月曜の会社帰り、ふと鞄から携帯電話を取り出すと、中学校時代の同級生、麗子からの着信履歴が1件入っていたので、折り返し電話をした。
麗子も今日のことを憶えていたらしい。
「もしもし、俺だけど、久しぶりだな。どうした?」
一応、僕がそう訊ねると麗子は昔からの変わらないハスキーボイスで「今日、お線香あげにいくんでしょ」と言葉を続けた。
そう、5月15日は同級生の命日なのだ。
僕が20歳の時(もう10年以上も前の話になるのかと思うと、時々、薄ら寒くなる)、運命が翻弄する何かの加減によってこの世を去ってしまったその友人は、僕の同級生で、幼馴染で、言葉通り、無二の親友だった。
突然の友人のその死は、成人を迎えたばかりの僕らに大きな衝撃を与えた。
さすがに10年以上経ったいま、誰も憶えていないだろうと思っていたけれど、やはり幾人かの友人や同級生は忘れられないようだった。
「ああ、行くよ。おばちゃんにはよろしく伝えとくよ」
麗子にそう言うと、僕が駅へ向かうまでの暫くの間、僕らは電話を切らず、しばし、昔を懐かしんで話した。
僕らはまだ中学生で、やたらと長い名前の甘いカクテルをがぶ飲みしては酔っ払い、学校裏の公園で倒れて朝まで騒いでいた。いつだったか、僕らがよく呑んだそのカクテルの名前を思い出そうとしたけれど、どうしてか思い出すことが出来なかった。
誰かが吸っていたア*パンが零れて麗子のウォークマンを壊してしまって、叱られたこともつい最近の出来事のように思える。
僕は過去に自分を委ねて生きるタイプではないけれど、こんな風に昔の事柄が鮮明にありありと思い出されると、自分が〝いま〟に生きていることに深く感謝すると同時に、過ぎ去った人々のことを想うこともある。
それはとても一言では表しきれないような複雑な心境だ。
麗子は同じ同級生のヒサシと結婚して子供も生まれた。いつか祭りで会った直美はすっかり大人っぽくなっていて会社の同僚と結婚すると言っていた。
ヒロは転勤した中国からまだ帰ってこれない。沼先輩は麻布十番の祭りとかでテキ屋をやっていて、僕らが焼きソバを買うといつも食べきれないくらいに大盛りにしてくれる。
***は、まだ出所できない。たぶん、当分、無理だろう。
もし、彼が生きていたらと、ときどき思うことがある。もし彼が生きていたら、僕らはどんなことを話すのだろうと。
僕らは何処に出掛けて、何を見るのだろう。
成長した僕らは、やっぱり腐れ縁のようにつるんでいるのだろうかと。
僕は想像と戯れる。それはとても愉快な想像だ。
でも実際は、僕が20歳だった5月15日の、冬のように寒く、シトシトと長い雨が降る朝に受け取った電話からいまだに逃れられないでいる。
寝ぼけ眼で受け取った1本の電話が僕をまだ離そうとしないでいる。
僕の耳元には、その朝に起きた悲しい事件のニュースが宿命的な痣のように、いまもくっついている。