Gmailの招待権ってGoogleからメールが来るんじゃなくて受信ボックスの脇に「invite friends to Gmail」って表示されるのね。
言われなきゃ一生気がつかなかったかも。ただいま6人の招待が可能です。
GMAIL使いたいとか、@gmail.comに昂奮を覚えるという方がいらっしゃいましたら僕までメールをくださいまし。
リンクのページにアドレスがあります。ご招待しますわん。
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僕が通っていた明治学院大学は、いわゆるキリスト教系の大学で、大学の構内にもきちんとしたチャペルがあった。
日本におけるキリスト教の普及に随分と重要な足掛かりがあった学校のようで、中庭の近くにはヘボンの銅像も立っていた。ヘボンというのはヘボン式ローマ字を考案した事でも有名な人物だ。確か我が校で宣教していたとかそんなんじゃなかったかしら。
授業もこれまたその名に恥じない特化した講座ばかりで、1年生の段階で〝キリスト教概論〟があり、2年生になれば〝キリスト教専門〟があった。
これを取得しないと、どの学部の生徒だろうが卒業する事はできないという、げに恐ろしき授業であった。
ただでさえ怠慢かつ反抗的な学生がこんな眠たい授業を真剣に聞く様子もなく、大半がなんとかして切り抜けようと、虎視眈々と抜かりなく授業の出席回数を得る事のみに集中していた。
もちろん大学の基盤となる授業なだけに出席さえすれば単位が貰えるというわけでも無く、やれレポートだのやれ宿題だのとなにかと忙しかった。
僕はというと2年の専門の段階でバカバカしい気持ちになり、ピストルズを軸とした「アナーキー論」を展開してレポートを提出し、Cマイナーを貰った痛い思い出もある。
それでも幸か不幸か見た目ではそんなにもキリスト教丸出しの学校ではなかった。
キリスト教には2つの宗派があり、500年前のヨーロッパにまで溯るけど、当時、大きな宗教改革があり、従来のカソリックと呼ばれるものと新興的なプロテスタントの二派に分かれた。我が母校はプロテスタント。
その際に宗教の為に多くの血が流れるというまるで荒唐無稽な、現在も遠くイラクで起きている戦争に繋がる出来事があったわけだが、今日ではプロテスタントはどちらかというと見た目で判断する限り、そんなにイメージ的なキリスト教をしていない、というのが一般的な見解かと思う。
それでも毎年、12月のクリスマスの時期になると、いちょう並木の坂の途中にある礼拝堂が綺麗にクリスマス色にデコレーションされていた。
さすがにその姿は無宗教の自分でも溜息がでるほど眩かった。クリスマスにはチャペルでミサが行われ、聖歌がパイプオルガンから流れていた。
見渡すと蝋燭の灯りでステンドグラスが淡く照らされていた。
牧師の言葉が気持ちの良いせせらぎみたいに唱えられる中、パンとぶどう酒が配られた。
それは悪くない光景だった。
外は北風が何処からともなく吹き抜けとても寒いけど少なくとも礼拝堂の中は温かい荘厳的な何かに包まれていた。夢を見ているような遠い国にいるようなそんな気分になった。