今日は2月3日、すなわち節分である。
節分といえば豆まきで、小学校6年生になるまでは節分が待ち遠しくてたまらなかった。
家の近所にある神社で豆まきが行なわれるからだ。豆だけでなくミカンや飴玉やチョコレートやおかきが神社の高い境内から「鬼はーそと、福はーうち」と投げられ、それを子供たちがキャッキャと袋をもって掴むのが、この日だった。
昭和60年代のお話だから、豊かになりすぎたとまでは言わないけれど、やはり飴玉ひとつを貰って喜べる世代でもなかった。
それでも僕らが昂奮したのは、境内から投げられるお菓子の数々を自らの手で掴み取れたときのささやかな満足感からだった。僕らにとって、飴玉は飴玉にすぎることはなく、ミカンは特別なミカンだった。
それはいわば戦利品に近かった。
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吉野の蔵王堂で有名なのが、「鬼もーうち」と鬼も迎える節分の行事。
僕の亡くなった祖父は、この「鬼もうち」の逸話を非常に気に入っていて、小さい頃よく話を聞かされた。
実は僕の母方の家は5代ぐらい続く医者で、祖父の医院には幼い子にはショッキングな不気味なものがたくさんあった。
6歳ぐらいまで生活していた祖父の家は明治時代に建てられた洋館だったため、なおのこと怖くて仕方が無かった。
「鬼もうち」と聞かされてから、医院に続く長い廊下の先に真っ赤な鬼が立っているんじゃないかとドキドキしたものだった。
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大きくなった僕は、祖父とおなじくらいにこの「鬼もうち」という話が好きだ。
豪気な懐具合が気持ちいい。
祖父が亡くなったいま、医院の庭には石碑が建てられていて、その石碑の横には「鬼もうち」とも彫られている。
寒い夜空のした震えている鬼達が「こっちは鬼もうちだよ」と喜んでいる姿が想像できる。
鬼だってきっと赦しが得られるのだろう。