2010年09月23日

ヒロシマメランコリック

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今回は総務省の役人が主査となって、日本の主要の通信事業者が集まり、これからの通信のあり方について喧々諤々とディベートをする出張で、社会的にも影響度合いが高いので、ほとんどの事業者が本部長や下手したら役員登場!なのに、弊社だけは下っ端社員のコウ選手が駆り出される始末。

一応、部長同行なので、ほとんど付着物みたいな存在。それでもヘマをしたら報復人事でも喰らってしまうので、熱い広島の夜はシンデレラタイムで幕を引いて、原爆ドームぐらいで観光を抑えた。

高校の修学旅行先はたしか広島で、原爆ドームを見学したけれども、将来の夢は「シドビシャス」って書くような、当時、興味の大半を占めていたのは、焼き焦げた少女であったり溶けた老人のなんとかであったりと、どちらかといえば猟奇的なグロテスクなブツを拝みたい気持ちで一杯だったのに対して、さすが30代、血中の演歌濃度もいい感じに高まってきたのか、あるいはヤキが回ったのか、ずいぶんと感傷的に涙もろくなり、平和なんてものを考えるようになった。

広島市内を蟻の巣のように巡っている路面電車に乗り、原爆ドーム前に向かう。

30代の曇りすぎた目に映る原爆ドームは、当時とはまるで異なった。
正直言うと、路面電車で150円払うときから泣きそうになっていた。

鶴の折り紙なんて、折り方を知らないので、心の中で折ったつもりになって、黙祷をした。

涙がぽろぽろと零れた。

およそ半世紀ほど前にここで日本人が20万人亡くなったのだ。

罪もない、当たり前の生活をしていた庶民が。胸が締めつけられた。

安直な感傷には唾を吐く人間でありたいとずっと考えていたし、これからもそうありたいと思っているので、インスタントに泣きたくないんだけれど、我々の先輩達は犠牲になったのだ。

そんなことを考えれば考えるほど、涙が出た。

そして、ちくしょーって思った。たぶんアメリカ人だろう、団体の白人連中がワッハッハとか、うかれて写真を撮っているのを見ると、拳が固くなった。

なんかこう、もう少し詫びるような気持ちで見れないものか。

って、奴らはどちらかというと原爆ドームを「勝利の象徴」として見ているのかもしれないな、なんてことも考えた。

中国人は必ず箸で蝿を掴んで、黒人は全員ブレイクダンスができて、アメリカ人は360日ぐらいジョークを言い合っているというのが僕の偏見なので、アメリカ人の思考については色眼鏡で見る癖がある。

でもね、たしかに日本は原爆落とされて先の大戦で敗北をしたし、歴史は勝利者の目でしか語られないとしても、我々は唯一の被爆国として世界に発信し続ければならない。

原爆落とすのはやり過ぎじゃないか?土下座してくれとは言わんけど「アレは人としてやりすぎました」ぐらいの謝罪は求めたい。

つか、オバマは平和記念公園でひれ伏して謝ってもいいと思う。

そんな悔しい気持ちと20万人を一瞬で抹消した歴史的事実を憂いていたら、もっと涙が出てきた。

本当に。

悪い奴らじゃないのも承知だけれども、少なくともアメリカ人がのうのうと広島うろついているのは悔しい。

ER緊急救命室で切羽詰ったジョン・カーターが醸し出すようなシリアスな顔ぐらいは持ち合わせるべきである。

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投稿者 ko : 2010年09月23日 20:20 | トラックバック(0)
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