2005年10月31日

落合南長崎 「松葉」

都営大江戸線「落合南長崎駅」から目白通りの入り、二又の交番を回るようにして少し歩くと、大きな看板がある。

南長崎ニコニコ商店街である。

とりわけ特徴のない、東京の市井には何処にでもある商店街ではあるが、かつて椎名町と呼ばれていたこの町は、昭和30年代は活気溢れる下町で、その一角には多くの有名な漫画家─あるいは未来ある漫画家達─が住むアパートがあった。

その名前を「トキワ荘」という。

漫画界の巨匠の手塚治虫が住み、彼に憧れ、明日を夢見る若い漫画家、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄両氏ら多くの名作を残した作家達が青春時代を過ごした。

互いに刺激しあい、そして助け合ったりと毎日が楽しかったという。

残念ながら「トキワ荘」は時代の流れとともに取り壊されてしまったが、漫画家達の過ごした昭和30年当時の郷愁の日々は、「トキワ荘の青春」(1996)と映画化されたり、藤子不二雄氏の「まんが道」に詳細に描かれている。

そして、その「トキワ荘」から1分たらずの距離にあるのが、中華食堂「松葉」。
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『トキワ荘の引っ越し祝いは松葉のラーメンと決まっているのさ』とあるぐらいトキワ荘の住民達にとっては、菊菓堂という、テラさん(寺田)が満賀(藤子A)と才野(藤子F)にフランスパンにメンチカツを挟んだものを奢った甘食の売っているパン屋と同じくらい馴染み深い店だ。

当時と変わらないというこの店の味は昔ながらのラーメン。

店の入り口には「まんが道」の一コマが貼られたり、藤子A氏のサインが店内に飾られたりと、実に日本の漫画界の聖地的なラーメン屋といっても過言じゃないだろう。
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昔ながらの味だけに、特筆するべきサムシングを求めると拍子抜けをくらうかもしれない。

でもね、ボリュームいっぱいのみそラーメンやラーメン、餃子は本当に素朴な味だ。

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写真はみそラーメン(600円)。

炒めた野菜がたっぷりと載せてあるみそラーメンは醤油ラーメンと中間のような味で、モチモチした麺に合う。野菜の旨みがスープに染み込んでいて、ラー油をひと匙垂らすと味がシャープになって食味が増す。

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こちらは餃子(400円)。

たっぷりボリュームの餃子はジューシーで、香ばしい。400円という安さもナイス。


味がどうとかじゃなくて、この店を訪れたら『ンマーイ!』と言うべきなのだ。それがこの店での正しい食べ方だ。

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『ンマーイ!』

中華食堂「松葉」
東京都豊島区南長崎3丁目4-11

ラーメン --\450
みそラーメン --\600
餃子 --\400

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2005年10月30日

「ンマーイ!」と言えば

トイレにこだわりを持つジェントルマンTK野氏と、椎名町の松葉に行ってきました。

某SNSにはコミュも。

詳細については、のちほどアップです。

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2005年10月28日

桜庭のプレッシャー

こんな話がある。

うろ覚えだが、たしか故青山正明の著書の何処かにあった一文で、「かつて人類には〝平和〟という概念が存在しなかった」というものがある。中世以降に成立した言葉で、それまでは「平和」という言葉を必要としなかったとか・・・というくだりだ。

なかなか興味深いもので、言葉の発生の過程には概念も生まれるということなのだろうか。

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こんな話もある。

日本語の「超面倒くさい」を英語で表現する場合、なかなかニュアンス的にフィットする言葉がない。

やっとの思いでなんとか表現するとしたら、「It's too much of a bother」となる。
日本語の「面倒くさい」が〝やりたくないんだけれども、それでもまあ仕方なしにヤレヤレといった感じでやりますか〟と全否定はしないで、それでいてある程度の許諾の態度も含まれているとしたら、どちらかというと英語の「It's too much of a bother」は〝最初からする気がありません〟と全てに対して否定的に示すことで成立している。

日本語の「面倒くさい」や「面倒くさがり」を英語で説明しようとしたら、どうしても冗長的になるのを避けられない。

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ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境保護活動家のワンガリ・マータイさんは、先日来日した際に日本語の「もったいない」という言葉と、その「もったいない」という日本人に流れる思想に感銘を受けたらしい。

ニュースや新聞でその記事を聞いたり読んだりして、記憶のある方も多いだろう。

しばしば、英語の通訳の仕事をしている人から、日本語の「もったいない」を上手く変換することが出来ないといった話を耳にする。

そもそも英語に存在しない情緒的で、全ての万物には魂が宿っているというアニムズムの思想に深く関係しているこの言葉は、西欧にないのはごく自然であろう。

「もったいない」が世界語になったとき、おそらくは言葉の流布と同時に思想も定着するはずである。

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さて、日本に外来語が導入されたのは一般的に明治維新以後といわれていて、特に 明治14年、国会開設の詔(みことのり)が出され、明治政府は近代法治国家の基礎を作るべく憲法制定に全面的に動いた。

明治15年に伊藤博文らは、憲法調査のためにヨーロッパに向かい、ベルリン大学やウィーン大学で西欧の法律を学んだ。

その際に法律用語と同時に〝思想〟が輸入されたか否かについての真偽は定かではないが、言語が定着するにあたってその意味をも内包しつつ、流布するのが前提とすれば、西洋語の導入と共に思想もまた導入されたといえる。

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「プレッシャー」という言葉が日本でいつ頃から使用され、一般的に口にされるようになったのか手元には資料がない。

が、「精神的抑圧」というこの言葉がペリーの黒船来航以降の近代日本、あるいは戦後日本から使われるようになっているとしたら、非常に興味深い話である。

これまでに述べた論理に照らし合わせれば、「プレッシャー」という言葉が使われるようになってから、その言葉の持つ意味も人の心に影響を与えた、と考えられるからだ。

そんなことを05年10月23日PRIDEのマットで劇的な復活を遂げた桜庭の勇姿を見て思った。

桜庭が勝利した後に、控え室で普段の人を喰ったようなコメントとは裏腹に、率直に「プレッシャーを感じた」と呟いていたからだ。

果たして僕らの感じる「プレッシャー」とは、日本人が有史より持ちえた感情なんだろうか。それとも近代に導入された感情なのだろうか。

ふと立ち止まって考えてみた。

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2005年10月27日

餃子の違い

東日本と西日本で、コレが違うアレが違うと色々と考えたら枚挙にいとまがなく、オチオチと数えられないけれど、とりわけ食文化でその違いはよく目立った。

蕎麦と云ったら、なんといってもやはり東日本に敵わないなと鼻を高くしたけれど、西日本のうどんの美味さには思わず言葉を飲み込んだぐらいだった。

街角にあるチェーン店ですらその美味さを実感したのだから、ちょっと暖簾のある店をくぐろうものならそれはもう桃源郷のような世界である。

西日本で一度でもうどんを食べてしまうと、どれだけ味に鈍い人間でも東日本のうどんは食べられない。それくらいの徹底的で歴然とした差はあった。

さて、そんな風にお国自慢が吹いたり吹かなかったりする食生活で、東日本にあって西日本にないモノを挙げるとしたら、餃子屋のラー油と酢のセットで、逆に西日本にあって東日本にないとしたら、餃子のタレではあるまいか。

前者は東の餃子屋であれば、もう当たり前のようにデコラ調のテーブルに鎮座しているものであり、それはなんと言っても、それぞれの好みと裁量で調合されるべき調味料なのである。

逆に西では、餃子といえばそのテーブルに置いてあるのは餃子のタレであって、あらかじめ調合されている液体、そんな風に個人的には捉えている。

ただ、このタレというのは手抜きでもなんでもなく、福岡でよく見かける鉄鍋餃子とじつに相性が良いのも事実だ。

薄くパリッと揚がった餃子に合うタレとして必然的に発展を遂げたので在るまいか。

東日本にあるようなモッチリとした皮の餃子には、やっぱしラー油と酢と醤油を混ぜ合わせたタレが合うのだろう。

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鹿児島本線の黒崎駅から徒歩数分にある餃子屋「いずみ」は連日盛況している人気の餃子屋だ。

カウンターだけの店は常にびっしりとお客さんが隙間なく座ってて、店内では鉄鍋でモクモクと餃子を焼き揚げている。

俗に言う一口餃子はアッサリとして幾らでも食べられる。サッパリしているけれどそれだけじゃない。餃子のタレと相性がよい小ぶりの餃子は、次から次へとどんどん食べることができる。

メニューにある糠漬けもよく漬けてあって美味しい。持ち帰りにすると500円程度でたっぷりとあるので、家で焼酎のツマミにするのもちょうどいい。並ぶだけの価値がある。

東京23区の一つ、大田区蒲田にある「ニーハオ」は、元祖〝羽根付餃子〟ということでこちらも連日盛況している。

モッチリとしているのにパリっと焼きあがる羽のついた餃子はジューシーで肉汁たっぷりである。

ラー油と酢と醤油を混ぜて豆板醤をたっぷり附けて食べると思わずご飯を頬張りたくなる味だ。

東か西、いずれかで。

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2005年10月26日

マヤンの呟き

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宮崎県の古い方言で「うちのおじいちゃん」という意味の「マヤン」。

雲海酒造から販売のこの長期貯蔵そば焼酎(38度地域限定品)は、英国とベルギーの国際コンテストで最高賞(大金賞)をW受賞した逸品。

なるほどと頷ける蕎麦独特の、ふくよかな鼻腔をくすぐるコクと香りが特徴的。素朴で温和なのに山の気配を見るときだけ鋭い眼をする森で生活する人のような気配がある。〝噛みながらやる〟っていう表現がじつに似合う。

一般的に蕎麦焼酎は芋焼酎に比べてアッサリとしているといった評があるだろうが、「マヤンの呟き」に限ってはクセの強い妥協知らずな仕上がり。それでも38度あるわりに呑みやすいのは洗練された工程があるからなのか。

たまには芋以外にもという人も、芋以外は認めない人も是非ロックで呑んで欲しい一品。

\3000程度から。

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2005年10月25日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

・フィリップ・k・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」

フィリップ・k・ディックが一気にメディアに注目されるようになったキッカケの作品がこの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」。

原題は「Do androids dream of electric sheep?」、ハリソン・フォードの演技でも有名になった映画「ブレードランナー」の原作でもある。

フィリップ・k・ディックの作品の中でも、とりわけ難解さが低いせいかメジャー感もあり、それだけで代表作として位置づけられてはいる。この点については賛意両論がいまもなお続いているけれど。

さて、フィリップ・k・ディックの作品というのは、村上春樹がどこかのエッセイに載せていたように、神経がある種のくたびれ方をしている時に読むと浸透するとかってあったけれど、実際にその通りだろう。

良くも悪くもフィリップ・k・ディックを読みたい時期というのがあるのは否めない事実で、これは肝心なことだけれども、そういう時に読む〝フィリップ・k・ディック〟というのは、なにものにも変えられないものだ。

ある種の波長と波長が引き合うように、そうやって僕らはまるで砂糖水に吸い寄せられる蜜蜂みたいに、あるいは闇の中で照らされるランタンの灯りに飛び込む夜行性の蛾の如く彼の残していった作品を貪ることとなる。

彼自身は「ブレードランナー」の公開年である1982年に53歳という若さで亡くなってしまった。だから僕らが読んでいるのは総て彼が残した遺作だ。


さて、本編は、第三次世界大戦後の放射能に汚染されて、廃墟と化した地球の物語。

多くの人間は火星に移住して、火星でアンドロイドを従えて余儀のない人生を送っている。

地球に残った人間は、いまだに地球を離れることに抵抗のある者か〝マル特〟と呼ばれる火星移住の基準に満たない者たち。

放射能の影響で数多くの動物が絶滅した今となっては、人々の憧れは、「どれだけ大きな動物を飼うことか」というもの。もちろん馬や羊という希少動物はそれだけ値が張る。

ホンモノの飼えない者たちは仕方無しに模造品である精巧なロボットを、〝まるでホンモノのように〟飼うことにしている、そんな時代。

やがて地球では、火星から新型のアンドロイドが人間を殺したのちに逃亡して地球に忍び込んでいるという情報が入る。

賞金かせぎ(バウンティハンター)であるリック・デッカードはそのアンドロイドの行方を追う。電池が壊れて一晩中メェメェと鳴き続けることのない本物の動物を飼う為に。

逃亡した8人のアンドロイドを追うリックであったが一足先にアンドロイド達はイシドアというマル特と接触していた。

マル特とはいえ、イシドアとアンドロイドの間に横たわる徹底的な差とは・・・。

*
*

ところで、個人的な話で、かつ、ついつい昔話になるのだけれど、僕がこの作品を手にしたのは、10年以上前のアジアの空にあるネパールの古本屋でのことで、ポカラのレイクサイドにその店はあった。

レンタサイクル屋の少し先で、モモ(チベタンやネパリが食べる餃子)レストランの手前にあったと記憶している。

僕はインドでの遊び方が少々派手であったらしく、まともに歩くことが難しい日があったほどの、歯止めの効かない状態だったので、まさにフィリップ・k・ディックの作品に没入する環境がばっちし整のっていた。

しかも日本語媒体の情報量が圧倒的に少ない地域に長いこと居ただけに、文中の1行1行が肌に染み込むように浸透していった。だから今もなおこの作品を読むとヒマラヤ山脈と澄み切った蒼い空の情景が目に浮かぶ。

ボロボロの背表紙の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は黴臭くて所々にシミまで附いていた。でも僕は何処に行くにもチベタンの手作りのズタ袋にこの本を入れて、ヒマさえあれば読んでいた。

何故だかは分からないけれど。

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2005年10月24日

「More than words」にみる英語講座

※やっつけ仕事なので、誤りもあります。其の場合は適当にスルーしてくださいまし。

Saying 'I Love You'
Is not the words
I want to hear from you
It's not that I want you
Not to say
But if you only knew

How easy
It would be to
Show me how you feel
More than words
Is all you have to do
To make it real
Than you wouldn't
Have to say
That you love me
cause I'd already know...


Saying 'I Love You' Is not the words I want to hear from you

1)
「Saying 'I Love You'」がこの文章の主格。
「Is」以下が述語で、「Saying 'I Love You'」は「the words」では無いとなる。

〝「愛しているよ」っというのが言葉じゃない〟。

どんな「words」かというと、「I want to hear from you」という「words」ということ。

〝あなたから聞きたい言葉〟「which」が省略。

〝「愛しているよ」と、あなたから聞きたいわけじゃないの〟


It's not that I want you Not to say But if you only knew

2)
「It's not that」、that以下を否定。
どんなthatか。「I want you Not to say」というthat。

「I want you Not to sayは [+目的語+to do]の構文。
「you」が「say」しないのを欲するという文を更に否定している。

〝言って欲しくないとかそういうんじゃなくて〟


But if you only knew How easy it would be to show me how you feel

3)
「But if you only knew」仮定法過去。

[if+過去形]。もし~だったら。

〝ただ、もしあなたが分かっているなら〟

「How easy it would be to show me how you feel 」文頭の「how」、感嘆文。どんなに~だろう。

it以下が〝どんなにラクだろう〟

「it would be to show me how you feel」「how you feel」を「me」に「to show」することが。

「how you feel」howは疑問詞。どんな風に~。
〝どんな風にあなたが思っている〟ことを私が・・

〝あなたがどんな風に思っているのか私にわかれば、どれだけ楽になるのかな 〟


More than words is all you have to do to make it real

4)
「More than words is」・・More than words は、is以下である。

「More than words」は言葉以上にというよりは「言葉じゃなくても」と個人的に超訳。

「all you have to do to make it real」。realは想像空想ではなくて現実の。

[have+to+do]で、する必要がある。

〝実現するなら言葉じゃなくてもいいのさ〟


then you wouldn't have to say that you love me

5)
「then」、そしたら。

「you wouldn't have to say that you love me」。
あなたは、that以下を「have to say」しなくてもいい。

〝そしたら「愛してる」なんて言わなくてもいいんだよ〟


cause I'd already know

6)
「cause」、becauseの省略形。なぜなら。

〝どうしてかって言ったら、もう知っているからさ〟


「愛しているよ」と、あなたから聞きたいわけじゃないの
言って欲しくないとかそういうんじゃなくて
ただ、もしあなたが分かっているなら
あなたがどんな風に思っているのか私にわかれば、どれだけ楽になるのかなって
それがもし本当なら言葉じゃなくてもいいのよ
そしたら「愛してる」なんてわざわざ言わなくてもいいだけ
どうしてかって言ったら、私はもう知っているから

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2005年10月21日

The Body shop

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The Body shopの商品というのは、強烈な自然力(成分というよりはネイチュアという世界観において)をコンセプトにして、そのネイチュア感からクローズアップされた素材をアピールすることで顧客の購買心を突いている、いつもジャングルを彷彿する緑色の看板をくぐる度にそんな風に感じる。


そして、The Body Shopの商品というのは実に不思議なもので、普段はそんなに意識しないし良くも悪くも別に揃える気になるわけでもないのに、ある日ふと突発的に欲するときがある。

で、最近のお気に入りがこれ。唯一のお気に入り、といっても過言ではない。なんといっても南国のビーチで遊んでいるような、ゴージャスでフルーティーなマンゴーテイストな薫りが特に秀逸で、蓋から洩れる甘い果物の香気で恍惚としてしまう。

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2005年10月19日

カスピ海ヨーグルト

かつて我が社に、女の子とデートするなら、たとえ待ち合わせが13時だとしても朝の5時に起きるのを屁とも思わない、勇者なのか果たしてヘッピリ腰なのか分からない男がいた。

もちろん前の晩は、彼の希望通りにコトが運んで連れ込むことができないとしても、デート場所近くのホテルは押さえている、そういう男だ。

彼の決戦日は朝5時にステレオから聞こえてくる英会話レッスンのCDから始まる。

いや正確に表現するなら彼のデートはその前の晩のセンズ…、と書くのに躊躇するソロプレイから既にキックオフしている。

ちなみにこの男は外国にも行ったことがないし英語に長けているというわけでもない。

英会話のCDというのは、まだ見ぬ本日のお相手に向けるにあたり、これだけ俺は知的なんだぜというデートの準備における彼なりのアピールなのだ。

アルファ波がピュンピュン飛び出て成功のヴィジョンが掴めると言う。
ナポレオンヒルですら展開しない論理である。

アホだなと思った貴方の直感は正しいと思っていい。

「流れている英文なんて1ミリもわかんないっすよー」、のちに彼はこう述懐した。

そして英会話を己の下半身にたっぷりとインストールしたら、次に待っているプランは半身浴だ。
どちらかというと半身欲と書いたほうがいいかも知れない 。

このときまだ朝の6時。

待ち合わせまでに余る時間はゆうに6時間。
東京からフラっと富士山に行って、遊んで帰ってきて、クソしても1時間ぐらいは余る時間。

さて、半身浴は1時間掛けて行なわれる。じっくりと手製のせんべいを焼き上げるように生ぬるいお湯に下半身だけ浸かるのがポイントらしい。押さえるポイントが間違っているのはとてもじゃないが彼の姿を見る限り伝えることはできない。エッフェル塔は空高く突き上げているのだから。

半身浴は勝利の大事な要素っすよ。そんな風に彼は言った。ぐっと親指を突き上げて。キャップを後ろむきに被ってフル笑顔で。でも、負け武勇伝しか教えてくれない彼のその台詞自体が、これまた信憑性がスカスカなあたりがとってもナイスだ。

で、ようやく朝食が訪れる。フツーの人が朝起きたらとりあえず食べる朝食がようやく訪れる。起床から換算して2時間足らず。

朝食にチョイスされるのは、カスピ海ヨーグルト。気合は十分。

どんな文献を読んでもカスピ海ヨーグルトがデートに効果てきめんとは謳っていないけど、まあ、いいのだろう。

カスピ海ヨーグルトは自家製だという。

そもそもカスピ海ヨーグルトというネーミングがステキだ。

琵琶湖そうめんとか多摩川まんじゅうとか六本木心中とか、組み合わせ的に正しいんだか正しくないんだかってところが素晴らしい。
カスピ海ヨーグルトは普通のヨーグルトより健康にいいそうだ。なるほど、そうかもしれない。

体だけが丈夫そうな彼を見ると説得力がある。

で、カスピ海ヨーグルトを作るならなんといってもこれ。

デートする予定がある人もデートする予定がない人も、これさえあれば牛乳パックを差し込むだけで家でカスピ海ヨーグルトも作れるし、普通のヨーグルトも作れる。これはいいかもしれない。

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2005年10月18日

タウリンとは

タウリン10か条


・タウリンはアミノ酸の一種。

・魚介類や軟体動物に多く含まれている。

・タコとかイカとか食べるとタウリンも食べたことになる。

・人間の筋肉や胆汁酸と結合する。

・哺乳動物の成長に大切な栄養素で、脂質の消化・吸収に直接関与。

・タモリンとはあんま関係ない。

・約150年前に発見された。

・食塩由来の高血圧を改善し、心疾患の予防にも効果。

・「タウリン1000ミリグラム配合」っていうのは、要は1グラムってこと。

・ファイト一発リポビタンDの一発というのは。。。。

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2005年10月17日

荒木町「鈴新」

大正時代から昭和中期にかけて、東京市中でも有数の花街として栄えた荒木町には、今もなお、当時の面影が残る風情にある路地やら建物が並ぶ。

猫の多い街とも知られ、店の軒先で三毛猫が毛繕いしているなんてのもしばしば。

車力門通りの突き当たりにある「鈴新」は創業50年の老舗のとんかつ屋。引き戸をガラガラと開けるとまず目に付くのは上質な白木のカウンター。ジャズが流れる落ち着いた店内はとんかつ屋とは思えないほど。

吟味された豚肉を自家製のラードと自家製のパン粉で揚げる稀有な店。ご飯は魚沼産のコシヒカリを、だるまガス台で炊き上げるという徹底ぶり。

遠方からわざわざ訪れる人も居るのも頷ける味だ。
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ここ数年はテレビや数々のメディアでも紹介されているのでご存知の方も多いだろう。

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さて、この店で有名なのは、 かけかつ丼(940円)。

ふっくら炊き上げたご飯の上にいま揚げたばかりのジューシーでサクサクしたかつを、その上から、ほんのり甘い玉ねぎの卵とじをかける。

サクサクした歯ざわりに卵とじのハーモニーは最強。豚汁とお漬物が附く。箸をスッと入れると、湯気がたっぷりとお椀を囲むように包み、黄金色に輝く衣からのぞく分厚いとんかつに、半熟の卵が絡んで、その下から白い宝石のようなコシヒカリが顔をだす。絶妙な厚さのとんかつがピチピチ油を弾いている。感嘆。

豚汁は薄味で野菜の風味がたっぷりとした仕上がり。漬物は勿論、自家製。糠の芳醇な香りが漂う。

とんかつばかりに目が奪われがちだが、こういった脇役達も侮れないのが「鈴新」だ。

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こちらは自家製らっきょ(500円)。

一組につき一つの限定というこのらっきょは、みりんで浸けたおつまみにちょうどいい味。鷹の爪の辛味がらっきょうに染み込んでいて後を引く。独特の酸味と甘みをご賞味あれ。

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冷奴(500円)。
※写真は半分にわけたもの。

「鈴新」の冷奴を語る前に、まず四谷にある「栗原」について説明しなければならない。

「栗原」というのは、夕方に行ったんじゃ、まずはたいてい売り切れてしまっているという明治20年前創業の120有余年続く老舗の豆腐屋。

四谷で豆腐といえば、誰がなんと言おうと栗原の豆腐のことを指す。

「栗原」の豆腐は、大豆のこまやかな豆そのものの素材の味で、幻のミルクのようなその白い塊は、密に詰まっていて、一口食べると甘い香りが口にいっぱいに広がる、夢のような豆腐なのだ。

四谷で育った多くの人間が栗原の豆腐を食べたんじゃ、まずスーパーで売られている豆腐なんてカルキ臭くて食べられないとこぼす。

でも実際にそうだ。

僕も小さい頃からここの豆腐を食べているので、スーパーで売っている豆腐は変な味がするので食べられない。

そして油揚げ。もし店先で揚げたての油揚げを購入できたというならそれはラッキーというもの。

おかずなんて必要ないんじゃないだろうかというのは、決して大袈裟ではない。

醤油を垂らしただけで、一品となり得るから素晴らしい。

長らく説明してしまったが、とにかくその栗原の豆腐の冷奴がこれ。クリーミー、芳醇、こく、まろやか。あくまでも素材を活かした豆腐だ。とんかつ屋に冷奴という、一瞬似つかわしくない組み合わせも、まるで違和感が無い。

他にも夜のメニューとして、ままかりの酢漬けや、真いかの丸干しなどがある。

ままかりの酢漬けは瀬戸内海のいわしの仲間でサッパという魚を用いている。

真いかの丸干しは、新潟県の真いかを使用。お酒のつまみとして最高だ。

かつ丼は、かけかつ丼以外にも一般的な煮かつ丼(940円)、そうすかつ重(840円)。これはご飯の上に手切りのキャベツ、その上に揚げたてのとんかつをのせ特製ソースがのせてある。

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鈴新
東京都新宿区荒木町10 十番館ビル1F
11:30~13:30 17:00~21:00
日曜定休

煮かつ丼 --\940
かけかつ丼 --\940
そうすかつ重 --\840

昼メニュー(11:30~13:30)
とんかつ定食 --\840
特製メンチかつとあじフライの盛合せ --\840
コロッケとあじフライの盛合せ --\840
ヒレかつとメンチかつの盛合わせ --\1050

夜メニュー(17:00~21:00)
ロースかつ定食 --\1260
ヒレかつ定食 --\1570
エビフライ定食 --\1680
魚フライ盛合せ定食 --\1150

晩酌セット(串かつ・飲物・小鉢) --\1000

自家製らっきょ --\500
ままかりの酢漬け --\400
真いかの丸干し --\400
とまとフライ --\400
こまいの一夜干し --\400
冷奴 --\500

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2005年10月16日

ガムランボール

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馴染みのジャズバーのマスターが、恒例のバリ(本人曰く第二の故郷に帰郷)に行った際のお土産を頂戴する。


神々に捧げる音楽であるガムランの響きを鈴に納めたバリの伝統工芸品であるガムランボール。

バリでは月を中心とした文化があり、その月をモチーフにしたボールにガムランの音色が鳴るように細工した。鈴を振るとゆったりとしたガムランの音色が耳元に届く。

銀細工の細かな装飾が施されたそのボールは、もちろんただのアクセサリーではなく同時にお守り(タリスマン)として重要な意味も持つ。東南アジアや中東の物価は大体の目安として日本の30分の1であるとはいえ、日本で買うとざっと5千円から9千円程度はする。早速、皮ひもとターコイズとボーンホールを用いてネックレスを作成。

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2005年10月15日

トランス覚書

Lethal Doses(TEMPLE TWISTER RECORDS)

TEMPLE TWISTER RECORDSのコンピからは、トラック1のKolhoz Village Dance(Babanka 2005 rmx)、お馴染みの FUNGUS FUNK から。何度も転調する曲にリズミカルなベース。フロア向け。トラック2では、From Cradle to Enslave。PARANOIZE の曲。最近ちらほら上昇中の PARANOIZE、あくまでもダークな攻めで。

そのほかにも KEROSENE CLUB の顔ぶれも。


Refused(DEVILS MIND RECORDS)

DEVILS MIND RECORDSからリリースのこのコンピレーションは最強のお勧め。もうイッパイイッパイなゴリゴリ暗黒サウンドのオンパレード。ATROTIOUS BERSERKER BAPHOMET ENGINE VS. ELECTRYPNOSE など、とにかくキッツイ低音をかます連中。これはもうトランスといよりはミクスチャーに近いかな(っつても歌は無いけどね)。ひさびさのヒットだね。
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2005年10月14日

Aphorism [旧約聖書]

狭き門より入れ。
滅びに至る門は大きく、その道は広い。

Enter by the narrow gate;
for the gate is wide and the way is easy, that leads to destruction.

─旧約聖書─

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2005年10月13日

Cowboy Junkies

The Trinity Session(Cowboy Junkies : BMGVictor)

ティミンズ兄弟を中心として70年代後半に結成したカナダ発のバンドで、兄弟の一人、紅一点のマーゴ・ティミンズの甘い気だるいボーカルがナイスな、カントリーやブルースの楽曲を中心にアルバムをリリースしているCowboy Junkies。

88年に発表のデビューアルバムと言っていいこの「The Trinity Session」は、地元の教会で録音され、しかもたった250ドル程度の資金より発売されたにも関わらず、クチコミで徐々に人気を集め、とうとう25万枚も最終的には売り上げている。

カナダという土地柄からなのだろうか、鬱屈した南部発祥のブルースを演奏しても、彼らの曲から想起される風景には、なぜか荒涼としたクールな感触があり、マーゴの歌声からはアンニュイな気持ちが呼び起こされ、物想いにふけることになる。

3曲目の「Blue Moon Revisited (Song for Elvis)」は、(エルヴィスに捧ぐ)と称されたナンバー。悲しいほど切ないマーゴの歌声が僕らに無償の赦しを与える。冷たいアンニュイなナンバーだ。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのカヴァーである10曲目の「Sweet Jane」は、映画「ナチュラルボーン・キラーズ」で使われた曲だから記憶にある方も多いだろう。

映画後半部分で、離れ離れになってしまったウディ・ハレルソン演じるミッキーと、ジュリエット・ルイス演じるマロリーが、ついに刑務所の中で抱き合えた時に流れている。

オリジナルであるLou Reed 自身が、「かつてこれほどまで完璧に最高のカヴァーをしたアーティストはいなかった」と賞賛したのは有名な話。

僕がこのアルバムを手にしたのは、高校2年生の忘れもしない9月の終わりの秋口で、幸か不幸か一瞬にしてカウボーイジャンキーズは当時の僕の心を捉えて離さなかった。

マーゴのかすれた甘い、でもそこにはブルースの持つ鬱屈さも微妙に淡く混ぜてあるその声は、17歳の少年の抱く〝大人への憧れ〟をたやすく揺さぶり、じっとさせてはくれなかった。

僕ら(僕と僕の友人)は、太陽の香りのする羽毛布団のような、肘をしっくりと吸い取り飴色に光彩を放つ一枚板のカウンターで、琥珀色のとろける液体が注がれたグラスを口に運ぶ自分達を想像した。

でも残念ながらに僕らが見つけた新宿にあるジャズバーは、我々が求めるような気だるさを漂わせた静謐な店ではなかった。

どちらかといえば野太くて骨太のブルースやジャズが流れる、荒々しい酒を呑むような一本独鈷な様相をなしていた。

「The Trinity Session」のアルバムが流れるバー、僕らにとって、それは永遠の憧憬にも近いノスタルジアなのだった。

いまでもこのアルバムが似合うバーは何処だろうと想像することがある。

パラパラと2、3人が座る程のバーで、シンとした静けさのなか、古めかしいアンプから5曲目のハンクウィリアムスのカヴァーナンバー「I'm So Lonesome I Could Cry(泣きたいほどの寂しさだ)」が流れる街角のバー。

黄昏にグラスを傾けて時を過ごす、そんなバー。

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2005年10月12日

再会

桜の下で共に散り、共に語らばや刹那の刻を過ごした九州支援組との再びの邂逅。たしか昨年の秋風の舞う時期にお会いしたのが最後でしょうか。

また年内に揃って清遊しましょう。

@昭島健康ランド with Itoさん、Tani-M、HR川さん


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2005年10月11日

ロスト・チルドレン

ロスト・チルドレン【1996年 フランス】

監督:
ジャン=ピエール・ジュネ(Jean-Pierre Jeunet)
マルク・キャロ(Marc Caro)

音楽:
アンジェロ・バダラメンティ(Angelo Badalamenti)

撮影:
ダリウス・コンジ(Darius Khondji)

キャスト:
ワン --ロン・パールマン(Ron Perlman)
ミエット --ジュディット・ヴィッテ(Judith Vittet)
クローン/潜水夫 --ドミニク・ピノン(Dominique Pinon)
クランク --ダニエル・エミルフォルク(Daniel Emilfork)
ミス・ビスムス --ミレイユ・モス(Mireille Mosse)
蚤調教師マルチェロ --ジャン・クロード・ドレフュス(Jean-Claude Dreyfus)
リーヌ(シャム双生児) --オディール・マレ(Odile Mallet)
ゼット(シャム双生児)--ジュヌヴィエーヴ・ブリュネ(Genevieve Brunet)


果たして、21世紀の渦中、コンセントに機器を指しこむだけでインターネットが接続できるこの時代に、どれだけ見世物小屋たるものが浸透しているのか、あるいは、記憶にあるのか、いささかの不安があるけれど、「ロスト・チルドレン」は奇しくも見世物小屋的な要素がたっぷりと含まれた、まるで公園で置いてけぼりを喰らった子供が脳みその奥底で描くような映画だ。

夢を見ることができないために急速に老けてゆくクランク、ドミニク・ピノンの演じる病的に薄気味悪い眠り病に冒された6人のクローン人間、小人のミス・ビスムス、不吉なおかっぱ頭の中年シャム双生児たちに、手回しオルゴールを使って賢い蚤で殺人を担うマルチェロ、そしてロン・パールマンが演じる巨人症気味な怪力男と対照的な美しさを持つミエット役のジュディット・ヴィッテ。

監督は、「デリカデッセン」「アメリ」のジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロ。音楽は「ツイン・ピークス/ローラ・パーマ-最期の7日間」「ザ・ビーチ」「マルホランド・ドライブ」などを手がけているアンジェロ・バダラメンティ、撮影は「セブン」のダリウス・コンジと、よくぞこれだけの逸材が集結したと唸らざるを得ないほどの豪華な顔ぶれ。

物語はジュネの得意な世界観であるSF的寓話からはじまる。

全体的にセピア色というかAGFAで撮影した昔見た夢のような映像で、鉄工場に古びた港、石畳の裏路地と石造りの民家の灯り、路地の川と階段のある迷宮な街、それが絵本のような御伽噺的に展開する。

サーカスで雇われている鎖をちぎるのが自慢の怪力男ワンはある日、謎の連中に弟のダンレーをさらわれてしまう。なぜか最近、街では子供の誘拐が多い。焦燥するワンはある日、シャム双生児の中年姉妹がボスである孤児の窃盗団に遭遇する。そこで出会ったミエットから彼の弟が一つ目族にさらわれたと知る。。。

御伽噺的な寓話を描く映画監督に例えばティム・バートンが挙げられて、ティムがハッピーなブラックユーモアに満ちた〝裏ディズニーランド〟とも見られる、言わば愉快な寓話で観客の心を捉えているとしたら、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロは、蓋をしたはずの見世物小屋が扉を開けてしまったような悪意のない悪夢を延々と観客にみせることに長けている。

too muchになってしまった午前3時の終わらないレイブ会場から届く曲がっているトランス音楽の光景、といえば分かる人には分かるかもしれない。

蚤の調教師マルチェロが奏でる狂ったオルゴールのようなサイケデリックなサウンドが、ギリギリの線上にある。落ち着かないそわそわとした気分になるオルゴールと阿片中毒者のようなマルチェロが回す木箱が「ロストチルドレン」の御伽噺的世界と見事に調和している。


フリークス的御伽噺度★★★★★

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2005年10月07日

プレシャス・チャンダン香

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インドのHEM社の代表的なお香「チャンダン香」。 白檀の妖艶な香りが何ともいえないぶっち切りのヒット商品。日本ではパーティピープルやアジアン雑貨屋好き、インド帰りのバックパッカーに人気を博している。また、本場インドではその人気ぶりからニセモノまで出回るという冗談みたいな話も。

とにかく他社の追随を許さない鼻腔をくすぐるサンダルウッドの香りは、HEM社ならではのものだ。

パッケージも数種類あって、日本で見かけるのは以下のパターン。
値段は、仕入れ状況とお店によって個別に前後するので、そのつもりで。

1. CHANDAN SQUARE(スクエア)
約8本入り --\100

2. CHANDAN TALLBOX(トール)
約15本入り --\200円

3. CHANDAN hexa(へクサ)
約20本入り、六角形の箱が特徴 --\250
40cmのロングサイズもある。こちらは --\500

4. CHANDAN economy(エコノミー)
25本x4袋で100本入り。 --\700

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2005年10月05日

Mundo Novo

Mundo Novo (LAVA : Media FACTORY)

1967年に東京で生まれたLAVAは、94年に渡英し、数々のロンドンのクラブでDJを勤め、帰国後の01年にブラジリアンジャズをベースにした1stアルバム「Aile Alegria」を発表。

そして02年ヨーロッパDJツアーを行い、同年7月に2ndアルバム「Mundo Novo」をリリース。

更にCoverとRemixを含めた8曲入りのミニアルバム「Rhythm & Brazil」を2003年3月にリリース。HMVダンスチャート3位、タワーレコード ワールドチャート1位を獲得する。

日本はもとより世界で高い評価を受けている(もしかしたら日本では知らない人が多いのかもしれない)LAVAの、上梓の2作目「Mundo Novo」はまさにブラジリアンジャズな夏のナンバーが目白押し。爽快なテンポの〝Morena〟に始まり、極上のアンビエント。思わず体が揺さぶられるトラックに、午後のうたた寝に流したいトラック。

そしてLAVAの曲を聴いていると何故かこんなシチュエーションが思い起こされる。

気温は32度。湿気もないし風は涼しい。

目の前のビーチからは波の音だけが聞こえて何処か遠くで海カモメが鳴いている。真っ青な空に浮かぶ真綿みたいな積乱雲の横を飛行機雲がススキみたいに揺れている。

すっかり海で遊んだあとクーラーボックスからよく冷えたジュースを取り出して、椰子の木の木陰でお昼寝。 明日も今日も夏休み。そして泳いだ後の木陰でのお昼寝ぐらい気持ちいいものはないのだ。太陽の匂いのするタオルケットに包まってラジカセに耳を傾けるとLAVAの曲が・・・。

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2005年10月04日

新人議員の戯言

南関東比例ブロック35位で当選した若輩の議員の言動が注目を浴びている。

その言動がマスメディアを躍らせ、どんどんと世間を騒がしているようだ。

ついにはあまりにも目に余るという ─恐らくは党の判断で。もちろん自民党はそのようなコメントを発していない─ 状況から、〝異例の〟謝罪会見をした。

しかもそのタイミングが、青木幹雄証人喚問の話題を避けさせる時期と見事に合致していたのは、さすがというべきである。

政治的発言をまだしていない議員が、果たして何に向かって謝罪をしているのか非常に曖昧であるその光景はとても滑稽であった。

当選直後、「棚からぼた餅ですよ」とマスメディアに叫ぶ彼を見て、私は無垢というのは時として残酷であると感じた。

棚からぼた餅 まさにここに今の選挙のシステムの杞憂がある。

我々は彼の直なる言葉からその比例代表制の欠点を見出す必要がある。
そしてそのコメントを発した議員こそが自民党に所属している、なんという皮肉であろうか。

私は彼のその何気ない一言から、現在日本の政治にある選出方法に矛盾を見た一人である。

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2005年10月03日

歌舞伎町「大阪屋」

新宿歌舞伎町、テレビでもお馴染みのアジアでも数本の指に入る歓楽街。不夜城。

その歌舞伎町の真ん中の通りにあるお好み焼き屋が「大阪屋」。
20年以上の営業で、24時間営業、年中無休、新宿のお好み焼き屋では老舗である。

この街に相応しい営業方針、眠らない街にぴったしだ。

さて、その長い歳月を掛けて油を吸い取ったといわんばかりのテカテカの細長い階段を下ると、目の前に迫るのは地下一階の広い店内。

つきあたりに座敷、テーブルが幾つか。近頃、店内が久しぶりに改装していたが、その猥雑ぶりは相変わらず。

中年男性と20歳ぐらいのコのカップル、見つめあう2丁目系の男2人組、白人男性とギャル、お好み焼きの具がそのまんま客になったほどの喧騒がここにはある。

そっけないお好み焼きが食べられる店なので、決して目新しいわけでもないし、お洒落な居心地もあるわけでもない。

だけどひとたび口にしてみれば、懐かしい味が広がる。それがこの店の醍醐味で、「大阪屋」の持つテイストなのだろう。

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写真はオニオンスライスとキムチ。

定番中の定番。シャキシャキしたオニオンとトマトスライスに和風の薄いドレッシング、そのうえに鰹節が混ぜてある。

玉葱の少しほろ苦い部分と甘い冷やしトマトがマッチング。おつまみにもちょうどいい。

キムチは思ったより辛くなく、むしろ酸味が効いている。サッパリ系のキムチ。ごちゃごちゃしていないシンプルな辛さのキムチである。

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こちらはゲソ焼き。

油を引いた鉄板にゲソを載せて、塩と胡椒を軽く振って、すこし押さえる感じで焼き上げる。

イカの水分がジュッジュと飛び散るのもお構いなし。
焼きあがる寸前に醤油を垂らし、バターを投入。仕上げにオロシ生姜をまぶして出来上がり。

バターと生姜の風味と醤油の焦げた香ばしい薫り。イカのじゃれるような丸くなったゲソをみていると突然と海水浴がしたくなる。バターが飛ばないうちにさっとアツアツを食べよう。

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写真は豚玉。

お好み焼きを焼く時のコツはなんといっても「いじくらない」だ。
「いじくらない」に始まり「いじくらない」に終わるといっても過言じゃない。

ごくたまにヒヨッ子がひっくり返した後、鉄板返しでパンッパンッとかって叩いちゃっているのがあるけれど、ありゃダメだ。

お好み焼きを知らなすぎる。お好み焼きは「いじるな」。これがルールだ。

裏面がキツネ色になったのを確認して、一気にひっくり返す。ジュゥ。

小麦粉の香ばしい焦げと桜えびや紅生姜の香りが熱気とまじって昇華する。じっと我慢。

さらに待つこと3分。表面もキツネ色に焼けたのを確認し、もう一度ひっくり返す。ジュゥ。

特製のトロトロソースをたっぷり塗り、青海苔、かつお節を全体に振り掛ける。

ソースの匂いって食欲そそるよね。熱々のお好み焼きをてこで4等分に分ける。
お粉と山芋のサクサク感、桜えび、紅生姜、キャベツがそれぞれ個性的に主役を演じる。

そこにかつお節と青海苔の海系フリカケが乱入。

カラメル色のソースとマヨネーズが渦巻きを描いて混ざる。

こちらも熱々をぜひ。

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最後、焼そば。

太い麺の焼そばは、鉄板に気持ち程度に油を引いて、まず豚肉のコマ切れから炒める。

肉に火が通るか通らないかの焼き加減で、塩と胡椒をまぶす。そして野菜。

素早く野菜を炒めて、キャベツの先端がしんなりしたかなどうかなってあたりで、麺を投入。

麺は太いけど、鉄板返しで切らないように十分注意するのが大事だ。

お好み焼用のソースとサラサラのソースをブレンドして味付け。
ブレンドのソースが麺に絡まる。芯のあるキャベツがボリボリ音を立てる。

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大阪屋
新宿区歌舞伎町1-17-12 浅川ビルB1F
年中無休 24時間営業

豚玉 --\924
牛玉 --\997
イカ玉 --\892
ソバもんじゃ --\777

イカげそ(鉄板焼) --\819
オニオンスライス --\577
キムチ --\609

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第3回シンジク会

レポート名: Shinjyuku association vol.3
Member: ko、ケンカネコ
Place: 大阪屋
Date: 2005年9月30日19時半

実はすでにカウントしてなくて、全然3回目じゃない〝シンジク会〟。

お馴染みのメンツによる会合。

季節は変わり、初夏から初秋に移るというのに成長しないのが我々。
今回もバッチシへこたれた会話で幕を開けて幕を閉じる。

所在なしにお好み焼きをつついてバカ話に花を咲かせていると、毒のない垂れ流される有線からこんな曲が。

無言 いくじなしね
無言 淋しがりね

かつての80年代アイドルが「目と目で 通じ合う そうゆう 仲になりたいわ」とブラウン管越しに歌った曲がまさにいま大阪屋で流れている。

私は思わず耳を疑った。なんというシンクロニシティ(意味ある偶然)であろうか。

聞こえているか、友人よ。
おい、これこそファンキーでソウルな気持ちではないか。

言葉の要らない関係。
こんなことができるのはラブラブな連中か、すこし頭の痛いキャラか、映画「A.I」の最後に出てくるエイリアンぐらいだ。
彼の望まんとする関係性への兆しがこんなところに転がっている。私はすっと胸をなでおろした。
何もコメントをしない私ではあったが、そのぶんジッと私は彼を見詰めた。きっと私が言わんとした助言に気付いてくれたのであろう。私のような人物で「目と目で 通じ合う」関係を練習するがよい。

そして、わがシンジク会のメンバーが前述の「すこし頭の痛いキャラ」ではないことを心から願う。


ちなみにその某アイドルは、その歌の続きで「明日 少し 勇気をだして視線 投げてみようかしら」とカワイク歌ってた。

どうか、彼の〝勇気をだした視線〟が空振りだけはしませんように。

大阪屋のお好み焼きのソースが目に染みる・・・。

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