京王線および世田谷線の下高井戸駅から徒歩2分程度、学生の姿が目立つこの街にあるのが、「木八」である。カウンターだけのラーメン屋だ。
ラーメン(650円)。
いわゆる東京豚骨がベースになっていて、鶏がらの出汁も効いている醤油味のスープ。あっさりとしたスープがしつこくないのに、なぜか癖になる旨さがある。ニンニクや野菜のエキスが凝縮していて風味が漂う。麺は細めで、やや柔らかい。もう少し固めでもいいのでは?と思う柔らかさで、この麺の細さと柔らかさで好みが分かれるだろう。
ちなみに野方ホープなどにも置いてある唐辛子はここが元祖だとか。
あと、お店のオヤジさんは客がいっせいに大相撲のテレビに見入っていたのに、ガシガシとチャンネルを変えていた。なかなか強烈である。
木八
東京都世田谷区赤堤4-45-13
11:30〜22:00
月曜定休
ラーメン --\650
僕のおじいちゃんはお医者さん。
大学病院の研究室で見つけた<腐らないミイラの親指>が自慢だった。
お正月になるとお年玉をくれた後、こっそり僕にだけそのミイラを見せてくれた。
おじいちゃんは長い廊下の渡った先にある書斎の扉を開くと、明治時代に作られたという箪笥の奥底から桐の道具箱を引っ張り、幾重にも和紙に巻かれた小さな木箱を取り出して、いつも決まったセリフを僕に言った。
「この中にはおじいちゃんが大学の病院で見つけた秘密のミイラの親指があるんじゃよ」と。
僕の身長より高い本棚に埋め尽くされた難しそうな書籍の数々が僕を圧倒して緊張感を高めた。おじいちゃんはお正月以外に書斎に連れて行ってくれたことがなかったのだ。
「ミイラの親指は腐らないんじゃ」
「ほんと?おじいちゃん」
僕の瞳はとたんにキラキラ輝きだす。おじいちゃんはいつもそのあとを続けた。
「そのかわり、これは絶対に見るだけじゃよ」
木箱の表面には巻物にありそうな漢字が並んでいて、箱を開けると少し黄色くなった綿が詰まっていた。
おじいちゃんは綿を丁寧に取り除くと、もう一度僕に確かめさせた。
──見るだけじゃよ。
「うん。分かった!」僕は鼻水をテカテカさせて懸命に頷く。
木箱の中には、ミイラの親指が血色豊かに一本だけ入っていた。まるで生きているみたいだ。
木箱が古めかしいだけに余計に新鮮そのものという雰囲気が漂っていた。不思議だった。
「おじいちゃん、すごーい」
僕はどうなっているのだろうか知りたい衝動に駆られ毎度同じように訊ねた。
「これ、触ってもいい?」
おじいちゃんは白衣を着たときのおっかない顔をして小さい声で囁いた。
「これは触ってはいかん。おじいちゃんも触っちゃ駄目なのじゃよ。触ると祟りがおきて、ミイラになっちまうのじゃ。」
「ミイラになっちゃうの?」僕は毎回チビりそうになった。
そうしておじいちゃんはまた丁寧に木箱に綿を詰めてミイラの箱を箪笥に戻した。
おじいちゃんの袖を引っ張って廊下を一緒に歩いた。
「ミイラのことは秘密じゃ。誰にも言っちゃいかんぞ」
「うん、おじいちゃん、分かった」
僕は頷いた。
僕が中学校に進学するまでの小学校6年間、毎年お正月になるとこんなイベントがおじいちゃんと僕との間でこっそりと開催されていた。
祟りが怖いのでもちろん友達にも従姉妹達にもこの事は話したことがなかった。
中学生になってからも凄く見たかったけど、おじいちゃんの瞳は「もうミイラは見てはいかん」と物語っているようで、お願いすることはできなかった。
そんな風に時が過ぎて、僕も大学に進み、大学一年生になった冬、おじいちゃんは90歳の大往生で亡くなった。
大好きだったおじいちゃんだったので、ワンワンと周りをはばからずに泣いた。お通夜も終わり、少し落ち着いた時に僕はふと思った。ミイラはどうなったんだろうと?
もう何年も思い出さなかったのに、おじいちゃんが亡くなった夜、なぜか忽然と思い出した。
そして次の瞬間、こう思った。
「僕とおじいちゃんの秘密は守らないと」
長い廊下の先にある書斎は十年ぶりに入ったというのに当時と変わらない様子だった。その代わり僕も身長が伸びたので、桐の箪笥の一番棚に手が伸びるようになった。
ミイラの箱は全く変わった様子もなく、和紙に包まれた状態で道具箱の奥に眠っていた。
箱を取り出し、少し観察してみた。
<御木乃伊所蔵乃箱>と書いてある。古めかしい物だけが放つ独特の匂いが箱から発せられている。ドキドキしながら恐る恐る箱を開けた。やはり当時と同じように黄色い綿が詰まっていた。
緊張のあまり綿を摘む手が震える。念のためキョロキョロとあたりを確かめる。誰も居ない。ぎっしり詰まった綿をついに取り出して勇気を振り絞り、覗いてみた。
大学生になっても小さい頃の祟りが怖いのである。
だがしかし、薄目をだんだん開けて目にしたものは、なんと空っぽの木箱だった。ミイラの親指はどこにもなくなってしまった。
「ミ、ミイラが消えた!」
僕にとってはとんでもない一大事で事件だった。黙っとくべきか伝えるべきか。親族に知らせたら誰も知らないことだから、一族中大騒ぎになることは避けられない。
「やばい、どうしよう」
僕は焦って、見つかるはずもない小さな木箱をもう一度確かめた。そうするとさっきは見落としていたある事実に気がついた。
木箱の底には小さな穴が開いていた。
なんだろ?この穴・・。
僕は不思議に思った。よく分からなかったので、裏返しにしてみたけど、特に変わった様子もない。
でも何かしら不自然だった。ふと何気なく、その小さな穴に親指を入れてみた。スポっという音と同時に親指が綺麗に納まった木箱は、まさに小さい頃見たミイラの箱そのものだった。
「おじいちゃん・・・」
とたんにたくさん思い出が溢れ出して、僕は書斎で一人笑いながらまた泣いた。
戦後のちょっとした物語。
遥か彼方にこの地を訪れた宣教師ザビエルのミイラが安置されている町だ。町といっても舗装されていない道だらけで、ジャングルの奥に行くと水道が無く、蝋燭の灯で生活するような場所である。
私と私の友人、そして名前も知らない数多くの旅人たちが、その土地を目指し、そして幾度となく訪れた。それは私が20歳、つまり今から10年以上前の出来事であり、2000年のミレニアムまで続くこととなる。
印度亜大陸の宗教的な位置からも奇異な地であるここでは、そこかしこに西洋的な風習が見受けられ、特に逸脱しているのがアルコールの飲酒自体が認められていることだ。インド広しといえども、酒瓶が合法的に売られているのはここだけである。その為、インド人が飲酒を目的として観光目的で訪れることが多い。
私は94年を始めとして、2月のシーズンが来ると、そこを拠点として外国人と混じりヒッピー同然のひどく退廃的な生活を貪り過ごした。
その間、2回病院に運ばれ、3回家宅捜査を受けた。毎日フラフラになりながらいつまでも踊り狂い、サンサンと太陽の光を浴びながら素性も知らない連中と裸同然で生活していた時期だ。
私たちはそのようなライフスタイルに身を置くことを自ら求めていたのだろうし、またどのような結果が訪れようとも、その生き方以外を選ぶことはできなかった。
やがて、何人かの友人が死んで、何人かが行方不明になった。帰国した知り合いも病院から退院できないといった類の噂が、まるで天気の話でもするかのように当たり前に私たちの周りを渦巻くこととなった。
帰国して普通に社会生活をしている我々はほんのちょっとした何かの匙加減で少しだけ恵まれているだけだと思う。
そこがゴアと呼ばれる土地だ。
私が楽園と言えばそれはゴアのことを意味する。
*
*
当時はまだチーズを売っている店は唯一サウスアンジュナのジェネラルストアの一軒のみだった。
左に行けば教会が見え、さらに先に進むととアンジュナのジャンクションがある、あのジェネラルストアだ。
夢と希望とプリングスとチーズが所狭しと置いてある店。
そのジェネラルストアから右側にバイクで5分ほど行くとローカル・インディアンが集まる椰子酒の酒場がある。
長いカウンターとプラスチックのテーブルが幾つかだけ並ぶそのバーは、ローカル達が誰彼と無くその日一日の仕事を終えると集まり、グラスを片手に夜を楽しんでいる。
酒場自体は見落とすというほどではないにしろ、暗黙の了解のもとにバックパッカー達が酒場に足を踏み入れる事はあまりない。
おおよそローカル達に煙たがられるし、実際のところバックパッカー達はこの酒場にそれほど興味を示さない。
もちろん私も知らなかった。
私がこの酒場を知るようになったのはカラングートに住むイギリス人が教えてくれたからだ。
たいていのインドで会うイギリス人が変わっているか気が触れて見えるように、この男もまた非常に風変わりな男だった。
年齢はたしか28歳で、今回の旅が何回目のインドか数えられなかった。ジェルミィというのがそいつの名前だ。
髪の長いロマンスグレイの瞳の彼女が常に傍らにいて、その子の名前がエレナだった。私は暇と持て余している時間に任せてよく彼らと遊んだ。
エレナの友人の─その子もまたイギリス人だったが─、フランシスもその家で私たちと一緒に時間を過ごした。
フランシスは漢方とか禅とか忍者とかそういったオリエンタルなもの全てに魅力を感じている22歳の女の子で、その東洋の神秘をインドで会った日本人、すなわち私にまるごと見出そうとしていた。
彼女のアプローチに応じたわけではないが、ごく当たり前のように私は彼女と寝る関係になった。それでも恋人になるまでは至らなかった。
彼女が求めている何かが私にあるように思えなかったからだし、彼女自身も付き合っている彼をロンドンに残したままだった。
*
*
「もちろん一週間に一度は彼に電話をするわ、それでも、なんとなく私がいた筈のロンドンなのに、彼を含めて魅力を感じる事ができないの」
彼女はハンモックで寝ている私に馬乗りになって言った。
小柄で華奢なわりには胸が大きかったので、ハンモックが揺れるとその胸もまたユサユサ揺れた。
「わかるかもしれないな、そういうの」
「わかるかもしれないって、どっちが?」
「ん、君のその気持ちさ。インドは遠い。どこからもね。そういうことさ、きっと」
「フフフ、そうね。インドは遠いわ。目眩がするほど。日本からも?」
「そう、そうだよ。日本からもだ」
海岸沿いを走るバイクの音が聞こえてくる。
フランシスがスカートをめくる。
*
*
よくジェルミィはイギリスからわざわざ持ち込んだ日本製の箸を僕に見せびらかしていた。そしてインドでまだカレーを食べたことがないんだとしきりに自慢していた。
「おい、コウ、聞いてるか。俺はまだこのインドに来て一回もあのクソッタレのカレーを食ったことがないんだぜ。凄いだろ。インドではカレーを食べない、それが俺のポリシーなんだよ」
そんなことを言いながら彼はその一軒家の部屋中の壁にクレヨンで絵を描きつづけていた。
動物や人やレインボーパレード、星とか月とか森羅万象がごっちゃまぜにカラフルに描いてある絵で見ているだけで眼が回った。
彼の性格が出ていると思った。絵を描いていることはどうやら管理人には内緒らしい。きっとここの家主がその事実を知るのはシーズンオフの頃だろう。そう想像するととても愉快な気持ちになった。
*
*
ある晩、彼を訪れると庭で乾いた椰子の実を火にくべながら彼らは焚き火をしていた。
途中の雑貨屋で買ったパパイヤとレモンを出すと、彼らはとても喜んでくれた。
エレナが早速とキッチンに向かい、そして切ってくれた。
レモンはパパイヤの味を中和する。私がインドで学んだ生活の知恵の一つだ。
火の向こう側でジェルミィが見なれない飲み物を口にしているので、何を飲んでるんだと私は聞いた。すると彼は眼を丸くして「おいおい、なんだ、知らないのかよ」と何も説明もせずに私に回した。
「知らない」私はそう答えた。知らないな、どこにあるんだ、これ。
そういうわけでジェルミィは椰子酒とその酒場を教えてくれた。
*
*
酒場ではローカル連中は特に私のことをいぶかしがるようなことはなかったが、かといって熱烈に迎え入れるわけでもなかった。
私は年齢の割には若く見られるので子供がこんなところに来てはいけないんだぞ的なセリフをしばし言われてからかわれた。
ちゃんとした年齢を告げると皆が一様に驚くか安心して、じゃあ呑んでいけよと言ってくれた。だから私はカウンターで岩塩がまぶしてあるピスタチオを齧りながらよく彼らと話した。
彼らは私が英語しか分からないと気が付くと、ヒンディ語やコンクーニ語ではなく英語で話してくれた。
日中は商売以外ではどこか距離のある彼らもこのカウンターでは世界のどこにでもいる夜のとばりを過ごす者と同じだった。
会話の途中で理解できないところもあったが、そんなことはどうでもよくて、彼らがする獲れた魚の話や、どこぞの奴が結婚したとかいった話は聞いているだけで心地よかった。
その椰子酒は味はともかくアルコール度だけはピカイチだったのでたいてい3杯程度飲むと私は店を後にした。
「ピスタチオ食べないのかい、ジャパニ」
「うん。良かったらどうぞ」
*
*
酔いながら眺めると頭上にはオリオン座が拡がっていた。
椰子の木のあいだから夜風が吹く。遠くの方で今夜のパーティの音が聞こえてくる。今夜もきっと私たちは踊る事になるだろう。眠るのはもっとあとの話だ。
パーティライフ。けれど、いつまでこんなことが続くんだい?
おぼつかない足取りの私に昨日一緒にメシを食ったイタリア人が話し掛けてくる。こいつの名前はなんだっけ。
「ヘイッ、コウ。調子はどうだい。パーティには行くんだろ」
「ああ、行くよ。行くに決まっているだろ。夜はこれからだもんな」
私はホンダのバイクのキィをポケットから探す。明日の予定は特にない。母国を離れてから数ヶ月経つ。日本では何が起きているのだろうか。ひどく昔の事のように思える。
さて、私は何処へ行けばよいのだろう。
HPサービスを始めたきっかけといえば、元々はISPのサポートセンターで働いていたときに、社内資料やマニュアルが充実していないが余りに、自分達でサバイブして検証やサイト作成せざるをえなかったのが、いま思えば大きなきっかけだった。
下手の横好きでもいいし、蓼食う虫も好き好きでもいいし、イヤよイヤよも好きのうちのどれでもいいんだが、やっているうちにドメインなんてのも取得してしまった。なにせ大衆酒場に行くようなコストで管理できるからだ。
サイト構築への情熱は翳りが見えてきたせいか、気がついたらリンクで導線を作成していたテキストコンテンツが、リンク先サービスの廃止によって消滅してしまった。
まあ、覆水盆に還らずってやつである。へこんでも仕方ないので、ぼちぼちとMTに時間を見て移管作業でもしてみようかと思う。
<かんずり>という言葉、なかなか聞きなれない言葉である。漢字で書くと寒造里で、収穫された唐辛子を塩漬けにして、雪がしんしんと降り積もる真冬に意図的に雪の中に数日の間さらして、唐辛子の持つアクや辛味を抜いて角を取り、麹、みかんの皮、ごま、青さ、麻の実、けしの実、柚子などと漬け込んで熟成させた雪国の調味料である。ぬれ七味というのは本当に濡れているという訳ではなく、その醪と混ざった唐辛子の様相を表現したのであろう。
さて、この「かんずり ぬれ七味」のうち、何年も熟成させたそれは格別で、もちろん相当の時間と手間を掛けて完成しているのだから、他の熟成物がそうであるようにこれもまた貴重な一品になる。3年熟成させたその味は、辛味噌や辣油のような直球の辛さではなく、まるでカーブを描くようにまろやかで味わい深く、辛さの中に漬け込んだ風味が同時に折り重なって複雑な旨味を醸し出しているのだ。
これを炊きたてで熱々のご飯に乗っけて頬張ってごらん。「かんずり ぬれ七味」だけでも十分にいけるし、納豆に混ぜて乗せても格別だ。口中にパッと辛さが広がり、おかずいらずである。ぜひ食べていただきたい。
もちろんご飯だけにはとどまらず、鍋や冷奴へいれちゃってもいい。柚子胡椒とは異なる旨味だ。雪国の生活の知恵が凝縮された一品である。
引っ越して以来5年ほどもっぱら近所にある焼きとんの名店、秋元屋に足しげに通っていたのだけれど、最近はメディアに取り上げられる機会が増えてきて、また店も拡張して、呑んでいてもソワソワするので自ずと足が遠のいた。そんな中、秋元屋の焼き台で頑張っていた一人、たっつんが店を出したので、最近はそっちにばっかり行っている。店の名前はそのまんま「たつや」。何と言うか初期の秋元の雰囲気─そう、まだ便所が和式でバイトもいなくて親父さんだけが焼き台してた頃─にそっくりなのである。
ここで呑むホッピーが美味い。しかもこんな風に呑むと格別だったりするのである。
まずはたっつんの店から徒歩一分の銭湯に行く。一の湯だ。一杯飲る前にひとっ風呂浴びるのがいいのである。ここは井戸から汲み上げたお湯なので軟水で肌がすべすべになり、保湿効果もあったりする。そして、何と男湯には小さいながら露天風呂もあるのだ。しかもサウナまで。銭湯なのにである。銭湯でさっぱりとしてポカポカに温まったところで、たつやの暖簾をくぐる。
親密な夕刻の酒場の空気。馴染みの常連に挨拶して、焼き台のたっつんに黒ホッピーを頼む。キンミヤという焼酎がたっぷりそそがれたジョッキにホッピーをとくとくと。透明なジョッキが琥珀色に染まる。そしてグビっと呑む。美味いんだなぁ、これが。
喉が潤ったら焼き台のたっつんに串を三本ほど頼む。たんのみそ焼きにレバたれに、塩ではらみ。炭火で焼かれた串は100円ほど。
さっと呑んで千鳥足で家路に。風呂上りの夜風が心地よい。さてもう一軒行くか行かまいか。
そう、今週も1週間がんばったんだぜ。
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