<Macutie>や<60%Water> の日記にエントリがすでにあるように、先週の金曜、錦糸町の「阿房山」という、駅から微妙に距離があるので初めて行く人は必ず「これって道が合っているのかな?」と不安になりそうな店(といっても8分くらい。店の雰囲気よしで、しかも歩いて辿り着くだけの旨さがある)で新年会が催された。
ほんとは忘年会で顔をあわせているはずだった面々との久々の再会。年末はピンキーストリートに余念がなくて参加できない人がいたり、網走に出張で仕事に行く人が準備で忙しかったりしたから、予定がイマイチ組み込めなく、新年会にスライドしたのだ。
ところで、こういった忘年会や新年会という暦上の代表的呑み会─年末年始の誰もが馴染み深いレギュラーイベント─に漂う空気というのは、一種独特の赴きがあると前々から思っていた。
たかだか10日か2週間程度の時間を隔たるだけなのに、その2つのイベントの雰囲気がおよそ考えうる限りガラリと性質を変えるのは、なんだかすごいんじゃないだろうか。
12月31日→1月1日も同様で、大晦日に流れる厳かな締めの空気や今年1年をまとめるケジメ的な感覚、そしてせわしない歳末の雰囲気が、たった翌日で、一気にめでたくなって、まるで肩の荷が降りたように晴れやかに弛緩して、皆がそろって「おめでとうございます」と挨拶する急激な変化は見ごたえがある。
年末年始なんて24時間内に行われる<時間経過>で人々の心情が一瞬にして変化するのだ。こんなのって1年365日のうちに2日間だけしかない。
忘年会と新年会は、たとえ同じメンバーで集まっても、その場が持つムードは違うのだ。それも下手したら先々週に会ったメンバーとかなのに。
なんというか、こういうのを考えると<区切り>というのは、たとえ便宜上にカレンダーの上でつかめる表象的なものであったとしても大切だなぁなんて思ったりもする。
もしこれが仮に、<暑い><寒い><雨がよく降る><晴れ><曇り>などの断続的な現象を捉えて生活していたら ひどく曖昧になって疲れちゃうんじゃないかと思う。淀みなく流れゆく時間にだって<リセット>が必要なのだ。それが便宜上であったとしても。
そういうことで新年会@錦糸町。
集まったのは新旧のおでんメンバー。
黒の木材が基調のシックなお店の2階にある座敷に陣取る。
仕事が立て込んだりで、吉野家さんが遅くに到着だったけれど、美味しく楽しく和やかに進み、「この唐揚げマジうめぇ」とか「10万のお手当て貰ってオヤジと食事をするのは果たして正しのだろうか」など話題も豊富なあっという間の4時間半。
カメラを持ち合わせていなかったのが残念。錦糸町のヨドバシカメラで使い捨てカメラを買っとけばよかったと今になって気がつく。
そして10万円のお手当て貰えば食事だけでは済まないだろうという予感も今になってよぎる。
絶対にオヤジが考えているのは、お得なセットがばっちり揃った<コミコミ・プラン>だって。
創作中華 阿房山
墨田区亀沢4-16-17
月~土 11:30~14:00(L.O.)
17:00~23:00(L.O.)
日・祝 11:30~23:00(L.O.)
─詳細─
なまなましくて (;´Д`)ゲロゲロ
世の中すんごいおっさんがいるもんだと改めて驚きました。