日本の、特に東京で生活していると、非常に耳障りというか、だいぶ余計なお世話なんじゃないかと思えるのが電車のアナウンスである。
私鉄・JRとも、それぞれ酷いレベルで、正直おせっかいとしか思えない様相だ。
そのなかでも実に醜悪なのが、東京メトロ。もう五月蝿いったらありゃしない。
そんなに注意やお願いをされないと東京ライフを送っている者は行儀が悪くなるとでもでも言うのだろうかと勘ぐりたくもなる。若しくは、東京メトロでは、それぐらい注視しないとダメだという観点から電車に乗りあわせている人間を低く評価しているのか。
東京メトロのいつまでもしつこいアナウンスこそ止めて、車内美化に協力してもらいたいところである。
個人的には他の国で時折見受けられるように〝次の駅が何処のなんて駅か知らせない〟レベルまで到達するべきとは思っていない。
年配の方や身体的理由で次の駅が何処なのか分からない乗客に対し、配慮は必要と考えている。
でも、どうだろう、雑誌を読む時は小さくするなどしてお読みください、なんていうアナウンスは。
ナンセンスというか余計なお世話というべきじゃないのか。
そのアナウンスのどの部分に効果があって、あるいは効果が期待できて、また必要性があるのか知りたい。僕としては全くそのアナウンスが無くとも日常生活、そして電車内での乗員のマナーに変化は訪れないと確信している。
ちなみに以下が、東西線「東陽町」~丸の内線「四谷三丁目」間の垂れ流されるアナウンスである。携帯電話に対する注意などは片道で3回ぐらい発令される始末だ。
・「まもなく電車が到着します。危険ですから白線の内側までお下がりください」・「ドアが閉まりますご注意ください」
・「優先席付近では携帯電話の電源をお切りになられるか、マナーモードに設定されるなどして、周りの方に迷惑掛からぬようお願い致します」
・「この先カーブが続きます。ご注意ください」
・「優先席を必要とされるお客様がいらっしゃいましたらお譲りください」
・「お読みになられた雑誌や新聞は網棚に置かず、ご自宅までお持ち帰りください。車内美化にご協力ください」
・「車内大変混み合っています。7人掛けの席は6人でお座りになられないようお客様同士でお譲りください。」
・「東京metroではテロ対策の強化を行っております。車内で不審なモノや不審な人物を見掛けましたら巡回する係員までご報告ください」
・「車内大変混み合っております吊革につかまるなど、車内整理にご協力ください」
・「右側の扉が開きます。順序良くお並びくださいますようよろしくお願い致します」
・「混雑中は、雑誌や新聞をお読みになられる時は小さく折りたたむようお願い致します。また、ウォークマンをお聞きになられる時は音量を小さくして聞くなど周りの方にご迷惑掛からぬよう、ご協力お願い致します」
それ以外にも、耳からの情報ではなく、視覚からの情報でも、いたるところに「扉にご注意ください」などもある。これもまた、僕としては、だからどうしたのだろう?と首を傾げる部分でもある。
扉にご注意くださいという、その扉に貼ってあるシールにどれだけの人間が「ハッ、注意しないと!」と襟を正すというのだろうか。
不特定多数の人間が流動している都会では、閉ざされたコミュニティと比較したら、確かに見ず知らずの人間とすれ違うわけであるから、電車内という特定の環境に身を置く以上、そこに規範は必要で、また規範があるからこそ、例え会話が発生しないともコミュニケーションの円滑が図られるのである。
もしそのような規範こそが崩れてしまったら、都会に代表される不特定多数の人間が集まるコミュニティは根本から崩れていくに違いない。
そして、その「規範」といいものの発生状況が問題なのだ。「規範」は、けっして車内アナウンスで流れるかの如く外部的理念から人々の心に定着されるものじゃない。それはきっと、昔から人々が当たり前のように持つ〝優しさ〟のようなもので、小さい芽が春になるとやがて花を咲かせるように、心の奥底から沸沸と湧き出すものなんじゃないだろうか。