2006年02月28日

鰻屋の消失

まだ1980年にも満たない頃(こうやって書くとどうも前史的な響きがあるけれど、僕はもう6歳ぐらいにもなる。やれやれ)、四谷左門町に「うな浜」という鰻屋があった。

魚屋の「魚竹」の真向かいに位置する平屋姿の鰻屋さんだ。

太陽がよく照らされる窓から、香ばしい、炭で焼かれた鰻の香りがいつも天高く伸びていて、土曜日や日曜日に近所だったことから足を伸ばして食べに連れて行ってもらった。

畳のある座敷があって、下町らしい路地を眺めながら鰻を食べた記憶がある。

その後「うな浜」は、荒木町に移転した。

荒木町に移転しても、同じように香ばしい煙を天高く巻き上げて、毎日賑わっていたようだ。

僕は荒木町に移ってからの「うな浜」は大学を過ぎてからしか食べたことがないけれど、十年以上も時を経て久しぶりに訪れ、変わらないその活気ぶりに目を細めたものだ。

安い値段と丁寧に焼き上げた鰻が魅力的な店である。

荒木町に相応しい鰻屋、そんな風な佇まいだった。

だんだんと大人になるにつれお酒を酌むようになると、荒木町は非常に居心地の良い街として僕のなかで存在するようになった。

ゆったりとした時間の流れと静かでありながら、決して陰気ではなく華やかさもある。かつて花街だったというのが頷ける。要するに粋(いき)でいなせな街なのだ。

街のいたるところに猫が潜んでいるのも素敵なのだ。

四谷は猫の多い町としても実は有名である。

ほんと、とてもじゃないが、荒木町の居心地のよさや、一軒一軒の個性的な店柄、隠れた名店を知ってしまうと、渋谷や新宿や銀座に足を運ぶなんて思わなくなる。

さて、前述した「うな浜」だが、残念ながらに2006年2月24日にその歴史を閉じた。

古い趣に溢れた、およそ新宿区とは思えないその鬱蒼とした由緒ある雰囲気がいまとなっては非常に懐かしい。

「うな浜」で鰻を食べるという行為には、『よーし、今日は鰻だからな』という熱気があった。

お店の中もバブル前の活気があった時代から受け継がれたシンボルのようで、僕らの心の拠りどころだったのだ。

昨晩、なんとなく気になり、店の前を通ったのだが、真っ暗な入り口があるだけで、当たり前だけどもう煙が立ち込めることはなかった。

一瞬、何かが僕自身を捉え、小さく揺さぶった。

かつて何処かで同じような気持ちになったことがあったのを思い出したけど、それが何処でどんな時なのか思い出せなかった。

たぶん、何かを失い、なんとなく寂しくなったことがあったのだろう。

ただそれだけだ。

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投稿者 ko : 2006年02月28日 19:19 | トラックバック(0)
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