秋の気配が強まると、肌で日が落ちる早さを見て、涼しい風を耳でキャッチして、目は茂みの虫の音を追おうとする。幾分と暮れが強まる空を見て、どうしてか落ち着かない気持ちにもなり、それと同時に、たぶん切なくてちょっとだけセンチメンタルな気分になるのだ。
そしてこれは大事なことなんだけれど、秋は人を大人にさせる。
僕もあなたも秋は大人になる。まるで背伸びをしたがる十代の頃のように。
久々に着た長袖のネルシャツを愉しむのは一人じゃ寂しいと思うほどに。
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冬の季節が近づくと、僕らは少しだけ老衰する。死に掛けたキリギリスほど悲惨でないにせよ、僕らはひどく臆病になる。あるいはそれは灰色に染まった空模様のせいかもしれないし、窓に振りつける深夜三時の北風のせいかもしれない。ただ僕らの周りにはまた訪れる春があろうとしても終末思想がグルグルと渦を巻いて、何かを乞わずにはいられない。
そしてこれは大事なことなんだけれど、冬は人を生きらんと哉と教える。
僕もあなたも冬には人生を想う。きっと想う。まるで暖炉の前で安心する老犬のように。
久々に羽織るマフラーを愉しむのはもっと大人になってからだろうか。
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春の季節が訪れると、僕らはやっぱし生き返る。太陽の淡い光線は僕らに勇気を与え、新緑の営みは僕らを蘇らせる。西の空がまだ沈まないのを見て、どうしてか僕らの鼓動は強くなり、明るく温かい気分になる。
そしてこれは大事なことなんだけれど、春は人を有頂天にする。
バンザイ、僕もあなたも春には生彩。まるで長い冬の季節を絶えた木こりのように。
久々に触れるあなたの唇にも欣喜があるのでしょう。
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夏の季節が告げられると、僕らは突然と子供になる。純粋爛漫に100%子供になる。真っ青な空に貼りつく入道雲はファンタジックで、キラキラと輝く太陽がビーチパラソルで笑う。いつまでも続く夏の日に、僕らは一瞬の幸せをキャッチして、そこに永遠性を求める。果てしなく童心に戻るのだ。
そしてこれは大事なことなんだけれど、夏は人を愛で埋めようとする。
僕もあなたも夏は恋をする。まるで慈悲深いギリシアの女神を讃えるように。
夕涼みに連れ添う僕らには大事なことがたくさんある。