2010年05月26日

僕のおじいちゃん

僕のおじいちゃんはお医者さん。

大学病院の研究室で見つけた<腐らないミイラの親指>が自慢だった。

お正月になるとお年玉をくれた後、こっそり僕にだけそのミイラを見せてくれた。

おじいちゃんは長い廊下の渡った先にある書斎の扉を開くと、明治時代に作られたという箪笥の奥底から桐の道具箱を引っ張り、幾重にも和紙に巻かれた小さな木箱を取り出して、いつも決まったセリフを僕に言った。

「この中にはおじいちゃんが大学の病院で見つけた秘密のミイラの親指があるんじゃよ」と。

僕の身長より高い本棚に埋め尽くされた難しそうな書籍の数々が僕を圧倒して緊張感を高めた。おじいちゃんはお正月以外に書斎に連れて行ってくれたことがなかったのだ。

「ミイラの親指は腐らないんじゃ」
「ほんと?おじいちゃん」

僕の瞳はとたんにキラキラ輝きだす。おじいちゃんはいつもそのあとを続けた。

「そのかわり、これは絶対に見るだけじゃよ」

木箱の表面には巻物にありそうな漢字が並んでいて、箱を開けると少し黄色くなった綿が詰まっていた。

おじいちゃんは綿を丁寧に取り除くと、もう一度僕に確かめさせた。

──見るだけじゃよ。

「うん。分かった!」僕は鼻水をテカテカさせて懸命に頷く。

木箱の中には、ミイラの親指が血色豊かに一本だけ入っていた。まるで生きているみたいだ。

木箱が古めかしいだけに余計に新鮮そのものという雰囲気が漂っていた。不思議だった。

「おじいちゃん、すごーい」

僕はどうなっているのだろうか知りたい衝動に駆られ毎度同じように訊ねた。

「これ、触ってもいい?」

おじいちゃんは白衣を着たときのおっかない顔をして小さい声で囁いた。

「これは触ってはいかん。おじいちゃんも触っちゃ駄目なのじゃよ。触ると祟りがおきて、ミイラになっちまうのじゃ。」

「ミイラになっちゃうの?」僕は毎回チビりそうになった。

そうしておじいちゃんはまた丁寧に木箱に綿を詰めてミイラの箱を箪笥に戻した。

おじいちゃんの袖を引っ張って廊下を一緒に歩いた。

「ミイラのことは秘密じゃ。誰にも言っちゃいかんぞ」
「うん、おじいちゃん、分かった」

僕は頷いた。

僕が中学校に進学するまでの小学校6年間、毎年お正月になるとこんなイベントがおじいちゃんと僕との間でこっそりと開催されていた。

祟りが怖いのでもちろん友達にも従姉妹達にもこの事は話したことがなかった。

中学生になってからも凄く見たかったけど、おじいちゃんの瞳は「もうミイラは見てはいかん」と物語っているようで、お願いすることはできなかった。

そんな風に時が過ぎて、僕も大学に進み、大学一年生になった冬、おじいちゃんは90歳の大往生で亡くなった。

大好きだったおじいちゃんだったので、ワンワンと周りをはばからずに泣いた。お通夜も終わり、少し落ち着いた時に僕はふと思った。ミイラはどうなったんだろうと?

もう何年も思い出さなかったのに、おじいちゃんが亡くなった夜、なぜか忽然と思い出した。

そして次の瞬間、こう思った。

「僕とおじいちゃんの秘密は守らないと」

長い廊下の先にある書斎は十年ぶりに入ったというのに当時と変わらない様子だった。その代わり僕も身長が伸びたので、桐の箪笥の一番棚に手が伸びるようになった。

ミイラの箱は全く変わった様子もなく、和紙に包まれた状態で道具箱の奥に眠っていた。

箱を取り出し、少し観察してみた。

<御木乃伊所蔵乃箱>と書いてある。古めかしい物だけが放つ独特の匂いが箱から発せられている。ドキドキしながら恐る恐る箱を開けた。やはり当時と同じように黄色い綿が詰まっていた。

緊張のあまり綿を摘む手が震える。念のためキョロキョロとあたりを確かめる。誰も居ない。ぎっしり詰まった綿をついに取り出して勇気を振り絞り、覗いてみた。

大学生になっても小さい頃の祟りが怖いのである。

だがしかし、薄目をだんだん開けて目にしたものは、なんと空っぽの木箱だった。ミイラの親指はどこにもなくなってしまった。

「ミ、ミイラが消えた!」

僕にとってはとんでもない一大事で事件だった。黙っとくべきか伝えるべきか。親族に知らせたら誰も知らないことだから、一族中大騒ぎになることは避けられない。

「やばい、どうしよう」

僕は焦って、見つかるはずもない小さな木箱をもう一度確かめた。そうするとさっきは見落としていたある事実に気がついた。

木箱の底には小さな穴が開いていた。

なんだろ?この穴・・。

僕は不思議に思った。よく分からなかったので、裏返しにしてみたけど、特に変わった様子もない。

でも何かしら不自然だった。ふと何気なく、その小さな穴に親指を入れてみた。スポっという音と同時に親指が綺麗に納まった木箱は、まさに小さい頃見たミイラの箱そのものだった。

「おじいちゃん・・・」

とたんにたくさん思い出が溢れ出して、僕は書斎で一人笑いながらまた泣いた。


戦後のちょっとした物語。

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投稿者 ko : 2010年05月26日 22:22 | トラックバック(0)
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