写真を撮るという行為は、自分の心性が欲する、曖昧で表現しようが出来ない貪欲なまでに乾いた部分を─決してそれは写真を以って補完することはできないだろうと知りつつも─坦々と埋めていくような作業であると、いつの頃からか考えるようになった。
文章を書くという作業もまた然り。
自身の目前に広がる世界や心を揺さぶる強烈な体験と、それを表現を通じて記録に残すこととは大きく隔たりがあるのは否めない。対象世界を描写しきれないのだ。つまり、力量が足りない、ということだ。永遠に隔たりは縮まることを知らないのかもしれない。
だとしても─例えそれが岩肌を耕すより困難かもしれないとしても─今日もまたシャッターを押しテクストを綴る。
それは「好きだから撮る」というより「乾きから解放されたい」という、いみじくも自身の欲望を具現化した代替行為に等しい。写真であれ音楽であれ文章であれ、ということだ。