2008年01月29日

やんちゃ。

長年パーティ業界の境界線で明日なき沈没を続けていると、さまざまな人間模様にめぐり合わせたりする。

現実社会と上手に向き合えない連中はそれぞれ苦労をしているようで、アンプの中に小人が住んでいると数年信じているパーティ仲間の一人は、社会復帰が計算不能なレベルで程遠い状態だ。彼の口癖は「そうそう、いま聞こえてくる音って全部が全部、小人のしわざだかんね。超ヤバイよ、小人」で、やはり一般人として生活するには足りない部分がまだありそうである。

もう一人のパーティ仲間は、森羅万象のコミュニケーションを<ギブ アンド テイク>に差し替える性格が仇となって、孤立無援になってしまった。この人はガム一枚煙草1本も義理に換算しちゃうので、周りの連中のほとんどは、この人主眼だと<義理がない>と見なされてしまうのである。

当然、こんなのはパラノイアの兆候そのものだから、蓋を開けてみれば、ダチ連中は義理堅いし、ダチだからこそ<ギブ アンド テイク>なんていうミミズのハナクソみたいな戯言から離れた場所に構築されるべき関係だが、残念なことに「テイクばっかりしてんなよ」と順番に糾弾しまくるので、とうとう新旧のダチからスポイルされてしまった。

僕自身、こういう手合いには寛容的な方だが、さすがに「もう勝手にしてくれ」と離れてしまった。<ギブ アンド テイク>発想にウンザリしたのである。

一度だけパーティでひさびさに会って「これ呑む?」なんて酒を差し出されたりこそしても、「そういやさー、あんとき呑んだっしょ」と、ギブ発想を全開でされても面倒で厄介だと踏み、丁重にお断り申した。君子危うきに近寄らずである。

最近は、どういう道徳教育を受けてきたのだろうか疑問に思っちゃうぐらい、当たり前のことを力説する人が増えてきた。自分に酔っ払っているのでクチから飛び出す講釈も長々しているわけだが、意外と中身はありきたりで、尺を縮めると「自然は大事にしないといけない」だとか「仕事と趣味はどちらも大事で、それぞれバランスよく」だとか「誰とでも話すことが大切」やら「日本の文化に誇りを持とう」みたいな、<何をいまさら>という内容でしかない。

幼少時代にそういったことを大人や学校や家庭でしっかりと学んで大人の仲間入りするのが一般的だとしたら、彼らは、記憶が欠落しちゃったのかしらんが、今頃になって目覚めちゃったのである。

当の本人は「いいこと言っているっしょ」とシナプス解放で気持ちよさそうだけれど、案外と周りは面倒な気持ちでいっぱいだ。日本でそれをやって許されるのは現時点では永ちゃんだけである。

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投稿者 ko : 2008年01月29日 19:19 | トラックバック(0)
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