お酒を控えるようになってから気がついたことは、ここ数年のあいだ、いかにして自分のアフター6が密接にお酒と関わっていたのかということである。
平日であれば仕事を終えて誰かと待ち合わせをし、食事をしつつ一杯呑む。土日祝日であれば、やはり夕方ぐらいから待ち合わせをして、食事をしつつお酒を呑むか、宅呑みをする。どちらもアルコールの存在はとても大きい。二十代半ばまでは純粋に食事だけを愉しんでいたのに、そんな過去は遠い彼方。
お酒が潤滑油という昭和テイストたっぷりの生活サイクルにいつのまにか突入していたようだ。
それだけに、にわか仕込みの禁酒期間となると性質が悪い。つまりただ単純にお酒を控えれば済むのではなく、その期間は意識的に人間関係までを小奇麗に洗わなくてはならないからだ。
「禁酒期間だから、ちょっと・・。」とお誘いをお断るすること星の数ほど。友人がお酒を呑んでいる傍らで黙って烏龍茶を飲むほど人間が出来ていないので、早足で帰宅するようにしている。
でもよくよく考えてみると、こういうのって<モノは考えよう>で、自分がお酒を呑まずしてどれだけ酒席で辛抱できるのか閾値を見つけ出す、という方向から可能性を探ることだってできる。
乾杯の生ビールであっさり敗北するのか、黄金色に焼きあがった唐揚げが登場した時点で「済みません、ビール追加で・・」と負けるのか、「ま、ここはひとつさ、1杯ぐらいはありでしょ」と例の如く悪魔の囁きをかます皆さんの誘惑を断れずに負けるのか、それとも最後まで烏龍茶に代表されるソフトドリンクで目標を達成できるだろうか。
自分の人間性を試す<試用期間>と見据えるのだ。
なんか苦行が人生を彩る大事な項目だと信じているゲルマン民族のバックパッカーみたいな発想だけれど。