暴力はある日突然に何の前触れの音を立てずに静かに訪れて、そして突然と襲う。
僕は神仏に仕える者ではないので、決して胸を張れないとしても、運命についてとか<生と死>の境界線について、しばし考える。日常生活においてそのようなことを考える機会は、さほどあるわけではない。
もちろん、ある種の例外をのぞけば。
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インドのバラナシ(ガンジス川)のほとりにあるガンガを眺められる安宿では、いろんなことを考えた。ベランダから見える風景には、ガートと呼ばれる火葬場で、毎日、死体が焼かれ煙が立ち上る姿が絶えることがなかった。「今日も死体が焼かれているんだな」とぼんやりと想い、川に漂流する水死体を見つめていた。
こういった光景が日常生活に蔓延すると、人という存在は、その者の決定心を超えられることなく終焉に向かって一歩一歩を踏み出すに過ぎないのかもしれないと、思うようになったりもした。
ガンジスでは、ある種の感覚が麻痺するけれども、ある種の感覚は研ぎ澄まされてゆくという、じつに奇妙な体験をした。
生と死が絶対的に並列で剥き出しになっている場所である。
そのような特異な場所ではないにしろ、やはり生と死は我々の身近に存在し、きっと我々が忘れたころに、突然の不吉な災いのように襲い掛かる。誰にも防ぐことが出来ない"それ"は、圧倒的な暴力で我々を襲い、誰かを悲しませたりする。
突発的な事故と呼んでもいいかもしれない。
人生にはごく稀にそういったことが、たびたび起きる。