噂の高額アルバイトとまでいかないアルバイトを、中学2年生の2学期頃~中学3年の初春まで続けたことがある。
地元にある雀荘でのアルバイトで、雀荘で使うお絞りをコインランドリーに持っていて洗濯して畳んだり、雀荘で出されるおつまみ(胡瓜と缶詰のツナを混ぜてマヨネーズで和えたもの)を作りつつ、灰皿を片付けたりするアルバイトだ。
雀荘のマスターは、北斗の拳の第1巻に登場する「息をするのもめんどくせぇ」と台詞を吐いた血を見ると逆上する巨漢のハート様そっくりの容貌で、金銭がらみの問題を起こして関西から夜逃げしてきたホモだった。
在りし日のマスターにそっくりと謳われていたハート様。
巨体に馴染まないソプラノ歌手みたいなカン高い声で「ね、いいでしょ、いいでしょ」と囁くのが口癖だった。
自転車を漕いだりして雀荘の前を通った時にスカウトされて、いま思えば、完全に僕の身体を狙っていたとしかいいようがない素振りだったわけだけれど、まあ、いざとなればどうにかなるでしょと楽観した気持ちで引き受けた。
給料は当時としても結構の破格で、夕方の4時くらいから9時くらいまで仕事をして1万円。
恐らくは1万円の内訳として、マスター希望の〝僕の大事な春〟が含まれていたに違いないと今も思っている。
結局のところ、彼の思惑は残念ながら果てせず、とうとう、僕の身体は安全だったわけだけど。
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仕事は週に2回だった。つまり月間で換算すると8万ぐらいの収入。
中学生のアルバイトにしてみれば悪くない。
バブル全盛期ならではのお話だ。
夕方4時に雀荘の扉を叩くと、夏でもないのに大量の汗をかいているマスターが僕を出迎えてくれる。
僕はアルバイトにも関わらずチヤホヤされた待遇で「ね、ね、とりあえずコーラでも飲む?」と、大地賛頌を歌うとしたら、たぶん2つぐらい離れたパートなんだろうなという声域で毎回訊かれた。
コーラに睡眠薬でも混入していたらどうしようと、ビールジョッキに注がれた黒い液体を見れば見るほど、毎度ながらに疑心暗鬼になって、いつも飲むのを迷った。
でもさすがにそこまではしないようだった。
それよりも中学生とはいえ、ビールジョッキに丸々注がれたコーラを飲むほうが大変だった。
だいたいにして、この人は全ての事柄がアメリカンというか、大雑把な趣があった人で、生活全般から人生に至るまで、おおよそどんぶり勘定だった。
ハンバーガーが食べたいと告げると、駅前にあるファーストフード(サンテ・オレ)でコロッケバーガーを13個買ってくるのを普通と思うタイプの性格だった。
だから僕の仕事はまずジョッキコーラを飲むところからスタートした。
さて、それが飲み終わると、ゴミ袋2つに収まった山盛りのお絞りを自転車で3分のところにあるコインランドリーに持っていて、洗濯する。
そして洗濯が終わったら、そのまま乾燥機にブチ込んで乾かす。
待っている間はコインランドリーにおいてある漫画を読んで時間を潰す。
それを雀荘に持ち帰って畳むのだ。
量こそは多いとはいえ、テレビを観ながら片付ければいいので楽チンだった。
で、18時くらいになるとマスターが出前を頼む。もちろん僕の分も頼んでくれる。
道の向かい側にある蕎麦屋さんの出前で、ラーメンとかカツ丼とか、ざるそばとかを注文して食べた。
この時も「ね、ね、ビール飲む?」って毎回聞かれたけれど、いつも「いや、いらない」と答えて、ジョッキに注がれたコーラを飲んだ。
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19時くらいになるとお客さんがチラホラ集まるので、おつまみを作った。
しかもものすごい適当に。
「あの子たちは、ホラ、味なんて分かりはしないのよ」とマスターは薄笑いを浮かべて僕に説明した。
このような仕事を僕はどうしてか中学3年の4月まで続けていたのだ。
マスターも愛嬌があって面白くて、一般社会においては早々出会わないような人物だった。
僕はこのマスターから10年ぐらいは枯渇しないぐらいの彼の人生の武勇伝的な面白ネタを教えてもらったし、ホモであっても別に嫌悪感は抱かなかった。
ただ、唯一仕事中で辛いのは、雀荘に立ち込める煙草の煙だった。
もう煙たいなんていうレベルじゃない。
異臭騒ぎと疑われても仕方ないくらいモウモウとしていた。
駄菓子屋で売っていた10円の煙玉を部屋で燃やすと、きっとあの雀荘みたいになるのだろう。
僕は煙草の煙で毎度涙腺を刺激されて、涙を流していた。
それ以外は本当に至れり尽くせりだった。
ご飯もご馳走になってコーラも飲み放題、洗濯畳んで、胡瓜をスライスして一丁上がり。
結局、中学3年に辞めたのも高校受験を控えていたからだ。
それに嫌悪感がないとはいえ、同性愛の世界は十分だった。
そしてヘテロセクシュアルの日常生活に戻った。
だがしかし、僕が十分とは思うのと裏腹に、僕はそのあと中学3年生で同級生(♂:オス)から告白を受ける。これは僕にトラウマを与えた。
どうしてなのだろうか、当時の僕は男からモテたのだ。まったくもって嬉しくとも何ともない能力である。
それにしても、中学生の多感な時期にあれだけアプローチされて、今に至るまでに道を誤らないでよかったと心の底から思う。一歩間違えていたら僕はふんどし一丁で角刈りだったのかもしれない(←だいぶ偏見)
息をするのもめんどくさいのはハート様じゃなくてゲイラだよ!
ひでぶっ!マジっすか。いままでずーっと勘違いこいてました・・・・。