こんな話がある。
うろ覚えだが、たしか故青山正明の著書の何処かにあった一文で、「かつて人類には〝平和〟という概念が存在しなかった」というものがある。中世以降に成立した言葉で、それまでは「平和」という言葉を必要としなかったとか・・・というくだりだ。
なかなか興味深いもので、言葉の発生の過程には概念も生まれるということなのだろうか。
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こんな話もある。
日本語の「超面倒くさい」を英語で表現する場合、なかなかニュアンス的にフィットする言葉がない。
やっとの思いでなんとか表現するとしたら、「It's too much of a bother」となる。
日本語の「面倒くさい」が〝やりたくないんだけれども、それでもまあ仕方なしにヤレヤレといった感じでやりますか〟と全否定はしないで、それでいてある程度の許諾の態度も含まれているとしたら、どちらかというと英語の「It's too much of a bother」は〝最初からする気がありません〟と全てに対して否定的に示すことで成立している。
日本語の「面倒くさい」や「面倒くさがり」を英語で説明しようとしたら、どうしても冗長的になるのを避けられない。
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ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境保護活動家のワンガリ・マータイさんは、先日来日した際に日本語の「もったいない」という言葉と、その「もったいない」という日本人に流れる思想に感銘を受けたらしい。
ニュースや新聞でその記事を聞いたり読んだりして、記憶のある方も多いだろう。
しばしば、英語の通訳の仕事をしている人から、日本語の「もったいない」を上手く変換することが出来ないといった話を耳にする。
そもそも英語に存在しない情緒的で、全ての万物には魂が宿っているというアニムズムの思想に深く関係しているこの言葉は、西欧にないのはごく自然であろう。
「もったいない」が世界語になったとき、おそらくは言葉の流布と同時に思想も定着するはずである。
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さて、日本に外来語が導入されたのは一般的に明治維新以後といわれていて、特に 明治14年、国会開設の詔(みことのり)が出され、明治政府は近代法治国家の基礎を作るべく憲法制定に全面的に動いた。
明治15年に伊藤博文らは、憲法調査のためにヨーロッパに向かい、ベルリン大学やウィーン大学で西欧の法律を学んだ。
その際に法律用語と同時に〝思想〟が輸入されたか否かについての真偽は定かではないが、言語が定着するにあたってその意味をも内包しつつ、流布するのが前提とすれば、西洋語の導入と共に思想もまた導入されたといえる。
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「プレッシャー」という言葉が日本でいつ頃から使用され、一般的に口にされるようになったのか手元には資料がない。
が、「精神的抑圧」というこの言葉がペリーの黒船来航以降の近代日本、あるいは戦後日本から使われるようになっているとしたら、非常に興味深い話である。
これまでに述べた論理に照らし合わせれば、「プレッシャー」という言葉が使われるようになってから、その言葉の持つ意味も人の心に影響を与えた、と考えられるからだ。
そんなことを05年10月23日PRIDEのマットで劇的な復活を遂げた桜庭の勇姿を見て思った。
桜庭が勝利した後に、控え室で普段の人を喰ったようなコメントとは裏腹に、率直に「プレッシャーを感じた」と呟いていたからだ。
果たして僕らの感じる「プレッシャー」とは、日本人が有史より持ちえた感情なんだろうか。それとも近代に導入された感情なのだろうか。
ふと立ち止まって考えてみた。