残業が20時過ぎて、帰宅が21時近くになるだろうというところに、私用携帯電話宛に近所に住む友人から1通のメールが送られてきた。徒歩20秒の場所に住む友人が駅前の焼きとん屋に寄っているというのだ。
ご近所同士だからこそ気さくに待ち合わせできるというのが特権。水曜という、週の天王山にも関わらず、僕も2杯程度だけならと暖簾をくぐった。毎日、会議体だけでも3つ4つ割り当てられて、それでいて社長がアノ○さんなものだから、つまりまあ、呑んでなくちゃやってられないのだ。だって社長直々の指令が直接やってくるんだから・・・。まあ、その話はいいか。
パーティ仲間である友人は、7月くらいを目処に彼女と同棲生活を始めるらしい。それに伴い引越しを検討していて、他の土地に住むかもしれないとか。
普段はみっちりとツルむわけではないけれど、世知辛い都会生活、なんとなく友人がそばに住んでいるだけで安心していたものだ。それだけにちょっと寂しくもなったりした。もし許されるのであれば「私鉄沿線各駅停車コミューン計画」を密かに練っているので、これからもご贔屓願いたい。
そういえば、NYのソーホーも最初の一歩はそんなところから始まったのだ。
「何ができるか」「何をするべきか」「何をしたいか」、それらの線引きを明確に引くことによって、解決までの手順が浮き彫りになってくる。原理原則だからこそ疎かにできない部分である。