2007年05月14日

日記の閉鎖性について

日々の出来事の記録を時系列に書き綴る<日記>というスタイルが古くは紫式部が活躍していた時代より親しまれていた我が国では、<日記>を書く行為そのものに、偉大な作業であるような付加価値が与えられて、達成感溢れる建設的な行為と見なされたりすることが多々ある。

逆を言えば、<365日、日記を書く>という類の今年の抱負ともいえる宣言は、「あけましておめでとう」と言うか言わないかの束の間に燃え盛る一抹の気持ちであり、<禁煙>と同じくらいに三日坊主のトップランカーとして、君臨している。

それだけに日記を書き続けている人は畏怖され尊敬されているのかもしれない。

紙媒体に限らず、インターネットが出てきた当初から、HTMLを使ってWeb上で日記を公開する人々が増えたのは周知の事実で、cgiで動く掲示板形式などが流行った直後は、簡単に時系列でまとめることが出来るWeblog形式が現在の主流となった。

そして、通称ブログと呼ばれるWebブラウザ上で簡単に更新可能なサイトの更新者をブロガーと呼んでいる。web2.0を強く意識させるWeblogの人口比率はダントツぶっちぎりで日本がトップで、40%のシェアを誇るらしい。

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<日記>という文筆スタイルは最もプライバシーが尊重される書き物であると個人的に考えているので、公開が前提となるWebでの記録は僕のなかでは考えられない。他者の存在を強く意識する以上、ブログから生み出される文章の数々というのは客観性に富んでいないくてはいけない、これが持論だ。

僕自身、<日記>をまともに書いたことがないので(そのくせに、このブログはダイアリーのカテゴリにある)、このWeblogにある多くのエントリは時系列を主眼にして取り扱うとまるで役に立たないシロモノである。これはブログを<日記>にしたくないという僕のスタンスによる。

さて、ミクシィしかりブログしかり、プライバシー性という観点では配慮が少ない形式がメインストームになると、<日記>は酷く疲れるんじゃないだろうか。そんな心配を最近している。

いつでも他者の視線がある。ということは、倫理が求められ、もっといえば社会性が問われる。つまりは、うっかり社会に馴染まないエントリを書くと炎上したりする。

<日記>はもっと閉鎖性があり、プライバシーが尊ばれ、自分が自分であることを吐露できる場所であり、そして<日記>を通じて、自分自身を自分だけが再認識できる場所であるべきだと思う。

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投稿者 ko : 2007年05月14日 19:19 | トラックバック(0)
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