2007年09月10日

男子のこだわり

久々に渋谷のセンター街を歩いてみたら、結構な割合で女子同士が手を繋いで歩いているのを目撃した。女子高生・コギャル・ガイジンとジャンルの棲み分け関係なくお手手を繋いで歩いているのだ。いまに始まったわけでもないこの現象も世の中にだいぶ定着してきた。

いわずと知れたことを敢えて書くと、手を繋いでいる女子は決してレズビアンではない、たぶん。

友愛(むしろ友情)の延長線上にある行為として顕れたスキンシップがそれであり、どちらか一方の女子が「この子の乳を揉みたいわ」とか思っているわけではなさそうだ。

これが男子同士となると多種多様のおバカさんの坩堝と言われている渋谷ですら手を繋いでいる光景に出くわしたことがない。

きっと夜の2丁目あたりでしか目撃されないのだろう。僕も仲のいいダチと一緒に街をぶらつくことはあっても手を繋ぐことにはならない。

どうして男子同士が手を繋がないのか?

大体の男子諸君であれば経験しているだろうが、小学生の頃は頻繁に同級生(←野郎)と手を繋いで学校から帰ったものだ。別に違和感とかなかった。友達だから手を繋いで帰るという当たり前の行為だった。もし2丁目に隣接している四谷ならではの風習だとしたらちょっと恥ずかしいが、とにかく小学5年までは手を繋いで歩いたこと明確に憶えている。

いつのまにやら繋がらなくなった。というか、6年になったら、なんとなく恥ずかしいなと思いつつ繋がないようになったのだ。

どうして5年で繋いで6年で繋がなかったか明確に憶えているのかというと、僕の小学校は6年生の時に仮校舎になり、過去5年で通っていた通学路と正反対になったから忘れようがないのだ。家を出て12秒の道を小学5年までは右に折れていたのが6年で左に折れたのである。

6年生という時期を境目にしているのが何を意味しているのか調べようがないけれど、男子の場合は自意識が確立されるようになるに連れて繋がなくなるのだろうか。もしくは社会性に対してより拘るのが男子なのかもしれない。

しかしながら、この男子で手を繋ぐ行為、ある外国の地域ではごく一般的に見受けられる。

サンフランシスコと言いたい所だが、そうではなくて、タイより西のアジアや中東では成人男子同士も仲良く手を繋ぐ。

これを目撃した当初は「やっべーな、ホモだらけかよ」とお尻を身構えた。

でもそれは早とちりだったようで、インドやバングラディッシュでは、本当に仲のいい友達同士は手を繋いで普通に歩いている。

クルタ姿の髭モジャ軍団が手を繋いでいる光景は見慣れるまでなんとなく異様ではあるけれど、僕も何度かインドの路上でインド人と手を繋いで歩いた。

ガイドブックに拠れば<友情の印>と載っているのでそれを信じるしかなかったのだ。「ゴメン手をつなげない」と言ってインド人を傷つけるのは何となく気が引けるし。ゲストハウスで会った旅人達も僕と同じような経験をしていたから安心した。

それでも、なんというか、ニューデリーの路地裏を会って間もない人懐こいインド人と手を繋いで歩くのは懐かしいような恥ずかしいような複雑な感じで、なんかこそばゆいものだった。

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投稿者 ko : 2007年09月10日 19:19 | トラックバック(0)
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