1月19日に祖母が亡くなったので、田舎に4日ばかり帰省していた。
僕はおばあちゃん子の甘ったれニグロ坊やだから、25メートルのプール一杯分ぐらい泣いた。従姉妹達もわんわん泣いた。みんな焦燥して、おばあちゃんの思い出話をして、楽しく笑って、やっぱり泣いた。
あんまり思い出すと、また涙が出てくるので我慢するけど、寂しくて悲しい。
僕の田舎は山梨県内で幾分と内陸に位置するから、東京と比べると特殊な慣わしや風習が残っていた。おじいちゃんの時の葬式で知っていたはずなのに少々面食らったりしたので、少し記したい。
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この地域では、葬式を出す時は、<組>という明治以前からの互助会のような組織が機能して、<組>の執り行いのもとに運営されていく。<組>はおよそ半径五百米のエリアの家々が属して、交代制の組長がいて、組長を筆頭に組員が葬儀の日などには近親者のサポートをしてくれる。
諸々の用意などを全て助けてくれるのだ。
逆をいえば、<組>を除外しての葬式というのは在りえないこととなる。<組>を経由して運営しない葬式を出すのは、想像でしかないが、さぞや恐ろしいこととなるのだろう。
<組>の衆の人数は一定であり、増減することはない。大体が10人~18人程度、だそうだ。
彼らは家族の代わりに弔問客にお茶を出してくれたり、葬式の受付をしてくれたりする。
だから葬儀場には近親者・僧侶とは別に<組>の方の控え室が用意されている。それぐらい重要な組織なのだ。
もちろん<組>の方々には幾ばくかの志しとして、通常は商品券3千円程をお渡しする。
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独特の慣わしのひとつが、故人とのお別れの場面にあった。故人を棺に納める儀式(納棺)では、おばあちゃんの顔や身体を白い和紙で拭いてあげた。
たぶん、これは湯灌を模したものであると思う。
僕はずっと我慢していたけど、おばあちゃんが作ってくれた山菜おこわや夏休みの朝に手を繋いで一緒に散歩したのとかを思い出して、そしていよいよお別れなんだと思うと、この時に咳を切ったように嗚咽した。
もう我慢ができなくて涙がポロポロ出た。
2つ下の従姉妹が僕を励ましハンカチをくれた。彼女の目も真っ赤に腫れていて涙が流れていた。
棺に納めた後にお上人様 (おしょうにんさま)がお題目を唱える。現世の者が現世に留まるように、準備された荒縄を個々が黙々と腰に巻く。
合掌する。
そうやって長い一日の始まりがスタートした。
2009年の9月に福島県の葬儀の際に、記載のような「準備された荒縄を個々が黙々と腰に巻く。」ことが風習として残っています。
なぜ、が気になっていました。
「現世の者が現世に留まるように、」と理由が記載あります。なるほどと思う反面、その事実はどこかに伝わった書物とか、根拠があると嬉しいのですが。
福島県では「この荒縄」は結び目は十文字でないといけません。
何か由来があると思われるのですが
どもです。僕の田舎は山梨なのですが、結び目までは記憶にないです。「現世の者が現世に留まるように」とはたしか組のひとが言っていたような気がします。文化人類系の書物などあれば出典したいのですが、現時点ではおもいあたりません。それにしても山梨の限られた場所だけではない風習というのには大変驚きました。