2007年04月25日

ギャンブル中毒

これまでにずっと賭け事に無縁だった友人が突然とスロット(北斗の拳)に目覚めてしまって、最初のうちは4千円で4万円儲かったりして、それこそ僕も恩恵を授かり居酒屋をゴチってもらい、友人自身もPS3を購入したり潤っていたのに、最近(といっても、この2週間ほど)は、カスリもしなくなり、ついに貯金にまで手を出してしまったと連絡があった。

このブログで以前にエントリした通り、僕はパチスロやらパチンコに縁がなくて、高校1年の3学期に全財産のお年玉とバイト代を初めてプレイした新装開店で一瞬に使い切って泣いているので、それからは「二度とやるまいか」と固く決心して今日まで誓いを護っている。

試しに打ってみようとも考えたことがないが、同じような考え方で、しかもそんなに大きな買い物もしないし、派手な遊びも目立たない、金銭感覚がきちんとしているように見えた友人が「もうね、全然でない時は、千円が単なる一枚の紙に見えちゃうんだよね」と呟いた時にパチンコ中毒というか賭け事の底深いブラックな部分を垣間見たようでゾッとした。

十億円を現金で所持していて、しかもそれが全部千円札だったら100万枚になるので、もしかしたら千円札1枚摘んでも単なる紙にしか見えなくなってしまう可能性があるかもしれないが、少なくとも「ジュースが100円で売ってたよ。超ラッキー」という金銭感覚のもとで、<千円紙切れモード>は凄く危険だろうと思う。

そんなタガが外れるような、何かの一線をあっさり越えてしまうような遊びは実際に恐ろしいし、儲けようと思うのであればリスクが高いし、暇つぶしと捉えたとしても中身があるとは思えないので、個人的には、<君子危うきに近寄らず>、これに尽きると思う。

そう考えると、俗に言う<ビギナーズラック>が高校1年のその日に訪れずによかった。当時としては高い授業料であったが、当たってたらハマるだろうと分かる自分なだけに、結果としては正解だったかもしれない。

どうせギャンブルをするのなら、動物保護団体が眉をひそめるような毛皮を裸に纏って、金のネックレスと指輪をじゃらじゃらつけて、耳に100ドル札を差込み、周りにはゴージャスなパツキンギャルが取り巻き、ダイアモンドを埋め込んだジッポで僕がくわえる葉巻に火をつけようとしているラスベガスのポーカー会場というシチュエーションで賭け事をしたい。

ところでパチ中毒のみんなは大概にしてこんな言葉に耳を貸してくれないが、誰が放った言葉か知らないこのセリフを僕はいつも大事にしている。

「パチンコがギャンブルだと思っているのは客だけで、店はビジネスだと思っている」

最終的にどちらに軍配が上がるのかは、言うまでもないだろうと思う。

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投稿者 ko : 2007年04月25日 19:19 | トラックバック(0)
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