモードになろうとした瞬間。受話器をあげる音がした。
カチャリ。
「はい、もしもし水木ですけど」
やっ、やったー!出たぁ!!
でも女性の声だ。友人が唾を飲む。
「あっあの~。水木しげる先生をお願いしたいのですが・・・」
僕は間髪無しで言った。当たるも八卦当たらぬも八卦だ。
奥様らしき女性が続けて言う「はい、少々お待ちください」
耳を疑った。期待していたとはいえ実のところ想像していたシナリオとは違った返事がきたからだ。
え?いまお待ちくださいって言った?
僕らはガッツポーズをして、なぜか姿勢を正した。
「お電話変わりました、水木です」
ホンモノだ・・・。
「あ、も、もしもし。あの~、その~」
何をいえばいいのか頭が真っ白になった。
言葉が浮かんでこない。
しかも緊張のあまり突拍子もないことを言ってしまった。
「ゲゲゲの鬼太郎、好きです!!」シーン。無反応。
ヤバイくらい辛い静寂のあと、先生は大きく笑った。
「ハッハッハー。ありがとうありがとう。お電話いただけるなんて。いやー、小学生のお子さんかな」
「は、はい、そうです」電話なのに僕は何故か耳まで真っ赤になった。
「先生は嬉しいよ。わざわざ掛けて貰えて。ほんと、ありがとう。でもね出版社とかお仕事の人からたくさん掛かってくるからあんまり長くお話とかできないんだ。ごめんね。今度ボンボンで鬼太郎が掲載されるから読んでくれるかな」
「はっはい!!」
力いっぱい答えた。
「ハハハ。ありがとう元気がいっぱいだ」
「それじゃあね」
電話は切れた。今まで味わったことのないヘトヘト感がそこにあった。でもすごく満足した。僕はいま、水木しげるとお話をしたんだ。
そして友人と誓った。よし、ボンボン買って鬼太郎読むぞと。
そういうわけで、僕は小学5年か6年の時に漫画家の水木しげるの家に電話を掛けたことがある。
まだ昭和と呼ばれる時代の頃のお話だ。
いまでも僕はゲゲゲの鬼太郎が大好きだ。
「大(oh!) 水木しげる」展
期間:平成16年11月6日(土)~平成17年1月10日(月・祝)
会場:江戸東京博物館 1階 企画展示室
開館時間: 9時30分~17時30分(木曜・金曜は20時まで)
※入館は閉館の30分前まで
河口湖ステラシアター、マジで最高。
16日の5:30に起床。外の天気を確認すると雨。
がちょーん。こんなに日頃の行ないが良いっていうのに、ばしゃばしゃ降ってるじゃないですか。
とりあえず行ってみなくてはと車に乗り込み、高速を飛ばす。
河口湖到着8:00、会場オープン11:00。言わないまでもなく、一番乗りっす。
で、そこでおどろきどっきり(ビックリドンキー)、会場の上空だけぽっかりと晴れている。
ウォー、凄え。これぞ、ゴアギルマジックなのか?
大はしゃぎしながら、始まってもいないのに、乾杯ーっ。
発泡酒はナントカって成分が腎臓に悪いんだか、肝臓に負担が掛かるらしいつうことでビール大量購入の元、酔いちくれ。
*
ステラシアター自体は、クラシックのコンサートで使用される場所らしく、音響設備も文句無し。
すり鉢上の席の上の方でも屋根が無いのに音が抜けないでズシズシ響く。
もちろんゴアギルのプレイは初っ端からマックスのボルテージ。
想像を絶する繋げかたで引きこまれるし。うーん、思い出すだけで鳥肌。
あっという間の9時間。踊りっぱなしで今日も筋肉痛・・。あいたたxxx。