高校1年の冬休み、近所でチャリ通ができるという理由から新宿アルタ裏の三平ストアでバイトしていた。
三平ストアの1階は、今はゲーセンになっているけど、当時はそこのフロアは電気屋さんで、僕はウォークマンとステレオの売り場を任されていた。自前のCDやカセットテープを聞き流して適当に商品説明をするだけだったので、かなりラクチンな仕事だ。
おまけに在庫過多のヘッドフォンとかウォークマンを倉庫でもらえたので、サイドビジネスの裾野も広い職場であった。冬休みが終わると、学校帰りの放課後にアバウトに働いて、2年生に進級する春休みまで続けた。
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朝から出勤する日は、13時以降に1時間昼休憩が貰えた。
三平ストア内の食堂(一般には公開されていない)は、スラム街の炊き出し場みたいに薄汚れていて、カルカッタの貧民窟のごときに貧乏臭かったので、青二才の自分は怖くなり、1度きり食べただけで行かなくなった。
目の前が桂花ラーメンだったから、ラーメンを啜るか、靖国通りまで行って牛丼をしばくかのどちらかで済ませた。
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1991年3月26日、その日の僕の昼ごはんは、そぼろが詰まった手作りのお弁当だった。
近くを通った歌舞伎町のホステスが「バイク事故で亡くなった弟にそっくりだわ」と目を潤ませて僕にお弁当を作ってくれたというのはもちろんウソで、実際には地元の友達宅に泊まった際に「明日、アルバイトなの」と言ったらおばさんが用意してくれたのである。
申し訳ないので一応断ったが、自分の息子(要は僕の友達)も明日アルバイトでお弁当を作るから問題ないとのことだから、そのお言葉に甘えた。
そして、朝になってお弁当を手渡された時に、すっかり忘れていた事実を思い出した。
「あーっ、やべっ、今日、M.C.ハマーのコンサートじゃん」
僕は当時から自分のことを黒人の生まれ変わりだと信じて疑っていなかった純粋なニグロだったので、HipHopでは初の東京ドームコンサートに参戦しなかったら死んでも死に切れないというのもウソで、ただ単純に級友からコンサートチケットを貰ったので行ったのであった(そもそもハマーなんて「U Can't Touch This」の1曲しか知らない)。
級友のお父さんは、芸能ビジネスみたいのをしている怪しい人物で、アルフィーから年賀状が届いたり、駆け出しのアイドルに住まいを用意してあげて時折自分もそこで寝泊りをしている人だった。そのお父さんがアリーナ寄りのチケットをたくさん抱えているから、僕らにくれたのだ。
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水道橋駅で降りた東京ドームの周りには独特のファッションの人たちが列を成していた。
ラッツ&スターみたいに日焼けしているお姉さんや、金のネックレスをしてダボダボの背広をキメているお兄さん。
一瞬、新手のダフ屋かと思ったけど、どうやらハマーを意識した上での格好らしい。
どう考えてもその場にいる客のうちで最年少に位置する僕らは面食らって、勝手にダボダボ背広兄さんと握手したりしてハシャいでしまった。東京ドームは熱気が渦巻いていた。
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エントランスのお姉さんにチケットをもぎってもらい、イヤッホゥと声にならない声で叫んで<さあ、いよいよいざ出陣!>と中に進もうとすると、もう一度お姉さんに止められた。
「大きい鞄をお持ちの方は鞄を開けてもらえますか?」
有無を言わさない闘志の炎がお姉さんの瞳で静かに燃えていた。
<メンドくせーな、もう>という表情で級友がさっさと鞄を開けてクリアし、もう一人の友人もクリアし、僕の番になった。
僕の顔は曇っていた。中には食った後のそぼろ弁当箱がバンダナに包まれている。
見つかりませんようにとドキドキしながら僕は鞄を開けた。
ところが、さすがお姉さん。コンマ1秒でそれを見つけた。
まあ、ジャンプと弁当箱しか入っていないので見つけられないほうがどうかしているわけだけど。
お姉さんは試合前の猪木みたいな顔つきで<してやったり>とご満悦に僕を攻めた。
「このバンダナの中身は何かな?」
僕はあけるのを躊躇した。何度もいうが中に詰まっているのはソニー製のウォークマンでもなんでもなく、食った後のそぼろ弁当だ。
そぼろ弁当とHipHop。
普段なら決して交わることのない組み合わせだ。場違いにもほどがある。
弁当箱持って今日のコンサートに来たオーディエンスがいるのだろうか。多分、いないだろう。
「ハマーにあげようと思って」も通じない。だって三平で食っちゃったんだから。ギャグをすっ飛ばして切ない空気が流れてしまいそうだ。
でも、この状況で級友のお父さんの権力をちらつかせるのもマズイし、効き目もなさげだ。
僕はすごすごとバンダナの結び目をほどいて中身を見せた。
お姉さんは僕に問いただした。
「これ、カメラ?」
「いえ、これはカメラとかじゃなくて、弁当箱です」
お姉さんの闘志の炎はすっかり消化し、笑い茸を食べた人の目に変わっていた。
僕は、まだハマーのことを好きになれない。