2005年02月23日

さくらの唄

日本語教師の条件として、日本語教育振興協会では、420時間の養成講座の修了者、あるいは大学の日本語教員養成課程の修了者、および日本語教育能力検定試験合格者を相当としている。

僕は420時間の履修を選択して、一昨年の4月から(つってもその時はまだ九州に居たわけだけど)火曜と木曜にせこせこと会社が終わり次第、大学に通いつづけた。

その学校も残すところあと2回ほどで修了する。なんだか感傷的にもなるものだ。

実は、授業が始ったと同時に今の会社の仕事で部署が変わり、戸惑うことが何度か在った。それでも今日まで仕事を続けられているのは、同僚や上司に恵まれたからだろう。幸か不幸かあまり遠慮という言葉を知らない性格なので、知らないことがあるとすぐに聞いたりしている。

みんなにはとっても感謝している。

おかげで未修得の業務、業務以外のパソコンの話、カメラ、音楽、文学、映画、エトセトラと自分の幅が広がり、楽しみが増えた。実生活でもモノの考え方を学んだし、多くの現場で影響を与えてくれた同僚と上司にお礼を述べたい。

かつてウチの会社はメンバーの入れ替わりが激しくて、2年前くらいは週単位や月単位でコロコロとスタッフが変わっていた。その現象もどうかと思うけれど、その頃辞めた人からは頻繁に会社の悪口のようなものを呪詛のごとく聞かされたのには驚かされた。

僕としてはそれはとってもショッキングで、辞めたあとにブツブツ言うのも、なんだかだらしないなと感じたし、何よりもお世話になった会社の悪口を言うこと信じられなかった。もちろんその人なりの立場や状況もあるだろうから他人がとやかく口を出すことじゃないけど、とにかく「そりゃないぜっ」て気持ちだった。まぁ、いいけどさ。

仕事が好きか?と聞かれたら、ええ、好きですね。といえる。唯一キライなのはあのろくでもない朝の通勤電車と夏の極寒な冷房ぐらいで、それさえなければ毎日はムリかもしれないけど、週6日くらいならイケる。

今日もゴホゴホと咳をして、お昼ご飯を食べたら猛烈に睡魔が襲ってくだろう。でも、それはそれで楽しいのだ。きっと仕事にプライドを持って(自分を費やすことのできる領域があるという意味で)、環境に恵まれることがあれば、誰だってそうなんじゃないだろうか。

話は前後して、日本語学校。親しくなった学習者や受講生とのお別れには一抹の寂しさもある。一期一会とは便利な言葉だけれど、実生活の本質に照らし合わせると、いざお別れの段階で思い知ることが多い。

年齢層もバラバラでこれまた個性的な方との出会いの連続だった。さくらの咲く頃にはそれぞれの道を歩む。無数の邂逅をこれからも。

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投稿者 ko : 2005年02月23日 10:15 | トラックバック(0)
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