
私用業務用でiphoneが2台、ドコモとソフトバンクの携帯がそれぞれ1台の合計4台の端末があり、しかもスマートフォンが2台も含まれていて、outlookのexchangeとさいすけでスケジュール管理している状態で、なおこの場に於いて紙にアウトプットする情報があるのかと自分でも不思議に思う。
というか、むしろ要らないだろうという気持ちのほうが先行する。きっかけは2ヶ月ほど前のTLで堀江さんが「手帳とかってもういらなくね?」的なツイートをしたのがトリガだった。僕もおおむね「手帳なんていらなくね」派だったし、事実、手書で書くより数倍の速さでタイピングが可能なので(iPhoneのフリック打ちも、もう慣れた)、手帳を持つ理由がないんだけど、どうしてか買った。
自分でも何で買ったのは説明するのは難しい。敢えて理由を挙げるとしたら、天邪鬼というのが答えだ。要らないじゃんって思う自分がいるからこそ、それに嫌疑をかけて真反対の行動を取る天邪鬼な性格。常にそんな部分で物事を試していたので、今回もそれに乗っかった。
第一、僕はそもそも何も書きもしないのに毎年6穴を交換している手帳を持っているのだ。
十数年前に僕の実家で居候していた旅仲間が餞別でくれたフィンランドの手帳。そう、あれは十数年前の2月のとある日のことである。
能天気な白痴的にご機嫌な朝、ミコが流すキラキラとしたモーニングトラックに身を任せてフルスマイルでディスコバリーで踊っていると、真っ黄色の手袋をしてグヨングヨンと踊り狂う日本人の女の子がいきなり僕を見てロックオンしてきた。
「鬼の子じゃぁ~!」と。
西瓜に話しかけたと思いきや、志村食いをして種を機関銃みたいにイスラエリに発射するパスポートのない残念な40代後半のオジさんとか、面妖極まりない妖怪組の生徒の行動にはすっかり慣れた自分だけれども、自分に向けられると流石にのけぞって、思わず口に含んだビスレリの水を吹いたのだ。
りらちゃん、それが彼女の名前である。
フランス人の彼氏と旅行しているりらちゃんは、前年のインドで僕を見かけたらしくて、当時の頬がこけて腰まで髪が長かった僕をずっと<鬼の子>と記憶していたらしい。まったく意味不明である。なので、ポニョの歌みたいに2回繰り返すだけで「名は体を表わす」状態のきらびやかな朝を迎えていたりらちゃんは1年ぶりに見かけた僕に思わず叫んだのだ。
その出会いをきっかけに、彼女とはその後も街のいたるところですれ違って、そのたびに「胃液を吐いて踊るとアガる」とか「ワカメには裏と表があるから気をつけたほうがいい」という数多くの有難い教えを説いてくれた。
それから半年後、旅ボケが収まらない僕のところに成田空港から彼女は電話を掛けてきた。インドを北上してネパールやタイを経由して日本にソロで戻ってきたらしい。
で、「居候させて」と。
僕も大学卒業してから「家にあまり居ないニート」みたいなデタラメな生活をしていたので、普通だったら断りそうなこの案件をアレコレ考えずに二つ返事で快諾した。
僕の家に居候したりらちゃんとの生活は毎日が漫画みたいで、そのエピソードだけで本が1冊書けそうなぐらいなんだけど、ここでは割愛するとして、居候してからしばらく経って、一度北海道の実家に戻るというりらちゃんが餞別でくれたのがフィンランドのシステム手帳なのだ。
だから、この手帳は旅仲間の置き土産として肌身離さず使う心掛けなんだけれど、まあ、ここは肉ばっかり食べているとたまには魚も食べたい精神に基づいて、<ほぼ日手帳>を。
それにしても、りらちゃん、どうしているのだろうか。ちゃんと生きているのを願うばかりである。