2008年01月21日

清く正しい受験生

センター試験の時期となった。

大学入試の全国試験である。この受験の季節になると、必ず思い出すことがある。センター試験ではなくて、「センター試験の前日の夜」のことを。

僕は一浪して大学に入学しているので、センター試験は現役時代・浪人時代と二度受験した。よく憶えているのは現役時代のセンター試験だ。つまり高校3年の受験である。たしかセンター試験の頃は3学期が始まっても学校には通わなくてもよくて、それぞれ受験を目指すものは塾に通ったり図書館に通い詰めたりして合格を祈願して猛勉強に努めた。

中学校のダチ2人と同じ高校に進学したので、それぞれ目指す学部こそ違えど、受験も3人で図書館に通ったり塾に通ったりした。いまじゃ到底考えられないぐらいにマジメに毎日を過ごした。もしかしたら人生に占める<マジメ>という総量をそこで使い切ってしまったのかもしれない。

でもいくらマジメといっても血気盛んな十代には、なかなか辛いもので、「アレもだめ」とか「コレもいかん」と制約を受けると我慢ができないことだってある。

センター試験の直前だというのに「これ以上勉強したら俺が壊れる」と突然と同級生が言い放ち、二の句も継げないうちにもう一人が「俺もダメだ。我慢できない」と吐露した。

彼らが我慢できないというのは異性に関する問題で、運悪く、彼らは夏休み直後に彼女と別れたばかりだった。このままセンター試験を受けたってベストな結果が残せないから今夜中にスッキリしたほうがいいに決まっている、というのである。

センター試験の直前日に性的にスッキリした受験生が合格できるなんて思えないし、一体この人たちは試験中に何を考えているんだろうと疑問が沸いたうえに、彼らほど僕はスッキリしなくても差し支えがなかったわけだが、2人揃って「俺達は言ってみれば同じ船に乗った仲間でありライバルだ。陸に辿り着くときも一緒であれば沈むときも一緒ではなくてはならない」と僕を非難した。

なので仕方なしに21時ごろ、チャリを飛ばして3人揃って歌舞伎町にまで向かった。もしかして何かあったら困るので、一応僕もお金を持っていった。さくら通りの角にチャリを止めて、まるで模試を解くかのように鋭い視線をピンキーな看板に巡らせる友人を見て、改めて彼らは本気なんだと思った。

風林会館近くのピンサロがどうやら値段といい女子の揃いっぷりといい、手ごろだと分かったらしく、いよいよ店の前で相談会をした。

戦闘機に乗り込むパイロットのように決意した友人と、待機する僕とで別れた。

やっぱし僕としては明日に試験を控えているし、そもそもエロい気分じゃないので、この「歌舞伎町すっきりツアー」に賛同しがたいので、店の近くのロッテリアで待機したのである。

まあ、コンディションは悪くないし、これで友人の気分がよくなって勢いづいてセンター試験に挑めればそれに越したことはない。ロッテリアのフライドポテトを食べつつだらしなく待っていたら友人が帰って来た。

ガッツポーズのひとつでもするかと思いきや、随分と曇り顔だ。途端に嫌な予感がした。
開口一番「ボラれたよ」と言い、肩を落とした。やっぱり、である。

聞けば、表の写真に載っているピチピチの女子は一人も現われず、中年のおばさんが現われて、自分の右手を取ったかと思えば、胸を無理やり揉ませて「ハイ一万円」と告げたそうだ。きっと僕だったらトラウマになるだろう。しかも胸を見るとなると、追加で1万円。完全にぼったくりだし、おばさんのおっぱいを楽しむ年頃でもない。友人は泣く泣く1万を払い脱出したらしい。

「やっぱし行かなくて良かったー」と安心するも束の間、もう一人が帰ってこないじゃないか。「やべー、ヤクザにやられちゃったのかな」なんて二人で心配していたら、やはり同じようにうな垂れて帰って来た。だが、まんざらでもなさそうだ。もしかしてこっちはぼったくりじゃなかったか?

どんな結果だったのかドキドキしながら反応を待ってみると、一言、「せっかくだからさらに1万払って片チチ見てきたよ」と殊勲に答えた。

コイツとこれからも友達として付き合っていっていいのだろうか。本気で悩んだ。

そしてその年、僕らはセンター試験で玉砕した。

そんなわけで、この季節になるといつも思い出す。歌舞伎町の夜を。あの<歌舞伎町では片チチ見ただけで2万円>という若い夜を。

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投稿者 ko : 2008年01月21日 19:19 | トラックバック(0)
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