2004年09月08日

英語学校なんて

最近もそうだけど、わりと電車には「英語学校」の広告が目立つ。

各社それぞれしのぎあいながら事業を展開しているようで、それはそれで見応えがある。

「学校教育の6年間で勉強したのになんで英語が出来ないか」と訴えかける会社もあれば(その理由はそこに入学すれば分かるそうだ)、競争相手の会社を逆手に取り、「外国人の先生が話している内容が分からないのにyesと頷いたりしていませんか?」と攻めてくる会社もあり、攻防するように「ネイティブの先生と話さないで英語が学べると思いますか?」とすかざずひっくり返すような広告を載せていたりする。

どれが本当かなんてとてもではないが識別できないし、もちろんどれも本当でどれも嘘っぱちなのかもしれない。
ただ僕がひとつだけ気がついたことが有るんだけど、どの会社もこれだけは真実なのに絶対に広告に載せないってのがひとつだけある。

それは「語学は必要が無いと絶っ対に覚えない」ってやつだ。

どんだけ語学を学ぼうと使う機会がなければ学習しないだろうし、発展しないだろう。
語学というのは生活術のひとつだ。僕らがパーセンテージ的にナイフとフォークの使い方をマスターしていないのと同様に、フランス人が箸としゃもじの使い方を知らないのと同様に、必要がなければ身につく筈が無い。

これだけは100%の真実だ。

日本は良く言われるように大した侵攻も受けなく外国に統治されてはいない(まぁ、実際には間接的に基地という名のもとと、外国コンプレックスという、明治から生まれたクソみたいな精神的な統治を受けちゃってるけど)ので幸か不幸か他言語を必要としていない。

僕の田舎の親戚なんて外国語を話す必要もなく普通に生活しているし、都市生活者の多くも別に外国語が喋れなくても困る事はないだろう。

英語だっていうからみんなアセアセしちゃうのかもしれないけど、そこをちょこっと変換してスワヒリ語に置き換えてみればいい。

必要か?必要ないでしょう。

英語もおんなじよ。英語を話さなくては何もやっていけないとかサバイブできないとならなければ、要らないんだよ、きっと。

事実、僕も外国に行こうとかって思わなければ、身につくこともなかっただろうし。

初めは「hello」しか言えなくて、日本人以外は獣か馬鹿か差別主義者だろうと盲信してた。
今考えればどうかしちゃっているけど、そんくらい外国に対して閉じていた。
でも外国を出歩く以上、コミュニケーションを取るし、なんといっても海外の楽しさのキモとなるのはそういった世界の人々と出会える事だ。だから勉強した。

英語を学ぶというのは最大公約数の語学を習得する事で(要はMACじゃなくてWINを使うようなものか)、学べば生活として旅としてスペックが良くなる。
もちろん英語じゃなくてその土地の言葉、スペイン語圏であればスペイン語をマスターすればもっとだ。

旅人達と2泊3日のトレッキングとかに出掛けて、夜みんなでキャンプしながら料理を作り、
「ねえ、それちょっとしょっぱくない?塩が多いんだよ」「やべっ、入れすぎたみたい。どうしよっか」

そんな会話を外国語でする事に少しでも胸をときめかして、楽しそうだなって思えれば、きっと上達する。

でも、英語学校が「英語、本当に必要ですか?」って広告出したら、生徒来ないよね・・。

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投稿者 ko : 2004年09月08日 13:23
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