2006年2月に国会で民主党から提出された元ライブドア社長が送信したとするメールを巡る幾つかの問題について後味の悪い、砂の混じったお茶を飲まされたような気分になったのでちょっと考えてみた。
さて、そもそも国会議員がメールについて詳しくなくてはいけないのか?といったら、まったくそんなことはなく、ただ、知らないよりは知ってるほうがイイに決まっているだけで、国会議員はメール一つも分からないと騒ぐのは本質を逃すような気がする。じゃあ、それが電子メールじゃなくて宇宙法則の量子力学と物流の関係性だったら知らないことは追求されなくなるのか?ということになってしまう。
その延長線上にある回答は、国会議員というのは万物の知識を司る泉のような人間じゃないと務まらないというやや行き詰まった結論にならざるを得ない。
今回の一連で、意外とネット上では、〝国会議員はメールひとつも分かってない〟という意見に集中する記事や電子メールへの知識の欠乏を指摘するだけの記事が多くて驚いた。もちろん知らずにして国会という公の舞台に、乏しい内容の紙切れを持ち出したのは、責めるに値する行為ではあるが、議題中に現れた材料が問題ではなく、押し寄せるだろう反論に対する準備がなかったことが問題であり、そういったことが今回の事件の稚拙性を浮き彫りにしているのではないだろうか。
だってもし僕が反対派だったら、『オイ、君、それはニセモノじゃないか』と指摘するだろうに違いない。絶対に指摘する。仮に電子メールの仕組みについて知らなくともその贋造性を証明する為に、ありとあらゆる資料を揃えるだろう。それが反対派であり責務だ。
永田議員は『だってホンモノですから』しか答弁できなかった。
その正当性を主張できる材料を持っていなかった。
恐らく彼には国会で提出するまでに少なくとも自分の持つ資料に嫌疑を向けるチャンスはあった筈だ。
しかし彼はそのチャンスを手にしなかった。僕が言う後味の悪さというのは有権者の代表である永田議員の詰めの甘さから起因しているようだ。
国会中継に映し出されるホンモノ宣言をしている永田議員はまるで学級会で吊るし上げにされている小学生みたく、無様で滑稽で、やはり遅鈍に見えた。