2010年08月30日

リンダリンダ

人生の中で忘れられない人がいるとすれば、彼はその中の一人だった。
彼が時々見せるどこか遠くを見詰める瞳に私は夢中になった。
彼に抱きしめられた時にほのかに香るコロンで私は満たされた。
私は彼のことを想うだけでよく泣いていた。
そんな気持ちになったのは初めてだった。
きっと私は恋をしていたのだと思う。
それ以外に私には答えが見つからない。

一週間雨が続いたその週の土曜、その手紙が投函された赤いポストは妙に残酷な色に映っていた。

いつの頃からだっただろうか、どんな手紙でもポストにあるだけで、私は瞬間的にひどく戸惑う。

予期せぬ出来事なだけにどう対処していいのか分からないのだ。
たとえそれが詰まらないダイレクトメールだとしても。

正直に言うと最初、私はその手紙を読むことに対して非常に躊躇していた筈だ。
その突然の手紙は私を驚かせ、そしてなによりも私を困惑させたが、それは決して封を開けられることもなく机の引き出しに放り込まれたままだった。

そして、数日が経った。

私は差出人に恋をしている、なによりもその手紙が開けられない最大の理由はそこにあった。

大学を卒業した後に、ただ落ち着けるというだけで通っていた喫茶店の同じ常連だった。

そうそうと誰もいないその店内で必ずと言っていいほど同じタイミングでお茶をしていたので、何度か目が合ううちに「よくお会いしますね」と話し掛けられたのが最初だった。結局、私達がその喫茶店を待ち合わせ場所にするにはさほど時間を必要することもなかった。

当時、私は今までの恋愛にないくらいに夢中になっていた。
毎日が夢のような世界だった。

だが、その当の本人は私に事前の連絡もないまま置き去りに してある日突然と一人で勝手に外国に飛び出したのだ。

私がその事実を知ったのはかくもその家族からの電話からである。

私はしばらく受話器を握ったまま呆然としていた。
向こう側から彼の家族の声だけが響いている。
「・・・さん、もしもし?ねぇ、もしもし?」

そう、あの日以来、私は彼がいなくなった不在のある生活を冷静に受け止めようと、ただその為に努力してきた。私は損なわれた生活を埋める為にすべての時間を費やしてきたのだ。

だが結局のところ、たった一通の手紙によって再び私は動揺したのであった。

もしかしたら帰国の知らせかもしれない
私はさんざん迷った挙句、その手紙を読むことにした。

「いつだって女は都合が良い」
私は心の中でそっと呟き、煙草を消した。
そういえば私は彼が居なくなってから、また煙草を吸い始めている。


DEAR××

お元気ですか?
僕はいまネパールにいます。インドから延々と 北上してついにネパールのポカラに到着しました。 ヒマラヤの麓にあるペワ湖のレイクサイドに滞在してもう2ヶ月くらいかな。

あっという間。

ネパールまではインドのベナレスから深夜バスで陸路で国境のボーダーを越えて入国しました。国境の街に一泊したんだけど、そこはすごい不思議な場所だった。
なんて言うのかな?
その街の周辺はバスが8時間疾走してもジャングルだらけでなんにも無く、時々夜にもかかわらず鳥の声がグエグエ鳴り響く世界で、あるものといえばデコボコの舗装されていない1本の道だけなんだけど、突然とその最果ての地に国境超えの旅人だけで賑わっている街が出現するの。

すっげーびっくり。

満天の星の中にいつまでも市場やゲストハウスが続いていて、ところかしこにチャイ屋とかチベタンヌードルの屋台とかがひしめいているんだ。

裸電球の下で豆カレーのアルミ鍋がくつくつと音をたてて煮えていたりとか、ターバンを巻いたヨーロピアンがハシシを吹かしながらガタガタのテーブルで擦り切れたトランプを切ってたりとか、そんな感じさ。

もし、遠く空から眺めれば、夏の線香花火のように見えたのかもしれないね。

で、そこにいる旅人たちは南か北かに移動するだけだからお互いが旅人だという以外は何も分からないんだけど、その一夜限りの国境の街を謳歌していたよ。
そんな辺境の土地にもちろん 電気なんかあるわけなくてロウソクやランタンで灯りを補ってるんだ。

風が来ると景色全体が淡く揺れてすごい幻想的になってさ。そんな時だけみんなただじっと故郷を想うような眼で動きを止めるんだ。揺れるロウソクだけを眺めてね。

ちょうどそのスノウリ(国境の街の名前)のゲストハウスの屋上のカフェから写真を撮ったので、今度送るよ。ベロンベロンに酔ったドイツ人のバックパッカーと撮った写真もあるからそれも一緒に・・・。

*

今はポカラで毎日湖の周りとかをヒマラヤのふもとでポチポチと散歩しながら過ごしています。

レイクサイドから5分くらい奥に行った静かなゲストハウスのコテージの2階に住んでいるんだ。

ゲストハウスには一面に芝生の庭が広がっているから、太陽が照っているときは洗濯をしたり、みんなで昼間からビール飲みながら日焼けしたりしてるよ。

洗濯物の後ろにヒマラヤがそびえているの。
嘘みたいに平和。

きっとこんな感じの日溜りの中にさえいれば、もしかしたら世界はもっとよりよくすごせる場所なのかもしれない。

そんな具合に日々が過ぎています。

あとはゲストハウスによく果物とかヤクのヨーグルトなんかをネパリのおばちゃんたちが売りに来るからそれをみんなでつついたり、お腹がいっぱいになったら木陰でハンモックでお昼寝したりとか・・・・・。

そうそう、そういえば、こないだはフルムーンだったね。
フルムーンのときはみんなで屋上でヒマラヤを眺めてたんだよ。

満月の灯りでヒマラヤが銀色に光るんだ。すごくすごく高いところにそびえ立つヒマラヤが闇夜に光るんだ。

地上よりも 空の方が近いその頂上がね。

それをブランケットで暖を取りながらいつまでも息をひそめて眺めるの。
なぜだか分からないけどそこにいる全員が泣いていた。
僕も泣いた。
世界を巡っているヒッピーが訳もなくその巨大な山を見て泣いているんだ。

そう、僕らは誰とも何も語らずに山を見ていた。

ヒマラヤの前では非常に小さい、ただそれぞれの宇宙を抱える一個の人間で、きっとこれからも僕らはその宇宙を彷徨うだけの孤独な存在なのかもしれない。

けれど、その瞬間、あの銀色の嶺を見ていたその時間だけは、僕らはそこから抜け出しそこにいるみんなが同じ想いで包まれていた。

非常に正しくて非常に親密な想いに。

それがどんな想いなのかちょっと言葉で説明するのは難しい。
あるいはその瞬間を感じる為に僕らは互いに愛し合ったり 、喜び合ったり、時には悲しんだりするんだろう。

そうじゃなきゃ、こんなにも荘厳にそびえ立つ山の麓で流す涙の意味なんてないじゃないか。

僕はそんな風に信じている。

ネパリはヒマラヤのことをマチャプチャリと呼んで神々の住む山として奉っているけど、なんとなく分かる気がしたな。

それをスパイスの効いたチャイを飲みながら見ていると、どこからかともなく遠くから音楽が運ばれてきて、あたりがお香のほのかな香りに包まれて。
気がついたら、輪になって屋上でみんなで寝ていたり・・・・・。

社会復帰は程遠いのかなぁ。

追伸: 僕はこの手紙をレンタルサイクルに乗ってやってきた湖のダムサイド(ポカラにはダム側の街もある)の日本食レストランで書いている。

この店には完璧なカツ丼や最新号の週刊誌が普通にあったり( ここにいる連中は東京と変わらないくらい少年ジャンプの新連載の情報を知っている)、当たり前のように日本の歌謡曲が流れている郷愁力が満載の店だ。

さっき、ブルーハーツの「リンダ・リンダ」が流れていた。
懐かしい曲。中学生のときだけでも100回は聴いた筈だ。
歌詞カードなんかなくたってそらで歌える。

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知って下さい
愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ リンダ・リンダ

こんな歌だ。
僕はこの歌で多くの大事な事を学ぶことだろう。

そう、きっと、僕は君の事を悲しませ続けてるに違いない。
誰よりも身勝手な筈だ。僕の君に対する想いを伝えるのなんていまさら虫が良すぎるって君は言うだろう。

僕の気持ちは通じないのかもしれないし、もちろん分かって貰えないのかもしれない。

もしかしたら信じてもらえないのかもしれない。

だとしても君に伝えたいことがある。
僕は今すぐにでも君をこの手で抱きしめたい。
そう、愛じゃなくても、恋じゃなくても僕は君を離さない。
たとえどんなに遠くにいても僕は君を守り続けたい。
願いが叶うのであれば、君に逢いたい。

君に逢って話したい事がある。
                               with PsychedelicLove ××

絶対に泣くもんか。

私は、手紙を読みながら、そう思っていたけど,読み終えたら 、もう我慢が出来なかった。

私は彼が大好きだ。
悔しいけど仕方ない。
私は涙を溜めて大声を出して泣いていた。

煙草なんて吸える気分じゃなかった。

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2010年08月28日

バンコックラプソディーⅢ

その旅行中、たくさんの風変わりな連中に会った。

旅に出なきゃ絶対に出遭わないような連中が多かった。今となっては彼らの名前すら思い出せやしないのだけれど、10年以上も前の旅先での出来事がまるで昨日のことのように、ふとしたきっかけで目の前に現われる。

雨上がりのアスファルトの匂いを嗅いだ瞬間や、工事現場の騒音に包まれた時など。記憶の残像からやってきた彼らは、詰まるところ私の想像上の人物で、当時とは違った、つまりしわくちゃの脳味噌の中にある膨大な思い出のかけらを結合して出来上がった人々だ。

アポイントなしに突然と目の前に現われたり、死んだはずの人物が何かを話しかけたりして私を驚かす以外は、これといった脅威も無い。もちろん彼らに敵意を抱く気など毛頭ない。むしろ私は彼らに対して懐かしさに似た感情すら持ち合わせている。

私はそういった連中に時を越えて接触している姿を誰彼に勘付かれることもなく、平穏温暖な生活を送っている。実に喜ばしことだ。

その男は1994年2月のバンコクのカオサンロードの屋台で話した。落ち着きの無い仕種でひっきりなしにあの犬の小便みたいなとぼけたシンハビールを呑んでいた。旅先によく見掛ける鼻に付くような種類の人物でもなさそうなので(俺はタイぐらいだともうどれくらい来たのか数えられないよと吹聴するタイプや、日本人ってイヤよねぇと自分が日本人以外の何者であると錯覚を起こして斜に構える閉鎖的なタイプなど、うんざりする連中だ)、私は気さくに彼と話した。

母国じゃ考えられないことだ。

旅先にいる人間というのは、幾分変わった種類の人間で、誰であろうと自分にとって脅威でなければ隣りに座った連中と会話することが平気な種類の人間である。

私たちは互いに会釈をして、会話のキッカケを探した。昼間からビールかい?と訊こうとしたが、そんなのは他人事で彼にとっては大きなお世話なので飲み込んだ。誰がビールを呑もうがメシを食おうがいいのだ。

彼は「なんかさぁ、タイの文字って面白いよね。」と、舌の上で長い時間持て余して舐めていた飴玉を吐き出すような口調でそう言った。それはいままで話すタイミングを待っていた感じの、何度も反芻を繰り返された上で吐き出された言葉のようだった。

どうしてかその科白自体が冷房のよく効いた洋服屋で足の細い店員が微笑するような、なんというか文化的な(糞、なんだ文化的って。誰か説明してくれ)香りが漂っていたので、─それは、ほらアレだ。昼の12時から放映している健康促進番組の司会者の笑顔だ─、つい私もつられて、ああ、と頷いた。

「そういえばこれってミミズみたいだな。よくこんなの読めるよ」

さて、私はそう答えたのかどうか。それとも彼は私に向かって脅えた口調で「怖いから文字の違うタイに来た」と私に吐露したのだろうか。

それとも、そもそも私はその男自体に本当に会ったのだろうか。

唯一言えることは私はことのほか酷く昂奮して自分のゲストハウス(大仏みたいなパパが目印の)に駆け足で戻ったことだ。あとのことはみんなに任せよう。

*
*

「昼間からビールかい? よぉ、ここに座ってもいい」

吉沢は焼き飯が美味いと評判のモイットの屋台で昼間からのうのうとビールを呑む男の、幾分落ち着きが無い態度を警戒しつつ、ぶしつけに訊ねた。

タイにいる大抵の日本人は馬鹿な連中だと吉沢は思うことにしている。

ろくでもない連中がほとんどだ。この男だって昼の12時から酒を呑んでいやがる。どいつもこいつも同じ日本人だと思われるだけで恥ずかしいぜ。でも俺は大して英語も出来ないし、話すんだったら日本人のほうがラクだからこいつらを見掛けると話す。しがらみや拘束のない彼らとの会話は害のないバックグラウンドミュージックとおんなじだ。ようするに聞き流そうと思えばいつだって耳をOFFにすることができて、関係なんてものはチャラにできる。

それにしてもタイってところは気分がいい。物価も安いし、気候も常夏でオンナもかわいい。こんなんだったらもっとはやく旅に出るんだった。ゲストハウスの人間はタイよりもっと先のアジアやインドに行かなくては意味がないと、しきりに熱弁しているけれどそんなのはどうでもいいことだ。

何もタイまで来なくても本当に見つけたいものがあるんだったら何処にだってある。

俺が生活していた新宿にだってあるんだろう。地球を何周したって見つかるものは見つかるし見つからないものはみつからないのだ。問題は、旅に出ればたやすく見つかるなんて考えることだ。そんな風にみつかったものなんて最初からなくたっていい。そんなもの本当に探しているものじゃないのだ。それに比べ、俺はタイが性に合っている。あいつらが言うようにもっと凄い場所があるのかもしれないけれど、とにかく俺がここに満足していることが大事なのだ。

吉沢はモイットを呼ぶと焼き飯とコーラを註文した。この組み合わせで昼を迎えるのは6日めだ。カオサンじゃここの屋台のこの組み合わせが一番賢いと吉沢は考えている。

「あっ、俺、ヨシザワです。」
オーダーをひとしきり済ますと吉沢はいつも準備している笑顔で挨拶した。どんなに斜に構えている奴だって自己紹介さえすればその警戒心は解かれる、吉沢は小さい頃からの処世術としてそれを信じ、この南方の国タイでも実践している。

「どうも。俺は。。。俺は、ユキオです」
石田は自分を名字ではなく名前で名乗った。急に相席になる男を値踏みするように感情を押し殺した声で答えた。

特に相席を断る理由も見当たらない。でも何かしら奇妙だった。

必ず日本人だったら「日本の方ですか」とか最初になんというかワンクッションおいて挨拶代わりに聞いてくる。

僕もその人がたとえ何処から見ても日本人だとわかりきっていてもそういう風に聞くよう心掛けている。ちょっとしたマナーみたいなものじゃないのだろうか。石田はそう思った。それと同時になぜ僕が日本人だと見分けたのかこの男に問い詰めたい衝動に駆られた。

バンコクでいきなり日本語で話し掛けるのは、同じ学校だけど大して仲も良くない同級生がいきなり人んちに上がり込んだようなものだ。突然の出来事に潜水病のような耳の詰まりを覚えた。そんな気分は東京を出発してから久しくなかった感覚だった。

「初めましてって言うのかな、こういう場合。なんか変だな」

「ねぇ、それってシンハ?」
吉沢は相席を了承した男が呑んでいるビールを指差して続けた。ハハハ、ほんとにビールを呑んでいる。

「あっ、そうです。昼間っからなんですけど。まあ南国だし」
石田は弁解する立場ではないのに言い訳がましく答えた。

「いいねぇ、こんな木陰でビールなんて。俺さ、日本のビールじゃないビールってじつは初めてタイで飲んだんだけど、なんか全然味が違うよな。」

周りでは短パン姿の白人のグループが不器用に箸を使って麺を啜ってる。やはり彼らもビールを呑んでいる。

「そうですね。うーん、もしかしたら、そうかもしれないなぁ。でも僕はよく知らないんですよ、日本のビールって。なんか逆の話なんですけど。僕は日本にいる時なんて、昼間にお酒を飲むなんてまずありえないんですよね。

いや、昼間に限ったことじゃなくて、夜だって居酒屋にすらいかないタイプなのに、どうも旅先だとビールを飲んだりして。だからこっちの味しか知らなくて。それにしてもどうしてなんでしょうかね、昼間からビール。日本じゃないから気が晴れるのかもしれないな」

「来たねぇ、その言葉。日本じゃないから。。。」

吉沢は運ばれてきた焼き飯にナンプラー(タイの魚醤)を数滴振りかけて続けた。

石田はヨシザワと名乗る男の言葉に少し憮然となった。馴れ馴れしい態度が鼻についた。

そんな石田を察知してか、吉沢はもう一度大袈裟に笑う素振りを見せた。

「いやぁ、まさにそこだよ。ユキオさんだっけ、ククク、日本じゃない。俺らはそれを求めているわけさ。水しかでないシャワー。1発千円もしないパッポンを歩いている売春婦やドラァグガールとの妖艶な一夜。屋台のカレー。ヌーディストビーチ。たしかにこれは日本には無い。俺も同感さ。

俺はタイしか旅をしていないからここしか知らないけれど、エキサイティング溢れる出来事ばかりだよ。こないだ引っ掛けた女は本当は17歳だって言ってた。17だぜ。胸だってこんなにありやがる。でもさ、じつのところ、どうだろう。俺らがいま見ているのは、ほんとに新しいのだろうか。そんな風に思ったことないかい」

「え、なんですか、それ。随分と唐突な話じゃないですか。」

いきなりの展開に石田は面食らった。 吉沢は続けた。

「そんな堅苦しい話でもないさ。要は俺らがタイで見てきたものは、もうすでに何処かの場所で見てしまっているっていうことさ。テレビやラジオ、写真に映画。そういうモノを媒体にして俺らは既にタイという国について何かを齧っているんだよ。

いつだったか俺がテレビで見たチャオプラヤ川のボートで野菜とか売っている風景は、こないだ実際に見たのとまるでおんなじだったね。俺はそんとき思っちゃったもの『あ、テレビとおんなじじゃねえか』ってね」

「そんなのを突き詰めるとテレビさえあれば間に合うって考えちゃんだけど、そうでもないんだよな。新しい世界ばかりじゃないかもしれないけれど、テレビじゃタイの女の子のナンパの仕方を教えてくれるわけじゃないしよ、俺だってもしここが渋谷か何かの喫茶店だったら、相席する奴に話しかけることはないってわけだ。それが〝日本じゃない何か〟ってやつかもしれねえな。そんなことを考えるわけよ」

吉沢の話は分からないまでもなかった。初対面の男にも気さくに話す(という表現をすれば好意的だ。ざっくばらんとでも言えばいいのだろうか)、焼き飯を食べているこの男に少なからず興味を持った。

石田は気を赦すべきか迷い、吉沢が日本を離れてどれくらいなのかを聞いてみようと思った。

「あ、あの、その、ヨシザワさんは、タイはけっこう長いんですか」

吉沢は日本のそれより甘く感じるぬるいコーラを一飲みし、ゲップをした。
隣の席の白人グループが驚いたような顔つきで吉沢をまじまじと見つめた。

「俺がタイは長いかだってかい。俺は去年の12月からタイにいるな。けっこうこのあたりじゃ珍しいらしいぜ、そういうのは。大抵の旅行者が10日ぐらいでバンコクから離れるなんて同じ宿の奴が話していたな。そいつはタイの後にベトナムに行って、今度はインドに行くんで、ここに戻ってきたら俺がいたもんだから驚いていたよ。『えー、まだいたんですか?』って。やっぱそういうのは少ないんだろうな。

でもよ、みんなが言うほど島とか遺跡に興味があるわけでもないし冒険なんて求めちゃいないんだよ。タイに来たもの物価が安くて夏みたいな国だって理由だしな。ただ、このバンコク自体が俺にとっては祭りみたいなもんなんだな。ヤワラーなんていう場所は元々は盗賊が盗品を売っていたっていうぜ。笑い話か本気なのか分かんなくなっちまうよ。で、アンタはどうなんだい?」

「僕は・・・、僕はある意味、タイじゃないとダメな理由があってんです」

石田がうつむき加減に答えた。吉沢の顔がパッと明るくなって目が輝いた。

「おっ、なんだい、なんだい、アンタもおとなしそうに見えてけっこうやり手だねぇ。コレだろコレ」
吉沢が小指を立てる仕草をした。

「ち、違いますよ。そんな女の子じゃないですよ。もっと別の理由ですよ」

「へーそうかい。まあ、いいや。それで、なんでタイに来たんだい?」

石田がシンハビールを飲み干して追加した。 シンハ、ヌン、カップ。

「なんか、タイの文字って面白くないですか。」

石田は、舌の上で長い時間持て余して舐めていた飴玉を吐き出すような口調でそう言った。それはいままで話すタイミングを待っていた感じの何度も反芻を繰り返された上で出た言葉のようだった。

石田の言葉が慎重だったので、吉沢は少しばかり気にした。
なんだ、タイの文字って?堅物の学者さん気質かね、こりゃ。

しかし、持ち前の調子のよさもあって、吉沢はテーブルの上に置いてある新聞紙の切れ端(恐らくは何かを包むようだろう)を摘まみ、適当に思ったことを口にした。

「そういえばこれってミミズみたいだな。よくこんなの読めるよ」

そして、石田を爪先からてっぺんまでわざと見回して、吉沢が続けた。
「で、さっきもタイ語で註文とかしてたけど、言語なんかを勉強しているわけかい。学生さんには見えないけどな。」

石田は笑った。

「いや、僕は言語には興味なんてないですよ。28歳ですし。タイ語なんてこっちに来てから身振り手振りで覚えただけですから。ただ僕は日本以外の・・・、いや、違うな、正確に言うと西洋文化以外の国に旅に出るべくして出たというところですよ」

モイットがビールを持ってくる。亜熱帯の空気にさらされて瓶についた氷が雪化粧のように輝いている。石田は一口飲んだ。

「じつは僕は日本で勤めている間、ずーっと企業の発注を受けて、システム会社でデータベースを作成していたんですね。まあ、そういったデータベースを利用する会社が出初めだった時期だから仕事も好調で、給料も同年代のサラリーマンに比べたらいいほうだったんですよ。仕事の環境も自由があって、上下関係もないので、忙しいながらやり甲斐があって。だから残業ばっかりでお金を使う機会がまるでなくて、一月分の給料をまるまる手につけない、そんなのの連続でした。

それが1年以上続いて、時々学生時代のクラスメイトと温泉に行ったりして息抜きしていたんですけど、ある日ですね、こういうの何て言うのかな。医者が言うには妄想型の総合失調症という病名らしいんですが、これは、妄想が中心症状となる病型なんですよ。

数字ってあるじゃないですか、それが突然怖くなっちゃったんですよ。どういう意味か分からないですよね。僕を取り囲む世界中がゼロに囲まれているんですよ。ゼロはインドで発明されたらしいですよね、ご存知ですか?そう、例えばヨシザワさんが飲んでいるそのコーラはコカコーラボトリングのコーラですよね。すると<ここにはコーラが1本ある>と言えるわけですよ。ところがペプシはないですよね。だからここにはペプシがゼロ本あるんですね。

世界はゼロという不在に囲まれているんですよ。僕が乗っていた満員電車にはゼロだらけでした。僕は1時間ばかり乗らなくちゃいけない通勤電車で、<電車の中には、なにがゼロ個あるか>とずーっと見つけたりしていました。椰子の木がゼロ、富士山がゼロ、サキシマスベトカゲがゼロ匹・・・、そんなことを考えたら気が狂いそうになり、それで、しばらくそういうのを考えるのをやめたんですけど、今度は気がついてしまったんですね。ゼロがたくさん作れることを。

いや、正確にはゼロじゃないんですけど。数字には+と-がありますよね。+は昼の世界を支配する数字で-は夜の世界を支配する数字なんですね。それが惹きつけあうとゼロになるんですよ。+7と-7がくっつくと、彼らはゼロになるんですよ。昼と夜とはそれぞれが本来ならお互い警戒する筈なのですが、ゼロになるべくして、つまり不在の数字に到達を願う時に彼らは惹きつけ合おうとするんですね。つまり、昼の時間と夜の時間が交わる、昼でもない夜でもない場所がゼロなんですね。

0時っていうからあーなるほどと思ってしまって。そういうのを考えたら0という数字が恐ろしくなったんですよ。ゼロってなんだ?って。どうして0っていう数字があるんだと。だって0という数字は他の数字とも結び付けられない孤独な申し子なんですよ。哀れみの対象。

そして世界はゼロでいっぱいなんですよ。我々はゼロに埋め尽くされようとしているんです。それを考えてしまったら、0という数字が怖くなったんですよ。

ゼロって何ですか。僕にはゼロというものがまだ分からないのです。でもですね、日本を離れてタイに来たら、その気持ちも薄れました。あんまり考えないようになったんですよ。タイという国に感謝しています。ゼロという数字を見るのだけはまだ出来ないのですが。僕はタイで極力可能な限り、数字を見ないようにしているんですよ。ここはアラビア数字を頻繁に使用しないですからね。ゼロに囲まれずに済むんですよ」

吉沢は何を伝えればいいか言葉が出てこなかった。石田の顔が真剣に見えたからだ。

それと同時にこの男が何を言っているのか理解ができなかった。

昼の世界と夜の世界にゼロがいっぱい?

コイツはどうかしているんじゃないか。そして、次第にそんな話があってたまるかという気持ちが強くなった。へー、そんなに言うんじゃ、ちょっと試してみようぜ。ペンを借りてきてやるよ。

「ちょ、ちょっと勘弁してくださいよ。僕は本気なんですから」

「そうかいそうかい。まあ、冗談だよ。昔っから饅頭怖いって話もあったしな。なんていうか、人それぞれだよなぁ。いろんな理由でタイに訪れるんだなぁ、みんな。いままでタイで聞いた話で一番面白かったぜ、マジで。なんか勉強になったよ。ユキオさんだっけか、俺はまだまだバンコクにいるつもりだから、また飯でも食おうぜ、な。」

「はい、そうですね。僕は明日もここできっとビールを飲んでいますよ」
最後に石田は自嘲的に会話をまとめた。

翌日、吉沢はモイットの屋台に向かった。昨日と変わらないむぉんとした亜熱帯独特のねっとりと肌にまとわりつく濃厚な空気が流れている。果物が腐ったような熟した匂いを漂わせて、店の軒先から海賊版のカセットテープが大音量で流れている。いつものカオサンロードだ。

石田はやはりモイットの店でビールを飲んでのんびりと座っていた。
その姿を確認して吉沢は意地悪そうにニヤついた。

「ちょっとさ、俺につきあってよ。さっき見つけたんだけど、珍しいのみつけたぜ。ビールの1本ぐらいなら俺が奢るからさ」

石田は何も考えずに、ああ、いいですよとコクンと頷き吉沢についていった。
警察署を抜けて偽学生証の屋台の角を曲がり、吉沢は手ごろな場所を見つけた。ちょっとさ、この先にある屋台で俺の分と一緒にビール買ってきてくれないかな。金は俺が払うよ。

石田の姿が見えなくなると、吉沢は自分のザックから昨日の夕方に購入したある物を取り出した。

吉沢はニヤニヤ笑っている。
ふん、数字が怖いだと?ばか言ってんじゃねえよ。下らない話をしやがって。

石田が手にシンハを持って現われた。寝ぼけた平和そうな顔をしているな、俺を騙して担いぐなんて百年早いぜ。吉沢は心の中で呟いて嗤った。

「ヨシザワさん、ビール買って・・・」

そのあとの言葉を続けずに石田の顔が引き攣った。顎ががくがくと揺れている。
吉沢が冗談のつもりで起こした行動を石田は眺めた。

そして次の瞬間、身体を小刻みに震わせ自分の髪の毛を掻き毟り両手で押さえ、石田が絶叫した。絶望そのものという声だった。

ビール瓶が乾いた音を響かせて地面で割れた。

「ギャ、ギャァァーー」

「お、おい、ちょっと待てよ」

石田は気が狂ったように錯乱して、人ごみの中に消えてしまった。普段は無関心を装っている宿の入り口で時間を潰している旅人もその声に驚いて、様子を見に現われた。

吉沢は手にスプレーを持ったまま動けない。石田の悲しそうな、そして、どん底の恐怖に包まれた怯えた瞳が彼を捉えて離さなかった。

そんな瞳を見たのは初めてだった。同時に、彼は一生その瞳を忘れることができないだろう事実に気がついた。

しばらくして、救急車とパトカーのサイレンが近くで響いた。何の為の音か、確認するまでもなかった。後日、一人の日本人の旅行者がカオサンロード沿いの道路で跳ねられて死んだのを吉沢は知った。

*
*

さて、今でもあるだろうか、カオサンロードの真ん中にD&Dという、このあたりじゃ高級な部類の(といっても、部屋に冷房があるという意味だが)宿があって、その横に小さな薬局がある。

薬局では日本の薬事法に引っ掛かることのないさまざまな薬が販売されている。ハルシオンや痩せ薬など。

そして薬局の横の小さな路地を通り抜けると、突き当たりに皮細工の店があって、グリーンハウスというゲストハウスへと続く。その路地裏の壁に急いでスプレーを吹きつけたような筆跡で「123000456」と真っ赤なペンキで描かれているのが。

誰がその数字を描いたのかは、多分、誰も知らない。ただ、1994年の2月に忽然と現われて、私はその壁をたしかに確認したのだ。

さあ、冒頭でも言ったように、あとのことはみんなに任せよう。

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